8-8 弟子
国王暗殺未遂事件から遡る事3日。
ギヴェン国軍兵士達が国境の町オクセントを目指して進軍を開始した頃、フィルツ=オルストイは兄ヴァイスからの指示を受け、フラウローズ男爵家に関する調査を進めていた。第二王子であるアイン=ファーランドに近づき、その実力を徐々に周りに示し始めているシトリー=フラウローズの存在をヴァイスは危惧し、そこでフィルツにフラウローズ男爵家の調査を依頼したのだった。
フラウローズ男爵家は元は北方守護伯であったリンクス元侯爵家の派閥に属していたが、21年前のギヴェン王国における内乱発生の直後よりフォルカー侯爵家の派閥に属する事で、取り潰しを免れた貴族家であった。
前国王派であったリンクス侯爵率いる北方領軍10000が王都フェルセンへと南進した際、フラウローズ男爵は第一王子であるボイルを支持し、リンクスからの援助要請を拒否するという英断に出る。
これにより、北方領軍は補給線の見直しを迫られる事となり、王都への進軍が2日遅れる事となる。
そしてその2日の間に、ボイル率いる国軍7000は東方守護伯フォルカー率いる東方領軍5000と合流。総数12000の新国王軍と北方領軍10000の総力戦に突入する。
当時、フラウローズ男爵家がリンクスを支持し支援要請を受けていたならば、ボイルは国軍7000で12000もの北方領軍を相手取る必要に迫られる事となっていた。日頃から他国の侵略を防ぐ為に訓練されていた領軍に対し、数でも劣る国軍では北方領軍に太刀打ちする事は困難であっただろう。
また、フォルカー率いる東軍領軍5000のうち2500はフォルカーが誇る騎馬隊であり、その破壊力はギヴェン王国随一と言われていた。内乱において、ボイルを勝利に導く要因として彼らフォルカー騎馬隊の存在が非常に大きかった。
内乱について歌う謡う詩人達は大抵、フォルカー侯爵率いる騎馬隊の勇猛さを大きく取りざたするが、歴史を知る者達は皆、ボイル国王を勝利に導いた2日間を重要視していた。
これに関しては当事者であったボイル=ファーランドも同意見であった。
ボイルはリンクスの派閥であったにもかかわらず、救援要請を拒否しボイルを支持したフラウローズ男爵家を高く評価していた。結果、フラウローズ男爵家はボイルの口聞きもあり、フォルカー侯爵家の派閥に鞍替えする事となる。
フラウローズ男爵家が、それまでの派閥の主であったリンクスの要請を断った理由は明らかにされていなかった。内乱後、ボイルはフラウローズ男爵に対しその理由を問うたが、フラウローズ男爵はギヴェンの未来を考えればアレクシス前国王ではなく、ボイル国王を支持する他に選択肢は無かったと言うのみであった。
フラウローズ男爵家が行った選択により、ボイル国王は勝利と得る事が出来たのだった。
だが、フラウローズ男爵家に関し調査を進める内に、あの内乱の裏でアイニス共和国が関与している情報を得たフィルツには、ギヴェンの未来の為というフラウローズ男爵家の言葉を素直に受け入れる事が出来ずにいた。
過去に関し調べる程に、前国王アレクシスがアイニス共和国と通じ国を低迷させていたという話の信憑性が非常に高い事をフィルツは知る事となる。だが残念ながらフラウローズ男爵家の選択の意図まではつかめずにいた。
アイニス共和国によるギヴェンへの水面下の侵略を阻止する事で一体誰が特をするのか。その答えをフィルツはいまだ明確につかめてはいなかった。
フィルツは、特務隊の部下2名と共にフラウローズ男爵領の領主館に潜入していた。そしてフラウローズ男爵の執務室にて一冊の書物に目を通していた。
それは男爵家の家系図が記載されたものであり、初代フラウローズ男爵から当代フラウローズ男爵までの名前が列挙されていた。
そこに記載されていたベネイラ=フラウローズの名にフィルツの目は釘付けとなる。
事前の調査で学院に通うシトリー=フラウローズがフラウローズ男爵の養女である事はすでに判っていたが、シトリーがフラウローズ男爵の姪にあたるベネイラ=フラウローズの血を引く娘であるという情報しか見つける事が出来ずにいた。
これまでにベネイラ=フラウローズを調べていたフィルツは、彼女が12年前にこの世を去っている事を知っていた。死因は流行り病とされている。だがその死因には幾らかの不可解の点も見られていた。ベネイラが無くなった当時、北部でそのような流行り病が流行したという話は聞かれていなかったし、ベネイラの葬儀は貴族には珍しく男爵家のみで慎ましやかに行われたという記録が見つかっている。
また、ベネイラの夫に関する情報は一切記録に残されておらず、そのため相手は平民であったのではという憶測まで飛び交う程であった。
だが、今フィルツが手にとって見ている家系図には、これまで隠匿されていたベネイラの夫の名前が記載されている。
グレモリー=ナフラ
ベネイラの横に綴られたその名前にフィルツは眉を顰める。
ナフラという家名の貴族はギヴェン国内には存在しない。また、平民の名としてもギヴェンでは非常に珍しい姓であり、現在は殆ど使われていないはずだった。ナフラの姓に関しては西方に伝わる羽を生やした聖獣の名であり、それにあやかり姓として付けられているという話をフィルツは耳にしていた。そして、フィルツがそれを知ったのは、彼の師から水の封剣の【神籠】について話を聞いていた時の事であった。
「……オウス公国か」
オウス公国において、伝説に登場する翼の生えた獅子、聖獣ナフラ。
守護する者に手作業の器用さや学問を授ける聖獣とされており、オウスでは古くから信仰されている聖獣。
オウス公国内でもあまり使用される姓ではないが、ギヴェンよりは広く使用されているものである。
シトリーの両親がベネイラとグレモリーでは無いとしても、フラウローズ男爵家とオウスとの間に何らかの関わりが存在する事は確実であろう。
「この事をフェルダー殿に伝えよ」
「はっ!」
フィルツはフェルダーにフラウローズ男爵家とオウスの関係性を伝えるため部下に指示を出す。
本来なら兄ヴァイスに連絡したい所であるが、ヴァイスはすでにアイニスとの戦の為にオクセントに向け北進中である。
ヴァイスに伝えるより先に、フェルダーを通じボイル国王の耳に入れるべきとフィルツは考えていた。
だがフィルツの部下が、フェルダーの元へとたどり着く事は無かった。
「ぐあぁあああぁ!」
突如、聞こえる断末魔に、フィルツは慌てて執務室の外へと駆け出す。
そこには先程まで、自分と共に行動していた特務隊の男が四つんばいになり頭を抱え、もがき苦しむ姿があった。
そして苦しみの声を上げ続ける男の先に、ローブを着た一人の男が佇んでいた。
男は、フィルツの姿に一瞬目を見開いた後、彼に向けにっこりと微笑みかける。
「これはこれは、夜分遅くどなたがいらっしゃられたかと思えば、かの有名な天才フィルツ=オルストイ殿では御座いませんか」
「……」
フィルツは背後に回した手で、もう一名の部下に執務室の窓から抜け出すように指示する。
部下の男はフィルツの指示に従い、執務室の窓を開けて、そこから身を滑らせ館の外へと降り立つ。
だが次の瞬間、彼の頭を目掛け鋼鉄の刃が振り下ろされる。
男は刃をぎりぎりで交わすが、返す刃が男の胴を切り裂き、辺り一面を真紅に染め上げる。
「あぁ、あまり派手に散らかすとあとの掃除が大変だというのに……しかたがない方ですね、あの人は」
フィルツの目の前の男はそういいながら、肩をすくめる。
そうする間に、床で頭を抱えていた部下もまた、1度2度大きくビクついた後、微動だにしなくなる。
目を凝らすと、男の口からは血と泡を吹き出しており、男の顔色は青紫に変色している。
「彼ですか?たぶん舌でも噛み切って勝手に死んだんだと思いますよ」
「あいつに何をした」
フィルツの言葉に、男は楽しそうに微笑む。
「フィルツ殿も得意とされている事だと思いますが、彼の魂に少々手を加えました。ハーゲンティ様から習われませんでしたか?」
男の口から飛び出した名に、フィルツは驚き言葉を失う。
こんなところでその名を耳にするなんて事はフィルツには思いもよらなかった。
「なぜ、貴様が師匠の名を……」
「それは勿論、私もハーゲンティ様に師事しておりますので」
男はそう言うと、胸に手を当てフィルツに頭を下げる。
「はじめまして兄弟子殿。私はロノエ=ナフラ。ハーゲンティ様に師事しております魔術師です」
「……ナフラか」
ローブの男――ロノエは頭を上げると再びフィルツに話始める。
「ええ、私は亡くなられたグレモリー=ナフラ様の遠縁に当たる者で御座います。ナフラは下級貴族の家では御座いますが、幼少の頃、運よくハーゲンティ様に魔術師としての才を見出していただき、弟子として魔導を学ぶ機会を得る事が出来ました」
フィルツの師匠であるハーゲンティはフィルツが学院を卒業する頃、この世界の真理を探求すると言い出し、ギヴェンから姿を消していた。20年以上、連絡もとれずにいた師が、敵国であるオウスで弟子を育てていたなんて事は、流石のフィルツも予想だにしていなかった。
「さて、フィルツ殿。おとなしく私に囚われていただけないでしょうか。折角出会えた兄弟子である貴方を、死なせるような真似はしたくは御座いませんので」
ロノエはそういいながら、フィルツに手を差し出す。
「悪いが、兄貴って奴は弟に頭を下げたりするもんじゃないのでね。それは兄弟子、弟弟子でも同じ事だろ?」
自らを棚に上げた言葉にロノエは思わず噴出して笑いだす。
「あはは、貴方がそれを言いますか。まぁいいでしょう。そこまでおっしゃるなら私としても兄弟子である貴方に私の全力をお見せするといたしましょう」
突如、ロノエの纏う空気が変化する。
フィルツは腰につけた荷袋からいくつかの魔素吸引具を取り出し地面に叩きつける。
最初から全力で対さなければ、男の言葉の通りに自分はここで死ぬ事になるかも知れない。
ロノエから発せられる威圧感は、フィルツにそう感じさせるに十分なものであった。
さらにフィルツは、館の外で待ち受ける脅威の存在に対しても考えなければならない。
この場にこられれば2対1となり完全に勝機を失うかもしれない。
出来る限り早急に目の前の男をなんとかし、この館から逃げ出さなければならない。
持てる知恵と知識を絞りだし、フィルツは生き残る算段を必死に立て始めていた。