8-7 兇刃
ギヴェン王国首都フェルセン王城の王の執務室。
ギヴェン国王ボイル=ファーランドは皇太子フォルカス=ファーランドからの面会の申し出を受け、彼を執務室へと呼びつけた。
執務室には面会を申し込んだフォルカスの他に、ボイル国王と彼の側仕え達、そして執政官であるフェルダー=クロイツの姿がある。
皇太子とはいえ、一国の王であるボイル国王との面談など、やすやすと執り行われるものではない。
だが、先日のアイニスによる襲撃事件により、フォルカスは長年彼を支えてきた右腕とも呼べる存在を失っており、それを知るボイルは、皇太子がその事に対して見切りをつけているかどうかを、面と向い確認したいという思いもあった。
ボイルは自分の後継者であるフォルカスがこの程度の事をいつまでも引きずっているようであれば、後継者として相応しく無いとまで考えていた。
「ボイル国王陛下、お忙しい中お時間を頂きありがとう御座います」
「うむ」
「本日は、陛下にお尋ねしたき件が御座います」
改まって物言うフォルカスに、ボイルは訝しげに目を細める。
今更、追放した文官長補佐に関して何かを言いだすようであれば、フォルカスは皇太子としての器さえなかったといえるだろう。その場合は第二王子のアインを皇太子に据えるべきかどうか、ボイルは頭を悩ませる。
第二王子アイン=ファーランドは白の封剣守護者であり、王家にとっての切り札ではあるが、次代のギヴェンの王としての器を持つものであるという事とは同義ではない。
むしろ、ボイルにから見ればアインはフォルカスに比べ精神的に未熟であり、王族としての心構えさえ完全とは言えない状態である。だがそれはアインが全て悪いというわけではなく、幼き頃、母エリーゼを光の封剣の呪いで失った事に由来するものであると、ボイルも考えていた。
それでも、アインは光の封剣守護者である。封剣守護者の中でも最も力優れた光を有するアインが、精神も未熟な状態で王権まで手にする事を、ボイルは忌避していた。
光の封剣守護者であるアインはギヴェンの武とは成りうるが、残念ながらボイルにとっては、それ以上の存在になりえる事は無かった。
「フォルカス。俺に聞きたい事とは何だ」
「忠誠の儀に関して御座います」
ボイルの目から見て、フォルカスに特筆すべき才などは見当たらなかった。凡才でありながらも、王族としての心構えを有するフォルカスであれば次代の王としてギヴェンを傾かせるような事はせぬだろうという思いからボイルはフォルカスを皇太子として任命していた。
あくまで凡才の王子。だからこそ、フォルカスがボイルにとっての秘中の秘を知りえている事に驚きを禁じれなかった。
「父上。忠誠の儀とは一体何なのですか?」
「騎士や魔術師団時に立てる――」
「そのような建前を聞きたいわけでは御座いません!」
「いくらフォルカス殿下とはいえ、お言葉が――」
「よい」
声を荒げるフェルダーをボイルが手を上げさえぎる。
「フェルダーとフォルカス以外は席をはずせ」
「はっ」
ボイル国王の命に従い、フェルダーとフォルカス以外が席を外す。
「陛下、よろしいのですか?」
「うむ。フォルカスは俺の後継者だ。そろそろ知っていても良い頃合だろう」
フェルダーの問いにボイルが答える。
「フォルカス。これはギヴェン王家にとっての禁忌となる」
「はっ」
「忠誠の儀とは誓約魔術の一種だ」
「!?」
誓約魔術とは魂に呪いという形でオドを刻みつけ、誓約に反する行為を行えば、魂と魄との間でオドの楔として呪いを現出させる魔術であり、魔獣を使役する場合に用いる隷属魔術を元に改定された魔術である。
ボイルはフォルカスに忠誠の儀について説明する。
王国騎士団や魔術師団の者は、正規に団に所属する時に忠誠の儀を執り行い王への忠誠を誓う事となる。
その儀式において、忠誠を誓う者達には誓約魔術が刻まれる事となる。
誓約の縛りは王族への服属。
もともと国に仕える人間であれば、王族に対する礼節は当然として認識されている。そのため、忠誠の儀による誓約は、誓約された本人にとってもその誓約自体が認識しがたいものとなる。
誓約の縛りをより精神に関わる程に深くすると、無意識のうちに当人が縛りを違え、呪いが発現する事となる。そのため、誓約での縛りは、ある程度の自由度を持たせる必要が生じる。
その点も踏まえ、忠誠の儀による誓約の縛りは、王族への服属という形を取っていた。
「その誓約はヴァージニアにも施したのですか?」
「無論だ。むしろ、あの娘には服属程度では温すぎる。さらに深い誓約で縛ろうと考えたが、ヴァイスに魂魄への影響が強すぎため、あの娘が成人し魂と魄が成熟するまで待つよう止められた。しかたなく今はあの娘に王族への服属のみを誓約として刻んでおる」
ボイルの言葉にフォルカスは呆然とする。
「あの娘は毒を持つ魔獣と変わらぬ。誰かが首に縄をかけて管理せねばならん。そうせねば、あの娘の毒でギヴェン自体が犯される可能性さえあるのだ」
「それで誓約を……」
「フォルカスよ。次代の王となる其方にはあの娘の力と知を手にする権利がある。だが同時に、あの娘を縛る鎖であらねばならん」
フォルカスは膝の上に乗せた拳を震わせ、声を絞り出す。
「貴方は、人をなんだと思っているのだ」
「フォルカスよ、いつまでも甘い事を申すな」
「黙れ。この下郎が!」
突然立ち上がるフォルカスから、ボイルを庇うようにフェルダーが前に出ようとする、だがフェルダーが前に出る事はなかった。
「なっ……!」
突然フェルダーの目の前に淡い薄紅色の髪の少女が姿を現す。
そして次の瞬間、少女は手にしたナイフでフェルダーの頚を切り裂く。フェルダーの首からはまるで噴水のように血が噴き出し、壁を血に染める。
「馬鹿ないつの間に!誰か!」
「黙れといっているだろうが!」
フォルカスの手にいつの間にか握られていた剣がボイルの胸に深く突き刺さる。
「ぐっ……!ぉおああああ!」
「あんたのせいで、ヴァージニアは僕ではなく兄上に!本当なら彼女の言葉も、微笑も温もりも兄上ではなく僕の為に存在したはずなんだ。それを貴様が、貴様のせいで!」
」
「……フォルカス?いやまさか、お前は」
フォルカスはボイルに突き刺した剣を捻った後、一気に引き抜く。ボイルの胸から溢れ出した血は床一面へと広がり赤一色に染めあげていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
剣を握ったまま興奮状態のフォルカスへと少女が声をかける。
「引きますよ、殿下。すぐに王や執政官の側仕え達がやってきます」
「あ、あぁ。わかったシトリー」
淡い薄紅色の髪の少女――シトリーは口角の端を上げフォルカスの手を引く。
「さぁ、参りましょう殿下。貴方が望む未来へ」
少女に手を引かれ、フォルカスだった男は執務室の扉へと歩き出す。
「あぁ。僕が正しい未来を掴むんだ!」
男は狂信者のような笑みを浮かべたまま扉に手をかける。その先に自らが望む世界があると信じて。
■■■
「へ、陛下!まだ息がある!すぐに手当てを!」
ボイル国王の側仕え達が異音に気づき、慌てて執務室の中へと雪崩れ込む。床一面が赤く染まる部屋で、胸から夥しい血を流すボイル国王の姿に、側仕えの一人が蒼白な顔で、助けを呼びに駆け出す。
しばらくして、幾人かの魔術師団員や近衛騎士達が執務室に入り、ボイル国王の治療を始める。
「そんな……親父……」
騎士達と共に執務室を訪れたゼクスは、変わり果てた父親の姿に呆然と立ち尽くす。
「誰がこんな……、誰がやったんだ!おい、貴様!知っている事を答えろ、誰がやったんだ!」
「こ、皇太子殿下が」
「いい加減な事を言うな!そんな馬鹿は事あるはずがないだろうが!」
「ま、間違いありません。ボイル陛下と皇太子殿下がお部屋で内密なお話があると仰られ、我々は執務室の外に出ておりました……」
ゼクスに胸元を締め上げられた側仕えが必死で状況を説明する。
「執務室のすぐ外にいたのに、誰かが出てきたかどうかも分からなかったのか!」
「そ、その我々が異音に気がつき執務室へと向かった際、どなたともすれ違っておらず……」
「この役立たずどもが!」
荒々しい手つきで側仕えを振りほどいたゼクスは、物言わぬフェルダーの亡骸の側に膝を付き、震える拳を何度も床に叩きつける。
「……ただちに謀反人を捕らえよ!」
「む、謀反人」
「フォルカス=ファーランドを今すぐ捕らえよと言っているのだ!」
ゼクスの怒声に騎士達は一斉に動き出す。
フォルカス=ファーランドによる国王暗殺の報は数時間の後、王城内だけではなく王立学院にも広まる事となる。