8-4 矛盾
王都フェルセンにおける、アイニス共和国との開戦のムードは日に日に強くなっていった。
先日、私はフォルカス殿下と共に、実際に出兵する事となる騎士団員や魔術師団員と直接面会し、今回の戦争に対しどう考えているかを聞く機会を得た。彼らはアイニス共和国の横暴を決して許してはおけないと強く主張し、ギヴェンの為に尽力する事を心から誓っていた。
そして本日、王都では出兵する事となる騎士団や魔術師団、そして国軍を鼓舞する祭典が催され、フェルセンの国民達は彼らに惜しみない声援を送っていた。
私はヴァイン達と共に城下町で催されていた出陣式を見学に訪れていた。
戦技課のメンバー達も出兵する兵達への応援に声を張り上げている。だがそんな中、私は出兵する兵達の姿を見つめながら、先日のサイファ様の言葉を思い出していた。
『そうだったね、そうだ。君はそうだった』
『おちついて今考えている事以外のものを思い浮かべるんだ。いいかい、ゆっくりと』
『もし今より痛むようになったら、すぐフィルツさんに相談するんだ。あの人ならどうすべきかを知っているはずだから』
あの日、彼が言った言葉は今でも私の頭の片隅に残り続けている。
彼は私が頭痛の理由を知っていたようだった。
そしてその対処法を師匠が知っていると教えてくれた。
結局、彼の言葉の意味を知る事は出来なかったが、ただ私の身体に何かが起きているという事だけ理解する事が出来た。
(一体何が起きてるというのだろう)
自分の中で、知らぬ間に何かが勝手に変えられているのではという恐怖感が一瞬過ぎる。だがそんな事ありえるだろうか。少なくとも今自分と認識している私は私のままのはずだ。
そう思い、それが本当なのかどうかさえもが疑わしく感じ始めていた。
自分の考えに没頭していた私に、ヴァインが声をかける。
「ジニー、あとで少し話したい事があるんだが、いいか?」
「いいけど、どうしたの」
「ここじゃちょっとな。あとで技術棟の1Fの作業部屋に来てくれ。そこで話すから」
珍しく神妙な顔の彼に、私は違和感を覚える。
一体何の話だろうか。私は興奮気味に出陣式に声援を送り続ける戦技課の皆から離れ、技術棟へと向かった。
技術棟の1F作業部屋の扉を開けると、すでにヴァインは到着しており、俯き椅子に腰をかけていた。
私に気が付いたヴァインは、私に椅子に座るように促す。
「どうしたのヴァイン。怖い顔をして」
「ジニー。お前に少し聞きたい事があるんだ」
椅子に腰をかけ、彼が私に聞きたいという内容を予測する。戦技課の事だろうか、魔術の事だろうか。それとも、フォルカス殿下との事だろうか。
「私に答えられる事なら」
「あぁ、お前にしか答えれない事なんだと思う。お前がやった事なんだから」
私がやった事とは一体何なのだろう。身に覚えがない私は、いつもと違うヴァインの様子に戸惑いを隠せずにいた。
「よくわからないけど、私何かしたっけ?」
「お前さ、先日のアイニスの襲撃の時に何人殺した?」
何人殺したか?ヴァインはそんな事を聞きたいのだろうか。確かあの時私が殺したのはアイニス兵4名とゼクスと共に教士1名の計5名のはずだ。他は魔術で行動不能にとどめている。
私としてはギヴェンに牙を剥く敵国兵は皆殺しにしたい所であったが、情報を知るために生かすよう指示を受けていた為、可能な限り命を奪わないようにしたのだった。
「5名かな。でも1名はゼクスと一緒にだから、一人では4名よ。本当はもっと殺したかったけど、生け捕りにしろって言われていたしね。まぁ、武器が水を凍らせた刃しかなかったにしては上出来じゃないかな。で、それがどうかしたの?」
「どうかしたの……か。ジニー、お前、自分が何を言っているのか分かってるのか?」
「どうしたの?何人殺したかって聞かれたから答えただけだけど」
ヴァインは物言いたげな顔で私を見つめる。彼の言いたい事が全く理解出来ない。
私はただギヴェンの敵を殺しただけであり、誰かに咎められるような事は一切していないはずだ。
「ジニー。お前ってさ、アイニスの襲撃以前に誰かを殺した事ってあったっけ?」
「何を言い出すのヴァイン。そんな事ある訳無いじゃない!私がそんな酷い事をするように見えるの?」
人を殺すなんて事を簡単に出来るはずが無い。ヴァインは何を言っているのだろう。
私が簡単に人を殺すような人間に見えるのだろうか。襲いくる魔獣が相手であれば仕留める事にそれほどの抵抗は感じないが、それでも人型の魔獣が相手では少しは躊躇いもする。
ましてや自分と同じ人間が相手であれば、剣や魔術を向ける事ににさえ抵抗を感じるというのに。
「あぁ、見えない。昔、俺の為にきれたお前が炎魔術を他人に向けて放った事もあったが、あれだって加減していたのを知っている」
「ええ。あの時はカッとなったけど、あくまで彼らを脅すだけのつもりだったし」
そうだあの時だって、ヴァインを侮辱されて腹が立ちはしたが、あくまで脅す程度で済ませようと思っていた。結果としてヴァインの魔術で止められはしたが。
「なぁ、ジニー。気づいているか?」
「え?」
「お前、言っている事が矛盾している事に」
「何が……」
ヴァインは何を言っているのだろう。彼が何を言っているか理解出来ない。
「ジニー。お前は人を殺す事を罪悪と考えているのに、どうしてアイニス兵は躊躇い無く殺せるんだ?」
「え、だってアイニス兵は殺すべき相手で……」
私はどうしてこれほど明確にアイニス兵を殺す事が正しいと思っているのだろう。
「なぜアイニス兵は殺すべき相手なんだ?」
「だって……あいつらはギヴェンの、王家にとっての敵で……」
そうだアイニスはギヴェン王家にとっての敵だ。敵だから殺す必要があるんだ。
「お前は王家の敵だから殺すのか?」
「当たり前じゃない!だって、私にとって王家は――」
王家は何だというのだ。私は今何と言おうとした?あれ……。
「なぁジニー。お前のその思いは本当にお前の思いなのか?」
「な、何を言い出すのヴァイン。そんなの当たり前じゃない。そんなの……」
どうしてだろう、分からない。本当にそうなのだろうか。考えれば考えるほど頭に痛みが走る。
「ジニー、お前のギヴェン王家への思いは本当にお前のものなのか?」
「そんなの、知らない。煩い、煩い、煩い、煩い!」
お願い、それ以上頭の中をほりかえさないで。
頭が酷く痛む。どうしてヴァインはそんな事を私に言うのか分からない。分かりたくない。
そうして、私は痛みのあまり意識を手放す。
遠くなる意識の中、必死な声で私を呼ぶヴァインの声が聞こえた気がした。
■■■
気がつけば私は、赤い絨毯がしきつめられた薄暗い部屋に佇んでいた。
あぁ、これはいつもの夢だ。
そう気がつき、いつものように部屋の主を探す。
すぐに、部屋に敷き詰められた椅子にたった一人座る男性を見つける。
「こんにちわ」
私の声に気がついた男性は、優しい顔で微笑む。
「そろそろ来る頃だと思ってたよ」
そういって彼は私に自分の隣の席に座るよう促す。
「君がいつまでも俺との繋がりを捨てようとしないから、君の魂はアレに少し歪められてしまった」
「……」
「俺との繋がりを完全に切りさえすればよかったんだ。そうすれば君は君としての人生を歩めたはずだったのに」
彼は悲しげな顔でそう言うと、そっと私の頭をなでてくれる。
「俺が消えるのを君が無意識に避けようとしてくれたのは知っている。だけどそのせいで君が傷つく必要なんてなかったんだ」
きっと彼が私に話してくれた言葉はすべて、目が覚めれば忘れてしまうだろう。
それは何時もの事だった。
「繋がりが切れかけ、俺と君が別として分けられたおかげで、こうして君と会えたのは幸運だった。いつか君に謝りたいって思っていたから」
「謝りたい?」
「あぁ、俺のせいで君の人生が歪められてしまった。それをずっと謝りたかった。でも俺はここから動けなかったし、何もできない。だから君がここに来てくれた事を神に感謝した。やっと謝ることができるって」
そう言うと彼は私に頭を下げる。
だがやめて欲しい。彼が頭を下げる必要なんてない。彼だって被害者なのだ。
「きっと君にはまた、選択しなければならない時がくる」
「……」
「その時こそ君はちゃんと選ぶんだ。君にとっての正しい答えを」
目の前の大きなスクリーンに映し出される映像がどんどん掠れ消えていく。
「さよなら、ヴァージニア=マリノさん」
「さよなら、■■■■■■さん」
そうして、私は目を覚ます。
何かが変わり始めた日常に。
■■■
「気がついたか?」
「……ヴァイン」
心配そうな顔で私を見つめるヴァインにそっと微笑みかける。
頭の痛みのあまり意識を失っていたのだろう。意識を失うほどの痛みは久しぶりだった。
「すまない、ジニー。俺が変な事聞いたばかりに……」
「ううん。気にしないでヴァイン。私自身よくわからないけど、たぶん師匠なら何か知っていると思う」
『今より痛みが酷くなるなら師匠と相談するように』
サイファ様の言葉が脳裏を過ぎる。きっと師匠がなんらかの答えを握っているに違いない。
「フィルツが……そうか」
私の言葉を聞き、ヴァインは何か気がついたようだった。
「さっき連絡いれたから、もうすぐお前の家の人間が迎えに来るはずだ」
「ヴァインは?」
「あぁ、俺はフィルツを探してみる。何かわかったらお前に知らせるから。今はゆっくり寝ておけ」
そういうとヴァインは私の頭をなでながら優しげに微笑む。
師匠に会おう。そうしなければ私はきっと後悔する事になる。
言い知れぬ不安を感じながら、私は再び眠りへと落ちていった。