8-3 バグ
これまでもヴァージニア=マリノがアイン=ファーランドの暴走事件が発生するタイミングでフェルセンを訪れる事は何度かあった。
だが、今回の彼女のように既製品をアレンジしただけのドレス姿で現れるなんて事は一度たりとも見られなかった。
「おや、貴女は……」
だからだろうか、僕は無意識に彼女に声をかけてしまう。
「ヴァージニア様のお知り合いですか?」
「いいえ。ですが見た所、王宮の給仕ではないでしょうか」
彼女と同行するナターシャが僕についてヴァージニアに尋ねる。
下手に怪しまれないよう注意をしながら、僕は彼女達に自分がただの給仕である事を説明する。そんな僕に対し少女達は訝しげな顔で僕を睨み付ける。
さすがにわざとらしすぎただろうか、結果として少女達は僕の事を薄気味悪がり、そそくさにこの場を立ち去ろうとしたので良しとしよう。それに少し話しをしてみて、ヴァージニアという少女に対して僕が感じた違和感が、彼女が身に纏うドレスだけではなかった事に気がつく。
この世界においてもゲーム同様、彼女の関心は本来アイン王子にのみ向けられるようになっている。
そのため、幼少時の彼女がアイン王子以外の人物に関心を示している事に対して僕は違和感を感じていたのだ。少なくとも、彼女がナターシャやリーゼロッテと楽しげに手をつないで歩くなんて事はこれまで一度たりともなかったはずだ。
「君があの二人と仲良くなるなんてね」
「え?」
彼女の反応に、僕はほくそ笑む。その反応は隠し事が誰かに露見するのを恐れるものだった。
僕の予想どおり彼女はこれまで物語りの登場人物にすぎなかったヴァージニアとは異なり、何らかの意思の下、行動している事は明らかだった。彼女はきっと僕と同じようこの世界へと転生し、囚われてしまった哀れな人間なのだろう。
「ヴァージニア=マリノ嬢。今日、君に会えただけでも僕にとっては十分な収穫だよ。君がこれからどんな物語を紡ぐのか、じっくりと楽しませてもらいたいな」
「何をおっしゃってますの……?」
「あぁ、そう言えばこんな所で油を売っていないで、急いだほうがいいと思うよ。ほら」
この世界に転生する人間が僕だけではないと知れただけで十分な収穫だった。
今回の闇の氾濫を彼女が経験した後に、世界がリセットし再び彼女がこの世界に舞い戻るようなら、その時には互いの情報を交換し協力してもいいとさえ僕は思っていた。
できればもう少し彼女の様子を見ていたかったが、予定通りならば、暫く後アイン王子は暴走する事になり、多くの死傷者で城内は溢れかえるだろう。そうなれば僕達がフェルセンから抜け出す事も面倒になる。ヴァージニアがこれから起きるであろう暴走事件に対し、どういった行動を取るのかについては非常に興味が沸いていたが、僕はそれを見る事なくオウスへと帰還した。
そうしてオウス領へ戻った僕は、ギヴェンに潜ませている部下からの報告でアイン王子の暴走事故が起きなかった事を知る。
(彼の暴走は回避できない事件の一つではなかったのか?)
その知らせを聞き、慌てて事の詳細を調べる。そして得られた内容に僕を自分の目を疑った。
ヴァージニアはアイン王子の暴走を未然に防ぎ、その上で彼と彼の兄の目の前で精霊の具現化まで成し遂げ、二人の仲の修繕に成功したのだ。
僕がこれまでいくらやっても出来なかった規定事項の改変を、あの少女は事もなく成し遂げたのだ。どうして彼女はシステムの影響を受けずに未来を改変できたのか分からない。僕はそれからヴァージニアという少女について徹底的に調べる事にした。
ヴァージニアが転生者である事は、同年ベイルファーストの森で、彼女と直接話をする事で確信に至った。
だが彼女がただの転生者ではない。それは、彼女が行動を共にしていたヴァイン=オルストイやフィルツ=オルストイの変化から察する事が出来る。
ヴァインがベイルファーストの森に来ていた理由は、彼の父が叔父であるフィルツ=オルストイと会って話す為だった。魔術師に憧れる少年は天才とまで言われた稀代の魔術師フィルツに会える事を楽しみに森を訪れていた。
本来ヴァインがフィルツ出会うのはキメラ研究所の中のであり、ヴァインはそこで憧れの存在であるフィルツから彼には魔術師としての将来はない事を告げられる。ヴァインが魔術師としての未来を諦めるのはその時だ。だが、ベイルファーストの森でヴァインを待っていたのはフィルツからの絶望的な宣告ではなく、水魔術への新たな可能性だった。ヴァインはヴァージニアと出会い、自らの魔術師としての未来に光を見出していた。
ヴァージニアはアイン王子だけではなく、ゲームの重要人物である水の封剣守護者ヴァイン=オルストイの運命まで変えていた。さらには彼女は彼女の師匠フィルツ=オルストイの運命までも大きく変えている。
フィルツという男はこれまで繰り返された世界では表舞台に立つ事は一切なかった。彼が登場するのはいつも決まってアイニスとの戦争が始まる直前だった。ギヴェン魔術師団長ヴァイスの紹介で登場する彼は、自らが調整した戦術兵器キマイラの運用をボイル国王へと進言する。それまで彼は一切研究室から外に出ようとはしていない。彼はアマンダという女性に拒絶されて以来、外の世界に対する関心を完全に失っていたのだ。
そんな彼はベイルファーストの森でキマイラを相手にヴァージニアと共闘した後、死に瀕したアマンダを救い彼女との関係を修復する。これまで見た事も無かった展開に、僕は興奮した。
ヴァージニアは未来を改変するだけではなく、周りにその影響を広める力を持っていた。
システムが用意したストーリーを破壊し、さらに影響範囲を広める。
(たちの悪いウィルスやバグのようじゃないか!)
僕は沸き起こる興奮で身体が震えるのを止める事ができなかった。
彼女の改変はさらに続く。
オーガスト邸襲撃において死の運命にあったベロニカ=オーガストとトレイシー=オーガストを生存させた事。クィントと兄妹の関係性を最善へと変えた事。
世界は彼女が変えた事象を補正出来ずにいた。もしかすれば、システムはそれをエラーと認識出来なかったのかもしれない。そして改変された事象は新たな未来へと繋がり広がる。
ヴァージニアの特異性の原因を探っているうちに、僕は彼女が3歳の頃に発病した病の事にたどり着く。ヴァージニア=マリノは3歳の頃、高熱で生死を彷徨いながらも一命を取り留めることになる。彼女が転生者として目覚めたのはきっとこの頃だろう。
そして僕は彼女の病と、その対処の手段に眉を顰める事になる。
病名:オド歪み合併型 魔素循環不良症
オド歪自体、非常に珍しい病だ。魂の欠損により発症する病であり、呪術師によって魂の呪いを受けるか、魂喰らいに貪喰でもされなければ発症する事はない。
(あとは魂を消失させる呪具か)
僕はその類の呪具に心当たりがあった。だがそれを手に入れる事は容易ではない。少なくともゲーム終盤程度の実力と大神ピュラブレアの加護を強く持つ人間でなければ手に入れる事は適わないだろう。ならば呪いあたりの可能性が一番高い。
さらに僕を驚かせたのは、ヴァージニアのオド歪みの治療を行った人物の名前だった。
フィルツ=オルストイ。彼の運命はヴァージニアが3歳の時点で変わっていたのだ。
彼がヴァージニアに行った突拍子も無い施術の方法に、僕は呆れて返ってしまう。
本来の彼女の魂と擬似魂との融合。擬似魂は精霊をさらに昇華させたものだろう。つまりフィルツは僕が施設でうけていた希少属性付与実験の先を行く、危険な魂融合を3歳の少女に行った事になる。ヴァージニアは本当によく生き残れたものだ。
希少属性付与実験のような魔素を具現化させた精霊を注ぎ込むだけのものでも、魂が弾け飛び命を失う事は少なく無い。それを精霊からさらに昇華させた魂を注ぎ込み定着させるのだ。生きているほうが奇跡といえるだろう。
僕とヴァージニアの転生に大きな違いがあるとすれば、彼女には魂融合の結果として2つの魂が内在するだろう事だ。
ゲームの登場人物としてヴァージニア=マリノの魂ともう一つ別の記憶を有する魂。
僕の転生の場合は208号という少女の魂とあちらの世界の僕の魂がすり替えられて起こったものだと思っている。というのは魂に深く関連付けられる記憶に関して、僕は208号として目覚める前の少女の記憶を有していなかったからだ。
登場人物としてのヴァージニア=マリノに重なる形でイレギュラーな人物が物語に存在し記録されていく事がシステムにとって致命的なバグになっているのではないだろうか。それがヴァージニア=マリノの特異性に関して僕が考察した事であり、それは完全に登場人物として登録されてしまった僕には到底真似が出来ないものだった。
ヴァージニアがいればシステムはゲームの終了さえ認識できず、闇の氾濫は起きないという可能性も存在するのではないか。
僕がそんな希望を胸に抱き始めた矢先、ヴァージニア=マリノが忠誠の儀を受けた事を知る。
ヴァージニア=マリノが忠誠の儀を受ける事もこれまで繰り返した世界ではなかった事だ。考えすぎかもしれないが、ヴァージニアのバグの正体に気がついたシステムによる補正の一種の可能性も否定できない。
これ以上、彼女の事を放っておく訳には行かない。彼女を失えば、二度と希望は訪れないかもしれない。そうして僕はヴァージニア=マリノの紡ぐ物語への介入を決意する。
「アザゼル、聞いて欲しい事があるんだ」
僕はアザゼル。君に全てを話す事を決め、そして盟約を交わす。
『必ず君のいる世界を救う』と