8-2 名前
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シュトリ視点
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昔、一人の少女が死の運命を繰り返すというアニメを見た事があった。
それに比べれば僕の状況は幾分ましではあった。何故なら僕には少女とは違って魔術という力があったし、思い出したくも無いがマリウスから受けたスパイとしての教育により、生きていくには十分な経験と知識を得ていたからだ。
光魔術で周りの屈折率を調整したり、相手が目視する光情報を誤認させる事が出来るのに気がつけたのも大きい。そうして僕は施設で光属性適正を受けた後、すぐに光魔術を用いてその施設を抜け出した。
それでも施設を抜け出した僕に出来る事は限られていた。
僕がこの世界で出来る事は、悔しいがマリウスから教えられた諜報関連の仕事ぐらいだった。だから僕は僕の力を必要とする誰かを、僕を買ってくれる人間を探した。
そうして、僕はアザエル、当時はストラスと名乗っていた少女と出会う。
とでもいえば、少しは運命的な風に見えるだろうか。
本当はゲームの知識として知っていただけだったのだけれど。
オウス公国には元々双子の皇子が存在したが、二人のうちの一方がゲーム本編が始まる以前に命を失っていた。ゲームにおいてそれ以上の明記はされていなかったが、双子という存在を忌み嫌うという話は良く聞くものだ。多分そういった事を気にする輩か、もしくは権力に固執する人間の手で処分されたのだろう。
もしくは単純に病気か何かで命を失ったか。そのどれであるにせよ、その人物が命を失う危機にある事だけは確かだ。
「お前は誰だ」
そう言って僕を見据える彼女の姿に僕は驚いた。
まだ少女の域を脱しきれないはずの彼女に僕は王としての威光を感じていた。そんな彼女が命を失う目に会う理由は、彼女の弟を見てすぐに理解が出来た。彼女の弟は彼女とは違いただの凡夫であった。僕が野心を持つ臣下であれば、彼女よりも彼女の弟を主に選んだだろう。そのぐらい二人の間には明確な差が見られた。
僕は彼女に名を尋ねられた時、どう答えればいいか判断に迷った。
あちらの世界の名を告げるべきだろうか。だがこちらの世界では珍しい響きであり、彼女に違和感しか与えないだろう。ではシトリーの名を使うべきだろうか。
それもどうかと考えた。シトリーという名はオウスがギヴェンへの密偵の為に用いたものであり、今この名を語る事で未来の出来事に影響するのではと恐れたからだ。
今思えば、そんな大層に考える事でもなかったのだが、その時の僕は、何がどう自分の未来に影響を及ぼすか分からなかった。
「シト……シュトリと申します」
「シュトリか。下はなんという」
「特には御座いません。ただのシュトリです」
魔術はちゃんと発動しているだろうか。彼女の目には自分が想像通りの人物に映っているだろうか。
僕は緊張で口の中が乾いていたのを覚えている。
その場に至る迄に、十分に不可視化や偽装化は行ってきていたし、ゲームの主人公である自分の実力に自信があったはずなのだが、彼女に見据えられ僕はその自信を失っていた。
「胡散臭そうな男だな。して忌み子として隠される私に貴様は何用か」
「貴方の力になりたく思い参上しました。ストラス様」
僕の言葉に彼女は目を細め、値踏みするかのような視線を僕に向ける。
「ほう力と。してその見返りは何だ?」
「私を貴女の下で雇っていただきたい」
「この忌み子の私にか。悪いが私にはお前を雇えるような財も権力も無い。交渉するなら私の弟とでもするがよかろう。ここまで誰の目にも止まらずに来た貴様の実力ならば、弟は快く受け入れるだろう」
少し悲しげな表情で話す少女の姿が愛おしく、僕は頑なにそれを否定した。
「貴女でなければならないのです、ストラス様。失礼ながら、まだ幼さが残る身でありながら王の威光をお持ちの貴女様にこそ私は仕えたいのです」
「珍しい奴だな。弟でなく私にそれほど固執する人間はそうはおらぬ。ふ、よかろうならば雇ってやってもよい。だが見ての通り私はこの白蓮から出る事さえ禁じられた身。それに近頃不穏な気配さえ感じておる」
オウス公国の首都ブリュネ・パディの中央にそびえたつ大公府。その西に位置する白蓮の塔。ストラスはそこに閉じ込められていた。彼女を白蓮の塔に閉じ込めたのは、双子を災い招く者と恐れたオウスの大公、彼女の実父だ。大公はストラスを塔に閉じ込め、息子のアザエルを次代の大公としてすえようと考えていた。
問題はその息子アザエル=クェイギルだ。白蓮の塔に来る前、僕は彼に関していろいろと調べていた。
アザエルという男がただの凡夫であればよかったが、彼は僕がストラスと出合った時点で既にオウスに古くから仕える老人達の傀儡だった。そして悪い事に老人達はアザエルに比べ、姉であるストラスが非常に優秀な事に気づいていた。だからこそ老人達は双子のうちの彼女の方を災いを招く者とし白蓮に閉じ込めるよう誘導した。
さらに老人達はアザエルが元服を迎えるまでに、ストラスの処分すべきとさえ大公に進言していた。
オウスの双子の皇子のうち、片翼の死は極ありふれた陰謀劇によるものだと僕は知った。
「ストラス様。お伺いしたい事が御座います。貴女様は弟君をどう思っておられますか」
「突然、不躾な奴だな貴様は。まぁよい。あれは愚か者だ。だが愚かであれ私の大切な肉親には変わり無い。弟が私を疎んじている事は知っておる。だがそれは老人達によって吹き込まれた事。弟に罪は無い」
甘い考えだ。その甘さが彼女の今の状況を招いたのではないだろうか。だが、彼女の甘さは将来王としての民への慈愛に変わるかもしれない。人形の王に比べればずいぶんとましではないだろうか。
「最悪、弟君にはお亡くなりになっていただきます。よろしいでしょうか?」
「貴様は私の言葉を聞いていたのか」
「貴女様のお命に比べれば、弟君のものなどお安く御座います」
「な!」
憤る彼女が静まるのを待ち、僕は続けた。
「貴女様は近い内に、そのお命を奪われる事に成るでしょう」
「そうか……その可能性も考えてはいたが、実際そう言われるとくるものがあるな」
「私には貴女様と弟君を入れ替える術がございます。ですがそうすれば弟君は確実にその命を奪われる事になるでしょう」
僕にとって一番簡単で一番確実な方法。それはアザエルとストラスを入れ替える事だった。元々双子の彼女達だ、極力関わる人間を絞るようにし、光魔術による認識歪曲を用いれば十分に可能だと考えた。
老人達もまた、自らの手で次期大公となるはずだったアザエルを殺したと知れば、それが露見する事を恐れしぶしぶストラスの手を取らざるを得ないだろう。
老人に惑わされ、自らの娘の命を奪おうとした愚かな大公には、彼女がアザエルに成り代わり次第、そうそうにその席を空けてもらうとしよう。
「ストラス様。これは私と貴女との契約です。貴女が私の手をお取り下さるなら、私は貴女に未来を提供いたしましょう」
「まるで悪魔のような奴だな。いいだろう、貴様の話に乗ってやろう。だが極力弟の命が奪われぬように尽力せよ」
「はっ」
そうして僕は、彼女と彼女の弟をすり替える準備を始めた。そのすり替え劇に関してはまた別の機会に話すとしよう。結果としてストラスはアザエルと名乗り、その翌年に大公に就任する。
彼女の弟を殺すはずだった毒を、事前に仮死毒にすり替えておく事で、一命を取り留めさせる事が出来た。だがそれでも毒は彼の喉を焼き、毒による後遺症で彼の半身は自由を奪われていた。意識を取り戻した彼は口を利く事も立ち上がり歩く事さえ出来ない姿に変わり果てていた。
その事をストラスに告げると彼女は悲しげな表情で、彼女の弟への償いの言葉を漏らしていた。
そうして僕はストラス――現在のアザエルの下、マリウスに代わり諜報の長としての任に付く事となる。
「シュトリよ、貴様は本当に悪魔のような男だな」
「お褒めに預かり光栄です。我が主」
「褒めてなどおらん。そうだな、ウヴァルというのはどうだろう」
「は?」
一瞬僕は彼女が何を言っているのか理解する事が出来ずにいた。
「貴様の名だ。シュトリ=ウヴァル。シュトリだけでは寂しかろう。私がつけてやった。喜んで名乗るがよい」
「は、はぁ」
「ウヴァルとはオウスに古くから伝わる御伽噺に出てくる悪魔の名前だ。過去・現在・未来を語り、悪魔のくせに人の間に友愛の情を芽生えさせようとする奇特な悪魔だ。突然現れ、私の未来を語り、こうして私と情を酌み交す。お前にぴったりであろう?」
悪戯気たっぷりの顔でそう言う彼女が可笑しく思い、僕はつい笑いだしてしまう。
「あははは、素敵な名前をありがとうアザエル。僕は今日からシュトリ=ウヴァルと名乗ろう」
「せめてそこはアザエル様だろうに。お前という男は」
二人して笑ったあの日の事を、僕はずっと忘れないだろう。
その日初めて僕は、この世界に来て心の底から笑う事が出来た。
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オウスの諜報部の長となり、僕はこの世界の事を調べ始めた。
時間はたっぷりある。何度もアザエルとの出会いと別れを繰り返しそして手に入れた情報を纏めていった。
そしてこの世界のシステムがどういった要素で動いているのかのいくつかを知る事が出来た。
(1)ゲーム本編に関わる内容が他からの干渉を受け変更された場合、システムはゲームの流れに影響しないよう補正をかけようとする。
(2)主人公である僕がゲームに登場しない場合、システムは代理を立て物語を進める。
(3)ゲームに直接関わらない内容であれば、大きく内容が異ならない限り、システムが補正する事はない。
(4)ゲームの設定上必ず起こる事件がいくつか存在し、それは本編と同様、他から干渉を受けたとしてもシステムは補正しようとする。
それぞれについて説明しよう。まずシステムの補正に関してだ。
例えば、登場人物を僕が殺そうとしてもそれを阻まれたり、殺したと思っても死んでいなかったりする。それでも確実に首を落とすなどして殺した場合、システムは補正の範疇を超えたと認識し、例の闇の侵食を開始する。勿論これは僕が自殺しても同じ事だ。システムは補正し主人公の代役を立てようとする。そしてその代役がエンディングを向かえれば、僕は最初の位置に戻されている。僕がデフォルトの主人公シトリー=フラウローズである限り、僕は永遠にこのゲームの登場人物として扱われ続ける。
次に僕が王立学院に入学しない場合。するとやはりどこからか主人公の代わりが登場し、その彼女が物語りを進め始める。元々ゲームではデフォルトの名前でシトリー=フラウローズであるだけで自分で名前を付けられた事を考えれば、そうであってもおかしくは無いかもしれない。勿論この場合もエンディングに至れば、闇の侵食が開始される。
次にゲームに直接関わらない内容に関してだ。これはアザエルの件が分かりやすいだろう。ゲーム本編で死ぬ運命にある彼女を僕が助けた場合、代わりに彼女の弟が犠牲になる。双子のうち一名。それを守る限りシステムは補正をかけてはこない。逆に二人を存命させようとすると、片方には必ずなんらかの行動抑制が生じる。つまり表舞台に二人同時に立たせる事は出来ない。
最後に本編に含まれないがゲームの設定上必ず起こる事件に関してだ。アイン=ファーランドの暴走、オーガスト邸襲撃事件、そしてヴァージニア=マリノの断罪の三つだ。
この三つの事件に関しては僕がいくら干渉しても、必ず起こるものであった。アイン=ファーランドはオウスが関わらない場合はアイニスがその代わりに彼に近づき、結果彼は暴走し多くに人の命を奪う事になる。またオーガスト邸襲撃事件に関しては、その襲撃でベロニカ=オーガストとトレイシー=オーガストの命が奪われる。彼女達を守ろうとしても、結果的にシステムの補正がかかり、彼女達は死ぬ事となる。
そしてヴァージニア=マリノの断罪。
ゲームにおいて彼女だけが、どの攻略対象を選択しても断罪される運命にあった事を謎に思っていたが、その理由は実際にシトリーとしてこの世界に立つ事で知る事が出来た。
彼女は僕の正体が他国の間者である事に毎回気がつき、そしてその口封じの為に殺され続けるのだ。これは僕が彼女を殺さないように手を回しても、システムの補正がかかり、結果として必ず彼女を殺すものが現れる。それはオウス、ギヴェン、アイニスのいずれの人間であるかはその時次第であったが、結果は変わる事は無かった。
ゲームのシナリオ通りに事を進める事が、僕にとって一番物事を思い通りに操れるという事に気がついた頃、僕は既にこの世界で3桁を超える時を過ごしていた。
僕はこの世界にほとほと疲れきっていた。どうやっても回避できないエンディングに。死ぬ事さえ許されないこの狂った世界に。
そんな中、僕はギヴェン王国首都フェルセンで一人の少女と出会う。
ヴァージニア=マリノ。
ゲームとは異なる雰囲気を持つ彼女を見た時、僕はそれまでとは何かが変わるような可能性を感じずにはいられなかった。