8-1 酒宴
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???視点
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「大丈夫208番。起きれる?」
薄暗くかび臭い部屋ベットの上で目覚めた僕は、最初はそれが夢なんじゃないかと思っていた。
全身が気だるく感じながらも周りを見渡すと薄汚れた格好の少年少女達が膝を抱えうずくまっていた。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
目覚めた僕は身体を起こし、僕は自分の身に起きた事を理解し始める。
最後に記憶していたのは、前につかえる渋滞の群れとルーフを叩く降りしきる雨の音。
深夜のハイウェイ、急に現れた渋滞の群れにハザードランプを出そうとした矢先、突然の衝撃が僕の体を襲った。そして直後に全身に広がる熱いような痛み。そして僕は意識を失った。
頬に伝う雨に目を開けると白衣を着た誰かが必死に僕に話しかけていた。だが、彼が何を言っているかその時の僕には聞き取る事さえできなかった。ただ、赤く明滅するサイレンの光が妙に目に焼きついていた。そして僕の記憶はそこで途絶えた。
なんとなく僕は自分が死んだのではないかと考え始める。
渋滞の中に突っ込んできた後続車による玉突き事故。あの一瞬、バックミラーに映った迫り来るトラックの大きさからすれば、僕の愛車は前の車とに挟まれ無残な姿になった事だろう。軽自動車とはいえ無理して昨年新車で買った愛車の事を考えると悔しく思える。
(いや、今は車の事どころじゃないな)
ならここは死後の世界という奴だろうか。
それにしては、なんとも現実的な世界じゃないか。先ほどから僕の容態を心配そうに尋ねる少女の服には207という数字が刻まれている。そして良く見ると自分の服にも同じように208という数字が刻まれていた。
「大丈夫そうでよかった」
そういって笑う少女に感謝を伝えながら自分の身に起きた事を冷静に考える。つまりこれは転生という奴だろうか。漫画や小説でもあるまいし、そんな事が自分の身に起きたらしい事にすごく馬鹿馬鹿しく思える。これが漫画や小説なら、自分はチートな力を手に入れ、やりたい放題な日々を送る事だろう。
だが、現実には薄汚れた衣装に身をつつみ、暗い部屋に押し込められている状態だ。
「ねぇ、ここはどこ」
「本当にだいじょうぶ208番?ここは私達の部屋だよ」
そういって首をかしげる少女に何度か質問した後、ここがどこかの国の子供達ばかりを集めた施設であり、自分達は教育係と呼ばれる大人達によって管理されている事が分かった。
そうして、僕は彼女達とともにいつもの『教育』とやらを受け、意識を失った事を教えられた。
彼女達の話を聞けばそれがまともな教育というものではない事ぐらい僕にもすぐに分かった。
それは実際に翌日、その教育を受ける事で実証される。
無理やり寝台に縛りつけられた僕は、身体中に怪しい機器を取り付けられる。そして、まるで万力で頭を締め付けられるような激痛に見舞われながら、のたうちまわる。
教育係達の発する言葉の端々から、彼らが僕達にしようとしている事が理解できた。
それは人工的な希少属性の適正を持つ人間の製造。魂という器に無理やり魔素を具現化した精霊を注ぎ込み、魂の形をそれに適応するように変異されるという、無茶苦茶なものだった。
そうして僕はこの世界で目覚めたその日から、地獄のような日々を過ごす事になる。
毎日毎日、繰り返される無茶な実験に、部屋にいた少年少女達の数は徐々に減っていく。最初に僕に話しかけてくれたあの少女も、僕が目覚めて一月後には部屋から姿を消していた。
「208番、出ろ」
ある日、僕は教育係からそう言われ、施設から出る事になる。
教育係は僕の腕に『光適合者』というタグが付けて、部屋から連れ出した。初めて見る外の世界は、僕がいた世界に比べなんだか薄暗く、そして陰鬱とした空気に包まれていた。
荷馬車に揺られ到着した先で、僕を待っていたのはそれまでいた施設以上の地獄だった。
端的に言うとそこはスパイを育成する施設だった。
スパイなんてものは、それこそ映画や小説なんかの存在にしか考えていなかった僕に、その場所は苦痛という苦痛を与えてくれる所だった。10年という長い時間を僕はそこで過ごす事となる。
初めて人を殺したのもその頃だった。
それだけじゃない。修練という名目で、体が成長しきっていないにも関わらずそういった類の行為を無理やり覚えさせられたのもその頃だ。当時そういった事を僕に教えたのはマリウスという名の男だった。
希少な光適合者である僕を彼は自分の手駒として利用しようと考えていたようだった。
施設で10年過ごした僕は、以前の世界にいた頃のような人間らしい感覚が完全に失われていた。
「お前には隣国に行ってもらう」
マリウスからそう告げられた時、目の前の男の傍を離れられる事に内心喜んだ。
そうして赴いた先で、僕は知る事になる。
この世界が、生前僕がプレイした事があるゲームの世界だって事に。
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「不思議な話だな。お前が私に嘘を話すとも思えんが」
「僕が君に嘘なんて言うわけがないじゃないか」
オウス公国公都大公府。
大公アザエル=クェィギルは、3日後にギヴェンへと出立する事になったシュトリ=ウヴァルを自らの部屋へと招き、彼に酒を振舞っていた。
「だが、話の中のお前は15程度であろう。私とお前が始めて出会ったのは10年以上も前だ。ならばその時、お前はまだ施設にいた事になるではないか」
「あぁ、確かにそうなってしまうね」
「胡散臭い黒髪の男が突然、私の前に現れた時、私がどれ程驚いたかお前は知らぬだろう。まぁ、それ以上にお前の正体がまだ年端も行かぬ少女と知った時のほうが驚愕であったがな」
「胡散臭いとは酷いな、これでも僕的には悪くはない姿だって思っているんだけどね。まぁ光魔術ってのは非常に便利なんだ。相手に視認されないようにも出来れば、こうして嘘の情報を相手に信じ込まれる事だって出来る」
シュトリは可笑しそうに笑いながら答える。
「お前の話のマリウスとは黒鳥マリウスの事だろう。あやつは9年前にベイルファーストで死んでいるはずだ。何よりお前がそれを私に報告してきたではないか」
「そうだったね。うん、あんな奴は君の国には相応しくない。だからそれからはずっと処理するようにしてきたんだ」
シュトリは遠い目をしながら答える。
「僕の話は事実だよアザエル。でも詳しく話せば君はきっと僕が違う世界の人間だという以上に、その事を信じる事なんてできないだろう」
「どういう事だ、シュトリ」
「そうだね、それにはもうすこし僕の過去を話さなければならない。聞いてくれるかいアザエル」
「あぁいいだろう。夜はまだ長い。じっくりお前の話を聞かせてもらおう」
シュトリはアザエルの杯に酒を注ぎ、そして自の杯にも酒を満たす。
濃厚な香りが鼻に抜け、柔らかな口あたりとなめらかな喉越しが、二人の杯をさらに重ねていく。
二人だけの酒宴はさらに続く。
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この世界が、乙女ゲームの世界だと気がついたのはシトリー=フラウローズと名乗るように命ぜられ、ギヴェン王国王都フェルセンの王立学院に通う事になってからの事だった。
学院に通い、そこに通う封剣の守護者を陥落させオウスの傀儡とする事。
それが僕の任務だった。与えられた封剣守護者の名簿を見たとき、そこに並ぶ名前の数々に、どこか見覚えがある気がしていた。
そうして僕は実際に学院に通い始める。
それまでの日々とはうって変わり、僕を取り巻く環境は一転した。
何の苦労も知らなそうな生徒達。他人を見下す事しかできない貴族の子息達。
そして生まれながらにして勝者の上級貴族や王族達。
そういった者達が一斉に集まる学院という環境は、僕にはすごく奇妙に思えた。
マリウスが僕に施した教育には、貴族としての常識が含まれていた。それに当てはめても学院の環境は異常なものだった。学院は身分という物を重要視する貴族社会にありえない程に自由で、まるで僕がいた世界の学校を真似ているようにさえ思えた。
「ありがとう! いやぁ、巣から落ちた子を木に登って戻してあげたまではよかったんだけど、そしたら自分が降りれなくなって」
木から落ちていた鳥の子を見つけた僕は、気まぐれで木に登りその子を巣へと戻した。そして木から飛び下りようとした矢先、一人の青年がその傍を通りかかる。
潜入時は出来るだけ目立たたぬよう行動するようにいわれていた僕は、しかたなくその青年に助けを請う事にした。
「君に怪我がなくてよかったよ。その制服は剣術課の生徒かな」
「はい、剣術課2年、シトリー=フラウローズって言います」
「僕は、執務課の2年アイン=ファーランド、はじめましてシトリー嬢」
その名前を聞いたとき、彼が名簿にあった封剣守護者である事を理解した。それと同時に名簿の名前を見た時に感じた既視感の正体に気がついた。
【ピュラブレア】あちらの世界で乙女ゲームといわれる種のゲーム。
そして目の前の青年はその攻略対象であり、そしてシトリー=フラウローズこそ、そのゲームの主人公である事を思い出す。
ゲームにおいてフラウローズ男爵家の遠縁に当たる家の娘であったシトリーは13歳のある日、事故で彼女の両親を二人同時に無くす。両親の死に涙を流す彼女を、フラウローズ男爵は養子として引き取り育てる決心をする。そうして、シトリーはシトリー=フラウローズとして学院に通う事となる。
だが、実際のフラウローズ男爵家は先王アレクシス=ファーランドの時代以前よりオウス公国に内通していた家であり、僕のような人間が任務を全うするために利用する拠点の一つだった。
ゲームにおいて、シトリー=フラウローズの幼少時の事が語られない理由を、その時初めて理解した。
そんな事、語れるはずが無いからだ。シトリーという少女はゲームが始まる以前、隣国で非人道的な処置を受け、さらにスパイとして教育を施されているなんて事を明記できる訳が無い。
ゲームの彼女が友情や学業以上に攻略対象を陥落させる事に執着し必死に好感度を上げる事も、場合によっては登場する全ての封剣守護者達と好感度を上げハーレムエンドを目指す事も、その目的がギヴェンに対する諜報であったというなら納得もできる話だ。
そしてゲームでは戦争パートが存在し、そこで主人公は封剣守護者と共に前線に立ち、隣国であるアイニス共和国を攻め滅ぼす。アイニスはオウスにとっても滅ぼすべき敵国。結局、ゲームの主人公は実にオウスのスパイらしい行動をとっていたという事になる。
その事に気がついた時、あまりの馬鹿馬鹿しさに僕は笑いを堪え切れなくなった。
「アイン君ってさ。笑う時、なんだか少し変だよね」
それでも僕には、ゲームと同じようにする以外の選択肢は思いつかなかった。
どうしたらいいのか分からない。それ以前に僕自身がこれからどうしたいのかさえ考えられなかった。
ただ、こんな世界に居続けたくはないとだけ思い始めていた。
「変って?」
「うーん、なんていうかすごく空っぽみたいな?」
「……」
「ごめん、変な事言って」
本当に空っぽなのは僕自身のほうだ。
こうして目の前の青年の気を惹く事に意味なんてあるのだろうか。
「でもねアイン君。いつか私は本当の君とこうして一緒にサンドイッチを頬張りたいって思ってるんだ。それは覚えといてよね」
「あぁわかった。覚えておくよ、シトリーさん」
「もう、シトリーでいいって言ってるのに」
それでも僕はただ、命じられた通り物事を進めた。
「シトリー、君のおかげで俺は生きる希望を手に入れることが出来た。君と共にずっと歩み続けたい、愛しているシトリー」
「アイン!」
あぁ、これで僕に与えられた使命はほぼ終わる。
光の封剣守護者はすでに僕の傀儡だ。彼の兄フォルカス=ファーランドはアイニスと通じ自国の技術まで流していた事が露呈し継承権を失った。そうしてアイン=ファーランドはギヴェンの皇太子となった。
あとは僕が皇太子アイン=ファーランドと結ばれ、オウスはギヴェンを手中に収める。
彼と口付けを交わし、そして周りの人間達が僕達を祝福する。
笑顔で彼らに答えながら、このつまらない演劇が早く終わらないかと心から願った。
それはそんな事を願った僕への罰だったのだろうか。
「え、なんだよそれ」
「シトリー、どうしたんだ突然」
僕は目には二人を祝福するかのような晴やかな空に移る、奇妙な文字列が浮かんで見えていた。
呆然とした表情のまま、膝から崩れる僕をアイン=ファーランドが心配げな顔で支える。
だがそんな彼の事なんてどうでもよかった。ただ僕の目に映る文字列の事だけで頭が一杯になっていた。
Fin
空に浮かぶ文字は確かにそう見えた。そして世界を闇が侵食し始める。
蠢く闇は貪るように全て喰らい始める。まるで泥のようなその闇に触れた者は全て消えうせる。
僕らを祝福に訪れていた人々は一転し恐怖の声を上げ逃げ惑う。闇に半身を食われた者が、臓物を撒き散らせながら悶え苦しむ。子が泣き叫び、形を失った親にすがりつく。神に救いを求め祈りをあげる者の足元に闇はしのびより、足から膝へと順に喰らい始める。天に向けられた手も最後には闇に沈んでいく。
「シトリー逃げろ!」
呆然とした僕を庇い、アインが闇に飲まれて消え失せる。
あぁ、だめだよアイン逃げられない。そうして僕もまた闇に飲まれていく。
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「大丈夫208番。起きれる?」
薄暗くかび臭い部屋ベットの上で目覚めた僕は、ここがどういった世界なのかを理解した。
これは異世界とかそんな生易しいものではない。この世界はただのゲームだ。
「終われば最初からまた始まるだけなんだ」
終わりの先なんて存在しない。
この世界が閉じられた絶望の世界だという事を、僕はその時初めて知った。