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7-21 魔女

 

 イバルリと名乗る女の足元から広がる不可視の闇は、徐々にその領域を広げ【霜の領域(フロストリージョン)】で縛られたアイニスの兵にまで覆い始める。


「か、身体が動くぞ!」

「ありがとうございます、教士様」


 イバルリに近い位置で【霜の領域(フロストリージョン)】に囚われていたアイニス兵達は呪縛から解き放たれ自由となっていく。少し前までは、目の前にいる教士を相手どれば良いだけであったが、今は彼女の他に数名のアイニス兵を相手にしなければならない。


「茨よ、樹霜の氷牙よ、楔となりて氷紋を砕け!」

「ぎゃあああ」

「ぐああ」


 魔術が解除される前に、私は【霜の領域(フロストリージョン)】を捕縛段階から破壊段階に移行させアイニス兵達の動きを封じる。詠唱の後、会場の床に転がっていた男達から悲鳴の声が上がり始める。


「あらあら、酷い事をなさるのね。その魔術、敵意ある対象を束縛する上、束縛し動けなくなった相手めがけ氷を成長させ害するという物でしょうか。心臓等の急所を狙う事も出来たでしょうに、あえて四肢を破壊しますか」


 イバルリは振り返り、悲鳴を上げた兵士の一人の様子を確認すると、私が行った【霜の領域(フロストリージョン)】の魔術の詳細を言い当てる。たった一度見ただけでそこまで私の魔術の特性を理解する実力。私は、目の前のアイニス聖教教士の力に戦慄する。


「殺さないのは生け捕りが目的だからか単に怖気づいたのか。まぁどちらにせよ、これ以上貴女に邪魔をされるわけには参りません――すべてを包みこむ夜の帳よ、静かなる闇よ」


(これは【絶弦(インモービライズ)】、まずい)


絶弦(インモービライズ)】事象に干渉する特性が強い闇魔術においては珍しく対人に特化した魔術。対象の触覚を遮断する魔術であり、まともに食らえば昏倒は避けられない。私は体内のオドを活性化させ、イバルリの魔術干渉に抵抗を試みる。


「――我が声を聞き、その愚かなる者達に、隔絶の弦歌を刻め【絶弦(インモービライズ)】」


 漆黒のオドが周囲を包み込み、視界が完全に閉ざされる。自分が立っているのか座っているのかさえ判らず、先ほどまで目前に見据えていたイバルリがどこにいるかも判らない。


(大気にたゆたう大いなる魔素よ、(くるめ)(かん)ぜよ、生命の根源たるオドと成りて我が身を満たせ)


 体内のオドを活性化させ、四肢へとオドを満たしていく。オドが満たされるにつれ次第に手足の感覚が戻ってくる。

 私の体内で練られたオドが、体内に入り込んだ闇のオドをゆっくりと魔素へと分解していくのが感じられる。


「私の術を拒みますか。さすがは氷の魔女(フロスト)の異名を持つ魔術師。ですが――」


 イバルリの声に紛れ、幾人かの足音が聞こえる。私は、とっさに身体を反転した後、床を転がり無理やり距離をとる。視力が回復してきた私の目に剣を持つアイニス兵達の姿が映る。先ほどまで私がいた場所目掛け彼らの凶刃が振り下ろされていた。


「何をやっているのです。貴方がたはまともに動けぬ者でさえしとめきれないのですか。全く私以外は無能の集まりですね。いいでしょう、この娘の相手は私がいたしましょう。貴方がたはあの水の壁を抜け、異教徒どもを皆殺しにしなさい」


 イバルリの言葉で兵達は一斉に【水砦(アクアフォート)】を目指し動き始める。

 このままでは【水砦(アクアフォート)】への侵入を許してしまう。そう考え、私は触覚を蝕む魔術の除去を急ぐ。その時――  


「ぐあっ」


 一人のアイニス兵が【水砦(アクアフォート)】に触れたと思うと一瞬身体を痙攣させた後、どさりと床に崩れ落ちる。


(あれは【抑制(レプレス)】?!)


水砦(アクアフォート)】に触れた者を対象に【抑制(レプレス)】を発動させるようヴァインには頼んではいた。だが、実際に彼がそれをやり遂げられる可能性は、そう高くは無いと私は考えていた。ゲーム【ピュラブレア】において魔術特性がSでなければ使う事が出来ない魔術の二重発動。王国魔術師団員の中でさえ、用いる事が出来る人間はいか程いるだろうか。ましてやヴァインは魔術師団員でさえ無いただの学生だ。だが、彼はそれを【水砦(アクアフォート)】を維持した状態で【抑制(レプレス)】を発動させるという形で成し遂げたのだ。


(すごい……だけど)


 いくらヴァインが優れた魔術師であったとしても複数名が同時に【水砦(アクアフォート)】に侵入すれば、その全てに【抑制(レプレス)】を発動させる事は難しい。


「ヴァイン!」


 彼に危機を知らせようと声を張り上げる。だがそれも空しく【抑制(レプレス)】の影響を受けていない兵の姿が見え始める。


「くっ――炎のオドよ、炎の城壁よ、我が声を聞き、その姿を現出せよ」


 大気中の魔素を集め炎のオドへと転換する。今にも【水砦(アクアフォート)】に侵入しようとするアイニス兵に向け、私は炎の魔術を放つ。


「させると思いますか?――静かなる闇よ、転き換ぜよ、我が声を聞き、全てを隔絶せよ」


 私の【炎風(フレイムゲイル)】はイバルリの【遮障(インサレーション)】で防がれる。闇魔術の使い手を相手にする事がこれ程戦い辛いものだとは思いもよらなかった。さらに、闇の魔術の唯一の弱点であるはずの、魔素吸収にかかる時間の問題もイバルリからは感じられてない。


(いや、そう思わせているだけで魔素吸引具か何かを用いている可能性はある)


 だとしても、あと何度闇魔術を使わせれば弾切れになるのだろうか。その前にイバルリ自身が【水砦(アクアフォート)】に干渉し始めればそれを止める事が私に出来るか分からない。そして何よりこのまま彼女の対処に時間を取られては、光の封剣に向かっただろう光雷の対処に間に合わなくなる可能性さえある。


(まずは何より【水砦(アクアフォート)】への侵入を防ぐ)


 私は会場のテーブルに乗る水瓶を手に取る。


「あらそんな物を持って、鈍器か何かのつもりでしょうか? 瓶を振りかざすなんて、本当に粗野で野蛮なギヴェン人らしい戦い方ですわね」

「炎のオドよ転き換ぜよ、我が命に従いその姿を現出せよ――【伝導(コンダクション)】」


 瓶を斜めにし、中の水を流し出す。水は地面に滴り落ちていくが、次第に流れは止まり凍り始める。

 ツララ状に成長したそれを私は手に取り、さらに【伝導(コンダクション)】で冷却する。


「……氷の刃のつもりかしら。でもそんなもので私を倒せるとでも?」

「漂う優しき風よ、大気のオドよ、転き換ぜよ、―風よ我が声を聞け、旋なる風よ、纏いて吾身を縛れ、風精の守護よ――」


 全身に風のオドを纏い、風に身を委ねる。次の瞬間、私の身体はまるで暴風に吹き散らされる木の葉のように空を舞う。


 暴風の勢いのまま、イバルリから距離をとるよう私の身体は後方へと吹き飛ばされる。そして今にも【水砦(アクアフォート)】に侵入しようとしていたアイニス兵の背中に身体ごとぶつける。


「ぐぁ」


 短い呻き声と共に兵士の身体は崩れ落ちる。その背には氷の刃が突き刺さる。私は右手で氷の刃を兵の身体から引き抜き、左手に兵士が落とした剣を手に取る。


「魔女め」

「囲め!」


水砦(アクアフォート)】に手をかけようとしていた兵達がこちらに振り返る。だが遅い。

 暴風の加護を纏った私の速度に、アイニス兵達は反応しきれずにいる。【纏縛(クラウドフォース)】の効果はあと30秒は持つ。迫り来るアイニス兵の剣閃を氷の刃でいなし、相手の大腿に左手の剣を突き刺す。

 相手の上体が崩れた所で、頚を狙い氷の刃を突き立てる。鮮血が飛び散らせながらアイニス兵の身体はゆっくりと崩れ落ちていく。


水砦(アクアフォート)】を囲むアイニス兵はあと二人。


 バシュ


 兵の一人が石弓で私を狙うが、身に纏う暴風がその矢をそらす。

 暴風に身を委ね、一気にその兵へと詰め寄る。


「ひぃ」


 兵は慌てて第二射を番えようとする。馬鹿な男だ。詰め寄られたなら即座に石弓を捨て武器を抜くのが妥当。だが冷静さを失ったアイニス兵はその判断が出来ずにいた。氷の刃をそのまま相手の胸元に突き立て、そこから【伝導(コンダクション)】で一気に冷却する。


「がは」


 直接心臓を凍結されアイニス兵は動きを止める。


「……氷の魔女め」


 氷の刃をそのままに、凍りつくアイニス兵の腰の剣を引き抜き右手に構える。

 動揺するアイニス兵目掛け一気に駆け寄る。


「くそが!」


 大薙ぎに振るわれる剣を上体を逸らしかわす。


『実戦では冷静さを失った者は命を落とす』

 

 ウォルター叔父様から教えられた言葉。目の前の兵士はまさに冷静さを失い、慎重になるべき時に大振りな剣を私に向けている。相手の剣の振り抜き際、その腕に手をそえて押し体幹を崩す。隙が生まれた相手の右側面に回り込み腹部に剣を突き入れる。私の剣は兵士のわき腹に突き刺さりその臓物を抉る。


「旋なる風よ、纏いて我が敵を縛れ、風精の守護よ!」


 身に纏う暴風を剣先から一気に解き放つ。男の腹は中から暴風に切り裂かれ、臓物を撒き散らしながら四散する。


 全身に返り血を浴びながら私は、その様子をおぞましい者でも見るかのような目で見るアイニス教士を睨み付ける。


「汚らわしい。血に汚れた異教徒め!神の鉄槌を受けるがいい――深淵に潜みし闇よ、転くるめき換ぜよ、貪り喰らいしは光耀の器、尽く誘え、重鎖の常闇、現出して全てを縛れ」

「させません!――光のオドよ、転き換ぜよ、閃光となりて、我が敵を射抜け【光線(レイ)】!」


 突如暗闇を切り裂く閃光が迸り、イバルリの右肩を射抜く。


「ああああああああ!」


 イバルリは床に跪き、焼け爛れた右肩から押え、痛みに声を上げる。


「大丈夫ですか、ヴァージニアさん!」

「シトリーさん?」


 まさかの援軍に私は瞠目する。


「貴女、アイン殿下は?」

「はい、殿下には安全な場所に移動していただきました。他の貴族の方々にも。突然、会場内に暗闇が広がって、慌てる人達を外に誘導していて。すいません、すぐにこちらに来れればよかったのですが」

「ううん、ありがとう。貴女が来てくれて本当に嬉しいわ」


 光魔術は光速魔術だ。私の炎と違い咄嗟に【遮障(インサレーション)】で防ぐ等という事は難しい。事象への干渉に特化する闇魔術は発動自体早いわけではない。そのため光魔術の光速性と破壊力は非常に相性が悪いといえる。


「ここは私が引き受けます。どうもこの方とは相性がいいみたいですので」


 シトリーも直感でか、己の光魔術が闇魔術に対して有効である事に気がついたようだ。ならばここは彼女に任せてしまおう。今はもう一人の教士の事が気になる。


「お願いできるかしら?」

「ええ、任せてください!ヴァージニアさんのお役に立てる日が来るなんて。私、がんばりますね!」


 微笑むシトリーに私は頷く。


「ありがとう。じゃぁここはお願い。私は行かないといけない場所があるから」

「わかりました。お気をつけて!」

「行かせる訳がないだろおおお!この腐れ異教徒があああああ!」


 先ほどとは打って変わり、鬼のような形相でこちらを見据えるイバルリに一瞬、怖気づいてしまう。


「よくもよくもよくもよくもよくも、この私に傷を負わせてくれたな異教徒。許さない。これは神の裁き。貴様ら全て、この世に生を受けた事さえ後悔させてやる!」

「貴女の相手はこの私です――光のオドよ、転き換ぜよ、閃光となりて、我が敵を射抜け【光線(レイ)】!」


 シトリーの【光線(レイ)】の発動前にイバルリは大きく身を引き、直撃を避ける。


「行って下さい、ヴァージニアさん!」

「分かったわ。お願いねシトリー!」


 私はシトリーに頭を下げると二人の戦いを背に、会場の外へと駆け出す。襲撃が開始されてからどれ程たっただろう。戦いの中、正確な時間の感覚が持てずにいる。


(急がないと、ゼクス一人では)


 私は襲撃に慌てふためく城内を一気に駆け抜けた。



 ■■■

 シトリー視点

 ■■■


「やっと行ってくれたか。さてさてお嬢さん。貴女にはここで退場していただくとしましょうか」

「黙れこの異教徒が!」


 闇のオドを纏い始める目の前の女に、シトリーはうんざりした態度で言葉を切り出す。


「やれやれ、異教徒異教徒。君達アイニスはいつもそれだ。その言葉しか知らないのかな?僕としてはライバルである君達にはもう少し理知的であって欲しいと思っているのだけれど」

「黙れ!この腐れ■X※」

「あはは、アイニス聖教教士様がそんな言葉を知っているんだ、驚きだよ。でもそんな事を言う暇があればさっさと僕を攻撃すればいいのにね。だからお前達アイニスは弱国のままなんだ」


 シトリーは右手を上げ、指先を鳴らす。

 突然、イバルリの背後に光球が現れ、そこから発せられた光がイバレラの右足を射抜く。


「ぐああああ」

「ほらほらちゃんと防がないと。ご自慢の【拒界(ディナイアル)】を使ってさ。まぁ君の【拒界(ディナイアル)】は欠陥品だから無理かもしれないけどね」

「貴様ぁあああ」

「君の【拒界(ディナイアル)】は全方位じゃない。君が意識を向けた場所にのみ影響するものだ。本来の【拒界(ディナイアル)】に比べればずっと劣化した代物」


 さらに二個三個と光球が現れ、そこから発せられた光の矢がイバルリを襲う。両手足を射抜かれたイバルリは床に倒れ込み。苦痛に顔を歪める。


「欠陥品だからこうした意識外からの攻撃に対して非常に脆い。全周囲にすれば隔絶もできるんだろうけど、それじゃ君の残弾が切れてしまうものね」

「な、何故それを!」


 驚くイバルリにシトリーは苦笑し、ゆっくり彼女に近づいていく。


「馬鹿だなぁアイニスの人間は。闇魔術なんてもの、()()()()()がそう易々と使えるはずないじゃないか。そんなのジニーちゃんでさえ気づいていただろうに」

「貴様だって光魔術を。光とて闇同様、何度も使えるものでは――」


 光魔術は闇魔術と同じく大気中に漂う魔素の量は少なく、発動が困難な魔術である。イバルリに言葉通り、本来ならば光魔術もまた、そう容易く用いる事は適わない。だがイバルリが言い放つより先に大量の光の矢が雨となって彼女の身体へと降り注ぐ。


「がああああああああ!」

「本当に馬鹿だな君は。僕が君と同じだと思うのかい?僕は君と違ってこの世界に選ばれた存在だ。床を這いずりまわるゴミ虫以下の君と違って、この世界で唯一の存在なんだ」


 虫の息のイバルリに向け、シトリーはさらに言葉を続ける。


「ゴミ虫はゴミ虫らしく、人目に付かない場所にいればいいのにね。目障りなんだよ、君のような紛い物は」

「貴様は……一体……」


 イバルリがそれ以上の言葉を発する事は無かった。

 口を開いた状態の彼女の頭をシトリーの光の矢は射抜き絶命させていた。


「さて、ハルファス!」

「はっ」

「その変に転がっているゴミの処理は大丈夫?」


 暗闇から突然現れた黒衣の女にシトリーは尋ねる。


「ご命令通り殺さず、意識を刈り取り転がしてあります」

「ありがとう。僕の姿を見られるとアレだし処分してしまいたかったけど、彼女が殺さずに置いてあったものを僕達が殺してしまってはあとあと面倒な事になるしね」


 ヴァージニア=マリノとイバルリの戦闘が続く中、シトリー達はヴァージニアの魔術で四肢を潰されたアイニス兵達の意識を刈り取っていた。それもこれも、シトリーの姿をアイニス兵達に見せない為。


「無いとは思うけど生け捕りになった後に、僕を見て何かに気がつく者がいないとは限らないしね」

「シュトリ様、この後どうされますか?」

「ハルファスはヴァージニア=マリノの跡を追ってもらえるかな?僕はここの処理を済ませるよ」

「かしこまりました」


 黒衣の女は音も無くその場から立去る。

 残された少女は、頭を打ちぬかれた教士の姿を見下ろしながら、自分の名を呼び捨てにし『お願い』と頭を下げた金髪の少女に思いを馳せる。


「僕が世界に選ばれた存在なら、君は運命に選ばれた存在なのかな」


 彼女のその独白が、誰かの耳に届く事は無かった。

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