7-17 手
ボイル陛下の誕生祭には多くの有力貴族達が招待されていた。その中には、ナータやリズの家の方々の姿も見られる。
「これはマリノ侯いらっしゃられていたのですね。お久しぶりです」
「おお、ミュラー伯お久しぶりです。ご息女にはうちの娘が常日頃お世話になっており感謝しております」
「いやいや、それはこちらの台詞ですよ。うちのナターシャもよくご息女について私に話してくれます。心から信頼できる友人を得たと」
そう言うとミュラー伯爵は嬉しそうに微笑む。
「いや、そういって頂けると胸がすく思いですよ。うちの娘が伯爵のご息女に迷惑をかけていないか日々心配しておりまして――」
「ごほん」
「おや、そちらは?」
咳払いがあからさま過ぎただろうか。いやしかし、これ以上御父様が私に対しての酷い事を口に出す可能性を考えればしかたがない。御父様の事だから魔術狂だの、師匠と同類だの、猪武者だの、貴族より奇族だのと私を評しかねないじゃないか。
ミュラー伯爵は私に気がつき、こちらに目を向けられる。
「あぁ、紹介します。娘のヴァージニアです」
「ヴァージニア=マリノと申しますミュラー伯爵閣下。ナターシャ様には日々お世話になっております」
「君がナターシャが言っていたヴァージニア嬢か。失礼ながら聞いていた以上に淑やかで見目麗しい。娘からは聡明で学識に富むと聞いていたので、もっと学士肌の方かと思っていたよ。天才フィルツの弟子としても有名だからね、君は」
「フィルツの馬鹿とこの娘は学士ではありません。ただの魔術狂で――」
「ごほん」
すこしほこりっぽいのだろうか。先ほどからついつい咳が出てしまう。
余程、日頃からの鬱憤が溜まっているのか御父様の口が思った以上に滑りそうで怖い。いや確かに幼い頃は私も何かと魔術に狂っていた気がする。今でも剣術と共に魔導学の修練は欠かす事が無いが、ただの習慣みたいなものだ。一日8時間も10時間もずっと魔導学だけに時間を費やしていた頃に比べれば、早朝と夕食後の修練と戦技課にいる間の修練だけなのだから、以前に比べずっと淑やかになったのではないだろうか。
「……娘よ。何か言いたげな顔だな」
「別に。何もございませんわ」
「ははは、素敵なご息女ではありませんかマリノ侯。将来この国の王妃となられる人物に相応しい」
「だろ?俺のヴァージニアは眉目良いだけじゃない、聡明で情が深い女だからな」
振り返るとそこには、煌びやかに着飾ったギヴェン王国皇太子フォルカス=ファーランドの姿があった。
「これは皇太子殿下。ご挨拶が遅れ申し訳ございません」
「誠に申し訳ございません」
「いや、気にしないでくれ、マリノ侯、ミュラー伯。頭を上げてくれ二人とも、今日の主役は俺ではなく父上だ。俺はただ、俺のヴァージニアの事を話をしている二人の姿が目にはいってな。それで来ただけなんだ」
先ほどから俺の俺のと私を物か何かのように扱う事に閉口してしまう。いや王族相手に大層な事も言えないが。
フォルカス殿下は私との婚約自体、陛下からの申しつけで仕方なしに受けているはずである。にもかかわらず、こうして人前で私を恥ずかしげも無く紹介するのは――
(私が恥をかかないように気でも回してくれているのか。お人よしか?)
気さくで仲間思いな所があるフォルカス殿下の事だ。特別な感情など持っていない相手であってもこうして気を回して下さるのだろう。
「なんだヴァージニア、そんなに俺を見つめて。惚れ直したか?」
「ご冗談を。それよりよろしいのですか、このような所に顔を出されて。本日の主役は確かに陛下ですが、殿下もお忙しいはずでは?」
「まぁな。だから忙しくなる前にこうしてここに来たんだ。ヴァージニア、お前忘れていないだろうな?」
はて、何の事だろう。忘れていいなら忘れてしまいたい所なのだが。こういう堅苦しい場所にいるぐらいならさっさと家に帰って今日の修練を終えたいところだ。
「お前は俺の護衛だろうが。さっさと俺の所に来るのが筋だろ」
必死で小声で話される殿下が、なんだか子供じみていて笑いがこみ上げてくる。
本来このような席に顔を出す事を極力拒む私が、わざわざ御父様と一緒に参加している理由はフォルカス殿下の護衛として参加する為である。その事はもちろん御父様には話してはいるし、そのせいで御父様の眉間の皺がさらに数本増えた事は言うまでもない。
『どこの世界に婚約者を護衛する為、同伴する女がいるんだ』
その気持ちは分かります。でもいるんですよここに。その件を御父様に説明する際、『まったく男なら自分の身は自分で守れるぐらいの甲斐性は見せるべきだとは思う』と言うと、御父様の眉間の皺がさらに増した気がしたがきっと気のせいに違いない。『俺が言いたいのは、護衛を勤めるような女がって所なんだがな……くそぅ、お前の貴族としての作法に関しては、ミーシャやマーサも結局最後には匙を投げていたしな』とかなんとかがそのあと聞こえた気もしたが、たぶん幻聴だろう。
「マリノ侯、悪いがご息女をお借りしてもかまわないかな?」
「勿論でございます皇太子殿下。ヴァージニア、くれぐれも解っているだろうな?ここはベイルファーストじゃないからな」
「いやですわ、御父様。それぐらいこの私でも十分理解していますわ」
つまり大規模な範囲魔術は出来るだけ使うなという意味だろう。そのぐらいの配慮は私にも出来る。
「本当に解っているんだろうな?」
最後まで心配顔の御父様をその場に置いて、私はフォルカス殿下と共にボイル陛下の下を訪れる事となった。
「そういえば、そのドレス似合っているな。俺が渡したブローチとも良く合う」
「お褒め頂き光栄ですわ殿下。本当に苦労したんですよ、このブローチに合うドレスを探すのに」
ドレスに関してはつい先日まではシュナイダーやアマンダさんにいろいろ駆けずり回ってもらう事になってしまっていた。最終的にアマンダさんがどこからか用意してきてくれた象牙色のこのドレスで事無きを得た訳だが。一体どこでこれを見繕ってきてくれたのか、詳細は解らずじまいだった。
「すまないな。そちらにまで気を回せていなくて」
「全くですよ。準備が出来たからよかったものを」
まぁ、日頃からドレスなんて着る事も、つもりもない私が悪いといわれればそうかもしれないが、こんな窮屈なものを好んで着る人間の気が知れない。今もコルセットで締め付けられてかなりきつい状態だったりする。馬鹿じゃないだろうかコルセット。こんなもの付けていたら、相手の剣閃を掻い潜り懐に入り込む時、一瞬の動きの邪魔になりかねない。ドレスを着用する際、手伝って下さったマーサ先生にそう言うと、彼女の額に青筋がたった気がしたが見間違いだろう。
「……思ってたとおりドレスも似合ってるな」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない」
考え事をしていた為、殿下が何をおっしゃられたか上手く聞き取れなかった。駄目だ集中しなくては。今日は殿下の護衛。いつどこから敵が来るか分からないのだ。いつでも戦えるように気を満たしておかなければならない。
「そういえば、ヴァインの方とはもうお会いになられましたか?」
「あぁ彼は今、ヴァイス殿と一緒に先に父上の所に向かってもらっている。お前とヴァイン君。それからヴァイス殿が連れてきた少女を入れて三名が公ではない護衛という事になる」
「ヴァイス様が連れてきた少女……ですか」
戦技課にヴァイス様が訪れる際、そういった話は一切なされていなかったはず。だがそういえば以前、ゼクスがアイン殿下の護衛はヴァイス様が準備なさると言っていた気がする。つまりその少女がアイン殿下の護衛という事だろうか。
「どうした浮かない顔をして」
「いえ大した事ではありません。ただ、私はともかくヴァインと同等の魔術師の少女なんていたかなと思いまして。王国魔術師団の方でしょうか?」
「いや、学院の生徒と聞いている。俺も以前どこかで会った気がするんだが……お前には敵わないが、結構綺麗な子だぞ。お前と同じぐらいの年格好だったから学友では無いのか?」
そう言われても魔術課の課員達について、私は詳細を知らない。何より戦技課に入ってすぐの頃、ヴァインやトミー達と共に彼らと揉めた件以来、ヴァインから学院で死人を出す訳にはいなかいから、お前は出来るだけ関わるなと口を酸っぱく言われていたので、本当に彼らの事を知らないのだ。
「ふむ、お前が知らないとなるとあの子は一体。まぁ会えば思い出すかもしれないか」
フォルカス殿下はそうおっしゃり、私に手を差し出す。
「何ですかこの手は」
「いや、俺の婚約者が道に迷わぬよう手でも引いてやろうかと思って」
何を言っているのだろうこの人は。こんな衆目のある場で手を引くなどありえないだろうに。
「お前が何を考えているか分からないが、こうして手を差し出しているのに無下にされている俺の事も考えて欲しいところだな。ほら見ろ、周りが変な目で見始めているぞ」
「殿下。自業自得という言葉をご存知ですか?」
私は溜息を漏らしながら、彼の手を取る。ほら見ろ周りの目が痛いじゃないか。あそこでひそひそ話ししているのはどこの家の人間だ。御父様に言いつけてベイルファーストの森に叩き込んでやろうか。
「どうしたヴァージニア。そんなしかめっ面では可愛い顔が台無しだぞ」
「全く殿下のその台詞はどこから出てくるのですか。そのような世辞はいりません。さ、早く参りましょう」
フォルカス殿下を促し先を急ぐ。こんな状態で長くいたくない。さっさと陛下に挨拶に伺うべきだろう。
「お前という女は、ほんとこういう言葉に無関心だな……まぁそこがいいんだがな」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない。さぁ急ごうか」
殿下はそうおっしゃると私の手を強く引く。急に引かれてつい彼の手を強く握ってしまう。
「も、申し訳御座いません、殿下」
「いやかまわない。むしろそのぐらいで握ってもらえるかい。乗せられてるだけでは本当にはぐれてしまいそうだ」
そう微笑むフォルカス殿下の様子に、私は申し訳なく感じ俯いてしまう。自分を恥じ、顔に熱が篭るのが分かる。護衛として来ているはずなのに、その対象に気を回してもらうなど恥以外の何物でもない。
そんな私を見て、フォルカス殿下は一瞬呆然とした表情をなさる。
「どうかされましたか?」
「いや、なんでもない。さぁ行こうか」
「ええ」
今は護衛に集中しなくては。周りに気を集中し違和感がないかを確かめつつ移動する。
「……あんな顔するとか反則だろ……くそ溜まってんのか俺」
周りに意識を集中していた私にはまた、彼の言葉が上手く聞き取れていなかった。