7-16 歓喜
■■■
???視点
■■■
ギヴェン地下迷宮第49階層。誰一人これまで到達してはいない場所を、たったの四人で突き進む男女の姿があった。
だが今、男女の目前には全長5mに超える大型の魔獣がその行くてを阻んでいる。
その姿は一見して大型の蛇ではあるが、頭には蛇には似使わしくない鶏冠が見られる。
呪毒大蛇
その息は土さえ腐らせ、その血の一滴で象でさえ一瞬で死に至らしめる猛毒である魔獣。
本来たった数名で挑むような相手ではない。熟練の冒険者が十数名でレイドを組んだ上で、幾人もの死傷者を出した上で討伐する程の魔獣だ。それを彼らはたったの四人で討伐しようとしていた。
いや、正確には四人ではなく二人といった方がいいだろう。戦闘が開始されてから今に至るまで、大柄の男と弓を扱う女以外の者達は、ただ呆然とその戦いの様子を眺めているだけだったのだから。
だが、戦力としてはそれで十分だった。
大柄の男が剣を振るう度、その一撃一撃が魔獣にとって致命の一撃となり、また女が放った矢はその一本一本が魔獣の命の確実に削っていく。
「おい。いい加減に手をかせよ」
魔獣との死闘の最中であるはずの男は、傍観する仲間達にそう愚痴を吐く。
「弱音を吐いていないで、さっさと終わらせてもらえないかな。僕としては今日中に【扉】まで進みたいんだけど」
大柄の男の声に応える淡い薄紅色の髪の少女は、まるでそれが些事であるかのように嘆息し、その様子を眺めている。
「ちくしょう!」
男は舌打ちをし大剣を構えなおす。
男の風貌はまさに歴戦の戦士を思わせるようで、全身には使い込れたハーフプレイトに身を包み、身の丈を超える丈の大剣を軽々と操っていた。ダンジョンという狭い環境下では大剣のような長尺の武器は振るには不向きであり、大抵の冒険者が彼の武器を目にすれば、彼の事を無知な素人と嘲笑する事だろう。だが、実際にダンジョンで戦う彼の姿を見れば、自分達の常識がどれほど小さな範疇であり、彼にはそれが当てはまらない事を理解しただろう。
グアアアアアアアアアアア!
「はあぁ!」
大柄の男が袈裟に振るった大剣が呪毒大蛇の頭を叩きつぶし、そのまま返す刃で丸太のようなその胴をなぎ払う。呪毒大蛇は臓物を撤き散らして吹っ飛び、壁へと激突する。
「疾っ!」
シュシュ
二本の矢が空を切り裂く音がダンジョン内に響き渡る。
矢は崩れた壁の瓦礫から抜け出そうと足掻いていた呪毒大蛇の眉間を深々と抉る。
「ザレオス、貴方の戦い方は雑すぎです。こうして相手の弱点を狙えばもっと早く片が付いたでしょうに」
「あぁ煩い。魔物との戦いってのはな、互いの生きるか死ぬかの瀬戸際で、己の力を如何にして――」
「そんな事はどうでもいいのです。シュトリ様、次の階層の妨げとなる障害はこれで全て除かれたかと」
己の弓の調子を確かめた後、黒衣の射手の女は傍観していた少女に声をかける。
「うん、ご苦労様。最下層には確か障害らしい障害がなかったはずだから。ありがとうねザレオス、ハルファス」
「問題ありません」
「そう言うなら、手を貸してくれよ旦那」
黒衣の射手の女――ハルファスはザレオスを睨み付け口を開く。
「ザレオス。いつまでシュトリ様を『旦那』呼ばわりするのですか。いい加減改めなさい」
「いや、かまわないさ。今更ザレオスにお嬢様とか言われても気持ちが悪いだけだしね」
「ほらみろ、旦那もこう言っているじゃねぇか。そんな事よりロノエ、この毒血をなんとかしてくれねぇか」
そういいながら鎧の男――ザレオスはローブの男に自らの鎧と大剣に付いた魔獣の返り血を指し示す。
「全く、雑な戦い方をするからです。ロノエ、そんなもの放っておきなさい。その男にはよいお灸になるでしょう」
「ははは、でもこれが私の仕事ですから――水のオドよ転き換ぜよ、我が命に答え、流れ導き、動き従え!【流動】」
ローブの男が魔術を唱えると、ザレオスの鎧と大剣にこびり付いた魔獣の返り血は、まるで意思があるかのように流れ伝い地面へと滴り落ちていく。
「これで大丈夫だと思います。ついでにそのあたりに散る毒血や臓物を処理しておきますね」
男は再び詠唱を開始し、毒に満ちた魔獣の死骸の処理を進めていく。
「便利なもんだな魔術って」
「ザレオスさんも学ばれますか?魔導の道は誰であっても平等に開かれていますよ?」
「いや、遠慮しておくわ。俺にはこれがあるからな」
ザレオスはロノエの魔術で落ちた血を確認しつつ大剣を構えて見せる。
「そうですか。いつでも言って下さいね。先生から魔導に興味を持つ人間には積極的に道を示すよう言い付かっておりますから」
ロノエと呼ばれた男はそう言い、ザレオスに微笑みかける。
その様子を少女は酷く懐かしげな表情で見つめていた。
「では、参りましょうかシュトリ様」
「うん、そうだね。じゃ今までどおりザレオスが先頭で、殿はハルファスに任せるよ」
「はっ」
「了解だぜ旦那」
ザレオスを先頭に、一同はさらに階下へと突き進む。暗い階段を四半刻も下り続けた後、彼らの目前には巨大な石造りの扉が行く手を塞いでいた。優に10mはあるだろうその巨大な扉には、まるで何かを封じるかのように禍々しい呪が大量に刻まれている。
「これがシュトリ様がおっしゃっていた【扉】ですか」
「うん。【ギヴェン地下迷宮】の下に眠る古の力を封じこめる封印であり、僕が目指していた場所」
そう言うと少女は、扉へと右の手を伸ばす。
「危険です、シュトリ様!」
「大丈夫だよ。これは僕には影響しないように出来ているから」
少女が扉に触れた途端、扉の表面はまるで石を投げ込まれた水面のように、少女の手を中心に水紋を描き出す。次の瞬間、少女の手首は扉の中に深々と埋もれていく。それに反応するかのように扉に刻まれた呪は次第に深紫の光を放ち始める。
「旦那!」
「シュトリ様!」
慌てる仲間達を横目に、シュトリは扉の奥に感じる力の波動に意識を集中する。
そうして暫くの後、少女の右手はある物を掴みとる。
「あぁ、やっと見つけた――深淵の楔よ、隔絶の棘よ。光の乙女たる我が言葉を聞け。王を封じし七剣の呪よ、シュトリ=ウヴァルの名において命ず、因果の理を持って、その姿を現出せよ【因果の棘】」
シュトリの声がダンジョン内に響き渡る。
深紫の光は次第に強まり、部屋を一色に染めていく。
「おいハルファス、旦那は大丈夫なのか!」
「私が知るか!シュトリ様、大丈夫なのですか!」
「大丈夫だよハルファス。もう少しだ」
シュトリは心配顔の二人にそう言い放つと、扉からゆっくりと自らの右手を引き抜き始める。
「なんだあれ……剣か?」
「……そのようだな」
驚く二人の様子にシュトリは内心苦笑する。彼女の同行者達にとって目の前で起きている事はあまりにも奇怪な出来事に見える事だろう。だが彼女にとっては全て既知の事象だった。
そうして完全にシュトリの右手が扉から引き抜かれた時、彼女の右手には禍々しい紫紺の短剣が握りしめられていた。
「シュトリ様それは?」
「あぁ、これはこの扉の封印――魔王の封印の一部だよ」
「おいおい、魔王って、やべぇんじゃねぇのかそれ」
後ずさりするザレオスにシュトリは微笑みかけ答える。
「これを抜いたからってそんな簡単に魔王が復活する訳じゃないさ」
「魔王ですか……シュトリ様。貴女は何をなさろうとされているですか?」
ハルファスの眼光が目の前の少女を鋭く射抜ぬく。彼女から発せられた殺気にザレオスとロノエも無意識に己の武器に手をかける。
「僕が裏切るか心配かい?ハルファス」
「おい、やめろハルファス!旦那、あんたも冗談がすぎるぜ」
「……シュトリ様。お聞かせ下さい。貴女は何をなさろうとされているのですか?」
己の武器を構える彼女の姿を、シュトリは真正面から見据える。
「僕の目的は君達には話せない。話した所で理解なんてされないからね。でも――」
少女はここではないどこか遠くを見つめながら、武器を構える黒衣の射手に応える。
「これだけは約束する。僕がアザエルと交わした盟約を違えるつもりはない。今はそれで勘弁してもらえないかな?」
「……わかりました」
シュトリの言葉にハルファスは、己の殺気を四散させる。
二人の様子を伺っていたザレオスとロノエは互いに顔を見合わせ大きく息を吐き出す。
「ったく、ハルファスも旦那も冗談がすぎますぜ」
「あはは、悪いねザレオス」
「実際、その奥に封じられてるのはあの寝物語に出てくる魔王って奴ですかい?」
「そうだね君の言うとおり。この奥にその魔王フォルフォスが眠っている」
世界を滅ぼそうとした禁忌の存在【フォルフォス】。大神ピュラブレアが己の子である7神を封剣へと変え封じ込めた古の災い。それが目の前の扉の奥に眠ると聞き、少女の同行者達の顔はまるで信じられない物を見るかのように歪む。
「安心していいよ。さっきも話した通り、これを抜いたからってフォルフォスが目覚める訳じゃない。まぁ目覚めたとしても君達が思うような事は起きたりはしないんだけどね……」
少女の言葉を同行者達は信じるしか無かった。ここで魔王がよみがえりでもすれば、一番最初に自分達がそれの餌食になる事が明白だったからだ。
「で、その剣が魔王を封じる剣なんですかい?」
「うん。魔王って存在の魂を消し去る為に生み出された呪いと言った方がいいかな」
「呪いですか……大神ピュラブレア様の封印が、そのような禍々しいものなのでしょうか?」
訝しむ同行者達にシュトリは頷き応える。
「誰にとっても、誰かが消えて欲しいという願いはそんなに綺麗なものじゃないって事だよ。例えそれが神様だとしてもね」
「……そうですか」
紫紺の短剣を己の背嚢に入れる少女に、ハルファスは問い尋ねる。
「その剣を持ち帰られるのですか」
「うん、これは僕にとっての切り札だから。これは魂を消失させる力を持つ呪いが具現化したもの。この剣で傷つけられた者の魂は今だけじゃなく、過去まで遡り呪いに蝕まれる事になる」
「過去まで……ですか」
「うん。魔王と言われる程の存在の魂を消失させようとする呪いだよ。それぐらいであってもおかしくないだろ?」
シュトリの言葉にハルファスは畏れを感じ、無意識に彼女から距離をとっていた。
だがそれを責める者はいない。ハルファスだけではなく、他の二人もまたシュトリの放つ異様な雰囲気に飲み込まれそうになっていたからだ。
「さて、じゃぁ戻ろうか」
「……はっ」
シュトリの言葉に、ハルファス達は我に返る。
彼女にとって、今はシュトリの盟約を守るという言葉を信じるしかなかった。
「戻ったら、誕生祭の準備をしておかないとね。ハルファス、ロノエ。準備は出来ているかい?」
「はっ。シュトリ様の計画通り、すでに対象には例の場所の情報を流しております」
「アイニスが光術に長ける教士を派遣する動きがある事も掴んでおります」
二人の報告を聞き、シュトリはほくそ笑む。
上手くいけば、彼女の演出は物語をさらに面白くする事だろう。
そうでなくても、ギヴェンとアイニスの間で大戦が始まれば、自身の計画はより具体性を増していくに違いない。シュトリはそう考え、来る未来に思いを馳せる。
(あぁ、やっと待ち望んでいた刻が来る)
己の内に沸き起こる歓喜の渦に、少女はその身を打ち震わせる。
「さぁ始めようじゃないか――」
ギヴェン地下迷宮最下層。誰もが夢でさえ見た事もない未踏の神地。
「――君と僕とのゲームを。ヴァージニア=マリノ!」
その暗く深い闇の奥で、歓喜に満ちた少女の叫びだけが木霊していた。