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二万文字以上になってしまったので四部ぐらいに分割します。
順次投稿しますのでお待ちくださいませ。
無頼 チャイ作『動物園ならぬ魔物園の経営は大変だ!!』はこちらのURLよりどうぞ。
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レモン型に切り取られた闇の向こうに、ぼやけた景色が映る。
何度か閉じたり開いたりした後、ピントが合い始めたことで周囲の光景を把握することができるようになった。
(私……確か、仕事の途中で……)
どうして目を閉じていたのか、途中の記憶はないものの意識がはっきりとし始める。
思い返す限り、彼女――漣 渚は仲間達と一緒にスパイの仕事に従事していたはずだ。その途中で何らかのハプニングが起きたのだろう、こうして意識を失って覚えのない場所に寝転がっているということは。
周囲を見渡すと、球体の中に床を作ったようなただっ広い部屋だ。天井や壁には羊皮紙とでも言うような古風な紙がいくつも貼り付けられている。
「唐真様? 大丈夫ですか、凄い音がしましたけど?」
下の階へと続くであろう階段から、女性の声が登ってくる。
どうやら、音の原因は渚が倒してしまったいくらかの大工道具と床を体で殴った音らしい。体は多少なりとも痛むものの、怪我などしている様子はないので安心する。
それより気にすべきは、ここに渚以外の誰かがいるという可能性だ。
(拙い、どうしよう……。仕事の途中ってことは、まず潜入がバレちゃダメってことだしね……)
周囲を確認する限り人の気配がないため、階下の女性が音の原因が渚だと気づいていないパターンだと推測する。
とりあえず、階段を上ってくる足音から逃れるため、どこか身を隠せる場所を探そうとした。しかし、渚の視界に映ったのは程良いクローゼットや床下収納ではない。
(サル……?)
「ウキッ?」
背後にいた猿だ。猿顔の知り合いはいることにはいるが、顔立ちは違う上に、体毛の色や長さも違う。目の前にいる猿は、別の生物である。
そうこうしているうちに、声の主である女性が上ってきてしまった。
「唐真様、いらっしゃるなら返事してくださいよ。どうなさったんです? あぁ、ルンちゃんと遊んでいて、散らかしちゃったんですね」
渚の元へやってきた女性は、何の疑問も呈することなく当然の如く話を続ける。
「え、いえ……。あの、どういうことですか、これは? 貴女は、ルーデさんの知り合いか何かですか……?」
色々と思考を巡らせた結果、出てきた言葉はそれだった。
猿の名前がルンちゃんなるものだということは置いておく。次に、やってきた女性の頭部に生えた耳、臀部辺りから伸びた尻尾、それらを統合すれば彼女が獣人種であることはなんとなくわかる。
顔立ちがルーデと呼ぶ獣人種ワーキャットの女性と似ていないこと、金髪ではなく銀髪の美少女だという点を考えれば、親戚という可能性はないと思われた。
「? 唐真様は、いったい何をおっしゃっているんですか?」
少女の反応を見て、沸々と嫌な予感が鎌首をもたげ始める。
考えてみれば、渚の着ている服は記憶にある私服からかけ離れた学生服だ。しかも、男物。
「つかぬことを伺いますが、私に話しかけていらっしゃるのですよね……?」
「はい。そうですけど、本当にどうしてしまったのですか?」
少女がすぐさま肯定し、心配そうに渚を見てくる。
正しくは、渚の表面的な容姿を、だ。
「……説明の前に、鏡を貸していただけませんか?」
渚の予想が正しければ、少女が差し出した磨かれた金属器的な鏡に映っているのは――。
「本当に、今日の唐真様はおかしなことばかりおっしゃいます。頭でも打ってしまわれましたか? 私はランですよ。分かります、よね?」
心配そうに見つめてくるランと名乗った少女には悪いが、どうやら頭を打って記憶がおかしくなるのと同じぐらい、大変なことが発生しているらしい。
なぜなら、鏡に映っているのは渚の顔ではないのだから。
――唐真と呼ばれている、青年か少年程度の男性の顔だ。
「あの、ランさん? 驚かずに聞いていただきたいんですけど、姿は唐真という方です。けど、心は別人になっています」
流石にこの重大な状況を濁したり、誤魔化すわけにもいかず、渚は素直に事実を伝える。
「え?」
「ウキッ!?」
ルンちゃんもオーバーリアクションをありがとう。
「唐真様、何をおっしゃっているんですか? 冗談にしてもつまらないですよ……」
こういう反応が当然といったところだろう。
「冗談や嘘ではなく、純然たる事実です。証明する手段がないので仕方ないですが、この体に入っているのは漣 渚という20歳ごろの女性のものでして……。別のところで魔物と一緒にスパイ見習いなんてやっています。ここは、もしかして魔界でしたか?」
「ふふふッ。唐真様ったら、お上手な作り話ですね。唐真様が住んでいた日本にあるあにめというものの話ですか? それともまんがでしょうか?」
なかなか信じてもらえないのがまどろっこしい。
そうやら、唐真という人物は渚とあまり変わらない世界に住んでいるらしい。もしかしたら同じ世界の日本人である可能性も高い。
いったい、どうしたら信じてもらえるかを思案する渚。そして思いついた方法を試すべく、渚は唐真に心の中で謝罪しながら手を伸ばす。
「ヒャウンッ!?」
伸びやかな笑い声とともに揺れる白銀の尻尾を、ムンズリと掴み握りしめたのだ。
「ゴフッ!」
ランのビンタが渚の――もとい唐真の頬を捉える。
痛みは、やはり渚自身が感じるらしい。
威力は人間よりも少し高いかどうかというぐらいで、平手だったおかげで頬に赤いアザがしばらく残る程度で済んだ。
「……す、すみません! 貴方は、やっぱり唐真様ではないのですね……」
「イタタ……いえ、こちらこそすみません。尻尾は獣人にとって重要な器官だと聞いたことあったので、反撃は覚悟していました。これぐらい覚悟を見せれば、嘘偽りはないと信じてもらえるかと思ったんで……」
「流石に、二度も同じ過ちをなさるとは唐真様でもあり得ないと思いますので、別人だと判断できますッ」
どうやら、唐真もランの尻尾を掴んだことがあるらしい。
「それに、今、唐真……いえ、渚様は私のことを獣人とおっしゃいました。クー・シーである私を、唐真様が獣人扱いすることはまずないはずなので……」
「クー・シー? 獣人じゃなくて、邪精種なんですか? その見た目で、ねぇ」
渚が知る限りクー・シーは、妖精や精霊を守るために外敵へ様々な妨害工作をする邪精種らしい。魔物に正確な分類など無いため明言はできないが。中には、一部の魔物が自身の種別を自己主張しているだけに過ぎない分類もある。
しかし、渚が聞き及んだクー・シーという魔物の性質からして、近くに妖精種か精霊種がいるはずなのだ。まさか、ルンちゃんなる猿が妖精種や精霊種と言うのではあるまい。精人種という可能性もなくはないが、人語を解する様子はないので捨てておこう。
「あ、あの、渚様、でしたか……?」
あれやこれやと思考を巡らせていると、ランが声をかけてくる。
「へッ? あ、ごめんなさい。私の悪い癖みたいで」
「いえ、こちらこそお邪魔して申し訳ありません。それで、伺いたいのですが、唐真様はどうなさったのでしょう?」
なかなか難しい質問をしてくる。
「ごめんなさい、私にもそれはわからないです。私の体と入れ替わっているなら、まだ救いはあるかもしれませんが……」
「そう、ですか……。ちゃんと、元通りになれるんですよね?」
「戻れると信じたいところですけど。とりあえず、私も何かできることを見つけて考えないといけませんね。ランさん、この世界のことについて教えてください」
不安に駆られてしまうものの、黙って諦めるほど渚も成長していないわけがない。
まずは情報収集からだ。
ランの後に続き、階下へと向かえばいくつかの扉が並んでいる。ランや唐真達の部屋、それと客室と言ったところか。
その下が一家団欒用の大きな部屋だろう。
ソファーに寝転がりながら、渚もとい唐真を眺める双眸があった。
「トウマ、なんか騒がしかったけどどうしたの? ランランの悲鳴も聞こえた気がするんだけど?」
アザラシが利いた口は、ランの尻尾を握りしめた件だろう。
アザラシから女性の顔が出ている、と言うのか、それとも女性の体からアザラシが生えているというのか。きぐるみみたいなものだと気づくのに数秒、アザラシレディーの言葉に応えるまでが数秒。
「ランさん、説明をお願いできるかな? 私よりも説得力はあると思うんですけど」
家族であるなら、渚が荒唐無稽な話をするよりもランの方が信憑性を出せると思った。
「わかりました。えっと、それじゃあよっちゃん、驚かずに聞いてね」
ランがそう前置きしてから、ゆっくりと状況を整理するようによっちゃんことヨーン・ローンへと説明する。律儀というのか、ランが説明の途中でわざわざヨーンや渚の自己紹介をするため、アザラシ少女がローンという魔物なのは理解できた。
よっちゃんイカかと思った、というのは内緒である。
「なるほど……にわかに信じ難いけど。うーん、いや、やっぱり信じられないし、トウマが証明してみせてよ」
どことなく悪戯っぽい笑みを浮かべて、ヨーンが渚に無茶振りしてくる。
証明する術など持ち合わせていないが、そんなことよりも渚はヨーンならびにローンという魔物に関して興味が沸いていた。
「水掻きは、ちゃんとあるみたいですね。アザラシの皮も本物かな。幻獣種だから滅多に会えないって聞いてましたけど、話に残る通りの魔物であるようですね。アザラシ族って、セルキーという魔物も同族らしいですが、何か分類しているのです?
いえ、それよりも皮を隠されたらその相手と結婚しなければならない、という話は本当ですか? 私の国に伝わる羽衣伝説との関係性について、何か知っていることがあれば――」
「ち、近いッ、近いよ……! その質問のセンスはトウマのものじゃないね。皮の件はちょっと触れないで欲しいかな。一族に伝わる黒歴史だから、あれ。うん、これは間違いなく別人だって信じるから……ちょっと離れてッ」
「――と、失礼しました。初めて会う、話しのできる魔物となるとついつい色々なことを尋ねたくなってしまって」
渚の悪い癖が、ここ最近さらに悪化の一途をたどっている。
引き気味のヨーンから離れ、ゆっくり話を聞く姿勢になる。今はローンやクー・シーのことについて尋ねるのは余分なので、現状を解決する方法を探すことに戻る。
「まず、どうしてこうなったのかがわかると良いんだけど。確か、トウマに三階の壁から隙間風が入るってことで修理してもらってたんだっけ?」
「うん。二階に下りて行った僅かな時間に、唐真様と渚様が入れ替わってしまっていたわけですね」
「あぁ、だから大工道具がいくつか転がっていたんですね。書庫に隙間風だなんて、本が傷まなくて良かったです」
ルンちゃんがそんなことをするとは思えないが、大工道具で唐真が殴られたとかでなくて良かった。というかルンちゃんは、今の唐真が本物の彼でないことを察しているのか、初めて顔を合わせた時以降、渚に近づこうとしていない。
動物の猿とは思えないぐらいに賢くて大きい。
「やっぱり、魔女の仕業かな? アルモッちがいてくれたら、少しぐらいは何かわかったかもしれないけど、しばらくは帰ってこないよね」
「はい、ココロちゃんのお散歩を唐真様の代わりに行っていますから、後一時間くらいは森で遊んで上げるんじゃないでしょうか」
渚がルンちゃんを観察している間に、話はあっちこっちに向かっている。自分のことなのだから、渚がちゃんと議論せねばならないところなのだが。しかし、この世界のこと――最も現在位置について分からなければなんとしようもないのである。
そこで、大体の家族構成が理解でき始めたところだ。
「えーと、ここで簡単にまとめさせていただきますけど、現在この家に住んでいる方はランさん、ヨーンさん、アルモさん、ココロさん、ルンちゃん、そして唐真さんの六名でよろしいですね」
「はい、そうなります。ココロちゃんはキメラの子供で、アルモさんという方が魔女見習いのようなものです。こういうことについては、今はラミージュ様がいらっしゃらないのでアルモさんしかいないかと……」
完全に留守の人物としてラミージュが追加される。
ランの発した単語に、渚の食指が動いてしまう。
キメラの子供なんてものは仕事仲間の誰からも聞いたことはない。色々と質問するには、少なからず危機的な状況であることが悔やまれる。
「キメラの子……ごほん。では、現状ですと私を元通りにできる手段はその魔女のアルモさんやラミージュさんの力を借りる以外にない、と」
「そうなりますね……申し訳ありません」
一呼吸入れて渚が整理すると、ランが心底申し訳なさそうに言ってくる。
「別に、ランさんが謝るようなことじゃないですよ」
「そうだよ、ランランは悪くないって。またトウマが何かやらかした所為だよ」
とんでもない状況に置かれた渚よりも、ランを慰めねばならないというおかしな状態だ。
ただ、ランが今にも泣きそうな顔をするのもわからなくはない。
「唐真様……」
その小さな呟きを聞けば、ランが唐真をどう想っているのかなんとなく察しはつく。渚は、ちゃんと自分の体に戻ってやらなければ、と考えた。
今は周囲の情報を取り入れることができないため、話を聞きながら待つこととなった。
続きます。