お伽噺は空の上で5 夏
その日の昼は素麺だった。
蝉がわんわんと大音声で謳い空に欠き割りのような雲が浮かび小さな商店の安アイスが飛ぶように売れ始めニュースで毎年のように『百年に一度の猛暑』と告げる夏。
そう、夏がやって来たのだ。
「ふうぅ~~ーーー暑いですーーー食欲減退デスーーーこの惑星は恒星に引っ張られ軌道を逸れたのかもシレマセンンーーーーーーーー」
エアコンの無い居間でだらけつつ箸の扱いも慣れた様子で素麺を啜る美女、ミューツ・リュー・ミリュノフが力なく呟いた。
「食欲減退ってミュー姉ちゃんそれ何杯目の素麺!?」
「仕方ないのデスタタラ、全てはタタラが悪いのデス、いつもいつも美味しい料理を作って食欲がないはずなのに食べざるをえない状況を作り出すタタラが」
「えーー何か理不尽な事言ってるよ」
「気にすんな、ミューツは甘えてるだけだ、我が儘言って多々良を困らせたいだけなんだ、ほっとけほっとけ」
「ミ"ゥグルルル」
「テツヒトさんもオヤビンさんも酷いデス!そうかも知れませんがそうでないかも知れマセン、審議委員会の開廷を要求しマス」
向かいで素麺を食べ終わり麦茶をヤカンから注いでいた鉄人とおやびんが顔を見合わせる。
「どうやら暑さで脳がヤられたようだな、悪くなった箇所はさっさと抉り取って捨てちまった方がいいぞ?」
「ニ"ギャウ!」
「うう~~ーーふたりして本当に血も涙もないデス、タタラだけですよわたくしに優しくしてクレルノハ」
「ミュー姉ちゃんさっさと食べちゃってよ。洗い物が片付かないから」
「なんとっ!四面楚歌ッ!味方は皆無デシタッ!!」
ミューツは初めて経験する日本の夏、その殺人的な蒸し暑さにヘバッていた。
無理は無いだろう、空調の効いたコロニーでは暑さも寒さも調整され常に過ごしやすい環境下で生活をしていたのだ。
地球上で産まれ育った人間でも下手をすれば熱中症で倒れる盛夏、気温の変化に疎いコロニー出身者にはキツいモノである。
「オマエねーここはまだ田舎で涼しい方なんだぞ。都会なんか行ってみろ、アスファルトやビル壁が熱を反射して熱が質量を持って襲ってくるんだからな」
「ひっ!無理!無理無理無理ッ!!絶対無理デス。わたくし都会に憧れはありマセン、そりゃぁチョットはテレビで観た浅草寺や泉岳寺、柴又帝釈天に行ってみたいなとか思いましたが命を削ってまでとは思いマセンッ!一生田舎ッぺでいいデス!!」
鉄人の脅すような言葉にふるふると首を振り身体を震わせるミューツ、特徴的な長耳も心なし項垂れている。
「ミュー姉ちゃんがこんなに暑いのが駄目だったなんてね、普段確りしているだけにちょっと意外だったな。はい、コレ」
洗い物を終え居間に顔を出した多々良が濡らして冷凍庫に入れてあったタオルをミューツに差し出しつつ口を開く。
「わたくしも知りませんデシタヨ、自分がこんなに暑さに弱いだなんて………ひゃぁ~ーーっタオルちべたくてキモチイイデス~ー」
貰ったタオルをミューツは首筋ではなく耳に充てる、どうやら長い耳には体温調節の機能があるようだ、十全に機能している様には思えないが。
「しかし午後二時頃が一番暑いんだ、これからもっと暑くなるんだぞ?ミューツ、オマエさん大丈夫か!?」
「………無理デスネ、タタラ、テツヒトさん、オヤビンさんも短い間でしたがお世話になりマシタ、ミューツは死にマス。多分焼け死にマス。お墓にはタタラのお料理を供えてクダサイ、サラダとカレー、それにガリガリさんを供えてクダサイ」
生気の無い声でそう呟くと畳の上にパタリと転がった。着物の裾からふくらはぎまでのぞいているがだらしないだけで色気も素っ気もない。
「しょうがねぇなぁ」
鉄人が髪をぼりぼりと掻き。
「タタラ、プールに連れてってやれ、水に浸かりゃあちったあマトモになるだろ。オマエ畑の世話は?」
「朝方に終わらせたよ。さすがに僕だってこの炎天下ではしたくないし」
「上等だ、SR貸してやるからこの溶けかけたナメクジ連れて行ってこい」
「あんちゃんは行かないの?あんちゃんが一緒だったらジムニーで行けるじゃん」
「俺は用事あるからな、田口のオヤジがボイラーの調子悪いから見に来てくれってさっき連絡してきた」
「そっかー、久し振りにあんちゃんと競争したかったんだけどなぁ」
「もうオマエにゃあ勝てねぇよ、歳考えやがれ」
「えー!?まだあんちゃんだって若いじゃん。しようよ勝負ーー」
「わかったわかった、ボイラー治したら直ぐに合流する。だから先に行ってろ!ミューツの奴ほっといたら本当に溶けちまいそうだからな」
「了解、ホラ、ミュー姉ちゃん、プール行こう、涼しくなれる所だから早く用意して!」
「プールぅ!?何ですかソレ?プールプール………リアルタイム処理時関数や割り込み処理を一時的に保管しておくキュー、会社などの運営資金を保管する行為、遊泳施設、貯水槽、ラグビーやバレーのスポーツリーグ……」
「三番目の奴、ホラ、さっさと起きて用意!あ、バイクで行くから着物はNG、Tシャツとパンツに着替えて来てね。水着は……持ってないか、確かプールで貸し出ししていたか」
ノロノロとミューツが起き上がり幽鬼のごとき足取りで部屋に戻って行く。
多々良は自分の水泳パンツ、数枚のバスタオルを箪笥から取り出しバイクのサイドバックに放り込む。
玄関先までバイクを引っ張り出し姉の到着を待ちわびる。
「お待たせシマシタ、タタラさぁ行きまショウ」
「……ミュー姉ちゃん、バイクで行くんだよ、ホットパンツは………」
多々良がミューツの出で立ちに眉をしかめる。
『黄桜』と書かれた全裸の河童の夫婦が酒を呑むイラストのピチT、白い太股も露なジーンズ地のホットパンツ、足元は星を円で囲ったキャンバス地のスニーカーだ。
「こんなに暑いのにタタラはズボンを履けと言うのデスカ!?もしプールに到着するまでにわたくしが焼け死んだらタタラが哀しむと思ってわたくしはこの格好を選んだのデス。それともタタラはお姉ちゃんが恒星の熱に溶けるのを期待しているのデスカ!?ドロドロに溶けたお姉ちゃんがタタラは良いのデスカ!?タタラが毎日ドロドロお姉ちゃんのお世話をしてくれるのデスカ!?毎朝ドロドロお姉ちゃんをお散歩に連れてってドロドロお姉ちゃんのご飯を用意して『ドロドロお姉ちゃんお手』って遊んでくれるのデスカ!?
わたくしは悲しいデス、タタラがそんなドロドロお姉ちゃん好きだっただナンテッ」
「うん、判った、判ったからその格好でいいよ、ミュー姉ちゃんはドロドロお姉ちゃんじゃない方が僕も嬉しいし」
意味不明にのたまう姉にハーフキャップを渡ながら「姉ちゃんて暑いと本当に鬱陶しく絡んでくるな、出会った頃は本当にお淑やかな印象だったのに……」と普段と印象の違う姉に溜め息をつく。
尤もこうして我が儘な部分をさらけ出してきてくれるようになったのもそれだけ距離が近付いたのだと思えばそう悪いものでは無い。
「ィッ!?」
バイクに跨がり姉のタンデムを待っていた多々良の背に柔らかくも質量を持った感触。ぞくりと全身を震わせ思わずバイクを倒しそうになった多々良にミューツは身を乗り出して。
「どうシマシタ?タタラ、確り支えていないと危ないデスヨ!?」
更に胸を押し付けてくる。
「だ、大丈夫。ゆっくり安全運転で行くから姉ちゃんも脚、エンジンに当たらないように気を付けてね?熱持ってるからうっかり触れると酷い火傷しちゃうから」
「了解シマシターー出発進行!」
トットットットッ
シングルエンジン特有のドラムに似た音を響かせタイヤは回り出す。
未舗装の田舎道、多々良は小石を踏まないよう前方に意識を集中させゆっくりと走り出した。
出来るだけ背中に当たるぽよよんの感触は気にしないようにしながら。
「うわぁ~ーー、スゴいデス!景色が流れて行きマス。風が涼しいデス!」
走り出してからのミューツのテンションは高かった。
風を受け多少は暑さも和らいだのだろう、多々良の腹に腕を廻しご機嫌な様子ではしゃいでいる。
「タタラ、タタラ、牛さんです!牛さんが草を食べてイマスヨ!顔がズゥ星系のミノス人そっくりデス!!牛さーんモウモウモウーーーーッ」
「ミノス人ってぇーー!?」
「ズゥ星系のひとデスゥーー、身体がおっきくて力持ちなんですーー!鼻にアクセサリーを着ける習慣があるんですよぉーーー!!
あ!見てくクダサイ、あっち、あのオジサンはドワーフソックリデスーー!
おぉーい、オジサァーーンこんにちはぁ~ーーーーーーー!!」
始終この調子だ。
多々良も元気のないミュー姉ちゃんよりはと彼女に付き合い手を振る。
「あ!オジサンも手を振ってくださいマシタヨ!やっぱりオジサンはドワーフじゃないみたいですーーー、ドワーフは無愛想で手を振っても振り替えしてなんかくれないデスカラーーーーーー」
「徳武さんちの郁夫おじさんだね、畜産やっててさっきの牛もおじさんの所の牛だよ。ミュー姉ちゃんも牛乳好きでしょ!?家の牛乳はおじさん所から買ってるからもしかしたらさっきの牛から搾乳されたのかも知れないねーーー」
「そうなんですか!?こっちの牛乳は味が濃くって好きですが牛さんから出るなんて驚きですーーーー!コロニーではプラントで合成された粉っぽい牛乳しかなかったんですよーーー」
「それって………脱脂粉乳じゃ………」
「何ですかぁーーー?風の音で聞こえませーーん」
「んーん、何でもないよぉーーー」
ヘルメットと風音に邪魔され大声を張らないと会話は成立しない、賑やかなふたりは二十分程走り目的地に到着した。
「プハァ、バイク楽しいデス!テツヒトさんが夢中になるのも判る気がシマス!」
「あんちゃんは機械関係何でも好きだけどこのSRは特に大事にしているね、単純な構造だけどこの振動が動いてる感があって良いって言ってた」
「何となく理解デキマス、高性能じゃありませんが頑張って走ってる感じが愛おしいデスネ」
バイクを駐輪場に置き早速受付で入場料を支払う、入場料とは言え町営のプールだ、料金はたかが知れている。
多々良はミューツの為に水着を借り一緒に男性用更衣室へ付いてこようとする彼女を女性用へと押しやりシャツを脱ぐ、小麦色に焼けた肌、脂肪のない引き締まった細身の身体に水着一丁、消毒層の冷たさに身を竦めプールサイドへと歩いた。