お伽噺は空の上で3 夕暮れ
夜の帳が庭園を闇に包み込み始めた。
恒星は遠く聳える三角の壁の連なり(山と言う地形の一部だとタタラは教えてくれた)山の影へと身を隠し天涯を紅く染め上げる。
ミューツは縁側でひとり自然の雄大さに圧倒され目を奪われていた。
恐ろしい、恐怖を覚える程の美しさ。畏れ、そう畏敬の念が空の上、宙に浮かぶコロニーの無機質さしか知らなかった彼女の胸を打った。
木々が生い茂る場所は既に闇深く脚を踏み入れれば己の手すらも見えない暗闇だろう。
やがてここも闇が支配する夜の領域となる筈だ。
そんな事を考えている合間にもほら、もう夜は全てを呑み込んで………
「ミュー姉ちゃん、夜風は身体に毒だよ。まだ体調も全快じゃないんだから」
背後から今日一日ずっと耳にし聞き慣れた声、多々良がそこに居た。
部屋の天上から下がっていた紐を引き照明を灯す。なるほど、あれは照明だったのか、ひとつ疑問が解けた。
「タタラ、ゴメンんなさいネ、凄い景色だったから思わず夢中になってしまってイタワ」
「そう?僕達には毎日日が暮れるのは当たり前の事だからあんまり凄いとかって思ったりしなかったけど」
「もう、凄い事なんデスヨ!?もっとタタラは実感してクダサイ!」
「あはは、ゴメンねミュー姉ちゃん」
この数時間で驚くほどミューツの日本語は上達した。
語尾が少しばかり怪しいがそれでも多々良が目を見張るほどの成果だ。
種明かしをすれば彼女自身の学習能力が異常な訳ではない、言語解読補助機能と呼ばれるアプリケーションのお陰だ。
彼女の脳内に埋め込まれたインプラント、思考を補助するツールのひとつを起動させたに過ぎない。
環状銀河外の言語の異なる知的生物とコミュニケーションを容易にする為に開発されたツール、まさか開発者すらも実際に使用されるとは夢にも思わなかったこの不憫な機能の存在をミューツが思い出したのは奇跡にも近いものであった。
「もうすぐあんちゃんも帰ってくるからそうしたら夕御飯にしよう、今日はカレーを作ったんだ」
「カレー……聞いたことのない食べ物デス、でもタタラの作った食事は美味しいデスカラ楽しみデスネ」
「ちゃんとサラダもあるからいっぱい食べてね」
「もう、タタラは意地悪デス、ワタクシは何時もはもう少し小食なんデスヨ!?いっぱい食べてしまうのはタタラが作る食事が美味し過ぎるからデス」
「あははは……」
ミューツが頬を膨らませ多々良がそれを笑っていると単気筒特有のドラムの様なエンジン音が空気を揺らし車輪が二つしかない不安定な乗り物が庭に入ってきた。
操縦しているのは長身の人物、ヘルメットで顔は見えないがその体格から男性だろう。
二輪車の後ろには目覚めた際隣に居たズゥ星系人に似た四つ足の獣が男性の背にしがみついていた。
「お帰りなさいあんちゃん、おやびんも一緒だったんだね」
「ああ、ただいま、下のばあ様からだ」
と二輪車のサイドバックからビニール袋を取り出し多々良へと放り投げた。
「あ!シメジだっ!あんちゃんナイス!カレーに使わせて貰うよ」
「お!カレーか!いいなぁ。米は多目に炊いてあるんだろうな多々良!?」
「当たり前だよ、それに今日は姉ちゃんも居るしね」
「ねえちゃん!?」
と、漸く弟の隣に佇んでいた女性の存在に気が付いた鉄人。
「ああ、そうだったな、具合はどうだ?随分と血を流していたが」
ヘルメットを脱ぎながらミューツへと尋ねてくる。
その目は鋭くミューツは少し臆しながらもはっきりと返事を返した。
「お陰様で大分回復シマシタ。助けて頂いた様でありがとうございマシタ」
「お、おう」
流暢に日本語を操り礼を述べるミューツに鉄人は少し面食らったようだ。
「あんちゃん、もう少しでカレー出来るから着替えてきなよ」
「ああ、そうだな、直ぐ行くよ。
冷蔵庫に何かツマミないか?あったら少し用意しといてくれ」
「了解!行こう、おやびん」
たたた、と軽い足音を立てて多々良がおやびんを連れて台所へと駆けて行く。
残されたミューツは少しばかり居心地悪く身じろぎをした。
「まぁ、なんだ、体調は回復したとは言え疲れてもいる筈だ、この家でゆっくりと癒したらいいさ。
何か困った事があったら多々良にでも訊くといい」
縁側でブーツを脱ぎミューツの隣を抜け部屋に向かいつつ鉄人は彼女に告げた。
多々良より幾分取っ付きずらい所があるが彼も優しい人物のようだ、ミューツは振り返り部屋へと向かうその大柄な背中にそっと頭をさげた。
夕食も美味しかった。
ミューツはカレーをお代わりし昼同様お腹を苦し気に擦る羽目に陥った。
多々良はそんなミューツの世話を笑いながらやき、鉄人は浅漬とめかぶ、冷奴をツマミにちびちびと日本酒をやった。
食事が終わりゆったりとした時間の中、鉄人が口を開く。
「ミューツ、だったか?」
「あ、ハイ」
「事情はある程度多々良からも聞いたがお前さん宇宙の向こうから来たんだってな」
「そうですネ、わたくしたちは惑星上にこの様に居を構える事はアリマセン。コロニーと呼ばれる場所を生活の場としてイマス」
「ふむ、まぁあんなロボットに乗っていたりするんだからな」
ロボット、ガルガンティスの事だろう、多々良もそう呼んでいた。
鉄人はちびりとコップ酒で口を湿らし箸で浅漬を摘まむ。
辛口の日本酒に浅漬の塩気はよく合うのだ。
「で、あのカニみたいな敵」
「スナークです」
「スナーク……ルイス・キャロルだな。まぁいい、スナークとあんたたち環状銀河の知性種は戦っているんだな」
「はい、スナークは次々に居住可能惑星を破壊し知性種族を宇宙へと追いやりマシタ。スナークは我々にとって天敵ナノデス」
「それでアンタはスナークの時空転移?ソイツに巻き込まれて」
「この惑星、チキュウ……でしたカ、ここに落ちてきたノデス」
「ふぅむ」
狂人の妄言と切って捨てるような荒唐無稽な話だ。
だが、スナークは実際に鉄人も多々良も、ついでにおやびんも目にしている。それにガルガンティスと彼女が呼ぶ大型人型兵器、今は大破し畑の納屋に置いてある。
物的証拠もあるのだ。
何よりも。
「耳」
「ハ!?」
「いやぁ、アンタのその耳、尖っているがソイツはなんてーか………その…………なぁ?」
「はぁ!?」
言い難い、ひとこと聞けば済む話だがどうにも口にし難い、日常でそんな疑問を口にすれば正気を疑われる。いや、既に正気なままでは対処出来ない事象が起こっているのだここで尋ねて否定されても「そうか、違ったか、ハハハスマンスマン」で済むかも知れないが、それでも理系脳で二十年強生きてきた黒沢長男にはそれを口に出して訊く行為は何とも恥ずかしいのだ。
「姉ちゃんはエルフなの!?」
丁度洗い物を片付けて居間に戻ってきた多々良が代わりに尋ねた。
『ナイスだ!弟よ』
兄は心の中で弟に親指を立てた。
「よくご存知デスネ、わたくしたちはエルフと呼ばれる種族デス。世界樹の護り手などと古老の方々は自らを称しマスガ」
「やっぱり!そうじゃないかと思ったんだ。耳が尖ってるひとなんて初めて見たし、本にある絵でもソックリだし」
「ああ、それでデスカ」
なるほど、昼に多々良がチラチラとこちらを見ていたのは耳を見ていたのか、気になっていた視線の意味を今漸くミューツは理解した。
自慢ではないがミューツは自分の身体が女性として魅力的なのを承知している。胸も大きい方だ。
隊の部下などはボディスーツに着替える際羨ましそうにその裸体を見てくるし、親友などは露骨に胸をまさぐってきたりもする。無論冗談の範疇でだが。
多々良も恐らくはそう言った性に興味を持つ年頃、胸でも見ているかと思ったのだ。
それにしては視線に男性の特有の性的嫌らしさも無く不快感を覚えなかったので放置していたのだが……
そうか、耳が尖ってるのが気になっていたのか。
ミューツは己れの自信過剰さに恥ずかしくなってくる。件の長耳が紅く染まるのを感じた。
「ミュー姉ちゃん、お風呂入って来るといいよ、今日は疲れたんじゃない?暖かくしてお布団入ると良く眠れるよ」
「あ、デモ、まだテツヒトさんとお話が……」
「いや、今日はもういい、一気に話をしても俺も脳内で纏めるのに苦労するしアンタも大変だろう。多々良の言うことを聞いて今日は休んだらいいさ」
「そう、ですか、でしたら……タタラ、オフロ使い方教えてクダサイ」
「うん、こっちだよミュー姉ちゃん」
「ハイ」
ミューツがタタラに手を引かれ風呂場に向かう。
ひとり残された鉄人はコップに残った日本酒をぐびりと喉に流し込んだ。
「SFは何とかなるがファンタジーはなぁ…………」
呟きは誰の耳に届く事もなく蛍光灯の灯りの中消えていった。
浴室でまたひと悶着あったようだがそれを気に掛けず鉄人は晩酌を切り上げカレーを盛りに台所へと向かう為腰をあげたのだった。
「ホントウ、タタラが言ったようにオフロの後のオフトンがこんなに気持ちにいいなんて」
入浴を終え寝る準備を済ませたミューツは早速布団に潜り込んだ。
天上の照明は部屋を出る際多々良が紐を引き消していってくれた。
「姉ちゃんはちっちゃい灯りは点けて寝るひと?」
訊かれた意味が判らないので小首を傾げると多々良は紐を二度引き照明を暗くした。
照明の傘の中に小さな橙の灯りが灯る。
暗闇がいいか少し灯りがあるのがいいか問われているのだと理解する。
「点けて寝るヒトデス」
と小さな声で答えると多々良は穏やかに微笑み。
「お休みなさいミュー姉ちゃん、良い夢を見てね」
そっと扉を開け出ていった。
ミューツは暖かく柔らかな寝具に包まれ今日起こった出来事を思い出す。
驚きに満ち溢れた惑星、多々良との出会い、おやびん、鉄人との出会い。
素晴らしい場所、人々に出会えた幸運。
灯りを落とす直前、多々良が言った言葉、「良い夢を見てね」と。
まさに夢のような一日であった。
目が醒めてもこの夢が幻でない事を願いつつミューツはゆっくりと微睡みに身を委ねた。
「お休みなさイ」