第3話:ドイツの戦車
日曜の昼下がり、佐々木探偵事務所の応接室にふたりの男が座っていた。
ひとりはちぎれたハンカチを振り回しながら
「ジュリアーニィィィィ」
と叫び、もうひとりは真っ赤な顔して
「ダダダダダ」
と口で言いながらエアマシンガンを連射していた。
名探偵はこの状況をどうするのか。
キッチンで一休みした次郎少年が応接室に戻ってみると、頭を抱えて微動だにしない佐久間とソファにだらしなく寝ている小太郎の姿が見えた。
戻ってはみたものの、何の進展もない状況に居心地の悪さを感じる次郎少年。
沈黙に耐えられなくなったので、こっそりとキッチンに行きジュースを飲んで一休みする次郎少年。
しばらく時間をつぶして応接室に戻るも、前とまったく変わらない光景に次郎少年。
どうにも具合が悪いので、次郎少年は小太郎の代わりに佐久間の話を聞く事にした。いろいろ聞いておいて、後から小太郎に報告すればいい。このまま時間を無駄に使うよりはましだろう。
「あの……佐久間さん? ちょっといいですか?」
次郎少年の呼びかけに、佐久間はゆっくりと顔を上げた。いまにも死にそうな顔だ。
「何で……しょうか……」
すっかり憔悴しきった様子に次郎少年は少したじろいだが、自分に活を入れて質問をはじめた。
「えーとですね、いろいろお聞きしたいのですが、まずこのジュリアーニですか、どのくらいの大きさなんですか?」
「ジュリアーニは……雄雄しく、気高く、美しく……まさに軍神マルスの生まれ変わり……」
次郎少年の質問に佐久間はぼんやりと夢を見ているかのように答える。
「……ええと、ジュリアーニは人を襲ったりするんですか?」
「ジュリアーニは……雄雄しく、気高く、美しく……まさに月と狩りの女神アルテミスの生まれ変わり……」
一向に要領を得ない受け答えに、次郎少年の中で後悔する気持ちがむくむくと膨らみ始めた。
帰ろうかな、そう思い始めた矢先、外が騒がしいのに気付く次郎少年。
立ち上がって窓から外を見てみると、事務所前の通りに人垣が出来ていた。
何だろうと思って視線を騒ぎの中心にうつすと、道路の中央に大きな虎が牙を剥き出して周りを威嚇しているのが見えた。
突然の事に少し固まった次郎少年だったが、冷静さを取り戻すと佐久間を呼んだ。
「佐久間さん! ちょっと来てください! ジュリアーニかもしれません!」
ぼんやりと次郎少年を見ていた佐久間は、ジュリアーニという言葉を聞くと飛び上がった。
「どどどどどこですか!」
「こっちです、ここから外を見てください!」
あわてて窓際に駆け寄る佐久間。次郎少年が指差す先を必死の表情で、穴よ開けと言わんばかりの目で見つめる。数秒後、大きく動いていた眼球がある一点でぴたりと止まった。
「あああああああああ!! ジュリアーニィィィィィい!」
「あの虎はジュリアーニなんですね?」
「ジュリアーニです! あああありがとうございます! ここに依頼して本当に良かった!」
何にもやってないんだけどな。そんな次郎少年の心の声を知ってか知らずか、ちぎれたハンカチであふれる涙を拭う佐久間。
「良かったですね、佐久間さん。これで」
次郎少年のセリフが終わらないうちに、外から乾いた銃声が聞こえてきた。
次郎少年が窓の外を見ると、ライフルを持った人たちが虎に向かって銃を撃っている。
虎の身体に筒のような物が命中してぶら下がる。麻酔弾のようだった。
「あー……でもこれで捕まえやすくなりましたよね」
次郎少年が佐久間の方を振り返ると、佐久間はゆっくりと直立不動のまま後に倒れていく所だった。
事務所にずしんという音が響き渡る。佐久間は完全に昏倒していた。
次郎少年が呆然と立ち尽くしていると、今の音で目を覚ました小太郎がソファの上で体を起こした。
「あああ、良く寝た。えーとなんだっけ……そうそう虎退治虎退治。僕の実力を佐山さんに見せつける約束だっけ。次郎君、さっそく景気付けにブラックコーヒーをもらえるかな。角砂糖4つね」
しばらく小太郎を見ていた次郎少年は、かたい動きで回れ右をするとキッチンに向かい、戸棚の奥からスピリタスを取り出してコーヒーカップに注ぎ、墨汁で色をつけて小太郎の元に持ってきた。
「虎殺しの称号はいただきさ」
コーヒーカップに口をつけた小太郎はそのまま横向きに倒れた。
次郎少年は窓から虎が網にくるまれてトラックに載せられるのをただ眺めていた。
こうして事件は解決した。
佐久間はワシントン条約に違反したとかで警察に連れて行かれた。
そして小太郎は当日の事を何一つ覚えていなかった。
名探偵は記憶が飛びやすい。我々はこの情報をどうするべきか。
とりあえず心のゴミ箱にポイ。
名探偵佐々木小太郎 月と星の狩人 終