すみませんが、お断りします
屋上のドアを開けると、そこには巨大なピタゴラス的スイッチがあった。
「……お、おお?なんじゃこりゃあ!?」
「あー、もう。シロ先輩ダメだよ。それやるときは、白いジーパンとジャケット着ないとー」
「うちは学ランだもんねえ」
最初に扉を開けた白夜は、その光景に驚き大声を上げた。そのすぐ後ろにいた茅は彼のリアクションに文句をつけ、そのまた後ろにいた睦月は茅の言うダメな部分が何なのか分からないまま、適当に彼に同意しておいた。
恐らく星がこの場にいたならば、気になる所がそこかい!と茅に突っ込んでいただろうが、残念ながらここに彼女はいなかった。星は訳あって遅刻中である。
「超ヤバい!なにこれ!すっげえ!」
「……………あ。ダメ」
幸春がピタゴラス的スイッチに手を触れようとしたが、その装置の前で座り込んでいた少年がガシッと彼の手を掴んで止めた。そうして幸春を仰ぎ見ると険しい顔で首をフルフルと振った。どうやらこの少年が製作者のようだ。
「え、触れねえの?」
「………ん。まだ完成してない」
「ええ、マジかよ。超、残念なんですけどー」
少年のその言葉に幸春は落胆し、ガクッと肩を落とした。それにしても屋上の5分の1は占めるであろう、この大きなピタゴラス的スイッチを彼が一人で作っているのならば、なかなかにすごいことである。
「ねえねえ、これなに作ってるの?」
「宇宙人撃退スイッチ。これ押してダッシュで宇宙人から逃げる。絶妙なタイミングで逃げれるはず」
睦月が少年に問うと意外な答えが返ってきた。どうやらこれは趣味で作ったものではないらしい。そうして言葉から察するに、この少年も宇宙人の被害者のようだ。
この学院で宇宙人と言えば、ここにいる皆が悩まされているあの電波しかいないだろう。というか、そうそうあんな人間がいてもらっては困る。
「そこだけえらい饒舌だな。ていうかお前も宇宙人の被害者かよ?」
貴重なツッコミ要員である白夜が、ようやく通常運転を始めたようだ。星がいない今、彼がその役目を放棄すれば、残るはボケばかりなので収束のつかない事態になって大変なことになってしまうだろう。
少年は白夜の言葉に黙って頷き肯定した。よくよく見ればこの少年も可愛い系のイケメンだ。少し赤が入ったオレンジ色に染めた髪を短めのマッシュボブにし、ふわりとしたパーマをかけて襟足を軽く刈り上げた、そんな小難しい髪型がよく似合っていた。
ただその髪型は色以外で茅とどこが違うの?と聞かれても、正直同じじゃね?としか言えないのだけれども。とにかくどちらの髪型も、イケメンじゃないフツメンがやると事故が発生するくらいには難しいものである。多分。
「へえ、あき君すごいねえ」
「ムーミン先輩こいつ知ってんの?」
「うん、1年S組の錦木秋雪君。生徒会で一緒なんだあ」
茅の問いに睦月がそう答えるや否や、クズ組のメンバーは可哀そうなものを見る目で彼と秋雪を見た。
「……無いな」
「無いわあ」
「んー。ちょっと無いよね」
「ええ!?なにが?」
睦月は3人の言うことがよく分からず慌てて聞き返した。
ねえ、ちょっと。君たち会った時から失礼だったけど、今のは一番ひどいんじゃないの?
そう睦月は言いたかったが、なにせ彼らはクズ組武闘派の筆頭だったので怖くて口に出せなかった。いくら彼らが普段は良い人たちとはいえ、宇宙人とはまた別の怖さがあるのだ。
「お前とこいつが、生徒会ってことが有り得ねえ」
白夜の言葉に幸春と茅はうんうんと何度も頷いた。
「ええ、なんで!?僕、結構優秀な会計なんだからね!」
「……俺、書記」
「うーわ。マジで?生徒会終わったな」
まあ確かに高校生にもなって、こんな屋上で一人寂しく凝ったカラクリ装置を作るような変人と、ふわあっとした喋り方で頼りなさ気な、危うく宇宙人にキャトルミューティレーションされかけるような男では白夜がそう思っても仕方がない。
ひどいよ!と睦月がわあわあ喚いていたが、クズ組メンバーは無視を決め込んだ。
「じゃあ、終わった記念にドンジャラしようぜ」
どういう意味の記念なのか分からないが、幸春がそう言うと肩に掛けていた大きな袋を床に置き、中から昔懐かしのドンジャラを取り出した。ウノに飽きてきた彼らは、最近ドンジャラに特に幸春が断トツでハマっていたのだが、まさかこんなところまで持ってくるとは思いもよらなかった。
「さっきからでっかい袋、肩に掛けてると持ったらそれドンジャラかよ!どんだけ好きなんだよ、お前!」
いそいそとドンジャラの準備をし始めた幸春に白夜は思わず突っ込んだ。そうして普通そこまでしてドンジャラってやりたいものかと疑問に思いながら、その彼の執念にはドン引きした。
「えー、5人いるから溢れんじゃん。どうすんのー?」
「ちょっと!僕の話、聞いてないし!」
「………俺、装置作るから」
「じゃあ、この4人な。もう!シロ先輩とムーミン早く座れよな!」
準備の終わった幸春が、白夜と睦月に早くドンジャラの雀卓に着くよう促した。ふと茅はどこに行ったのかと白夜が視線を巡らすと、彼は既に幸春の向かいに座っていた。それを見た白夜は本当にこいつはマイペースな男だと半笑いを浮かべた。
「おっしゃ、食らえ!マッスルドッキング!」
「ちょ、マジかよ!?ハル、てめえイカサマこいてねえか!?」
「ええ!?僕もうすぐでドクターボンベだったのに。どうりでボンベが3つ足りないと思ったんだあ……」
「えー、俺ももうちょっとでミートだったのにー」
「怖えなお前ら!役満ワンツースリーかよ!」
あれから何度目かの対局かは忘れてしまったが、幸春が一番いい手で上がった。何だかんだと文句を言っていたくせに、ちゃっかりと白夜もドンジャラを楽しんでいた。
「シロ先輩が弱すぎんじゃないの?いっつも俺らに勝てないじゃん」
「あっ、茅の馬鹿!シロ先輩は良いカモなんだから黙っとけよ!」
茅がいつもの様に生意気な口をきいたので、白夜の怒りを恐れた幸春が慌ててフォローをしようとしたが、なにせ彼も残念な男だったのでフォローどころか火に油を注いでしまった。それに対して彼らの隣に座っていた白夜はニコニコと笑顔を浮かべたが、その目は一切笑っていなかった。
「よーし、お前ら覚悟しろや。ここまでコケにされて俺が黙ってると思うなよ」
「ごめん、お待たせー!お昼にしようか」
これはやばい。
久々に白夜を怒らせたかと幸春と茅はダッシュで逃げようと立ち上がりかけたが、そこに絶妙なタイミングで星が屋上へとやって来た。彼女は風呂敷に包まれた大きく重そうな荷物を両手にそれぞれ持っていた。それにしてもそんなものを持って屋上まで上がって来るとは、けっこうな怪力の持ち主である。
「星ナイスタイミング!助かった!」
「あーちゃん遅いよー。危うく俺ら、血まみれになるとこだったし」
「なんのこっちゃよく分かんないけど、まあ昼ご飯食べて仲直りしなさいな」
星は彼らの側まで来ると荷物をよいしょと置き、風呂敷の結び目を解いて中にあったお重を広げだした。そこには高校生の男が好むような生姜焼きや唐揚げといった肉を中心とした味の濃い料理と、これでもかというくらいに沢山のおにぎりが詰め込まれていた。野菜はどこにも見当たらない、庶民のお母さんが作る典型的な茶色い弁当がそこにはあった。
さっきまで一触即発の状態だったクズ組メンバーは、その弁当を見た途端に大人しくなった。やはり高校男児らしく、そこは喧嘩よりも腹を満たすことが優先のようだった。
「ねえねえ、星ちゃん。あき君も一緒に食べていい?」
睦月はスイッチ作りにかかりっきりの秋雪に視線を向けた後、星にお伺いを立てた。もうお昼も終わりの時間帯である。きっと秋雪もお腹が空いていることだろう。
「あきくん?うん、いいよー。なんか分かんないけど呼んで来なよ」
星がそれに快諾すると白夜が秋雪の所まで行き、座っていた彼の腕を取って立ち上がらせた。どうやら白夜はよほどお腹が空いていたらしい。普段であれば初対面の相手に対し、絶対に彼はこんな行動を起こさないのだから。
「おい、チビッ子2号。飯にするからさっさと来い」
「……ん。いいの?」
秋雪は白夜を振り返ると、かなり身長差のある彼を仰ぎ見た。白夜はそれに黙って頷くとさっさと自分が座っていた所に戻った。
「どうぞどうぞ!めっちゃくちゃ作ってきたから、遠慮なく食べていいよ!これ私の罰ゲームなんだよー」
昨日のドンジャラ対決で珍しく星がビリッケツになった為、こうして罰ゲームでお弁当を作る羽目になったのだ。しかしその為に午前を丸々遅刻をするとは、彼女もやはりクズ組の一員である。
「じゃあ遠慮なく」
ぼうっと立っていた秋雪に星が手招くと、彼はふらふらと危なっかしい足取りで彼女の隣に腰を下ろした。
「それにしても、この量を作るの疲れたわー。昨日あそこで私がハリケーン・ミキサーで上がるはずだったのに、まさかのシロちゃん先輩が奇跡のキン肉ドライバー出すんだもん」
「俺を甘く見てっからそうなんだよ」
食べ終えた弁当を片づけながら、星は昨日の最期の対局を思い出した。ちなみにキン肉ドライバーも、さっき幸春が出したマッスルドッキングも、このドンジャラの中では300点という最高得点である。
奇跡的に役満を出した白夜は悔しそうな星の様子を見てはっと鼻で笑ったが、普段の彼を知っているクズ組からすれば、それはちゃんちゃらおかしいものだった。なにせへたれの幸春にすらカモ認定されているのだから。
「いやいやシロちゃん先輩は、昨日で人生の運の全てを使い果たしたね」
「星ちゃんよお。それちょっと言い過ぎなんじゃねえの?いくら俺でも怒んぞ?」
腹も満たされ好調になっていた白夜のご機嫌が一気に下降し始めたが、すぐにその雰囲気を壊すような大きな音と共に屋上の扉が勢い良く開いた。そこにはやはりお約束である宇宙人が立っていた。
おお!電波女じゃないか!ナイスタイミングだなお前!
星は偶には電波も役に立つもんだとそう思った。それから一体、彼女がどうして自分たちの居場所を突き止めているのかは考えないでおくことにした。考えようが考えまいがこの電波がハイエナのごとく嗅ぎつけ、星たちの目の前に現れるのはどうしようもない事実なのだから。
「あ~、みんなずるいよ!麗も一緒にご飯食べたかったのに!ああ!今日は秋雪くんもいるんだね~!」
「……丁度良い所に来たな。今日はチビ共にコケにされて、苛々してっから手加減しねえぜ?」
「待って、待って!先輩殺しちゃ駄目だって!」
どうやら危うく星に向かいかけた白夜の怒りは、丁度よく現れた宇宙人へと方向転換したらしい。白夜が浮かべるその笑みはまるで悪魔のようだった。星は白夜の腕に縋り付いてなんとか止めようと必死になった。
「撃退スイッチを使う」
それまで沈黙を守っていた秋雪がそう言うと急に立ち上がり、ピタゴラス的スイッチへと駆けて行った。それはさっきとはまるで違い、別人のようにしっかりとした足取りだった。どうやら普段はぼうっとしているようだが、いざという時はしっかりした人物らしい。
星は幸春と睦月を順番に見た後、いざという時に役に立たないこいつらとは正反対だなあとしみじみ感じた。
「おお!?できたの!?」
「ん。押すから、ちょっと待って」
スイッチの完成に幸春が歓喜し、秋雪はそれに頷いて答えた。そうして装置の根元辺りにあった赤い色の、いかにもといったボタンをポチっと押した。すると頭上の方で何か重いものが転がりぶつかっては、それをまた繰り返す音が聞こえてきた。
「なになに!?麗も混ぜてよ~!?」
「…ああ。すみませんが、お断りします。あ、そこ動かないで下さいね」
秋雪がすらすらと言葉を紡ぐのとほぼ同時に、宇宙人の絹を裂くような悲鳴が聞こえた。何があったのかと星が慌てて彼女を見れば、そのたった3センチほど前に16と印が入った紫色のボーリング球が床に少々めり込んでいた。彼女は余りの恐怖に腰が抜けたのだろう、その場にヘナヘナとへたり込んだ。
こ、怖ええええええ!いやいやいや!やべえな、この子!下手したらシロちゃん先輩より怖いんですけど!
星は嫌な汗をかきながら、飄々とした様子で宇宙人のその様子を見ている秋雪にぞっとした。茅がやるじゃないかとでもいうように口笛を吹いたが、恐怖のあまりに喉が震えてしまい突っ込むことも儘ならなかった。
ちなみに幸春と睦月の方を見れば、彼らはきゃっきゃ、きゃっきゃとスイッチが上手く作動したことに喜んでいた。
ちょ!お前らだけは常識人だと思ってたのに、お前らも十分怖ええよ!
ならばと星は被害者の宇宙人をもう一度見ると、彼女は恐怖のあまりにまだ震えていた。無理もないことである。星はなんだか急に彼女が可哀そうに思えてきた。
もう彼女はイケメンハーレムを諦め、どこか新天地で普通の暮らしをした方が良いのではないだろうか。その方が確実に長生きするだろう。もう何て言っていいのか。とにかくターゲットにする人物を端から悉く間違えましたね、としか言いようがないのである。
「なんだやるじゃねえか、チビッ子2号」
「後3センチだったね。惜しいねー」
白夜が秋雪を褒め、それに続いて茅が、折角もうちょっとで宇宙に帰れるところだったのにねー、とある意味怖いことを言った。それから白夜は、もう宇宙人に興味が無くなったのかさっさと屋内へ繋がるドアへと向かおうとしたが、彼の腕にしがみついていた星が邪魔でその場を動くことが出来なかった。驚きと恐怖で彼女の腰が抜けてしまったのだ。
「……なんだよ星。もしかして今ので腰抜けたのかよ?情けねえなあ」
いやいや!こんなことがあっても、平然としているあんたらの方が人としておかしいんだって!
星は大声でそう言いたかったが、諦めて白夜の言うことに黙ってうんうんと頷いた。もう何でもいいのでここから早く離れたかった。
しょうがねえなあと白夜は言うと、星を背に負ぶって再びドアへと歩を進めた。それに気付いた皆がぞろぞろと彼の後に続いて行った。
「………失敗だった。まだ改良の余地があった。今度はもっと上手くやる」
2年K組へと戻る途中に秋雪がぽつりとそう呟いたのだが、それを聞いた星が思わず彼の頭を平手で叩いてしまったのは仕方のないことだろう。
後に睦月から秋雪が通称勝ち組と呼ばれ、家柄・成績・素行の全てが優良とされた生徒のみが所属するS組の生徒だと聞いて耳を疑ったのは言うまでもない話だ。