第五話 疼き
月光に銀が舞う。
美しい夜だった。建物から零れる人工的の光を偽物だと嘲笑うように、月光を煌く刃が反射する。
「ふっ!」
刀の振るい手は月詠六花だった。
魔士として、彼女は武器の扱いにも精通している。流麗な演舞でありながら、しかし仮想敵を思い浮かべた太刀筋は実戦さながらの激しさだった。
「しっ!」
袈裟懸け。切り下ろし。一拍置いての刺突――時には理想とのギャップに舌打ちを交えながら、絶え間なく動き回る。
鍛錬は既に一時間を越え、彼女の体も流石に限界が近づいていた。
だがそれは敵も同じ。
僅かな体勢の乱れ。乾坤一擲で飛び込んだ六花の刀は、ついに敵の喉元を――。
「……ふう」
間違いなく斬り裂いたイメージを見、ようやく六花は一息ついた。
同時に襲ってくる耐え難い疲労へ抗いながら、荒い息を整えようと目を瞑る。
「……流石にキツかったかな……」
小さく反省。
得る物が大きいトレーニングではあったが、いくらなんでも熱が入りすぎた。
十中八九、出撃はないだろうが。
コンディションを整えておくのも、魔士の務めだというのに。
「……」
理屈では解っている。
だが、六花の脳裏からは屋上の魔法陣が離れなかった。
学園に転校して三日――あの魔法陣は彼女がようやく目の当たりにした超常現象なのだ。
あれほどの結界は本家でも見たことがないし、当然必要とされているからには、それ相応の理由があるのだろう。
(……ここは最前線なんだ)
要するに六花は、今日ようやく自覚したのだ。
住人があまりにも気楽にしていたから忘れそうになっていたが、ここは特異点――千年以上も続いてきた魔士と魔鬼、領土の境界線。
魔界の悪鬼たる魔鬼が牙を剥き。
人類の護り手がそれを迎え撃つ。
(じっとしてなんていられないわよ)
紫暮兄妹の力を見る日もそう遠くはないだろう。同じく、六花の力を見せる日も。今のうちに鍛えに鍛えに鍛え、損があるはずもなかった。
「……ん?」
再びもたげた闘争心をなだめていると、不意に玄関先が騒がしくなっていることに気づく。ちらりと時計を見てみると時刻は十一時を回っていた。高校生ならありえなくはないが、あまり外出に適した時間というわけではない。
(何かしら?)
好奇心につられ、六花は立ち上がった。疲れた体を引きずりながら庭を回り、玄関先へと顔を覗かせる。
「じゃ、行ってくる。ウガ」
「いってきま~す」
そこにいたのは、およそ普通とは思えない格好の紫暮兄妹だった。
上から下まで闇に紛れる黒一色――靴からジャケットまで漆黒で揃えたそれは、A級以上の魔士にのみ支給される特注の戦闘装束に他ならない。
「おう。いつも通り、何かあればレンに任せるぜ。ま、危なかったら呼んでくれや」
対照的に玄関口へ立つ穿は平常通りの格好をしていた。
確か彼のランクはS2級――雲の上の階級である。当然、戦闘服が支給されていないなんてありえないだろうから、これは憐牙と汀だけの出撃なのだろう。夕飯時にはそんな話は出ていなかったし、急に舞い込んできた任務なのか、それとも定常業務なのか。
「部隊長」
とはいえ、これはチャンスである。
自分でも驚くほど速やかに、六花は名乗りをあげていた。気づいてはいたのだろう、特段の驚きはなく、しかし三人分の視線が自分へと集まる。
「おう六花。修行は終わったのかよ?」
「途中でしたけど、話し声がしたので。それより、汀達はこれからどこへ? もし任務なら、是非私も――」
「見回りだ」
六花の疑問に答えたのは穿ではなく、憐牙だった。腕のブレスレットを弄びながら、つまらなそうに言葉を続ける。
「毎週、水曜と日曜の夜は街を見回ってるんだよ。監視員がいても、過去に事件が起こった所は実地確認した方がいいしな」
「事件?」
「特異点だぜ? 最低でも月に一回は面倒事が起こんだよ。未然に防げる場合もありゃ、起こってから始末する場合もあるってこった」
「……そういうことですか」
この場合の面倒事とは、間違いなく魔鬼関連だろう。奴らが一度現れた場所は、別の個体が現れやすくなると聞いた覚えがある。対策はしているだろうが、念のため見回りを行っているということか。
(でも、それを継続してるってことは、それなりに危険があるのよね。やっぱり)
何の事件もなければとっくに廃止されているだろう。それをしないということは、戦闘機会がそれなりにあるということだ。
「部隊長、経験のために私も――」
「却下」
即答だった。最後まで言わせてすら貰えなかった。
「見回りは当番制で、今週分まではもう決まってんだよ。お前の参加は来週っからだ。そうがっつくんじゃねぇ」
「う……だめ、ですか?」
「当たり前だろ。そもそも新人が現場出るなら、部隊長も一緒って相場が決まってる。レンと競いてぇのは解るが、まずは魔士のルールを護りやがれ」
「あううううう……」
ぐうの音も出ない。
穿が言い放ったのは紛れもない正論であり、新人隊員の六花にとっては我侭を貫き通せるような相手ではなかった。下手に言い募っても心証が悪くなるだけで、参加させてもらえないに違いない。
「解りました……おとなしく牙を研いでます」
「ま、そうふくれんな。暇な時なら修行くらいは付き合ってやるよ。な、レン?」
うなだれた六花は即座に顔をあげた。喜色満面の笑みで、穿と憐牙へ視線を動かす。
「嬉しそうな顔するなよ!? なんで俺がやる前提になってんだ!?」
「いいじゃん。にーちゃん強いし」
「そういう問題じゃない! 大体、汀の組み手も俺だろうが! 楽してんじゃねぇよウガ!」
「あんだよ。一人も二人も変わんねぇだろうが」
「疲れが倍になるわ!」
「そうよ! 先輩ならそのくらいしてくれてもいいじゃない!」
「一番相応しい奴がそこの玄関にいるよ! 俺よりよっぽど強くて年上で今は暇な奴が!」
憐牙の非難を穿は華麗にスルーした。どうやらこういうやり取りには慣れているらしい。
「……もういい、行くぞ。汀」
「んぅ。は~い」
そんな穿の態度にイラついたのか、人生に疲れた声で憐牙は汀を促す。その姿からは六花が現れる前に感じていた覇気は、すっかり消えうせていた。具体的にいうと投げやりな感じである。
戦闘の専門家たる魔士ならば心配ないと思うが、それでも出撃時に好ましい精神状態ではないだろう。
「…………」
むぅ、と思いながら。
結局は責任感に押され、六花は声を張り上げた。
「……気をつけなさいよ!」
答えはない。既に闇へ紛れかけていた二人は驚いたように振り返ると、ひらひらと後ろ手を振って夜の街へと消えた。
言葉で応えるまでもない、ということなのだろう。
「…………なんですか?」
二人が見えなくなってからもしばらく見送っていると、穿が嫌な笑みを浮かべていることに気づく。じろりと睨んで攻撃的に質問してみるも、その程度で怖気づくような相手のはずもない。
「いーや? いいとこあるじゃねぇか、って思ってよ」
「……意味が解りません」
結局、六花は穿の視線から顔を背けた。思わず頬が熱くなる。無論、これは茶化されたからとかそういう子供っぽい理由ではなく、修行の余熱が残っているからだけど。
「ま、そう照れんなよ」
「照れてません」
「認めろって。ま、レンじゃねぇのは残念だろうが、やる気あんなら稽古してやるぜ?」
「え……ほ、ほんとですか!?」
妙な気恥ずかしさなどどこへやら。
飛びつかんばかりに身を乗り出して、六花は語気も荒く問いかけた。
「お、おう。ま、嫌ってんなら別に」
「そんなことないです! 是非、是非お願いします!」
「いや、そんな力まんでも……」
言い出した穿が若干後悔するほどの勢いである。その瞳は逃がしてなるものかという意思を明確に表現し、その気概は百戦錬磨の部隊長をして呆れさせるほどのものだった。
「今すぐお願いします!」
「……まずったか」
穿の呟きは聞こえないフリ。遥か格上と戦える機会を下手な口出しで潰すつもりはなかった。
――A級の魔士を人類の限界とするならば、S級の魔士は笑いながら超人を踏み砕く怪物である。
ましてS2級ともなれば、その中でも選りすぐりの怪物揃いの魔人達だ。人によっては魔鬼より化け物じみていると聞く。
(でも、だからこそいい経験になるわ!)
先ほどまでのトレーニングの疲労も忘れるほどの高揚感。ここ数年で一番の気合と根性で、六花は穿に勝負を挑み――。
僅か十分ほどで飽きた穿に、あっさりと気絶させられたのだった。