第四話 対話
茜色の空。昼と夜の狭間、夕陽が照らし出す幻想的な光景の中を、二つの影が闊歩している。
「ここが保健室。俺達側の人が主だから、今度、挨拶がてら行って来い」
「……」
その二人とはなんと、憐牙と六花だった。
きゃっきゃうふふしながら――ではない。それどころか友好的な素振りがない。憐牙はひたすら事務的に案内を続け、六花は律儀に頷く以外は無言を貫いていた。
(……大体、何で俺が学校の案内を。ウガの奴、俺と六花の仲が悪いの知ってるくせに)
この状況には訳がある。担任の穿が、名指しで案内を命じたからだ。
ここ数日でクラスメイト、合宿仲間共に打ち解けだしてきた六花だが、相変わらず憐牙にだけは若干の敵意がこもった対抗心をむき出しにしている。険悪とまではいかなくても、一緒にいると空気が張り詰める程度には仲が悪いままだ。
それを解消させたいという穿の狙いは解らなくもないが、恐らく無駄に終わるだろう。
六花は頑固だ。そして憐牙も。
意地っ張りが二人揃っても――碌なことになりはしない。
(……そういうわけにもいかないか)
これがただの下宿仲間であれば、憐牙は現状維持を選んだだろう。
可愛い妹、手のかかる友達、頼りになる兄貴分――満足するだけの環境は既に整っていた。六花との仲が悪かろうと構いはしない。
「……六花」
「なによ?」
だが、憐牙の立場がそれを良しとしないのも事実。
きっちり校舎の案内を終えた憐牙は、最後の場所――滅多に人の寄り付かない理事長室の前で、六花と向き合った。
「いい機会だ、ハッキリしとこう。お前は俺の何が気に入らないんだ?」
「……どういう意味?」
六花もまた憐牙に正対する。
多少怯んだのは、こちらの本気を読み取ったが故か。
いい傾向だ。相手を理解するには、言葉でも力でも一度、本気でぶつかる必要がある。
「俺が競うべき相手だから? でもそれなら汀も一緒だよな。俺には及ばないにしろ、あいつだって親父の血を受け継ぐA0級だ。ウガは当然としたって、姫もA0級――ハッキリ言うが、あの下宿だとお前は一番格下だ。それなのに敵視するのは俺だけ。おかしくないか?」
「……」
「だから敵愾心以外にも何かあると思うんだよな、俺は。それがこっちの落ち度ならちゃんと何とかするから言ってくれ」
「…………」
憐牙の言葉に六花が黙る。
図星なのか、それとも他の何かなのか――それは読み取れなかったが、こちらとして言うべきことは言った。このまま六花が黙り続けたとしても、憐牙は歩み寄りの意志を示せたわけだ。
(これならまぁ、ウガも満足してくれるだろ)
そのままどれくらいが経過しただろうか。
やはり、これで解散かと憐牙が思った矢先、六花がぽつりと漏らす。
「……気遣いが足りない」
「は?」
「遠回しに言われるよりはマシだけど、気遣いが足りないのは嫌い。初対面で妙に気安い。授業中寝ていて不真面目。私より強い。鍛錬してる様子が全然ない」
「…………酷い言われようだな」
思わず苦笑した。しかし当の六花といえば、苦笑するこちらに気づかず(あるいは無視して)、段々と声量を上げていく。
「ちょっと! 聞いてるの!」
「聞いてる聞いてる」
「……ならいいけど。趣味は合いそうにないし服に気を遣わないしお箸の持ち方も汚いし――」
「それは言いがかりだろ」
「うるっさい!」
理不尽だ。
「大体、アンタは!」
うがー、と六花がついに吼えた。
あからさまに憮然とした様子で、憐牙の鼻先に指を突きつけ――。
「私と! 一緒のベッドで寝たくせに! 謝罪の一つも! ない!」
やたら小刻みに、そして高らかに、とっても外聞の悪いことを言い出した。
「……お前、あんなことまだ気にしてたのか?」
「あ、あんなことって――!」
思ってもみなかった件を責められ、憐牙がぽろっと本音をこぼすと。
「私はね! 肌を見られたなんて初めてだったのよ!」
「い、いや。ちょっと待ってくれ!」
六花がキレた。しかも全開でキレた時の汀に匹敵する威圧感で。
だが憐牙にとってあれは不幸な事故だ。誰が不幸かといえば、気絶させられた自分。六花も気の毒だったと思わなくもないが、ほぼ自業自得であり責められる筋合いはこれっぽっちもない。
「あれは俺のせいじゃないだろ?」
「っ!?」
と彼は思い、そしてそれは実際に正しかった。
穿に話をしたくらいだから、六花自身もあれは自分が悪いと気付いている。
だから、これは六花なりの歩み寄りだったのだ。
悪いのは六花。それは間違いない。
でも、それでも、許容できない乙女心があった。
それを許すために、六花の肌を見たことに対して、男として謝罪してくれれば水に流すつもりだったのだが――。
「ふざけないで!」
嗚呼無情。
六花の気遣いはご破算となり、特大の音声弾が憐牙を直撃する。鍛え上げているS5級の魔士がふらつくほどに、それはもう容赦のない音量だった。
「女に罪をなすりつけるつもり!? 本当なら責任とって貰わないといけないのよ!?」
「ちょ、ちょっと待て! 責任って俺が何をした!」
「私の裸見たでしょ!」
「見てねぇ!? 下着姿だっただろうが! せいぜい半裸だ!」
「半裸ってことは半分裸ってことじゃない! 半分なら四捨五入すれば裸になるわよ!」
「なるわけあるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫び声の応酬。誰かに聞かれたらそこそこまずい内容だということもすっかり忘れ、二人は互いの主張を大声で言い合っていた。
「なによ! ここまで来て認めない気!?」
「あれはお前のせいだって解りきってるだろうが!」
「こういう時は男が悪者になるのが一般常識でしょ!」
「魔士の世界は男女平等だ!」
「さっきは落ち度があったら直すって言ってたじゃない!」
「今回のは俺の落ち度じゃないだろうが!」
やはり双方共に意地っ張りである。
お互いに不毛な言い争いであることは解っているが、それでも退けなかった。退けば性別のプライドが崩壊するという奇妙な感覚が二人を支配している。
「なによ! やるっていうなら相手になる――え?」
「上等だ! 返り討ちにして――へ?」
が、そんな感覚は一瞬で断ち切られた。
耳元で響く風切音。金属が大気を切り裂くことで起こる摩擦の、甲高い悲鳴のような音。
「あー……」
「ちょ、ちょっと!」
音の正体を悟り、無駄な抵抗を諦める憐牙。
逆にパニックに陥って、無駄に暴れる六花。
どちらも大差なかった。
結局、二人してミノムシのように転がったのだから。
「……お前等なぁ、俺の立場も考えろ。そーゆー話を学校ですんじゃねぇ」
「よ。ウガ」
「ぶ、部隊長……」
やってきたのは穿。音の正体は高速飛行したムルキベル。
もはや慣れっこの憐牙は冷静に挨拶したが、六花は驚愕と恐れに目を見開いていた。
「おい六花。こんなことで動揺してたら、うちじゃやってけないぞ」
「こんなこと!? 神器にぐるぐる巻きにされてるのよ!?」
「あの下宿だとわりと普通だ。全員、巻かれた回数は五回や十回どころじゃない」
「威張っていうことじゃないでしょ!?」
「そんなこと言われてもなぁ。解ける方法があるならとっくに抜けてるし」
「抜けなさいよそれくらい!」
「無茶言うな!?」
恐ろしいことをいう女だ。
憐牙が知る限り、どれほど強大な魔鬼もムルキベルは抜けることが出来なかったというのに。
「というかお前、なんで俺に言うんだ。ウガに言えウガに」
「部隊長に口答えするなんて嫌に決まってるでしょ!」
「俺ならいいのか!?」
「当たり前じゃない!」
「……いい加減にしろっつーの」
『へ?』
穿の呆れた声と共に、視界が歪んだ。同時に襲う強力な酩酊感に三半規管が悲鳴を上げる。自分の体が高速スピンで空中に投げられたのだと理解した頃、憐牙の体は地面に叩きつけられる。
「おいレン。お前等、何で前より仲が悪くなってんだよ?」
「っ、ぐ、う、ウガ……お、お前なぁ……急に何するんだよ」
「外せっつーから外してやったんだろーが。望み通りだろ?」
「投げ捨てたっていうんだよ! 見ろ! 六花なんてぶっ倒れてるぞ!」
「ぐ、う……た、倒れてなんてないわよ……」
思わず憐牙がクレームをつけていると、ゆらりと六花が立ち上がった。常人なら気絶するような豪快に落ち方をしたはずだが、流石に鍛えてあるのだろう。
「そ、それよりも部隊長。どうしてここに?」
しかし、ふらふらしているのは否めない。自分自身でも解っているのか、彼女は弱みを見せたくない憐牙ではなく取り繕うように穿へと声をかけていた。
「お前らがうるせぇからだよ。ったく……余計な手間をかけさせやがって。案内は終わったのかよ?」
「中は一通りな」
「そうか。ンじゃ、ついてこい」
面倒くさそうにため息をついて、さっさと歩き出す穿。
チェーンへ形状退行させたムルキベルをちゃらちゃらと鳴らしながら、ゆっくりと階段を昇っていく。
「……上? どこに向かってるのかしら。部隊長は?」
「屋上だよ。覚えとけ。どうせ、これから何度も来る場所から」
「え?」
目的地を察した憐牙も当然のように後へ続く。
慌てながら追いかけてくる六花が二人の背を捉えた頃、彼らはもう目的の場所に着いていた。
「ここって……屋上?」
「ああ。で、六花。お前、何か気付かねぇか?」
「え?」
物珍しげな六花に穿が質問するも、彼女は聞き返すことで言外に解らないと告げる。
「チッ。結局、解ったのはカズだけかよ。Aクラスの魔士が情けねぇこった」
「な、なんですかそれ! 物凄く失礼ですよ!」
「ウガ。無理もないと思うぞ?」
憐牙は呆れながら六花をフォローした。ぎゃーぎゃー騒ぎたてる彼女は気づいていないが、穿の表情は完全にブラフ。本気で落胆しているわけではなく、単純に六花の反応を見て面白がっているだけだ。
「わーってるよ。カズは仕方ねぇにしろ、俺やお前、六花も解らねぇってことは、逆にここの隠蔽工作がそんくらいのレベルってことだ。嬉しい限りだぜ」
「……じゃあ言わないで下さいよ」
拗ねたような声。穿は悪い悪いと苦笑した後、おもむろに右足を振り上げた。いつもの周期より若干早いが、新入りに見せておこうという魂胆らしい。
「!?」
六花が瞠目する。振り上げた穿の足には、視認できるほど濃密な霊力が集中していた。鉄板の仕込まれたシューズが霊力を反射し、発光体のように青白く瞬く。
【発動】
言霊と共に、打ち下ろされる右足。
中国拳法では震脚と呼ばれる動作で、穿の足と地面が触れ合い――同時に瞬きが屋上を伝播した。光り輝く霊力が定められた道筋を駆け巡り、手練の魔士をして見抜けなかった秘密の正体を明らかにしてゆく。
(相変わらず、訳解らんな)
事実だけを述べるのなら、穿の霊力を受けて顕現したのは記号の塊だった。
円があり三角があり星形があり文字があり記号があり――あるいはその全てが複雑怪奇に融合した、幾何学模様というのも憚られる無茶苦茶な絵姿。
「これって……結界?」
六花が呆然と呟いた。そう、子供の落書きの方がまだ整合性が取れていると思わざるを得ないこの複雑文様は、世界を分割する“結界”を構成する魔法陣の一つなのである。ちなみに、適当に描かれたというのはスキルの足りない憐牙の感想であり、この道のエキスパートである一姫に言わせれば、思わず頬ずりしたくなるほど精緻にして美麗な一品らしい。
「結界の大基点。見るのは初めてか?」
「は、はい」
「ま、普通はそうか。こんだけ大規模なのはそうそうお目にかかれるもんでもねぇし……ンでこの結界は一週間に一回、俺らの中の誰かが見に来ることになってる。何かあった時に備えて、基本は二人以上でな」
未だ呆けた表情の六花へ穿は淡々と説明を始めた。一々、驚きには付き合っていられないということなのだろう。
ちょっと冷たいと思わなくもなかったが、戦いでは驚愕が死を招くことも往々にしてある。
六花は少し素直すぎるきらいがあるから、穿の態度から身を以て知った方がいいのかもしれなかった。
(まぁこのじゃじゃ馬が気づくかは知らないけどな)
憐牙が肩をすくめたのと同時、穿の説明も終わる。こちらを視線で伺う部隊長に頷きを返すと、欠伸交じりに彼は歩き出した。
「案内も終わったし、帰るか。俺もめんどくせぇから一緒に行くわ」
「あいよ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
穿に追随しながら、憐牙もまた歩を進める。聞きなれてしまった怒鳴り声の主も、後ろからついてきているようだった。どの道、帰る場所は同じだ。
(まぁたまには一緒に帰るのもいいかもな。あくまでたまには、だけど)
この後、憐牙は下手にフラグを立てるものじゃないと後悔することになるが、それはまた別の話である。