第三話 予感
で、それからどうなったかというと。
「…………」
納得できないまま、憐牙は自分の席でため息をついていた。一部を除いたクラスメイトがお祭りのように騒ぎ立てているのを遠目に見つつ、もう一度ため息。
――私立"朱宮学園"。その二年D組に憐牙は所属していた。一つの裏事情を除けば取り立てて特徴のない普通の学校で、構成人員の大半は当たり前だが普通の人達が集まっている。
だが憐牙や汀のように普通じゃない。
否、裏事情によって集められた人間というのも少数ながら存在するわけで。
「あー」
そんな裏事情によって集められた人間。黒板の前に並んで立っている二人も、その一派である。
「見て解ると思うが」
憐牙のクラスで担任を受け持っている穿と。
「転校生を紹介する」
彼の簡潔な言葉によって紹介された、黒髪ツインテールの少女。学園の新たなメンバーとして加わった姿は、当たり前だが見慣れた制服である。まぁ彼女自身が見慣れないためか、その姿に違和感はあるが。
「もうすぐ期末テスト、その後に夏休みっつー微妙な時期だが、まぁ適当に仲良くな」
それで言うことは終わりということなのだろう。穿は彼女の背中を軽く押すと、やや強引に一歩前へ進み出させた。
(自己紹介しろってことか)
普通は黒板に名前を書いてやったりするのだろうが、そこはそれ、このクラスの担任は穿である。
そんな面倒なことをするはずもなく、ただ横で見守るのみ。放任主義というのか無責任というのかは個人の裁量にお任せしよう。
ともかく意外と素直に少女は一歩前へ進み出た。やや緊張した面持ちなのは致し方ないだろう。憐牙だって三十人もの人間を前にして自己紹介しろなんて言われたら絶対に緊張する。
(そういや、昨日もそうだったな)
精一杯ではなく、本当に少しだけ緊張した面持ちの少女。
その微妙な位置の表情は、憐牙が昨晩見たのとまったく同じモノだった――。
◆◇◆◇◆
「は?」
汀の見事な投本でノックアウトさせられて数時間。
昼飯も残っていないような時間になってようやく目覚めた憐牙は、リビングのソファーでマヌケな声を出していた。
「なんだって? ウガ」
「だーかーら」
そんな状況で発された問い返しに、穿は面倒くさげに親指で少女を指し示して。
「そいつは新しい仲間だって言ったんだよ」
再び憐牙が思考停止するのに、充分なことを言い出した。
「………………」
自分もバカではない。穿がどういう意味で仲間かと言っているのかはすぐに悟れたが、そのあまりにも唐突過ぎる展開が信じられなかった。
(魔士だっていうのか? こいつが?)
"魔士"――異界の怪物である"魔鬼"を滅ぼす戦士の一員。
遥か昔より連綿と続く人類の護り手、神話の体現者。
無論、他の魔士を見たことがないわけではない――というか、この下宿で共同生活をしている四人は全員がそうだった。そういう意味では見慣れた人種だが、絶対数の少ない魔士がこれだけ固まっているのは、明らかに異常である。
(一箇所に五人、だぁ? そんなバカげた話があるのかよ?)
空前絶後、前代未聞の異常事態といってもいい。
「月詠家、知ってんだろ?」
そんな胸中を察したのか、穿がつまらなそうに吐き捨てる。
「……あの月詠か?」
「あの月詠だ」
その一言で理由を悟った憐牙は、思わず少女の方を見やる。やや緊張した面持ちの彼女は、自分の家のことを言われてもまだ無言を貫いていた。
(月詠家、ね)
――月詠家。古き血を伝える一族。
平安より代々魔士を輩出してきた、歴史と栄光を持つ名門中の名門。
魔士は神器を扱う才能、"霊力"の有無が血で左右される。霊力がなければ神器は扱えず、魔士になることも出来ない。月詠はその優れた血によって多くのS級魔士を生み出し、無数の魔鬼を葬り、"協会"にも絶大な発言力を持ち続けてきた。
……とは言っても、それは過去の話。
ここ百年ほどの月詠家は芳しくない。輩出した魔士の絶対数は大幅に減少し、S級魔士ともなればさらに数は落ち込んだ。今では名家というより没落貴族と捉える人間も少なくない。
「で、あの子がその月詠だって?」
それだけの情報を憐牙はずらずらと頭の中へ並びたて、ため息をつきながら立ち上がった。ソファーから穿の正面に座り直し、話を聞く体勢を整える。
「ああ。ほら、自己紹介しな」
少女の方に体を向けて穿が促す。彼女はしばし逡巡していたが、やがて蚊の鳴くような音量でぽつりと呟いた。
「……月詠六花」
「…………終わりかよ」
思わずツッコミを入れた憐牙にも答えることなく、少女――六花は、それで言うことが全て終わったとばかりに再び口を閉ざす。
(まぁいいか)
なんだか随分と嫌われているようだったが、とりあえず気にしないことにして憐牙は頭を切り替えた。今は六花の心情を探るよりも穿に現状を聞くほうが重要である。
「で、ウガ」
「あん?」
「仲間って言ったけど――」
「ああ。さっき協会から正式に連絡があった。転校手続きも済ませてあるはずだから、明日からお前等とクラスメイトだな」
「……マジかよ」
なんてことなしに告げる穿に対し、憐牙は思わず頭を抱えた。
転校するということは、常駐メンバーになるということである。一つの街に四人いることですら稀だというのに、五人もの魔士が在住するなんてのは、統括地区本部でもなければありえなかった。
「確かに盆までもう一ヶ月切ってるけど、去年だって何とかなっただろ? 増援なんて必要ないと思うけどな」
一年に二度ある盆の時期は一時的に異界が近付き、魔鬼が大量発生しやすい。故にその時だけは協会からアウトローの魔士が臨時派遣されることはあるが、去年を四人でなんなく切り抜けた憐牙達に派遣する意味はない。
「それならもっと他の県にでも――」
「まぁ落ち着けレン。お前が気絶してる間に協会から話を聞いてみたら、月詠だけじゃなくて蒼司さんも一枚噛んでるみたいなんだよ。そんじゃ断るなんて出来ねぇだろ?」
「――親父が?」
至極真っ当なことを言っているはずの憐牙はしかし、そんな穿の一言で眉根を寄せることになってしまった。
憐牙と汀の父親、紫暮蒼司は協会最強の称号を受けた三大魔士の一人。非常に面白みのない、質実剛健の堅物だ。尊敬はしているが、憐牙にとって苦手な人物と言えば真っ先に彼がやって来る。
ついでに穿の後見人で直属の上役にも該当していた。蒼司が噛んでいるのであれば、確かに穿が断ることなど出来るはずもない。
「……でも、何で親父はそんなことを?」
しかし無駄なことを極端なまでに嫌うあの男が、何で戦力をわざわざ無駄に集中させるのかは激しく疑問だ。憐牙の記憶が正しいなら、相手が月詠家であろうと真っ向から反対する性格のはずなのに。
「ああ、それは――」
「私が頼んだの」
疑問に答えようと、穿が口を開いた瞬間に六花が割り込んだ。
先ほどの小さなモノとは違うその声は、どこか熱が入って力を感じさせる。
「お爺様に、どうしても紫暮兄妹と競い合いたいって」
「……俺らと?」
「ええ。十年前の大戦で並み居る名門を押しのけて、第一の戦果を挙げた英雄――紫暮蒼司の血統を継いだ秘蔵っ子、紫暮兄妹……特に同年代最強の評価を受けた兄に、どうしても負けたくなくてね」
真っ直ぐにこちらを射抜く六花の瞳。隠すつもりもないのか、満ちる敵愾心に憐牙は思わず苦笑した。
「……月詠家って随分と買いかぶるんだな。俺なんて親父の足元にも及ばないってのに」
「謙遜はしないで。それに同年代で唯一S判定を受けているアンタが言っても嫌味にしかならないわよ」
「そりゃそうだ」
何故か六花に同意した穿を横目で睨みつつ、憐牙は胸中で納得する。蒼司は向上心の強い若者を好んでいた。真っ直ぐに競い合いたい、という六花の頼みが彼のお眼鏡に適ったのだろう。
「ま、そんなわけだ。六花、継承者の底上げを望む月詠家、それに蒼司さんと三人の利害が一致したんだよ。で、俺としては断る理由もないから了解した。レン、異議があんなら聞くぞ?」
「ないない」
憐牙は答えながら肩をすくめた。
そういうことであれば不満はないし、もし異議があったとしても却下されるのが関の山だろう。
魔士としてはS5級の判定を受けている憐牙だが、さらに高いS2級の判定を受けて部隊長となっているのは穿だ。発言権や決定権は当然だが彼の方が断然強い。
その辺のことを弁えないほど、自分は子供ではないつもりだ。
「随分と急な話にだなぁって思うくらいだよ、俺は」
本当にそのくらいである。兄妹ともども穿には昔から世話になっているし、とんでもないことを言い出さない限り、異議を唱えるつもり毛頭ない――って。
「何でいきなり俺を睨んでるんだよ」
「……別に睨んでないわよ」
「いや睨んでるだろ」
「睨んでないっ!」
「………………」
憐牙には睨んでいるようにしか見えないのだが、六花は認めようとしない。拗ねた時の汀に似ているような気がしないでもないが、何故だろう。
「……ついでに何で笑ってんだよ。ウガ」
「あー悪ぃ悪ぃ。思い出し笑いってことにしといてくれ」
「………………?」
意味が解らない。六花が憐牙から穿に睨みの対象を変えたから、恐らくは彼女絡みなのだろうが、六花についての情報がまったくないので推測することも出来なかった。
「あー、ンで憐牙。さっきの話だけどよ」
「ん? さっきの?」
「何でこんだけ急な話になったかって奴」
「ああ。何でなんだ?」
何故かまた六花が睨みの対象を自分へと変えてきたが、もう憐牙はつっこまなかった。彼女を気にするよりも穿の話を聞いた方が早そうだし。
「協会が辞令出すのも転校の手続きするのも結構面倒だろ?」
「ま、本来はそうなんだけどな。この話自体前々からあったのと、月詠と蒼司さんの力押しで面倒もなく、トントン拍子で正式な話が通ってたんだよ」
「……それが何でこんなジェットコースターみたいな慌しさになるんだ?」
実際に部隊長の業務を憐牙はこなしたことはないが、常駐する場合の正式な手続きのやり方くらいは知っている。協会に要請を出して妥当性を審議し、派遣先となる部隊長へ事前連絡で了解を取る――というのがそのやり方なのだが、今回の場合はその部隊長たる穿が事後承諾の形を取らされていた。
トントン拍子で進んでいたのなら、そのまま話を進めればこんな面倒もなかっただろうし、何より憐牙も汀によって気絶させられるなんてことにはならなかったはずだが。
「ま、本来の予定は夏休みが終わって二学期になってからだったらしいんだが――」
そう穿は前置きして、ちらりと六花を見やった。すぐさま彼女が視線を逸らしたところを見ると、やはりというか原因は六花にあるらしい。
「……何を思ったのか、月詠のお嬢様は話が全部通る前にこっちに来ちまったわけだ。おかげで最後は思い切りの力押し、権力振りかざしてゴリゴリねじ込む形で辞令が出たんだよ」
「…………」
穿の説明で少しだけ痛くなった頭を押さえ、憐牙は半眼で六花を見やった。二人の視線に顔を背けたままの六花は僅かに頬を紅潮させ、ぽつりと呟く。
「……善は急げって言うでしょ」
「急ぎすぎだ!」
「な、なら兵は拙速を尊ぶって言うじゃない! 兵法の基本よ!」
「奇襲でもする気かお前は!」
「な、なによ! いいじゃない別に!」
「良くないわっ!」
議論とも呼べない言い合いをしている内に、憐牙は思わず立ち上がっていた。同じように立ち上がった六花を正面に据えて、真っ赤な瞳と近距離で睨みあう。
「…………」
「…………」
一触即発というのは少々言いすぎだが、険悪な雰囲気には違いない。呆れたようにあくびをしている穿を前に、二人が再び口を開きかけたところで――。
「んー……うるさい~……」
寝ぼけ眼の少女が、ごしごしと目をこすりながら入ってきた。
腰まで届く茶髪に、どこか眠そうな翠の瞳。下着にワイシャツのみという扇情的な寝巻き姿で入ってきた彼女こそ、地上稀に見るものぐさ娘にして、下宿メンバー最後の一人――野乃崎一姫である。
「カズ。寝すぎだお前」
「ん~……眠い」
恒例の忠告にも動じず、きょとんとしている二人にも気付かず、一姫はそんな返答をしながら椅子に座った。すぐさま机に突っ伏したところを見ると、どうやら寝ていたところを憐牙達の大声で起きてしまったらしい。
あくまでマイペース。いつも通り、天然一姫節全開だ。
「……なんか力抜ちまったな」
「……同意するわ」
そんな一姫の様子に毒気を抜かれ、二人は脱力しながら休戦協定を結んだ。そのまま憐牙はやれやれと椅子に腰を下ろしかけ――しかし、一つだけ聞きたいことがあったのを思い出して口を開く。
「なぁ」
「……何よ?」
またケンカを売られるとでも思ったのか、六花の口調は刺々しかった。だが憐牙の聞きたいことを止めるほどの威力はなく、故に彼は躊躇わず声を出す。
一番不思議だったことを、不可解だったことを聞くために。
「何で俺のベッドで寝てたんだ?」
だが、それはどうやら地雷だったらしい。
「っ!」
憐牙の言葉に六花は一気に頬を紅潮させると、先ほどを遥かに上回る形相でこちらを睨んできた。その視線は厳しいなんてものじゃなく――呪詛でも込めているのかと疑ってしまうような激しさである。
「……忘れなさい」
「は?」
「い・い・か・ら! 忘・れ・な・さ・い!」
「は、はい」
ついに六花が殺気まで立ち上らせ始めたため、ほぼ反射的に憐牙は頷いていた。忘れなければ殴ってでも忘れさせると真紅の目が雄弁に物語っていたから、他の選択肢なんてなかったのだが。
「……ふんっ」
そんな憐牙の様子に一つ息を吐くと、足音高く六花はリビングから出て行った。若干、頬が紅潮したままだったので恥じらって逃げる乙女に見えなくもない。
(いや、乙女はあんな殺気出さないから)
そう胸中で自問自答して、憐牙は再び腰を下ろしかけ――。
「あと!」
「うぉ!?」
行った時とは対照的に足音もなく戻ってきた六花に、思わず飛び上がってしまった。しかし彼女はそんな憐牙の様子に頓着することもなく。
「これからよろしく!」
そんな一言だけを残し、今度こそ立ち去っていった。
念のため数秒ほど待ってみるものの、もう戻ってくる気配はない。
「…………なんなんだ?」
「生真面目なんだろ」
思わず呟いた一言に、一姫覚醒中の穿が適当な返答を寄越した。
そのまま作業(一姫の頬を引っ張る)を続けながら、彼は続けて声を出す。
「レン。お前、暑いからって窓開けて寝るだろ?」
「ん? ああ。そうだけど……」
憐牙の部屋にはエアコンどころか扇風機すらない。汀にはよく怒られるが、この暑い時期に涼しさを得るために窓を開けておくのは必要不可欠だった。
「それがどうかしたのか?」
「月詠の本家な、隣の県にあんだよ」
「……そうなのか?」
「ああ。で、家の目を盗んで飛び出してきたお嬢様の移動手段ってなんだと思う?」
「電車やバスだろ?」
「ま、普通はそうだわな。月詠もそう考えて、交通機関は張ってたらしいんだが……よりにもよって六花はずっと走って来たみてぇなんだよ」
「――は? 走って来たって隣の県からか?」
「ああ。で、調べてあった住所に一昼夜走り通しで辿り着いたのはいいけど、もう深夜で鍵が閉まってるわ、チャイムはないわで途方に暮れてたんだと」
「…………」
何故だろう。六花のことなんてまだ全然知らないのに、その時の様子が手に取るように解ってしまう。
「そんな時にお前の部屋の窓が開いてたのを発見。疲れきった体で窓から中に入ったけど集中が途切れてバタン。図らずしも同衾になっちまったわけだ」
「……下着だったのは?」
「服着てると寝れないんだと。ま、素っ裸じゃなくて良かったな。そうだったらお前、絶対にナギか六花に殺されてるぞ」
「…………」
今度は本格的に痛み出した頭を抱えて、憐牙は深くため息をついた。
家を飛び出したことといい、走りで県境を越えたことといい――どうやらあのツインテールのお嬢様は、相当のトラブルメーカーらしい。
「なぁ」
「ん?」
「とばっちり受けた俺って不憫だよな?」
「その分、眼福だっただろ?」
「そりゃそうだけど――ってそんなんじゃないって言ってるだろうが!」
「っと。カズ、今日から一人仲間増えるけど仲良くしろよ?」
「ん~…………ん」
こちらの反論を全然聞こうともしない穿と、寝ぼけたままでとりあえず頷いた一姫が印象的だった。
◆◇◆◇◆
「……」
昨夜の回想終了。今更ながら六花のとばっちりを一人で受けた自分って物凄い不幸のような気がするが、本当に今更なので憐牙は考えないようにした。
(……にしても、賑わってるな)
どんな学校だろうと、どんなクラスであろうと転校生が来れば活気付く。
それは当たり前のことだろうが、六花が自己紹介を終えた瞬間の盛り上がりちょっと普通じゃなかった。それが主に男子だったことに半ば納得、半ば呆れながら教室中を見回す。
「…………」
窓際最後尾が憐牙の席であり、その真横で勉学を共にしている汀は何故かこちらを睨んでいた。軽く手を振ってやってみるとあからさまにそっぽを向く。この状態に入った汀を見るのは久しぶりだが、それでも日常の範囲内だ。
(何を拗ねてるんだか)
複雑な表情の妹に苦笑しつつ、憐牙は視線を前列に移した。騒ぎ立てるクラスメイトを尻目に机に突っ伏した姿を見てさらに苦笑を深くする。
「くー……」
陽気に包まれた一姫は、いつものように夢の中だった。クラス全員どころか、担任の穿まで起こさない辺りがいかに日常かが見て取れる。
最後に憐牙は教卓へ視線を移した。当然だがそこには放任主義全開の穿と、こちらの視線へ真っ向から対抗し始めた六花の姿がある。
「………………」
にわかに活気付いたクラスの隅っこ。ついに教室から視線を外した憐牙は空を見上げて。
何となく。
本当に何となく――面倒なことが起こるのではないかという気がしていた。
ここまでで本来は一章です。