第9話 妖×グルメ
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自分がいったい何を目の当たりにしたのか、それが理解できず、だからこそ恐怖が襲ってくる事はなかった。こんな所にこんなものがいるわけがないという常識が私を恐怖から守っていた。だからこそ、恐怖を忘れ去ったかのように呆然とした声だけが私達の口から紡ぎだされたのだった。本来ならば叫び声であっても良かったであろうにも関わらず、である。
蝋燭の光に照らされるそれは頭蓋であった。
カウンターの後ろに置かれた棚の一番上にそれらが並んでいた。
蝿の、蚯蚓の、蜥蜴の、蜘蛛の、蟻の、蜻蛉の頭部が。魚の、犬の、猫の、牛の、馬の、人の、エルフの、コボルドの、オークの、リザードマンの、全く知らない想像の付かないようなのの頭蓋が。その中には角の生えた小さいドラゴンのそれもあった。やはりここは地獄で、ここを訪れた者達は頭蓋にされてしまうのではないか?そんな非常識な思いが浮かんでくる。少し前に非常識的な魔法なる存在を知ってしまったがためかもしれない。
そしてその下の段には瓶に詰められた……あれは何だろうか。それに対し、想像を巡らせる前に声が掛かった。
「いらっしゃいませ」
声はカウンターのさらに奥からだった。声に合わせ、細身の割烹着姿の男が現れた。その姿を見て一瞬安堵する。置いてあるものは物騒だが、ここは定食屋で間違いないのだなと。
呆然と入口に立ち並ぶ私達を誘うように手招きし、スツールへと座りやすいようにしたのだろうか。カウンターに二つ、カップを置く。
「こんなに時間にようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへいらしてくださいな」
誘われるがままに二人が座れば、柔和な笑みを浮かべて声を紡ぐ。篝火に照らされる細身の男から紡がれた声は少年のようでいて、けれど酷く大人びたものだった。年の頃は私やアルピナ様とはそう大差ないように思える。
「あの、私はカルミナと申します。……その学園の依頼で」
「あぁ、そうでしたか。それはそれはどうもご丁寧に。私はリオンと申します。どうも手が空きませんで。変な依頼を出してしまいましたね。学園からの依頼承りますというご案内があったので、ついつい頼ってしまいました。依頼、受けて頂いてありがとうございますね。さぁ、どうぞまずは御礼に食事でも」
「いえ、その……実はですね」
この場所を探すのにさらに時間が掛かった以上、雪はもはや解け切った頃だろう。冬季でもない中で大量の死体を入れた頭陀袋では腐敗が始まりかけていてもおかしくはない。これで駄目ならまた取り行こうと思う。そんな風な事を伝え、ついでアルピナ様が私の事を庇おうと口を開こうとしたのを男は手で止める。
「あぁそういえば雪漬けと書きましたねぇ……まぁ要はその日のうちに持って来てくれれば良かっただけですので、そんな事でしたら構いませんよ。寧ろ個人的にはそれぐらいがちょうど良いと思いますので。とりあえず、見せて頂けますか?」
「……はい」
肩に背負った頭陀袋をカウンターにおけば手なれた手付きでひょいと男が持ち上げ、中を見て、首をかしげる。それは、寝ぐせなのだろうか猫の耳のような髪型をしている所為で酷く可愛らしささえ覚える程だった。
「……この匂い」
僅か鼻をひくつかせ、リオンさんが笑みを浮かべる。
「面白い物が入ってますねぇ。……ま、それはそれとして、ひとつ、ふたつ、と」
ぬめぬめとした透けそうな程白いアモリイカをカウンターの向こう側、そのまままな板になっているようで、その上に並べていく。その頭陀袋の中から出てくる物に興味をそそられたのかスツールに膝を置き、アルピナ様がほほぅと目をキラキラさせながら見ていた。
「なんじゃ、カルミナよ。こんなぬるぬるした気味の悪い生物をとっておったのか。面白い奴じゃのぅ。こんな依頼を出すお主もじゃがな!一体何につかうのじゃ?よもや料理に使うとはいわんだろうのぅ?」
カカッと笑みながらのその偉そうな発言に、リオンさんは笑みを浮かべる。
「墨を取ったりもできますけどねぇ。まぁ、一般には食用ではないとは言われておりますので普通の方は食べませんものね。そういう反応をされても致し方ありませんか。この気味の悪いものが中々美味しいのですよ。試してみますか?」
「ほほぅ、そこまでいうならば試してやろう」
ふふん、と格好をつけるアルピナ様であったが、吐き出すのは目に見えている。
が、アルピナ様にとって初めての店で初めての食材。気持ち悪いだとか普通は食べないだとかそんな事は気にならないのだろう。もっとも、私もあまり気にならない性質であり、御同輩したいものである。
よっつ、いつつ、むっつ、一匹、ななつ、と並べた所でおや?となり、一匹カウントされた罠に嵌っていた甲殻類を手に取りむむ?とリオンさんが顔を傾ける。やはり猫の耳のような髪が可愛らしく見える。
「あの森でバクランエビ……これは頂いても?」
「あ、はい。リオン様のご自由にして頂ければと思います。アモリイカを罠に掛けた所一緒に入ったらしくて……折角ですから持ちかえろうかと」
「様は結構ですよ。それにしても良い判断です。あの森に来て寒くて冬眠でもしたのでしょうね。たまたまその罠の下にいたのだと思います。ともあれ、報酬は上乗せさせて頂きます。それとアモリイカ達も十分な型と品質です。ありがとうございます。この少し多めのアモリイカに関してはどうしましょう?依頼と同額で引き取って宜しいでしょうか?一匹千クレジットでしたっけ?」
「あ……はい。そうして頂けるならば是非」
つい身を乗り出してしまった。調理方法も分からないバクランエビとやらとアモリイカを持っていても確かに意味は無い。正直火で焼けばなんとかなるだろうという程度だったのだから。それが金を出して買い取ってもらえるなら恩の字である。千クレジットもあれば一食食べてもおつりがくる。
「では商談成立と言う事で……あぁ、依頼でしたっけ。これは。でしたらえっと……依頼書?に私がサインなど入れる必要があるのでしょうか?」
「あ、はい。お願い致します」
服の下、胸元に隠しておいた、吐瀉物により薄汚れた依頼書をリオン様にお渡しする。一瞬、ぎょっとしたリオンさんであったが大して気にもせずそれを開き、どこからともなくペンを用意してサインを入れる。質、時間ともに十二分であるとの旨も記載して頂いていた。
ほっと胸を撫で下ろす。
色々あったけれど、これにて初任務達成。少なからず感慨深さが湧いてくる。
そんな私の感慨には興味がないとばかりにアルピナ様が私ににじり寄ってくる。
「なんて所に隠して居るのだお主……自慢じゃな。自慢なのじゃな」
「いえ、単に頭陀袋の中だと生臭くなるかと思いまして……」
結局吐瀉物で汚れたが。そんな風にわいわいやっている間にリオンさんがアモリイカ一匹以外を持って一旦奥の部屋へと向い、単に置いてきただけなのだろう、すぐに戻ってきてカウンターからは見えない場所から包丁を取り出す。
「さて。今すぐ調理をするのも構わないのですが……」
と言いながらリオンさんが私を見つめる。
「取引と致しませんか?カルミナさん」
いきなりそんな事を言ってくる。
その行き成りの雰囲気にアルピナ様がまたぞろ好奇心を湧き立たせたようで、またもにじり寄ってくる。
「その頭陀袋の中身、譲っていただけはしませんか?完品の相場は確か、今だと五百万クレジットといった所でしょうかね。なので……百ほどで如何でしょうか?」
「ちょっ、ちょっと待って下さい」
つい先ほどまで千、二千という以来の話をしていた後でのその数字に私は戸惑いを隠せない。確かにその中身は高いものなのだとは思うが、それとて肉の部分だろう。内臓にそんな価値があるとは思えない……と思った所でカウンターの向こうが目に入る。
頭蓋の下に並んだ瓶の中身が今、分かった。
内臓だ。
頭蓋と内臓。まるで教会の方に聞いた邪教徒の住処だったのでは?とさえ思ってしまう。温和な、柔和な笑顔の奥にそんな素顔が隠されているのだろうか?そんな風にさえ……いや、それは失礼だ。しかしだ。しかし、それ以前に何故中身がそれだとリオンさんは分かったのだろう。
「むむ。安いですか……確かに軽々しく手に入るものではありませんしねぇ」
「あ、いえそうではなくてですねっ!中身も確認してないですし、それにあれにそんな値段が付くなんて思ってもないだけです!」
その言葉に、あぁ、そうか。とリオンさんが頷き、アルピナ様は何かそんな面白い物を隠していたのか?と私を視線で責めていた。
「ふぅむ。話はようわからんが、出せば良いのじゃろう?ほれ、リオン出してみよ」
「承知で御座います」
流れるような二人の掛け合いに頭陀袋から、エリザに貰った袋が出てくる。瞬間、むわっと漂う腐った野菜のような匂いが鼻につき、アルピナ様が鼻をつまむ。
「こ、この匂いあれか?プチドラゴンか?」
そういえば先ほどプチドラゴンの血がまずくて飲めたものではないと仰っていた。
嫌そうな顔をし、けれど……次の瞬間には真剣な顔になっていた。背筋が自然と伸びる。これが皇族の視線なのだろうか。
「カルミナ、これをどこで手に入れた?この鼻に付く匂い、お主の物言いからすればあの森だと推定するが、合っておるかの?」
「はい。リヒテンシュタインがエリザベートと二人で森の中を徘徊しておりましたプチドラゴンを制圧致しました。その件に関しましてはエリザベートが王都に到着後すぐに連絡させて頂いております」
「あいや、そのように硬くなる必要はないのじゃ」
すまんすまんと軽口を言いながら頭を掻く。
「森の辺りに穴でもあるのかのぅ?そんな報告は聞いたことないが……いや、先の地震があったか。あれでもしや……調査団の派遣は必要かの。ともあれ、いやはやしかし、二人でとはのぅ。その首飾り気にはなっておったが、この肉の持ち主のものか」
「はい。地上だったのが幸いしたのではないかとエリザベートが言っておりました。たまたま張っていた罠も少しは役に立ったみたいで」
「ふむ。だからといって早々易々やれるものでもなかろう。それにあの皮は鉄でも中々」
そこはこれ、と腰元に刺した包丁を見せれば今度はリオンさんが反応する。
「それはまた良い包丁をお持ちで。料理人としては戦闘にお使いになるのはどうかと思いますけれども」
苦笑だった。
「ま。詳しくはリオンの料理を摘みながらにさせて貰おうかのぅ」
「あいえ、その前にカルミナさん、改めて商談です。如何でしょう?」
「あの金額に関してはお任せ致しますが……その、私にも食べさせて頂けますか?昔から内臓が……好きでして」
「なるほど。それで内臓を……取引完了ですね。ありがとうございます。金銭に関しては帰り際にまとめてお渡しいたします。今はただこの時をお楽しみください」
恭しく一礼し、アモリイカと臓物が並ぶ。
その事にアルピナ様が僅か顔をゆがめる。プチドラゴンは吐いた思い出があるからだろう。だが、それでも止めないのは……
「御大層な頭蓋やら内臓やらを悪趣味に陳列させた単に趣味の悪い食事屋かと思うたが、これらはすべて食材か……」
である。
「その通りでございます。本店はしがないゲテモノ料理屋でございます。名はキプロスと申します」
「覚えるかどうかはわからんのぅ。じゃが、カカッ。もはやまともな食料、まともな料理店は全て試みた所だったからのぅ。そういう方面に手を出して見るのも良いだろうて」
アルピナ様の挑発的な、挑戦的な視線がまるでそよ風だというが如くリオンさんはアモリイカを解体し、体よりもなお透明な何かを体から取り出す。そして、プチドラゴンの内臓を分けていきながら、残っていた血を用意していたコップの中へと。そのコップの中身にまたぞろ微妙な顔をしたもののアルピナ様の喋りは止まらなかった。
「ゲテモノ料理、アルピナ皇女殿下に食して頂くに足るものかどうか。お試し願えればと」
アモリイカの体から抜いた透明な部分をぶつ切りにしながらその上にプチドラゴンの血液を塗る。何なのだろうその調理に満たない子供の手慰みに遊ぶようなものは……。まだ焼いた方がましなのではなかろうかと思うが、既に取引は終わったのだ。後は座して待つのみである。
「ふむ。流石に分かるかの」
「曲がりなりにも帝国領内に店を構えておりますからねぇ。それにアルピナ皇女殿下は何かと有名であられる」
「皇女殿下はやめい」
「では、アルピナちゃんと」
「ちゃん!?」
アルピナがえ、何?どうしてそんな事になったのおかしくない?とばかりに呆然としている間に有無を言わせずリオンさんがカウンターへと料理を出す。
「さて、まずは食前にお一つ」
出された手前タイミングを逸したアルピナ様はスツールに座り、目の前の料理を見る。
見て、困惑する。
そういって出されたのはアモリイカの透明な……多分骨なのだろう。骨の上にプチドラゴンの血液を載せ、さらに何かを粉上の物を振りかけ、そしてその周りを囲むのは揚げられた……何?と思っている間に、アルピナが皿を手に、リオンさんに視線を送る。
「リオン、主食以外はさすがにのぅ」
流石に全品吐き出すつもりはないらしい。が、それに対するリオンさんの返答はこれまた度を逸していた。
「ふむふむ。アルピナちゃんの鼻は詰まっていると見えますね」
先のアルピナ様への仕返しだろうか。言われたアルピナ様は溜まったものではなく怒り心頭……にはならず精々こめかみがぴくぴくしているぐらいだった。多分きっとアルピナ様、打たれ弱いというか沸点が低い。
そんなアルピナ様を無視して皿を持ち、鼻をひくひくとさせれば、僅かに香る甘い匂い。
「甘い……」
アルピナ様からはドラゴンの血液は野菜の腐ったような匂いや味がすると聞いている。加えてアモリイカはこれまた生臭い匂いだ。にもかかわらず何故それらを重ねると甘い匂いが発生するというのか。それはもしや振りかかった粉とこの周りの揚げられた何かの所為なのだろうか?論理的に考えれば間違いなくそうだった。だが、しかし、それで説明が付くだろうか?
試しに、と小指の先に粉を付け……舐めてみようと口元へ持っていけば、
「が……ぅぅ」
「お、おいどうしたカルミナ」
強烈な匂いに吐き気が催され、耐えられず皿をカウンターに置けば……即座に収まった。 それは波が引くような速度で一瞬の事で、つい先ほどの吐き気は夢のようにさえ思えるほどだった。だから、きょとん?としてしまった。
「え、あれ?」
「なるほど。好奇心旺盛ですね。ですが、なんでもかんでも口に入れるのは感心しかねます」
「おい!?」「定食屋ですよね!?」
二人の突っ込みにも動じず、リオンさんは小首を傾げ、先を促す。
不安だった。とても不安だった。
だが、アルピナ様と向き合い、頷き合う。こうなれば最後までがんばろう、と。お互い吐瀉物まみれになったとしても良いとしよう、と。硬く誓い合う。奴隷と皇女に友情が産まれた瞬間であった。酷い瞬間だと、そう思う。
「……周りの揚げてあるものだけ食べて下さい」
言いざま、自分の分も作っておいたのだろう。カウンター側から皿を持ちあげ、透明な骨を囲む揚げものを手に取り、咀嚼している。
「ふむ。大丈夫そうじゃの……ま、私にとってはわからんがな。カカッ」
言いざま、見合い、せいの、と一緒に口腔へと。
口腔内に入った揚げものが、突然湿度の変化に反応したのか膨らむのが分かる。何だこれはと思う間もなくリオンさんをまねて咀嚼する。がり、かり、ぱり、しゃり、噛むたびに異なる感触が歯ぐきを通じて伝わってくる。その感覚が楽しくて幾度となく咀嚼していれば膨らんだ何かからどろ、とした液体が産まれ、舌に広がり、広がった瞬間、私は自分が椅子に座っている事を忘れた。先ほど外で感じた宙に浮いた感じよりもさらに強い浮遊感。一瞬、危ない薬でも混ぜられていたのではないかと思ったが、そんな物を通り越しているというのが即座に分かるほどの幸福感が口腔を通じて脳へと。浮いた宙の中を苦労しながら横を見れば、呆と空を見つめるアルピナ様の紅色の瞳が見える。虚ろだった。何も感じられないようにさえ思えるが、しかし、頬の紅潮を見れば悦びに何も考えられないだけのようにも見える。屋台で見た耐えるような振りはなく、ただスツールに背を預け、味に感じ入っているようだった。なれば、私もただそれだけに集中すれば良い。
周りを囲む揚げたそれは二つあった。左側、右側。先は右側だった。今度は左側を。口に入れれば今度は沈むような感覚。水の中に沈んでいくかのような落下感。ゆらり、ゆらり揺れて心が穏やかになっていく。ただの揚げもの一つで何故ここまでの幸福感が得られるというのだろう。分からない。分からない。私には分からない事だらけだ。けれど、今はそれでも良い。ただ、美味しいのだと分かれば、それで良い。
どれほどの時が流れただろうか。
呆としていた視界が綺麗になり、笑みを浮かべるリオンさんの肩に先ほど森で踊っていた小さな妖精が座っていた。小さな服の上に前掛けを掛けた小さなお人形のようで凄く愛らしかった。
「うちの小さなウェイトレスさんです。名はウェヌス。喋られませんが言葉は分かるようですので、良しなに。以後、彼女が料理を運びますので」
恭しくお辞儀をする様がまた可愛らしく、ついスツールの上で頭を下げる。
そして、下げていれば、ウェ…妖精さんが皿を片づけていく。自分と同じぐらいの大きさの皿を二つ。私とアルピナ様の分を片付けていく。
ふと、アルピナ様の方を見れば……私と同じように呆とした状態からは復帰したようで、復帰したらしたで紅色の瞳が爛々と輝きだした。
「リオン!」
スツールからカウンターの上に飛び上がり、またぞろ膝立て。そして、妖精さんに後を任せて奥へ行こうとしていたリオンさんを捕まえる。
「は、はい?」
「お主、私のものになれ!」
プロポーズの言葉だった。
「……あいや、違うのぅ。私のものにならんか?うむ。それが良いのじゃ。私を生かす術を持っておる者ならば、婿が在野の者とて誰も文句はいわんだろうしの。今は大事な時だしなの!」
「や、何を仰っているか分かりかねますがお断りしますよ?」
「なんと一国の主というだけでは魅力がたらんのかのぅ……いや、やはりこの幼児体型が問題かのぅ?しかし、なれば城の料理人になることはできんかのぅ?」
「それもお断りします」
「むむ……では、食事を作ってもくれんかのぅ?」
「それならばいつでも……というよりもまだメインも出していないのに帰られても困ります。あれが我がゲテモノ道の集大成と思われては困ります」
「なんと!あれでまだまだだというのかお主は!気に入ったぞ!むぅ……やはり婿に欲しいのぅ……気が向いたらで良いから考えて欲しいのぅ。側室ぐらいならば許すぞ?」
「いやはや待遇が良いのは大変結構なのですが、娘に何を言われるか分かりません」
「何と娘がおるのか……むぅ。私が第二夫人というのは体裁的にまずいしのぅ」
腕を組み、顎に手を当て考えていた。そんな彼女に苦笑しながらリオンさんが口を開く。それはまるで親が子へと言い聞かせるかのようだった。
「いえ、嫁はいませんよ。娘とも別に血が繋がっているわけでもありませんし。娘の母親に託されただけでして」
「ほぅ。そうか。なればその娘さんを説得すれば良いのじゃな?言質は得たぞ。娘が何を言うかわからんというのならば、是非と言わせれば良いわけじゃ。俄然、燃えてきたのぅ」
何とも参加しづらい話だった。
なので私は妖精さんと一緒に遊んでいた。といっても別に何をしているわけでもない。穴のあいた硬貨に細い紐を入れてぐるんぐるんと左右に引張ってるだけだ。これがまた凄い速度で廻るため、妖精さんが驚いてくれるといったところ。何かの役に立つかと思い、服の隙間に入れてはいるものの、役に立った事はない。村に居た時も入れていたが役に立ったことは無い。しいていえば、木に焦げ目を入れられるかな?といった程度だ。
閑話休題。
アルピナ様によるリオンさん獲得交渉は失敗に終わったようだ。だが、アルピナ様は燃えておられるようで、リオンさんの今後はほぼ決まったのではないかと思う所である。リオンさんがどのような方はまだ分からないが、良い人だとは思う。アルピナ様もそう感じ取ったのだろう。いや、寧ろ私よりも多くの事を掴み取っている可能性の方が高い。八年もの間皇帝として過ごしてきたのだ。人を見る目は人一倍どころではない。であれば、そのアルピナ様が見染めたという事を思えば国のためにもなると判断されたのだろう。個人的にはこの店を街の真ん中に出せば見た目などは置いておいて、流行ると思う。
「ま、また次じゃの交渉は。側室候補でも連れてまた来るのじゃ。ま、それはさておきじゃ、リオンよ。先ほどの揚げられたものは一体何だったのじゃ?感触が分かりかね過ぎて判断が付かんかった。八年ぶりのまともな食事じゃ。詳細ぐらいは知っておきたいのぅ」
そう。八年ぶりなのだ。
ドラゴンの呪いを掛けられ、その巨大なドラゴンの血を吸う事でのみ生き永らえ、成長を妨げられていたのだ。それを覆すものに今まで一度たりとも合っていないのだ。私よりもその食事への感慨は深かっただろう。食べられる事の喜びにアルピナ様は今、打ち震えているのだった。が、
「あぁ、あれですか。カビです」
「ん?聞き間違えたかのぅ?……エビと言ったかお主?」
「いえ、カビです」
震えが止まった。
「アモリイカの骨から出る生臭さ、プチドラゴンの血液から滲み出る腐敗臭、その上に振り掛けられたのが擂り潰され蟻と芋虫のブレンド。これにより二つの臭いが甘くなり、カビを旨くするのです。本当は生が良いのですが、初心者向けのサービスです」
前言撤回である。
絶対に流行らない。
「お、お主何か?私の、八年ぶりの食事がまさかのカビ!?そこの辺りに自然発生しているであろうカビじゃというのか?」
「えぇ、そのカビです。サビでも良いのですが」
「そういう事を言っているんじゃないのじゃ。さっきまでの私の感動はどこへいくというのじゃ!?」
「でも、吐き出されなかったという事は美味しいと判断されたという事でしょう?」
「ぐっ……」
確かにその通りだった。美味しかった。美味しかったからこそ……釈然としない。そんな釈然としない二人を置いてリオンさんは妖精さんに後を任せて奥へと向かった。
妖精さんは私達二人の事を気遣うように、一人づつ、頭をなでなでとしていった。ごめんなさいね、でも美味しいし体には良いから安心してとそう言いたそうだった。
可愛い。
そんな可愛らしい妖精さんが祈るように踊っていたのだ。何を彼女は祈っていたのだろう。それを聞くのは不躾だ。だから、私は、私達はリオンさんが戻ってくるまでの束の間の時を静かに過ごしていた。
次にリオンさんが持って来たのは蛙だった。何の変哲もない蛙だった。しいていえば雨の後に見る緑色の蛙であり、村にいたような大きな奴ではない。小さめの蛙だ。
「今度は最初から食材が分かるようにしましょう。えぇ。そうすれば文句もないでしょう。で、蛙です」
「蛙、ですか」
「えぇ、蛙です。湖近くには大量にいますので調達もしやすいですね」
ゲコゲコ。ゲコゲコ。ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコと煩かった。対照的にアルピナ様は静かだった。考え事をしている時のポーズをしたまま唸っていた。常識とのせめぎ合いをしているのだろう。希望と諦観の境目を非常識が通過していったのだ。悩みもしよう。私はといえば、言うほどショックを受けていない。材料がどうであれ、美味しければ良いと思う方だ。でなければ、臓物が好きと公言できない。
「大量ですね」
「はい。大量です。切磋琢磨して油がにじむまでお待ちください」
言いざま、プチドラゴンの頭蓋を蛙の前に置く。ゲ……と人間の絶句音を表現した後、蛙達が一斉に鳴きやんだ。代わりに、じわじわと油が出てくる。油が出る蛙は蝦蟇だったと記憶していたが私の勘違いだっただろうか。ともあれ、蛙達はまさにドラゴンに睨まれた蛙、である。
「そういえば、プチドラゴンですがあんなに高くて良いのですか?」
「えぇ、はい。適正価格と自負しております。プチドラゴン自体は好事家に好まれる食材ですから肉の方がもっと高いのですが、私は内臓だけあればそれで良いので」
「いつもは全部購入して、内臓だけ取り出すのでしょうか?」
「いえ。流石にそれは高いので。伝手を辿って買います。その伝手がどうやって手に入れているかは分かりかねますが……きっと好事家さんの調理師と直接取引でしょうねぇ」
なるほど。五百万クレジットもあれば四匹で私の借金は終わる。が、それだけ厳しいものだという事だ。今日のような事は滅多にないとはいえ、危険は常にはらんでいる。依頼金額と共にその危険度はどんどんあがっていく。そんな夢など見てはならない。
しかし、それにしても百万クレジット……。洞穴内で得たものではない以上、借金返済に使えるものではない。故に……個人的に処分する必要があるわけだが。さて、どうしようかと考える。
正直手に余る数字である。
日々の生活には当分というよりも二年ぐらいは困る事は無いのではなかろうか。幸運にも程がある。罰が辺りそうで怖い。というよりもむしろそれに怠けて堕落してしまうのが怖い。だったら多少高額でも装備などに全部使ってしまった方が良いのではとさえ思う。ただ、費用対効果や補修保全などを考えればあまりに高い物を購入しても仕方ないのが困りどころ。そもそもそんな高級品を使いこなせるとも思えないのが実情である。経験を考慮して今後に備えるか、今に備えるか……
さてどうしたものか。
罠に使う材料というのは場所によって全然違うから予想して全部そろえるなど論外。だからといって武器を買うかと言われれば、エリザのあの無骨な鉄の塊のような剣でもドラゴンは切れないのだから高級な武器など買っても仕方ない。ならば防具かといえばそれは一定の価値がある。あまり豪奢な物は動けなくなるから困るのでお断りだが動きやすい服であれば良いと思う。さっそく明日見て回ろう。
「うーん」
けれどやはり、と自分の小さな手の平を握ったり開いたりしながら武器について考える。剣?弓?槍?どれも自分に合うように思えない。下手に使っては自分が大怪我しそうだ。怪我をしないように……となれば手に持てる大きさのただただ硬い棒の方が良いのではないかと思う。変な刃物よりも使い勝手は良いし、不便でもないと思うし。それに凄く大雑把で私向けだと、そう思う。そうなると今度は鉄より硬いものだけれど……錬金術師であればそれを作る事ができるだろうか?
まぁ、とりあえず行き当たりばったり。全ては明日だな、とそう結論付けた辺りで、いつのまにか奥に引っ込んでいたリオンさんがいい汗かいたーと出てきた。
「はい。お嬢様方、出来ましたよ」
言ってはいるものの運んでいるのは妖精さんだった。慌ただしく自分より大きな皿を持ち運ぶ姿が可愛らしいのだが、リオンさん手伝ってあげれば良いのに、と思う。
ともあれ、詳細は省くが、それもまた大変美味だった。
蛙以外の素材については何も言いたくは無い。……まさかプチドラゴンの内臓にあのような使い方があるとは思いもしなかった。
ちなみにアルピナ様は悲鳴を上げたり喜んだりで大変忙しく、食べ終わった頃には夢見心地でぐったりしておられた。お腹が一杯という状況に八年ぶりに陥って苦しそうだが嬉しそうだった。結果、どうやら非常識が勝ったらしい。明日からリオンさんがんばってくださいと告げれば、苦笑し、『また依頼があったら……というよりも学園長さんにせっつかれていくつか依頼を出しているから、他のもできれば宜しくお願いしたい所です。他にやってくれそうな人はいないだろうしね』とこれまた苦笑しながら言われ、ぐったりとしたアルピナ様を連れて寮に向かって帰る。
王都の寮の辺りでようやくアルピナ様も理性?というか元気を取り戻し、二手に別れる。また会う日があれば良いと願うものの、やはり皇女殿下と奴隷である。難しい、そんな感傷に浸ろうとした私を呼び止め、アルピナ様が言った。
「そうそうカルミナよ。次に依頼任務がある時は私も付いていくからのぅ?」
「え?」
「このような見てくれじゃがのぅ。外ならば私もそこそこ動けるのじゃ。危険そうなら逃げるから安心せい。……リオンを攻略するためにはやはり依頼達成で気を引いて好感度アップじゃ!では。当分はリオンの所に入り浸る予定じゃて、依頼に行く前日には必ず寄るのじゃぞ?」
打算だった。
が、素直に嬉しくて、笑みが浮かぶ。
「はい。こちらこそ」