第10話(終) 新世界より
10.
奴隷の証を力任せに取り外し、名前の書いていないネームタグとエリザとの想い出の首飾りを首に掛け、両手にジェラルドさんの作ってくれたガントレット。ゲルトルード様に貰った黒い服……ただし、背中はやぶれっぱなしを身に付け、ディアナ様の包丁とドラゴン師匠に作って貰った鍋といういつもの格好をして、片手に巨大な黒い金属の塊然とした剣を持ってずるずる引きづりながら、もう片方の手に赤い花を持って街道を歩いていた。
さて、どこに行こう。あるいはこれどうしよう?という事を延々と考えていれば、人の近づいてくる気配に気付く。気配に気付けるようになったんだ、私という変な感慨を余所に振り向けば、
「よう、カルミー」
どこかで見たことのある白い人がいた。新調された着物、腰にはまたしても刀が四本、そして腕を組んだまま不遜な格好で立っていた。
「先輩?」
目をぱちくりとさせる。かなり急いで逃げたはずなのでもうトラヴァントからはかなり離れていたと思ったのだけれど……まさか追い付かれるとは、と思えば先輩が目を指差していた。あぁ、夜中ずっと追っかけて来たという事ね……だとすれば、途中何度か寝ていた私に先輩が追い付くのは当然だった。
「まさか城に、ゲルトルード様の寝室に盗みに入るとは、剛毅になったもんだよなぁ。カルミー。奴隷辞めたと思ったら今度は盗賊か?」
「いや、ほら……前にエリザがくれるっていっていましたし」
片手でふりふり、巨大な黒い塊であるオブシダンを振り回す。
「あぶねぇなぁおい。だったら正式に受け取れ……るわけないよなぁ」
「やっぱり知っていたんですか?」
「ディアナがなぁ……あれが母親と共に売られた理由ってのがその辺りの事を偶然知ってしまったからって話みたいね。ドラグノイアとリヒテンシュタインを継いだ時にでも言えば良かったのになぁ。ま、その辺、ディアナも気が狂っている側の人間だし何考えていたかはわかんないのが正直な所だね。ま、今更だよ。最初は、その内ちゃんと即位して貰う予定だったらしいけど、エリザベートなんて隠し子が出て来た所為で、こりゃ大変、と。あっという間にオブシディアンの名を継いでしまって、これじゃもう国が割れたり、エリザベートが死ぬ事になる可能性もあるんで……ま、致し方なし、と」
軽い口調でそんな風に言っていたけれど、苦虫をかみつぶしたようなその表情を思えば、やっぱり相当悩んで出した結論なのだろうと確信した。そして、やっぱりそういう事なのか、と思いながら、ふいに思い出した。
「あぁ……そういえば、貞操帯の鍵貰うの忘れていました」
そう言ってスカートをくいっと持ち上げる。
「この変態。街道でスカートを持ち上げるなこの馬鹿。……しっかし、相変わらずどっか抜けてるなぁ。まぁ、使う予定もないんだから良いんじゃねぇの?」
「煩いです。で、先輩は何用です?」
「そりゃお前。逃げた盗賊を追って来たって話だよ」
「今の私は簡単には捕まりませんよ!」
「気長に行くさ……まぁ、でもあれだ。その内、ゲルトルード様の所には顔だしてやってくれよ……姉妹は仲良くってな」
「……あれ?それ、隠してなくて良いんですか?」
「どこかの馬鹿が天使の痣が入った背中をまる見せで逃げて行った所為で、国……はゲルトルード様が黙っているから良いとして、御蔭でゲルトルード様が今てんやわんやだよ、この馬鹿。ほんと、どうしてくれるんだよ、この馬鹿」
意気揚々と格好付けて逃げて来たけど……何だか穴があったら入りたくなってきた。いや、暫く洞穴は行きたくないけれども。
「あんまり馬鹿馬鹿言わないでくださいよ。……いや、馬鹿ですけど」
「そそ。というわけで、黙っていた事を散々怒られた挙句の果てに、私が派遣されたって話よ。というわけで、だ。カルミナおばさん。神妙にしろよ?」
「嫌ですよ!」
「はんっ。私から逃げられると思ってんのかよ」
「……逃げながら……一緒に行きます」
「はぁ?……なんだよそれ」
「先輩なら、一緒についてきてくれるかなぁとか……」
「はんっ。……まぁ、少しなら許してやるけど、気が済んだらちゃんと帰るんだぞ?」
「……その内です」
「よーし。気が変わった。今すぐ無理やりにでも連れて帰る」
「ちょっと!」
「盗賊に人権なんざねぇよ……というわけで大人しくしろ」
「嫌ですっ!」
「待てよっ」
「あ、そういえば先輩……名前!」
「お前が城に帰ったらな!」
「酷い!教えてくれるって言ったのに!この白夜姫!この嘘吐き!」
「黙れ、黒夜叉姫!さっさとお縄に付けよこの犯罪者!」
やいのやいのと姦しく。
そんな感じで、私達は旅立った。
とりあえず、今は二人だけの時間を楽しもうと思う。
そうして気が済んだら……あるいは、私が先輩の名前を呼びたくなったら、トラヴァントに帰る事になると思う。手に持ったこの赤い花はそれまで持っておこう。名前を教えて貰ったら、その時、渡そうなんて思った。綺麗な赤い花を髪に差した先輩が鬱陶しくなって怒るぐらい何度も、何度も、今まで呼べなかった分、名前を呼ぼうと、そう思った。
……まぁ、だから、私がお縄についてトラヴァントに帰る日もそんなに遠くないのかもしれない。
「というか首に付けている私のネームタグ返せよ。折角教えてもらったのに書けないじゃないか」
「私が代わりに書いてあげますよ!」
「カルミナさん。ちょっとおふざけが過ぎるのではなくて?」
「こわっ!?」
もう、自殺する事のないこの大陸。
愛の女神の名を冠された妖精の舞うこの世界で。
私は、私達は喜びに満ち溢れながら……
笑いながら、笑い合いながら……
今を生きている。
了