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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
終章~でも、やっぱり私はモツが食べたい~
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第9話 到達者達

9.



 あれから気付けば地上にいたようだった。柔らかいベッドの上で悪夢から覚めるように目を覚まし、全てが夢であってくれれば良いと思い、けれどあれが現実だった事に気付き、死にたいと、再び願ってしまった。

 手には名前の書いてないネームタグが残っていた。

 それだけを握り締め、私は動く気力も無く、城の中、ただただ与えられた部屋で時を過ごしていた。それが昨日の話だった。

 そして、今日。誰かに運ばれ、どこかへ連れて行かれ、そして椅子に座らされた。それがどれだけ前のことだったかはもう覚えていない。

 分かるのは、さっきから誰かの泣いている声がする。ただそれだけだった。

 呆とする視界の中でゲルトルード様とディアナ様、そしてエリザが泣いていた。他の人達は沈痛な表情で顔を下げている。アルピナ様とメイドマスターと学園長だっただろうか。他にも一杯いたように思う。けれど、良く、理解できなかった。

 体に力が入らない。

 体に気力がわかない。

 死にたいと願う心だけがただただ強くなっていた。

 けれど……腕に刃を宛てた所で傷が元に戻るのだから死ぬ事すら出来なかった。その事に驚く気力も今は無い。分かった事はあるけれど、それを吟味しようとも思わない。

 ただ、私はそう簡単には死ねなくなったのだという事実だけを理解した。それが重く私の前に立ちふさがっている。

 宛がわれた椅子に座ったまま、呆と天井を見上げる。

 窓から差し込む陽光が綺麗だとそう思った。その周囲を埋める青い空がとっても綺麗だとそう思った。以前見た時よりももっと綺麗に思えたのはこの瞬間が二度と訪れない事を良く理解したから、だろうか。そんなどうでも良い事を考える。

 耳に響く泣いている声。

 半狂乱と言えるだろうか。それも当然だと思った。けれど、心に響く事はなかった。

 分かるから。

 その人の気持ちが分かるから。

 とてもとても良く分かるから。

 最初からわかっているから、響く事なんてないのだ。


「嘘吐き……」


 零れる言葉。

 それに応える声はない。

 だってもう居ないのだから。

 時の流れと共にこの想いは、この記憶は風化するのだろうか?いいや、きっと無理だ。こんなにも悲しくて、こんなにも辛い事なんて忘れてしまいたい。けれど、忘れたくない。だからきっとリオンさん達は覚えているのだ。失った掛け替えのない一瞬を、とっても大事な宝物なのだと、そう思って。そう思えるようになるまでどれぐらい掛ったのだろうか。私もそう思える日が来るのだろうか。きっと……来ないんじゃないかって、そう思う。

 過去は変わる事が無い。

 永遠に変わることは無い。

 未来永劫、変わる事は無い。

 失ったものはもう二度と戻って来ることは無い。

 だから……でも、それでも。

 ネームタグを握り締めながら、思い出す。悲しくなるだけなのに。悲しくなって涙が流れるだけなのに。何度も、何度も思い出す。


「嘘吐き……先輩の……嘘吐き」


 応える声なんて、ないのに。

 それでも……


「誰が嘘吐きだよ、バカルミー」


 突然、大きなばたん、という扉が開いた音と共に声がした。

 瞬間、振り返った。

 あ……。

 陽光と共に白い、白い人の姿が。

 肩で息をしながら、全身水浸しで所々が破れた着物なんて体に張り付いていて、唇なんて見ていられない程蒼く…………でも、確かにそこに居た。

 ざわめきが、産まれ始めた。ここに居た人達の中から声がする。本当に多くの人がこの場に居た事に今更ながら気付いた。

 世界に色が付き始めたように、そんな風に感じた。


「洞穴の主」


 誰かがそう言った。それは誰の事だろうか。……そんなの決まっている。


「紅薔薇の姫君」


 誰かがそう言った。それは誰の事だろうか。……そんなの決まっている。


「闇の支配者」


 誰かがそう言った。それは誰の事だろうか。……そんなの決まっている。


「白雪の化身」


 誰かがそう言った。それは誰の事だろうか。……そんなの決まっている。


「慈悲なき白夜の君」


 誰かがそう言った。それは誰の事だろうか。……そんなの決まっている。


「深淵の到達者」


 誰かがそう言った。それは誰の事だろうか。……そんなの決まっている。


「なんだよ最後の。私は到達してねぇよ。で……ご列席の皆さま、これは誰の葬式なのでしょう?もしかして私のでしょうか?だったら……申し訳ないのですが、ぶち壊して宜しいでしょうか?」


 そんなの、そんな風に口調をコロコロ変えて、不遜に笑う人に決まっている。


「先輩!」


 の事に決まっている。

 涙が、溢れた。


「何だよカルミー。私が死んだとでも思ったの?薄情な奴だなぁ。というかここにいる全員?」


 可愛らしく首を傾げる姿、それにまた涙が溢れて来た。


「でも、だって!」


「助けてもらったのは事実だけどなぁ……これこれ」


 そう言って、先輩が小刀を手に笑う。

 綺麗で柔らかい笑みだった。もう一度みたいと思った笑みだった。


「いやー、間に合いました。って、あぁ、またやってしまいました……説明不足でしたね」


「情緒が無い人間はこれだから駄目よね。せめてカルミナちゃんぐらいには言っておきなさいよ。全く……ほんと、パパって情緒が無い」


 そんな先輩の後ろに、昨日から姿を見せていなかった二人が……居た。二人とも先輩と同じく水浸し、だった。


「……店長の言葉で察しはついていたけど、まさか本当に最下層の下が海に繋がっているとはなぁ。この大陸って浮島なのなぁ……いやまぁ、御蔭で助かったんだけどさ」


 ケタケタと笑う先輩。

 こっちの気もしらないで!なんて怒る気はなかった。ただ、嬉しかった。とっても、嬉しかった。


「だからティアにお願いして全部ぶち抜いたりすると簡単に海に到達して私、水没です。挙句、場所によっては間欠泉みたいに沸き出してしまうので更に面倒なんですよねぇ。……水没はほんと嫌です。死んで生き返っての繰り返しになるのでもう……ほんと、嫌です」


 げっそりとしたようにリオンさんが吐き捨てた。

 良かった。本当に良かったと思う。けれど、である。


「……殴ります。リオンさんも先輩も殴ります。だから、大人しくしててください!」


「嫌だよ、ばーか」


「いえ、今の貴女に殴られたら私、死にますんで勘弁して下さい」


 リオンさんに怯えるようにそんな風に言われて……気付いた。

 気付いてしまった。

 そうか。

 吟味するまでもない。なんか全部繋がったな……。

 でも、今は良い。そういう事は後で考えるとしよう。


「とりあえず、先輩。お帰りなさい」


「おう。ってか、カルミーにおかえりなさいって言われるより、ゲルトルード様に言われたいんだけど」


「なんて酷い事を言う先輩ですか!やっぱり殴ります。えぇ、殴ります」


 やいのやいのとそんな風に罵りあっていれば、いつのまにか……皆が笑っていた。

 ゲルトルード様も、ディアナ様も、エリザも、他のみんなも……皆嬉しかったのだ。死んだと思っていた人が生きていた事に。大好きな人が生きて帰って来てくれたことに。

 そして……今更、気付いた。

 苦笑するドラゴン師匠の胸元に挟まってニコニコしている……これまた水浸しな小さな妖精さんに。


「あ……妖精さん」


『良かったね』

 そんな風に小さな口が動いた気がした。


「はい。とっても!」



―――



 そして阿鼻叫喚のリオンさんのフルコース……というか何だろう大皿に色々載せてみんなで取れる形式になっていた……による宴会が始まった。

 お城に大量に残っていた腐敗した天使やらリオンさんが採取していたものやら使って作られたものである。見た目は最悪だが、とっても美味しいのである。それをちょくちょく摘んで食べていれば、お姫様然とした格好でエリザが近づいて来た。


「良かったね、カルミナ。でも、私としてはやっぱり姉さんにカルミナを取られた気分です」


「何言ってるのエリザ……」


「ふん!知りません」


「いやいや……ところで、ちょっと遅れたけど、また会えてよかった」


「はい。そこは私も同意します」


 そこは、って……なんだろう、暫く見ない間に逞しくなったものである。


「エルフさん達とはどうなったの?」


「父の首をとってそれで停戦ですね。レアがこっちにいたのが幸いしました。御蔭でレアは最近忙しいみたいですよ。でも、今日はちゃんと来てくれていますよ。ほら……」


「……えっと、何か……印象が」


 アルピナ様と談笑しているレアさんは、きりっとしていた。おどおどしていたのがウソみたいにきりっとしていた。エルフの女王と言われても確かに、と頷けるぐらいに背筋を伸ばし、おほほほほ、という感じで大人の女性っぽくなっていた。誰だあれ。


「ですね。……ゲルトルードやアルピナの影響を受けたっぽいです」


「あ、ちゃんと名前で呼べるようになったんだ」


「えぇ。流石に長いこと一緒にいるとそうなります」


「結構かかったもんねぇ……日にちの感覚、正直ないんだけどね」


「そうですね、エルフと抗争が始まったのが半年以上前ですし、それぐらいではないでしょうか?」


「そういえば、外も暑かったねぇ……」


 昼に見た新緑に彩られたお城の庭園を思い出す。


「じゃ、私は下がりますね。カルミナと話をしたい人一杯いるみたいですから。では、また後で」


「うん。また」


 そうやってエリザが離れて行ったと思えば、次いでテオさんの乗った車椅子を押しながら英雄が現れた。そういう所を見ていると仲の良い夫婦にしか思えない。ちなみにボストンさんや他のバルドゥールの人達もいるのだが、食事に夢中のようだった。うんうん。美味しいもんね。軒並み皆さんの表情が歪んでいるのが謎だったけれど。


「よう、久しぶり戦友。まったく……薄情な奴だな、お前。言ってくれりゃ俺も付いて行ったのによ」


「貴方には貴方の守るものがあるでしょう戦友さん。とりあえず、今日は来てくれてありがとうございます」


「テオも会いたがってたしな……ほら、テオ。膨れてないで声ぐらい掛けろよ。行く前はあんなにはしゃいでたくせに」


「黙りなさい、マスター」


「相変わらずこれだよ」


 肩を竦めて苦笑するカイゼルだった。そんな他愛のないやり取りにも笑みが零れる。


「マグダレナに少しだけ話を聞きました。なので、ちょっと怒ってもいます。だから、一言だけ」


「はい……」


「ありがとう」


 そして、笑った。


「……はい?」


「マスター、お馬鹿なカルミナさんは無視して食べましょう。呑みましょう。折角店長が作ってくれるのですから、堪能しましょう」


 相変わらず、剛毅だった。


「はいはい。じゃあな、戦友」


「はい」


 そして、なんで感謝の言葉なんだろう?と悩みながら、蛇やら蛆やら足の生えた魚類をもさもさと食べていれば声を掛けられた。


「ディアナ様……」


「おかえりなさい」


「ただいまです。……あ、早速で申し訳ないんですが、二つ言いたい事があるのです」


「構いません。何か?」


「一つ目は、あの教会の人ってディアナ様ですよね?その泣き黒子、私に見えないように隠していたでしょう?全部、知っていたんでしょう?」


 一番目につくものが隠されていれば、印象が全く違うという話だ。似ているかな?なんて思っても一番目につく所が違うのだから、違うと認識しても仕方ない。まぁ、言い訳だけれども。先輩が名誉のために、とか言っていたのを思い出して、色々考えれば察しはついた。

 この人は、私の事を全部知っていたのだろう。だからこそ、ディアナ=ドラグノイア=リヒテンシュタインに買われろ、という道を薦めたのだ。そして何度も私の為に便宜を図ってくれたのだ。色々理由をつけて。エリザを私に受け渡したのだってきっと、それが一番の理由。二人の想い出の首飾りを返してくれたのだってそれが理由だろう。


「……もう一つは?」


 私の問いに答える事もなく、どこか諦めたような表情をして、続きを即す。


「……申し訳ありませんが、ドラグノイア家、リヒテンシュタイン家、その両家の名を継ぐ事はできません。そうやって私を無理に持ち上げなくて良いですよ、ディアナ様」


「そうですか、知ってしまわれたのですね」


「全くもって遺憾ながら、ですけどね。……色々、ありがとうございました」


「いいえ。それが……いえ、この場で口にする事ではありませんね」


「はい。そうですね。本当に感謝しています。でも、もう十分すぎる程頂きました。ですから、もう御気になさらずで大丈夫です」


「……もしかして」


「ちなみに、かま掛けさせて貰いました。多少曖昧な部分がありましたけど、これで確信が得られました。それもありがとうございます、ディアナ様」


「っ……貴女は本当にっ……全く……カルミナ、本当にそれで良いの?」


 一瞬泣きそうな表情を浮かべたかと思えば、そうやって、態とらしく私の名前を呼んだ。


「はい。ディアナ様。私はそれで良いのです」


「……御心のままに」


 そう言ってディアナ様がその場を後にした。

 そう、そういう事だ。

 私が絶望し、死を願った瞬間に『天使の痣が背に刻まれた』という事は、そういう事なのだ。死にたがる者からその手段を奪うような悪辣さは相変わらずだし、御蔭でもっと早くそれが刻まれていればあの時先輩と別れる必要もなかったのに、なんてことを私に考えさせてしまうぐらいに不愉快な天使に、私は見初められたのだ。

 だから、つまり。

 カルミナ=オブシディアン=トラヴァント。

 それが私の本当の名前なのだ。

 曖昧だった部分も今のディアナ様の言葉で理解した。あの人は最初から奴隷として私を買ったわけではなかったのだ。いずれ私を表に出すつもりだったのだ。だから私が失敗しないように適当に過ごしていても稼げるほどに安い値段をつけていたのだ。育ての親達の治療費、実際はもっと高かったに違いないと、今になってそう思う。そして、エリザという表に出してはいけない存在が表に出た事で、私がその席を失った。故に……せめてドラグノイア=リヒテンシュタインの名を与えて持ち上げようとしていたのだ。

 先輩もきっと知っていたと思う。けれど、知った時期がもう遅かったのだ。だから、せめて、あの優しい先輩は態とらしく……お願いしたのだ。


「お姉ちゃん」


「なぁに、カルミナ……うん。やっぱり、そう呼ばれると何だか嬉しくなりますね」


 ゲルトルード=アレキサンドリア=トラヴァントに姉と呼んであげてほしい、と。悩んだと思う。とっても悩んだのだと思う。母に真実を伝えるか、私に真実を伝えるか、あるいは……もはや遅かったものとして無かった事にするか。その折衷としてそれを選んだのだろう。その心遣いが酷く嬉しかった。

 今更私が表に出ればどうなるだろう。国が荒れる。その一言に尽きる。残っている証拠を考えればエリザよりも私の方がオブシディアンに値するとされるだろう。そうすればエリザはどうなるというのだろうか。彼女が皇族であるという証拠は少ない。状況証拠しか残っていない。だったらどうなるだろう?国が間違いを認めるだろうか?ゲルトルード様やアルピナ様が頑として認めたとしても、それを知った他の者達に謀殺される可能性もあるだろう。私を神輿として。偽りの皇族を打倒せよ、と。そして、さらにその事に拍車を掛けるのが、エリザが混血エルフという事。混血エルフの後継と人間の後継。その二つが同時に現れた時にこの国はどちらを選ぶだろう?それも分かりきっている話だ。

 きっと、ディアナ様や先輩はそんな風に考えたに違いないと、そう思った。どちらか片方が死ぬのならば、両方生きられる道を探したのだ。

 だから、今更なのだ。

 過去は変えられなくとも、歴史は変える事ができる。

 ゲルトルード様の妹が、産まれたと同時に母親を殺し、さらには呪いの様な黒髪を持って産まれて来たという過去を、母子共々死んだという歴史にされたように。オブシディアンは最初から禁忌の愛が故に産まれた混血エルフであるエリザベートであった、と。

 そして、だからこそ……私はもうこの国にはいられない。例えそれが真実ではなかったとしても、この国で天使の痣を持つものは皇族を意味してしまうのだから。

 気付かれてはならないのだ。

 でも……


「お姉ちゃん。カルミナちゃんはお願いがあるんですよ。髪、また伸びてきたので切って頂けませんかね?」


「お姉ちゃんに任せなさい!」


 最後に少し、実の姉に甘えたいと願った事ぐらいは許して欲しいと、そう思う。

 まぁ、それだけではないけれども。



―――



 私の知っている人達、皆が集まった宴が終わり、楽しかった時間が終わる。

 凄く楽しかった。

 御蔭でさっきから笑いっぱなしである。とっても良い日だった。産まれて来て一番楽しい日だったように思う。


「うーん、こういう感じの方が良いかしら?」


「お姉ちゃんにお任せします」


「今日はえらく素直にそう呼んでくれるのね」


「たまには、です」


「これから毎日お願いしたいところですね」


「それは無理な相談ですよ、皇帝陛下」


「もう!またそれぇ?」


 ゲルトルード様の寝室で、じょきじょきと髪を切られながら、他愛のない話をしながら、鏡に映る自分とゲルトルード様の顔を見る。

 今更ながら、確かに……似ていた。

 そうと思ってみれば……似ていた。自分の顔をまじまじと見る趣味なんてないので分からなかったけれど、目元の付近とか良く似ている。

 知らなかったら絶対似ていないと言いたくなるけれど、知ってしまったら……似ているとしか言いようが無かった。それは皆そういう事言うよねぇ、と自分でも納得してしまった。エリザにも少し似ていると言っていたレアさんの言い分もまぁ、今となっては分からないでもない。


「今日は他の人達、来ませんね」


「そうねぇ。もう休んだのかもしれないわね。皆、はしゃぎ過ぎていたみたいだし、もう寝ていると思うわよ」


「そうですか……それは」


 都合が良い。

 部屋を見渡し、それを見つける。

 大きかった。

 重そうだった。

 黒い塊のようなそれが窓際に立てかけられていた。何とも不用心だけれど、でも……都合は良い。ほんと、私って運が良い。


「はい、終わり。可愛くなったわよ、カルミナ」


「ありがとうございます、お姉ちゃん。御蔭でさっぱりしました」


「どういたしまして。また、伸びたらお姉ちゃんに言うのよ?カルミナ」


「……はい」


 鏡を見ながら、この笑顔を、この姉の笑顔を覚えておこう。そう思った。

 そして、おやすみなさい、そう言って部屋を出た。



―――



 夜も更けた頃合いを見計らって、服を着替え、宛がわれた部屋を出た。

 そして誰にも見つからないように庭の方に周れば、ドラゴンと人間の親子がぼんやりと空を見上げていた。見上げた空では妖精さんが踊っていた。なんとも風流だったけれど、でも、時間帯が遅いにも程があった。


「お二人とも、こんな時間にこんな所で何してるんですか?いえ、妖精さんを見ているのは分かりますけれども」


「酷い言い草ね、この弟子。親子でお疲れ様会していただけよ」


 その割には酒の一つも持っていなかった。


「なんとも感慨深くてですねぇ。まぁ、それと別件で人待ちでした。……はい。忘れ物ですよ」


 そういって、洞穴に打ち捨てたままだった包丁と鍋、ガントレット……そして萎れる事なく未だ咲いたままの赤い彼岸の花が渡された。


「……もしかして、ばれています?」


「はい。私には鼻の良い娘がいますので」


 とんとん、とドラゴン師匠が鼻を叩く。


「ま、しばらくしたら私もまたどっか行くから、会ったら挨拶ぐらいするのよ?」


「……酒ぐらいは奢ります。その時にお金があれば」


「それはそれは殊勝な弟子ね」


 そういって、ドラゴン師匠が小さく笑った。

 それを見てリオンさんも小さく笑う。妖精さんも、そして私も。


「色々ありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそ……ですよ。永遠は長いですが、後はのんびり過ごします。これで賭けはきっと私の勝ちですし。ほんと、カルミナさんの御蔭です」


「はぁ?」


「いえいえ、御気になさらず。では、またいずれ。うちの店長代理の座はずっと空けておきますのでまた、戻ってきたら顔を出して下さいな。というか、ドラゴンの方の呪いの事も気になりますし、是非早めにお越しください。貴女はちょっと食べ過ぎているので……」


 苦笑した。


「そうよ。たまには顔を出すのよカルミナちゃん。お土産は天使の肝とかで良いから」


「……相変わらずですね、お二人は。なんというかこう、別れの挨拶ってもっと情緒があるものだと思うのですけどねぇ」


「私達に言う台詞ではないわね。ま、死ぬんじゃないわよ、この欠陥品。死んだら殺すわよ?」


「嫌ですよ。だから、がんばって生きますよ」


「では、またいずれ……というわけで、私たちは何も見て居なかったという事にしておきましょうかね、ティア」


「そうね。ウェヌスの舞に見惚れ……るわけもないんだけど、見惚れていた事にしてあげるわ……ほんと、私って優しいわよねぇ」


 くすり、と笑みを浮かべ……二人の下から離れて城の壁面に寄る。

 そして、壁を蹴ったり、窓枠に捕まったりしながら壁を昇る。まったくもって盗賊気分である。いや、今からやることは盗賊以外の何物でもないのだけれども……。


「便利は便利だけれど……いらなかったなぁ、これ」


 これが無ければ、知らずにいられたのだから。やっぱり、力があってもあんまり意味は無いな、と思った。まぁ、これから生きるためにはちょうど良いのかもしれないけれど……。

 そして、目的地に辿りついた。

 少し出っ張った部分に足を掛けたまま、中にいる人が眠っている事を確認してそっと、窓枠に手を伸ばす。


「……ばいばい、お姉ちゃん」


 音を立てず、すっと窓に手を宛て……そのまま硝子を外す。慎重に、慎重に……そして外した奥にある黒い鉄の塊に手を掛けた瞬間。

 眩い光が、世界を照らした。


「あれっ!?」


 鍋をぐっと握れば炎が産まれる。だったら剣を握ればそこに内包される魔法が発動するのは当然だった。てっきり、ゲルトルード様や学園長が何か声を掛けていたから、皇剣の場合、声を掛けないと発動しないと思っていたのだけれど、なんて……言い訳をしている暇は無い。


「誰っ!」


 当然、気配に敏感なゲルトルード様がそれで目を覚まさないわけが無い。


「あ……」


「カル……ミナ……ちゃん?」


「ごめんなさい。これ、貰って行きますね!」


 全くもって馬鹿だった。もういいや。欲しい物だけ貰って逃げよう。遠くまで逃げよう。えぇ。もうなんかこう締まらないなぁ、と思いながら、刀身を片手で掴んでそのまま窓の外に引き寄せる。


「なん……で…」


 持てるのか?という言葉だったのだろうか。

 ばりん、という大きな音が鳴ったのと同時に、そのまま下に向かって飛ぼうとした時、背に硝子の破片が刺さり、ゲルトルード様に貰った服が……その背が破れた。

 それと同時にオブシダンからの光が消えた。


「いたっ……」


 そのまま、壁伝いに地上へと向かい……『あの子失敗したわよ!』とケタケタ笑っているドラゴン師匠の声を聞きながら、城から逃げた。

 だから、破れたその背に刻まれていた物を見られたなんて思ってもいなかった。


「まさか……そんな……天使の」


 なんて事をゲルトルード様が呟いた事なんて……全然、気付かなかった。



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