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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
終章~でも、やっぱり私はモツが食べたい~
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第6話 また会う日まで

6.



 そのまま城へ運ばれ、翌日早々に髪を切られた。気が早いというか思い立ったが何とやらというか……ハサミを片手に微笑んでいるゲルトルード様と、そして床に敷かれた布の上に落ちている束になった私の黒い髪を見ながら、今朝のことを思い返す。

 ふかふかしたベッドの上で気だるさと共に目を覚ました。窓から入る朝日に眩しさを感じ、そういえば御店は地下だからなぁ、なんてどうでも良い感慨を浮かべながら眠い目を擦っていれば、『あら、起きたのね』とベッドの横から声を掛けられた。あまりに突然の事にびくっと思いっきり驚いたり、慌てたり、動悸が激しくなって胸を押さえたりした所為で眠気は吹き飛んだ。とっても良い目覚しだった。もう二度と経験したくないと思うぐらいに。なお、主犯はベッドの横に置いてある椅子に座って本を読んでいたゲルトルード様だった。

 慌てた私に、読んでいた本を閉じながら、くすくすと笑みを浮かべるゲルトルード様。そんなゲルトルード様から逃げるように、ベッドから起き上がり、腕と背中の痛みがなくなったことを確認しながらいそいそと着替えた。部屋着として貸して頂いたものだが、ぱっと見ても物凄く高そうな代物だった。その肌触りを堪能しつつ着替えが終わり、ゲルトルード様に声を掛ければ、ついてきて、とゲルトルード様に即され、向かった先がゲルトルード様の寝室だった。

 先日の地震による被害は僅かに残っていたものの、以前リオンさんとこの部屋に訪れた時に壊れた窓などは元通りだった。呆とその時を思い返しながら部屋を見ていれば、姿見の前に椅子が一つ用意されていた。どうぞ、と即され、その椅子に座れば、ゲルトルード様が私の後ろに立ち、きらん、と輝くハサミを片手に私の髪を切り始めた、というわけである。

 切られている間に、先輩やエリザ、レアさんまで集まって来た御蔭で何とも気恥かしい時間を過ごして、漸く、今さっきそれが終わったのだった。


「ほら、可愛くなったわよ」


「いえ、元が」


「そんな事ないわよ?」


 変な苦笑いを浮かべられながら、鏡に映った自分を見る。

 自分で言うのも何であるが、何とも無愛想でぼんやりした顔だった。気の抜けた、と言っても良いだろう。そのぼんやりとした表情を彩る髪は、ゲルトルード様の御蔭でぱっと見でも綺麗にまとまっているように思えた。天使に齧られ乱れた部分はそんな事実がなかったかのように綺麗に整えられ、後ろ髪は首の上ぐらいまで、前髪は左右に流すような感じに整えられていた。何だか普段より視界が開けたような感じを受ける。もっとも、数日もすればこの前髪はだらっと垂れ下がって来て私の視界を奪う事になるだろう。えぇ。

 ともあれ、髪型はとても良いかもしれないが、である。鏡の中の私、その隣に映る顔を見れば何とも引き立て役だった。

 私の肩に両手を置き、覗くように鏡を見ているゲルトルード様。その髪はなぜか私と同じ様に切られていた。


「ところでなぜゲルトルード様まで」


 ちなみに、朝お会いした時から既にこの髪の長さだった。それもあって尚更驚いたと言い訳しておこう。言い訳だけれども。そんな風に脳内で言い訳をしていれば、


「ちょっと戦う時に邪魔だったから。思い切って切りました」


 短くなった髪をふぁさふぁさと指先で持ち上げながらゲルトルード様がそんな事を言った。酷い理由もあったものである。ほんと、この人は女の命を何だと思っているんだろう。いや、何とも思ってないんだろうけれども。何と言うか、酷く勿体ない話だと思った。綺麗だったのに。もっと言えば、そこのベッドに寝ていた時の髪の長さが一番綺麗だったと思う。

 ともあれ、結果、ゲルトルード様と私の髪の長さは相変わらず同じぐらいの長さだった。

 そんな風に鏡に映る私達。その鏡の端には、後ろで様子を見ている何だか楽しそうなエルフ姉妹。そして、笑っているのか何なのか口元を手で隠して目を伏せている先輩が映っていた。全く、失礼な先輩である。

 鏡に映る私の頬が僅かに膨らんだ。

 その事に気付いたのか、また小さく笑みを浮かべ、ゲルトルード様が最後の仕上げとばかりに私の髪を櫛で梳く。

 気恥かしさは消せないものの、それが思いの外、心地良かった。

 思い返しても、こうやって誰かに髪を梳いてもらった事というのは記憶になかった。両親にもしてもらった記憶はなかった。こんな風に壊れ物を扱う様に優しく扱ってくれる人は初めてだった。ゲルトルード様の白い指先が、黒い髪を持ち上げ、何度も、何度も櫛を通してくれているのが鏡に映っていた。

 その事が、何だかとても嬉しかった。

 自然、口角が上がっていた。


「エリザベート姉様、やっぱり似ていますよね?」


 そんな時だった。レアさんの言葉が耳に届く。誰が何と、という大事な要素を取り除いた言葉。けれど、問われたエリザは鏡の中でうんうんと頷いており、納得していた。エリザに分かって私に分からない事はない!と言うつもりはないのだけれど、一体、何の事だろうと思う間もなく、それに応えたのは、


「やっぱりそう思う?」


 櫛を持つ手を止めたゲルトルード様だった。

 言い様、顔だけ振り返り、レアさんに見えるように人差し指を自身と私の間に行き来させていた。


「はい。似ていると思います」


「前に話をした時は気の所為かと思って言わなかったのだけれど、やっぱり並ぶと……似ているわよね?何だか昔の自分を見ている気分になるわ。髪を切ったから尚更ね」


 再び私の両肩に手を置き、ずいっと顔を近づけて来るゲルトルード様。御蔭で頬と頬がくっついて、触れた頬からゲルトルード様の体温が伝わって来る。それが何だかとっても暖かくて、心地よかった。とはいえ、である。


「……どこがですかね」


 ついつい呆れたような表情を浮かべてしまった。御蔭で尚更見られた顔じゃなくなった。


「分からない?」


 頬をくっつけたまま、どこか楽しそうにゲルトルード様が言う。


「はぁ?……私はゲルトルード様みたいに美人さんではありませんし」


「カルミナは綺麗だよ?」


 当たり前のことだよ?みたいな感じでエリザが言う。


「エリザまで何を……こんな無愛想でぼんやりした顔のどこが」


「そりゃ、ぼんやりしているからだろ?もうちょっと真面目な顔してみろよ、黒夜叉姫様」


 くくっと小さく笑いながら先輩が言う。


「エリザベート姉様にもちょっとだけ似ている気がしますよ」


 真剣な表情でレアさんが言う。

 何だろうこの人達。


「先輩まで何ですか。皆して私を持ち上げて何をしたいんですか?騙されませんよ、私」


「カルミーを騙してどうすのよ?」


 鏡に映る先輩が、不思議そうに首を傾げた。全く思いもよらなかったとばかりにきょとん、とした表情をしており、それが何だかちょっと可愛らしいと思ってしまった。


「いや、知りませんけど……それに私、安かったんですよ?それだったら、もうちょっと高値になると思うんですけど……」


 人の命はお金に代えられない、という偉い人達の言葉はさておいて。奴隷として値段がついている以上、私の値段はソレなのだ。その値段が非常に安いわけである。しいていえば、装備している物以下なわけである。そんなに私が美人さんなら、せめて、貞操帯以上になると思うんだけれど……思いたいんだけれども。

 自分で考えていて、自分で凹んでしまった。結果、ついつい不貞腐れて唇を尖らせてしまった。それがまた、何とも言えない見目だった。……いや、もう私の見た目の事はさておいて。


「髪、ありがとうございました。前々からずっと切りたかったので、助かりました」


 椅子から立ち上がろうとして、相変わらずゲルトルード様に肩を押さえられている所為で立ち上がれず、致し方なく座ったまま御礼を伝える。


「いえいえ、どういたしまして。お安い御用よ。また、いつでもいらっしゃいな。それよりもカルミナちゃん。やっぱり私の事、お姉ちゃんって言ってみない?お姉さんを喜ばせてみない?」


 伝えればそんな事を言いながら、頬をうりうりと寄せられ、ぶにっと凹む私の頬。


「これ以上ここにいる人達の人間関係……いえ、人間エルフ関係を難しくするのは止めましょうよ、皇帝陛下」


 エリザとゲルトルード様が同い年ぐらいの異母姉妹で、ゲルトルード様が先輩の義母で、先輩がエリザの姉で、レアさんがエリザの異父妹で。ここでまたゲルトルード様の妹が私とかになると、何とも複雑怪奇な関係である。


「またそれぇ?……いいじゃない、一回くらい!」


 今度は指で頬をうりうりと突かれた。年甲斐がない、というと怒られそうではあるけれど、ちょっと前まで長い間、病床にいたわけで、はしゃぎたくなるのも分かるので我慢……と、自分に言い聞かせようとしたが無理だった。エリザと同じでゲルトルード様は力が強いので、正直ちょっと痛いのである。

 結果、ついついため息交じりに再び拒否の言葉を紡ごうとした時だった。


「言ってあげてよ、カルミー」


 ひどく優しげな声が耳に響いた。


「……先輩?」


「一度で良いからさ、そう呼んであげて頂戴」


 態度だけは相変わらずで、腕を組みながらという不遜な感じだったけれど、その声は優しげで、柔らかいものだった。きっとそれは、母を想う、娘の声。そんな声で言われたら、ついつい聞き入れてしまいそうだった。


「……このお母さんっ子先輩め」


「……なんでカルミーが知ってるのよ」


「ゲルトルード様に聞きました」


「まぁ、別に隠しているわけじゃないから良いけどさ……」


 そう言った後、目を閉じ、少し考えるような表情を見せる。そして、組んでいた腕を下ろし、先輩が佇まいを正して、目を開いたかと思えば、静かに頭を下げた。


「でしたら……お願いしますわ。お母様を喜ばせてあげてくれないかしら?」


 少し恥ずかしそうに、照れたように。事実、先輩の白い肌が、僅か紅色に染まっているのが見えた。全く、そこまでされたら、そんな風にお願いされたら、それこそ言わないわけにはいかないじゃないか。ほんと、酷い先輩だ。


「……分かりました。分かりましたよ。こんな事で喜ぶなら言いますよ。でも、先輩、これは貸しですからね?」


 正直、先輩からは借りた物の方が多い気はするけれども……。全然返せてないと思うけれど……。


「あぁ、覚えておくよ」


「取り立ては厳しいですからね」


 そんな私の言葉に苦笑を浮かべる先輩から視線を逸らし、ゲルトルード様へと向かえば、とっても嬉しそう笑みを浮かべていた。身体全体でわくわくと、今か今かと待ちわびている子供のようだった。


「お……お姉様」


 恥ずかしいにも程があった。言った瞬間、頬が熱くなった。


「お姉ちゃんが良いなー?」


「足元見られました。酷いお姉ちゃんです」


「なぁに?カルミナ?聞こえなかったからもう一回お願い」


「ゲルトルードお姉ちゃん」


 それを聞いたゲルトルード様は更に笑みを深くしていた。大変嬉しそうだった。それを見た先輩もどこか嬉しそうだった。ついでに言えば、エリザが羨ましそうだった。レアさんが何だか寂しそうだった。この駄エルフ、なに妹を悲しませているのか。


「ありがとな、カルミナ叔母さん」


「この姪っ子先輩め……後で殴りますからね」


「はんっ。当てられるものならな?」


「ぜったい当ててやりますよっ」


 そうやって鏡越しに先輩を睨んでいれば、呆れたような表情をした人が鏡に映った。


「ほんと、仲が良いわねぇ貴女達」


 本件の主犯が何か言っていた。



―――



 がんばってみたものの、『お、やるようになったなぁ、カルミー』という慰めにもならない言葉を頂くぐらいに見事にひらり、ひらりと避けられた。先輩の目が見え辛い日中の、陽光が燦々と降り注ぐ屋外という私にとっては好条件で見事に避けられたのでほんと慰めにもならない。そんな戦闘訓練染みた行為を散々行った後、すごすごと帰路に着く。

 帰り際、テオさんの事が気になったものの、御屋敷にいるのならば会いに行けるはずもなく、あぁ、ディアナ様へのご報告はいつになるのやら、困った話である。と思いながら、新たに酒瓶を数本購入して御店へと戻ったのは陽が暮れた頃だった。


「あら、脱皮?」


 店に入れば、髪を切って、服と靴を変えた事を脱皮と称する人でなしがいた。間違いなくドラゴン師匠だった。

 スツールに座り、珍しく酒を呑む事もなく、特に何をするでもなく肩肘ついて呆としている様子だった。暇を持て余している、という感じだろうか。

 ちなみに服と靴というのは新しくゲルトルード様に貰ったものである。新品同然に手入れされてはいたものの、私と同じぐらいの年の頃に身に付けていた物だという。そんな記念品のような物をほいほい他人に渡して良いのかと思えば、『妹が姉のお下がりを着るのは庶民の嗜みだもの!』という庶民への憧れなのか何なのか分からない意味不明な言動により強引に渡されてしまった。いやまぁ、とってもありがたかったのだけれども。

 意匠としては前に着ていた物と大差はない。胸元が多少余計に開いていて、スカートが僅かに長いぐらいだろう。御蔭で以前より、貞操帯がちらっと見える可能性は下がった。僅かな差だけれども。靴の方は膝下ぐらいまでを覆ったものだった。その割に足の動きを束縛しないので普段使いでも洞穴内でも使い勝手は良さそうだった。着たきりな私としてはとても有難い代物だった。そして、ついでとばかりに靴下も頂いたのだがアルピナ様の趣味と全く同じでかなり長く、太ももの中ごろ辺りまで隠れるようなものである。御蔭で、相変わらずスカートと靴下の間の微妙な隙間が、他が覆われている分、寒かった。……ちなみに諸々全て、当然の如く色は黒だった。


「師匠とは違います」


「まぁ、そうよね。……そういえば最近脱皮してないわねぇ」


 あぁ、やっぱり脱皮するんだ、という思いと共に、怖いもの見たさでその瞬間を見てみたいと思った。


「というか、師匠。昨日、地上に天使が現れていたんですけど」


「あぁ、パパから聞いたわ」


「……軽い」


「何よ、天使だったらなんでもかんでも殺すと思っているの?」


「思いますけど」


「まぁ、そうよね。間違いなく皆殺しよねぇ。私もそう思うわ」


 これまた軽い調子でうんうんと頷いていた。その姿が、なんだかとってもらしくないと思った。以前、レアさんの事があった時みたいな、そんな感じだった。


「師匠が颯爽と現れて倒してくれる事を期待していたんですけど」


 調子の狂うドラゴン師匠へ向けて、ちょっと口を尖らせて拗ねてみても、


「無茶言うわね、この弟子。流石の私でも過去には行けないわよ」


 何も変わらず。やっぱり変だ、と思う。


「あぁ、戻って来たのは今日なんですか」


「今朝ね。天使はすぐに見つけて食べたんだけど、その後は野暮用よ。ほら、これ、あの白い子に渡しておいて頂戴」


 こちらを向く事もなく、呆と天井に視線を向けたまま、ドラゴン師匠が隣のスツールに雑然と置いてあった三本の刀を乱雑に掴み、私に手渡してくる。艶のある黒い鞘に入れられた三本の刀。受け取ればずしりと感じる重さに僅か怯む。当然、こんな重い物をいつまでも持っていられる力が私にあるわけもなく、一本ずつそっと壁に立て掛ける。

 そういえば、洞穴に行く前に先輩が今度持ってくると言っていたように思う。見かけなかったけれど、何処かに置いてあったのだろうか。全く気付かなかった自分に辟易しながら、それを見つけて態々加工までしてきてくれたドラゴン師匠に、これまたらしくなさを感じていた。


「あの子が置いて行ったみたいね。それで、防錆加工して欲しいとか言っていたのを思い出してねぇ……いくら暇だからって小銭稼ぎなんてするもんじゃないわね。こんな事なら無視しておけば良かったわ」


 あぁ、刀の事はそういう理由か。それなら納得、と思いつつも、ドラゴン師匠がため息でも吐きそうな勢いで説明してくれている事に、変わらず、らしくないと感じた。


「でも、ありがとうございます。先輩が喜びます」


 とはいえ、である。例えドラゴン師匠の心情がどうであろうとも、これを見れば先輩はきっと凄く喜ぶだろう。昨日の四つの刀を携えた格好良い姿を思い出し、そこにさらにこの三本を加えればさぞ……ダサいだろうなぁ。流石に七本も持っているのはどうかと思う。えぇ。


「あっそ。私は全然喜ばしくないわ」


 そんな私の言葉に、ぷいっと顔を逸らされた。その姿だけはちょっと可愛かった。


「まぁまぁそう言わず。新しくお酒買ってきましたんで呑んで下さい。……あと、天使の残骸はお城の方に運び込まれていまして。それを師匠にもおすそ分けするみたいですよ。あんなに大量にあると流石に使い道が無いとかで」


「あら、気がきくわね」


 ちなみに、ゲルトルード様に両断されたでかい奴は腐ったドラゴンの時と同じく飾るそうである。そんなつもりで天使が現れたわけではないのだろうけれど、ゲルトルード様の復活を知らせるにはちょうど良い供物みたいだった。加えて、教会への牽制の意味もあるのだとか。とはいえ、何もしなくても天使のあんな行動を大量の人が見ていたのだ。教会の権威とやらも失墜するだろう。教会に属していた人達も離れて行くと思う。まぁ、一部の過激派は残るのだろうけれども……何であの時天使に殺されるのを甘受しなかったのだ、とか。


「で、どんなのがいたわけ?パパも遠目にしか見てなかったみたいだし」


「まず、小さいのがかなりの数いました。……千ぐらいはいたんじゃないかなぁと。御蔭でトラヴァントの街が白濁液塗れになりました。後は、師匠が前にゲルトルード様の所で殺した奴より大きい天使が3体いましたね」


「あれより大きい奴、ねぇ」


 てっきり、多過ぎて流石に食べられないわ、だとか、大きいのが食べられなくて残念だわ、とか言うかと思ったけれど、今のドラゴン師匠からはそんな言葉、期待できそうになかった。いや、期待する方向性がおかしいのは分かっているけれども。


「はい。でも結局、近づいて来て、じとーっと見ているだけで動かなかったですねぇ。その間にゲルトルード様にぶった切られました。天使にも変なのがいるみたいです」


「天使が見ていた、ねぇ」


「きっともう少しで私、襲われて大変な事になる所でしたよ。近づいて来たのって私がいた方でしたし……3体とも」


「カルミナちゃん、天使にもてもてね」


「全然、嬉しくありません……最初は他に誰もいなかったんで大変でしたよ。ギルドバルドゥールの人達とかゲルトルード様や騎士団とかが来てくれてなんとか助かりましたけど、大変でした」


「……分かってはいたけれど、やっぱり天使の前に一人で立っていたのね。ほんと、人でなしの自殺志願者よね、カルミナちゃんは。最高よ。流石、私の弟子ね」


 そう言ったドラゴン師匠の表情は、いつも通りの傲岸で、不遜だった。


「失礼ですよ、師匠。私ちゃんと人間です。師匠みたいに脱皮できませんし」


「脱皮ぐらいしなさいよ、この欠陥品」


 言って、ケタケタと笑う。やっぱりドラゴン師匠はそんな風に笑っていた方がらしくて良いと思う。けれど、それもすぐに収まって、またぞろ何とも呆とした感じに。


「なんですか今日の師匠は。そんな憂いを帯びた表情なんて似合いませんよ」


 横に置いた酒瓶に見向きもせず、カウンターに肘をついて、手の平に顎を載せ、呆と天井を見上げている姿。とっても絵にはなっているけれども、ほんと見ていると苛々してくるぐらいにらしくない。


「失礼よ、この弟子。というか最近、私の扱いが酷いわね」


「最近というか、そもそも出会ってからそんなに経ってない気もしますが……」


「尚更訳が悪いわよ」


「確かに」


「納得したわよ、この子……」


 嘆息。

 ふぅというドラゴン師匠のため息に合わせて、よいしょとドラゴン師匠の隣の、さっきまで先輩の刀が置いてあった椅子に座り、次いでガントレットを外してカウンターへと置く。


「そういえばリオンさんは?」


「さぁ?どこか出て行ったわよ。その内戻って来るんじゃない?……で、カルミナちゃん。馬鹿な天使を相手にするのは良いけれど、まさか怪我したとかじゃないわよね?」


「怪我はしたんですが、傷薬が良かったのか思いの外傷が小さかったのか、もう治りました。腕の方ももう大丈夫ですよ」


「あっそ」


 自分で聞いておいてこれである。とはいえ、掃き捨てるような言い方だったのが何だか意味深だった。いや、忌々しげという感じだろうか。自分の弟子が大嫌いな天使に傷付けられたのが不愉快とかそういう殊勝な考えはドラゴン師匠にはないと思うのだけれども。


「……師匠?」


 問いかけても返事はなく、ぎろり、と爬虫類の瞳で私をじっと見つめ、殺気すら伴う程に強く見つめて、吐息を一つ。

 気付けば、それも収まり、いつのまにかいつもの師匠になっていた。


「何でもないわよ。で、もういつでも行けるという事で良いのよね?行けないとか行ったら今度こそ引き摺ってくわよ」


 カラカラと笑う。ついさっきまでの呆とした姿は何だったのだろう?と思えるぐらいにいつものドラゴン師匠だった。全く、気分屋である。苛々していた自分が馬鹿らしくなるぐらいにいつも通り傲岸で不遜で恐ろしい程綺麗な笑みを浮かべていた。

 そんなドラゴン師匠へ悪態の一つぐらい吐こうとして……思い出した。


「あ、あのですね。実は、飼い主への連絡がまだでして……教会の、えっとテオさんが、天使が教会潰したのに巻き込まれて、また怪我されてしまいまして、延期になりそうな感じで……その、怒らないでくださいね?」


「別にそんな瑣事に怒る気はないわよ。無視すれば良いだけの話だもの」


 怒るより性質が悪かった。が、とりあえず、完全にいつもの師匠であるのだけは理解した。


「いや、あの……流石に戻ってきたら売られるかもしれないなんて心配をしたくはないかなぁと」


「弟子の貴女を売り払うって事は師匠である私と戦争したいって事でしょう?ちゃんと皆殺しにしてあげるわよ?街ごと更地にしてあげるわよ?」


 そういう発想に行き付くドラゴンの思考回路が良く分からない。いや、一生分からないだろうけれど。


「いや、それもちょっと……」


「全く、我儘な子ね。だったら、代理でも立てておけば良い話でしょ?ほら、さっきカルミナちゃんが言っていた……えっと、種馬の所のドラゴン相手に真正面からぶつかりに行った馬鹿な子とか。確か、ゲルちゃんだっけ?」


 馬鹿と言いつつも名前を覚えているという事は気に入っているのだろうと思う。何だかスライムっぽい感じで呼んでいるけれども……


「ちょっと、何舌舐めずりしてるのよ」


 ゲルちゃんというのがちょっと美味しそうな響きがした所為とはいえない。まったくもって誰にも言えない乙女の秘密である。まして先輩の耳に入った日には三枚に下ろされるのは確実である。えぇ。


「ゲルトルード様、です。流石に皇帝陛下にお願いするというのはどうかと思うわけですよ」


「ほんと、どうでも良い事で悩むわねぇ。だったら誰でも良いから話つけて来なさい。あぁやっぱり、いいわ。学園の方から入れば良いから、そのついでに声掛けてらっしゃい」


「結局、お偉い人じゃないですか……」


 再度、どうでも良い、と呟いた後、ドラゴン師匠が酒瓶を手に取り、酒瓶に唇を寄せたかと思えば次の瞬間、がりっと歯で瓶を割って、割った部分をぺっと吐き捨てて、次いでその中身を呑み始めた。

 豪快だった。

 ごくり、ごくりとその豪快さに合わるように動くドラゴン師匠の喉が、それでいて妙に艶めかしかった。普通の人なら見惚れてしまう程に。

 が、私にとってはそんな事よりも、である。瓶の破片を片付けるのは誰だと思っているんだこの呑んだくれ師匠め、と思いつつ椅子から立ち上がり、吐き捨てられた瓶の欠片を集めて行く。

 そんな事をしていれば、ついでに店の掃除をしようと思い立ち、掃除の邪魔になる包丁、鍋を腰元から外してカウンターに置いた所で、ふいに思い出す。


「そういえば、師匠。再三ですけど、これ、ありがとうございました」


「何?小さい天使でもぶん殴って来たの?」


「突撃してきたので、口の中に突っ込んで焼いてあげました」


「あら、やるじゃない。流石私の弟子ね」


 酒が入ったからだろう。ドラゴン師匠の声音が少し柔らかくなってきていた。耳の奥に、脳に響くそんな蟲惑的な声を聞きながら、箒を取って来て、床を掃く。


「まぁ、他の人が来た後は、湯を沸かしてばっかりでしたけどね」


「上々ね」


「えぇ。分相応ですね」


「何よ、不満なの?直接見たわけじゃないから想像でしかないけれど、カルミナちゃんの御蔭で人間共は後を繋げたのでしょう?戦術的にも十分な成果じゃない。被害の程度は知らないけど、五体満足でカルミナちゃんがここにいるって事は大した被害はなかったんでしょ?人間対天使という戦いを勝利に導いたのは間違いなくカルミナちゃんの功績よ。それに、衛生兵として湯を沸かすのもそうでしょう?適材適所よ。大した準備も無しに戦いの最中にそれが出来る人間なんてそうはいないでしょう?だったらその価値は値千金よ。誇っても良いわよ、流石『私』の弟子」


 最後の自分褒めはさておいて、何だか照れくさくなるような言葉だった。御蔭でついついドラゴン師匠から視線を逸らしてしまった。


「それに、カルミナちゃん本人に力なんていらないわよ。いいえ、違うわね。貴女に力があったのならば、今の貴女にはなっていないし、今、この場でこうやって話をしている一瞬も産まれなかったでしょうね。……まぁ、私の作ったものを持てないというのは許し難かったけれどねぇ」


 意外と根に持つドラゴンだった。

 ともあれ、言っている事は理解できた。昔があったからこそ、今があると言えば良いだろうか。とはいえ、


「出来る事は増えそうですけどね」


 幸せになれるとは決して言わないけれど。


「気を付けないと地面に穴が空く私に言う台詞じゃないわね!ほら、良く見なさい!」


 言ってスツールから立ち上がるドラゴン師匠。


「……微妙に浮いていますね」


 今明かされる衝撃の事実だった。


「そうよ。地に足付いて、普通に歩いた日には穴が空くわ!」


「大変ですね」


 主に大陸が。


「そうなのよ。力があるっていうのも大変なのよ」


 体重の間違いではないだろうか、という突っ込みは入れない方が賢明なのだろう。


「隣のなんとかは綺麗だって話ですねぇ」


「そそ」


 そして再びドラゴン師匠がスツールへと座る。もっとも、それも良く見ればほんの僅かではあったけれど、浮いていた……風の魔法なのだろうけれど、全く他に影響を与えず、しかも常時それを行っている事を思えば、やっぱりドラゴンというのは規格外だなぁと思う。


「それにしても、何で天使が現れたんでしょうね?師匠何か分かります?やっぱり新しく見初めたい相手がいたとか、実は既に見初めた相手がいて連れて行こうとしていたとかですかね?それぐらいしか理由が思い浮かばないんですよね。洞穴内だったら神様の所へ行こうとしたのかと思いますけど……しかし、あれですね。ゲルトルード様、エリザ、加えてまた一人なんて、天使の痣、大放出ですね。まぁ、どれだけ安売りしていても買いませんけどね」


「…………そうねぇ……まぁ、そうね。たとえ話よ」


「はぁ?」


 掃除の手を止め、振り返ってドラゴン師匠を見れば、ぐいっと酒瓶を空にし、二本目に手を掛けていた。


「両親がいて、その子供が見初められた。その両親がまた別の子を作り出したとする。そうしたら、その子はやっぱり見初められるかしらね?」


 そんな謎かけと同時に、二本目の酒瓶をやはり同じ様に歯で割って床に捨てる。掃除している最中になんて事をしてくれるのだ、このドラゴン。


「混血具合は同じですよね。だったら……」


 捨てられた破片を箒で掃き寄せながら、答える。それ以外の答えが思いつかなかった。混血具合が同じなら見初められる可能性はあるだろう、と。


「そうね。その通りね」


「……師匠、何が言いたいんですかね」


「たとえ話よ」


 言って、ごくり、ごくりと酒を喉の奥へと流し込む。折角買って来たのだから、もうちょっと味わってほしかったのだけれど。ともあれ、いつまで待ってもそれ以上の話は無いみたいだった。


「意味深ですね」


「脳が何の為にあるか知ってる?パパやカルミナちゃんの食糧になるためにあるわけじゃないのよ?」


「それは偏見が過ぎます。……でも、ゲルトルード様の妹さんは産まれなかったみたいですし、エリザの妹というのはレアさんですけど、父親が違いますし」


「がんばって考えなさいな……ま、分かった所で取り返しはつかないし、どうしようもないけれどね。全く……相変わらず不愉快な生物よね」


 皮肉気に笑う。その姿に、さっきのドラゴン師匠の『らしくなさ』はやっぱり天使に関連した事だったのだろう、そう思った。


「……何か知っているんですか?」


「歴史が変わる事はあっても、過去は変わらないって事ぐらいは知っているわよ?」


「……もう良いです」


「そうそう自分で考えなさいな。今回は及第点じゃあ答えてあげないわよ?それに、答えはちゃんとカルミナちゃんの脳の中にあるわよ。……でも、必死で考えないと一生分からないかもね。貴女は変な所で馬鹿だもの」


 ケタケタと笑う。答えてくれる気はないようだった。……掃き掃除を続けながら考えてもさっぱり思いつかないので、いつしかその事は頭の中から消えて行った。

 そして、時折掛けられるドラゴン師匠の言葉に応えつつ、掃除がようやく終わった、という所でリオンさんが帰って来た。


「やぁやぁ、カルミナさん。昨日は大変だったみたいですね。無事で何よりです。……というわけで、ですね。五日後に出発で決定しましたよ」


 何がどう、というわけで、なのかはさっぱり意味不明だった。


「……ほら、やっぱり一番怖いのはパパだって話よ。カルミナちゃんの都合、完全に無視したわよ、この人でなし」


「それに比べて師匠は優しいですね」


「でしょう?パパと違って私は優しいのよ」


 だったら、教えてくれても良いと思うのだけれども……でも、ふいに、もしかして、さっきの答えというのは『知らない方が幸せでいられる事』だったのだろうか……そんな事を思った。だから、自称優しいドラゴン師匠は……


「カルミナさん。大変です。義娘が反抗期です」


「そんなもの、とっくの昔に終わったわよ」


 考え過ぎかな。



―――



 一応、『というわけで』の理由はあったようだった。

 リオンさんが居なかったのは朝からお城に行っていたようだった。私とはすれ違いだったようで、リオンさんはアルピナ様の所へ行っていたそうな。出来あがった腐れドラゴンの残骸で作ったお食事を渡して来たとか。事前連絡なしに、何の気なしに城へ行った所為で驚かれたとか。まぁそうだろうなぁと思う。そして、その後ゲルトルード様の所にも行ったとのことで本当にすれ違いだったみたいである。その時の話合いの結果、せめて五日は待ってくれとのことで、じゃあ五日後に出発しましょうという話になったとか。

 その五日後に何か意味があるか?というとちょうどその日にゲルトルード様が改めて臣民に向かってご挨拶するというのと、ついでにエリザのお披露目だそうである。色々と都合の良いような発言が出るだろうからあまり聞いて欲しくないとか。だったら別に待つ必要はないのではないか?という話なのだけれども、それが終わればちゃんと皆で見送りが出来るという。とっても大した事のない理由だった。……もしかすると他の意図もあったのかもしれないけれど、私としては皆に見送って貰えると嬉しいので、そんな大したことのない理由で十分納得していた。

 そして、忘れていましたとばかりに『あぁ、カルミナさんの飼い主さんがお城に呼ばれたみたいですよ』という話をリオンさんに聞いた結果、これからの五日間を戦々恐々と過す事になる私だった。この五日の間に誰かにお願いしておかないと。それが今の最優先事項であるのは確かなのだが……

 私は、私達は暫く地上からいなくなる。

 だから、五日の間に、それを覚えておこう、そう思って翌日から色々周った。

 朝露に濡れるオケアーノス公園を一人でゆっくり一周してきたり、湖に足をつけてその冷たさを堪能したり、鳥居とリオンさんは言っただろうか。それを眺めたり、オケアーノスから街まで向かう並木道を一人歩いたり。そして街に辿りつけば、二日前の事にも関らず帝国臣民は天使の事なんてもはや過去の事とばかりに、いつもと同じだった。街中を歩いていても、誰も私に目を向ける事なんてなかった……それで良いと思う。瓦礫の破片を投げた事なんて、もう覚えていないだろう。けれど、それで良いと思う。天使なんか、私なんか気にせず未来に目を向けていてくれれば良いと思う。

 結局泊まらなかった宿の前にも行った。そして、店の人の名前を思い出した。アナスタシアさんだ。彼女が宿の前で掃き掃除をしているのを見た。世界が揺れていようと、天使が襲ってこようと、自殺志願の洞穴通いは多いようで、繁盛しているようだった。見ている間にも色んな人が行ったり来たりしていた。暫くその様子を遠目に眺めて、次いでお城の方へと向かった。

 そんな折、カイゼルに見つかった。見つかって、そのままテオさんの所に連れて行ってもらった。いや、連れて行かれた、が正解だろう。大きな御屋敷だった。私一人であれば門前払いにも程があると思えるほどに広い御屋敷だった。流石に教会の信徒の貴族だったからだろうか?屋敷の中は街中より慌ただしそうだった。その屋敷の中、呆とベッドの上に横になっているテオさんがいた。カイゼルに連れられて部屋に入れば、少女趣味な感じのする内装に少し笑みが零れる。そんな私を見て、満面の笑みを浮かべ私を呼び寄せると、近寄った私の背中をばしばしと叩く。そこ怪我したんですけど、という突っ込みを入れるにはもはや説得力のある背中ではなくなっていたので言葉に詰まった。その後、『カルミナさんの言う事なんてもう聞きません!』とぷくっと頬を膨らませて怒られたり、それを見たカイゼルが窘めてくれたりした。暫くの後、少し落ち着いたテオさんと話をし、五日の間にはディアナ様の所に行くのは無理だという事だけは分かった。当然である。その後、テオさんの二つ名の原因であるところの紅茶を嗜んだ。美味しかった。そして、一息ついた後、暫く会えなくなる事を伝えた。『どうして』と問われ、『所要です。』という何とも隠していますと言わんばかりの返答に呆れられた。そんな会話もありつつ、帰り際にカイゼルがテオさんをディアナ様の所にしっかり連れて行くと約束してくれた。その言葉がとってもありがたかった。御蔭で初日にして憂いはなくなった。

 バレンブラッドの屋敷から出て向かったのは……リオンさんの御店、つまり、帰宅である。一日で全部見て回るのはちょっと勿体ないし、時間も足りなかった。

 そうして店へ戻ってリオンさんとドラゴン師匠と、そして久しぶりにテレサ様と話をした。久しぶり、という程ではないのかもしれないけれど、なんだかそんな気がした。そして、これまたそれほど昔ではないけれど、昔話……出会った時の話をした。照れくさそうに話すテレサ様。そんな話をしていれば、夜は深くなり、いつしか眠っていた。

 そして次の日は今度こそ、お城の方へと向かった。

 初めて見た時の事を思い出した。そんな昔じゃないのに、昔のように思えたのはひび割れや崩れや傾きの所為なのだろうか。それだけなのだろうか。きっと、違うのだろう。テレサ様との会話が昔話のように感じた事ときっと同じだ。

 お城の廻りをゆっくりと、周る。

 違う風景が見えた。

 見知ったお城が違う風に見えた。

 そんなちょっとした事が楽しく感じられた。世界にはまだまだ私が知らない事ばかりなんだ、と。そんな事を考えていれば、足が自然と図書館へと向かう。片付けが終わったのか、いつものように暇そうに本を読んでいる司書さんがいた。少し話をした。ディアナ様と同じ様に他の本はないの?と聞かれたのには流石に苦笑してしまった。そんな彼女に聞いておきます、そう返した。

 ジェラルドさんとアーデルハイトさんの御店にも行った。ガントレットの御蔭で助かった事。そしてアーデルハイトさんに折角直してもらった服がまたぞろ破れて申し訳ないと伝えれば、新しい服を脱がされ、嬉しそうに刺繍を入れられた。願掛けのようなものらしく、特に深い意味はないそうだった。でも、そんな事を嬉しく思う。暫くこられなくなりますと伝え、帰ろうとすれば、アーデルハイトさんから耳打ちされた。『一緒に、行くんだね』と。『はい』、そう伝えると『ちゃんと帰って来て』そう言われた。そして、以前と同じく、『帰って来てまた、知りたがりの私を不幸にして頂戴?』、そんな声援を受け、改めて面と向かい、帰ってくる、そう約束を交わした。

 そして、街路を行く。

 露店から良い香りがする。どこかで嗅いだ匂いだとそう思った。

 そう思って、近寄ってみれば、アルピナ様に吐瀉物塗れにされた場所だった。ついつい懐かしくなり、その店でスープを購入する。凄く美味しいとは思わなかったけれど、それでもなんだか心が温まった。

 そして、店へと帰り、また三人と話す。

 翌日は、少し遠出をした。

 地下に沈んだ森。

 エリザと出会った場所。そして、先輩と出会った場所でもあった。

 ここは変わらず白いな、と感慨深げにしばらくの間、呆として時を過ごす。

 そうしていれば、目の前を走って行く烏賊の姿。それをついつい追いかける。追いかけて、しっかりと回収し、ドラゴン師匠謹製の鍋に雪を入れて湯を沸かして、包丁で解体した烏賊をその湯に通して、その場で食べた。

 口の中、こりこりとした感触を堪能しながら、改めて呆と時を過ごす。

 ここから全部始まったように思う。

 そう思えば、なんだかとっても遠い所まで来たように思う。

 あぁ、そうだ。まだ行っていない所があった。

 暫く通っていた学園、ディアナ様の御屋敷やアルピナ様とも一緒に行った堤防やエルフの住む森……流石に全部を周るのは難しいと思う。それに、いい加減、準備は必要だろう。

 馬車にゆられてゆっくり帰りながら、何が必要なんだろうか?そんな事を考える。

 武器は包丁と鍋。防具はゲルトルード様の服にアーデルハイトさんが刺繍を入れてくれたもの、同じくゲルトルード様に頂いた靴。そしてジェラルドさんに作って貰ったガントレット。エリザとの想い出の首飾り、ディアナ様につけられた貞操帯……は防具じゃないか。後必要なのは……着替えや身体を拭くための布や、色々と洗うための道具などが必要だろうか。考えていれば結構色々必要そうだった。怪我をした時のことを考えれば薬の類も必要だろう。

 そうやって一つ一つ必要なものを考えながら、準備をしながら、残りの二日を過ごした。



―――

 

 


「そういえば、カルミナちゃんは大荷物ね」


 もう少しで街に差しかかった所で、今更ながらにドラゴン師匠が私に声を掛けて来る。


「かなり抑えましたけどね……」


 とはいうものの、ドラゴン師匠が言うような大荷物ではない。

 いつもよりも大きめの頭陀袋を用意して、諸々全てをどうにか詰め込んだので、荷物といえる荷物はそれだけである。そして、両手を塞がないように、まとめたそれを背負えるように頭陀袋には丈夫な紐―――蜘蛛のアレである。―――を通した。ともあれ、御蔭でずしっと肩に掛るそれは中々の重さだった。加えて、今は装備品のみならず先輩の刀を持っているのでかなりの重量である。ちなみに最初は普通に先輩の刀を手に持っていたのだけれど、腕が疲れて来た結果、今は胸元に抱えるようにしている。御蔭で凹んでいる。どこがとは言わないが。


「むしろ、師匠がおかしいのではないかと」


 例の仮面を付け、マジックマスター然とした格好をした手ぶらなドラゴン師匠をじとーっと見ていればドラゴン師匠が軽く笑い、


「食糧は現地調達、武器とか要らない。服は汚れたらカルミナちゃんが洗ってくれるから大丈夫だし」


 と。


「ちょっと師匠」


「何よ、してくれないの?」


「やりますけど」


 汚れた服なんか着ていられないわ!とか言って脱ぎ捨てられても困るし。いや、でも洗っている最中はどうなるんだろう……。


「で、カルミナちゃんが必死で集めていた薬とかは必要ないし、松明なんてもってのほかだし……持って行く物ってある?パパの服ぐらい?」


「それは自分で持てますし、ティアは手ぶらで良いですよ。いつも通り。まぁ、いざとなれば」


 ドラゴン師匠の横を歩いていたリオンさんがそう言った。ちなみに、リオンさんは割烹着姿で頭陀袋を肩に担いでいた。頭陀袋の中は主に調理器具と服らしい。人の事は言えないけれど、どこに行くつもりなんだろう?という格好である。


「そうね。必要になったら穴開けて取りに戻ってくるわよ。面倒だからあまりやりたくないけどね。どこに出るか分からないし」


「そういうのは大丈夫なんですね」


「ん?あぁ、上は大丈夫よ。下はまずいけど……ねぇ、パパ?」


「えぇ」


「ほんと、何があるんですか?」


「パパの天敵?」


「……実は洞穴の奥深くには食材があり過ぎて怖いとかですかね?あぁでも死んだんでしたっけ」


「それも怖いですね。帰って来られそうにありません」


 などとそんな馬鹿話をしていれば街へと辿りつき、また暫く歩けばゲルトルード様の声が聞こえて来た。普段の優しげな声ではなかった。苛烈な、ゲルトルード様の一面が見えるような強い声音だった。その声に自然、私とリオンさんの足が止まった。それを見てドラゴン師匠もしぶしぶ足を止めた。そのまま無視していくつもりだったに違いなかった。相変わらず酷いドラゴンである。


「あぁ、もう始まっていたんですねぇ。遅れてしまいました。まぁ、聞いてくれるなという話だったので別に良いのかもしれませんけれども」


 演説である。

 歓声の凄さにゲルトルード様が何を言っているのかはさっぱり聞こえなかった。それでも何とか聞こうと思い耳を澄ませれば、『他国』がどうとか聞こえてきた。更によく聞いていれば地震による被害、エルフとの抗争、それに乗じて、周囲の国も動き始めたという話も聞こえて来た。


「他国……師匠、顔きかないんですかね?」


「私、今から洞穴だし?死にたいならついて行かないけど、どうする?」


「是非、一緒に」


「ふふんっ!」


 偉そうだった。でも、それは守ってくれるという意味でもあったのだろうか。


「ご迷惑おかけします」


「良いのよ、貴女は私の弟子なんだからね!」


 などと愚にもつかない話をしていれば、遠目に綺麗に着飾られたエリザの姿が見えた。しばし、観客達のどよめきが聞こえたかと思えば、一際大きな歓声が響いた。前皇帝の忘れ形見『オブシディアンの少女』発見の報。

 まだこの国は終わらない、そんな内容の言葉をアルピナ様が伝える。そして気恥かしそうにエリザが挨拶をする。他の二人とは違い、場慣れしていないにも程がある感じを聞こえた。そんなエリザに、心の中でがんばれ、と伝える。


「もうすぐ終わりそうですねぇ」


「ですかね」


「じゃ、行くわよ」


 ゲルトルード様、アルピナ様、そしてエリザ、三人の皇族が帝国臣民に希望を与えていた。その希望を守るためにも……ううん。そんな大仰な志なんて私には無い。ただ、笑って過ごせれば良い、そのために。

 ドラゴン師匠を先頭に、私達はてくてくと学園の、洞穴の入り口の方へと向かう。



―――



 洞穴入り口には何人かの人がいた。

 学園長、メイドマスター、ディアナ様、そして……先輩だった。てっきり先輩はゲルトルード様の演説を見に行っているのだと思っていた。やっぱり心構えの問題だろうか?そんな風に悩んでいれば先輩が近づいてくる。


「よう、カルミー。思ったより、早かったな」


 見れば珍しく先輩が荷物を抱えていた。私と同じ様に、背負えるような形のものだった。ドラゴン師匠同様、普段の洞穴行であればほぼ手ぶらな人である。それが大仰な袋を持っているのを見ると、やっぱり私の方が真っ当なのだと自信が湧いて来た。


「先輩、お届け物です」


 言って、持っていた刀を渡せば一瞬、きょとんとされた。しかし、すぐに思い当たったのかドラゴン師匠の方を向いて先輩が静かに頭を下げる。


「ありがとうございます」


 そんな先輩の姿を見たドラゴン師匠は、ふふん!と少し嬉しそうだった。自分の手がけた物を嬉しそうに受け取ってくれる人には弱いようだった。


「じゃ、持って行くのはこっちにするかぁ」


 言って、先輩が例の小刀を残し腰元から三本、刀を引き抜いた。そしてその代わりにと渡したばかりの刀を腰に差す。この間と同じ様に、左右に二本ずつ。そんな風体だった。ちなみに抜いた刀はメイドマスターへ渡していた。メイド服に刀というのは存外似合うような、似合わないような。さておき。


「重くはないんですか?」


「いや、重いよ。でもなぁ。途中で一本壊れたらその場で終了ってのはね」


「あぁ、なるほど」


 それで何本も携えていたのか。格好つけているとかではないんだ……


「では、後はアルピナちゃん達を待ちますかね。一応、約束ですし」


「面倒ねぇ……」


「まぁ、たまにはこういうのも良いんじゃないですかね?」


「どうでも良いわ」


 そんな風にリオンさんとドラゴン師匠が話をしているのを聞いていれば、当然の如く……いや、案の定、ディアナ様と目があった。


「ディ、ディアナ様……えっと、そのバレンブラッド家のかたには、その……」


「全く、貴女の御蔭で私がどれだけ迷惑を被ったと思っているのかしらね……でも、きっとそれが―――様の運命なのでしょうね」


「ディアナ様?」


「なんでもないわ…………前にも言ったように、必ず戻って来るのよ」


 ドラゴン師匠と同じ様な爬虫類の目が柔らかく私を見ていた。無言のまましばらくそうした後、ディアナ様が今度は先輩へと目を向ける。


「それと、そこの白いのも必ず戻って来なさい。帰って来るのを待っているわよ、私の御友達」


 御友達?

 ディアナ様から飛び出た思いもよらぬ言葉に一瞬、脳が理解しきれなかった。主人と奴隷の関係というのは友達ではないとは思うのだけれど。あぁ、でも、先輩はゲルトルード様の養子ということだし、奴隷というにはちょっと違うのかもしれないけれど……。


「はんっ。誰に言ってんだよ、ディアナ」


「貴女よ、貴女。ほんと、可愛くなくなったわね……」


「誰の所為だよ、誰の」


「何よ。もしかして、私と言いたいの?……否定しきれない所が何だか釈然としないわ」


 そして二人で笑い合う。何だか二人ともとっても楽しそうだった。その姿に、なんだろう、少し疎外感を覚えてしまった。

 そんな自分でも変だなと思える感情を浮かべていれば、ゲルトルード様がアルピナ様、エリザ、レアさんを引き連れて戻って来た。そしてゲルトルード様が先輩を見掛け、声を掛ける。


「行くのね」


「はい。戻ってきたら、今度こそ……」


「えぇ。待たせてごめんなさいね。私の可愛い子。貴女が帰ってきたら、今度こそ、ちゃんと親子になりましょう。最初から、始めましょう?」


「はい……必ず帰ってまいります」


 いやはや……照れている先輩が可愛い。その姿を見ていればついさっき覚えた疎外感はどこへやら。いつの間にか、そんなものは私の中から消えていた。

 ゲルトルード様は先輩の髪を撫でた後、今度はリオンさんの下へと向かい、話しかけようとしていた。話しかけられる直前、リオンさんが視線をドラゴン師匠へと向ければ、ドラゴン師匠がリオンさんに向かい、自分の鼻をとんとん、と叩いて皮肉気に口角をあげた。不思議な仕草だった。何をしているのだろう?と思ったのも束の間、アルピナ様に声を掛けられた。


「カルミナ…こうやって話をするのは久しぶりじゃの」


「確かに言われてみればそうですね……」


「何から言えば良いかのぅ」


「何でも良いですけど、とりあえず、謝罪とかはいりませんからね?」


「全く……では。一言だけ言わせてもらうとするかの。カルミナが戻ってきたら、また、遊びに行くのじゃ。ゲルトルード姉様が復帰したからの。私も少しは時間が取れるだろう」


 小さく笑うアルピナ様。その姿は本当に、普通の少女のようだった。


「そうですね。一緒に、色々遊びに行きましょう。魔法の鍋も手に入れたのでその場で調理もできますよ」


「期待しておるぞ?私はお主と違って美食家じゃからな。生半可な料理ではまた吐き出すからの?」


「いえ、私も美味しい物は好きですけど……まぁ、吐瀉物塗れにならないようにがんばります」


「頼んだぞ?……それにしても、やはりお主にはそういう服が良く似合うのぅ。……とはいえ、以前の物の方が私は好きだがの。仕方ないとはいえ、少し残念じゃ。ゲルトルード姉様の服の中ではあれが一番好きだったからのぅ」


「前のあれもそうだったんですか……?」


「流石に皇族とはいえ、着もしない服を後生大事に持っておるわけがないじゃろ?」


「……言われてみれば確かに」


 何の疑問も持っていなかったけれど……。最初から用意されてなければ、あんなにすぐに貰えるはずもなかった。それに、私が表彰されるなんてそれこそ神様だって分からなかっただろうし。


「では、またの黒夜叉姫」


「別にアルピナ様に頂いた二つ名をつける権利を行使したわけではないんですけど」


 拗ねるような私の言葉にかかっと笑い、次いでアルピナ様はリオンさんの下へと向かった。向かったその先で姉妹戦争が開始されようとしていた。さておき。こちらは別の姉妹の……その姉が私の眼前へと。


「エリザ。演説、がんばったね。お疲れ様」


 綺麗な格好だった。演説の為に着飾られたのだろうけれど、それでも良く似合っていた。


「見ていたんですか、恥ずかしいです。……カルミナ。ちゃんと帰って来て下さいね」


 私のその言葉に一瞬、照れた様子を見せたものの、すぐに真剣な表情を見せる。


「勿論。帰ってこないわけがないよ。エリザが待っているんだし。それに、エリザのお姫様生活がどんなものかも見てみたいしね」


「きっと、似合いませんよ?」


「それを笑いに戻って来るよ」


「カルミナ、酷いです」


「ま、だから……レアさん共々元気にしていてよ」


「はい。必ず……そして、純血の方々との決着も付けて参ります」


「うん。私が帰った時に、この国がなかったら悲しいしね。でも……あんまり殺しちゃ駄目だよ?あの人達はそれでも、エリザやレアさんや、アーデルハイトさんや……他の皆が産まれて来られたのは純血のエルフがいたからこそなんだからさ」


 とっても偽善的な詭弁だった。けれど、それでも彼らがいなかったら今この一瞬はないのだから、私には彼らを否定しきれなかった。自分でも大概、馬鹿だと思うけれど。


「分かっています。私も争いが好きなわけではないですし……でも、きっと父は殺さなければいけないでしょうね。私にとっては血の繋がりのない方ですけれど、レアにとっては実の父です。でも、それでも……」


「無理しちゃ駄目だよ?」


「それは私の台詞です。本当なら、カルミナがこんな事に付き合う必要はないんですよ?」


「そうだね……でもさ。この世界がとっても好きで、好きで、それで悲しくて泣いて、死にたいと思っている子がいるんだったら……やっぱり、殴ってでも止めないと。死にたがる馬鹿はもうたくさんだからさ。それに、世界がなくなったら私も困る。エリザにも会えなくなるし……ま、行ってくるよ。無事を祈っていて頂戴。誰に祈るかは……わかんないけど」


 そうやってエリザとそしてレアさんと話をしていれば、メイドマスターに絡まれて鬱陶しそうにしていたドラゴン師匠が私の下へと。と言う事は、そろそろなのかな?とリオンさんの方を見てみれば、


「……ってリオンさん何しているんですかね」


「頭、撫でているわね」


 ドラゴン師匠が言う通り、見れば何故かリオンさんがゲルトルード様の頭を撫でていた。それを見てアルピナ様がむすっとしていたり、学園長がどんよりしているのも何だか面白い。けれど……


「……こんな場所で良くやりますねぇ。しかも皇帝陛下相手に。その辺、義娘としてはどうなんですかね、先輩」


「ゲルトルード様が幸せそうで何よりだよ」


 理解のある義娘だった。


「そんな可愛らしいものじゃないわよ。パパからすればあの子なんてお子様と変わらないもの」


 ある意味理解のある義娘だった。

 そんな理解のある義娘さん達と、傍から見れば、年下の男の子に撫でられているお姉さんといった様相をしばし堪能する。


「照れていますね、ゲルトルード様。ほんと、罪な人ですねリオンさんも」


 ゲルトルード様やアルピナ様、学園長に向かって娘を、幼子を見るようなその視線は罪深いものだと、そう思う。

 でも、リオンさんの中には、永遠に解ける事のない呪いのように、パンドラさんへの想いがあるのだ。永遠に続く想い。世界を、神様を殺す想い。だから、彼女達が向ける想いにリオンさんが応える事はないだろう。けれど、それが悪い事だとは言えなかった。ずっと、その人の為に世界を守って来たのだ。結果論だけれど、その御蔭で私達は今を生きていられる。この自殺する大陸の上で、生き急ぎながら、それでも生きていられるのだ。もう亡くなってしまった人の事など忘れてなんて、その人も貴方の幸せを願っているなんて、そんな綺麗事、私にはもう言えない。

 けれど、罪な人だな、と思うぐらいは許して欲しい。


「この大陸で一番罪深いのは確かね」


「神様殺していますしね」


「ほんとにねぇ」


 ドラゴン師匠が苦笑していた。

 そうこうしていれば、リオンさんもその輪から離れてこちらへと。


「では、そろそろ行きましょうか……じゃ、カルミナさんから皆さんに一つ挨拶を」


「なぜ……」


「まぁ、いいじゃないですか」


「……梃子でも動かないような物言いですね」


 仕方ないなぁと思いながら、それでも、並ぶ人達に向かって、言の葉を紡ぐ。


「私、夢が出来ました。凄く些細な夢ですけれど、絶対に叶えたい夢です」


 一人、一人の顔を良く覚えておこう、そんなつもりで見つめる。


「また、皆と一緒に笑って遊びたい。そんな他愛のない、些細な夢です」


 こうして集まった人達と一緒に、日が暮れるまで話したり、遊んだりすればきっと楽しいのだろう。夢の一部は叶うのだろう。


「けれど、神様が悲しみに泣いて我が身を壊す。自殺するこの大陸では、それが叶いそうにありません。それに、私が言う皆の中には神様も入っていたのです。彼女は、とっても優しい神様です。世界が大好きで、自分の産み出した人間が大好きで。友人であるエルフの神様の子供達も大好きで。だからそれを失った時、悲しみに泣いたんだと思います。もう死にたいと。……けれど、そんな時でも、無理をして私を助けてくれました。無理して、苦しんで、それで尚更死にたくなるだなんて、そんな馬鹿馬鹿しいぐらいに優しい神様です」


 小さな、愛くるしい妖精さんの姿。空を舞い、ただ人の幸せを祈る。そんな優しくて、とっても馬鹿な神様の化身。



「ずっと、ずっと遠い昔から死にたいと願っていた神様。リオンさんと師匠ががんばってそれを止めて来ました。けれど、もう、そろそろ泣き止んでも良いと思います。誰も彼女を責めてなんていないです。誰も彼女を恨んでいないです。皆が皆、彼女には生きていて欲しいと思っています。悲しかった過去はあるのでしょう。けれど、こんなにも皆に愛されているだから、もう泣き止んでも良いと思います。だから、いつまで泣いているんだって怒りに行きます。自分勝手だと思われるかもしれませんけど、でも、ぶん殴ってでも止めたいと思います。止めて、ひっ捕まえて、連れて来て、また一緒に……だから!」


 だから。



「遥か昔に誰かが望んだそれを叶えるために。神様がもう泣いてしまわないように、神様が笑うような、そんな世界を求めて。自殺大陸だなんて、そんな悲しい呼び方、もう無くしてしまうために……皆で一緒に生きるために、生きて行くために」



「私は、私達は行ってきます」



「ちょっと時間はかかるかもしれませんが、戻ってきたら、是非、皆で騒ぎましょう。ここにはいない人達も集めて、盛大に騒ぎましょう。だから、待っていて下さい」


 ……そんな些細な夢を叶えるために。

 さぁ、笑いながら、行こう。



「行ってきますね、皆さん。また、会いましょう」



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