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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
終章~でも、やっぱり私はモツが食べたい~
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第3話 魔法(鍋)

3.



 そんな場違いなリオンさんの発言に、絶句する人達が約数名。変わらず安らかに寝ている人が一名。そして、未だ頭を下げたままの人が一名。


「リオン様……お怒りは承知の上です。……私の首一つ、それでどうか怒りを収めて頂くことはできませんでしょうか」


 その言葉に絶句していたテオさんが、更に目を見開いた。

 なるほど、だからこそ、メイドマスターは学園長を見て良かったと言ったのか。だからこそ、慌てていたのか。そんな事を考えながらも結局、それを言っている相手がリオンさんなわけで。


「いりませんよ、そんなもの」


 これである。


「私のやり方が下手なのは認めますけど、ああいう事になるのが分かっていて行動していたわけですし、お互い様です。単に色々準備があったりするので、今お城に行くのが面倒なだけです」


 怒りなど、まして恨みなどまったくないと軽い口調で告げるリオンさん。とはいえ、それで納得するメイドマスターでもなかった。己の首を賭けてここまで来ているのだ。早々引くようにも思えない。普段はマジックマスター様!と騒いでいる印象が強い人ではあるけれど、根は非常に真面目な方なのだから。いや、どちらが根かと言われると悩む所ではあるのだけれど……。

 そんな馬鹿な発想しか浮かばない辺り、私も大概なのだろう、そんな自覚をしながら口を挟む。


「僭越ながら。メイドマスター……リオンさんには謝罪よりも食材の方が良いですよ。例えば……腐ったドラゴンとか。まだ残っていますよね?」


 沈んだ森から引き揚げられたドラゴンゾンビの死体。更に腐敗し、蟲が沸き、喰われ、もはや骨だけになっているかもしれないが、処分したと言う事はないだろう。あれはトラヴァント帝国の強さを他国に伝える意味もあったのだから。例え肉がなくなったとしても骨だけでも保存しているはずだと思う。そして、それこそがリオンさんにとっては良いわけで。


「そういう事でしたら是非こちらから伺わせて頂きます。えぇ、今すぐでも構いません」


 見ればリオンさんがぐっと拳を握って喜んでいた。

 そんなリオンさんの発言に、漸く、メイドマスターが顔をあげた。そして、次いで、私の方に目を向ける。何ともいえない表情だった。助かった、という感じではない。良かった、という感じでもない。悲しさでもない。そんな曖昧で、なんともいえない表情だった。


「カルミナ……貴女」


「メイドマスター、残念でしたね。私の前で死を望むような願いは叶わないらしいですよ。……ですよね、テオさん?」


「……ほんと、そうですね。マグダレナ、残念だったわね。死ねなくて」


 どこかほっとした様子で、くすり、とテオさんが笑った。そんなテオさんの姿を見て、やっぱり、この二人は仲が良いのだというのが良く分かった。普段は憎まれ口を叩き合う仲かもしれないけれど、だからこそなんじゃないだろうか。


「かっ!事情はよくわかんねぇが、流石だな、黒夜叉姫。良いね。やっぱりお前うちに入らないか?」


「カイゼルさん。私にはカルミナちゃんという名前がですね」


「俺にもファルコって名前があるんだけどな?」


 そういえばそうだった。


「では話がまとまった所でメイドマスターさんもどうぞお座り下さい。折角うちに来られたのですから、是非ご堪能頂ければと思います……あと、そこの狸さんも是非」


 誰の事か?と思った瞬間、恥ずかしそうに学園長が顔をあげた。


「い、いえ。別に態とではないんです。殺気立った空気に反応して勝手に目が覚めて、状況を伺っていただけで、別に……その狸では……」


 あたふたしていた。

 毅然とした感じで、貫禄のある人だと思っていたのだけれど、懸想している相手の前では形無しみたいだった。

 見れば、寝ていた所為だろう。普段付けている眼鏡を外していた。外している姿は初めて見たけれど、そっちの方が女性としては魅力的だと思った。


「はい、どうぞ、学園長」


 慌てる学園長に苦笑気味にそう言って、リオンさんが手拭きを渡す。


「その……リオンさん、何度も言っていますけど、学園長は止めて下さい……」


 受け取りながら、学園長が可愛らしく拗ねた。


「だからといって子供の頃みたいにマリアちゃんと呼ぶのも変でしょう?団長とかで?」


「マリア……で良いです」


 瞬間、カウンターに突っ伏した男が居た。カイゼルだった。

 そんなカイゼルの姿を見て良いつまみが出来たとばかりにボストンさんが酒を呷っていた。そんなボストンさんをカイゼルが突っ伏しながら腕だけ横に伸ばして突いていた。……この二人も仲が良いな、と思う。


「店長って若そうに見えるけど……」


 そんな中、カイゼルを全く不憫に思っていないであろうテオさんが神妙な顔をして私に耳打ちしてくる。


「ここにいる人の中で一番年上ですね。女の敵ですよ、この人。色んな意味で」


 そんな風にお茶を濁す。ここで一から全てを説明するわけにもいかないし、理解してもらえるとも思えない。良くて酒の場の冗談と思われるぐらいだろう。あぁ、もしかするとリオンさんが意味深に話をしてしまうのは、そういう事なのかもしれない。言っても仕方ない事を、態々時間を掛けて言う必要もない、と。まぁ、それにしてもリオンさんは色々はしょり過ぎだけれども。

 そんなことを考えていれば、テオさんが本日何度目かの絶句した表情を見せていた。

 リオンさんを見てはぐぐっと唸るテオさんを無視……したわけではないのだけれど、足の所為で動いてもらうのは難しいので、その隣に座っていたボストンさんとカイゼルには一つずつずれてもらい、メイドマスターにはそこに座ってもらった。しかし、カウンター越しにスツールに座るメイド姿の人を見ていると、何とも違和感を覚えるというものである。座っている本人もどこか落ち着きがない様子だった。私なんで座っているのよ、と言わんばかりである。

 そんなメイドマスターに苦笑しながら、並ぶみんなに目を向ける。私から見て左側から学園長、テオさん、メイドマスター、ボストンさん、そしてカイゼル。私の知っている大人な人達がいっぱいである。勢ぞろいだったらもっと騒がしくも楽しかったに違いない、なんて考えていれば、自然口元が緩む。


「なんだか楽しそうですね、カルミナさん」


「はい。とっても」




―――



「そういえば、エルフと抗争とか聞いたんですが、ここにいても大丈夫なんですか?」


「ん?あぁ、怪我人が焦っても状況が悪くなるだけなんでな。そういう意味では大丈夫だが……抗争の方はなぁ。話合いに持っていければ良いが、今の所は無理だな。……とはいえ、あの嬢ちゃんを返すという選択肢は俺達にはないんでね。安心しな。……ま、下手をすると行き付く所まで行くだろうな」


 口調とは裏腹に、苦虫を噛潰すような、そんな表情だった。

 宴が阿鼻と叫喚交じりに盛り上がり、少し落ち着き始めた所で漸く、気になっていた事について聞けた。案の定、状況が良くなったわけではなかった。純血エルフの姫君が攫われた、なんていう大事が早々収まるわけもない。もっとも、レアさんは生贄にされそうになっていたのだからこの状況は欺瞞でしかない。それはカイゼルでなくとも苦虫の一つも噛潰したくなるというものだ。


「カルミナさん。心配して頂けるのは嬉しいですけど、マスターが言う様に私達とエルフの事に関しては御気になさらず。むしろ御蔭様でマスターが戦えなくなって、ある意味メンバーは安心しています。ほんと、何が戦うマスターですか、いつもいつも迷惑かけてばかりなんですから」


「そうは言うけどなぁ?俺は根っからの戦闘屋だぜ?」


「まったく……」


 そう言って、テオさんが瞳を閉じ、ため息を吐いた。しかし、次の瞬間、ため息を吐いたその口が、その口角が上がった。


「けれど、そんなマスターだからこそ私達は付き従うのです。マスターが引かぬというのならば、決して、エルフの姫君を渡すような事は致しません。ですから、ご安心ください。……それに、今回の件、正義は私達にありますので……」


 開いた瞳。その眼差しは見惚れるぐらいに眩いものだった。強い意志の表れだろう。もはや洞穴の時のように諦める事はしない、二度と歩けなくとも、そんな事ぐらいでは諦めない、と。死に瀕しようともはや二度と諦めに瞳の奥に輝く炎を消すようなことはしない、と。そう私に向かって宣言しているかのようだった。

 そんなテオさんの瞳がとても素敵だと思った。そして、カイゼル達に任せておけば安心できるのも確かだった。事実、今の今まで任せっぱなしで安心していたのだから。……けれど、テオさんの言葉は、ある意味で怖い物言いでもあった。そこだけが気になった。


「テオさん。事の発端の私が言うのもどうかと思いますが……」


「カルミナさん。私達は何もエルフと戦争をすることを目的としているわけではありません。回避できるものは回避します。その点もご安心ください。……もっとも、振りかかる火の粉は払わせて頂きますけどね」


「ありがとうございます。……けど、私、まだ何も言っていません」


「目は口程に物を言うのです」


 くすり、と微笑むテオさん。一体全体、どんな目をしていたんだろうか、私。


「今、一番の問題は、エルフが相手という事もあり、政治的な問題が出てくる事ですね。その辺り、多少、国にも迷惑をかけるかもしれませんが、まぁたまには良いでしょう。ねぇ、マグダレナ?」


 綺麗な顔で怖い事をいう人だった。

 私の知っている女性陣は怖い人ばっかりな気がする……怖くないのはエリザとかレアさんとかアーデルハイトさんぐらいじゃなかろうか……全員エルフだけど。いやまぁ、優しい人は他にも……いるけれども。さておき。

 声を掛けられた職務に忠実なメイドである所のメイドマスターは酒を飲んではいなかったが、先ほどから食事だけは採っていた。時折、唸りながら、時折、頬を緩ませながら。私達の話にも我関せず、見る者に流石と思わせるほど器用にナイフとフォークを操りながら食事をしていた。そんなメイドマスターが、挑発的なテオさんの問い掛けに、静かにナイフとフォークを置き、ゆっくりとフキンで口元を拭ってから、


「リオン様、過日の食事といい、本日の食事といい。大変、美味でした。また、伺わせて頂きます」


 と。

 白々しい程に華麗に無視した。

 瞬間、ぎりっという歯の鳴る音が聞こえた。テオさんだった。


「ありがとうございます。是非、今後とも御贔屓に」


 そういって店長らしく答えるリオンさん。その瞬間、なんとも言えない空気が店内に産まれた。今度ばかりはリオンさんは何も悪くない。

 しばしの沈黙。

 そんな空気を切り裂いたのは、それを作り出した張本人であるメイドマスターだった。良く見れば、メイドマスターの口元が微妙に笑っているのが見える。全く、意地が悪い。


「テオドラ、そのことですが……ここで詳しい事は話せませんけれど、もはやその件に関しては一ギルドの範疇を超えております」


 現在、レアさんを匿っているのはトラヴァント帝国それ自体である。加えてその姉であるエリザを皇女として表に出そうというのならば、人間とエルフの戦争はギルドだけの話ではない。国が動く話になるのも当然。


「そう言われても、今更引く気はないぞ?ここで引く事は俺の人生にも、俺達にも、ない」


 かかっと笑いながら、しかし先程のテオさんのように毅然とした視線をメイドマスターに向ける。だが、これはカイゼルの勘違いだ。何もメイドマスターはギルドに止まれと言っているわけではないのだ。


「引く必要はありません。ですが、従いなさい」


「それはアウローラ家の人間としての言葉か?」


「当然でしょう」


「かっ!言うねぇ。だがよ、それで従うようなら俺は最初から国に仕えていたって話だぜ?何のために集ったと思ってやがる」


 ぎろり、とカイゼルを睨むメイドマスター。そんなカイゼルに、左端に座っていた学園長がスツールを廻し、座ったままカイゼルに向かって顔を下げた。


「カイゼル。私からもお願いする。メルセデス家として、或いは騎士団長としてと言った方が貴君には良いのかもしれないが……ヴィクトリア=マリア=メルセデス、個人的にもこの件に関してはお願いしたい。従ってはくれないだろうか?」


 天然悪女がそこに居た。

 しかも凄いお堅い喋り方だった。さっきまでのあれは何だと言いたい。やっぱり相手がリオンさんじゃないと……と思い、リオンさんに目を向ければ何やら調理中で忙しそうだった。


「ぐっ……例え貴女に言われても、だな。小さな国の王としては、従うわけにはいかないんだよ」


 そんなカイゼルの言葉に、今度はテオさんが苦虫を噛み潰していた。


「マスター。アウローラ、メルセデス両家からの嘆願です。これは流石に分が悪いです。マグダレナ個人ならどうとでもなりますが、両家の名を出しての嘆願です。幾ら抗おうと私達がこのトラヴァントにいる以上、従うしかありません。……引く必要はないという話ですから、方針に関しては誤差範囲でしょう。国の援助や大義が得られると考えれば悪い話ではないと思います。……ですが、この件、高くつきますからね、マグダレナ」


「構いません。我が主からの命です。相応の見返りはあると思って頂いて結構」


「貴女方のみならず、アルピナ様まで私達に従えと?……言っても、たかが一ギルドの争いよ?私達が勝とうと負けようと、どうとでも言い訳はつくでしょう?貴女やアルピナ様が出てくるほどの話とは思えないけれど……エルフの姫君というのが問題なのかしらね?だったら私達を売ってエルフと講和でもすれば良いのでは?……もっとも、その時は私達と貴女達で戦争ね」


 険悪である。とはいえ、である。私からすると、テオさんの情報不足といった感じである。レアさんが今どこにいるかを把握していればこんな険悪にはならなかったと思う。ので、お伝えしようかなと思った所で私の動きが察されたのか、視線でメイドマスターに止められた。


「テオドラ。憤るのは結構。ですが、私は、我が主と申しました。その意味、分からない貴女ではないわよね?もう一度言います。従いなさい」


 という事は、である。ゲルトルード様からのお達しというわけだ。気になるのは、先陣を切るためなのか、エリザのために動いてくれたのか?のどっちなのか、である。私個人としては後者であって欲しいと思う。ゲルトルード様自身がイノシシ系みたいなので前者な気がしてならない……。そんな不安を浮かべていればテオさんが首を傾げ、不思議そうな表情でメイドマスターを見ていた。


「マグダレナ?……もしかして……眉唾な噂だと思っていましたけど。……撤回します。マスター、申し訳ありません。この件に関してはバレンブラッド家の者として国の側に周らせて頂きます。……そういうわけなので、さっさと負けを認めて下さい」


 一転して、ほぅ、と柔らかくため息を吐き、次いでテオさんの口元が僅かに緩んだ。

 テオさんとゲルトルード様がどういう関係にあるかはわからないけれど、バレンブラッド家もまた皇族に近い貴族様なのだろうか?ゲルトルード様が動けば従うような、そんな関係なのだろうか。


「かっ!分かった。分かったよ、お前まで敵に回ったら仕方ねぇよ。俺の負けだ。従ってやるよ。ただ、俺らを曲げようと思っているなら、牙を剥くぜ?」


「その心配はありません」


 そう言ったのはメイドマスターではなく、テオさんだった。ゲルトルード様の気性を知っていれば確かに心配はないだろなぁと思う。


「そうかよ。分かったよ。そっちはテオに任せたぞ。……しっかし、黒夜叉姫に出会ってから俺、負けてばっかりじゃねぇか?」


「……思わぬ所から矢が飛んできた気分です」


「かっ!つまらん冗談だよ。自分の人生を人の所為にする程落ちぶれちゃいないんでね」


「剣士なのに矢とか何事かと思いましたけど、それは何よりです」


「たまに使うけどな。ちなみに矢といえば、そういうのはテオが得意だぞ。男共が自分から刺さりに来るからな。射止められた心臓ハートは数知れずってな!」


 ぎろり、とカイゼルがテオさんに睨まれた。


「なるほど。で、カイゼルの心臓には狸さんが巣食っている、と」


「ほんと、容赦ねぇなぁお前!」


 良くやった、とテオさんが親指をぐっとしていた。

 などと、そんな風にカイゼルと二人、ケタケタと笑い合っていれば、新たな料理……というよりもつまみを作り終えたリオンさんが、出来あがったばかりのそれを皆の前に並べ、終わったと同時に私に声を掛けて来た。


「ところで、カルミナさん。何かあったんですか?」


「まだ言っていませんでしたっけ。純血エルフのお姫様を私が攫った所為で、ギルドさんとエルフが敵対関係になったんです。その純血自慢のエルフというのがこの間言っていた栗鼠さんの飼い主さんで、エリザの妹のレアさんです」


「純血エルフの、ですか……」


「良いエルフさんですよ?」


「ふむ。人見知りの激しい純血エルフが……ですか。なるほど」


 何か納得したようだった。しきりに頷いている辺りが相変わらず意味深である。


「リオンさん。新たにガントレットを搭載したカルミナちゃんによる」


「いえ、結構です」


 みなまで言わせてもらえなかった。

 残念に思いながら、腕も治って来たのでどうやってリオンさんを殴ろうかと思案していた所、リオンさんがメイドマスターに向かって声を掛けていた。それを見て隣の学園長がリオンさんの作ったつまみを啄みながら、何だか切なそうな表情を浮かべていた。そして、そんな親友の視線を受けながらも毅然としたメイドマスターの態度は流石だった。……ちなみに、そんな学園長の姿を見て『意外と面倒な人だな、この人』と思った私は悪くない。えぇ。きっとメイドマスターなら同意してくれるはずである。


「リオン様、何か私にありましたでしょうか?」


「はい。お城ついでに、ですが、アルピナちゃんと会わせて頂けませんかね?」


「どういう心境の変化かは分かりませんが、その件に関しては、是非、こちらからもお願いしたく思います。それと、不躾ながら、もし可能でしたら、我が主ともお会いして頂ければと思います」


「はい。構いませんよ。事のついでですし。まぁ、出来れば一緒が良いですけど」


「ありがとうございます」


 スツールから立ち上がり、次いで学園長の背中をばしりと叩き学園長も立たせて、二人で頭を下げていた。そんな二人に止めて下さいとばかりにリオンさんは手を振る。なお、カイゼルはそれを見て再びグラスを思いっきり空けていた。


「何かアルピナ様に御用ができたんですか?」


 言いながら、空いたカイゼルのグラスにエールを注ぎ、次いで、ぐび、ぐびと話の輪に加わる事なく呑み続けているボストンさんの空いたグラスにもエールを注ぐ。


「アルピナちゃんに賭けの対価を頂く必要がありました。……折角ですから洞穴から出てくる者や浅い層の梅雨払いをお願いしたかったのですが……その間に城や街がエルフに乗っ取られたなんて聞いた日には次の日には崩落ですしねぇ」


「師匠が、城を、ですかね?」


 メイドマスターとテオさんがぴくり、と反応した。

 そんな二人の反応を軽く無視しながら、想像する。ケタケタ笑いながら右手一本で城をすり潰してしまいそうである。ほんと危険極まりない生物である。


「はい。いやぁ、歳を取ると気が短くなって仕方ありませんねぇ」


「普通、逆では」


「すり減っているんじゃないですかね。ほら、経年劣化とか。まぁ、そういう戯言はさておき。あれです。帰って来た時に住む場所がなかったら嫌でしょう?」


「それは……嫌ですね」


 そこに住まう者達もまた居なくなっていると言う事なのだから。


「あっちの方は正直、ティアがいれば全部事足りるといえば、そうなんですよ。流石、私の娘です。所詮、私なんて食事担当でしかありませんし。けれど、今回はカルミナさんに来て頂けるという事で少しでも危険を、とは思ったのですが……純血エルフさん達に邪魔されるとなると、そっちの方が遥かに面倒で迷惑なので……」


 さらっと『流石、私の娘です』とか挟んだ辺り、相当親馬鹿である。


「アルピナちゃんにはむしろ率先してエルフ達の相手をして頂く事にしましょう」


 にこやかに、そんな事を言ってのけた。

 


―――



 人が減ればそれだけ音は小さくなる。『ところで、何故貴女はカウンターの向こう側にいるの?』とカウンター越しに返答に困る発言をしている学園長を引っ張ってメイドマスターが帰って行った。『来られる際には是非、マジックマスター様もご一緒に!』という台詞は学園長のソレと大して差がない、という突っ込みを入れる間もなく、颯爽と立ち去った。状況を思えば悠長にしているわけにもいかないのだから当然だろう。寧ろかなり長居していたと思う。

 そうして、僅か静かになる。

 ボストンさんとカイゼルは延々と酒を飲みながら、それでも騒ぎ立てる事もなく静かに酒を堪能していた。テオさんはそんな二人を眺めつつ、時折、リオンさんのつまみに舌鼓を破壊されながらも、ゆるやかに時を過ごしていた。三人とも気楽そうだった。いや、気が楽そうだった。そう問いかければ、『ここにはギルドの奴らはいないからな!』なんて事を言っていた。それを聞いてテオさんとボストンさんが苦笑いをしていた。三人は子供の頃からの知り合いだという。気心知れた者達と呑む酒はまた違う、そんな事を言いながら、彼らは静かに酒を嗜んでいた。


「そういえば、私、テオさんの事を探していたんですよ」


 そんな三人の空気を壊すのも忍びない。だからこそ、暫くは三人の様子を見ているだけだったのだが、いつしか男二人だけで話始めたのを良い事に私はテオさんに声を掛けた。


「それは嬉しい御言葉ですね。何かありました?」


「お願い事が」


「私に出来る事でしたら、何でも聞きますよ」


 即答だった。


「剛毅ですね、テオさん。さっきの食事もそうですが」


「即断即決。それが秘書として重要なので。……それに、命の恩人のお願いですからね。尚更です」


 くすり、と小さく笑う姿が可愛らしい。先ほどメイドマスターと険悪だった時の姿など、この表情からはまったく想像がつかない。


「今日、今すぐにとかではないのですが、都合の良い時で結構ですのでリヒテンシュタインの屋敷に来て頂けませんか?」


「リヒテンシュタインの屋敷に?この私が?むしろ、リヒテンシュタイン公が嫌がるのでは?」


「いえ、そこは大丈夫です。ほら、えっと……未踏なんとかの証人が必要だとかで……あれがあると私、お名前を頂けるのです」


「なるほど理解しました。……しかし、よもやこんな短期間でその名前を名乗る者が出てくるとは。そもそもリヒテンシュタインの名もなく二つ名を持っているのですから、凄いですよね、カルミナさんは」


「あの恥ずかしい二つ名の出所はテオさんの所のマスターだと聞きましたけどね!」


「良いじゃない。格好良いわよ、黒夜叉姫。私なんか、紅茶姫とか言われているのよ?ほんと、なんでよ」


 言ってがくり、と頭を垂れた。

 テオさんが紅茶のお姫様……似合うと思う。昼下がりの窓際で紅茶を嗜むテオさんの姿を想像すれば、なんともお似合いな感じである。……それに夜叉なんていう物に比べて相当に可愛くて良いと思う。そんな風に考えていた私の眼がまた口程に物を言ったのか、ぶすっとした表情をされた。とはいえ、それも一瞬。次の瞬間には、


「今度からカルミナ=リヒテンシュタインさんとお呼びした方が良いのかしらね」


 くすくすと笑っていた。

 この人、中々に意地悪である。


「あぁ、いえ。ディアナ様曰く、カルミナ=ドラグノイア=リヒテンシュタインだとか。ディアナ様のミドルネームなんて貰っても何の意味もないんですけどね。……やっぱりあれですか。女奴隷を大量に囲っている理由が関っているんですかね……」


 ぶるり、といつだったかを思い出し、身が震えた。


「カルミナさん……それは本当に?」


「はい?えぇ。リヒテンシュタインと言ったら、先輩にもディアナ様にも修正されましたし、聞き間違いではないかと」


「……カルミナさん。貴女は何者なの?」


 ふいに、真剣な表情をしてテオさんがカウンター越しににじり寄って私を見つめる。見た所でぼさぼさの黒い髪ぐらいしか見る物もないのだけれども。いや、それも見る価値はないけれども。


「何ですか突然。何者もなにも、しがない村出身の普通の女の子ですけど。言いませんでしたっけ?」


「そういえば、村に来られていた教会の者について聞いていましたね」


「はい。ディアナ様はその人の事を知っているみたいですけれど……教えてくれませんでした。残念です」


「その村、特徴などはあるのかしら?」


「髪の色が黒、というとまた師匠に怒られそうなので、黒っぽい人が多い所ですね。他は特に思いつきませんね。……とはいえ、今、あそこがどうなっているかは分かりませんけど」


「………………そう」


 長い沈黙の後、テオさんが納得したような、していないようなそんな曖昧な表情を浮かべた。それも数瞬。一度頷いたかと思えば、


「聞きたい事も出来ましたので、是非、リヒテンシュタイン公の所にお邪魔させて頂きますね」


 と。その聞きたい事というのは教えてくれそうになかったけれど、それでも来て頂けるなら嬉しい。


「ありがとうございます。これで怒られなくて済みます……もう遅いかもしれませんけれど」


 早急に、という話だったので間違いなく小言ぐらいは言われるだろう。ご機嫌伺いにリオンさんに別の本を貰っておこうかな、とそんな事を考えている時だった。

 どかどかと大きな音が聞こえたかと思えば、我が物顔で店内に戻って来た人、もといドラゴンがいた。


「あら、何よ、辛気臭い教会の奴が居るわねって……あぁ、また貴女なの。何よ、今日も天使を呼んでくれるの?それは嬉しいわね。どうぞ呼んで頂戴?ほら、早くしなさいよ。また、目の前で喰ってあげるから」


 湯あみでもしていたのかその金色の髪から湯気を上げつつ、手に小さな黒い鍋のような物を持って、面倒くさい事を言っていた。そんなドラゴン師匠の平常運転な発言はさておいて、その湯気に疑問を浮かべつつ、黒い鍋を見て、ドラゴン師匠が戻って来たという事は、きっと仕上がったという事なのだと理解した。


「マ、マジックマスター様!お、覚えてくださっていたんですね!」


 湯気の上がる髪やら大変麗しい感じになっている鎖骨やら黒い鍋に視線を引っ張られていれば、騒ぎ立てる人がいた。ついさっきまで格好良い感じで話をしていたはずなのに……。ここにメイドマスターが居なくて良かったと本気で思った。きっと二人できゃーきゃー言っていたに違いない。


「あぁ、ティア。予定より早かったですね。お帰りなさい」


「ただいま、パパ。で、そこの教会の奴。ここに来るなら天使ぐらい引き連れてくるのが筋ってものじゃないの?」


 お腹が空いているのだろうか。


「いえ、あれも……その。私がお呼びしたわけでは……近頃、洞穴内で天使様を見たという噂もありましたし」


「……へぇ。それは面白い話ね。聞かせて頂戴?」


 言い様、カウンターへ黒い鍋をことん、と置いてテオさんの隣の空いた席へとドラゴン師匠が座る。座ったと思えば、白く長い指先でくい、くいと何かを要求する。その仕草に一つため息を吐きながら、新しいグラスを取り出して、残り少なくなった樽の前で足りるかな?と思いつつ皆と同じエールを注ぐ。


「お帰りなさい、呑んだくれ師匠」


 音を立てずカウンターにグラスを置けば、『流石、弟子。分かっているわね』というありがたくない言葉と共にエールを一気に喉に流し込み、たん、とカウンターへと。それを受け取り、再度樽からエールを注ぎ、カウンターへと。全く、弟子使いの荒い師匠である。


「で……カルミナちゃん。その不思議そうな表情は何かしら?鳥が卵を喰ったみたいな顔して」


 瞬間、脳裏に自分の産んだ卵を丸呑みして、しまったと後悔している生物が思い浮かんだ。居るのだろうか、そんな阿呆な生物。洞穴内にならいてもおかしくはないだろうけれど……。


「その黒い鍋もそうですが、師匠が湯上り姿なのが……鎖骨が眩しい感じです。湯あみでもしていたんですか?いつもはカラスなのに」


「誰がカラスよ。カラスは貴女じゃない。ま、あれよ。魔法って便利よね。水と火があれば即席温泉……じゃないけれど、湯船の完成よ。流石、私っ!」


 変わらず金色の髪からは湯気が立っていた。その姿を見ていれば、水も滴る良いドラゴンとリオンさんが言っていた言葉を思い出す。

 艶やかな髪質が潤いを増し、ふわっとドラゴン師匠が髪を撫でれば、そよぐ僅かな風に漂う香りが鼻腔を擽る。私はもう慣れたけれど、いきなりこれが眼前に現れれば、戸惑っても仕方ないだろう。テオさんは当然として、カイゼルとボストンさんまでそんな感じであった……いや、カイゼルのその視線は、違うか。


「あら?殺して欲しいのかしら?パパの客だし、仕方ないから全力で侮ってあげるわよ。ほら、その男を振りほどいて全力で私に向かって来なさいな。駆けつけてきなさいな。その鍛えた拳を是非、私にお見舞いして頂戴?……もっとも、辿りつけたらね?高嶺に咲く花に挑むのだからそれぐらいの危険は侵してしかるべきでしょう?」


 私や先輩が呪われているのだ。当然、カイゼルもドラゴンゾンビの呪いを受けていてもおかしくはない。だからその行動は必然だった。ドラゴン師匠に見惚れていたにも関わらず、それを振りきったボストンさんが、カイゼルの腕を咄嗟に押さえていなければ、素手で殴りかかって、結果、肉塊の出来上がりだったであろう。不自然に吹いた風を思えば、切り刻まれ、店の中が血塗れになった可能性もある。

 押さえられていようと、しかし、ケタケタと笑うドラゴン師匠に向かい、カイゼルが足を踏み出そうとする。


「ティア」


「ハァ。客が一人減ったからって何よ。……分かったわよ。パパに言われたら仕方ないわね」


 ため息一つ、腰元から例の仮面を取り出して装着すれば、カイゼルの動きが僅か緩み、それを好機と捕えたのかボストンさんが両腕をカイゼルの脇の下に通してはがいじめにしていた。


「マ、マスター?」


 突然の事に同様を隠せぬテオさん。無理もないだろう。猛る言葉もなく、無言で、しかし狂ったような瞳で、女に襲いかかろうとしたのだから。理由を知らなければ疑問に思うのも当然だろう。


「テオさん。師匠の所為ですので御気になさらず」


「カルミナさん?」


「ちょっとカルミナちゃん。私の所為というよりも腐れドラゴンの所為でしょ?」


「まぁ、そうですけど。ともかく、です。ボストンさん、暫くカイゼルをお願いしますね」


「暫くで……良いならな」


 言いながら、痛みに顔を歪めていた。満身創痍の体に、人間の限界を超えるかのような力でその束縛から逃れようとする者を捕えているのだから。

 或いは普段のカイゼルなら耐えられたかもしれない。酒を呑んでいて、さらに気心しれた者達と会話をしていた所為で気が抜けていた所に凶悪な殺意が沸いてくれば止める理性など沸くはずもない。

 だが、そんなカイゼルは見ていられなかった。

 思い立ったと同時にカウンターから出てカイゼルの前へと。


「それでも小さな国の王ですか。しっかりして下さい。私は出来ましたよ?貴方にもできますよ。なにせ、私の戦友ですからね」


 同じ状況に至った事もある。故にその辛さは分かる。

 それでも、カイゼルならきっと大丈夫だと思う。テレサ様を見る事が出来るぐらいに心が強いのだから。それに、誰もが恐れる敵わぬ者の象徴であるドラゴンに真っ先に駆け付けた男なのだから。そんな呪いなど、何ほどのものか。

 目をしっかりと見据えていれば、いつしか、そこに理性が戻って来たのが分かった。


「かっ……全く、恥ずかしい姿ばかり見せているなぁ、おい」


 浮かんだのは苦笑い。

 それを見て、ほっとする。


「ボストン。もう大丈夫だ。迷惑掛けたな……なんだってんだよ今のは……」


 言われるがままにボストンさんが腕を離し、地に足をつき、次いで頭を下げた。


「そこな女性。申し訳ない」


「あら、人間にしてはやるじゃない。三度会ったら名前ぐらい覚えてあげても良いわよ」


 カイゼルの言葉に何の事もない、とケタケタ笑いながら、ドラゴン師匠がそんな言葉を掛ける。

 ふいに。その言葉の本当の意味は、もしかすると、ずっと覚えていてあげる、という事なのかもしれない。そんな事を思った。誰も彼もがリオンさんとドラゴン師匠を置いて駆け抜けて行く。この人達の永遠のように長い時間。そんな時間を越えてでも覚えていてくれるというのはとっても嬉しい事だと思う。失い、忘れさられるのはとても悲しい事だから。


「人間……?」


 ドラゴン師匠の言葉に疑問を浮かべているカイゼルを余所に、テオさんがカイゼルを心配しつつもどこか羨ましそうに見ていた。そろそろ自重が必要じゃないだろうか、この人。


「ティアがご迷惑をおかけしましたね。これは私からの奢りです。飲めば楽になるかと思います」


 仕切り直しのような、そんな様相でリオンさんがカイゼルの前にどろり、とした液体の入ったカップを置く。リオンさんに言われるがままにそれをちびちびと呑み始めたカイゼルを横目に、私は再びカウンターの内側へと入り、ドラゴン師匠の前に立つ。


「ところで、師匠。その湯船とやら後で私にも入らせて下さい」


 黒い鍋も気にはなる。が、乙女としてはそっちも気になるという話である。


「いやよ、面倒くさい。これあげるから自分で湯を沸かせば良いじゃない」


 言い様、カウンターの上に置いた鍋をドラゴン師匠が指先で弾けば、鍋がカウンターを越えて私へと飛んできた。くるくると空を舞う取っ手の付いた黒い鍋。大きさは私の顔ぐらいだろうか。重そうだなと思う間もなく、飛んできたそれを反射的に受け取った。

 受け取れば、それはまるで羽のような軽さだった。寧ろ心もとないとさえ感じるほどに。

 そんな鍋の取っ手を持ったり、裏を見たり、表を見たりしながら思う。またしても黒さが増すな、と。


「それだけ軽ければ貴女でも持てるでしょう?苦労したのよ。ほら、さっさと褒めなさい!アダマンタイトを限界まで薄く伸ばして作り上げた逸品よ!加えてオブシディアンと夢見蛙の粉末をこれでもかと内蔵した超素敵鍋よ!配合比からするとほぼ蛙ね!とっても貴女にお似合いね!さぁ、これで好きなだけお湯を沸かしなさい!沸かしている間に溜めたお湯が冷めるに決まっているけどね!さぁ、終わらないお湯作成に勤しみなさい!」


 鬱陶しい。


「流石、師匠ですね!ありがとうございます!」


 結果、ちょっといらっとしながら言ってしまった。


「ふふん」


 胸を張っていた。嬉しそうだった。とことん安いなこのドラゴン。


「ちなみにどうやって火を付けるんですかね」


「こう、あれよ。ぐっとやるのよ」


「ぐっと……」


 とても抽象的だった。やっぱり魔法というのはそういうものなのだろうか、と思った。これじゃきっと使えないだろうなぁと考えていたものの、取っ手の部分を言われるようにぐっと強く握れば鍋の下に火が沸き上がった。握りを弱くすればそれに伴って火が弱まって行く。どうしてそれで火がつくかなんて分からないけれど、凄いものなのだという事は分かった。


「師匠!これは、素直に凄いですね。……これで洞穴内でも好きな時に焼いて食べられますね!とっても嬉しいです」


「ふふん!もっと褒めてもいいのよ!」


 小躍りしたくなるぐらいだった。自然、頬が緩んでくる。洞穴内でも焼き物が食べられるのである。良い事である。とっても良い事である。


「皇剣カーネリアンと同じ……まさに秘儀ですね!あぁ、マジックマスター様の御業、素晴らしいです。この目で見られる日が来るなんて……ところで、カルミナさん。ものは相談なのですが」


「テオさん。そろそろ自重すべきだと思います」


 ほんと、なんというか、人の知られざる一面というは知らない方が幸せな事もあるという話である。


「かっ!これが噂のマジックマスターの力か。すげぇなぁ。俺の剣もそんな風に炎が出てくるように加工をお願い出来たりしてねぇか?よしみでさ」


 酒の影響や師匠の影響の所為で多少辛そうではあったが、リオンさんから貰った飲み物の御蔭である程度復活したカイゼルがまるで子供の様な表情で私に言ってきた。


「何のよしみですか」


「戦友だろ、俺ら」


「そういえば、そうでしたね」


「さっき自分で言っていたよなぁ!?」


 あぁ、聞こえていたんだ。ちょっと恥ずかしい。


「……ま、言ってみただけさ。しかし、そんなすげぇもんの使い道が食事かよ」


「鍋ですよ?それ以外の何に使うんですか……あぁいえ、殴るのに使う事も可能とは思いますけど。ですよね、師匠?」


 と、問いかければドラゴン師匠がカウンターの内側に立って何やら色々と物色していた。自由だった。


「当たり前じゃない私が作ったのよ?この私が!オブシディアンもうまい事混ぜてあるから悪魔も殴れる素敵仕様に仕上げてあるわよ」


 いや、あまり大きな声でオブシディアンと言うのはどうかと思うのだけれども……確か国の管轄だったはずだし……いや、もう良いのかな。どうだろう?


「そりゃ本気ですげぇな。だったら幽霊も叩けそうだなぁ……しっかしなぁ、黒夜叉姫。包丁と鍋が武器の自殺志願者って、お前何しに洞穴に行くんだよ」


「……探索ですよ?」


「何の、だよ」


 そんな馬鹿な話をしていれば、師匠がカウンターの内側から出てスツールに座る。何を探していたのだろうか?と疑問に思う間もなく分かった。手に持っているそれをエンジェルダストとリオンさんは呼んでいただろうか。がりがりとそれをつまみにしてエールを呑んでいた。

 がり、がりという音が何度か鳴り、音が鳴り終われば次いでそれを胃の中に流し込むようにエールを口腔へと。その姿がまた色っぽいというか目の毒だった。食べ終わり、呑み終わり、ふぅ、と息を吐く姿もまた。


「それじゃ、これでパパの命令は全部終わったわね。じゃあ、行くわよ弟子」


 けれど、次いで出た言葉は相変わらずのドラゴン師匠だった。あまりにもいきなり過ぎて流石にリオンさんも吃驚していた。リオンさんの吃驚した姿って、もしかして初めて見たかもしれない。

 というか、テオさんに話を聞くのはどうしたのだろう……。ちょっとテオさんが手持無沙汰っぽくて可哀そうだった。


「いきなりにも程がありますね」


「何よ、早いに越したことはないでしょう?こんな揺れっぱなしじゃ埒があかないでしょ?それとも何?遅いのが良いの?厭らしい子ね、カルミナちゃん」


「誰が遅漏好きですか。あぁいえ。今のは忘れて下さい。つい。それで、ですね。……まだ腕が治りきってないんですよ。それと、ディアナ様の所に行かないといけないんです」


「腕はまだしも人間の都合なんて私にはどうでも良いわ」


 ふん、と不貞腐れたようにドラゴン師匠が追加の酒を所望する。『言う事聞かない弟子ね!』とか言いながら。


「どこか行かれるんですか?カルミナさん」


「ちょっと殴りたい相手がいるのでぶん殴りに行こうかな、と」


「……な、殴りに?マジックマスター様と一緒に?」


「はい。あと、リオンさんもですね」


 首を傾げられた。隣で聞いていたカイゼルも、ボストンさんも不思議そうに首を傾げていた。説明しても仕方が無い。再度思う。それに、言って信じて貰えてもきっと止められるだろう。けれど、止められたとしても、任せられる者に任してお前は大人しくしていれば良い何て言われても、結局、私は行くだろう。私自身が行きたいのだから。だから、テオさん達には言わないでおこうと、そう思った。


「全く。ほんと、カルミナちゃんは自分勝手なんだから」


「師匠。鏡、持ってきましょうか?」


「どういう意味よ」


 そう言う意味である。

 ともあれ、平行線だった。ドラゴン師匠からすればもう殆ど治っている私を待つ理由もない。ましてディアナ様の所に行かなければならないなどという私の都合などどうでも良いのだ。世界を崩壊から守ろうというのだ。そんな事は所詮、瑣末である。それに、こうやって言葉を交わせている段階でかなりドラゴン師匠は譲歩してくれている。それこそ私とリオンさんの首根っこを引っ張って行けば良いのだから。

 そして、そんな人間とドラゴンの作り出す平行線を交わらせるのはやはりリオンさんだった。


「ティア。何やらエルフと人間が戦争をするそうです」


 リオンさんがドラゴン師匠に向かってそんな事を気軽に言ってのけた。まだ戦争するとは確定していないのだけれども……リオンさんの中では確定事項なのだろうか。


「あら。馬鹿なエルフどもが態々死にに来るの?だったら、殺しても……って冗談よ、パパ。あんな不味いモノ誰が好き好んで殺すってのよ。人間に任せて高みの見物といくわよ」


「そっちは優先なんですね」


「そりゃ、馬鹿なエルフがこぞって死にに来るんでしょう?何を置いても見るでしょう?」


 何を言っているの?この馬鹿弟子、と言わんばかりの表情をされた。心外だった。

 あまつさえ呆れたとばかりにふるふると頭を振った後、ドラゴン師匠が、しびれを切らしたのかなんなのか、またしてもカウンターの内側に入り、あろうことか樽に口をつけてそのまま流し込もうとした。ので、急いで止めた。


「何しているんですか、師匠。……後で渡そうと思っていましたけど、師匠にはお礼も兼ねて酒を買ってきているんで、そっちを飲んで下さい」


「あら、殊勝な弟子ね」


 割と嬉しそうだった。そういう表情をいつもしていてくれれば良いと思う。本当に。お土産に買って来ていた酒を取り出し、新しいグラスに注いでいれば、ドラゴン師匠がテオさんの方を向いていた。向かれたテオさんは当然、心ここに非ずといった所である。


「……で、待たせたわね、教会の奴」


「い、いえ!待っていません!」


「それで何よ、天使が目撃されていたという話みたいだけど、第二階層とやらなのかしら?」


「いえ。それなのですが、第一階層でも見かけたという方もおられます。洞穴内は松明の灯りだけが頼りですから、当然なのですけれど、最初は見間違いだと思ったらしいです。事実、先日お助け頂いた時までは私も噂程度としか思っておりませんでした。そもそも天使様が本当に姿を現しになるなど……」


 極々稀にしか天使の目撃情報はないのだと思う。それこそ宗教になるぐらいの、そんな頻度。天使に見初められた者を連れ去ろうとした時に遠方から目撃されたとかそんな程度なのだろう。


「……目撃情報があったと言う事は、殺されなかったという事よね。天使が、ねぇ?あぁ、教会では天使はそんな野蛮ではないとか教わっているのかしらね。ごめんなさいね、そんな敬虔な信者の前で信仰対象を喰ってしまって。……とっても、美味しかったわよ?」


「あ……その」


 相変わらずのドラゴン師匠である。言われたテオさんは、何ともいえない表情をして、流石にドラゴン師匠から視線を逸らした。


「それで終わり?」


 視線を逸らされたドラゴン師匠は、もはや興味を失っていた。人の神様を壊そうとして洞穴内に存在していてもそれは当然のことで、ドラゴン師匠にすれば当たり前の話なのだ。精々、今からいって殺戮してくるぐらいだろう。けれど、話はまだ終わっていなかった。

 訝しげな表情を浮かべながら、テオさんが、


「いえ、その……何かを探しているようだった、とか」


と。

 それは、例えば天使の痣を入れられた者を探していたのだろうか?それとも天使の痣を、呪いを与える者を探していたのだろうか。残念ながら、考えても分かりそうになかった。それ以前に、早々そんな者がいるとも思えないし……。


「へぇ?……その噂とやら、いつ聞いたものなのかしら?」


 ともあれ、そんなテオさんの言葉に、ドラゴン師匠の興味が戻って来たようだった。


「最近です。……ゲルトルード様のお噂を耳にした頃です」


 その言葉を聞いたドラゴン師匠が、一瞬、リオンさんと私を見たような、そんな気がした。その事に首を傾げる間もなく、


「ふぅん?じゃあ、その天使とやら食べてくるわ。二、三日で戻るから、今度こそ、ちゃんと治しておくのよ」


 言って、スツールから立ち上がり、ドラゴン師匠が店の奥へと、否、洞穴へと向かう。


「師匠、エルフは?」


「そんなもの、二の次よ」


 嵐のようだった。

 嵐のように現れては消えて行く。そんなドラゴン師匠を皆、呆然と見送り、それから暫く立ってから大人達の宴は終わりを迎えた。


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