第12話(終) 遠い日の約束
12.
それからの彼の人生を端的に表すのならば、永遠より短い時間を、夢から覚めた神を殺しながら生きていた、ただそれだけである。嘗て交わした約束を守るために今の今まで死んだり、生き返ったりを繰り返していた。
そしてもう幾度目かの死から、今、漸く、意識が現実へと帰って来た。
長い、永遠より短い夢を見終わり、戻って来た。
「漸くお目覚めね、パパ」
「ティア?」
引き摺られていた。
ずるずると地面を引き摺られていた。
こんな生き返りは中々ないな、と昔を思い出そうとして止める。つい今しがたまで昔を思い出した所なのだから。
「そうよ、私よ。ガラテア様よ。貴方の最愛の義娘様よ。あぁ、最愛の一つ下だっけ?」
「まぁ、そうですねぇ。……おや、カルミナさんではありませんか。こんな格好で失礼」
意識を取り戻しても変わらず引き摺られていた。腕を引っ張られ、ずりずりと地面を引き摺られていた。頭を地面に打ち付けない腕を引っ張ってくれている事に少しのありがたさを覚えていた。と思えば、まだ彼の足先は再生中であった。これは再生が完了していたらそっちを持って引っ張られていたに違いない、と確信する。頭をぶつけていた方が目を覚ましやすいでしょう?とか言いながら。
「お久しぶりです、リオンさん。で、生き返って早々申し訳ないんですけれど、一発ぶんなぐって良いですかね?」
「痛いのでお断りします」
黒い髪の少女。
心優しい少女。
悲しみと怒りとそして優しさを携えた少女。
神様にすら殴ってみせると言ってのける少女。
その事が頼もしいと感じる。彼が誰かに期待する事はあまりない。過ぎ去って行くばかりの彼の人生においてそれは当然であった。けれど、それでも彼は彼女に期待したくなった。ただの人間。もしかすると混じっているのかもしれない。だが、それでも弱々しい、どちらかといえば戦う力など殆どない者だ。けれど、力などに意味は無い。そんなもので悲しみに泣く神を、この大陸の自殺を真に止める事などできはしない。そんなものであればガラテアがいれば十分な話だ。
パンドラよりも更に博愛に満ちているこの子ならば、きっと神様すら救って見せるだろう。そんな勝手な期待を彼女に寄せていた。そう勝手な期待だ。彼自身それを理解している。『彼女の愛した世界』が続くように、悲しみに泣き続ける神を止める、それが彼の目的であり約束であるのだから。利用していると言えば、確かにその通りだ。けれど、きっとこの子はそう思わないのだろう。泣いている神様がいるのならば殴ってやるとそう言ってのける。だからこそ、尚更に彼は期待してしまうのだ。そんな事知らないと言ってしまえないこの子だからこそ、期待してしまうのだ。止めるだけならばリオンとガラテアが動けばそれで済む話だ。けれど、パンドラが真に望んでいたであろう『神様をなだめ、慰める』という事を、事も無げに言ってのけるこの子だからこそ……。
「じゃあ、後にします」
「せめて怪我が治ってからにした方が良くないですかね?それだと怪我悪化しますよ?」
「殴られる側に心配されるというのも変ですけれど……治るまでに覚悟しておいてください」
「そんな覚悟したくありません」
それまでに、どうにか餌で釣るとしよう。そんな事を考えながら、彼はガラテアに引き摺られて、家へと連れて行かれていた。
彼らの居場所。
かつてパンドラが居た場所へと。
「そういえば、アルピナちゃんは無事でした?」
「えぇ、リオンさんの御蔭で無事だったみたいです。塔の瓦礫に挟まって分断されているリオンさんの死体に泣きながら縋りついている所をドラゴン師匠が無遠慮にぐいっと引き抜いた結果、噴き出した血の所為で血塗れになって倒れましたが……メイドマスターが駆け付けてくれてなんとかなりましたけど……」
「それは悪い事をしましたねぇ」
「後で謝っておいてください色々と。いやもうあんな取り乱したアルピナ様を見たのは初めてです。えぇ。年相応ですよね、って同い年ぐらいでしたっけ、私。いや、それは良いとして……ともかくですよ、リオンさん。ほんと後で謝っておいてくださいね。色々と。あと私にも」
笑う。
まくしたてるように語る彼女に、ついつい笑う。
「今日のカルミナさんは煩いですねぇ」
それはまるで、どこかの博愛主義な誰かさんのようだった。
「失礼な」
憤る言葉もまた、そうだった。
「まぁ、とりあえずお詫びも兼ねて、家についたら食事にしましょう。とっておきの物を出しますよ」
「そんなことで騙されませんよ?……でも、一応聞かせてください。それってモツですかね?」
安い少女だった。
「じゃあ、主食はモツにしましょうか。メインは長い年月熟成された……」
「パパ!私も!私も!」
「はいはい。分かっていますよ、ティア。今日は特別です」
「やった!パパ大好き!愛してる!」
「それってやっぱり、パパの作った酒が、ですよね?」
「……えへ」
視線を逸らす義娘に、苦笑する。その辺り、どれだけ年月が経っても変わらない。そんな変わらない義娘……変わらなくなった義娘を彼もまた愛していた。
「なんかドラゴン師匠がえらく可愛らしい……というか、お酒ですか?私、もう二度と呑まないと誓ったんですが……」
「大丈夫ですよ、カルミナさん。弱い人でも大丈夫ですし、後に引く事もないのでご安心を。傷にも効きますから薬だと思って試しに飲んでみてくださいな」
「えっと、ちなみに原材料は?」
「一言では難しいですが……えっと、最初に作った物は蠅の内臓ですね。そこから色々改良した後に、天使やら悪魔やら、誰かが乱獲した所為で絶滅したトリタマゴとか、店の前にある紅色のアレ、鳥居と言うんですが、あれの塗装が追加したりして中々芳醇な感じに仕上がっております」
「ちょっと!」
永遠にはまだまだかかるだろう。
彼と彼女の約束がどうなるかも分からない。
神様が、悲しみに泣く事が無くなるのかどうかも分からない。
けれど、とりあえず、今はこの刹那の時を楽しもう。
了