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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
閑章~パンとドラゴンがあっても、神様を食べればいいじゃない~
72/87

第7話 嵐の前

7.



 木よりも高く、雲よりも低く。遥か遠くまで見えるその場所に、一人の男と一人の少女がいた。


「良い天気ですねぇ」


 男の言葉が、風の音に消える。吹いた風は彼らの背後に立つ大きく木々を揺らし、葉の摺れ合う音が周囲に響く。響いた音は天へと、地へと広がって、いつしか消えて行く。そんな事が何度も、何度も繰り返される。

 青い空。

 青い天井。無限よりも尚高いと思える程に、その天井は遠い。さすがの少女の母でもそこまで届く事はないだろう、そんな感慨に似た何かを浮かべながら彼は、彼の足にしがみついている我が子に目を向ける。

 初めて見る青い空に恐れを抱いているわけではない。自らの立つ場所に震えているわけではない。

 ただ、きっと不安だったのだ。

 果てすら見えぬ世界の広さに。狭い、暗い世界で産まれた彼女が世界の広さを知り、自分の小ささを理解したのだ。幾ら強くても、幾ら頭が良かろうと、自分は小さな存在なのだと。

 遠くを見るその爬虫類の瞳。彼よりも尚、遠くまで届く瞳で、少女はどこまで見たのだろうか。どこまで見えたのだろうか。もしかして、世界の果てまでをもこの子は見ているのだろうか。

 そんな事を考えながら、彼はしがみつく我が子の、陽光に光る彼女の透き通るような美しい金色の髪を撫でる。指の間を抜けて行くさらさらとした、しかし潤いを感じる髪質に、いつしか彼はその感触をただただ楽しんでいた。


「パパ、くすぐったい」


 顔をあげ、少女が不満を伝える。

 その表情には、不安など見えなかった。傍にいてくれる者がいるのだから、と。例え果てすら見えぬ広い世界であっても、隣に立ってくれる者がいるのだから、と。


「それは失礼」


 言われるがままに彼は手を止め、止めれば少女が更に不満気な表情を浮かべる。そうではない、と。


「違うの!もっと!」


「注文の多い子ですねぇ」


 くすぐったくないように撫でろという事だろうか。高度な要求をしてくる義娘だ、将来が楽しみであるという親馬鹿な思考を浮かべながら、リオンは再びガラテアの髪を撫でる。

 撫で方を少し変え、しばらくすればガラテアがまた正面を向いた。撫で方に納得したようであった。


「ティア、世界の果てとやらはみえますか?」


「見えない。ずっと、ずっと続いてる。遠くまで、凄く遠くまで続いてるの」


「そうですか」


「うん。そうなの」


 残念そうで、それでいて届かない物がある事を知った喜びを感じる声だった。そして、ガラテアはリオンの足から手を離す。自然、彼の手も彼女の髪から離れていく。


「どうしました?」


「だっこ」


 その言葉に笑みを浮かべ、腰を下ろし右手を差し出せば、慣れたように彼の腕につかまり、次いで彼が立ちあがる。

 腕に座り、胸元にうずくまるように。

 最近のガラテアの定位置であった。


「パパ、行こう」


「そう、ですね」


 名残惜しむ事なく、彼はその場を去って行く。

 生きていればいつだって来られるのだ。

 山の上など、いつだって来られるのだ。

 陽光の照るこの場所に来ることなんて、彼らにとっては酷く容易な事だった。

 彼らにとっては……



―――




「あれ、そんな時期でしたっけ?……ずっと洞穴の中にいたから分かりませんでしたよ」


「パパ?」


 扉を作るための金属を探しに山の中へ。

 山の中にそんなものがあるのだろうか?という事は考えず適当に思うがままに。きっと山の中にあるに違いないという偏見と、小川の中に僅かに流れて来ていた小さな金属を見つけて、それを頼りに川を昇って山の上へと。一度山の頂上まで行った後にその川の源泉を探し、鬱蒼と茂る森の中に彼らはそれを見つけた。

 そこに、ガラテアの髪の色と同じ色をした金属を見つけて、意気揚々と手に取ってみれば、これは柔らかくて食べられそうだ!という事にリオンが気付き、結果、食べてみましょうと親子で話し合い、小川を泳ぐ魚を捕まえ、それに黄金色の金属をまぶしたり、焼いたり、切ったりしながら食べ終わり、食後の休憩にぼんやりとしていた時であった。

 いつの間にか雲が一面に広がっていた空から、白い、白い雪が降って来た。


「……面白い形」


 降る雪を初めて目にし、少女は楽しそうに呟いた。

 一つ、一つ落ちて行くそれらをじっくりと見つめてはきゃっきゃと喜び、手に触れようとして、触れた瞬間に溶けてしまうそれに少しの苛立ちを。何度も、何度も掴もうとしては失敗を繰り返す。


「ティア。雪は掴めませんよ」


「がんばるもん!」


 頬を膨らませて、あちらこちらへと動き回っては雪を掴もうとする。何度も、何度も、飽きることなく。そして、はたと気付いた少女が足を止め、ふいに手を動かした次の瞬間、降る雪は、その手の平の上に留まった。


「パパ!パパ!取ったよ!私、とったよ!」


「なるほど。魔法で手を冷やして、ですか。ティア、やりますねぇ」


 少女の手の平は、霜が下りているかのように白く染まっていた。その上に、舞い降りて来た雪が乗っていた。誘われるように、まるで雪自体がそこに降りる事を望んだように。彼女の手の平であればその身を溶かす事なく降りられると、そう思ったかのように。

 だが、降りた先の末路は、他の場所に降りるよりは寧ろ悲惨であったろう。


「パパ、これでおやつ作って!」


 時が流れるにつれてじわり、じわりと増えて行く手の平の雪。ガラテアのその小さな両手にいっぱいに雪が積った頃、少女は父親にそうせがんだ。

 雪の末路は胃袋のようであった。慌てて溶けだしてももはや、遅かった。


「……難しい注文をする義娘ですねぇ」


 だが、その難しい注文に答えてこそのパパである、という使命感に燃え、彼は幾度かの失敗の後に、それを使ったおやつを完成させた。完成したそれは彼にしては酷く簡単に見えるものだった。付近に生えていた笹を皿のように型作り、その上に白い雪を乗せる。笹の香りが雪に染み渡り、それが鼻腔を擽る。そんな香りが付いた小さな雪山を彩るのは斑点の如くまぶされた黄金色の粉末。黄金色の粉末は川底に沈んでいた金属を削り取った物だった。


「食材に使えるのは良い事ですし、汎用性はありそうですが、どうにも柔らかくて扉には使えそうにないですねぇ」


「うん。使えなさそう!」


 それに何より、量がない。

 そんな事を話題にしながら、二人は斑点に彩られた雪山を口にする。

 舌先に冷たい感触を覚え、それがじわり、じわりと体を冷やして行く感覚を堪能する。その感覚に完成とはいえ、少し失敗したかな、と彼は思う。ただでさえ雪が降って来て体が冷えて来ているのだから、これを食べ終わる頃には更に体が冷える事だろう。爬虫類にとっては尚更に、と義娘に目を向ければ、


「ん?」


 ぺろり、と舌で唇に付いた雪だったものを舐め取りながら不思議にそうに小首を傾げていた。そういう面でも彼女は規格外のようであった。

 そんな少女の姿に愛らしさを覚える。誰が見ても綺麗な少女だった。陽の光の下、しっかりと見たその少女の姿は、生物非生物問わず彼が今までに見た事がないぐらいに整っているものだった。産まれてこの方洞穴内で過ごしていたというのに、まるで元々陽の光の下で最高の輝きを発するように作れていたかのように、美麗であった。夜空を埋める星の輝きすら彼女の足元にも及ばない。彼でさえ、言葉にするのも馬鹿らしいと思うほどだった。そんな少女が、ドラゴンだとは……いや、寧ろ人間ではないと言われた方が納得できるというものだろう。

 とはいえ、である。


「……服、どうしましょう」


「服?」


「はい。ティアが着る物です」


 服とは名ばかりの獣の皮で作った袋然としたそれが酷く似合わない。彼は別に美的感覚に優れた人間というわけではない。だが、洞穴内の薄暗い色合いの中ならばまだしも、こうして少女の姿を目の当たりにすれば、その辺り気にならないでもなかった。何だかんだと、彼は親なのである。


「服なんていらないよ?邪魔だもん」


 獣の皮を引っ張りながら、親の心、子知らずとばかりに飛びだした娘の爬虫類的な発言に、少しげんなりとしながらも、リオンは首を横に振る。


「いえ、それは流石に。やっぱり、ミケネコ君にお願いしますかねぇ……針細工は得意のはずですし」


「?」


「折角ですので帰りに蜘蛛の糸でも集めに来ましょう」


「蜘蛛……蜘蛛……あぁ!あの美味しい奴!」


「違います。あぁいう人間みたいなのが生えた奴ではありません」


 洞穴の中に居た、蜘蛛の足に人の体が生えたような生物。ガラテアに、生きたまま解体させられた生物。その時の化物の悲鳴を思い出して僅かリオンの眉が歪むものの、それも一瞬。次の瞬間にはガラテアに言われたように美味しかった事を思い返し、また食べたいものですとうんうんと頷いていた。


「あれの糸でもよさそうですが……」


 ひとしきり頷き終わり、呆と考えるように空を見上げ、洞穴内に張り巡らされた丈夫な蜘蛛の糸の事を思い返しながら、最悪それでも良い、とそんな風に思う。

 だが、それでは少し面白くなかった。


「折角ですから山とか、エルフの森を散策して見つけませんかね。他の所でも良いですけれども。というか別に蜘蛛に拘る気もないといいますか」


「パパ、適当だね!」


「はい。残念ながら適当です」


 土産話にするならば、初めての事の方が良いだろう。


「では、方針も決まった所で、折角なので、ミケネコ君にも持っていきますかね」


「私、もう作れるよ!」


 言い様、ガラテアが手を動かせば手の内側から雪に似た氷が産まれる。


「それは流石に私でも分かるぐらいに情緒がありませんので」


「えー?」


 不満気な娘を宥めた後、リオンは周囲を見渡す。

 持って帰るほどの雪が積もるにはまだ暫くの時間が必要そうであった。

 しんしんと降り続ける雪は、白く、白く世界を染めて行く。

 青々とした木々の葉に、さらさらと雪が降り積もり、流れるように葉から落ちる物もあれば、そこに留まるものもある。そうして葉が白く、白く染まって行き、いつしか葉の生える樹木すらも白く見える程に。透き通る川の中にはぽつぽつと白い雪が入っては消え、入っては消えていく。空から降り落ちる儚い時間だけの生、溶けて水となったそれは、その終わりにどこへ向かうと言うのだろうか。山を下り、広い広い湖へと、オケアーノスへと続くのだろうか。彼らは世界の果てへと向かう川の先を眺めていた。眺めながら話しあっていた二人もいつしか声を潜め、いつのまにか少女は彼に背を預け、ただただそれが降り積もるのを見ていた。


「パパ」


「はい?」


「ミケネコもいれば良かったのにね」


「そうですねぇ」


「引っ張り出して良い?」


「ミケネコ君が嫌がらなければ良いんじゃないですかね」


「……パパの意地悪」


「辛辣な義娘ですね」


 髪の積る雪を撫で下ろし、ついでとばかりに髪を撫でる。


「……それにしても、ティアがそうやってミケネコ君の事を気にしてくれるのは、私としては嬉しいですねぇ」


 教育が巧くいったのではないか、と。


「当たり前だもん!」


「……当たり前、ですか?」


「だって、パパと同じ匂いがするんだもん。気にするよ!えらい?私えらい?ミケネコの事気にする私、偉いよね?」


「偉いというより良い子ですかね?しかし、同じ匂いですか?」


「同じ匂いは同じ匂いなの!パパ、分かんないの?」


「いや、流石に。私、人間ですしティアほど鼻が効きませんから」


「えへ」


「何故、そこで喜ぶんですかね……まぁ、良いですけど。まぁ、臭うとかいうのでしたら、雪ついでに水も持っていきますかね?」


「パパ……」


「なんですかそのじとーっとした目は」


 丁度、目の前には冷たくて綺麗な水もある。雪と一緒にそれをどうやって持って帰ろうか、そんな事を考えながら、義娘を撫でながら時を待つ。

 持って帰られるぐらいに、雪が積もるのを。

 持って帰って三人で遊べるぐらいの雪が積もるのを。

 ただただ、二人は時を過ごす。

 ぼんやりと、空から舞い降りてくる白い雪を見上げながら。



―――



 雪が止み、黄金色ではない金属と蜘蛛の糸を探しながら山を下っている最中、草木の陰に見えた鈍色の山肌を、ナイフを使って削っていた時だった。

 がきり、という鈍い音と共にリオンのナイフが折れた。


「おや……」


 長い間使ってきた所為もあるだろう。いや、だからこそ彼はナイフの手入れを忘れてはいない。化け物の油や血に汚れればそれを拭き、錆び付かないように手入れをしている。刃が欠けるような事があれば研ぎ、次に同じヘマをしないように注意を払っていた。当然、それは食材以外を切る時であっても、である。今この瞬間も当然。だからこそ、彼は驚いていた。

 ナイフが半ばから折れたのである。

 取っ手の中に錆びが蔓延し、それで取っ手や刃が腐食してしまった、というのならば分かる。だが、そうではない。物の見事に、金属部分が折れていた。

 鈍色の山肌に僅かに見える光沢と折れたナイフに視線を行き来させる。


「……どうしましょう?」


 長年使ってきたという愛着があった。勿論、それを失った事による悲しさなど、彼にはない。手慣れた物が使えない事への煩わしさと少し残念な思いがあるぐらいだ。

 失った物は、壊れた物は元には戻らない。そんな当たり前の事を考えながら、足元に落ちた破片を手に取った。


「パパ、それも食べるの?」


「いえ。錆び取り用に良いかなと。ほら、変な生物の血肉を一杯吸っているので」


 それはおよそ呪われていると称した方が良さそうであった。


「美味しい?」


「任せてくださいな」


 そんな阿呆な父親の姿を、きゃっきゃと面白がりながら、少女は山肌へと近づき、光沢の中に指を入れた。

 そう。

 彼女の小さな指先がどぷ、と泥の中に指を入れたかのように山肌の中にめり込み、次第に指先から手の平、そして手首までもが埋もれて行く。


「最初から任せておけば良かったかもしれませんね」


「私、凄い?」


 肘のあたりまで光沢の中に入れながら、首だけで振り返り、褒める事をせがむ姿は容姿相応の愛らしさがあった。傍から見れば、泥遊びをしている子のように見えて。


「えぇ。流石、『私』の義娘ですね!」


「えへ」


 陽の光にも負けぬ明るさを持った笑顔だった。

 そんな笑顔を浮かべながら、ガラテアは山肌を抱えて、そう、抱えて、抜き取った。

 瞬間、山の中に奇怪な音が響き渡り、それに慌てるように鳥達が飛び立ち、小動物が逃げまどい、木々が揺れた。

 その音に反射的にリオンは耳を押さえる。

 金属を急激に引き裂くとそんな音もするのか、そんな感慨を浮かべる余裕すら産まれない耳に障る音だった。脳髄に響き渡り、吐き気すら沸きそうな程に不快で不愉快な音だった。

 その不快音を発生させている娘の方はといえば、満面の笑みであった。自分が役に立っている事が嬉しいのかどうなのか。それは彼には分からなかったが、音が鳴り止んだのを確認して耳から手を離し、一切の不満を浮かべる事なく、義娘が楽しそうで何よりだ、などとこれもまた阿呆な事を思い浮かべながら姿を現した金属に目を向ける。

 ガラテアが抜き取ったそれは、彼女の上半身ぐらいの大きさだった。彼女の体型的に抜き取るにはそれが限界だったのであろう。それでも、一塊の金属にしては大きな物だった。その塊は、抜き取ったせいであろう、少し歪んだ形をしていた。


「金属というと、こう、石の中に成分が混じっていて、そこから取りだすとかしないと駄目だった気がするんですが……」


「知らない!」


「そうですよね。正直、私も知りません。ミケネコ君に聞けば分かるんですかね?」


 ぼんやりとここにいないパンドラの事を思い浮かべながら、小煩く説明してくれる姿が思い浮かび、げんなりとした表情となる。それを脳裏から振り払って、歪んだ形の金属塊に目を向ける。


「何ていう金属なんですかね、これ」


「それも知らない!けど、これで作れる気がするよ?」


「確かに、あの穴を埋めるにはちょうど良いかもしれませんねぇ」


「うん!それと……パパのナイフ!」


「流石に私、ナイフは作れませんよ?」


「えっと。じゃあ、私ががんばるもん!」


「ティア、作れるんですか?」


「できるもん!私なんでもできる子だもん!」


 言い様、ガラテアは金属塊に手を突っ込み、一部を引き剥がして手でこねくり回し始めた。その彼女の見た目だけを思えば、やはり楽しそうに泥遊びをする子供のようであった。


「さっきの黄金色の金属もそうでしたけど、これもまた珍しい色ですねぇ。緋色ですか?」


「うん?」


 手を止める事もなく、ガラテアは小首を傾げる。呟く様な彼の声が耳に入らなかったようだった。だが、別に金属の色など正直彼にとってもどうでも良く、それよりも、と彼は折れたナイフを金属遊びに励んでいるガラテアへと見せる。


「ティア。一応、根元の方は……って抜けません。ティア、ちょっと抜いてみてください」


「うん。任せて」


 きゅぽん、という音を立てて折れたナイフの取っ手が抜かれ、繋ぎ目が露わになる。


「はい。根元の方はこんな感じでお願いしますね」


「はーい!」


 頼まれたのが嬉しいのか、それとも物作りが楽しいのか、ガラテアは笑みを浮かべながらああでもない、こうでもないと手の中で金属の形を変えて行き、次第、次第と形がナイフに近づいて行き……暫くの後に、ガラテアは顔をあげ、満面の笑みを浮かべた。


「できたっ!」


 義娘からその『できた』ナイフを受け取り、リオンはしげしげと眺める。


「……出来てない気がします」


 酷く歪んだナイフだった。片刃のナイフ。何を思ってそうしたのかもわからないが、それよりも、明らかに刃が曲線を描いていた。

 手でこねて作ったのだから、それも当然なのかもしれない。だが、それにしても歪み過ぎである。参考にしたであろう折れたナイフの形が一切反映されていない辺り、恐らく自由気ままに作ったのだろう。思うがままに。気ままに。その自由気ままさが、この不器用さを産み出したのだろうか?と彼は思う。もっとも、それぐらいの方が子供らしくて可愛げがあって良い、とも思いながら。


「……うぅ。できてるもん……できてるんだもん」


 上目で縋り付く様なガラテアの瞳がどこか潤っていた。そんな彼女の姿に、ぽんぽんと頭を撫でる。


「いえ、まぁこれでも使えない事はないと思いますので。……ティア、ありがとうございます。大事にしますね」


「うん!…………でもね。でもね、パパ。次はもっとがんばるから……その」


 ガラテアが恥ずかしそうに目を伏せた。


「えぇ、期待しています。私だって、何度も何度も失敗して来ましたし、気にする事はないですよ。ティアは産まれてばっかりなのに、ここまでできるんですから、成長したらもっと凄いものが作れますよ」


「うん!」


「それに……出来ない事があるから出来るようになりたいと思ったりもするわけですよ」


「パパの夢?」


「いえ、まぁあれもそうかもしれませんが……」


 苦笑する。そういう事ではなかったのだが、と。

 だが、確かだった。


「さて。申し訳ありませんが、ティア、この塊持ってくれますかね?言った傍からなんですが、出来るようになりたくても、これは流石に人間には無理ですので」


「うん!持っていくー」


 一度では壁は埋まりきらないだろう。恐らく、何度もここに通う必要があるだろう。同じ場所に何度も足を向ける事は、面白くないかもしれない。でも、そんな事があっても別に良いのかもしれない。

 一度として、同じ時はないのだから。

 きっと、次に来たとき、ガラテアは違う形のものを作るだろう。

 きっと、次に来たとき、自分は違うものを作るだろう。

 だから、それは違う物語なのだ。

 同じ場所だとて、違う。

 山が雪に埋まっているかもしれない。雪が溶けて草花が咲き誇っているかもしれない。或いは別の事があるかもしれない。

 だから、きっと、次に話を伝えた時に、彼女が書く物語も違うだろう。

 だから、それで良い。



―――



 壊れた壁に金属を塗る作業は、ガラテアの手によって行われた。当初の予定とは違い、当面の対応ということで、凍った部分の合間に加熱して溶かした金属を流し込み、固める。これでも見ようによっては扉のようであった。

 余った金属の塊は、牢の中に置くわけにもいかず、洞穴側に置き、量が溜まったらそれを加工して扉にしよう、という話になった。金属を置く場所は、牢を越えてすぐの所ではなく、少し進んだ先。例の滝の裏を進んだ先に丁度良い広間があった事から、そこを場所に選んだ。折れたナイフもその場に置き、リオンが言ったように錆びを発生させる器具と相成った。そこはある意味で三人の物を隠す場所になった。

 そうして何度も、何度も繰り返し山へ行っては金属を持って帰る日が続いた。

 その度に違う話をし、その度に違う食材を手にリオンとガラテアはパンドラの下を訪れる。他愛のない話、他愛はないけれどいつも少しだけ違う話。それを聞いて、パンドラは物を書く。ただ、決して彼の食材や料理については書かなかった。頑なに。それだけは自分の内に秘めるのだと言わんばかりに。その本心はリオンの知る所ではないが、仕方ないので彼は料理に関しては自分で記録を取っていた。

 そんなある日のことである。

 山からの帰り際に漸く、二人は蜘蛛を見つけた。

 黒檀色の毛で覆われた胴体を持つ巨大な蜘蛛であった。

 比較的背の高いリオンよりも更に大きな身の丈であった。その太い足を伸ばせばその倍以上はあろうか。その足は胴体とは違い、紅色の甲殻類のような殻がついていた。それと同色の色合いの複眼を持ち、時折、甲高い金切り声をあげては周囲を警戒していた。一見して普通の蜘蛛ではなかった。いや、その巨体の時点で普通ではない。エルフの森以外にこんな面妖な生物がいるとは思っていなかったリオンもまた、それを見て僅か驚いていた。だが、その理由もすぐに察せた。

 蜘蛛が居たのは谷である。

 彼らが黄金色の金属を見つけた沢とは別の谷。陽光も僅かにしか届かない暗くじめっとした深い場所。じめりとしたそこには苔があちらこちらに生えていた。そもそも、その苔を取り集めていた所、彼らはそれと遭遇したのだ。

 そして、その谷の奥。

 巨大な割れ目が見えた。

 地下へと繋がるであろう割れ目。

 その割れ目を防ぐように、守るようにその巣はあった。


「地下から沸いて出てきたんですかねぇ」


「ふーん。あれも美味しいのかな」


 抱えるように持っている金属を置き、無警戒に、とことこと近づくガラテアをリオンが止めるわけもなく。彼は流れるように後に続いた。

 割れ目の中に入ろうとした者、洞穴から出て来ようとした者、蟲や小型の動物、果ては大型の肉食獣までもが巣に捕えられていた。

 それを蜘蛛が糸で巻いている最中だった。

 周囲を警戒しながら、糸で獲物を巻き、窒息させて殺し、そうしてから喰らう、そんな段取りであったのだろう。もっとも、もはやその段取りなど意味も無し。

 近づくガラテアの気配に蜘蛛の動きが止まった。

 止まり、その紅色の複眼でガラテアを見て、しばしの沈黙の後にかさかさと太い足を巧みに使い、巣から離れ、割れ目の奥へ、奥へと去って行く。


「逃げられちゃった」


「そういう時もありますよ。ティアは強いから分からないかもしれませんが、狩りをする時はもっと見つからないように近づかないと駄目ですよ」


「はーい。次からは遠くから物投げて殺すね!」


「なるほど。人間とは違って投げれば殺せますか。なるほど、なるほど……ティアならその辺の石でも投げれば事足りそうですね」


 逃げたそれを追う気は彼らにはなかった。それよりも、と彼と彼女は巣を解体していく。

 思ったよりも粘り気のない糸、そしてそれに包まれている生物を一匹ずつ確認して、まだ生きている生物に関してはガラテアが止めを刺しながら、止めを刺された者はリオンが解体し、欲しい部位だけを袋に詰め込んで行く。

 元より、糸が欲しいのだから他の物は大概おまけである。だが、そんなおまけの中にも珍しい物があった。


「パパ、なんか変なの見つけたー」


「これまた面妖な……美味しいんですかね?」


 そう言ってガラテアが巣から引き剥がしたのは、手に乗るぐらいの小さな生物だった。糸を巻かれていないのはあまりにも小さかったからであろうか。翅が生えたその姿からは蟲のようにも見えるが、そこに生える四肢を見れば人型のようにも見えた。もっとも、既に囚われてから時間が経っているのだろう。干からびており、ミイラのようであった。ミイラになる前は、もしかすると本当に人間のような形であったのだろうか。

 その姿を良く見ようとリオンが目を向けた。

 瞬間、くぅと小さな腹の虫が鳴るのが聞こえたのと同時に、ガラテアがそれを口の中に、入れ、咀嚼し、嚥下した。


「パパ、これ美味しくない」


「……生食は駄目ですよ、ティア。次、見つけたらちゃんと調理してあげますから。その時は言って下さいね」


「はーい。次は我慢するね!たぶん!」


 我慢という言葉がこれほど似合わない子もいないな、とリオンは苦笑する。


「とりあえず、お腹が空いているみたいですし、食事にしましょうか」


「うん!」


 時折、そうやって食べては語り、語っては食べながら糸を片し、袋一杯に詰めて二人は山を下り、そのままパンドラのいる場所へと向かった。

 途中、赤い、血のように赤い花を摘んだり、川の水を飲んだり、川底の深い場所では二人して沈んだり浮いたりを繰り返したり、そんな事をしながら、ゆっくり時間を掛けて二人はパンドラのいる社へと帰って行った。


「で……これでどうしろと」


 何やら色々抱えて帰って来た彼らから色々と受け取ったパンドラの第一声がそれだった。


「ティアの服の材料です」


「蜘蛛の糸、植物の花、砂金に干からびた獣の皮……これってマリオン曰くの食材じゃないの?」


「いえ、確かに美味しそうなのは事実ですが。義娘の服には変えられませんしね」


「ほんと、マリオンは親馬鹿よねぇ。変な人間だったのにただの親馬鹿になっちゃったわ。ティア、貴女のせいよー?」


「私?えへへ」


 それは褒めていたのだろうか。


「失礼な。そうそう、それと……ずっと袋の底に眠っていた、真黒の石もついでにどうぞ」


「何これ?」


「さぁ?洞窟の口が一杯ある奴から出てきたんですが、ただの石にしては変な感じですし、一種の宝石みたいなものではないかなぁと勝手に思ってます」


「ふーん。……んー。やっぱり、それが悪魔かなぁ」


「ですかね。ドラゴンと天使がいて悪魔がいないというのも変な話ですよね」


「そうそう。マリオンも分かって来たじゃない」


「まぁ、あれだけ聞かされていれば流石に覚えます」


「私も!私も!」


 自己主張する娘を一撫でした後、リオンは蜘蛛の巣に掴まっていた動物達の内臓を、ガラテアお手製の歪んだナイフで調理していく。やはり、使い辛い、とは思うものの義娘の作ってくれたナイフだから、とそれを愛用していた。親馬鹿である。一方、当のガラテアはガラテアで抱えていた金属の一部を切り離し、金属を手でこねくりまわしながら何かを作っていた。色々と試行錯誤をしているようで時折唸り声を挙げている。そして、色々と渡されたパンドラはパンドラでさて、どうしたものか?と首を傾げていた。その仕草は、数日前に比べれば、可愛らしさがあった。数日の事とは言え、リオンによる栄養摂取の御蔭でパンドラの肌には艶が戻って来ていた。その艶っとした頬に手を宛てて考え、しばらくすると紙に絵を描き始めた。

 三人は三様に牢の中で物作りをしていた。

 リオンが戻って来て最初の数日、パンドラは、自分が起きている間は牢をこじ開けるのを拒否していたのだが、自由気ままな子の御蔭で、パンドラが起きていようがお構いなしに三人は一緒の場所にいる事になった。それが、パンドラにとってあまり良い事ではないのだろうとリオンは思っていたものの、自由気ままな零歳児の行動を押さえる事は出来なかった。

 ガラテアは基本的に我慢というものを知らない。だが、それも当然。我慢など人間が理性によって産み出すものでしかない。ドラゴンであるガラテアにそれを期待するのが無駄であった。

 もっとも、それでも彼がしっかり止めていれば止まったであろうが……。

 外に連れ出せないならせめて内側だけでも、そんな思いを彼自身が抱いていたのかもしれない。それを彼自身、理解せぬまま、ガラテアを強く止める事もせず、ガラテアの開けた鉄格子をくぐったのだ。

 そして、パンドラもまた、苦笑しながらそれを受け入れた。

 少しぐらい。

 皆、そんな甘い果実を求めた。

 そこには何一つ、悪い事などないのだから。


「……で、ミケネコ君は何描いているんです?って……あぁ、思い出しました」


「何を?」


「見せてくれるって話だったと思うんですが」


「……何だっけ?」


「いや、ほら私が洞穴に行った前日」


「あぁ!私の方こそ忘れてた……ごめん、あれ、破いちゃった」


「ミケネコ君……釈明は聞きますが?」


「マリオンが余所で女を作るからいけないのよ」


「いやいや、何を言っているんですかね」


「冗談よ、冗談。こんな可愛い子なら大歓迎よ」


 言って、手を止め、金属細工をしているガラテアに目を向け、その手の内で出来あがっているであろう不格好な代物―――恐らくまたしてもナイフなのだろう―――に気付いて声をあげる。


「ティア、そこはこうした方がいいわよ」


 ガラテアの手の動きに真似るように、パンドラが指先を動かしていく。それを見た人間は何やってるんだこのエルフと訝しげに思い、それを見たドラゴンの方は納得気に頷き、エルフの指先に合わせるように手を動かし始めた。


「なんです?ミケネコ君は金属細工もできるんですかね?」


「マリオン。私、実は割と何でも出来るのよ。流石にティアみたいな直接金属をこねくりまわすことはできないけどね」


「自慢ですか。自慢なんですね」


「そうそう。自慢、自慢。あ、でも料理だけは勘弁ね?」


「そこは知っています」


「分かっているなら宜しい。だから、ずっと任せっぱなしにするけど宜しくね」


「ま、死ぬまではがんばりますよ」


「嬉しいんだけど、縁起でもない事言わないでよ……全く。ほんと、情緒がないというか。色々と欠けるというか」


「それが私ですからねぇ」


「それは知ってる」


 ですよねぇ、と頷いていれば神妙な顔をしてパンドラが口を開く。


「でも、そうね。マリオンの物語は私が死ぬまでは語り継いであげる……継げる相手はティアしかいないから意味ないけどね」


「じゃあ、ティアにお願いしましょう。一番長生きしそうですし」


「確かにね」


「呼んだ?」


 金属を操る手を止めて、ガラテアが顔をあげる。そこには屈託のない笑みが浮かんでいた。


「ティア、この人馬鹿だけど、守ってあげてね」


「失礼な」


「うん!大丈夫。パパの事は守るよ!……ミケネコの事もちゃんと守るよ!私、強いから!」


「ほんと、零歳児とは思えないぐらい良い子よねぇ……」


「ミケネコ君も割とティアに甘いですよね……親馬鹿ですかね」


「そうね、きっと私も親馬鹿ね」


 そして再び皆が皆、三様に物を作り出す。

 そんな日々が続いていた。



―――



 それから一年程が経過した頃であろうか。

 大地の揺れは微動ではあったが、その頻度は上がり、十日に一度はリオンですら感じる程のものになってきていた。ガラテアからすればいつも揺れているように感じるようであり、酷く不愉快そうな表情をしていたのを彼は覚えている。今ではもう慣れたようで、否、風を引き起こす魔法を使い微妙に浮いてやり過ごしているようであった。

 そんな義娘の無意味に凄い魔法。

 産まれてから一年以上が経過したが故に次第、次第と洗練されていっていた。元より敵のいない生物であったが、更に強くなっていっていた。だが、いくら強かろうと、きっと彼女の母親のように無限の天使や悪魔に喰い続けられれば、殺されるだろう。幾ら強いと言ってもそんな程度だった。そしてそれが記憶にあるからこそ、だろうか。ガラテアは複数を相手にする事を好んでいた。

 一年が経過しても、相変わらず父親にべったりひっついてガラテアはどこへなりと行っていた。その中でも良く行っていたのはやはり洞穴内だろう。彼女の母親が死んだ場所。骨だらけになった広間へと行っていた。広間を埋め尽くすほどの彼女の母の骨、そこにはいつしか死体が集まるようになっていた。ありとあらゆる死体が集まる場所、そんな場所になっていた。洞穴内に出来た墓場に行き、そこで魂を探してうろうろしている悪魔を掃除する。時には何匹もいるそれらを一人で喰い殺しながら、彼女は複数の敵を相手にする事を覚えて行った。

 当然、彼らの旅が何もいつも物騒であるわけではない。

 それ以外にも彼らは色々な場所に行っていた。数日掛るような場所にも向かうようになっていた。その際には、長持ちする保存食を作ってはパンドラに与えるのを忘れないようにしていた。

 そして当然の如く、パンドラは相変わらず牢の中だった。

 洞穴にも、外にも出られる場所に居るにもかかわらず、相変わらずその場所に居続けていた。彼女が一人の時に何をしているのか、彼女が他のエルフが来ている時に何をされているのか、相変わらず彼は知らない。だが、彼とは違い、彼の娘は疑問に思い始めていたのは確かだった。

 だから、思い立ったのはガラテアの方だった。

 『エルフが見たい』と。

 勿論、リオンも興味を持っていたに違いなかった。だが、今まで一度たりともエルフを見る事もなければ、エルフの住まう場所に立ち入った事もなかった。

 そうして訪れたのがこの場所だった。

 そこは広い森の一部。少し切り分けられた場所だった。誰かが生活していたであろう跡が残っている場所。そしてもはや誰も住んでいない場所でもあった。


「エルフの村というか跡地ですかね?……いやー、爆発跡が酷い事酷い事」


「どっかーん?」


「えぇ。爆発するらしいです。ミケネコ君は燃えるらしいですが。正直、燃えるのも爆発するのも大差ないと思います。本人には言わないですけど」


「どっちも同じだよねー。エルフは燃える、でいいんじゃない?」


「えぇ」


 結果として血が燃えている事に代わりはない。その辺りこの親子、非常に緩い。正直、どうでも良いと思っているからこそ尚更に。


「今更ですけど、ティア、髪型変えたんですね」


「うん!似合ってるでしょ!」


「えぇ、まぁそれは大変似合ってますが……」


 両方の側頭部でまとめて尻尾のようになっている髪を見て、これは撫で辛らそうだと思った。


「ミケネコお手製!」


「それは分かりますが……最近、ミケネコ君がティアの装飾にかまけているというかなんというか。いえ、良い事ですが……ですが」


 何かに触発されたのだろうか。それは彼には分からなかったが、パンドラは最初に服を作って以来、いつのまにかガラテアの装飾品なども手掛けるようになっていた。自分がめかしこむ事が出来ないからなのだろうか?そんな事を思い浮かべながら、ガラテアに目を向ける。

 赤い服。

 花から採った染料を蜘蛛の糸に絡め、染め上げたもの。それを使って作り上げたその服はリオンが今までに見た事もないような滑らかさと輝きを持っていた。手で触れればその滑らかさが良く分かる。あの蜘蛛から出た糸がこんなにも凄いものだとは彼も、そしてパンドラも思いもよらなかった。一年経っても全く色褪せる事なく、新品同様であるのもまた、彼らを驚かせた。洞穴由来の蜘蛛の糸、思いの外良い拾い物をしたようであった。

 パンドラは他にも幾つかの服を作り上げていた。その中でもやはり、今着ている最初に作って貰った物をガラテアは好んでいるようで、酷く大事にしていた。いや、寧ろ他の服は、その服を洗っている時や、汚した時以外、殆ど身に付けていなかった。

 そして、それらは例の洞穴内に仕舞われていた。予備の服に限らず、本やら何やらと色々と物が多くなり、パンドラの寝処に隠すのは流石に限界が生じてきた所為で、最近では物が出来れば洞穴内に持って行って隠していた。


「髪型は良いとして、何ですかその仮面」


「格好良い?」


「ぶかぶかで手で押さえてないと落ちてくるとか意味もないですし、いい加減外したらどうです?」


「うん。そうだよね。やっぱりでかいよね。もしかしてミケネコ失敗したのかな?」


「単に大人になった時用なんじゃないですか?ほら、前にも黒い宝石?を使って服作ったじゃないですか。でかいやつ。それと同じで。……それにしても目元だけ隠して何をさせる気なんでしょう」


「むー。じゃあ、とりあえず、おっきくなるまで持っておくね」


 目の部分に空いた穴に紐を通し、腰巻きにぶら下げる。肌身離さず持っているつもりなのだろう。それを見て、リオンは笑う。本当、良い子だ、と。

 ちなみに、リオンもガラテアも知らないが、元々はパンドラがリオンに渡す予定であったものである。もし、リオンがパンドラの書いていた本を見れば分かっただろう。仮面を付けた変な人間に攫われるエルフの少女という内容の物語を見れば。もっとも、その物語は突然わーっと叫び出した彼女によって歴史の闇に消えたが故に、彼もガラテアもその事を知る事はない。


「こうも何もないと折角来たのに残念ですね」


「うん。折角食べられると思ったのに」


「生食は駄目ですよ、ティア」


「はーい」


 そんな戯言を吐きながら、彼と彼女は抉られた地面がいくつも存在するその場を散策していた。

 破棄された物、飛び散り欠片となっていたもの、そんなものは幾らでも見つかった。その中で彼が興味を引かれたのは小屋のような場所だった。まるで何かを飼っていた跡のようであった。むせるような臭気に僅か顔を顰めながら、小屋の中へと入れば、そこは黒く乾いた血に染め上げられていた。部屋中に飛び散った血の跡。臭いも相まって精々、その血が付いたのは二、三日の事なのではないだろうか、とリオンは推測する。


「爆発跡ではなし、と」


 と言う事は飼われていたものがここで殺されたということだろうか。もしくは獲物を解体する場所だったのだろうか、と小首を傾げながら廻りを見渡す。彼が記憶している村のそういった場所とは全く違う。そもそもにして、解体するなら外でやれば良い話だ。わざわざ小屋の中に入って壁に血をばらまく必要も無い。家畜を殺すにしても同じである。態々見せる必要もないが、室内で行う必要もまた、ない。


「それに……ちょっと飛び散り過ぎです」


 自分の疑問に答えるように独り言を呟く。


「おや……ミケネコ君の?」


 見回していた所為でふいに彼の視界に入った物があった。

 血で汚れた藁で出来た敷物。彼にはその敷物の編み方がパンドラの所にある物と同じ様に見えた。それを確かめるように、しゃがみ、床に敷かれた敷物に触れ、そしてリオンはやはり、と確信を持った。それが誰かは分からないが、確かに同じ者が作ったようだった。もしかして、パンドラに関連のある者がここの管理をしていたのだろうか。そんな事を思い浮かべながら、もう見る物は無い、とリオンはその小屋から出る。

 出れば、彼の娘が楽しそうにあちらこちらへと動きまわっているのが見えた。そして、はた、と気付いたのかいそいそと小走りになり、打ち捨てられ破棄されたものを手に取り、引き摺って彼の下へと近づいて来た。


「これ何かな!」


「えらく長い刃物ですねぇ……鉈にしては長いです」


「……ミケネコならわかるかな?」


「わかるんじゃないですかねぇ。エルフの物みたいですし」


 彼が使っていたナイフを三つほど並べたものよりも長く、それこそガラテアの身長程あるような長さの刃物だった。取っ手や装飾がなされている事を思えばそれを専門で作っている者がいる事は容易に想像がついた。ガラテアからそれを受け取り、右手で持って見て……もう少し軽ければ彼にも降り廻せたであろうが、彼には片手で持ちあげる事は無理そうであった。


「大型の肉食獣の解体用とかですかね?……しかし、エルフってこんな重い物を持てるんですね」


「パパの力がないだけだと思う!」


「……辛辣な義娘ですねぇ」


「というか両手で持つようなんじゃないの?」


 えらくパンドラに似た口調でガラテアがそう口にし、なるほどと彼は頷いた。パンドラの影響を受け過ぎである、と。教育が、などと阿呆な事を思い浮かべつつ、その意見には賛成していた。


「それなら確かに」


 だが、生憎と彼の左腕は歪んでいる。


「ま、こんなもの持てなくても、私にはティアに作って貰ったナイフ……というか包丁がありますしねぇ」


「……むぅ!」


 その言葉にガラテアは頬を膨らませて恥ずかしそうにしていた。一年前に作った恥ずかしい歪んだ包丁をとんとんと指で叩かれて、大事にされている事は嬉しいが釈然としないと言わんばかりであった。


「……が、がんばるもん!」


 今ならば、もうちょっとましに作れるの!とも言いたそうであった。もっとも……


「ティアは不器用ですしねぇ」


「ぅぅっ!」


 一年経過した所で、ガラテアの金属細工は巧くならなかった。何度も何度も試してもどうしても歪んでしまう。その原因が掴めず、ガラテアの金属細工の腕はまったくといって良い程あがっていなかった。これには時折助言しているパンドラも諦め気味であった。が、それでもガラテアは諦めずに色々と作っていた。作っては壊して、作っては壊してを繰り返していた。


「魔法の腕は物凄くなってきたんですし、いっそ手で作るんじゃなくて全部魔法で作ったらどうです?」


「……魔法で?」


「炎で溶かして、風で形を変えて、水で冷却して、とか」


「できるかも!パパ、凄い!」


 わくわくと一転して嬉しそうな表情を浮かべながらガラテアはうきうきとその刃物を右手に引き摺りながらその場を去ろうとし始めた。


「ティア、まだです」


「……早く戻ってやりたいのに」


「まだ時間的には早いので」


「すっごい、面倒……ミケネコもさっさと諦めればいいのに」


「諦めないからこそのミケネコ君です」


「……うん。それも分かる」


「ティア、喋り方がミケネコ君に毒されて来てません?」


「そうでもないと思うけど」


「……自覚がない」


 種族は違えど、性別は同じである。それが故にパンドラの影響を多分に受けていたのは事実である。喋り方に留まらず、色々な事をまとめる能力、文字の書き方、文章の作り方、そんなものすらパンドラの影響を受けていた。たとえば、そう。二人のどっちが書いた文章なのか?と問われてリオンが一瞬返答に困るぐらいには。もっとも、内容の拙さや粗さ、情緒の無さによって答えは明白だが。


「とはいえ、見る所もないので……消えたエルフを追えということでもうちょっと探してみます?」


「んー。じゃあ、もうちょっと探す!」


 そもそもここに二人が来たのは、ガラテアの希望である。

 彼女の興味としてはパンドラが何故あそこにいなければいけないのか?ただその一点であり、別段、エルフをどうこうしようとは思っていない。だからこそ、興味が逸れた途端に帰ろうとしたわけである。

 そんな娘の気ままな感情の流れを気にした風でもなく、手を繋いで二人は森へと入って行く。

 リオンを守るように右手で彼の歪んだ左手を握り、己の左手には手に入れた刃物を。参考に持って帰るつもりなのだろう。がらがら、と鳴る引き摺り音を背景音として、二人は森の中をあちらへ、こちらへと歩いて行く。

 時折、走り廻る卵を捕獲したり、草花の匂いを楽しんだり、水溜りの上をすぅと音も立てずに動く蟲を眺めたり、さらさらと鳴る木々の音を楽しみながら、もはや当初の目的すら忘れて彼らは森の中を、今まで来た事のなかった近くてとても遠い場所を堪能していた。


「パパ」


 陽が沈みかけ、そろそろ戻ろうとしていた頃だろう。

 ガラテアが何かに気付き、リオンを見上げる。


「なんかいるよ……ねぇ、殺して良いかな?」


「物騒な義娘ですね。でもまぁ、襲われるようなら良いんじゃないですか?」


「んー……襲ってるとも言えるし、襲われてるとも言えるし、殺して良いのかな?」


 適当に返されたリオンの言葉に、難問を出されたとばかりに難しそうに顔を顰め、ガラテアは首を傾げていた。


「いえ、ティアが襲われるようなら、という意味です。……殺し合ってるとかですか?」


「そんな感じ。戦ってる?きっと、これと似た奴使ってがしゃがしゃやってる。ちょっと煩い」


 左手に持つ刃物を手首だけで持ちあげて、リオンへと見せる。


「エルフさんとエルフさんが戦っている感じですかね」


「ここだと巧く見えないから、そこまでは分かんない。……ちょっと昇って良い?」


「えぇ」


 言い様、刃物を地面に投げ捨て、ガラテアの体が浮き上がる。

 くるん、と一つ廻りながら、木の上へと降り立った。木の上で目を凝らす。遠くまで、木々の葉の隙間を越えて遠くを見通しているのだろうか。

 木の上に立つ赤い服の義娘を見上げながら、リオンはガラテアが下りてくるのを待っていた。特にする事もなく、しばらくその場で待っていたものの一向に下りてこない娘に、まぁ良いか、と木の袂に腰を下ろす。

 ちょうど良い感じに背凭れられそうな木であった。座り、手持無沙汰となった彼は、袋から先程捕まえたばかりの卵を取り出して、細工をし始める。翼を落とし、足を落とし、次いで小さな、中身が零れてこないように小さな穴を開ける。そして、指先の中でくるり、くるりと落ちないようにその卵を廻し始める。

 どれだけそれを続けていたのだろう。

 さらに陽が沈み、森の中に陰りが見えた頃、一瞬森が明るくなったかと思えば、漸くガラテアが空から降りて来た。


「おかえり、ティア」


「ただいま、パパ」


「えらく長かったですね」


「うん。最後まで見てたの」


「最後?」


「うん。最後まで。ほんとに燃えるんだね。ほんとうに爆発するんだね!」


「あぁ、やっぱりエルフさん達同士で戦ってたんですか」


「うん。男?のエルフが何匹もいたよ。野蛮だよね」


「野蛮ですねぇ」


 彼の経験上、人間は喧嘩や争いをする事はあるが、しかしそれでも、殺しまでするのは聞いた事が無かった。どれだけ相手が許せなかったのだろうか。それが怒りというもの、なのだろうか。それが彼には疑問であった。


「原因とかあるんですかね?」


「さぁ。何か言い合ってたけど……えっと、何だっけ……『あれはエルフ達の希望だ。そのために作ったのだ』とか『あれは神に捧げる生贄だ。そのために作ったのだろう!』だったかな?あと。そうだ『このまま続けば、二の舞だっ。早く捧げなければ』だったかな?」


「希望……希望……どこかで聞いた言葉ですねぇ。で、結局どうなったんです?」


「どっちもどっかーん。あ、でも何匹かは生きてたみたいで、生き残ったのは逃げて行ったよ」


「エルフさん達って争い事が好きな生物なんですかねぇ?」


「さぁ?」


「まぁでも、分かりました。さっきのあの集落跡は争った跡だったわけですね。エルフはいくつかの集落に分かれて住んでいて、争う関係にある、と。あの集落がその希望とか生贄とか言っていた、どっちのエルフさんの所かは分かりませんが……」


「それはきっと、希望とか言ってた方じゃないかな。なんかそんなことも言っていたし」


「なるほど」


 腰を上げ、よくやりましたと撫で辛い髪にさせられているガラテアの頭を撫で、木々の隙間、沈む陽に目を向ける。


「見られなかったのは残念ですが、そろそろ帰りますか」


「私は見られたから満足!うん。帰る!」


 がらがらと刃物を引き摺りながら、地を摺りながら、二人は歩いて行く。

 彼らの帰る場所へと。

 パンドラが一人待つ、その場所へと。

 紅色の巨大な門が見えてきた頃には陽は沈み、ガラテアの作り出した火が行き先を示す灯りとなっていた。社へと入り、何も祭らぬ祭壇を前にして、ふいに思い出したようにガラテアが口を開いた。


「あ。そうだ。『危険を侵して森の外まで行って漸く捕えた人間まで殺しやがって!』『あれは我らも本意ではなかった。生贄を作るためにはあれがないと始まらんからな』とかも言っていたかな」


「人間?」


「うん。人間」


「……あぁ、もしかして」


 暫くその場で物想いにふけっている間に、薄情な義娘はがたんがたんと金属をそこら中にぶつけながら階段を下りて行った。



―――




「やぁやぁ、ミケネコ君……何やら今日は一段と疲れ気味ですね」


 長い刃物をがたんがたんと壁にぶつけながら引き摺っていった義娘の後を追って、階段を下りたリオンの目に、幾分肩を落としたパンドラが目に入った。音を鳴らしていた張本人の姿は見えず、首を傾げていれば、隣の牢屋から煌々とした火が昇るのが見える。さっそく魔法で刃物を作る事を始めていたようであった。

 結果、久しぶりに鉄格子を挟んでの二人。互いに背を向けて鉄格子に寄りかかりながら、座る。


「ちょっとね。昨日、いらない事を聞いちゃって……」


「いつものあれがないぐらいに元気がないみたいですね。……元気出してくださいな」


「うん。……それで、マリオン。今回はどこに行ってたの?」


「今日はエルフの集落に行ってきましたよ」


 リオンのその言葉に一瞬、パンドラが息を飲んだ。


「珍しい、というか初めてじゃない?どのあたりの奴?」


「どの辺りと言われても、ここの入口からずっとまっすぐ向かった所ですね。しかし、そんないくつもあるんですか?」


「そこまで多くはないけどね。マリオンの村と同じ感じ。家族で集まっているエルフ達もいるからね……でも、そっか。あそこか」


「知っている所……というよりも、ミケネコ君の居た場所ですかね」


「正解。良く分かったわね」


「ミケネコ君が後生大事にしているその敷物と同じ感じの物がありましたしね……同じエルフさんが作ったものなのかな?と」


「……あそこが襲われたというのはやっぱり本当なんだ。そっか……私も、帰る場所なくなっちゃったなぁ」


「帰る気がないくせによく言います」


「あ、ばれた?」


 互いに苦笑する。


「それでその後、ティアがエルフ達が争っているのを見たそうです。『希望』がどうとか言っていたみたいですね。それと『生贄』とも。で、さっき漸く、ミケネコ君が前に言っていたのを思い出しました。ミケネコ君は『希望』でしたっけ?」


「マリオンって、馬鹿なのに察しは良いよね」


 どこか諦めたようなため息を吐きながら、パンドラがそう口にした。


「失礼な。それでちょっと考えました。争っているエルフ達の間にいるのが、ミケネコ君なんですかね?だとすると、ここだけは不可侵領域とかですかね」


「もう死んだとはいえ、神様を祭った祭壇だからね。そんな場所では流石に争わない。エルフは信心深いからね……ま、そういう事」


「いえ、そこで格好付けて『ま、そういう事』とか言われても」


「あれー?」


 慌てるように振り向いたパンドラに合わせるようにリオンも振り向き、じーっとパンドラの顔を見つめる。そうしていれば、ぷいっと顔を逸らされ、再び二人は背中合わせに。


「神様に捧げられるためと言う者がいれば、一方で、希望だという者もいる。そこまでは分かりましたけど……あとはさっぱりです」


「やっぱり、マリオンって馬鹿よね」


「煩いですねぇ」


 くすくすと後ろから伝わって来る笑い声に悪態を吐いていれば、突然、その笑みが止んだ。


「以前は、というか……その集落が襲われたのは本当、凹むわ。小競り合いは前からあったけど、それでも、数を減らすわけにはいかないって、そこだけはお互い納得していたはずなのに」


「はぁ?」


「何のために言葉があると思っているんだろう。争わないために、だよ……」


「でっかい刃物まで持ち出して争っていたみたいですねぇ。野蛮です」


「剣の類まで持ち出していたの?……何考えてるのよ」


「なるほど。剣とかいうんですかあの長い奴」


「そそ。……はぁ。でも……そんなつもりで私はここにいるわけじゃないんだけどなぁ。……外に出ても争いの種になるのに、ここに居ても争いの種になるなんて、ほんと……私って何なんだろう?」


 何処かの誰かに答えを求めているような、嘆願。

 甘い果実を食していたが故に、つい、零れ落ちてしまったパンドラの想い。逃れる事ができる状況にあってもそれでも我が身を押さえこんでいた少女の想い。それが確かにリオンには伝わって来た。


「それで元気がなかったんですか?いっそ外に出てしまえば良いんじゃないですかね?」


「争っている本人達には効果はあるけど、それ以外のエルフ達まで巻き込むのは本意じゃないからね。特に……ううん。何でもない」


「はぁ?ミケネコ君は人が良いというかエルフが良いといいますか。……ま、何なんだろうと言われると、少なくとも今はティアのママで、私達の帰る場所を守ってくれているエルフさんです」


「ありがと。そう言ってくれると嬉しい。でも、マリオン。恥ずかしい台詞は禁止ね?」


「恥ずかしくはないんですが……あぁ、それでその剣とやら、ティアが集落跡から拾って来ましたよ。参考にして何か作っているみたいなので、後でママとして見てやって下さいな」


「あぁ、それでさっきから眩しかったりなんだったりしてるんだ」


「えぇ。手先が器用じゃないなら魔法でやればいいじゃないですかね?と提案したら、乗り気になったのです」


「確かにティアの魔法は繊細よねぇ。だったら巧く行くのかな?そういえば、魔法といえばティアに教えて貰って最近は私もちょっとは魔法が使えるようになってきたよ。中々感覚が掴み辛いけど、何となく分かって来たわ。それで分かったけど、ティアみたいに凄いのはエルフには無理ね」


「……ぐっ。私はさっぱりです」


「人間の神様は優しいからね。そんな危ないものが使えるようには作ってないんじゃない?」


「私に才能がないだけな気もします」


「私は人間の神様が優しいから、という理由にしておくね」


 その方が良いじゃない、と。そんな希望を言葉に乗せて。


「あぁ、そういえば人間といえば……生贄を作るためには人間が必要だった、みたいなんですがご存知ですか?」


「うん。知ってるよ。良く、知ってる」


「その人間って、きっと……もしかしなくても私の父の事ですよねぇ。この辺りに人間の集落なんてないですし。今思えば小屋の中に血が飛び散っていたのは、殺された時のものですよね。ということはつい先日まで生きていたということですか……ちょっと残念ですね。もう少し早く行けば父親の姿というのが見られたのに」


「見ない方が良かったと思うよ」


「見た事あるんですか?」


「うん。黙っていてごめん……多分そうだろうとは思っていたけど……私の口からは」


 消え入りそうな口調は、謝罪を求めてなのだろうか。そんな声音に、リオンはただ首を傾げるだけだった。彼にとって父親とは物語の登場人物よりもさらに遠い存在である。明日の料理何にしよう?の方がまだ興味深い事であるが故に、パンドラの声音に逆に驚いていた。


「気にしなくて結構ですから。元気出して下さいな」


「マリオン……マリオンは優しいね」


「それは多分気の所為だと思いますが……しかし、人間をどう使えば、生贄とやらが作れるんでしょうかね?例えば、私とミケネコ君でも作れるんですかね?」


 それは彼にとって酷く素朴に疑問な事であった。


「マリオン!……恥ずかしい台詞は禁止って言ったと思うんだけど!」


「何故、怒られてるんでしょうか、私」


「マリオンが突然恥ずかしい台詞を言うからよ。……それで、生贄だけど、とマリオンじゃ、作れないかな?きっと、それは生贄たり得ないというか。ううん。……流石のエルフもそこまで踏み込むにはまだ早いんじゃないかな?」


「はぁ?良く分かりませんが、ミケネコ君にも分からないって事ですかね。残念です」


「別に私だって何でも知ってるわけじゃないしね。……知っている事もあるけど」


「いつか、生贄に捧げられるという事ですかね」


「ん……気にしてくれるの?ありがとう。でも、今の所の予定はないよ。エルフの時間は長いからね。早くてもマリオンが死んだ後だと思うよ」


 そうやって呆気らかんと笑うパンドラに、リオンは聞く事を忘れてしまった。ガラテアが聞いたと言うエルフの言葉を。その結果、代わりに出て来たのは当たり障りのない疑問だった。


「……もう死んでいるエルフの神様に何を願うんですかね」


「人の神様に願うため、かな」


「優しい神様とやらがミケネコ君なんかの命を欲しがりますかね?」


「なんかとは何よ、なんかとは。……ま、そこは、エルフって信心深いからね。自分達を助けてくれた人間の神様に供物をささげればまた救ってくれるとか考えてるんじゃない?」


「……良く分かりません。数を減らしたくないのに数を減らす行為をしているのが尚更」


「だからこそ私なのだけどね。ま……あのエルフ達の言う事は分からなくて良いと思うけどねぇ。私にも分からないし」


「それでもここでそれを待つんですか?ミケネコ君、実は阿呆なんじゃ?」


「……それでエルフの皆が安心するなら、それで皆が幸せに生きられるなら私は……良いかなって思うんだよね」


「馬鹿ですね」


「マリオン、煩い」


「それだけじゃないですよね。希望って話もあるみたいですし」


「そそ。あるエルフは生贄というけどね。罪の証だとも。エルフ達が禁忌に触れて作ったのが私。自らを助けてくれた人の神様の子を使って作ったのが私。でも、希望でもあるのよね。天使に作り変えられたエルフ達。爆発跡、一杯あったでしょう?剣で突けばそれだけで死んでしまう、そんな弱々しい生物。その希望としての私。……ま、つまり、薄められて燃えるだけの私の方が生きていられるんじゃないかってだけ」


「饒舌ですねぇ」


「……マリオンが喋らせてるんじゃない。ずっと、隠してきたのに」


「それは失礼を」


「話すつもりなかったんだけどなぁ……私、こんな口軽かったっけ?お喋りだったっけ?」


「割といつも煩いですよ?」


「煩い!」


「ま、喋りたい時に喋るのが一番良いと言いますしね」


「うん。そうね。だから、きっと、今、喋ってる」


 軽く笑う声がリオンの耳に響く。


「んー。良く分かってないかもしれませんが、とすると……ミケネコ君みたいな希望?を増やせば、エルフの数が増やせるって話ですかね?」


「そそ。簡単に死なない体になれば、森から出たり、他の場所にいったり、エルフ達の領域を増やせるって話ね。ま、今の所、私だけだけどね?実験よ、実験。私が成功すれば次がって話。……人間には申し訳ないけどね」


「私の父親。一体何に使われたのやら……まぁ、どうでも良いですが。それで今のミケネコ君があるというのなら、ありがたい事ですねぇ」


「……ん。嬉しい言葉だけど、申し訳なくもあるかな。許されない事でもある……けれど」


「許されない?何故です?」


「アレがマリオンの父親だというのなら、私は良く、知っているよ。本当に良く……知っている。……私、やっぱり、存在自体が罪だよね。マリオンにとって許されない事をしている。でも、それだけは絶対に教えてあげない。教えたら……私は、私達は」


「いえ、そんな格好良い台詞を吐かれても。私は顔も知らない父親よりミケネコ君の方が大事ですしねぇ。何があったとしても、ミケネコ君には罪がないと思いますし、許すと思いますが。それにミケネコ君曰く、私には情緒がないらしいですし?」


 そういって、リオンは軽く笑う。

 パンドラの不安が、苦痛がそれで取り除けるならば、と。


「マリオン……私、あのね……」


 瞬間、轟音と共にケタケタと哄笑が響き、彼らの会話を止めた。


「これ、ティアの声ですよねぇ」


「凄い勢いで笑っているわね」


「ちょっと見て来ます」


 立ち上がり、隣の牢へと向かえばその中心で横になりながら、じたばたと楽しそうにケタケタと笑っているドラゴン娘がいた。

 ガラテアだった。


「ティア、何があったんです?」


「ひゃい?あ、パパだーパパがふたりいるー!片方は私が貰うから、もう片方はミケネコにあげるね!」


「あぁ!もしかして、すっかり忘れていましたが……まだ残っていましたっけ」


 彼女の母親の尻尾のために必死で作り上げた酒。あの時、そのすべてを持って行く事はできなかった。


「ティア、そこにあった瓶の中身、飲みました?」


「のんだ!おいしかったよ!」


「ミケネコ君。どうしましょう。一歳児が酒をっ」


「マリオン……何してるのよ」


 隣の牢の隅に移動し、リオンを、馬鹿を見るような目で見ているエルフが居た。

 パンドラだった。


「パパ!だいじょうぶ!おいしかったよ!もっとちょうだい!」


「駄目です。子供には早いのです」


「やだーっ!もっと欲しいの!私、良い子にするからもっとちょうだい?」


 すがり、すがりと近づいて来ては足にひっつき、そのままよじ登って胸に抱きつき、顔をリオンに寄せて行く。


「ティア、酒臭いです」


「ちょーだい?」


「ミケネコ君、助けてください」


「マリオン、がんば!」


 結局、瓶の中にあった酒は飲み干されてしまった。そして酔っ払った天下無敵の義娘にそれをまた作る事を約束させられたリオンであった。

 そして、この日、二人は知った。

 ドラゴンは酒が好きだと言う事を。

 そして、作りかけの剣、それを見て、ドラゴンはやっぱり、


「やっぱり不器用ですね、ティア」


 不器用なのだ、とも。



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