第15話 さいきょうせいぶつとおさんぽ
15.
「で、何が聞きたいのよ」
「とりあえず、師匠が服を着ていない理由ですかね?」
ドラゴン師匠が裸体だった。
目の毒である。
大変、目の毒である。
それにしても昨日の今日、開口一番がこれである。朝の挨拶すらなく、何とも気が早いと言うか気ままというか。いやまぁ、そんな事よりも、何故裸なのだろうこのドラゴンは。
「爬虫類に服を着ろという方が、無理があると思わない?」
「まぁ、確かに」
納得してしまった。
そういえば、ドラゴン師匠の箪笥の中には同型の服は大量にあれど、寝巻だとかその類の物は無かったなぁと思い出す。
思い出しながら、ドラゴン師匠を見ていて、とりあえず分かった事といえば、中身も大変凄いのだな、という事と、爬虫類だから体毛がないのね、というしょうもない事ぐらいである。産毛すら無く、鎖骨が大変すべすべしていそうでとても興味深い。
ついでとばかりに自分の身体を見下ろせば、ため息の一つも吐きたくなる。
ほんと、このドラゴン、色んな意味で傍迷惑な生物である。
しかし、艶やかな金色の髪はあるくせに体毛はないとは何とも中途半端だと思う。ドラゴンの神様の趣味とかなのだろうか。良く分からない。良く分からないが……
寝起きだからだろう、髪を下ろしているドラゴン師匠が、昇りはじめた陽光に熱せられて湖から立ち昇った靄と相まって、これまた何ともいえぬ美しさを醸し出している事を思えば、ドラゴンの神様の考えも少しは分からないでもなかった。
「とりあえず、外なので服を着てください。露出趣味の変態が師匠とか勘弁して下さい」
「朝から元気ねぇ。どうせ誰もいやしないわよ」
「いや、私がいるじゃないですか」
「弟子だから良いじゃない。というか何よ。私の裸が見ていられないとかそんな贅沢な事を言うつもり?」
「正直、目の毒です」
「毒を食らわば皿まで、よ」
「意味が分かりませんけど」
最後まで見ていろとでも言いたいのだろうか。お断りしたい。
「いくら爬虫類といっても人型だもの寝汗ぐらいはかくのよ。特に酒を飲んだ次の日は分解された酒精の所為で正直ちょっと気持ち悪いのよね。水浴びぐらいさせなさいな」
「湖で、ですか?」
「他にどこがあるのよ」
小首を傾げられた。
いやまぁ、ないけれども。
店の中にもそういう場所は無い。
「カルミナちゃんも一緒にどう?」
「お断りします。私にはそういう破廉恥な趣味はありませんので」
確かに、たまには全身に水を浴びたくもなるが、誰の目がなくとも外でと言う趣味は私には無い。ちなみに私が身体を拭くときは、部屋でこっそりである。
「あっそ。じゃ、カルミナちゃんは暇よね?服とか色々持って来ておいてちょうだい」
そう言い残し、師匠が木々の合間を抜けて湖へと向かう。
そんなドラゴン師匠の自由気ままな命令に、私は、しばし呆然とする。
いや、それなら最初から自分で持って来て下さいよと言いたい。それに付け加えて、態々持って来て、ここで着替える必要はないんじゃないかな?と言いたい。
「まぁ、別にいいですけれど」
寝起きに、外の空気を吸いに来ただけなのだから、暇なのは事実だ。
まだ、靄が出ているぐらいに早い時間だ。
いつもならば、寝ているような時間。大して理由があって早く起きたわけではない。酒精にあてられて眠りが浅かったわけでもない。だから、言われるように暇なのは事実だ。
「全く。だらしない師匠ですね」
髪を掻きながら、とりあえず、持ってくる物を頭に思い浮かべる。
服、下着、後は何だろう。裸体と言う事は部屋には服が散乱しているのだろうから、それを片付ける必要もあるだろうし、その洗濯もあると思うし、ついでにそれらを持ってくるのも良い。今日は確かに良い天気になりそうなので洗濯物を片したいといえばそうだ。ドラゴン師匠に連れ立って洞穴に行くのはそれからで良いだろう。
それに、折角ドラゴン師匠があんな素敵な物干し竿を作ってくれた事だし、使わないのは勿体ない。まぁ、そんな風に使ったらきっと怒られるだろうけれども。そんな馬鹿な想像をして一人、朽ちた社の前で笑う。
呼気に水気と、そして植物の匂い混じっているような感触が、心地良かった。早く起きた甲斐があったといえる。清々しい、自然に包まれた朝を堪能する。手を大きく広げ、深呼吸をする。それだけで少し楽しい気分になってくる。
「さて、やりますか」
気分一新。やる気を充足して階下へと向かう。
でも、とふいに思う。
こんなにやる気を出した所で、洗濯には大して時間が掛らないだろう。一番面倒な服がないのだから。小さく、とても取扱いに困る洗濯物がないのだから。
洗濯だけじゃない。
掃除も炊事も、私とドラゴン師匠の2人分で良いのだから、きっと早く終わる事だろう。
「……妖精さん、いつになったら起きるんだろ?」
靄の向う、雲の少ない青い空を見上げても、答えは出ず。
でも、きっと考えても答えは得られない。私は妖精の生態についてこれっぽっちも知らないし、あの妖精さんは特殊なのだろうから。だから、これも合わせて、後でドラゴン師匠に聞けば良いか。
そう結論付ける。
とりあえず、今はドラゴン師匠の服と下着と髪留めと、加えて洗濯道具一式を持ってくるとしよう。
立ち上がり、店へと戻り、相変わらず膝を抱えたまま寝ている妖精さんを余所に、ドラゴン師匠の部屋へ入れば、簡素な部屋に意外にも綺麗に畳まれた服やら下着やらがベッドの上に置かれていた。やっぱり大事にしいてるんだなぁと改めて思いつつ、それらを抱えて、箪笥から新しい服も取り出し、再び、外へ出れば、ドラゴン師匠が戻って来ていた。
「カラスですか」
「失礼ね。ドラゴンよ」
行水を終え、水も滴る良いドラゴンが不満げに口を尖らせた。
―――
ドラゴン師匠に身守れる中、洗濯を終え、陽が昇り切る前に薄暗い店へと戻り、屋外とは違い、じめじめとした空気を感じながら、食事を用意する。
結局、先輩は魚を捕まえて来てくれなかったので、昨日洞穴で確保してきた刺っとした触手を包丁で輪切りにしていき、皿へと並べる。死後一日も経てば新鮮味がなくなってしまい、しなびた感じはあるものの、試しにと口に含んでみればこりこりとした触感に胸が踊る。やはりイカの部類であったのだろう。うまみ成分が一杯である。多分。
指先で一つ、また一つと摘んでいれば、ドラゴン師匠がため息を吐いた。
「一応、言っておくけど。私はいらないからね?」
「意外といけますよ?……それにカビとかサビよりはましだと思いますけど」
「パパのあれは美味しいから良いじゃないの。あれを食べて育った私を馬鹿にする気?」
パパっ子に聞いた私が馬鹿だった。というか、その肢体はカビとサビで出来たのか……誰でも良いから文句を言いたくなった。世の中何か間違っていると思う。えぇ。
「ま、どうしても賛同者が欲しければカウンターにでも置いておきなさいな。虫が食ってくれるわよ。蓼食う虫も何とやらってね」
「いやですよ、勿体ない。師匠は魚でも食べます?」
先輩は捕まえてくれなかったが、滝昇り中の魚がドラゴン師匠の魔法に吹き飛ばされて、結果、私の頭陀袋入りしたのが……うん、骨なら残っている。いや、ほらだって。久しぶりの魚だったので外身も中身も全てその日の内に食べたというわけである。
「骨じゃないのよ……骨煎餅というのは酒のつまみには良いけど。ま、別に私は食べなくて良いわ」
骨煎餅……そういう食べ方もあるか、と頭の中で、油で揚げた骨に塩を付けて食べるのを想像していれば、自然、口腔内に唾液が沸いてくる。
「お腹すきませんかね?」
先輩のように小食なのだろうか。ドラゴン師匠が実は酔竜とかいう種族で、身体の殆どが酒精で出来ていると言われても今ならば信じても良い。
「潜れば天使もいるだろうし。それを喰うわ」
「……洞穴内にも天使はいるんですか」
「何も無い空中から発生するとでも思っていたの?昨日、お母様が喰われたって言ったじゃないの」
そういえば言っていた。言われてみれば、確かに洞穴に天使がいなければ喰われる事もない、か。しかし、だとすると……
「洞穴内で天使を見たとか、そんな目撃例とか聞きませんよね?えーと、悪魔は第2階層にいるんでしたっけ?」
先輩がそんな事を言っていたように思う。あと、妖精も確か第2階層にいるとか聞いた記憶もある。
「そりゃそうでしょ。第2階層とか言う所で躓いている人間が遭遇するわけないでしょ。あっちから会いに来ないと遭遇しないわよ。それこそ、混血エルフとかお城の子とかみたいに呪われた子じゃないと。残念だったわね。見初められていなくて」
ケタケタと笑われた。
人間やエルフが活動している場所に、地上に天使が住んでいるならば、その目撃例も多数あるだろう。けれど、教会の人達が天使を崇めているものの、その実在を聞いたことはなかった。でも、教会に飾ってあったあの像を思えば、少なくともその製作者は見た事があるのだろうから、教会の人達の間では、そういう情報がやり取りされているのかもしれないが……。
「……えーと。師匠」
「何よ」
「もしかして、第3階層とかそんな所ですかね?」
「人間が勝手に決めた階層構造の定義なんて把握しているわけないじゃない。人間が使っている地図からすれば相当に遠い場所、というぐらいよ。墓からもう少し離れた場所ね。悪魔の馬鹿よりは頭がまともらしくて、私があまりにも食べちゃうものだから墓には近寄らなくなったのよ。たまに馬鹿な個体が来たりするけれどもねっ!……ただ、食べ過ぎた所為で数が減っているから、あまり遭遇できるとも思わないけど……でも、暫く時間置いていたのだから少しはいて欲しい所ね。私のお腹的に!ま、全滅してくれても一向に構わないのだけれども」
ケラケラと笑いながら。ドラゴン師匠が口角を上げる。
本当、どれだけ食べたのだろう。
「……えっと。と言う事はそんな場所までいくんですか?というか、鍋の材料なのに一体どこへ連れて行こうと……」
言っても鍋である。火の出る鍋である。楽しみである。が、そんな大層な所まで行かないと手に入らない材料で作るとはこれ如何に、である。
「行ってのお楽しみにしておこうかしら?その方が楽しいわよね」
「誰がですか」
「私が、よ。当たり前じゃない」
このドラゴン、ほんと、面倒くさい。私ひとりでは太刀打ちできないので妖精さんには早く目を覚まして欲しいと思う。
「それって、今日中に帰って来られるんですかね?先輩が明日来るとかいっていましたけど……?」
ついでにドラゴン師匠に加工して欲しい刀を持ってくるらしい。何本、刀を持っているのだろう、あの人は。刀蒐集癖でもあるのだろうか。
「無理に決まっているじゃない。2、3日は覚悟しておく事ね」
「……かなり、待たせる事になりますね。明日からとかでは?」
「いやよ。面倒くさい。今日やれる事は今日やるのよ。そういうもんでしょ?良いじゃないの待たせておけば。良い女の証拠よ」
「何を訳の分からない事を言っているんですか」
「じゃあ、書き置きでもしときなさいな。貴女の大事なカルミナちゃんは悪いドラゴンに連れ去られたので、心配せずに待っていて頂戴って。何だったら追っかけてくるかもしれないわよ?」
言い様、下ろしていた髪を結いあげ、二つの尾とし、髪留めでそれを止める。手慣れた感じだった。その様子からは不器用には全く見えない。
「貴女の大事なって……」
「番でしょ?貴女達」
「何言っていますか、この馬鹿師匠は。爬虫類と違って人間は雄と雌があるんです」
「爬虫類にもあるわよ。ほら、白と黒が交われば灰色にもなるじゃない?」
「灰色になりますね。それが何か?」
「方やぐちゃぐちゃに混じりに混ざった黒い非人間。方や全くこれっぽっちも混ざっていない白い非人間。お似合いじゃない?」
だからそれはただの色の話ではないのだろうか。
「……ドラゴンの思考回路が意味不明過ぎます」
「同じ人間でも理解できないくせに何を言っているのよ。さて、準備完了よ。じゃあ、行くわよ。死なないようについてらっしゃいな」
そうして、目元を隠す仮面を付け、ローブに身を包む。
「マジックマスターとその弟子一行、出陣よっ!」
そして唐突に。
まだ私が刺を食べている最中だというのに、そんな事をのたまった。
ほんと、自由気ままなドラゴンである。
―――
強い誰かと一緒に洞穴に潜る事で、自分が強くなったような気分に陥る事があるだろうか?
例えば、ギルドに所属している人達は、カイゼルやボストンさん達のような優秀な人物と一緒に洞穴に潜る事によって、経験を得る事もあるだろう。そういう時、一緒に洞穴に潜った人はどう思うのだろうか。新人であれば、優しく指導してくれる組織のマスターに憧れ、がんばらなければ、と希望を抱くだろうか。それとも、自分には付いて行けないと嘆き、絶望に包まれるだろうか。それとももしかして、彼らが守ってくれているという事を全く理解できず、洞穴なんて大した事はないと高をくくるだろうか。
そう、強い誰かと一緒に洞穴に潜る事で、まるで自分までもが強くなったかのように勘違いすることは無いのだろうか?
「おい、聞いてんのか!」
ここでは、人々の命は儚く、それこそ花が散るぐらいの容易さで無くなっていく。そんな洞穴の中を、強い誰かと一緒に潜る事で生き延びる。その経験の後に、一人で或いは別の者達とそこに向かい、仮に、そう。仮に再び戻って来られたとしたら、更に調子付く者もいるのではないだろうか。
自殺洞穴内では緊張の連続であり、これから解放された際の、地上へ戻った時の気分などそれこそ天に昇るような気分の良さである。その気分の良さ故に、自分が物凄い事をしたのだと、さも勘違いし、自分が強いから、生きていられたのだと思ったりしないだろうか。
そういう人と出会った時、どうすれば良いのだろうか。
「俺を誰だと思ってんだよ。あのバルドゥールに、カイゼルに懇願されて入団してやった―――だぞ!」
つまり、自分がそのギルドの何某で強いのだと自慢げに叫ぶ男に出会った時にはどうすれば良いのだろうか?という話だ。まして、知っているギルドの名前を出された日にはどう対処すれ良いのだろうか、という話でもある。
ドラゴン師匠に連れられて、リオンさんの部屋からまたぞろ滝まで行って、首根っこを掴まれて空を飛ぶという人生二度目の稀有な経験を強制的にさせられ、滝の中を通過した結果、水浸しになった挙句に火炙りにされて水気を飛ばされて、髪の毛がいつもよりもばさばさになったり、一部が生乾きになっている服がちょっと気持ち悪かったりしつつ、ドラゴン師匠の後ろを警戒しながら、気が抜けるのに注意しながら水晶宮……私が水晶宮の話をしていたのを覚えていたらしい……に向かうために歩いていたらこれである。
ここは、第1階層で比較的入口に近い場所。
ドラゴン師匠の言うように本当に水晶宮の近くに出たらしく、先程から時折人の姿を見かける。が、誰も彼も他人に興味など無い。興味があるとすれば、その人が自分を殺そうとする相手かそうではないか。或いは、金目の物を持っている人間かどうかぐらいのものだろう。もっとも、そういう者がいたとしても、個人でというのは難しいわけで、この男のような、狭い通路に、仁王立ちになり、恰好を付けている風な自殺志願と遭遇するのはこれまた稀有な経験であろう。
そして何やら良く分からない事を延々と言われ、多分そういう人なのだろうな、と予想を並び立て、さて、いつになったら道を開けてくれるのだろうと思っていた所である。
「ハァ……」
ため息の一つも出る。
ドラゴン師匠が何の気なしに殺さないか心配であった。が、特に何の反応も浮かべておらず、思いの外大人しく、男の話を無視していた。私同様、聞いている素振りは無い。多分、リオンさんに無暗に殺すなとか言われているか、マジックマスターの恰好をしている時は寡黙を装って恰好付けているだけだろうと、そう思った。
とはいえ、今も延々と何かを言っているが、いい加減面倒である。
何かこう憂さ晴らしに強引に付き合わされている感があって非常に癪である。
ただでさえ、ドラゴン師匠が勝手に先輩に向けて書き置きを残してくれやがったので、正直帰られるものなら今すぐにでも帰りたい所なのだ。そんな少しの時間も無駄にしたくない私にとってこの、名前を聞きとれなかったが、ギルドバルなんとかの何某さんは全くといって良い程興味が沸かない。
邪魔をしないだけ木石の方がましだった。邪魔をしても食べられるだけ化物の方がましだった。
「お前ら俺の女になれよ、そうしたらバルドゥールにも紹介してやるからよ」
木石とも食べ物とも違い、下卑た台詞を吐いてくる辺り、邪魔な事この上ない。
そのねっとりとした声音が耳朶に響き、怖気が走り、その気色悪さについ眉を寄せる。そんな私の動きに目ざとく気付いたのか、チッと男が唾を吐き捨てた。
吐き捨て、手に持つ大型のナイフをちらつかせてくる。刃渡りでいえば先日先輩が貰っていた小刀ぐらいだろう。松明の光に、鈍い光を放っていた。一見して、手入れが行き届いていないような物ではあるが、寧ろだからこそ傷を付けられたら傷痕が酷い事になりそうだった。
「大人しく言う事聞きゃ、何もしてねぇよ。つか、奴隷如きが調子に乗るとか俺、馬鹿にされてんの?この俺が?」
ナイフに注視している私の態度に気を良くしたのか、そんな事を言いだした。それを聞いて、村を出る時に話をした男を思い出した。もはや名前も覚えていないが、この手の人間の行動や、発言はどうしてこう似たりよったりなのだろうか。どこかで教えて貰えるものなのだろうか。もし教えた人間がいるのなら、殴りたい。
方や装備を全く持っていないローブ姿の仮面美人、方や包丁と頭陀袋を担いではいるが華奢な素人。鴨が葱を背負って鍋に入って来たような気分なのかもしれない。逆にこんな奇妙な2人を見たら私なら避けるが……。ドラゴン師匠の言うように、確かに人間相手でも思考というのは、理解できないものだな、と思った。
しかし、何故、こうも自分の事というかギルドの事を知っていて当然という態度なのだろう。なまじ見目が良さそうに見えるから尚更なのだろうか?そういう楽しい人生を送って来たのだろうか?皆が皆自分を称え、皆が皆自分の知っている範囲の事柄だけで盛り上がる、そんな人生。視野狭窄にも程がある。世界はこの男が思っているほど、狭くも無いし、優しくもない。
まぁ、ともあれ、である。
私が、知っているギルドの名前を出されたからといって、ナイフをちらつかされたからといって、唯々諾々と従うわけもない。
「僭越ながら、武器をチラつかせて、人を脅して無事でいられる程自分が強いと思っていたら、残念ながら今日を生きられませんよ?まして……私に会った日に、不幸にならないわけがありませんね?」
自分で言って自分で苦笑する。恥ずかしい台詞だった。
「何わけのわからねぇこといってんだよ。俺を敵に回すって事はギルドを敵に回すってことだぞ?分かって言ってんのかお前?」
「知りませんよ、そんな事。貴方みたいに、1人で自殺洞穴に入ってくるバルなんとかっていうギルドの人は」
カイゼルは言っていた。
少なくとも5人で挑むと。それを1人でいる所からすると、ギルドの意向すら無視しているわけである。
いやはや、ギルド運営というのも大変なものなのだろうと、そう思った。どれだけ規律を厳しくしたとしてもこういうのは出てくるに違いない。規律は規律。規範は規範。杓子定規にそれを守る必要はない。が、しかし、最低限守るべき規律というのはある。それすら守らない場合には、自然に淘汰されるだけの話。
そんな最低限を守らない相手に、教育というか躾をしなければならないギルドの人達というのも大変だなぁと思う。過去から引き継いできたギルドを未来に受け渡したい、ギルドのさらなる発展のために将来を託したいと願う思いも、こういうの相手には通じないだろう。ほんと、大変そうである。
まぁ、ともあれ、である。
私はギルドマスター相手に刃を向けた女なので、敵に回す云々はお笑い草だ。
足の位置を少し変え、少し前に体重を傾ける。
ただ女であるというだけで従えようとし、殺意を向けてくる相手には流石に相応の対応を。誰も彼も助けてみれば?と師匠には言われたけれど、別に私は博愛主義なわけではなく、こういう馬鹿は、嫌いだ。誰かの威を借り、その誰かを蔑むばかりな輩は、嫌いだ。まして、カイゼルはレアさんのために立ちあがってくれたのだ。そんな彼を貶めるような行動は流石に不愉快が過ぎる。……まぁ、これでカイゼル自身までもをその口で貶めていれば本当にどうしようもないが、それは無いみたいだから、越えてはいけない所は越えてはいないようだけれども……ある意味逆に中途半端ではあるが。ともあれ、それも時間の問題かもしれない。
「痛めつけられたいみたいだな。いいぜ、気色悪い色の奴隷なんざ売り物にもならねぇしな。そっちの女、大人しくしてろよ。お前の相手はあとからたっぷりしてやるからよ」
この場にいる時点で、誰もが自殺志願者だ。これが仮にドラゴン師匠でなくても大人しくしているわけがないだろう。やっぱり単なる馬鹿なのだろうか。この人。
「ハァ……それでは、リヒテンシュタインの黒夜叉姫さんがお相手しますよ」
腰元に手を置き、さらに身体を傾けて行く。
が、そんな私を見て、一瞬、引き攣ったような表情をされ、次いで、指を指された。
「お前が……お前がっ!?黒夜叉姫っ!」
他人の口からその名前を聞くとどうにも背筋が痒い。こんな状況でも変な気分になる。
「はぁ……そうみたいですけど。どうしました?……私を殺したいのですよね?奴隷如き殺してみてくださいよ?ほら。強いのでしょう?」
そんな態とらしい挑発に、しかし彼は乗ってこなかった。その場でわなわなと震えていた。暗がりに、松明に照らされた炎の中、彼の顔が紅色に染まって行った。その感情は、怒り、だろうか。
「お前なんかがいたから、カイゼル達が!」
「……どう言う事ですか?」
構えを解き、包丁から手を離し、しばし、男を見る。
何か言いたいのだろうが、しかし言葉が思い浮かばないとばかりに男は髪を掻きむしり、ナイフを私に向けてくる。だが、先ほどと違い、怒りに腕が、震えていた。
「ちくしょうっ!なんなんだよ。お前は!この疫病神。死ねよ。死んでしまえよ」
いいや、それは恐れ、だった。
男は、私に恐れを抱いていた。
つい今しがたまで武器を持つ事で自分を高揚させ、女を支配する妄想に酔っていた男が、恐怖に怯えるように、自制が出来ないとばかりにナイフを振り回し、挙句、感情を持て余して、大事な武器を、地面へとナイフを投げ捨てた。
カラン、という軽い音が洞穴内に響く。
「カイゼルさん達に何があったんです?」
「何が、さんだよ……ふざけんなよ。お前がいたから、あの人らが殺されかかったんだろうがっ!」
「私だけが助かって、あの人達は殺されかかった、と。……あぁ、生きているんですね。良かったです」
エルフ村で、殺されそうになったという事だろうか。
「何が良かった、だよ!くそがっ!あんな状態の何がいいってんだよっ!なんだってんだよ。バルドゥール最大の失策だ!お前なんかに唆されて、エルフの姫君を奪取した凶悪犯扱いだぜ!?カイゼル達もいつ復帰できるかわかんねぇ。ふざけんなよ。俺らが何をしたってんだよ。全部、お前のせいじゃねぇかよ!」
誰がそれをこの男に、ギルド内に伝えたのかは分からない。もっとも、そんな犯人を探した所で私には意味がない。
けれど、今の発言で、分かった事がある。むしろ、そんな状態だから、この男が一人でこんな所にいられたのだろう。彼が一人で自殺洞穴にくる馬鹿であるのは事実だが、しかし、ギルド自体が乱れに乱れ、統制が取れていない、という事でもあったわけだ。同時にそんな男が憂さ晴らしに洞穴に訪れるような状況でもある、と理解した。
それほど、酷い状況か……。
エルフにもファンが多いと言っていたけれど、それでもやはり、姫君を略取する事はエルフには認められなかったという事か。真実を知るものならばまだしも普通のエルフから見れば、姫君を略取した人間でしかない。恩義を感じている相手であろうとそう簡単に納得はできなかったという事か。
ギルドとエルフで戦争が起こっているとしてもおかしくはない。そしてその火は飛び火してリヒテンシュタインにまで迷惑が掛るようにも思う。リヒテンシュタインが表に出るのならば、帝国までもが前面に出る事になる。人とエルフの戦争が始まる可能性もある。
その火種を持ちこんだのは、私……。
滅入ってしまいそうな状況に、しかし、気を張り直す。
泣くのはもう飽きた。
太陽のようなあのカイゼルでも、結局、私の呪いを受ける。
私だけが助かって、皆が不幸に至る。
いつもの事だ。そう、いつもの事。
後は……白い人だけ。
脳裏に浮かぶその人を、頭の中から掻き消し、再度、気を張る。
もう、慰められたりはしない。もう、私は大丈夫なのだ、と。
だから、努めて笑う。
「っ!?なんで、なんで笑ってんだよっ!悪いとすら思わねぇのかよっ!ちくしょうっ。悪魔かよっ」
一つ残念なのは、あの太陽を陰らせてしまった事。それはとても、申し訳なく思う。大事がなければ良いと思う。
けれど、きっとお見舞いに行けばそれこそ私は殺されるのだろう。
全ギルド員が私の敵になっているのだろう。この人でさえそうなのだ。ギルドの規律すら破ったこの男でさえそうなのだから。皆が、私の敵だろう。カイゼルさんとはもう二度と会う事はできないかもしれないな、とそんな事を思った。
それは、少し寂しいと思った。彼のために用意した樽が残っているのだから。
でも、もしかしたら。カイゼルだけは、笑っているかもしれない。呪いなんかじゃねぇよ、自分達の失敗でしかない、と。……そんな気もする。そんな想像が可笑しくて、また、笑ってしまい、男が更に引き攣った表情を見せた。
「そう、ですね。私のせいですね。ですから、ほら……さっさと、消えた方がいいですよ?どこかの誰かさん。貴方も不幸になりますよ?もう、遅いかも知れませんけれどね」
その言葉に、慌てるように、ナイフを投げ捨てたまま男が逃げて行った。復讐する気にはならなかったみたいだった。そういう意味でも、中途半端だった。
「ハァ……しかし、師匠。良く大人しくしていましたね?」
捨てて行ったのなら貰っておこうとナイフを頭陀袋に入れる。あぁ、そういえばレアさんの首を掻き切ったナイフも頭陀袋に入っているのだっけ。先日、師匠にばらまかれていた所為でナイフを仕舞ってあった事に気付いたのだけれど、返すのを忘れていた。まぁ、本人も覚えていたい事でもないだろうし、そっちも貰っておいて良いのかなと思う。そんなにナイフがあった所で何の意味もないのだけれども……
「私を何だと思っているのよ。単に弟子の普段の行動を見たかっただけよ?ほら、なんていうの?学園のあれよ、あれ。なんていうんだっけ?……親が見に来るやつよ」
ローブ越しに肩を竦めていた。
「なんですそれ」
「何でも良いわ。カルミナちゃんに傷でもついたら、約束を破る事になるし、殺そうと思ってたんけど、その前に逃げたわねぇ」
なんだその約束って。あれか。書き置きか。ほんと何を書いたんだこのドラゴン。というかドラゴン師匠が文章書けるの事が違和感を通り越して驚きである。
「それにしても、私の弟子は優秀ね!まったくもって優秀ね!」
次いで紡がれた言葉、流石にその言葉は、心外だった。
誰彼かまわず助けたつもりは全くない。あの男が勝手に恐れて勝手に逃げて行っただけだ。
「結果論でしょう。流石に、殺さないでいられるほど、私は強くありませんし。あの人が逃げていなければ殺していたと思いますけど?」
自殺洞穴で刃を向けられて、殺意を向けられて私が出来る事なんてそれぐらいしかないだろう。先手を取り、殺してしまうしかない。後手をとって殺されるしかない。その二択だ。
だが、そんな私の言葉は全く、華麗に無視された。
「何を言ってるのよカルミナちゃん。違うわよ。そんなどうでも良い事、一々私が気にすると思う?」
いつもしているような気がするけれど……そんな返答が頭に浮かんだが、気分屋のドラゴンに何を言っても無駄である。
「分かっているんでしょ?ギルドとエルフが戦争となれば、終いには人間とエルフが戦争になる。数が多ければまだしも、エルフが勝てるわけがない。純血エルフは構造的に無理があるのだからね?そうしたら、あれじゃない。戦争の発端となった貴女を恨み、襲いに来るわけよ。自爆するために。だったら、ほら?貴女を守るために殺しても良いじゃない?……貴女、とっても優秀ね?師匠のために良くやったわね!」
そんなつもりは全くないのだが、しかし、仮面越しに見えるドラゴン師匠の瞳は爛々と輝いていた。純血エルフを殺せる事がそんなに嬉しいのだろうか。
「それに比べてやっぱり純血エルフのやる事なんてそんなものよね。変革を許容せず、信心を優先した、ということでしょ?ほんと、未来のない生物よね。今すぐに殺した方が良いと思わない?」
「……駄目ですよ。例え、戦争になっていたとしても。エルフを殺した所で何が変わるわけでもないんですから」
「人間が死ぬことは防げるわね?ほら、素敵なお題目が出来たわよ!」
「それでも、無意味に殺すのは駄目ですよ……」
「無意味って貴女、自分の命を何だと思っているの?面白いわね」
「言葉の綾ですよ。揚げ足とっても私は美味しくありませんよ。……会った事もありませんけど、エリザとレアさんを産んでくれた方々なのですから……変わってくれるのが一番です」
「何よ、この博愛主義者。どこかの誰かみたいな事を言ってるんじゃないわよ」
どこの誰だろう。
「変わるわけないじゃない」
だが、それを問う間もなく、ケタケタと笑われた。
「エリザとレアさんが帝国側に立ち、森のエルフ達を納めてくれれば、どうにかなりませんかね」
「ならないわよ」
とことんドラゴン師匠は純血エルフが嫌いらしい。
でも、私はどうにかなると思うのだけれども。
レアさんが略取されたと思っているから問題なのであって、レアさんが人間の国に亡命したとなれば、また話は別だろう。それが伝われば、エルフとて手を止めるに違いない。自分達の信じていた物を疑うという気持ちが少しは湧いてくるのではないだろうか?ただ、その混乱に乗じて他国の手が入ってきたらもうどうしようもなさそうではあるけれど。それは最悪の状況だろう。物ごとを考える上で最悪の状況を想定するのは重要だろうけれど……ともあれ、少なくとも、ドラゴン師匠と私の意見は違うという事で平行線だ。
「とにかく、です。エリザとレアさん……あとアーデルハイトさんがいる限り、純血エルフを殺しちゃ駄目ですよ、師匠」
「全く。ドラゴンに自制ばっかり求めるんじゃないわよ。……ほんと、パパみたいだわ、貴女」
「私はリオンさんみたいな博愛主義者ではないんですが」
「はぁ?何勘違いをしているのよ。パパは博愛主義者じゃないわよ。馬鹿なの貴女?あれのどこが博愛主義者よ。似ているっていうのは変な所よ。変な所。全く。弟子じゃなかったら殺しているわよ?」
勝手に弟子にしたのはこのドラゴンだったと私の記憶は言っているのだが、どうしたものだろう。
とはいえ、解せはしない。
「リオンさんは、世界を、大陸を守るために、神様を殺しているんですよね?」
「正解」
「誰も彼もを救うために神様殺して、呪われて死ぬ事ができないという感じですよね?それのどこが博愛主義者じゃないと言えるんですか?博愛主義にも程がありますよ」
「違うわよ。全然、違うわよ。貴女と比べればパパの方がまだ人間寄りよ?殺しても死なないだけで、パパの中身は多分に人間寄りよ」
「師匠の中で私がどんな理解をされているのか凄い不安です」
「貴女は人間らしくなくて素敵ね、お人よしのカルミナちゃん?……ま。でも、だからこそ、パパは殺す事しかできなかったのよ。ほんと馬鹿みたいな話だけどね」
そして、口を閉ざした。
もう少しその辺り……特に神様を殺したの下りについて聞きたかったが、しかしドラゴン師匠の話かけてくれるなという雰囲気に負け、大人しく松明係りに戻る。
ちなみにドラゴン師匠の火の魔法は人間が近くにいると焼いてしまう可能性があるというしょうもない理由で使われていない。そういう面だけでみると、面倒見が良いというか人間見が良いというか。まぁ、リオンさんの命令なのだろうと思う所である。
次にドラゴン師匠の口が開いたのは、水晶宮についた時だった。
発光する水晶。相変わらずの見事な水晶の乱立具合にしばし時を忘れる。自然というのは天性の芸術家に違いない。こんな無秩序に並んだそれはしかし、これを崩す事が憚られる美しさ。感性の全く分からない神様連中に比べて何て分かり易い芸術だろう。ただ、見れば圧倒される、そんな簡単で素敵な光景だった。
「で、なんだっけ?カルミナちゃん?」
そんな光景の中、神様が作ったものの中で珍しく分かり易く圧倒される美を持ったドラゴン師匠の、その柔らかそうな唇が動き、その中からいつもの調子で言葉が出てきた事に安堵する。
「白骨死体ですよ。白骨死体」
そう告げる私は、この場に酷く似合わなくて隠れてしまいたいと思ってしまうぐらいに何とも普通だった。まぁ、その分、私は気楽で良いのだけれども。
「そんな物どこにでもあるわよ。もう少し分かり易いヒントを寄越しなさいな」
「ヒント……」
何だか立場がいつもと逆だなぁ、と思いながら死体のあった場所を思い返す。どうにもあの時の事はテレサ様の印象が強くて、あまり覚えていない。
「地図に書いていない道なんですよ。ほら、3つあるでしょう?地図には。で、その死体が身につけていた剣とか鎧とかも錆びてなくて、死体自体も水分が抜けていて……」
「それは、ミイラというのではないの?」
「……ですね」
「なるほど、ね。そう白骨ではなくミイラね。……早く言いなさいよ。それだったら分かるわよ」
「ぐっ……すみません」
それもこれもテレサ様の、と幽霊の所為にしても意味はなく。
「まぁ、許すわ。弟子の可愛い失敗ぐらい許容するのが師匠よね」
ケタケタと笑いながら。楽しそうに笑っていた。それを甘んじて受けながら、頬が火照るのを感じる。恥ずかしい。
「そういえば、カルミナちゃんと最初に会ったのはここだったわね?」
「あの時はもっと静かめの恰好良い人かと思っていましたが……」
「ちょっと、失礼よ。私のどこが恰好良くないというのよ」
「口数?……冗談です。恥ずかしい失敗をしたカルミナちゃんの言う事なんですから許して下さいよ」
そんな風にでも言ってないと恥ずかしさで隠れてしまいたくなる。
「そういえば、師匠、なんか声掛けてくれましたよね。危ないわよーとか。誰かれ構わず声掛けているわけじゃないですよね?」
そう。水晶を見ていたら、声を掛けられた。
「真黒な髪の子がじっと水晶見ていればドラゴンでも気になるのよ。まぁ、嘘だけれど。あれよ。カルミナちゃんはイロモノに好かれるのよ。きっとね?」
「それ、自分を貶めていません?」
「それもそうね。大した理由は無いと思うわよ。覚えてないぐらいだもの」
「そういえば、そうでした」
3度会ったら覚えるわ、と。そう言っていたドラゴンが1度目を忘れていたのだ。
「そんな頭していたら絶対、覚えていると思うのだけれど……ねぇ?ま、久しぶりのお墓参りだったからじゃない?」
「あぁ……他国に行ってらしたんでしたっけ?」
「そうよ。天使を喰いにね」
「やっぱり、洞穴内以外にもいるんじゃないですか」
本当、何も考えずに喋っているのじゃなかろうかこのドラゴン。
「厳密にいえばいるでしょうね。……でも、この大陸にはいないわよ?軒並み洞穴内よ。表に出ているのはそこから沸いて出来た奴ね。どこから湧いて出ているのか?とかは聞かないでね。知っていたらもう潰しているわ」
「……それって洞穴が世界中繋がっているということでしょうか?」
そうでもなければ他国に天使が現れるわけもなし。いいや、それ以前に……
「別に繋がっている必要はないし、地上と繋がってなくても地下深くにしか存在しなくても洞穴は洞穴でしょ。ドラゴンも悪魔も、天使も結局は人間の神様を壊しに来ているんだし、地下にいるのは、洞穴にいるのは当然でしょ?」
「人の神様を壊しに……ディアナ様が言っていた……」
それぞれの神が思うがままに人の神様の大陸へと送り込んだ。神様を壊すために。大陸と一心一体な神様を殺しに。一人きりで、嘆きながらそれでも人を愛し、悲しみに泣き、世界を割る、自分を殺す神様を殺しに。
「地上に隣接しているのがこの辺りというだけね。それが世界の中心だったのは運が良かったのか何なのか。ま、私は壊す気はないから、その辺りどうでも良いわ。天使が沸くならそこに行くだけよ……ここのは一時、喰い尽したものねぇ」
「師匠、お腹壊しますよ……それにしても、天使が地上に出てくると言う事は」
「カルミナちゃんが思っている以上に世界は広いのよ。天使の馬鹿が興味を持って改造しているのは人間、エルフだけではないというだけ。他にも色々よ。守る義理も義務もないし、襲われている所を颯爽と助けて、天使を喰って後は放置だけどね」
「助けないんですか?てっきり助けて囲って、また天使が来るまで待って、狩ってを繰り返していたのかと」
「それも試した事はあるけど、一度食べちゃうと暫くは来ないのよね。それに殆どは気持ち悪い獣の類だし、助けた瞬間に襲ってくる輩だから助ける必要もないでしょ?そんなのを助けてどうするの?食べるの?」
「……食べられそうなら何とか」
「その返答は中々面白いわね。ま、そういうわけでたまに旅に出ているわけよ」
「洞穴内の天使を食べ尽して、それで世界を放浪して、色々廻って食べ尽したらまた戻ってくると言う感じですかね」
「そういう事。今回は早い方よね」
「そうなんですか?」
「かなり早いわよ?種馬の依頼を終えて、その金を使って行脚していたのだもの。精々、15年か16年ぐらいじゃない?」
私の人生が、ドラゴン師匠からすれば行脚か。何とも、何とも理解しえない時間感覚だ。そして、そんな時間感覚に、時間間隔に違和感を覚えた。
「15,6年前?……師匠、昨日、種馬さんから依頼を受けたのは……って」
子供の誕生を祝ってとか言っていたが、それって誰の?まとめて作ったのですよね?と聞こうと思ったら首根っこを掴まれた。
首根っこを掴まれて引っ張られた。ぼふっとドラゴン師匠の硬くない柔らかい肢体に抱き締められた、いや、まぁ、引っ張られて単にぶつかっただけだが。
御蔭で僅か痛い、などという思いは直後に響いた音に掻き消された。
「話に夢中になっていたみたいね。でも、丁度良いわ。潰して持って行くわよ」
水晶の崩れる音が辺りに響く。
轟音が、響く。
自然が作り上げた水晶の乱立を、同じく水晶で出来た生物が壊していく。
逃げる暇も与えず現れた水晶人形が、私の、つい一瞬前まで私が居た場所を叩き壊していた。遊びなど一切ない。先程の人間などのような前口上など一切ない。ドラゴン師匠がいなければ、私は既に死んでいた。
「先輩が一物ごとぶったぎったって」
「私みたいな一種一匹でもなし。これも一応は生物なのだから、また産まれただけでしょう?」
これを見てもやはり生物だとは思えない。
水晶で出来た巨躯。
ドラゴン師匠とは比べ物にならないほどの大きさだ。大人と子供の比どころではなく、巨人に襲われる女の構図だ。だが、水晶人形にとっての不幸は、襲っているのがただの女ではない事だろう。
そして、それを見つめるドラゴン師匠の瞳は、仮面越しに見える赤銅の瞳は、やはり何の感慨も感じられない。人間を見るのと変わらぬ興味のなさだった。
「ま、運が悪かったと思いなさい。じゃあ、殺すわよ」
相変わらず、言葉とは裏腹にその動きは緩やかだ。
天使を殺した時のようにゆっくりと、水晶人形に触れようと手を伸ばせば、怯えるように巨躯が後ずさる。生物の本能が、逃げる事を選択したのだろう。
これを前にして、進む事は許されない、と。
だが、例えば、そう。
見た目と重さの違う物を、初見で持つ事が難しいように。
例えば、ドラゴン師匠をただの人と侮った先程の男のように。
生物であれば、視界から入る情報を重要視してしまう。だから、生物の本能に従い逃げようとする身体をその場に止め、この水晶人形は対峙した生物が見た目通りの生物なのだと判断した。判断してしまった。
次の瞬間、巨大な腕がドラゴン師匠に向けて振り下ろされ、それが押さえ込まれた。
しなやかな指先だった。
親指、人差し指、中指。
その三指でもって、水晶人形の動きは止められた。水晶人形の足元を見れば、水晶で出来た地面が沈んでいるのを見ればそれがどれだけの力を込められたものなのかは良く分かる。だが、それを簡単に上回ってしまうのが、ドラゴンという生物だった。
「お花を育てるのが趣味の可愛らしいお嬢さんにこういう事するのは申し訳ないのだけれど、潰れて頂戴?」
一瞬、何が行ったのかが理解できなかった。ドラゴン師匠が手を開き閉じようとし、あまりにも大きさが違い過ぎて、握る事もできず、その表面をドラゴン師匠の綺麗な指先がなぞっただけにも見えた。
そう見えた。
だが、確かに次の瞬間には師匠が手を閉じていた。手を握った。水晶人形の拳の、指の中で、水晶の中でドラゴン師匠が手を握っていた。
がきり、という鈍い音と共に水晶人形の手が、握り拳を作っていた指先が崩れて行く。
がきり、がきりと音を立てて壊れて行く。その音に合わせてドラゴン師匠が何度も、何度も手の平を開いては閉じていた。その度に水晶人形の指が壊れていく。
だが、水晶人形とてそれをただ見ているわけもない。ドラゴン師匠に囚われていない腕を使い、逃げようと暴れ、暴れれば、しかし、その腕さえも、もう片方の腕で、否。指先で押さえつけられた。
両の拳が、ドラゴン師匠の手の平で止められていた。
そして、がきり、がきりと鳴る水晶の砕ける音は止まらない。
ドラゴン師匠がゆっくりと手の平を開いて、潰して、開いて潰してを繰り返している。時折、互いの手の平を押し付けるように間を置いて、再びがきり、がきりと音を立てる。
そんな仕草を繰り返していれば、気付く。
「潰すってそういう意味ですか……」
巨大な手が、ドラゴン師匠の手に壊され、潰され、圧縮され、ドラゴン師匠の手の平の中で小さな、小さな宝石のようになっていた。どれほどの力を込めればあの巨大な手が、腕がそんな小さな塊になるのだろう。そんな事を考えている間にも、どんどんとその宝石が大きくなっていく。大きくなればなるほど水晶人形の腕が無くなって行く。
暴れ、逃げようとし、しかし、押さえつけられ、逃げられることもない。逆に逃げる度に腕が潰され、肩が潰され、身体が倒れ、足が折れ。見る見る小さくなっていく。
まるで、魔法を見ているようだった。
巨大な身体を手の平の中に隠していくような、そんな魔法。とても不思議で、信じられない光景が目の前に浮かんでいる。
それから、暫くその作業が続き、ついに頭部が潰され、水晶人形が活動を止めた。
「えっと……それ、どうするつもりなんですかね?」
恐る恐る聞けたのは、全てが終わってからだった。
最終的に片手に乗るぐらいの大きさになった水晶人形は、それこそ水晶玉と言えるような物になっていた。どこか紫がかったそれは、宝石のようにさえ、宝珠のようにさえ見えた。それをくるりと手の内で廻し、廻しては指先で支え、回転が止まれば手の平で受け止め、再び廻し、支える。そんな風にしてドラゴン師匠が水晶人形であったものを弄んでいた。
「鍋を作るために使うつもりだけど?」
どこに使うのだろう。
「脳みそ蛙もどこに使ったか分かりませんけれど、流石リオンさんの娘ですね」
「何よ、パパ程意味不明じゃないでしょ。ほら、そこの袋に入れておきなさいな」
ぽい、と投げられたそれの軌跡を目で追いながら、受け取ろうと手を出したものの、咄嗟に気付いて、その場から急いで後ずさる。
「あぁ、そうだったわね」
そんなドラゴン師匠の忘れていたわ、という軽い声と共に、轟音が辺りに響く。びりびり、と肌を打つと共に、地面にその宝珠がめり込んだ。
めり込んで行った。
あの巨体を小さく潰したのだ。それはそれは重いだろう。加えてそんなに小さく圧縮されたのだ。一点に掛る力は普段より増していたに違いない。
案の定、地面を砕くだけに留まらず、その勢いで、宝珠が水晶宮を下って行く。
いつだかの私のようにごろごろ、ごろごろと、水晶同士で作り上げられたその隙間を通り、壊し、巻き込みながら、新たな交差を、隙間を作りながら、巨大な音を立てつつ、止まることなく、自然の作り出した美しい光景を壊しながら……落ちて行った。
「ほんと、傍迷惑なドラゴンですねっ!」
「失礼よ」
―――
「で、このミイラが何なのよ?」
幾分道の変わった水晶の隙間を、ドラゴン師匠の後に付き従い、辿りついた所に先程転がって行った珠もあった。何とも運の良い事だった。ドラゴン師匠がそれを拾い、今度は私に渡さず、先程と同じように手慰みに弄んでいた。
そうして、久しぶりにミイラとの対面と相成った。
「オブシディアンを手に入れろという依頼を受けていたようで。もしかすると、皇族の依頼だったのではないか?とか。それで、調べようとしていた所にエリザがオブシディアンの少女である事が分かったので、放置されていたんですが……まぁ、依頼主から他に何か面白い事が分かったら伝えろと言われまして」
「種馬の依頼……ねぇ?」
「はい。指輪の台座もあったので、そのお相手に送るつもりだったのかもしれませんし、あるいは皇剣オブシダンの材料に使ったのかもしれませんし」
「後者は違うわね。あの時は私が用意したわ」
だとすると、やはりお相手に送る予定だったのかな。
ミイラを確認しながら、剣や鎧にも目を向ける。その意匠や、素材を確認しながら記憶していく。特に意匠は、作る人の想いが込められているものだし、もしかすると誰の手であるかが分かるかもしれない。そこから情報を追って行けば、この人が誰なのかも分かるかもしれない。という思いはあるものの、とはいえ、そんな意匠の差異が分かるような目は持ち合わせておらず、大して情報が得られるわけもなかった。
そうして、致し方なし、と遺体に触れながら、何か分かり易い特徴はないかなぁと色々と調べている私を、ドラゴン師匠が暇そうに見下ろしていた。
「いつまで続けるの?そろそろ飽きてきたんだけど」
「今、始めたばかりなんですが」
嘆息する。
「じゃあ、師匠が飽きないように聞きたい事を聞きますから、答えていてください」
「横暴な弟子ね」
「暇、なんですよね?」
「はいはい。答えるって話だったものね。じゃあ、どうぞ。何を聞きたいの?」
振り返り見れば、手をひらひら、もう何でも良いわよとばかりにドラゴン師匠が明後日の方向を向きながら宝珠を弄んでいた。暇そうだった。
「じゃあ、オブシディアンの事を調べているので……師匠は、その種馬皇帝さんから聞いていたんですか?エリザが、オブシディアンの少女だったこと」
「知らないわね。同じく客分として城にいた時に、種馬から依頼を受けただけ。金は出すから、出産記念に作ってくれって9本も作らされたわけよ」
「出産記念に9本って変な話ですよね。さっきも思いましたけど」
その子が産まれた時に、その子のために剣を作るならば分かるが、まとめて9本を作るのは変な話だった。
「私からすれば、数が多い方が売り上げは良いわけだし、どうでも良かったけどね」
「世知辛い」
「鍛冶屋だもの」
「……アルピナ様の誕生日に合わせてって感じですか。アルピナ様だけ特別扱いだったのかな?」
15、16年前といえばアルピナ様だろう。確か、アルピナ様は私と同じ年齢だったように記憶している。
最後の皇族。
それを最後として、新しくは作らないと思ったのだろうか。だから、9本まとめて作成したのだろうか。自分で考えていて、それは全く説得力がないように思えた。
「あぁ、あの子か。最終皇帝だっけ?あの子もあの子で中々人間らしくなくて面白くはあるわよね。自分よりも先に国。人間ではなく皇帝。もはや、そういう概念でしかない」
面白いとばかりにケラケラと笑っていた。
「そういう馬鹿は殴っておかないと駄目だと思いますけどねぇ。可愛らしい美人さんが苦しむ国っていうのはどうしようもない国だと思いますし。ただ、私が殴ってももう遅い気もするんですよねぇ……リオンさんどうにかしてくれないかなぁ」
「パパに何を期待しているのよ?」
「夢は見るものなので……」
「夢の見過ぎはほどほどになさい。蛙になるわよ」
「と、言われましても、もう諦めないと決めましたからねぇ」
「強情ね。ま、だからこそ、と。それはそれで良いとして、あの子の誕生に合わせて作らされたのかって話?興味がなかったから直接は聞いてないけど、違うと思うわよ?」
いつのまにかミイラを調べる手は止まり、私は、振り向いていた。
振り向いた私の視界には小首を傾げたドラゴン師匠がいた。
「違うって、じゃあ誰の」
「オブシディアンの少女とやらの事じゃないの?ほら、特別じゃない?オブシディアンだけは。他の剣は全部ただの宝石しか使ってないわけだし?ただの鉱物と、悪魔の産み出した特産品。ほら、特別でしょ?」
ほら、他はこれみたいに、と紫がかった宝珠を見せつける。いや、それはただの宝石ではないと思うのだけれども……でも、言いたい事は分かった。
セラフィナイト、アレキサンドライト……他は何と言う名前だったか。作った本人がそう言っているのだから、間違いはないのだろう。でも、そうだとするならば。
「エリザは第一皇女であるゲルトルード様と同じぐらいの年齢だったはずなんですけど」
「じゃ、混血エルフちゃんがオブシディアンっていうのは違うんじゃないの?別に証拠があるわけじゃないんでしょ?」
「……いやいや。天使が見初められるのは皇族だけという話もありましたし」
「自分でも信じていない言葉を吐くんじゃないわよ。……何よその顔。エルフの馬鹿達が伝えていなかった?混血は見初められるって。特に交わり度が面白い感じなのが良いのでしょ。皇族が見初められるっていうのは単に、混じっているからでしょ?人間で魔法が使えるって事は、少なくとも他の血が混じっているってことだし、あの皇帝ちゃんも魔法使えたはずよね」
「アルピナ様も……混血?皇族全員が?」
「かなり薄い、ね。血が燃える事もなければ耳が尖っている事もない程薄められた者達。きっと、何十世代も前に混じったのでしょうね。見初められたのはたまたま番となった方の混血度合いが濃かったとかじゃない?」
「確かに皇族は美人さんぞろいですけど……本当に純粋な人間ではないんですか?」
エルフには見目が良いのが多いとは聞いていたけれども……。確かにアルピナ様やゲルトルード様も吃驚するぐらい美人さんだけれども……。
「人間の神様がそんな危なっかしいものを人間の体に入れるわけないじゃない。本当に純粋な人間だったら、魔法は使えないわよ。言ったじゃない。人間に教えても意味がないって。使えるんだったら間違いなく何がしか混じっている事になるわね」
「じゃあ、試しに私にも魔法を教えて下さい」
「いやよ、面倒くさい」
「……だとすると、皇族は皆混血で、天使に見初められるのは……」
「必然ね?そもそも、皇族だけが天使に見初められるなんておかしい話でしょう。人間社会の都合なんて天使が考えるわけないじゃないのよ」
「だったら……だったら……皇族でなくても」
「見初められて、連れて行かれた者の事を紡ぐ者がいなかっただけでしょ?皇族だってたかただ300年ぐらいでしょ?それをいかにも私達だけは特別な人間だとか、人類発祥の時からそうだと言わんばかりに言っているけど、そんなわけないじゃないの。悲劇の主人公を生み出す舞台装置じゃないわよ?天使っていうのは」
「だったら……」
「それに、だからこそ、人間はエルフを虐げていたのではないかしら?混血者には異常な者が現れるからとか。混血者のいる村には天使が現れて村ごと消してしまったとか、どう?燃えるのが危険だからとかよりは虐げる理由になるじゃない?ねぇ?どう?単なる想像だけど、合っていると思わない?流石、私ねっ!」
「……」
「何よ。いい加減、察しなさいよ。優しい師匠が折角、がんばって気を使って言わないであげていたのに。それとも、しっかり言ってほしいの?『殆ど』は気持ちの悪い獣の類だけれど、皇族以外の人間で天使に見初められた者も、私が旅をしている最中には何人もいたわよ?って言ってほしいの?あぁ、もう言っちゃったわね!」
崩れて行く。
壊れて行く。
たまたま天使について知っていた神職の家に嫁いだエルフの女性が、たまたま天使について知っていた前皇帝と出会い、たまたま家畜のように思われていた存在と情を交わす程の種馬であり、たまたま子が授けられた。そしてたまたまその子が天使に見初められた。そしてたまたま前皇帝が、その子が産まれたと知って皇剣オブシダンを作り、たまたまドラゴン師匠に誕生祝いであると言葉間違って伝えた。
その偶然が全て成り立たなければ……。
エリザが、オブシディアンの少女である根拠などもはや、どこにも無い。もとより、アルピナ様は天使の痣の事にしか言及していなかった。それが覆れば、必然、覆る。
けれど、こんな事、今さら知らせられない。恐らく、エリザの事が大々的に発表されるのも暫くの事だ。まだ公表していない段階で、この事実を告げれば、エリザはどうなる?放逐されるだろうか?国の為に、間違いを消すために、殺されるだろうか?まして公表した後であれば……嫌な想像しか湧いてこない。
「あぁ、でも。あの混血エルフちゃんが種馬の子なのは間違いないんじゃないの?」
「……証拠がありますか?」
縋るように。ドラゴン師匠の赤銅の瞳を見つめる。
「状況証拠だけどね?30年ぐらい前の話でしょ?あの当時、家畜扱いされていたわけよ、エルフは。純血エルフだったら楽しい話だけれど、混血もそうなのはちょっとあれね。ま、その辺は置いといて。人間と家畜が番になって子を成そうとするのと同じだったわけよね。御父さん、私、豚と結婚しますわ!とかそんな物語があったら教えて頂戴。思いっきり笑いながら読んであげるから。ま、そんな時代よ。そんな時代にエルフと人間の間で生殖行為をする人間は、自らが焼かれるのも厭わずに行為に励むなんて、相当に種馬よね?」
「……レアさんも同じ事を言っていました」
「でしょ?だから、そこは良いんじゃないの?産まれた子が家畜として使役されていたりしていたなら、それが目的だろうけれど、そうではないのでしょう?あの混血ちゃんは、森で普通に育ったのでしょう?だったら、その親であるエルフはかなり良い待遇を人間の世界で受けていたって事よね?何事もなく子を孕めるような状況だった、と。人の世界で孕んだ子が流れる事がなかった、と。事後に、あるいは捨てる直前にでも腹を殴れば、精も焼かれて、それで孕まずに済むのだしね?純血エルフの避妊は簡単よね。地方領主程度や貴族程度ではそんな危険を侵さないわ。仮に抱いたとしても絶対に産ませないようにしているわよ」
ぞっとした。そして、それは避けるではなく、殺す、だ。母子諸共に殺す、だ。あの爆発が身の内から発生すれば死以外にはない。
「けど、女エルフも大概変態よね。そんな恐ろしい人間と好き好んで交わって、血を流しながら、燃えながら子を産み出すわけだし。その覚悟をもって孕んだのでしょう?良いことじゃない。とっても愛されているわよ混血エルフちゃん。一番大事に育てられてきたかもね?種馬からしても本当に、第一子だったのかもしれないわね。婚姻する前のちょっとした火遊びって事かしらね!エルフだけにっ!」
物言いは鬱陶しいが、しかし、少し気分は楽になった。昔を知る者がそう言うのならば、人もエルフも知る者がそういうのならば、状況証拠しかないとはいえ、説得力もあがるのではないかと思えるから。
「……だとすると」
「種馬の隠し子は2名いたってことで良いんじゃないの?一人は時代的に絶対に表に出せない畜生と交わった結果産まれた禁忌の子。父親がその存在すら知らなかった娘。もう一人は、何故表に出せなかったんでしょうね?たとえば……呪いの塊に見えたとか?例えば、カルミナちゃんみたいな、ね?」
「酷い言われようですね、私。これでも親には感謝しているんですが」
「比喩よ比喩。まともに受け止めるんじゃないわよ。……ま、その子への父親なりの祝福を、ってことだったのかもしれないわよ、私に作らせた皇剣オブシダンは。真っ当に喜ぶ事ができなかった分、他の8本を隠れ蓑にして作る事でこっそり祝いたかったのかもしれないわね。木を隠すなら森の中ってね。ま、知らないわ。誰も知らないわよ。きっと。だから、あの混血ちゃんがオブシディアンの少女とやらのまま後世に語り継げばいいじゃないの。歴史ってそんなものでしょう?」
皮肉気に口元を歪めてケタケタと笑う。
そう。きっと誰にも分からない。
ゲルトルード様に殺されたという皇帝以外に、真実を知る者はいないのだろう。
「そういえば……その頃に、第一皇女の母親が死んだのだったかしら。もしかしたら、母親殺しの隠し子かもしれないわね?そのオブシディアンの少女というのは。謎は深まるばかりね?」
「だとすると流石にゲルトルード様はご存知でしょうし、指輪に関しても変な話になりますけど?」
「さらに謎は深まるばかりね!」
ここに来て、適当だった。
「……謎ばっかりで、嫌になりますね……頭がおかしくなりそうです」
ミイラからも得られるものもなく。
ただ、謎だけが増えた。
今度は、答えの貰える質問をする事にしようと、そう思った。
ドラゴン師匠が答えを知っている話を……。
だが、けれど、今は良い。頭が悩まされて、ちょっと疲れた。
「ほんと、師匠といると疲れますねぇ」
「ちょっと、失礼よ。弟子」
―――
「あ、これが例の……」
ミイラの居た場所からかなり奥まで来たように思う。
そこに、花が咲いていた。
地面から、天井から、壁面から、花が咲いていた。
松明を向ければ、ぼう、と淡く銀色に輝くそれは、見ていると不思議な気分に陥ってくる。こんな所に花が咲いている事に対する違和によるものなのだろうか。
いや、寧ろこんな所に咲く花の健気さに見惚れる、ようなものか。
そして、それを見て、私は、第二階層に来たのだと、理解した。
一人では絶対に来る事ができないだろうと思っていた場所だ。エリザの事があった時にはどうしても来たいと思っていた場所だ。そこに、今、私は立っている。
これがエリザの剣とかになったのかと思えば感慨深く、もう少し近くで見てみよう、そう思い、身を寄せれば、ドラゴン師匠が口を開く。
「近づくのは良いけど、喰われないようにね?」
その言葉に、一瞬呆とした瞬間、がしゃん、と花弁が閉じた。びくり、と身体に緊張が走る。それを機としたのか、あちらこちらからガシャガシャとなる金属音が次から次へと沸いて来た。
「煩いわよ、貴方達」
そして、その一言で音が止む。生物としての本能が、恐怖を覚え、怯え、身を竦めていた。
ふるふると震えるようなその花を、ドラゴン師匠が手折る。
手折り、しげしげと見つめ、そしてぽい、と捨てた。何故折った。
「これで作るとかではないんですか?」
「こんなもので作るの?別にいいけど……所詮花よ?」
「エリザの剣と、一時持っていたスコップをこれで作って貰った事がありましたけど。……相当凄い金属だと思うんですけど。高かったですし」
スコップを持つ仕草をしながら、そんな事を伝える。まぁもっとも、どちらもエリザの骨になったわけで手元にはないのだけれども。
「高いというのは入手難易度の問題と同意なのだから、人間なら、そんなものでしょ」
そんなものでしょ、と言ってのけるのはやはりドラゴン師匠だからであり、ここに来るまでどれだけ私がおっかなびっくりで何度死にそうな目にあっかを思えば、高くても仕方がないなと私は思う。えぇ。ドラゴン師匠がいたとしても洞穴内が優しくなったわけでもないわけで、ほんと何度死にそうになった事か。師匠自身の身体能力であれば気にしなくて良い場所……例えば、先日の刺よりもさらに尖った針の山の上を行かなければならなかったり、物凄い勢いで眼前を流れていく水を越える必要があったりとか、気色悪い蟲がわらわらといる場所に手を突っ込んで、それを至近に見ながら壁を昇って行かなければならなかったり、これもまた先日の滝の所より細い道であったり、中には歩くだけで靴が酸で溶けるような場所もあったり、あるいは私達を襲おうとする生物が現れたり、なんだったりである。もっとも、生物に関していえば今のようにドラゴン師匠が睨みつければ大半は逃げて行っていた。……まぁ、解体された結果、私の胃袋を満たしてくれた者達もいたはいたが。
「白い子の、小刀の材料が白銀と鋼鉄で、弟子である貴女が花?それは流石に駄目でしょ」
何が、と問うてはならない。
「何がですか?」
「楽しくないじゃない」
そんな理解できない言葉が返ってくるのだから。
「でも、白銀とか鋼鉄の方が金属製の花より凄いんですか?金属で出来た花の方が凄いと思うんですけど」
しかも食人植物である。食事中植物でないのが重要な所である。そういえば、地上に生えていたあれらは元気だろうか。もしやタマゴドリは食われていないだろうか。心配である。
「白銀ドラゴンと鋼鉄ドラゴンより花が凄いって?面白い戯言ね?流石にドラゴンとして許せない発言よっ!弟子だからって何を言っても良いとは思わないことねっ!」
びしっと指を指された。
「ちょっと、師匠」
「何よ言ったじゃない。白銀と鋼鉄と天使を混ぜたって。パパに言われたんじゃなかったら、絶対にただで何て作らないって言ったじゃないのよ」
「いや、普通金属だと思いません?ドラゴンだなんて思いませんよ」
しかも聞いたこともないドラゴンだった。想像は何となく付くけれども、ある意味全く想像がつかないけれども、何とも豪勢なドラゴンに思えた。そんなもので作られた小刀はさぞ凄いのだろうなぁと思いを馳せる。そして、やっぱりドラゴン師匠は物凄い強いのだなぁと改めて思う。人間がドラゴンに敵う事は絶対に無いのだから。
「人間の感覚なんて知らないわよ」
「じゃあ、今回は何を……」
「鍋よね!」
「はい。鍋ですね」
「炎に強い材料が良いわよねぇ」
「炎に強いといえば、エルフの森が火に強いらしいですねぇ」
「あぁ……」
言った途端、苦い顔をされた。仮面で表情が隠されていても分かるぐらいに苦い顔をされた。若干顔を背けている辺りが尚更に。
「なんですかその苦そうな顔」
「いえ、昔、ちょっとムカついて山を一つぶっとばしたら、そこにムカついた要因が住み着いたってのが釈然としないというか」
「あんたかよっ!」
つい、指差して普段使わないような口調で言ってしまった。
「煩いわね。若気の至りよ」
「どれだけ昔ですか」
「どうでも良いじゃない。ま、今回はあれね。主食が悪魔な植物になる実を食べにくるドラゴンね」
「また良く分からない植物ですね」
「気が狂っている神様連中に何をいっても無駄よ」
「なるほど。……それはそれとしてこの捨てた奴は貰っても良いですかね?高いみたいなので生活費の足しに……」
「好きになさいな」
「ついでにあと、数本お願いします」
ため息を吐かれた。
これで私が何日食えると思っているのか。
その辺り、私は現金な奴なのである。
「もう少し行ったら休憩を入れましょうか。流石に疲れたでしょう?」
話を逸らすかのように、珍しい労いの言葉を頂きながら、そういえば歩きっぱなし驚きっぱなし、神経すり減らし過ぎだった。だから、その提案は大変ありがたく。
「もう少し行けば、墓だしね」
なるほど、納得した。自分が休みたいから、だった。
「今日は、そこで休むわよ。私は別に良いけど、貴女は無理でしょ。パパと行く時も大体そんな感じよ。墓で一日目を終えて、そして二日目といったところよ」
それを聞き、この行程はかなり早い物なのだろうと改めて思う。
ドラゴン師匠がいなければ一日で辿りついたとは思えない。道に迷う事もなければ、化物相手でも時間を要しない。そうでもなければ、既に誰かが到達している領域だろう。いくら水晶宮からミイラのあった未発見領域を経由して進んだとはいえ、先輩ですら穴が空かなければ行けなかった場所なのだ。それを思えば、どれほど私は楽をしているのかが分かる。大変ありがたい話である。何日も経ってしまっては、残された書き置きがどうなるか分からないので……。
そんな馬鹿な事を考える余裕が出来てしまった事に反省し、気を引き締める。
「承知です。……墓にはあんまり良い想い出はありませんけどね」
自らの足を切り落とそうとした事を思い出し、背筋にぞっと冷たい物が走る。あれで足を失っていれば本当にどうなっていたのだろう。こうしてドラゴン師匠と一緒に洞穴を潜る事もなかったに違いない。
「何よ、空を飛ぶ経験ができた素敵な場所でしょう?」
「……そうですね?」
「不満気ね?不満気ね?弟子の癖に不満気ね!ま、墓では大人しくしていなさいな。骨、持って帰ろうなんて思うんじゃないわよ?……お母様の骨を」
「……人型なのでは?」
それで、あの時、置いて行けと言っていたのか。殺されないだけ、本当にましだったのだなと今更ながらに思った。
「誰がよ。お母様が?そんなわけないでしょ」
「だったら、師匠はなぜ人型……」
「知らないわよ、そんな事。まぁでも、そうね。お母様はあれよ。人間の体からドラゴンが生えている感じね?もちろん身体も人間ぐらいの大きさよ。それでね。特に尻尾が素敵でね、何股にも分かれていて、それぞれがドラゴンになっているのよ。超素敵でしょう?私のお母様」
パパが好きで、母親が好きで。ある意味可愛らしい。
とはいえ、である。
「良く分からないんですが……」
頭の中で想像してしまった姿は、大層化物っぽかった。プチドラゴンよりも蜘蛛女よりも、前に地上で遭遇した化物よりもさらに化物っぽかった。自分の下半身が、プチドラゴンのような気色悪い生物になっている姿を想像し、さらにその尻尾からプチドラゴンが何匹も生えている姿を想像してげんなりとした。
「制作者の狂気を感じます……」
「ドラゴンの神様が手ずから作ったのだから、狂気の沙汰でもおかしくないでしょ。最高に狂っていて素敵だったわよ?ちなみにそこから人間部分だけを切り取った超美人が私よ。ほら、崇めなさい、許すわよっ!」
そんな戯言を言いながら、ドラゴン師匠が花を踏みつぶして洞穴を行く。踏みつぶされ、茎の折れたそれを頭陀袋に仕舞いこみながら、そうして新設された通路から逸れぬように注意しながら、ガシガシと花弁を鳴らしている花達の怨嗟の声らしきものを聞きながら、私は、私とドラゴン師匠は墓場へと向かって行った。




