第14話 人でなし
14.
視界を覆い尽くす程の炎が止み、世界が暗転したかのようにさえ思えた。だが、それも一瞬、一つ、一つとドラゴン師匠の行く道を彩るかのように篝火が道を映し出す。
私達と、ドラゴン師匠を、そしてその奥を繋ぐように一つ、一つと火が灯る。自然に発火したものではない以上、これはドラゴン師匠の魔法なのだろう。
そうして出来あがった道をドラゴン師匠がカツン、カツンと甲高い音を立てて歩み、歩んで私の下へ、私達の下へと近づいてくる。
例の目元だけを覆う仮面はない。
そんな無粋な物など、今この時は不要。
ほぅ、と零れる吐息は誰の物か。エリザか、レアさんか。このドラゴンを間近に見れば、そうもなろう。
周囲の炎が消えたとはいえ、炎によって熱され、半ば赤く染まっている地面を優雅に歩く姿は、この生物が見た目以上に人間ではない事を示していた。恐らく、その道を私達が歩けば火傷だけでは済まないだろう。
そんな姿が、酷く様になっていた。
否、このドラゴンが様にならない姿などあるのだろうか?先程も思ったが、並び立つ者などそれこそ妖精さんぐらいのものだろう。まさに絵になるドラゴンだった。称賛したくもないのに自然と称賛の言葉が脳裏に浮かぶ。まるで魔法で心を奪われたかのように。
だが、まぁ、
「何よ、狙ってきたの?ちょうど今最後の仕上げが終わった所よ!やるわねっ!流石よっ。流石、私の弟子!流石『私の』っ!」
口を開けばそんな物である。
大変、姦しいく、鬱陶しい。だが、これがドラゴン師匠だと思う。短い付き合いだけれども。
「ドラゴン師匠……探しましたよ」
「がんばって貴女とそこの白い子の武器を作ってあげていたというのに何よその言い方?酷いわね。でも許してあげるわっ!ここまで来られた御褒美よ!やるわねっ。流石『私の』弟子!」
「いえ、そんな褒美はいらないので教えてほしい事が」
「人間はせっかち過ぎるのが珠に傷よね。そんなに生き急いで早死にでもしたいの?でも、気分が良いから一応、聞くだけは聞いてあげるわ。会心の作が出来たもの!」
それはどんな面白機能搭載武器なのだろうか。もっとも、今は武器の話をしに来たわけでもなし、である。
「あぁ、でもその前に。先輩とエリザは知っていると思いますけど……こちらは」
「へぇ?純血エルフ?私への生贄のつもり?カルミナちゃん。いくら私がドラゴンだからって純血エルフは食べないわよ?あんな美味しくないモノ。ほら、さっさと持って帰ってよ」
紹介する間もなく、追い払う様に手をひらひらと振られた。
「違います」
爬虫類の目には純血と混血の違いが分かるのだろうか。
というか、今の言い方だと一度はエルフを食べた事があるのか、このドラゴン。
言葉の意味を理解した瞬間、背筋に怖気が走ったのは、やはりエルフと人が似通った姿形だからで、ドラゴン師匠もまた人型だからだろう。ただ形が人型だから、一見、意思疎通が出来るからという理由で、ドラゴンに人間の道理が通るわけもない。ドラゴンが人やエルフを喰い殺すのは当然の行動だ。弱肉強食。弱い物は食い殺されるのが常。そう言う意味では、ドラゴン師匠は自制的なドラゴンだといえる。
私達は殺されていないのだから。
だが、いくら自制的であろうともドラゴンはドラゴンだ。
その険呑な爬虫類の瞳で射竦められたレアさんはびくりと身体を震わせ、怯えるようにエリザの後ろへと隠れ、エリザもまたレアさんを守るように立った。
直前まで、ドラゴン師匠が視界に入って以後ずっと、見惚れさせられていたかと思えば、これである。この急激な変化は正直、心にも身体に悪いと思う。特にレアさんみたいにドラゴン師匠に慣れていない人は……いや、それはエリザも、か。
先程の吐息は2人の口から出たものに違いなかった。仮面を付けていないこのドラゴンの顔を視界に入れればそうもなる。エリザのような美人さんでも戸惑うぐらいにこの生物は常識の埒外で、規格外なのだから。その一方で、先輩だけは歯を食い縛りながら拳に力を入れ、強烈な自制心を持って刀に向かう手を止めていた。殺したくて仕方ないのだろう。私も、実の所を言えば包丁に手が伸びそうになっている。ただ、私よりも先輩の方が辛そうではある。それに気付いたエリザが、レアさんを庇いながらも、先輩の手を左手で握る。それに対し、すまんね、と小さく先輩がこぼし、いえいえと首を振るエリザ。
ほんと、存在するだけで傍迷惑なドラゴンである。だが、この傍迷惑な人型ドラゴンがいなければ、きっと今の世界はないのだろう。そんな事を思う。
「えっと、彼女がエリザの妹で、レアさんです。エルフの神職の方です」
聞きたい事実を後に回す事の何と難しい事か。意識が先へ先へと向かうのを強引に押しとどめながら、エリザに隠れるレアさんを紹介する。
だが、そんな紹介の甲斐もなく。
どこからどうみてもドラゴン師匠が、レアさんに興味を抱いているようには見えなかった。それは例えば、人間が、蛙から魚を紹介されたみたいなものだろうか。私だって蛙に魚の御友達を紹介します!と言われたら、今日の夕食が増えたぐらいにしか思わない。それが嫌いな物であればさらにどうでも良く思う。
そんな全くといって良い程興味のない視線を、私へと戻す。
しかし、私に向けられた視線、そこには幾らかの興味が含まれていた。もっとも案の定、何故、貴女は私にエルフを紹介したの?それで一体何の意味があるの?と。それが睨まれているように感じ、身震いする。
つい先程まで暑かったのが嘘みたいに、冷たい汗が頬を流れて行く。
だが、それも一瞬。
「あっそ。ま、3度会ったら覚える事にするわ。そっちの天使に弄くり廻されたエルフは2度目だっけ?で、そこの白い子は3度目?何なら覚えてあげるわよ?それとも、覚えられる前に殺されたい?無理せず殺しに来なさいな。全力で侮って、弄んで殺してあげるわよ?」
一転、ケタケタと、ドラゴンに呪われた先輩を、哂う。
その言葉に、僅か自制が揺らいだ先輩が、動こうとしてエリザに押さえ込まれた。ドラゴン師匠程ではないが、普段泰然としている先輩がこうまで自制が効かないという事に違和を感じる。だが、それ故に呪いなのだ。殺さずにはいられない。ドラゴンを見れば私も、先輩も殺さずにはいられない。それが、私達に植えつけられた呪い。……まぁ、つまりその挑発についつい私も手が包丁に向かったわけである。
「挑発も大概にして下さいよ、師匠。それと、先輩は恥ずかしがり屋なので名前は教えてくれませんよ。残念でしたね?」
包丁の柄から手を離し、文句をつければ心外だと言わんばかりに大げさに肩を竦められる。これもまた、大変、様になっているから傍迷惑な生物である。一挙手一投足に魅了の魔法が掛っているようだった。私達が男だったら尚更、耐えきれなかったに違いない。
「折角、我慢は身体に悪いという事を教えてあげたのに、失礼な事を言う弟子ね。ま、どうでも良いわ。人間の名前なんて覚えてもあんまり意味は無いし」
本人が言う様に、本当に興味がないようで、先輩に向けた視線が再び私へと。
「すぐに死んでしまうからですか?師匠みたいに、リオンさんみたいに長生きではないから、ですか?」
「へぇ……正解」
まるで、テレサ様のように、いいや、テレサ様がドラゴン師匠を真似たのか。
面白そうに。
楽しそうに。
愉快に。
優雅に。
素敵に。
再び、ドラゴンが哂う。
「師匠、聞かせてください」
その爛々と輝く爬虫類の瞳を見つめ返しながら、告げる。
「いやよ。ここどこだと思っているのよ。穴倉の中で話とか嫌よ。せめて酒ぐらい用意してからにしなさいよ。ほら、生贄なんかより酒持って来ないと。前にも言ったじゃない私を殺したかったら酒を持ってきなさいな」
が、これである。
さっきは気分が良いから聞いてあげるとか言っていたのに、これである。物の見事に手の平を返された。このドラゴン、ほんと気分屋が過ぎる。
「……この飲んだくれっ」
「何よ、ドラゴンが酒を飲んで何が悪いってのよ。そんな辛気臭くなりそうな話よりも、よ。ほら、貴女達の武器ができあがったんだから持って行きなさいよ。天使喰いガラテアの作った素敵武器よっ!他じゃ手に入らない逸品よ!」
きっと一品ではないのだろうと耳に音を入れながら、あぁ、つまりとりあえず、私の聞きたい事に答えるよりも、自分の成果を見せびらかしたかったのかこのドラゴンは、と納得した。そして、こうなってしまっては私が何を言った所で覆す事もできないだろうからここは従うしかない。
なんというか、気分的には餌を目の前にぶら下げられて仕方なく動く家畜のように思えてならないが、致し方ない。
ハァ、とため息を一つ吐いて、ついて来なさいとばかりにドラゴン師匠が先程まで自分が居た場所へと戻って行くのに、ついて行く。
話をしている間に、熱されていた地面からは赤みも消えていた。だが、しかし、それで熱が失われているわけでもなく、靴を通してさえ暖かいと感じる道を、篝火に彩られた道を行く。
先程までと違い、今度は先頭が私、次いでエリザやレアさん、そして、まだ正直、辛そうな先輩が後に続く。
大した距離も無し、すぐに行き止まる。
そこは、宛ら祭壇のようだった。
岩盤がくり抜かれ、矩形に形成されていた。くり抜かれた面は離れた場所から見ても滑らかで、どうやって切り取ったのだろうと疑問すら沸く程に。その矩形の中、これも同じく綺麗に成形された岩で出来た段があった。
そこに何が祭ってあるわけでもない。だが、私にはそこが祭壇のように思えた。そして、それは私だけではなかったのだろう。それを目にし、おっかな吃驚ではあったが、レアさんが興味深そうにエリザから離れ、それを見ようと前に出てくる。
邪悪な像の一つでも、神様の像の一つでも、天使の像の一つでも置いてあれば、まさしく祭壇。
だが、そこに置かれていたのは、供えるように置かれていたのは黒い槍と、白い小刀だった。
黒い穂先や同色の柄を見れば、全体に宝石オブシディアンが使われているだろう事がすぐに分かった。一見して重そうなそれを、ドラゴン師匠が手先だけで掴み、軽々と振り回す。
一見すると、達人のような扱いにも見える。だが、よくよく見れば、どうみても、適当に振り回しているだけだった。単に身体能力が桁違いなのでそう見えるだけだった。けれど、それでも人間がそれに敵う事はない。達人であろうと何であろうと。欠片とて届きはしない。
そんな風にある意味、師匠に感心していれば、である。
「ほら見なさい!題して怨霊の銛よっ!怨霊だけにねっ!この黒光りがなんともいえない感じに素敵極まりないわねっ!勿論、面白機能もつけておいてあげたわよっ!なんと、怨霊搭載可能!ほら、褒めなさい!凄いでしょう私!流石天才っ!あ?何よ包丁でも怨霊搭載可能だって?違うのよ。怨霊をそのまま閉じ込めておける素敵仕様よっ。これで安心貴女も逃れられない牢獄へ!何よ。素敵機能なのよ?苦労したのよ?ほら、それにこれで魚類もばっちりよ!ほら、銛だもの!銛だものっ!」
ふふん、という自慢気な表情が鬱陶しい事限りない。加えて、煩い。非常に煩い。姦しいにも程がある。というか銛なのか。槍じゃなしに。
「あぁもう反応が悪いわね。じゃあこっちよこっち!ほらっ!使ってびっくり、大量に搭載した脳みそのおかげで確立された素敵魔法よっ!ほらみなさいっ!ぴかっと!ほらぴかっと光るでしょ!?真黒なのに光の魔法とか凄いでしょ!?流石マジックマスターよね私!」
ドラゴン師匠が柄の部分を地面に叩きつければ、確かに刃先がぴかっと光った。
「……どうせなら火の方が良かったのですけど」
皇剣オブシダンと魔法が被っているのもまた、どうかと思う。
「何よっ。あいつみたいに発光するのよっ!?蓄えた分だけ発光できるのよ!?全自動じゃなくて任意で使えるのよ!?ほら、素晴らしいでしょう。崇めなさい!許すわよっ!」
なお、そんなドラゴン師匠を見て、3人とも何やらぐったりとしていた。
まぁ、そうだろうと思う。けれど、ぐったりした御蔭で緊張やら何やらは取れた様子だった。とはいえ、このドラゴン師匠は、そこまで考えて鬱陶しさを出しているわけではないのだろうけれども……。明らかに素である。
ともあれ、である。
そもそもにして、エリザから皇剣オブシダンを貰っても意味がないように、私がこれを貰っても意味がない。
びんびゅん振り回しながら、これでもかとばかりに銛を光らせて見せてくれているけれども、である。
「師匠、それ私には重すぎだと思うんですけど……」
自分の手足を見る。細かった。先輩も大概細いけれど、きっと私とは筋肉の量が違うのだろう。えぇ。
とりあえず、私にはこんな重そうな物は持てない。もしかすると、と思い先輩に視線を向ければ、私にも無理だよとばかりに顔の前で手をふりふりされた。
「……ちょっと。どう言う事よ。そんな馬鹿な理由で使えないとかふざけんじゃないわよ。私が何日かけて作ったと思っているのよ」
それは大変ありがたい言葉であるが、そうは言われても持てないものは持てない。いや、がんばれば無理やり持つ事はできるかもしれないが、無意味に重い荷物を持って洞穴に入るというのは死にたがりにも程がある。
「申し訳ないとは思いますけど……いやまぁ、私も蛙集めて来た手前、折角ですから使えれば良いとは思いますけど……」
「夢見蛙の件はしっかり感謝しているわよ。流石に、あんな大量に集めてくるとは思わなかったけど。あぁ、中に入っていた他の物は貴女達の部屋に置いておいたから後で回収しておきなさいな。ま、だからこうして、私もがんばったんじゃないの。師匠が弟子の為に!……じゃないわね。パパに言われて仕方なくがんばったのに、それを何よ」
「えっと。言いたい事が幾つか沸きましたが、とりあえず、なんですか?その名前。脳みそ蛙って名前じゃ?」
「その方が知らない奴には分かり易いじゃない」
いや確かに分かり易いけれど。正式な名前が別にあったのならば、教えてくれたらもう少し探しやすかったのではないだろうか……と思う。まぁ、その御蔭でレアさんと会えた事を思えば、悪い事ばかりではないのだけれども。
「でも、夢見る蛙というのは何だか、似つかわしくないですね」
「そう?そのものだと思うけれどね。私は。夢はどこが見るのか、脳が見る。存在自体が脳なアレは、アレらは夢を見る事しかできない。産まれてから死ぬまで延々と夢を見続ける。まったく、浪漫な蛙だこと。ま、ある意味不憫かもしれないわね。決して叶う事のない夢を延々と見続けているわけだし?」
「はぁ?」
「言わせておいて何よその態度。ま、どうでも良いわ。蛙の話なんて。……使えないのなら溶かそうかしら。それともテレサにでもあげる?」
指先で天井を示しながら、ドラゴン師匠が突然そんな事を言った。
「テレサ様にですか?いや、でもテレサ様も持てるんですかね?」
というか持った所で何の意味があるのだろう。物干し竿ぐらいにはなるかもしれない。ちょうど良い長さだし。いやまぁ、その場合使うのは洗濯する私になるのだけれども。
「大丈夫よ、幽霊なんだし。それに、これにとり憑いてれば悪魔も誤魔化せるしね。なにせ悪魔の胎の中から産まれた宝石が材料なのだものっ!あのメイド服も悪魔の皮使って作っているから更に効果はあがるってわけよね。……でも、そうなると今度は私がパパのお願いを聞かなかったことになるのか。はぁ、面倒だわ。こんな銛ぐらい振り回せるようになりなさいよ。何よ貴女。爬虫類に人間の感覚なんてわかるわけないじゃない……」
ぶつくさと愚痴るドラゴン師匠の姿は見ていて面白い。
凶悪な存在ではあるものの少し中を見ればパパ大好きっ子である。刷り込み効果とは斯くも凄いものかと実感する。
「包丁ぐらいなら問題ありません。でも2本あっても仕方ありませんね。いや、あると用途別に使えて便利なのは、確かなのですが」
包丁二刀流な自分を想像してげんなりした。
「何か欲しい物でも言ってみなさい。もう何でも良いわ。とりあえず武器じゃなくても何かあげておけばパパも怒らないでしょ」
リオンさんが怒る事ってあるのだろうか。素朴に疑問だった。精々良い笑顔をしながら料理の実験台にするぐらいじゃないだろうか。いや、分からないけれども。
しかし、一番欲しいもの……欲しい者……いや、欲しい物。
「一番欲しいのは鍋ですね。洞穴内で調理する用の。持ち運びが便利なのが良いです」
「じゃあ、火の出る鍋でも作ってあげるわよ。それでぶん殴れば武器の代わりにもなるでしょ……んじゃ、材料集めに行くわよ。ついてらっしゃい。その方が早いわ」
言ってみるものだった。
火の出る鍋、というのは物凄くありがたい。
火を付けるのに苦労しなくて済むというのはとてもありがたい。正直かなり嬉しい。もっとも……包丁と鍋を同時に持つ自分の姿を想像して、改めてげんなりしたが。
「えっと、今からですか?」
「そんなわけないじゃない。明日よ、明日。私は眠いの。酒を飲んで寝るのよ。そういえば、なんか素敵な樽が店においてあったわね。あれは勿論私への貢物よね!?」
「違います。あれは商品です」
「何よ、ちょっとぐらい良いじゃないのよ。……何?金の問題?だったら、ちゃんと払うから安心しなさいよ。私を誰だと思っているのよ。金持ちなのよ!」
「じゃあ、ぼったくります」
「……ちょっと、弟子のくせに何、師匠を嵌めようとしているの?殺すわよ」
「横暴ですねっ」
「師匠なんてそんなものでしょ?違うの?私が見て来た範囲ではそんな感じだったと思うけれど?」
「そもそも何も教わった記憶はありませんけどね。それで、ですが、そっちの小刀は先輩用なんですか?そっちなら私でも使えると思いますけど」
「そうよ、白い子用よ。貴女向きではないわね、これは。白いから」
「色の問題なんですか?」
寧ろ私からすれば爬虫類の感覚が分からない、と言いたい。
「当然でしょ」
言いながら、視線を白い小刀に向ける。
刃渡りは、柄への繋ぎを含めば、私の手首から肘ぐらいの長さだった。柄はなく、刀身のみ。刃全体が白く染っており、一見しても二見しても材料が分からない。そんな小刀だった。
そんな白い金属などあるのだろうか。私が疑問に思うのと同じく、興味深そうに先輩もそれに眼を向けていた。
「白って……何で出来ているんだ?これ?」
呟くように零す言葉にドラゴン師匠が珍しく、といって良いのだろうか。真っ当に答えてくれた。
「白銀と鋼鉄と天使の体液を混ぜて作った金属ね。もったいなくて滅多に作らないのを仕方なくこうして作ってあげたのよ。崇めなさい。許すわよっ!」
先輩もドラゴン師匠を崇める事を許されたらしい。単に自分で作った者を使う相手だから絶賛して欲しいだけなのだろうと思う。えぇ。
ちなみに、もったいないというのは、飲みたいのを我慢しての意に違いない。この飲んだくれドラゴンめ。
「天使の……」
そんな戯れた考えを浮かべていた私とは対照的に真面目で、真剣な感じに零れたのはエリザの言の葉。
「あぁ、そういえば居たわね貴女。そうね。混血の貴女、取引をしましょう?今度から天使に襲われたら、殺して死体を確保しておいて頂戴。腐っていても、発酵していても何でも良いわ。それを私に寄越しなさい。それと交換で素敵な武器を作ってあげるわよ?」
ドラゴン師匠が取引をするという事にちょっと違和感を覚えた。国の客分という立場にあったりするドラゴンだから、人間との取引が苦手という事もないのだろうけれど……今までの行動を思うとかなり違和感を覚えた。
「何よ、その胡散臭い視線。……混血エルフには優しいのよ、私」
「初耳ですね」
「当然でしょ。言ってないもの」
馬鹿なの貴女?という表情をされた。そんなやり取りの間に何を思い悩んだのか分からないが、エリザが意を決するように胸に手をあて、口を開けば……
「折角ですけれど、カルミナが貰ってくれない皇剣オブシダンがありますので、大丈夫です」
そんな言葉が飛び出した。悩んだ末にこれである。その『カルミナが』という枕詞を付ける必要はあったのだろうか。思いの外、根に持たれている気がするのは私だけだろうか。皆して私に持てないモノを渡そうとしすぎである。
「オブシダン?あぁ……あれね。種馬が作らせた奴」
「ちょっと師匠。言葉を選んでくださいよ。その娘がエリザなんですから」
「なんで私がそんな事を気にしなくちゃいけないのよ。あんだけ子供作っている奴なんて種馬で十分でしょ」
「王だったらそんなもんじゃないですかね。ほら、えっと危険分散とか。子が少なかったらもしもの時に困るじゃないですか」
「本当に危険を回避したいなら、こんな場所に国作っているんじゃないわよ。エルフみたいに森の中に隠れてしまえばいいでしょ。馬鹿じゃないの?いや、馬鹿だから仕方ないか。子供の出産記念に剣を作るとかほんと馬鹿の発想よね。ま、私は儲かったから良いけど」
「正論ですけど、やっぱり産まれた土地は離れたくないというのが人情では」
「ドラゴンに人情を説いてどうするのよ」
またしても、馬鹿なの貴女?という風な呆れた顔をされた。
「そうでした。まぁ、この話は置いておくとしまして。あれですか?その刀にも素敵機能が搭載されていたりするんですかね?」
「あぁ、そっちはこれもまた凄いのよ。空気が出る魔法よ!これはもう、とっても素晴らしい機能よっ!これを口に咥えていれば水の中でも安心!ちっちゃいから携帯にも便利な優れものよっ!」
一転、楽しそうに愉快そうに自慢げに、小刀の刀身を手に取って見せびらかしてきた。鬱陶しい。
「……便利ですかね?便利だと思います?先輩?」
「使いようによっては使えるかな?それを咥えりゃ、地底湖の探索とか出来そうだし。……いや、あそこは無理か。……でも、なんで小刀?」
小首を傾げながら、先輩が不思議そうにする。
それこそ仮面とかそういう類にすれば良いのに、と言わんばかりであった。いや、言いたいのは私だけれども。
「煩い人間ね。不器用だから防具なんて作れないのよ。何よ?悪い?悪いって言ったら殺すわよ。ま、ともかく、とりあえず貰っておきなさい。本当だったら高いのよ?パパが言わなきゃ絶対にただでなんて作ってやらないんだから」
そんな姦しいドラゴン師匠に、一転、先輩が服を正し、ドラゴン師匠の正面に立つ。
立ち、背筋を伸ばし、次の瞬間、上半身をゆっくりと前へと、頭を下げた。
それは静かな所作だった。
綺麗な仕草だった。
ドラゴン師匠の顔を正面から見据え、呪いに侵され、殺したくなるような思いを、しかし、一切表に出さず、平静を見せる。それでこそ、先輩だと、そう思った。
ゆらゆらと篝火に照らされながら、洞穴の中を白色が流れるように動く。
先輩が頭を下げ、元へと戻ったのは、時間にすれば短いものだろう。けれど、とても、とても長く感じた。
この瞬間、確かに私は先輩の仕草に見惚れていた。
次いで紅色の唇が開き、紡ぎだされるのは酷く柔らかい声音だった。
「店長にもお伝えいたしましたが、私に詫びなど不要です。寧ろ私共が御礼を申す立場です。とはいえ、こうしてご用意して頂いたものを頂かないのもまた失礼に値すると思います。ですので、ありがたく頂戴いたします。とても素敵な逸品、大変ありがたく思います」
厳かな、お姫様のような、らしくないと言いたくなるような声音は、けれど、酷く似合っていた。
そして、ドラゴン師匠の手の中にある白刃に視線を動かせば、少し驚いた表情をする。
「……もしかして防錆仕様なのでしょうか?」
「当然でしょう」
ふふん、と自慢気に笑う。分かる人は私の凄さが分かるわよね、と。やるわね貴女!と嬉しそうだった。
「重ねて御礼申し上げます。不躾ながら。そのような加工が出来るのでしたら、こちらの刀もお願いしたい所です。或いは別に一本。……毎度、毎度錆びてしまうので、困っていた所なのです。毎回毎回カルミーにあげるために錆びさせるわけにもいけませんしね?」
先輩がちょっと楽しそうに、小さく微笑んだ。正直、そんな口調でカルミーと言われると背中が痒くなる。
しかし、良く先輩から錆びた刀を借りていたというか貰って使っていたけども。洞穴内のどこかに錆びやすい場所でもあるのだろうか。さっきちょっと言っていた地底湖かな?
「へぇ。人間の癖にやるわね。……あら、良く見れば、面白い目を持っているじゃない。カルミナちゃんとは別の意味で人間的じゃないわね、貴女。なるほどね。だったら、行けてもおかしくないか。……そうね。カルミナちゃんの方が終わって時間があったら作ってあげても良いわよ。そこそこ値は張るけど」
「お金ならありますので」
「じゃあ、ぼったくるわね」
「ちょっと師匠!」
「カルミナちゃんは煩いわねぇ。貴女の真似をしただけじゃない。冗談よ。爬虫類冗句よ」
「全く、面白くありません」
「ま、ともかく柄とか鞘とかは自分で用意しなさいよ?その方が都合良いでしょ?」
そういう気の使い方は出来るのに何故、銛を作ったのだろうこのドラゴン。
恰好良いからとかだろうか。それとも私に似合うとでも思ったのだろうか。いや、それは確かに魚然とした生物は良く食べていたけれども。
そんな事を考えていれば、先輩がドラゴン師匠から白刀を受け取っていた。それが一瞬神聖な情景に見えた。物語に出てくる、神様から英雄が武器を賜るような、そんな情景に見えた。だから、だろう。エリザも、レアさんも憧れるように、その2人の作り出す情景に見惚れていた。
「大事に使わせて頂きます」
とはいえ、である。元より荷物を余り持ち歩かない先輩は大きな荷物を入れる袋を持っておらず、手持無沙汰そうだったので、とりあえず私の頭陀袋へとその刀を入れて貰った。
「先輩。是非、湖に潜って魚採ってきて下さい。今日の夕食にしますんで」
「見ていてやるから自分で行って来いよ……つか、カルミー。その中、さっきの刺が入ってなかった?使う前から触手塗れにするとか変態にも程があるぞ、カルミー」
今さっきまでの口調はどこにいったの?違う人なの?と疑問が沸くぐらいに酷い返答を頂いた。いや、確かにぬめっとした突起に小刀が刺さりましたけど。
「カルミナちゃん、あそこの魚は美味しくないわよ。どうせなら、そこの滝の魚を捕まえると良いわ。必死に滝を昇っている所為で身の締り具合が違うわよ」
「いや、流石に危ないので遠慮したいのですけど……」
「人間って脆弱よね。あぁ、でも確かに時々、エルフとか人間とかその他とか諸々落ちて来て死んでいるし、そんなものかしらね。魚類はかなり頑張っている、と言う事ね」
何がという事ね、だ。そんな戯言に、付き合う必要もないと思ったが、しかし、付き合ってしまった人がいた。
「落ちて……死ぬ」
呟きはレアさんの口から。嫌な想像をしたのだろう。さっきまで良かった顔色がそれこそあっという間に悪くなっていた。
「何?純血ちゃんは死体が苦手?純血エルフなのに?何の冗談よ。大丈夫よ。潰れているか、燃えているかの違いじゃないの。大差ないわよ。どっちにしろ死体には違いないわ。どちらも等しく肉の塊じゃない?貴女達は見慣れているでしょ?」
「肉の塊……」
更に嫌な想像をさせられたレアさんだった。
再三思うが、ドラゴン師匠にこの辺りの機微を理解してもらうのは無理なのだろう。答えてくれるだけましだと思うしかない。これは人型だとて、人でなければ、エルフでもない。ドラゴンなのだ。
「私としてはそこの滝を昇ると水晶宮辺りに出るから重宝しているのだけどね」
「昇るって、滝を昇るんですかね」
このドラゴンなら、確かに壁に垂直に立って歩けそうである。いやまぁ、もしかするとエリザとゲルトルード様もできるかもしれないけど。
「空、飛ばさせてあげた記憶があるけど?ま、お墓に行くだけなら落ちた方が早いのも事実なのだけどね。たまには遠回りしたい時もあるって話よ」
その台詞を聞いた現自殺志願者と元自殺志願者の2人は疲れた表情だった。私も同じ気分である。
ともあれ、なるほど。だから水晶宮で会ったのか。
「そういえば。師匠。水晶宮から降りたところに、白骨化した死体がある所があったんですけど、分かりませんかね?」
「白骨死体?そんなのどこに行ってもあるでしょ?何を珍しい物みたいに言っているのよ。疲れて頭悪くなったの?弟子失格になりたいの?」
「失格になったら洗濯しなくて良いですかね?……いえ、冗談ですって。そんな嫌そうな顔しないでくださいよ」
そんなに洗濯が嫌なのだろうか。
「……えっと、地図に載ってない道なのですけれど」
「いいわ、いいわ。どうせ明日行く事になるんだし、その時にでも改めて聞くわ。今はもう疲れたから良いでしょ。ほら、貴女達さっさと帰るわよ。こんな所に長居していても何にもありゃしないわよ。もちろん、自殺したければ自由にしてくれて結構よ。私は止めないわ。好きに死んで頂戴」
面倒な話は、もう聞きたくないとばかりに手を振られた。
まぁ、明日聞いてくれるならそれで良いとしよう。まぁ、その分明日聞く事が大量に出来たわけで、それはそれで途中で嫌がられそうである。
ともあれ、そう言ってドラゴン師匠が銛を片手に優雅に歩いて行く。歩く都度に篝火から火が消えて行く。一つ、二つ、と。
さながら店仕舞いだった。
その消える灯りに、遅れぬようにと皆でついて行く。
そうして、篝火も残す所1つになった時、ふわり、と吹く風が顔を打ち、髪を乱す。張り付く髪を手で避けながら、前を見れば、ドラゴン師匠の長い二つに分かれた髪が風に靡いていた。これは、天使の時の魔法か。例え敵にもならぬ生物ばかりであっても、気は抜いていないと言う事だろうか。
そして、次いで空中に火が灯り、最後の篝火が消えた。
「凄い魔法ですね。……規模も凄ければ、同時に幾つもというのもまた、凄いですね」
それを見て、レアさんがぼそぼそと隣を歩くエリザに言っていた。エリザもまた、凄いとは思っているのだろうけれど、凄さが今一分かっていないようだった。まぁ、エリザだし仕方ない。
風の結界に、炎の灯り。
その風は、私達までも守る様に展開されているようだった。
「師匠、ありがとうございます」
「ただの気紛れよ。まぁ、貴女達が死んで幽霊になって、結果、私の鍛冶場が悪魔に集られるようになるのはごめんだし、それこそ笑い話にもならないわ」
ドラゴン師匠には私らを守る義理も義務もないわけで、それを思えば、その気紛れが、ありがたかった。
しかし、やはり伊達や酔狂でマジックマスターと言われているわけではないのだな、と思う。アーデルハイトさんがごごごっ!だよだったか訳の分からない表現をしていたが、確かに素人目に見ても凄いと思う。
風が自身を守り、炎が視界確保と同時に敵を警戒する。なんとも便利で凄い話である。
こうやって見ているとやはり、火を出す魔法ぐらいは教えてほしかった。
……まぁ、火の出る鍋を作ってくれるのだからもういいかな?火種を持ち歩く必要もなく、いつでも調理が可能とはこれ程便利なものもなかろう。正直、かなり楽しみである。
などとさっきも思った事をまた考えていれば、ふいにドラゴン師匠が振り返る。
振り返り、レアさんを見る。
その視線は、最初に見せたような興味がない者を見るような視線ではなかった。
「時に、純血エルフちゃん?」
それは、後少しで滝の裏といった所だった。
緩やかな坂を下りている最中に唐突に何かを思ったに違いない。ドラゴン師匠が少し考えるような表情をしながら、レアさんを見ていた。
「は、はい。な、なんでしょう!?」
「何よそんなに構えなくて良いわよ。さっきも言ったでしょう?エルフなんか食べたくないって。ただの確認よ。貴女、神職の者なのでしょう?」
「はい。姉様もそうではありますが……」
轟々と流れて行く水音に打ち消される小さな声。しかし、ドラゴン師匠にはしっかりと聞こえているようだった。
「生贄の儀式とやらは今もやっていたりするの?」
「あ……はい」
「ふぅん。集団統制のための仕組みといえば確かにそうだけれどあんな馬鹿馬鹿しい事いつまで続ける気なのかしら。エルフの総数考えたら先に全滅するんじゃないの?愚かにも程があるわね。それとも、選民のつもり?いいえ。もしかして、あれかしら、好みの子だったら生贄にはせずに助けてあげるとかなのかしら?助けてやるから番になれとか?ねぇ、その辺りどうなの?ちょっと聞いてみたいんだけど」
その興味は一体どこから出たのだろうか。あまりにも唐突にそんな話をされて、レアさんも、そして聞いていただけの私たちも呆然としてしまう。
「いえ、そう言う事はないのではないかなと……逆はあるかと思いますが」
「逆って事は嫌いな奴を選択するってこと?なるほどね。自分と意見の違う者を軒並み殺す事で統制はやり易くなる、と。それは確かに是ね。でも、逆があるという事は、その逆もまたしかり。可能性は高そうね。産めや増やせや。どこもかしこも種馬ばかりで嫌になるわねぇ。もしかして、貴女も種馬の娘なのかしらね?」
ケタケタと哂う。
「ま、変わってないって事が分かって良かったわ。馬鹿馬鹿しいぐらい何も変わらない。昔から変わらず、保守的な存在ね。ほんと、純血エルフは昔から頭が固くて嫌いだわ。パパに止められていなかったら今すぐにでも行って全員殺してやるのに。自分達で増やして、自分達で減らして。自分達の首を自分達で締めながら生きているなんて、死にたがりの馬鹿どもでしょ?余計な事をする前に殺してやった方が良さそうなんだけど」
哂ったまま、そう告げた。
「あ、貴女が……」
その声は、首を絞められ、喉の奥から無理やり捻り出されたような、苦しそうな、声音だった。
だが、それも途中で止まった。無理やり、はっとした表情をして、止めた。
だから、レアさんが何を言いたかったのか、その本当の所は私には分からない。
もしかすると、貴女がエルフの何を知っているのですか?とでも言いたかったのだろうか。自分がどんな思いを抱えて生きていたのか知っているのですか?とでも言いたかったのだろうか。
だとするならば、言葉が止まった理由も分かる。聡明なレアさんならば気付くだろう。当然、知っているのだろう。私達よりも彼女は、知っているのだろう。混血エルフには優しいと語ったこのドラゴンは、知っているのだろう。
「相変わらず、語っているのでしょう?騙っているのでしょう?己が神様は死んだくせに人間の神様に縋って、頼って纏わりついて、そうして勝手に産み出した者を、産み出された者を『最初の方』なんてふざけた呼び方で呼んで、都合の良いように、捻じ曲げて、折り曲げて、もはや元に戻す事すらできない状態にして……今でも伝えているのでしょう?」
それは、きっと。
覚えているから。
一番、最初に産まれた混血エルフを覚えているから。
だから、哂う。
だから、そんな風に哂う。
絵画に映った姿とは全く違う姿で、絵画に描かれた表情とは全く違う表情で。
描いた者を想い、哂う。
ドラゴンの神様が手ずから作り上げた者より産まれ出た、美の化身が、哂う。
「天使の次に、エルフが嫌いだわ」
凍えるような声だった。
洞穴よりも尚、凍てつく様な声だった。
滝の流れる轟音も、もはや聞こえない。
痛いほど聞こえるのは、がなり立てる心臓の鼓動。次第、動悸が激しくなり、身体が震え始める。額に、背に脂汗が浮き出してくる。私だけではない。エリザも、先輩も同じだ。直接、見詰められているレアさんなど更に酷い。歯が噛み合わず、カタカタと怯えていた。身を抱きしめようにも身体に力が入らず、自然、膝から崩れて行く。
ドラゴンの恐怖、それを思い出した。
殺したい、じゃない。殺されるという感情を、思い出したのだ。
先程から鳴り続ける鼓動が煩い。黙れ。大人しくしろ。そんな意味のない叱咤を自分にしながら、そうでもしていなければ、怯えてしまう。慄いてしまう。否、立ち向かう事など無謀の一言。
私は、私達はこれに、このドラゴンに殺されてしまう、と。
そんな私を、そんな私達を笑うように縦に割れた瞳が煌々と闇の中で輝く。
そして、一際、一段と、絢爛に、豪華に、闇の中に映える赤い、真紅の唇が開かれた。
「ねぇ?貴女、死んでくれない?」
ほら、そこにちょうど良い所があるわよ?、そう付け加えて滝を指差した。
その言葉、その意味を理解した瞬間、私は、包丁を、目の前のドラゴンに突き立てていた。
ドラゴンの心の臓を狙い、突き立てた包丁は、しかし、ガキンという甲高い金属音に阻まれる。服にすら穴を開ける事なく、刃は侵攻を阻まれる。洗濯時には感じられなかったその硬さに刹那の驚きを。しかし、次の刹那には足に力を入れ、どうにかそれを服の内側まで、肉の中まで、心の臓まで捻じ込もうと歯を食い縛り、華奢な体躯に備わる全ての力を使い尽くさんと食いしばりながら、包丁を押し付ける。だが、柔らかそうな服の、柔らかそうな肌のどこにそのような硬さがあるのか。寸分たりとも包丁は、私は前には進めなかった。その事が悔しくて、憤りすら感じ、ドラゴンの顔を、睨み上げる。
そして、それを見て、ドラゴンの赤い唇が、その口角が上がった。
楽しそうに。
無邪気に。
無垢に。
「何よ、性質の悪い爬虫類冗句よ。でも……流石、私の弟子よね?誰かれ構わず自慢したくなるわね。何の気負いもなく、何の感慨もなく、全く己を省みることなく私に刃を突き立てた。誰もが恐怖に怯え、動けない中で、数瞬前まで自分自身さえ怯えていた事を忘れ、良く動いたわ。流石、『私の』弟子ね。とっても人間らしくなくて素敵ね、カルミナちゃん?」
腹に包丁を突き付けられたまま。
私を見下ろしながら。
数瞬、笑うドラゴンと睨む私という一方的な睨み合いが続き、続いて……私は、包丁を下ろした。
「師匠、冗談にしても言葉が過ぎます」
「ドラゴンと出会って殺されないだけましと思いなさいよ。私が、殺さないだけましだと思いなさいよ。パパに止められていなければもう殺しているわよ?ほら、私ってやっぱり健気よね」
ケタケタと笑うその声に苛立ちを覚える。
「あら、怖い顔。ま、安心なさい。殺さないわよ。貴女も、そしてその子もね?だってほら、折角……私の弟子が助けたのだしね?」
理解できぬ言葉で、理解できぬ生物がケタケタと笑いながら語る。
「人間にも分かる言葉を使って下さい」
「何よ。反抗期かしら?……あいつと、テレサに聞いたわよ?自殺志願の純血エルフを必死に助けたってね?そうやって誰も彼も助けてみなさいな。自分を殺して誰も彼もを助けてみなさいな。ほんと、自殺志願にも程があるわよね、貴女。やっぱり、この中で一番死にたがりよね貴女は?……ねぇ、貴女達もそう思うでしょう?」
その言葉を聞いた皆の表情を、私は見られなかった。
けれど、でも、皆は、傍に居た。ならば、自然、視界の端に映る。
視界に、脳裏に、ドラゴンの恐怖に宛てられながらもこの生物を睨みつける先輩と、同じく睨みながら、そして妹を恐怖から庇いながら立つエリザの姿が映る。
それが、その事がとても嬉しかった。
だったら、私は大丈夫。
大丈夫だ。
「……そんなわけないじゃないですか、師匠」
沈黙を壊すように、呟いた言葉もまた、人でなしに笑われた。
「まだ師匠なんて呼んでいる時点で、大概あれよね。ま、楽しいから私は良いのだけれどね。……さて、帰りましょう?詫びというわけでもないけれど、襲ってくるものは全部、軒並み私が殺すわよ」
ケタケタと笑いながら、自殺洞穴を行く。
何事もなかったように。何も無かったかのように。今この瞬間に見せた恐ろしいまでの本能を一切合財隠しきって、笑いながら、何もかもを殺しながら、ドラゴンが行く。
人間のような感慨を持たないドラゴン師匠が、ここまで殺したいと思うのはそれだけの想いを抱えているからに違いなくて……。1200年という長い年月を過ぎて尚、それでも色褪せぬ怒りというのは、どれほどのものなのだろう。純血エルフ、その全てを殺したいと願う思いとは何なのだろう?
それが、気になった。
下ろした包丁を腰に差しながら、そんな事を冷静に考えている、馬鹿馬鹿しいまでにいつも通りな自分に、少し嫌気が差した。
でも、それも、暫くだった。
そんな表情が表に出ていたのだろうか。ポンポンと私の肩を叩いて、先を即す先輩の手の暖かさに、なんだかとても、気が楽になった。
「すまんね。役に立たない先輩で。それとありがとな。……でも、ゲルトルード様みたいな事をやるんじゃないよ。ドラゴン相手に真正面から立ち向かうとか、さ」
「そんなつもりではなかったんですけど……」
その言葉に無言で、先輩が私の頭をかしゃくしゃと乱す。
酷い先輩だった。
でも、私の方こそ、ありがとう。先輩。
「先輩、名前。教える気になったら、私に最初に教えてくださいね」
「なんだよ、いきなり」
「別になんでもありませんよ」
でも、その手の平の暖かさをもう少し感じたいと、そう思った。
―――
店に辿り着いたのはそれから暫く経ってからだった。
先頭に立つドラゴン師匠が、現れた生物を軒並み全て殺し尽した結果、道中は物凄く楽だった。リオンさんが以前に戦闘はドラゴン師匠と妖精さんに任せていると言っていたが、なるほどと納得するぐらい楽だった。精々足元に気を付ける必要があるぐらいで、気を抜かないようにするのが難しいぐらいだった。
楽にして良いわよ?ともドラゴン師匠に言われたけれど、それに甘えていては次に来た時に死ぬ。と答えれば、人間ってホント馬鹿よね、という一言を頂く始末。そうして、ただ歩くことに注意しながらドラゴン師匠の背について行けば、店へとたどり着いた。ちなみに壁に埋まっていたのはやはりドラゴン師匠の手によるものだった。
『凌辱趣味の変態』
軽々とリオンさんの部屋の扉を開けて、洞穴から出て、ドラゴン師匠が軒並み殺す御蔭で一杯になった、頭陀袋に入っていた先輩の小刀を取り出した時の、先輩の発言がそれである。酷い言われようだった。
血やら変な色の体液に塗れたそれを店の水で洗ったり、レアさんがドラゴン師匠から距離を取って怯えていたり、エリザがお姉ちゃんしていたりなど色々あったが、暫くしてエリザと先輩、そして……レアさんもお城へと帰って行った。
エリザに関しては、流石に皇女の立場で何日も城から離れているわけにもいかずという事である。先輩は明後日ぐらいにはまた来ると言っていたが、エリザとはまた暫くお別れである。当然、こうなるとレアさんともなのだけれども。
とりあえず、店の前まで見送りをし、エリザにもレアさんにも、またね、と約束をした。絶対に、と互いに誓う。
しかしまぁ、そうすると、レアさんがドラゴン師匠から話を聞く機会もなくなるのだけれども……私が後日伝える事になるだろう。レアさんとしては流石に、あんな殺意を向けてくる危険生物とは一緒に居られないという事だろう。とても良く分かる。さっきの今で、こうして普通にしている私達の方がおかしいと確かに、思う。
それもあって、レアさんからは別れ際に少し心配された。
エリザと先輩は、前の時の事もあるし、ドラゴン師匠がその後も何もしてこない事から、あまり気にはしてなかったようだった。しかし、普通のエルフであるレアさんには大した事だったわけである。もっとも、エリザとしては色んな意味で妹の事を思うと一人にしておけないと思ったようで、レアさんが城へ行くことには全面的に同意していた。さっきの事がなくてもレアさんを置いていく事はなかっただろうと思う。折角再会出来た姉妹なのだ。もはや別れる事がないと良いな、と私も思う。
御蔭で、今はドラゴン師匠と2人である。
テレサ様は一瞬だけ顔を出し、怨霊の銛を貰うだけ貰ってそのまま部屋に戻って執筆活動に勤しんでいる。ちなみに貰って困っていたと付け加えておく。ですよねぇ、と言いたい。
そして、妖精さんはまだ、浮かんで寝ていた。
そんな妖精さんを視界の端に入れながら、レアさんを怖がらせた仕返しも含めてドラゴン師匠に皮肉交じりに文句を言う。
「師匠。何なんですかその服。硬すぎますよ。あぁ、もしかして師匠が硬いだけですか?それはとても残念ですね」
「失礼な弟子ね。私が硬いと言いたいの?いくら爬虫類だからって、人型なのだからそんなわけないじゃない。ほら」
言いながら、むにっと触っていた。見るととても弾力があって艶があって張りがあって、まぁとどのつまりとても柔らかそうだった。どことは言わないが、肌蹴ている感じの部分が、である。さらにちなみにその付近には鎖骨があるのがこれまた扇情的である。
「じゃあ、なんで刺さらなかったんです?」
殺そうとして失敗した相手にそれを聞く私も大概だが、
「服が無事なのはこれが丈夫なだけよ。あとは、あれよ。人間が私を殺せるわけないじゃない」
何の気なしに答えるドラゴン師匠も大概である。
「いや、そうかもしれませんけど……そういう意味ではなく」
「私だって知らないわよ。そういう風に産まれて来た生物ってだけよ。敵意に反応して硬質化するとかじゃないの?まぁ、色々考えられないわけでもないけど、考えるだけ無駄ね。答えは神のみぞ知るわけだし?」
スツールに座り、酒を煽るドラゴン師匠。
結局、樽は師匠のために使われる事になった。まぁ、金を頂けるならお客様である。もっとも、ドラゴン師匠も店員のはずなのだけれども……。
「そういえば、神様謹製でしたっけ師匠のお母さんは」
「えぇ、そうよ。ドラゴンの神様が手ずから作った凄いドラゴンよ!まぁ、天使に群がられて喰い殺されたのだけれどね。死んだら死んだで悪魔に群がられて幽体まで貪られるしで大変だったのよ?」
いきなり、そんな衝撃的な事を言われた。
天使に群がられる師匠のような人型のドラゴンを想像すれば、それこそ凌辱風景だった。死してもまた見逃されず、食い殺される。人ではない。けれど、人型だからこそ、嫌な想像をしてしまった。
けれど、そうか。だから、ドラゴン師匠はあんなに天使が嫌いなのか。自分以外に殺させたくないぐらいに嫌いなのか。
「墓っていうのは……」
「そうよ。あそこがお母様の墓場だし、私が産まれたのもあそこ。パパと出会ったのもあそこ。当然、お母様の死と私の誕生とパパに出会ったのは同時。お母様を安らかに死なせてくれたのはパパ。だから、パパの言う事はしっかり聞くのよ。ほら、健気でしょ?私」
その時の状況が、全く想像できなかった。
「師匠、酔っています?」
「ドラゴンが酔っ払うわけないじゃない。ほら、ウェヌス。カルミナちゃんが私を疑っているのよ。ちょっと起きて反論して頂戴!ほら、寝てばっかりいないでさっさと起きなさいよ。ほんと、面倒ばっかりかけるんだから」
つんつん、と指先で妖精さんをつっつき始めた。つっつかれると押された方向に動くものの、それでも妖精さんは眠ったままだった。
面倒かけているのはドラゴン師匠の方だと思う。
「完全に酔っていますね……」
以前の時はそうでもなかったけれど、これは完全に酔っているように見えた。そうでもなければ、こうも大事な事を簡単に言ってのける事もないと思った。ドラゴン師匠は人ではない、けれど……。
「夢ばっかり見て何が楽しいのよ。さっさと起きなさいよ……あぁ。逆だった。ほら、夢見るために起きなさいよ。早くしないと殺すわよ?」
「師匠、支離滅裂ですし、酔っ払いが迷惑かけているようにしか見えないですよ」
「何よ。酔ってないわよ……ほら、もう一杯!」
完全に出来あがっていた。
頬が紅色に染まり、それがまた扇情的で、妖艶にさえ感じる程に蠱惑的な表情だった。服の肌蹴た部分も紅色に染まり、まるで禁断の果実のようにさえ思えるほどに。
「ちょっと、何よその目」
「いや、何やら美味しそうな果実が二つほどあるなぁ、と」
「御眼が高いわね。流石私の弟子。欲しければ、食べてみたければ殺して奪い取りなさい?」
「じゃあ、諦めます」
そんな馬鹿な会話をしながら、樽の中からエールをグラスに注ぐ。正直、背の低いグラスに入れるような物ではないように思う。泡ばっかりである。
「下手くそねぇ」
「2度目ですし。……しかし、樽」
やっぱり、無くなるのだろうなぁと思いながら、泡の多いそれをカウンターへと置けば、一気に喉の奥へと、流し込み、再度グラスを私に渡してくる。ちゃんと綺麗にいれろ、と言わんばかりだった。
しぶしぶそれに応えて、再度カウンターへとグラスを置けば、今度はゆっくりと味わう様に唇をグラスに這わす。
「というか、何なんですか師匠。らしくないですよ。傲岸不遜と泰然自若が売りですよね?あれですか。弟子が反抗精神旺盛に包丁ぶっさそうとしたからとかですかね?」
「そんな事どうでも良いわよ。さっきも言ったけど、私としては寧ろ面白くて良いわよ。カルミナちゃんはやっぱり人間らしくなくて素敵よ。食べてしまいたいぐらいにね」
ケタケタと笑う。
「師匠のソレみたいに美味しくは無いと思いますんで、食べないでくれると嬉しいです。じゃあ、何でなんです?正直、今のドラゴン師匠は何か変ですよ?」
氷の入っていないグラスを、まるでそこに氷が入っているかのように揺らしながら、ドラゴン師匠が、更にらしくない表情をする。
「私に純血エルフなんか紹介するからじゃない」
そうやって返答してくれる事自体が、らしくないのだという事に師匠は気付いているのだろうか。あぁ、気付いているのだろう。その口元に浮かべた皮肉気な笑みを思えば。
「レアさんが……ですか」
「名前なんてどうでも良いわ。純血エルフなんかを私に紹介するなんて何のつもりよ。パパに言われているから殺しはしないけれど、抑えるの、大変だったのよ?ほんと、酷い事するわよね。弟子の癖に。あぁ、そういえば、城にもいたわねぇ……」
アーデルハイトさんの事だろう。
「そんなに憎いんですか?純血のエルフが」
「憎いとかじゃないわよ。そんな人間らしい感情なんて持ち合わせてないもの。存在自体が不愉快なだけ。殺したいだけ。今すぐに村に行って全員燃やし尽してやりたいだけ。単なる狩猟本能よ」
それを、憎いというのではないのだろうか。
「昔に、『最初の方』に何かあったんですか?」
そのエルフと人の間に産まれた人を覚えているから。だからあんなにも純血エルフの死を願ったのだろう。それぐらいは分かる。
殺す事をリオンさんに止められているにも関わらず、喰った事があると言ったのだ。少なくとも、一度は、殺したのだろう。きっと、その『最初の方』のために。
「『最初の方』、そうね。最初の方……馬鹿みたいな呼び方ね。ほんと、殺したい。ま、面倒だし、まとめて明日で良いわよね?どうせ、そんな話でしょ?パパの代わりに私が話してあげるわよ。面倒だけど……貴女は私の弟子だものね」
ケタケタと笑う姿だけは、いつもの様だった。
「じゃあ、宜しくお願いします。今日聞いてくれなかった分、大量になる気がしますけど。そこは師匠の所為ですので」
「これは酷い、弟子がいたものね」
「師匠の弟子ですからねぇ……」
「それは酷い師匠がいたものね」
「えぇ。私の友人を虐めるような酷いドラゴンですしね」
「意外と根に持つわね。はいはい。私が悪かったわよ。弟子の御友達を虐めてごめんなさい。だから、もう一杯頂戴?」
「師匠。飲み過ぎ注意ですよ」
「どれだけ飲んでも大丈夫よ。人間じゃあるまいし」
それは以前も聞いた言葉だった。その言葉を聞きながら、樽からエールをグラスに注ぐ。
「何?御友達を虐めた私を心配してくれるの?流石、お人よしのカルミナちゃんね」
「あんまりそういう事言っていると、殺すわよ?」
だん、と音を立ててカウンターへとグラスを置く。
「それ、誰の真似のつもり?もし、私とか言ったら、ほんと……殺すわよ?」
本物はやはり迫力が違った。
折角注いだグラスの中身を、くい、と一口で空け、軽く音を立てて、カウンターにグラスを置く。それを無言で受け取り、再び樽から注いでいる最中だった。
「……パパとウェヌス以外と、こうやって意味もない話をするのって凄く久しぶりね。ま、こういう日もあり、か」
呟く声に、横目に見たドラゴン師匠は、頬杖を付き、俯き加減に笑っていた。その師匠はどこか、そう……テレサ様が見せたような、そんな表情をしていた。
もう届かない過去を、過ぎ去った過去を、通り過ぎた過去を、永遠に生きたとしても辿り着く事のできない過去を想いながら、物悲しげに俯くその姿を見て……
私には、この人でなしのドラゴンが、酷く……酷く人間らしく見えた。