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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
第三章~パンが食べたくないならダンジョンを貪ればいいじゃない~
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第13話 借り物の家から進む道

13.



 明けて翌日。

 家に帰るのに松明が必要というこの店の構造は酷くおかしいと思いながら、私を先頭にぞろぞろと地下への道を下る。昨日から地下に潜ってばかりだなと思う。そんな意味のない事を考えながら、扉の大きさに比して小さい鍵穴に、これもまた小さな鍵を入れる。

 がちり、という重い音と共に重厚な扉が開く。

 扉を開き、備え付けられていた蜀台に松明の先を当て、火を灯す。

 一つ、一つと店の明かりを付けて行けば暗がりの中、妖精さんが浮いているのが見えた。

 ゆらゆらと揺らめく蜀台の炎に浮かびあがる妖精さんは、ある種、幻想的にさえ見えた。「ただいま帰りました」


 その言葉に返るものはなく、妖精さんはその姿勢のまま空に浮いていた。

 いつものように花の装飾の成された単衣を着て、しゃがんだ子供のように足を抱え、顔を膝に載せ、空中で翅を忙しなく動かしながら私達の気配にも気付かず。落ちて行かないように、延々とただその場に浮いていた。


「妖精さん?」


 再び声を掛けても返るものはない。

 その事を訝しげに思いながらも、火を灯していく。そうして暗い店全体が薄暗いぐらいになった所でようやく気付いた。

 妖精さんの小さな小さな瞳が閉じていた。

 安らかに、穏やかに浮いたまま、寝ているようだった。


「器用ですね」


 そんな妖精さんを見てエリザが感想を告げる。

 言い様、起こしてはいけないと思ったのだろう。少し距離を取って廻り込みながら、慣れた仕草でスツールへと向い、座る。そういう何気ない仕草を見ると、エリザには何事もなかったようにさえ思える。まぁ、けれど、それは幻でしかなく、やっぱり夢でしかなくて、眼帯に隠された伽藍の瞳は、元には戻らない。


「ほんとにね」


 合わせるように、カウンターの向こう側へと入り、腰元の包丁などの手荷物をカウンターに載せ、一息を付く。

 次いで、レアさんがとことこと小走りにエリザの隣へと座る。

 そして、残された最後の人は妖精さんを眺めていた。やっぱり先輩は可愛いものが好きみたいである。

 そんな先輩の姿を見ていると自然、笑みが零れる。苦笑に似たその笑みがエリザに気付かれ、エリザもまた座ったまま振り返り、先輩を見て静かに笑った。次いでその妹も。

 そんな私達の視線には気付く事もなく、先輩は、妖精さんを眺めていた。それだけを見ていると、年相応の女の子に見えてくる。

 そんな女の子を姉妹仲良く眺めているのを余所に、カウンターの内側を探っていれば、ふい気付いた。


「あれ?」


 腐らぬようにと水桶の中に入れておいた例の怪しげな蛙を入れた頭陀袋が、その袋ごとなくなっていた。


「脳みそ蛙がないって事は、もしかして、ドラゴン師匠帰って来ている?」


 この店に来る人であんな物が必要な輩はドラゴン師匠ぐらいのものだろう。しかし、折角エリザに見せつけて遊ぼうと思っていたのに残念である。非常に残念である。えぇ。


「脳みそ蛙って……レア、もしかして」


「はい。エリザベート姉様の嫌いなアレです」


「カルミナ。絶対に見せないでね?……本気で怒るからね?」


 とても良い笑顔でそんな事を言われた。

 その笑みが正直、割と怖かった。


「はいはい。分かったよ……ちょっと奥探してくるよ」


 逃げるようにカウンターから離れ、ドラゴン師匠がいるならわざわざエリザに御足労をかける必要もなかったかな?と思いながらも、久しぶりに一緒に出かけられて嬉しいかったので、まぁ良いか。

 ちなみに、エリザが城を出ると伝えれば、当然の如く護衛が必要という事で、なぜか先輩がゲルトルード様より護衛に任命された結果、先輩にも御足労を掛けてしまった。まぁ、でも先輩は言わなくても来たと思うけれど。ここまで来て最後だけ知れないというのは流石に納得いかないだろう。


「というわけで、先輩。後よろしくお願いします」


「……いや、何をよ」


 妖精さんを眺める邪魔をするな、とばかりに無愛想で、ぶっきら棒で、刺々しい声音だった。


「護衛役兼店番」


 呆れ顔で、しかし、付き合いの良い先輩がカウンターの内側に入った事を確認してから店の奥へと、店と部屋の境にある暖簾を越えてドラゴン師匠の部屋へと向かう。

 もっとも、別に大した距離があるわけでもなく、すぐさまその部屋に辿り着き扉を叩く。が、しかし何度叩いても一向に返答はなく、仕方なしに扉を開けても、中には誰もおらず、もぬけの殻だった。


「どこか行ったのかな?」


 ちなみに、掃除と洗濯を任されているのでドラゴン師匠の部屋の扉は開けっぱなしである。加えてちなみに、ドラゴン師匠の部屋は素っ気ない。箪笥の中の衣装こそ派手ではあるものの、それ以外はかなり質素である。あの性格を想えば派手派手しい感じの装飾がなされていそうだが、そんなことはない。他国に出向いたりしている所為であまりこの場にはいないからかもしれないな、と思う。

 閑話休題。

 その質素な部屋の中を見回しても、蛙入り頭陀袋が置いてあるわけでもない。隠せるような場所はない。念のために箪笥の中は一応見てみたが、それもない。いや、まぁ箪笥に入れるわけはないのだけれども。

 帰ってきて早々に再びどこかに出かけたのだろうか?

 でも蛙を持って?


「嫌な絵面だなぁ」


 頭の中でドラゴン師匠が脳みそ蛙入り袋を肩に担いでいるのを想像して、なんとも変な気分になった。酷く似合わない。

 いや、そもそもドラゴン師匠が手に持って遜色なく映える物というのは中々思いつかない。似合っているといえるのは妖精さんが肩に乗っている姿ぐらいのものかなぁ?と今まで見たドラゴン師匠を思い返す。

 それもさておき。

 脳裏に浮かぶドラゴン師匠を振り払いながら、どこに行ったのだろうか?と頭を悩ませる。首を傾げ、目を閉じて色々想像してみたものの、候補が少な過ぎて何の意味もなかった。せめてドラゴン師匠の行きそうな場所を知っていればとは思ったが、ここ以外だと正直居場所が分からない。そこまで互いを知れる程の時間は過ごしてないわけで。

 しかし、思えば確かに、である。

 そもそもドラゴン師匠の主たる生業がキプロスの店員なのは良いとして、副業が武器の作成という事なのだが、どこでそれを作っているのだろう?という今更な疑問が沸く。

 蛙を持って行ったということは、きっと武器を作るための鍛冶場にいるとは思うのだけれど、私には生憎とそれがどこかは分からない。もしかしたら家を出て今までずっとそこにいたのだろうか?

 となれば、である。

 私達に宛がわれた部屋へと向かえば、蝋燭の光を頼りに予想通り幽霊が執筆作業に勤しんでいた。正直、何度見てもその姿には違和感しかない。ちなみに、律儀にメイド服を着たままである。いや、寧ろだから尚更違和があるのだろうか。


「テレサ様の願いなんて叶える気はなかったんですがねぇ」


「何よ、藪から棒に。帰って来て早々挨拶も無しとは躾がなっていませんわね」


「躾けられた記憶もありませんので仕方ないのでは。……で、こちらも仕方なく。本当に仕方なく弟様にお会いしましたので、テレサ様の御言葉をお伝えしました」


「……あら、何?私の願いは叶えないのではなかったの?」


 呆気に取られた表情をされた。

 呆気に取られたまま、けれど慌てるようにテレサ様が立ち上がった。

 それもきっと幽霊的にはあまり意味のない所作なのだろうけれど、でも……幽霊といえど、テレサ様は人だった。


「そう、だったんですけどね。テレサ様には幸せになって貰ってそれから逝って貰わないといけないわけですから……その根っこが解決してないと駄目かなと考え改めました。自省とはカルミナちゃんは偉いですねっ」


「……あの方は御元気そうでした?」


 私の戯言には興味もないと、遠い目をしながらテレサ様がそう口にした。

 その言葉を口にするのは、正直、勇気が必要だったのではないかと思う。それを知る事は、己が悲恋の先を知ろうとする事は、それを知りたいと望む事は、辛いことだと思う。彼がテレサ様を忘れていても悲しければ、覚えていても悲しい事なのだから。でも、それでも尚、彼の事を知りたいと、この幽霊は望んだのだ。

 だとすれば、私に出来る事など、一つだけ。その想いを、戯言で誤魔化す事など、出来なかった。全く、テレサ様に譲歩するのは、今日だけですよ?


「これからは大丈夫でしょう。いつかまたどこかで、と御約束も致しました」


「これからは、ね。……そう。ありがとう」


 悲しそうに、けれどどこか嬉しそうに胸元に手を置き、我が身を抱く。

 そのテレサ様の想いを理解することはきっとできないけれど、でも……きっと彼女も彼もずっと互いの事を、互いに育んだ想いを忘れないという事だけは、理解できた。それだけは間違いないのだな、と思った。

 そして同時に。……1200年、いや、『歴史』として伝わっているのが、『1200』だとするのならば、もしかするとそれ以上だったりもするのだろうか?そんな長い時を生きて来たあの人達はどれだけの想いを覚えているのだろう。『最初の方』、『原初の罪』そう呼ばれた人をあの人達は今でも覚えているのだろうか?きっと……覚えている。例え冷血な爬虫類でも、その時に感じた想いは覚えているのだろう。だからあんなにも服を大事にしていたのだ、なんてそんな事を思った。

 そして……だからこそ。

 ……ふいに。

 本当にふいに、だからこそ、今もこの大陸は在り続けているんじゃないかな、とそんな事も思った。彼らが想いを忘れないからこそ、だからこそ……神様は殺されて、今、この時があるのではないだろうか。そんな事を思った。

 聞けばきっと分かるだろう。

 だから、今は置いておこう。その時もきっと近い。それよりも、今は未練の減った幽霊に、この世界に居続けて貰う様にしないと、だ。

 そうでないと私が幸せになれやしない。


「御蔭でテレサ様の未練が少なくなってしまったので困ったものですけれども」


「ふんっ……生憎と未練ばかりですわ」


「あれ、そうですか?……なら良かったです」


「何が良かった、よ。全然、良くないわよ。もっとも、貴女に幽霊の涙を渡せていない以上、未練が晴れる事もないのですけれどね。そうね、折角だから今受け取ってくれる?」


「嫌です。絶対に受け取りませんからね?」


「全く、ほんと酷い子よね、カルミナは。まったく、誰に躾けられたらこんな子になるのかしら。親の顔が見て見たいわ」


「成仏すれば分かるかもですね。あぁ、残念ですね。テレサ様には一生、見られませんね。……ま、そんな事は置いておいてですね。ここに来たのは」


「あぁ、ガラテア様のこと?」


「察しが良いですね」


「元貴族ですから」


 そんな良く分からない自慢と共にテレサ様がすいっと扉の方へと移動する。


「どうせエリザベート様が来ておられるのでしょう?行った方が早いわ」


「行った方がってどこに?」


「鍛冶場」


―――




「で、それでなんでリオンさんの部屋の前ですか?テレサ様。いや、予想はしていましたけれど」


 リオンさんの部屋の前、若干地面から浮いているテレサ様をじっと見つめる。そんな私の視線などどこ吹く風、テレサ様はいつになく落ち着いた様子で私を見返す。


「入れば分かるし、行けばわかるわ。見た方が説明するよりも早いわよ。……よいしょっと」


 そんならしくない掛け声と共にテレサ様の腕がリオンさんの部屋の扉にめり込んだ。

 それを見た瞬間、ぎょっとした。そのもの言葉通り、彼女の小さい腕が扉にめり込んだのだ。確かに幽霊には扉なんて物は関係ないかもしれないが改めて見せられると驚きを隠せない。そうやって隠せないでいれば、ガキンと鍵が外される音が辺りに響いた。


「やっぱり暗殺者向けじゃないですか」


「元貴族に向かって失礼よ、貴女っ」


 その物言いは、やっぱり、どこか嬉しそうだった。


「しかし、順調に幽霊として成長していますね」


 一部だけ触れることなく、一部だけ触れられるように、そんな器用な事がいつのまにか出来ていた事に驚く。これもある意味成長なのだろう。逞しい事である。

 しかし、壁を抜けるように地面を抜けて、地下の奥深くまでいけば自殺洞穴の最下層まで到達できるのだろうか?そんな考えが頭に浮かび、試しに聞いてみれば、無理という言葉が返って来た。


「その前に悪魔に食われてしまいます」


 なるほど。そこまでは見逃してくれない、と。

 納得し、鍵の開いた扉に手を掛ける。

 近寄り難い、閉ざされた場所だと思っていた所為だろうか。思いの外、するり、と扉が開いた所為で、ついつい身体が前に倒れそうになった。

 開けば、廊下からの灯りに部屋の中が揺らいで見える。

 仄暗い部屋に小さな火の光が揺らぎ、揺らいで部屋を私の目の奥へと映していく。揺れるごとにその像が頭の中に作られて行く。次第、次第と頭の中に写し出された絵を理解し、絶句した。


「これは……?」


 絶句したのは、私だけだった。

 そう、私だけ。

 一緒に来た先輩も、エリザも、レアさんも興味深そうに部屋の中を見渡していた。待てども動かぬ私の代わりにと最初に足を運んだのは先輩で、薄暗い中を淡々と歩み、私達の為に部屋の中に置いてあった蜀台に火を灯してくれた。

 そうして明るくなった部屋を見ても私は、足が動かなかった。いや、寧ろ明るくなったからこそ。訝しげな表情でレアさんとエリザが部屋へと入り、残されたのは私とテレサ様だけ。


「折角開けてあげたのに入らないのかしら?そこまで私の事やることなす事を否定したいの?」


 拗ねたような表情で、しかしテレサ様は私の前で逆さまに浮きあがる。言っている事とやっている事が大違いだった。そんな馬鹿げた行動の御蔭で、止まっていた足が動いた。


「そういうわけではありませんよ。…………入りますよ」


 扉を抜ければ部屋の中の隅々までが見渡せた。

 そこは整理整頓された部屋だった。

 貴族でもない個人には珍しく書架があり、書物が整然と並んでいた。壁にはらしくないと言えるような剣が飾ってあった。きっとドラゴン師匠作なのだろう。でなければ本当にらしくないと思う。ベッドは奇麗にシーツが畳んである。若干埃をかぶっているのはここに住まう者がいなくなったからでしかなく、常は奇麗にされているだろう事が伺えた。流石物臭なドラゴン師匠と妖精さん達のために掃除炊事家事を担う人だと言える。その他、目に付く物といえば何も置いていない粗末な机とそれに似合った粗末な椅子。

 広い、部屋に思えた。御店の方とまではいかないが、先輩にエリザにレアさん、テレサ様に私。5人が入っても自由に動き回る事ができるぐらいに広い。

 でも、それも当然だと、私には思えた。


「奇麗なもんだね」


 料理はゲテモノばっかりなのにと悪態を付きながら先輩が書架へ歩み寄り、本を手に取る。それに付き従う様にレアさんも同じく書架へと向い、一冊の本を手に取っていた。装飾の殆どされていない拙い本。素人が作成したような図書館では絶対に見られない本だった。それも気になったが、エリザの呟きに視線がそちらに向かう。


「……拙い感じですねこの剣。でも、素材はとても良さそうですよ」


 エリザは壁に掛けられた剣に近づきそれを見定めていた。手に取るまでもなく、その剣を見てそう言ってのけた。離れた所から見ても刀身が歪み、更には場所場所で厚みが違うのかでこぼことした表面が火の光を乱していた。絶対に売り物にはならないそれはやはり、ドラゴン師匠の手のモノなのだろうか。多分、間違いなく、相当に古い物なのだろうと、そう思う。

 そんな部屋だった。

 一見すれば普通の部屋だ。

 物珍しい物と言えば書架ぐらいのものだ。

 けれど、私は……私の目にはこの部屋自体が珍しい物にしか見えない。

 確かめるように部屋の真ん中に片膝を立てて座る。剥き出しの地面を手の平で触れる。触れれば、案の定、いや……予想通りだった。

 部屋を分断するように点々と、等間隔に穴を埋めた跡がある。

 やっぱりそうだ。


「この部屋……あの絵の部屋」


 置いてある物は違う。特徴的な物があったわけではない。だが、間違いないと思った。ここは、あの時、目に焼き付いた絵画に描かれた場所、あの幼いドラゴン師匠が笑っていた場所だ。

 埋めた穴は鉄格子が入っていた跡なのだろう。それは、あの絵の中には描かれていなかった牢に違いない。牢屋の中と外、鉄格子を外した部屋。それがこの部屋だった。

 重厚な扉の奥に位置するキプロス。オケアーノスの地下に位置する、世界の果てのその更に地下に閉じ込められていた者がいたのだ。リオンさんはこの場所は勝手に借りているだけだと言った。借りた相手は……『最初の方』だったのか。

 その時だった。

 詩を読み上げるような、レアさんの小さな声音が部屋に、牢に響く。


「『世界には果てがある』」


 その言葉に、はっとする。

 自然、私、先輩、エリザがレアさんに視線を向ける。しかし、テレサ様だけが、少し悲しそうに視線を下げていた。


「オケアーノス……何故、あるの?」


 書架へと近づき、レアさんからその本を受け取った。見れば、確かに私にも読める字でそう書かれている。ディアナ様が写された本の原典、焼けたと言われた本が何故ここにあるのだろうか。


「写本?」


 焼けたと思われていた寄贈品自体が、写本だったという事だろうか?

 呟く言葉に応えるように先輩とレアさんが2人で一冊、一冊書架から本を取り出して確認していく。大して時間もかからず、その確認が終わり、確証へと繋がる。


「同じのがいくつかあるな」


「はい。少なくともそれは、カルミナのそれを合わせて4冊ありました」


 言われるままに見れば確かに中身が同じものがいくつもあった。

 違う所といえば古さ、だろうか。ドラゴン師匠や妖精さんと違い、リオンさんはこの古い本を延々と今まで無くならないように大事にしていたのだろうか。無くなってしまわないように、それが失われないように書き直していたのだろうか。

 この場に『最初の方』がいたのだと、忘れないためであるかのように。この場にそれを書いた者が居た事を忘れぬために。時と共に風化する記憶を忘れぬために。覚えているために。


「何のために同じ本を何冊も作っていたのでしょうか?1冊あれば事足りるように思うのですが……たくさんの人に読んで貰いたいからでしょうか?」


「たくさんの人というのなら、これが図書館に置いてないのが疑問だ。どちらかといえば、無くならないように、劣化してしまわないように。用心のためじゃないか?」


 先輩とレアさんのそんなどこか抜けたやり取りを聞きながら、しかし、きっとこれは関係ないのだという事にも気付く。

 テレサ様が鍛冶場と称した場所とこの事は関係ない。

 店員には隠し事は不要と言われ、テレサ様がリオンさんに聞いたことは、もしかするとこれも関係あったのだろう。けれど、この事実と鍛冶場とは関係がない。だったら、何なのだろう?エリザの力が必要になるほどのものが、この部屋のどこにあるというのだろう?

 エリザに目を向ければ、何時の間にか壁に手を触れながら部屋の隅々を探っていた。本の事は頭の良い姉さんに任せて私は別の所を、とばかりだった。

 すっと左手の指先を壁に沿わせて上から下へと下ろす。

 指先の感触で壁を調べているのだろう。それを追うエリザの横顔が、エリザの瞳が輝いて見える。それは楽しさからだろう。きっとこの場には何かが隠されているのだろうという想いから、好奇心からだろう。レアさんとは違う方向だけれど、そういう所はやはり姉妹だと思った。


「生活感が皆無ですね」


「それはそうね。あの人はここには寝るだけに戻ってきているのだから」


「そうなのですか?」


「えぇ、私が知る限りにおいては、ですけれどね」


 そんなエリザの隣で自然と会話をするテレサ様。

 予想通りなのかどうなのか、エリザはテレサ様を見る事が出来るようになっていた。もっとも、かなり薄く、さらに声も小さくしか聞こえないらしいが。しかし、それでもエリザとテレサ様が会話できるようになって私は嬉しい。まぁ、その結果、レアさんがうな垂れていたのだけれども。


「この場所、少し変だね?」


「流石、元自殺志願者ですわね。気付くものですね……そう、そこです」


 エリザが指を壁に立て、少し力を入れていた。

 みし、という壁の押された音が、しんとした部屋に響く。


「エリザ、何かあったの?」


「えぇ……ここ、動くと思います」


 言われるがままに壁に近づき、良く見れば、色は同じだけれど、エリザに押されて少し動いたからだろうか、うっすらと壁に切れ目が入っているのが見えた。まるでそこだけ切り離されているかのように。そこだけが違う材質で出来ているかのように。


「切れ目の辺り、そちらから見れば右側ですね。そこにくぼみ……取っ手みたいなものがありますわ。力の限り、引いてみて下さいませ」


「テレサさん?」


「これは流石に私には開けられません。越える事はできますが。……ですから、エリザベート様」


「あ、うん。これが……そうなんだね」


 さらにエリザが手探りに壁を探していき、これもまた同色の、ひと目では分からない、くぼみにエリザの左手が、そのしなやかな指先が入る。


「片手?」


「あ。えっと、右手を使うとね……壊れちゃうから」


 小さく消えて行くような声音でエリザがそんな事を言った。

 アーデルハイトさんの使う錬金術とやらの詳細は分からないが、確かに義手、義足は人造の物である。元々のエリザの体ではない以上、天使の痣の呪いは受けないのかもしれない。けれど、だとすれば、エリザの体は今、相当に歪な状態にあるのではないだろうか。


「もしかして、痛い?」


「いえ、それ程でも」


 身体の位置を代えながら、力の入れやすい位置へと何度か移動しつつ、首を小さく横に振る。


「この駄エルフ、それ程というのは痛い時に言うと思うんだけど?……何?エリザ、隠し事?」


「ち、違いますっ。違和感がある程度です。ま、前にも言いましたよね?隠し事はしてないませんよっ!?」


 慌てるエリザは可愛らしい。が、しかし……天使の痣の影響があってもこれほど時間が掛る違和感とはどういうものなのだろう。


「……それでリハビリなの?」


「あ、はい。日常生活ですとほとんど違和感はないのですけどね。でもやはり戦闘訓練などをしていると、力の入り具合が違うので一瞬遅れているように思います。やはり、人工の骨ですと身体の一部としては認識してくれないみたいですね。筋肉とかの方は効いているみたいですけれど、やっぱり血が混じっているからですかね?」


「どうだろう?」


 気負いなく、エリザはそう言っているが、言うほど簡単な事なのだろうか。それは自分自身の力加減を間違えれば骨が折れると言う事だ。筋肉に押しつぶされて人造の骨が折れ、折れれば肉だけが元に戻り、骨は元に戻らず延々と肉を傷つけ続け……嫌な想像をしてしまった。想像を振り払うように頭を振っていれば、エリザに笑われた。

 大丈夫ですよ、そう軽く口にし、エリザが左腕に力を入れた。


「っ……」


 ぎり、と歯の鳴る音がする。

 やはり片手だと力が入り切らないのだろうか。いや、くぼみが右側にあるのが原因だろう。左手では腕が交差してしまい開け辛いという事か。その扉、といえば良いだろうか。僅かに扉は動いたものの、開き切らない様子だった。


「な、何で出て来ているんですかこれ……重すぎますよっ!?」


 一度取っ手から手を離し、手をふるふると振りながら痛みを、疲れを取る。暫くして再度手を掛け、半身になり、引く。今度は手だけではなく、足も……だが、やはり力を入れ辛そうだった。だが、それでもぎり、ぎりと断続的に音が鳴る始める。

 重い、とても重い扉が開いて行く。

 開いて行けば、その中から冷たい風が流れて来た。

 ひんやりとした風。

 それが部屋に居た皆を襲う。


「なるほどなぁ……そりゃ、未発見領域に行き付いていてもおかしくないよなぁ」


 最初に呟いたのは本を読んでいたはずの先輩だった。

 当然だと、そう思った。自殺洞穴の主とまで言われた先輩が分からないわけがない。私だって分かったのだから。


「洞穴に続いているんですね……ここは」


「入口が違えば、辿りつく場所も違う。当たり前だよなぁ」


「白黒コンビ、正解」


 そういえば、ドラゴン師匠にネームタグなんてものはなかったなと今更ながらに思う。水晶宮で会ったのはもしかしてほんと、たまたまそこを通ったからだったのだろうか?それともそこに繋がる道を知っているのだろうか?1200年も潜っていれば裏道の一つや二つぐらい知っていてもおかしくないか。いや、場合によっては壁に穴を開けて埋めるぐらいの事やってのけそうである。事実、あの墓場への道は閉ざされたのだから。

 そんな事を考えている間にも、ぎり、ぎりと鈍い音を立ててエリザが扉を開けていく。

 そうして、人ひとりが通れるぐらいの隙間を開け、力を抜いた。


「……疲れました」


 ぐったりという感じで地面へと腰を下ろそうとしたところでレアさんが椅子をエリザへと渡す。珍しく姉の扱いが良い妹だった。


「エリザ、ありがとう」


「どういたしまして」


 座ったまま、えっへんと胸を張るエリザがちょっと可愛いと思った。


「で、テレサ様。この奥が件の鍛冶場なの?」


「えぇ。行けば分かりますわ。中々、素敵な所です。……私はここでお別れですけどね」


「妖精さんが寝ていてついて来られないから?」


「正解。察しがよろしいですわね」


 やっぱり、妖精さんがテレサ様をここに留めているのか。でも、どうやって?

 いいや、それ以前にである。


「というかもしかして以前嘘吐いていました?」


「嘘?そんな記憶はありませんけれど。ちなみに、以前と言いますと?」


「前に私が二日酔いで帰って来た時ですよ。ドラゴン師匠と妖精さんが一緒に居なくなっていた時」


「いえ、それは不正解ですわね。あの時は確かに行き先を知りませんでした。ウェヌス様がおられないのは恐怖でしたけれどね?ですから、ほら、ウェヌス様だけ急いで戻って来られたじゃない」


 あぁ、それで妖精さんが慌てて帰って来たのか。


「なるほど。……テレサ様、妖精さんって何者なんですかね?ご存知、ですよね?」


「さぁ。洞穴で発生した心優しい生命体と聞き及んでおりますわね。あとは光るとか」


「嘘吐き」


「正解。もちろん、嘘ですわ。弟の事、宜しくしてくれたみたいだし、ヒントぐらい差し上げたい所ですが……ごめんなさいね。こればかりはガラテア様に聞いて頂戴」


「テレサ様では答えられないということ?」


「私が軽々しく教えて良いものではないという事ですわ。でも、そうね……一言だけ伝えられるとしたら……そうですね。『人に殺された神様は、その死の中で夢を見ている』のです。意味は、聞かないで頂戴」


「死んだのに夢を見るんだ。死んで生き返るよりはまだましかなぁ?」


 正直、どっちもどっちだと思った。どっちにしろ荒唐無稽である。


「えぇ。後は……ガラテア様に」


 そうして、先日と同じように、先程のように、物悲しそうな伏し目がちな表情をしてテレサ様は去って行った。きっと、妖精さんの下へ向かったのだろう。

 全く……。


「しかし、洞穴となると、準備が必要そうですね……主に私が」


 洞穴というならば、一切気を抜く事はできない。

 例えそれが近い距離であろうとも、気を抜く事なかれ、である。

 まして、


「邪魔になるのは承知しています。でも、ここまで来て、置いて行かれるのは、流石に嫌ですよ?」


「大丈夫。レアのことは私が守るから。だから、一緒に行こう」


レアさんもいるのだから。

 いやまぁ、彼女は姉がしっかり守ってくれるだろうから大丈夫か。……問題はその姉が皇女であると言う事だが……そこは先輩が護衛としての責務を果たしてくれるだろう。まぁ、流石に洞穴内での護衛までは頼まれてはいないと思うけど。ともあれ、後は私が自分自身を守れればそれで良いのかな?


「死にたがりばっかりですね……にしても久しぶりの洞穴ですねぇ」


「そういや私もだなぁ」


「淫乱のくせに御無沙汰とか可哀そうですね。蜘蛛の巣張っているんじゃないですか?」


「お前がな?」


 そんな気軽に気楽に、しかし平静を保ち、さて、準備をして行こうか。



―――



 入れば一瞬で気が引き締まった。

 そして身も引き締まった。

 凍えるような寒さだった。

 吐息は白く、入って早々に引き返したのも暫く前。再度準備をして洞穴へと入ったが、それでも尚、寒い。

 腰元の包丁に手を宛てながら、もう片方の手で松明を持ち、背に持って行かれた頭陀袋の代わりの頭陀袋を背に、凍えるような寒さの中を行く。悴む手を松明の炎で癒しながら一歩、一歩前へと向かう。

 先頭に先輩、その後ろをレアさん、次いでエリザ、最後尾が私。

 一本道とはいえ、警戒を怠らず。

 エリザが未だ奴隷の身分であれば私と順序が逆だったのだろうけれど、今のエリザは本来であればここにいて良い身分ではない。連れて来ないという選択肢も当然あった。が、元々、死にたがりのお馬鹿さんだから仕方ない。まぁ、私も止めなかったのは事実だけれども……。

 しかし、その結果、まかり間違ってエリザが死にでもしたら、私達は生きて帰ったとしても処刑されるに違いない。もっとも、エリザがまた怪我してしまう事や死ぬ事なんて当然、認められないわけで……。

 だからこそ周囲を警戒する。

 先頭に立つ先輩がどれだけ警戒しようと、後ろに目は付いていないのだから。勿論、気配を察する事は出来よう。けれど、それでも一瞬、二瞬は遅れてしまう。故に、後方は私が警戒するのだ。


「こんなに、寒いのですね」


「この場所がたまたま寒かっただけだと思います」


 私と同じく松明で暖を取り、しかし唇を震わせながらレアさんがあちらこちらと目を向けていた。好奇心旺盛な事はこの場合、警戒という面で良い方向に繋がっている。ただ、時折凸凹とした足元に引っ掛かりそうなのだけは注意して貰いたい。エリザがいなければ既に倒れて燃えていたかもしれない。

 それぐらい、今いる場所は壁がごつごつとしていた。

 尖っているといっても良いだろう。長い物から短い物まで無秩序に尖っていた。それは、エルフにとっては天敵で、エリザもまた歩き辛そうにしている。場所が場所ならば壁に手を付けて足元に警戒しながら歩けるだろうが、地面のみならず、壁も尖っているこの場では不可能だった。一体全体、どうすればこのような形状の洞穴が出来るのだろうか。

 まさに針の筵だった。

 そんな場所でも先輩だけは悠々自適なのは流石であった。けれど、一番警戒しているのもまた先輩だった。見えているからこそ、尖った地面の壁の隙間に目が行くのだろう。例え小さな違和であっても見逃さないとそう言わんばかりだった。それに倣うように私も何かを見逃さないように隙間に目を向ける。

 そうしていれば、漸く引き締まり過ぎていた気分が落ち着いてくる。

 久しぶりに洞穴に入った事で少し緊張していたのかもしれない。

 ここは自殺洞穴。死にたがりが集まる場所。死んでこそ当たり前、生き延びられれば運が良い場所なのだ。例え、リオンさんの部屋からというわけのわからない入口だといってもその性質は同じだろう。いいや、寧ろ地図にも載っていないからこそ、尚更に警戒は必要だった。

 この先を行けばドラゴン師匠がいるのかもしれない。

 けれど、それを目的に向かえば、心奪われる。いつだったかリオンさんが言った。目的を持って行く場所ではないと。その意味は、その一瞬一瞬を生き延びようと必死になってくれという意味だったのだろうかと今更ながらに思った。

 だから、だろうか。


「先輩」


 最初に気付いたのは私だった。

 それは運が良かったのだろう。いいや、知らなければ知らないで別に問題はなかったのかもしれない。気付かぬままに先を行けば良かったのかもしれない。だが、気付いてしまったものは仕方がない。


「はんっ……」


 次いで気付いたのは先輩だった。気付いたと同時に、先輩が刀を構え、臨戦へと。


「カルミナ?何かありました?」


 エリザの問い掛けに、口元に指を持っていく。その仕草に一瞬、息を飲み、エリザが紅色の唇を閉じる。


「まさか食う気じゃないよなぁ?カルミー」


「まさか……食べないわけがないじゃないですか」


 返る言葉は無い。

 足を広げ、膝を曲げ、身体を低くし、その状態から、一閃。

 しゃらん、と響く綺麗な音と共に、地面に生えていた突起が、刺が、先輩の廻りにあったその全てが根元から一切合財、切り落とされる。

 その切り落とされた刺の中で特別長い、岩で出来ているように見えた刺が、地面をのたうちまわる。赤い血を撒き散らしながらびたんびたんとのたうち廻った。


「ひっ!?」


 飛び上がるようにしてレアさんがエリザに抱きついた。

 びたんびたんと地面を暴れるそれはどこから見ても岩に見えた。だが、その動きは軟体のそれ。イカの足のようだった。

 自然、喉が鳴った。

 結果、先輩からはいつものように変な物を見る目で見られたが、特に何を言うでもなく、いつもの事だしな、とばかりにため息一つ、次いでイカの足を踏みつけていた。ぞんざいな扱いだった。


「全部が全部ってわけじゃないのよなぁ」


「みたいですね。残念です」


 先輩の足元で動き廻るそれが、先輩のおみ足に踏みつぶされ、さらにのたうち廻っているのを確認して、そそくさと先輩の足元へと近づき、包丁を突き立てて止めを刺す。ぎゃぴという良く分からない鳴き声と共にソレは死を迎えた。


「蛇の一種かねぇ?」


「イカの一種では?とりあえず、今日の夕食にしましょう」


 まぁどちらにせよ食べられそうなので良しである。頭陀袋に仕舞い込む。それを覗き込むように近づいて来たエリザとレアさんが、それの姿を見て嫌そうな表情をしていた。カルミナ、貴女何をしているの?と言わんばかりだった。


「まぁ、カルミーのこれは今に始まった事じゃないので諦めるにして……とりあえず、害はなさそうな?」


「みたいですね。無事帰られれば帰りにでも回収していきましょう。是非」


 そんな馬鹿な事を言い合いながらも、警戒は怠らない。怠るわけがない。ここは自殺洞穴……何が起こってもおかしくはないのだから。


「……まさか、後ろからとはね」


「いやはや、ほんとに」


 先輩の足元まで移動したのはそれが理由。エリザとレアさんが刺塗れのこの場で慌てる事なく先輩へと近づけるように、変な物を刈り取って貰ったのだ。地面の突起と、害のない、そのイカの足のような刺を。

 松明の光の中に現れたのは、その足を刈り取り、咥え、赤色の血を口元から流しながら刺の上を器用に進んでくる生物だった。

 一目して奇怪な生命体であった。

 天井、壁面、地面、そのどれに対しても水平に動き廻るそれは、一体全体何だというのだろうか。

 そんな物が一本道の後ろから現れた事自体が不思議を通り越して恐怖である。

 幸いにしてリオンさんの部屋の例の扉は閉めてある。きっとあの超重量の扉があるからこそ洞穴のモノが店へと、リオンさんの部屋へと入る事が出来なかったに違いないとそう考えて閉めてある。だから、だから尚更に……どこから来たのだこの生物は。

 いや、そんな疑問の答えなど分かり切っている。

 地面の中を壊して来たに決まっている。一本道を一本道でなくしただけだ。だったら、あの部屋の壁さえも?いいや、それはきっと違うのだろう。いやいや、そんな事よりも今は、である。


「刺もそうだけど、見た事ないのばっかりなんだけど」


「未発見の化物ですかね?」


「だなぁ。……モグラにしてはでけぇし、足が多いしなぁ?」


 一番それが見えているであろう先輩が再度刀を構えながら、そんな感想を告げた。先輩が知らないのならこの場の誰も知らないに違いなかった。

 ソレは長い鼻を持っていた。柔らかそうなその腹は節くれだち、さながら蝶の幼生のようにさえ見えた。足は十二本あった。その足を巧みに使い無秩序に並ぶ突起の、刺の上を歩き、刺に擬態した生物を摘み上げ、数え切れぬ本数の乱杭歯のある口の中へと投げ込み咀嚼する。くちゃり、くちゃりと下品な食事音もこの距離であれば聞こえる。

 目は無く、否、目がないからこそ、理解できた。何故この機会にそれが現れたのだろう?と。それはきっと火、空気の流れ、声、そんな所だろう。岩盤を越えて聞こえた声に釣られて現れたのだろう。

 生きる為に、喰らうために、私達を殺すために。

 私達に殺されるために。


「カルミー」


 刀を構えたままに人差し指で指示を出す。それだけで理解した。もっとも私に出来る事など数限られている。


「了解です」


 返事と共にソレに向かって松明を投げる。

 レアさんが私とは別に松明を持っているからこそできる事だ。投げつけ、その炎に驚いたのかソレの足が止まる。止まり、火にその全貌が映り、レアさんが引き攣ったような声をあげる。私だってあげられるならあげたい。奇怪にも程がある。

 警戒心は強いようで、ぐにゃり、ぐにゃりと触手のように鼻を曲げ、松明の火を確認していた。引いてくれるならばそれで良い。引いてくれないのならば殺すしかない。そして、洞穴に住まう生命など、当たり前のように引くわけがなかった。

 火を越えてくるのではないかという予想は外れ、その長い鼻が振り回される。振り回され、金属音に似た音を立てながら刺を、擬態したソレではない、岩石で出来た突起を破壊していく。だが、ソレは刺の上を歩けるのだから、そんな事に何の意味があるのだろうと、思った瞬間である。


「カルミーより食い意地張っているぞ、あいつ」


「失礼な」


 剥き出しの乱杭歯が洞穴の壁を齧りはじめた。

 鼻の先で、12本ある足で穴を掘ったのかと思えば、口でとは予想外にも程があった。壁を齧り、鼻と足で器用に齧った部分をどかしていく。じわり、じわりと側壁に穴を開けて行く。見ていれば、きっとそいつの身体一つが通れるぐらいの道が出来たのだろう。

 けれど、そんなものを大事に見守る必要もない。


「私が……」


「駄目」


 エリザが突撃しそうになるのを止め、視線を先輩に向ける。仕方ないなぁという表情で刀を鞘に入れ、先輩が凸凹とした刺の上を颯爽と走っていく。よくもまぁ倒れないものだと思う。

 自分の間合いにソレが入ったのだろう。先輩は走りながら、刀を抜き、その勢いのままに地面すれすれを通ってソレの鼻を切り上げ、返す刀で節くれだった胴体へと刀を振り下ろし……胴体にぶつかる直前で急停止さえ、飛び退いた。


「っ!?」


 一瞬の後に先輩の居た場所を乱杭歯が襲う。


「先輩!?」


「カルミー煩いっ!」


 先輩の怒声が洞穴に響き渡る。その音にびくりとソレが驚きのけ反った。それを良い機会と先輩がさらに跳ねるように退いて、私達の下へと戻ってくる。


「餌に釣られた魚の気分だよ」


 少し驚いた様子で悪態を吐く先輩の視線は、しかしソレから逸らされない。

 対した餌だった。警戒せざるを得ないその長い鼻、しかしそれがただの誘いだとは思わなかった。

 見れば、うぞうぞと蠢きながらも何の痛痒も感じていないように見える。

 今、ソレは警戒をしているようだった。

 きっと常ならば誘いに乗っている相手を即座に食い殺していたのだろう。けれど、それが出来ない相手が現れた所為で相手は戸惑っているのだろう。戸惑い、次に取った行動は、生物として正しい行動に思えた。


「……トカゲみたいな奴だなぁおい」


「尻尾ではなく鼻というのがあれですが」


「何?あの鼻も食うの?」


「内臓ならまだしもなんで鼻なんか食べないと駄目なんですか」


「おいおい、エリザート、なんかとか言われたよカルミーに」


「えぇ、吃驚です。あぁでも、もしかするとあのたくさん生えた足の方が良いのかもしれませんね、カルミナには」


「ちょっとエリザ」


 立ち去った脅威を笑い飛ばすようなそんな馬鹿話を出来るのもある程度洞穴に慣れている所為だろう。慣れていないレアさんはエリザに縋りついていた。


「なん、なんですか……」


 震える声は寒さに非ず。

 手にした松明すらも落としてしまいそうな程に震えていた。それを代わりに受け取れば、慌てるように両手でエリザにしがみ付く。可哀そうなぐらいに、子供の様に彼女は震えていた。


「これが、エルフの神様が死んだ場所でしたっけ?」


 神様と大陸が同列に扱われるのならば、きっとレアさんの言っていたその言葉は何かの勘違いなのだと思うけれども。

 ともあれ、そんな冗談も今は通じない様子だった。


「……自殺志願者」


「そう。それです。その通りです……あんな訳の分からないモノがいる場所に、死に近い洞穴に行こうとするなんて所詮、自殺志願の馬鹿な人ばっかりです。先輩を筆頭に」


「カルミナさん?貴女、あいつの鼻、突っ込みますわよ?」


 という先輩の令嬢風の喋り方も怖くない。えぇ、怖くないと言ったら怖くない。


「どこにですか」


「決まっているじゃありませんの。あぁでもそうでしたわ。貴女、貞操帯なんてもの付けていますものね、先にそれを壊して差し上げないと、突っ込む物も突っ込めませんわ」


 貞操の危機だった。


「貞操帯って……カルミナそんな物付けているのですか?」


「……何?やっぱり私だけとかなの?」


 そんな戯言も……きっと、レアさんには奇妙なモノに見えるのだろう。私達を見る目が、どこか怯えているようにさえ見えた。いいや……そうじゃない、か。


「レア……大丈夫だからね」


「エリザベート姉様……」


 実の姉が、いつのまにか遠い存在になったかのように、そう感じたのかもしれない。一番近い存在だからこそ、尚更に感じるのだろう。こんな場所に慣れてしまった姉の事を思っているのだろう。


「純潔自慢の処女エルフはお姉ちゃんエルフに任せるとして、そろそろ行きましょう」


「こんな所に置いて行くってか?酷いやつだなぁおい」


「違います」


 戯言と共に、再び最後尾へと立ち、立った瞬間、足元に違和感を覚えた。

 それが何なのかを理解するより前に、ぐらり、と身体が揺れ、倒れそうになるのを耐えず、腰元から包丁を抜き、そのまま倒れるようにして、地面へと突き立てる。

 全体重が一気に掛り、地面へと包丁がめり込んでいく。そう。岩盤に包丁がめり込んだ事こそが証左。

 刹那、奇怪な絶叫が洞穴内に響き渡った。

 子供が泣き叫ぶような音だった。金属を擦り合わせたような甲高い音だった。自然、歯を食い縛る。そうでもしなければ、耐えられないような声。まるで、あの時の天使のような……いいや、あの時よりマシだ。

 だってほら、私がその場を離れると同時に、先輩が、包丁を突き立てた場所のその横に、刀を突き刺せたのだから。エリザがレアさんから手を離し、左手で腰に差していた剣を抜き、そのまま足元へと突き立て、力の限り、柄までめり込ませられたのだから。

 再度の絶叫と共に地面が盛り上がる。

 盛り上がり、凹み、地面が波を打つ。波打っているのは12本の足を蠢かしている所為だろう。地面に包丁が、刀が刺さったのは地面の中がそれによって掘られたから。

 そして、それを見て、岩盤に自らの力だけで剣を深く付き刺したエリザが、柄を少し引き抜き、しかし地面に刺さったまま横に移動していく。地面を引き裂いて、私の場所まで移動してくる。いや、どういう力なのよそれ。流石に吃驚だよ。


「カルミナ、お手柄」


 そうして、地面から剣を抜けば真っ赤に染まった刃。

 それを見てちょっと嫌な表情をしながら、エリザが称賛してくる。褒められているのか何なのか分かり辛い表情だった。


「偶然だよ」


「流石、夜叉姫様」


「煩いですよ、白夜姫」


 やいのやいのと言いながら地面から刀を、包丁を抜き取り、さっきのアレの血に染まった刀を、剣を、包丁をそれぞれが拭く。


「……レアさん、大丈夫ですか?」


「……何と言うか、驚き過ぎて逆に冷静になっています」


 エリザに引き剥がされた形になったレアさんが呆然としながら、そう告げた。


「それは重畳」


 しばらく、そのままでいてくれるとこっちも安心できる。

 そして、今度こそ、先を行く。

 尖り、尖った道の奥へと……。


 

―――



 水の流れる音がした。

 轟々と鳴り響く音が、次第に近づいてくる。洞穴の中は岩盤を通り水が流れている事は多い。しかし、ここまで大きな音が出るようなものは初めてだった。その所為か分からないが、更に冷え込んできた。


「滝かねぇ」


「地面の中にですか?」


「大なり小なりはありますけど、たまにありますよ?」


 そういう物なのだろうか。2人が言うなら間違いはないのだろうけれど俄かには信じがたい。でもきっとそれも見れば信じるしかなくなるのだろうな、と思いながらも後に続く。

 しかし、2人の言う地面の中を流れる滝というのはどういう物なのだろうか。洞穴の中に穴が空いていて、そこに上から、例えばそう、オケアーノスの湖から水が流れ込み、その穴へと落ちていっているとかそういうのだろうか。

 頭の中で想像しながら、轟音の所為で耳が役に立たず、視線だけで周囲への警戒を強める。先程のモグラ然としたアレ以降、大した化物は出て来ていない。精々、小さなネズミのようなものや小さな虫ぐらいのものだ。だからと言って、気を抜いていれば先程のような奴が出てくるのだから怖い場所だった。レアさんも大概驚き疲れて冷静になって来ていた。エリザにくっついているのは相変わらずだけれども。

 全く、ドラゴン師匠はこんな所に鍛冶場なんぞを作って何をしているのだろうか。いや、まぁ鍛冶なのだろうけれども。鍛冶屋なら鍛冶屋らしく地上に御店を構えれば良いだろうに。

 尖りの無くなった壁に手を触れながら、先を進む。

 ふいにひんやりとした、水気を帯びた壁に指が沈み、手が汚れる。

 粘土だった。


「……何してんのよ」


「いえ……」


 言い訳のしようもなく汚れた指先を壁から抜き、頭陀袋で手を拭く。頭陀袋が汚れたし、それで手が完全に奇麗になるわけでもない。これはもう滝で洗うしかない。えぇ。

 ともあれ、身体ごと持って行かれなくて良かったと思う。粘土に身体が埋まって死ぬというのは流石に勘弁願いたい。

 だが、冗談抜きでこの壁に向かって倒れれば、埋まって抜け出せなくなって死ぬだろう。あそこに埋まっている骨のように。


「変な死体ですね」


 エリザの呟きも分からないでもない。

 足だった。

 二足歩行の生命体が頭から突っ込まれれば、そんな状態にもなろう。


「ドラゴン師匠の仕業っぽい……」


 襲ってきた生物を思いっきり投げつけたとかじゃなかろうか。或いは風の魔法で吹き飛ばしたとかではなかろうか。

 きっと、そんなものなのだろうとその骨の傍を通過し、そのまま奥へと向かう。

 向かえば、響く音が更に大きくなっていく。次第、話し言葉すら聞こえないぐらいに大きくなった所にそれはあった。

 開けた場所だった。

 窮屈な天井が無くなり、吹き抜けた場所だった。

 細い岩石の道の両脇は真っ暗闇。細い橋のようなその通路の両脇を天井から水が流れていた。轟音と共に水が深淵へと落下していた。そこから産まれる水しぶきがその道を濡らし、少しでもバランスを崩せば落ちてしまいそうだった。


「これ、渡るんですか……」


 意識して大きく声を出せば、


「さて、どっちだろうな?」


対して、いつも通りの声で言いやがる先輩だった。微かにしか聞こえなかったが、肩を竦める仕草をしながら、橋から顔を背け、滝の方に目を向けている事で、何とか言いたい事を理解した。

 ただ、その視線の向きに合わせるように松明を向けても水の流れが見えるだけで何も見えない。


「滝の裏に道が見える。そっちの方が広い分、行きやすいな。ただ……濡れるな。間違いなく」


 今度は少し大きな声で、何とか聞きとれる声だった。

 が、何やらぼそぼそと言っているので近づいて聞いてみれば、また濡れるのかよ、と愚痴を零していた。


「鎖骨、御開帳ですね」


「そんなに濡れたきゃいくらでも濡らしてやるよ、この変態」


 そんな軽い罵倒と共に先輩が滝の方へと向かう。それに続いてエリザが、それにくっ付いてレアさんが、そして私が続く。

 濡れた。

 思いっきり、水しぶきで服が濡れた。

 洞穴の寒さも相まってか凍えそうである。

 まだ滝の裏にすら到達していないのにこれである。……かろうじて松明が消える程の水量ではないけれど、それも今暫くだろう。

 広いと言っても、それでも二歩程ずれれば奈落へと至りそうな道を壁伝いに……流石にこの滝で手を洗う気はなかった……歩いて行けば松明の炎に映るものがある。


「……滝登り?」


 魚が滝の中を昇ろうと必死になって泳いでいるのが見えた。

 物凄い勢いで落下していく水の中を必死に昇っていた。昇って落ちて、昇って落ちてといつだかの妖精さんのように繰り返し、繰り返し。いつか滝から逃れられると思いながら必死に昇ったり流されたりを繰り返し、繰り返して……疲れ果てたら奈落へと落ちて行き、死に至るのだろうか。

 そんな魚を横目に道を行く。よそ見は危ないと思いながらも、ついついその魚に目が行く。


「こんな所で食い意地発揮してるなよ」


 先を行く先輩が足を止め、聞こえるような声で咎めてくる。それも当然。ほんと、優しい先輩である。


「違いますよ」


 咎めの言葉に返しながら、視界から魚を振り払い、振り払ったと同時にテレサ様の言葉を思い返す。

 妖精さんの事を聞いたのに、彼女はこう返したのだ。

『人に殺された神様は、その死の中で夢を見ている』と。


「……悲しみに泣いた神様から産まれたのが妖精さん?人の神様から妖精が産まれたのかな?」


 呟いた言葉に返ってくる声はない。轟音に打ち消され、自分自身の耳にも届かなかったのだからそれも当然。

 しかし、妖精さんについては良く分からない。が、少なくとも妖精さんと神様には関係があるのは分かる。でもなければ、悪魔にテレサ様が見逃されるわけもない。


「……今はこっちに集中、と」


 今度こそ完全に振り払い、意識を洞穴へと戻し、壁沿いに行く。

 暫くすれば、さらに水しぶきが激しくなってくる。


「これ、松明が……」


「がんばれ」


「無茶な」


 既に髪も顔も服も何もかも濡れ濡れで、これで松明の火が消えなかったらそれこそ吃驚である。苦肉の策で滝の側に背を向けて松明を庇いながら、横歩きで道を行く。そんな姿を先輩に笑われながら行く。ほんと、酷い先輩だった。

 背中に掛る飛沫に、痛みすら感じる程の冷たさを覚えながら、一歩ずつ、一歩ずつ。

 そして、行けば確かに裏側に道が、巨大な穴が空いていた。


「当たりかな。奥の方に明るいのがちらっと見える。……多分、火だよ」


「姉さん……気を付けてくださいね」


「誰に向かって言ってんだよ、この駄妹」


 2人とも、寒さに声が少し震えていた。

 しかし、エリザが皇族になろうとこの2人の関係は変わらないのだよなぁと場違いにも少し嬉しくなった。

 付き従い、穴の中を行く。

 そこは緩い傾斜がついていた。

 警戒しているものの、特に何かの生物が出る事もなく、ただただその緩い坂を昇っていく。先輩は眩しいと言ったが、全くもって暗い。相変わらず、松明だけが私達の頼りの綱だった。

 轟々となる音が鈍くなっていく。

 遠く、遠くなっていく。

 次第、それに合わせるように、先程まで冷え切っていた洞穴が暑くなって来た。


「暑くなってきたね……」


「そうですね。寒いのが終わったら今度は暑いのですか……きついですね。レア、大丈夫?」


「はい、なんとか……」


 ここまでくれば、もはや普通に話していても声は届いた。

 水を吸った服が熱を持ち始め、じわり、と汗がにじんでくる。肌に張り付く服が気持ち悪い事この上ない。加えて、こんな寒暖の差を受けていれば風邪でも引いてしまいそうだった。

 進めば進むほど、滝から離れれば離れるほどに暑く、暑くなってくる。けれど、服を脱いで肌を晒すわけにもいかない。晒した肌に虫やら何やらでも刺されれば大変な話だ。

 だらだらと流れてくる汗を、視界を塞がないように拭きとりながら、先を行く。

 行けば、地面すら熱くなってくる。

 耐えられない温度ではないが、それでも長時間いるには辛い。

 松明の光、水を吸った服から蒸気が出て来ているのが見える。濡れたのが全て乾いてしまいそうだった。べっとりとくっ付いていた髪も乾いてきていた。


「まだ、かかる感じですか?」


「あと、少しかな。そろそろ見えると思うけど」


「早くついて欲しいです。……暑いです……燃えそうです」


 純血エルフが言うと洒落にならない台詞を吐きながら、レアさんがうな垂れつつも一人で歩く。流石にこの暑さでエリザにくっついている事はできなかったようである。

 などと戯れた思考をしていれば、先輩が言う様に、坂の上に光が見えた。

 その光が近づく都度に、松明の光など全く不必要な程周囲が明るくなっていく。

 壁の凹凸も、皆の顔も綺麗に見えてきた。地上にいるかのように、陽光に照らされているかのように。

 そして、その緩い坂を昇り切れば、再び視界が広がり、天井が遠くなる。

 そこに、炎が舞い上がっていた。


「こりゃ、眩しいわけだ」


 竜巻のように炎が渦巻いていた。


「暑いわけですね……」


 それは天に滝が昇るが如く。


「……あの方が」


 世界を焼き尽くさんと、炎が立ち昇っていた。

 その炎に囲まれ、しかし泰然と、お気に入りの服を身に纏い、昇る炎によって産まれた熱風に髪を靡かせて、腕を組みながら傲岸不遜に天を見つめる美の化身がそこに居た。


「……ドラゴン師匠」


「あら、良く来られたわね。流石、私の弟子」


 瞬間、炎が止んだ。



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