第12話 おぼえていますか
12.
僅か後ろ髪を惹かれながらその部屋を出て、忘れるような勢いで階段を昇る。
地上へと近づけば、鈍い陽光と共に先輩とメイドマスターが神妙そうに話をしているのが見えた。顰め面の先輩と無表情のメイドマスター。別に険悪な雰囲気というわけではなく、語る内容が重たい話なのだろう。さっきの今を思えば、あの肖像画を見た人達の話題だろうか。そしてさらに階段を昇れば、2人だけではなく、視界の中には別人の姿も入ってくる。
エリザとレアさんだった。
瞬間、そんなに長い事地下にいただろうか?と思った。
自分の感覚では短い時間だったように思うけれど、そうでもなかったのだろうか?肖像画に魅入られていた時間はそれほど長かったというのだろうか?少なくとも現実としてエリザとレアさんが2人してこの場に来られるぐらいには掛かったのだろうけれど……、そんな自分の認識の齟齬を確かめるように空を見上げても、曇天模様は変わらず、陽の位置は分からず仕舞い。
残念、と再び2人に目を向ける。
見れば手を繋いで、エリザがレアさんに何か説明していた。それを聞いたレアさんが小さく頷き、頬を緩ませたかと思えば、次いでアレは?と指を指し、それについてエリザが答えていた。エルフの森にはないもの。まるで小さな娘に世界を語り聞かせるようなその姿は、一見すると親子のようにさえ見えた。
ふいに、そういえば、私にはそんな記憶は無いな、と昔を思い出す。
物心付く前の幼い頃は流石に両親が親身になって色々と教えてくれていたのだろうけれど、生憎とそんな幼い頃の記憶は無い。でも、物心ついてからを思い返してみても、今のエリザみたいに教えて貰った事はないように思う。私に対して親身に何かを教えてくれたのは教会の人だけだったように思う。
……そういえば、いつからその人に教えて貰っていたか?という明確な時期も思い出せなかった。いつ頃からか教会の人に色々と教えて貰っていたように思う。いつだったかな。切っ掛けはあったと思うのだけれど……やっぱり髪の事だったろうか?……それすらも覚えていなかった。
そんな自分の記憶力のなさに辟易する。
精々数年でこれである。それに比べれば1200年というのは永遠のようにさえ思える。そんな昔の事をリオンさんは覚えているのだろうか。ドラゴン師匠は覚えているのだろうか?妖精さんは、あんな小さな体で覚えていられるのだろうか?
そんな疑問の答えを求めるように、階段を登り切った所で振り返り、塔を見上げる。
小さな窓が決まった高さごとに設置されており、良く見ればその全てに金属の柵が取り付けられていた。先程、メイドマスターはこれを物見台としては使わないと言っていた。だったら、この塔は牢屋とか拷問を行う場所なのだろう。上から下に降りてくればそのまま処刑場に行けるとは中々洒落た作りだと思う。地下への道は死出の道、と。最上階から順番に降りていくのだろうか。一つ一つの責苦に耐えながら降りて行くのだろうか。
小さなため息を吐きながら首を振る。
嫌な想像をしてしまった。死なないのだろうけれど、拷問はやっぱり辛いだろう。いいや、死ねないからこそ拷問とは辛いのだったか。
「皆さん、揃い踏みで」
思考を振り切るように、正面に向き直り皆へと声を掛ければ、ぱっと笑顔を向ける混血エルフ、どういう表情をして良いか分からない純潔自慢のエルフ、やっぱりねっ!とばかりにしたり顔になって話を続けるメイドさん、そして一瞬視線を向けた後に気にした風もなくそのまま話を続ける白い人、皆それぞれに反応を返してくれた。
ちなみに、さっき私が笑った所為だろうか。良く見なくてもエリザの服が変わっているのが分かる。あれはあれで似合っていたのに勿体ない。いやまぁ笑ったけど。思いっきり笑い飛ばしたけれど。
皇族用に仕立て上げられているのだから高級な物に違いないが、今のエリザは身動きがし易そうな淡い青色の服と同色の膝まであるスカートを履いていた。装飾も殆どなく街娘が普段着るような物。これなら首飾りも似合っているように思う。が、しかし、首飾りを別のモノに代えるのではなく、服の方を代えてくるとは……。
そんなエリザの行動に嬉しいような、気恥かしいような想いを抱いていれば、エリザがレアさんから手を離して私の方に近づいてきた。
「カルミナ。遅いので探してしまいましたよ。ここの地下は処刑場ですよね?何か用があったんでしょうか?……姉さんに聞いても教えてくれないし、レアはレアでなんだか訳知り顔でしたけど詳しくは教えてくれませんでしたし」
慌てるように急いでそんな事を言って、しゅん、と垂れる耳が可愛らしく見える。そんな仕草というか態度に少し、笑ってしまった。
そんな私を咎めるようエリザがふくれてしまった。
「ごめん、ごめん。えっと。んー。どう説明すれば良いのかなぁ」
エリザとてリオンさんがこの塔の中に囚われているのは知っているはずだが、しかし、この場でリオンさんの話をするのも無理して連れて来てくれたメイドマスターに申し訳ない。もっとも、そうでなくても、私だっていきなり順序立てて説明できる程頭の中が整理は出来てはいない。
「後で説明するよ。お願いもあるしね」
「カルミナのお願いですか?それは楽しみにしておきますね」
一転、笑い、耳がしゅんとなった。
美人さんが笑うとやはり奇麗なものである。
結局、私も教えてないような?と思ったりもしたが、エリザはそう言ってうきうきと足を弾ませながらレアさんの下へと戻って行った。
戻って行った。そう、戻った。その瞬間を見計らったのか何なのか、今度はレアさんが好奇心を隠せない表情で近づいてきた。結果、すれ違い、エリザはその場に放置されたわけである。可哀そうに。ほんと姉の扱いが酷い妹だと思う。えぇ。
「カルミナ……その。えっと」
あ、あれー?レアー?と一転、悲しそうな表情をしているエリザに気付く事なく、レアさんの未だ充血している瞳が私に向かう。
泣き腫らした所為だろうか、良く見れば少し腫れぼったい。けれど、それでもレアさんのその内側はすっきりしているのが良く分かる。溜まっていた膿を全て掃き出し、一切の穢れもないと言わんばかりの表情だった。その証拠に時折、口元が緩み、にへらとだらしなくなる。姉の扱いは酷いが、姉が大好きなのは間違いないようだった。
そんなだらしない表情ではあるのだが、さっきの今で何から伝えれば良いのだろうか?どう言葉を掛けて良いのだろうか?と悩んでいるようだった。その証拠に、口を開こうとしては閉じるという事を繰り返していた。
好奇心のなすがままに話を聞こうか?それともエリザの事から言おうか?とかだろうか。暫く大人しく待っていれば、次第、レアさんが唸りはじめた。
何と言うか、こういう所は姉妹だなぁと思う。勢いは良いけれど、といいますか。
そうして悩み、悩んだ末に、結論が出たみたいである。
私の目を見ながら、
「……わ、私も後で!」
と。
一瞬、何を言っているのか分からず呆然としてしまったが、言葉の意味を理解した瞬間、気が抜けてしまい、盛大にため息を吐いてしまった。
そのため息におどおどと怯えた様子を見せながら、助けを求めるようにレアさんが先輩に視線を送る。この場で頼れる人は姉じゃないのね……と再びため息が出そうだった。いやまぁ確かに先輩は頼りになるけれども。
レアさんからのおどおどとした頼り無い視線を感じた先輩は、苦笑しながらもメイドマスターとの話を切り上げ、私に向かってよっ!と右手を挙げる。それに合わせるように私もよっ!と右手を挙げる。
「今、性悪に聞いていたんだけど、結構やばいものみたいなぁ。その肖像画の前で発狂して処刑が中止になった奴もいるってさ。ま、結果的に死んだ事には変わり無いんだが」
「それは何と言うか手間が省けた、でいいんですかね?でも、あれを処刑前に見せられたら狂ってもおかしくないかもしれませんねぇ。確かに後悔を持ってあれに向かうのはまずいのではないかと」
思い出せば、僅か身震いする。けれど、怯えには非ず。感動に震えた。ドラゴン師匠に感動しているような感じがして大変、癪ではあるのだが……。
「カルミーは無事だったみたいだけど?」
「いえ、私も最初は危なかったですね。惹き込まれそうになって、絵画に向かってぴょんぴょん跳ねていましたし。蛙みたいに。蛙食べ過ぎですかね?」
「それは間違いない。もうカルミーの体重の半分は蛙で出来てそうだよな。……しっかし、カルミーが惹き込まれる、ねぇ」
「買いかぶり過ぎだと思いますけど、ほんと」
相変わらず皆が言うほど自分が精神的に強いとは全く思えない。妙な持ち上げられ感を覚えて仕方がない。
「娘さん相手に1対1で呪いを抑え込めるんだろ?他に誰かがいて止めてくれるなら別だけど、1対1だと私には無理だよ。賭けても良い。切り殺そうとして逆に殺されるよ」
「ドラゴン師匠は知人なら侮ってくれるそうですよ。あぁでもそうですね。あの絵画。そんな感じです。私にとってはドラゴン師匠と対面するようなものです」
「美貌に惹き込まれるって話?」
肩を竦められた。
「いいえ。そういう意味じゃありません。先輩も同じだと思いますよ。あの肖像画を前にしたら、惹き込まれて、切り刻んでしまいそうになるかと思います」
「性悪メイドの話じゃ、私は見た瞬間、惹き込まれて心ここに非ず、帰って来られなくなりそうだって話だったけどね。貴女は見え過ぎるとか何とか。それも良くわからん理由だけどなぁ?」
あの肖像画に描かれた世界が先輩の目にはどう映るのだろうか。あのあまりにも大きな嬉しさが先輩にはどう映るのだろう?見え過ぎて、見え過ぎてそんな世界に囚われたくなるのだろうか?……少し、気になった。でも、
「いいえ。そうはならないかと思います。先輩と私は同じですから」
「私もカルミーみたいに図太い奴って事?やめてよ」
本気で嫌そうな表情をされた。酷い話もあったものである。
「いいえ、違います。見れば分かるのですが、見ると多分、やってしまうと思いますので口頭で」
「ふぅん?」
「ドラゴン師匠でした」
あまりに結論を急ぎ過ぎた所為で名前だけが先に出てしまった。思いの外、この件に関して私は落ち着いていないのだろう。判明した凄い事実を急いで伝えねばという気持ちだけが先行しているようだった。それこそさっきのレアさんみたいなものだ。言いたいことは多々あるけれど巧く出て来ないというような。ともあれ、これじゃ伝わらないだろうなぁと先輩を見てみれば、案の定、変な顔をされた。
「カルミー。それは流石に先走りが過ぎるだろ。ちょっとぐらい我慢しろよ、この早漏姫」
「そこはこう巧く受け止めて白濁姫って呼ばれてくださいよ、是非」
「はいはい、優しい先輩が受け止めてやるから、さっさと話しなね?」
「了解です。で、少女の肖像画ですが……その少女が、ですね。小さい頃のドラゴン師匠でした。それと、メイドマスターが言っていた妖精はあの妖精さんでした。以上」
その言葉に先程からずっと私達の様子を伺いながら話を聞いていたレアさんが目を大きく見開き、ハッと手で口元を抑えた。
そして先輩も一瞬、私の言葉が理解できなかったのか呆としたものの、一転、珍しく柔らかい笑みを浮かべ、突然、ぱちぱちと軽く手を叩き始めた。
「何ですその拍手」
「おめでとう、カルミー。あっさりと正解だなぁ。さすがというか何と言うか。いやはや、荒唐無稽も悪くないもんだねぇ?」
「ありがとうございます?」
そんな中途半端な返礼に、おかしそうに目を細め、口元に手の甲を宛て、小さく笑う。なんとも上品な笑い方だった。ほんと、この人は多芸というか何と言うか……。
見ているとそれこそ惹き込まれそうな表情から視線を逸らし、メイドマスターに慰められているエリザを見て、心を落ち着ける。ちなみにレアさんはといえば、もっと詳しく聞きたそうではあったが、タイミングが掴めないと言った所だろうか?変わらず口を開いたり閉じたりしてうずうずしていた。ほんと見た目だけだと子供みたいである。
そんな姉妹エルフをみていれば、心も落ち着いてくるというものだった。
ようやく落ち着いてきた所で、再度、狙ったかのように、
「……事実にしても、流石に1200年というのには驚きますね。それはとっても、とっても長いのでしょうね」
丁寧な口調で先輩が口にし、次いでとばかりに白亜の塔を見上げた。
その横顔が、口調と相まってどこかのお姫様のように思えるぐらい奇麗に見えた。
それは季節外れの白雪のお姫様。儚くも消えてしまいそうな、刹那の時しか生きていられぬお姫様。そんな可哀そうなお姫様が長い年月を生きる者へ憧れを抱くようにさえ……そんな風にさえ見えてしまった。
そう思えてしまった。
「先輩は図太いので長生きしますよ。1200年は無理でしょうけど」
だから、嫌な想像を誤魔化すように、そんな馬鹿な事を口にした。先輩から視線を逸らし、地面を見つめながら、そんな馬鹿な事を口にしてしまった。
「いや、そりゃ当り前だろ。何だよ、いきなり」
塔を見上げたまま、馬鹿な事を聞いたとばかりに先輩が鼻で笑う。
「いえ。なんでもありません……」
言い様、真似をするように私も塔を見上げる。
「……1200年というのは気が遠くなるぐらいですねぇ。気が遠くなって死んでしまうぐらい長いんでしょうねぇ」
「それでも生きているわけだし、相当に気は長いんだろうよ」
振り払うように告げた言葉に返って来たのはそんな言葉だった。
「それは、間違いないと思います」
その言葉に、やっぱりそう思うよねと苦笑する。
そんな風にしていれば、釣られるようにレアさんも塔を見上げる。
エルフにとっても長い年月。エルフにとってとても重要な『最初の方』を知る者達に思いはせるように。彼女は見上げていた。それこそ、小さな子が憧れるように。
そんな私達を忌諱の眼で見るのは先程までエリザを慰めていたメイドマスターだった。流石、皇女付きのメイドである。職務に忠実だった。
「3人が揃いも揃って意味ありげに塔を見上げるって、何の話をしていたらそうなるのでしょう?」
訝しげな表情だった。
それはここにリオンさんがいるという事実も合わさっての事だろう。絵画の話をしているのに何故そんな風に塔を見上げる必要があるのだろう?何かを知っているのだろうか?、そんな疑問が沸いたのかもしれない。メイドマスターはそれを立場上、聞き捨てられない。掃いて捨ててしまえない。そういう意味でも職務に忠実だった。
「絵画の話ですよね?」
「まぁ、早漏と白濁液の話じゃあないわな」
「それこそ何の話よ。そうね……カルミナ。予想通りではあったけれど、まずは流石と言っておきましょう。それで、どうだったかしら?あれを見た感想。やはりあれかしら?感動?それとも……絵画を見て気付いた事があるとかなら教えてくれると嬉しいわね?」
一瞬、暗にアーデルハイトさんと同じ部類だと見なされたと言う事だろうかと思った。が、当然、否である。絵画を見て何かを知ったならば、絵画を見る前から何か知っているならば即座に吐きなさいと言わんばかりの表情だった。怖い人である。
とはいえ、である。
絵画に関しては伝えた所で私が困るわけでもない。見る人が見ればすぐに分かる重要な物的な証拠だ。これが、この事がアルピナ様の耳に入れば、それはまたリオンさんへの対応も良い方に変わるんじゃないだろうか?もっともそれがアルピナ様にとって良い方向かどうかは分からないけれども……。
「メイドマスター……えぇとですね。例の絵画に描かれている方は、マジックマスターでした。子供の頃のマジックマスターです。弟子の私が言うのですから間違いありません。でも、メイドマスターなら良く見ると分かるかと思います。あの時は仮面を付けていましたけど。メイドマスターなら分かるはずです。えぇ。メイドマスターなら」
ふいに、だから、仮面を付けていたのだろうか。そんな事を思った。
ある意味で皇族やメイドマスターなどには顔が割れているからあんな仮面を付けていたのだろうか?どうだろう?まぁ、もっとも、ドラゴン師匠はそんな機微には疎いだろうから、そういう理由であればリオンさんの命令かな。勿論、考え過ぎで、もしかすると単に格好良いから!とか言われかねないけれども……ドラゴンの感性は分からないので何ともいえない。
「それ本当っ!?……こほん……カルミナ。さっきは間違った情報を伝えてしまいましたね。あの肖像画はとっても素晴らしい物よ。えぇ。流石、国宝よね。この国で最高の国宝よ。だからちょっと慌ててしまって誤魔化してしまったのね、私。ごめんなさいね。あぁ、私、ちょっと用事を思い出したので失礼いたします。エリザベート様、元気だしてくださいね!」
そんな訳のわからない言い訳と労いの言葉を残してメイドマスターが地下へと駆けて行く。駆ける彼女を目で追えば、しかし手を振り乱す事もなく、スカートも翻さないようにしているのだから流石ではある。が、職務に忠実ではなかった。
酷い手の平返しなのは良いとして、しかし、これはこれで逆に魅入られて帰って来られなくなるのでは?と少し心配である、などともはや見えない彼女を想っていれば、
「酷い奴だなぁ、カルミー。これで被害者1名追加、と。あーあ、性悪の奴可哀そうに」
押し殺した笑いと、
「カルミナ、誤魔化すにしてももう少しやり方があったのでは?」
ちょっと引いたような視線をそれぞれ別の人から頂いた。
「誤魔化すつもりはなかったんですが……嘘は言っていませんし、ちゃんと本当の事を伝えましたし。……まぁメイドマスターの事だから大丈夫でしょう。流石に走っていくとは思いませんでしたけれど……どれだけドラゴン師匠のファンなのですかあの人」
真面目な事をいえば、メイドマスターはあの絵画がいつから国にあるのかは知らなかったのだろう。あの絵画の謂れを知らなかったのだろう。知っていれば驚きもするだろうに。
ともあれ、傍から見ると体よくメイドマスターを追い払ったかのように見えるが、ちょうど良かったといえば、良かった。別段、メイドマスターが嫌いだとかいうわけではなく、単にそろそろ戻ろうと考えていただけだ。これが良い区切りだろう。例え、メイドマスターがいなくなった今、塔に昇る事が可能であったとしても、そんな事をする気はない。少し後ろ髪は引かれるものの、先程あそこまで言われたのだ。それを覆せば、殺されても文句は言えない。そこは越えてはならない境界線だ。
「エリザ。そこでイジケテないで部屋に戻ろう」
先程から妹にすれ違われ、更には話についていけず、メイドマスターは慰めてくれたものの颯爽と何処かへ行ってしまった結果、しょんぼりとしているエリザに声を掛け、手を強引に引っ張って行く。
「カ、カルミナ。い、痛いですよ」
「痛いのは良い事だよ、エリザが死んでないってことだから」
「それは、そうですけど。極論過ぎます」
まったくカルミナはもう、などと言われながらも手を引っ張って進む。
こうして、手を繋いで歩ける事が嬉しかった。だからだろう。ついつい、頬が緩んでしまう。
「それでさ。エリザって今、城から出たりできるの?」
歩き始めて暫くして口をついて出たのはそんな言葉だった。きっと照れ隠しだったに違いないと、自分でも思う。
「多分、言えば出来ると思いますけど。何かありました?」
「ちょっと手を貸してほしいんだよ」
「あ、それがさっき言っていたお願いってやつですね。分かりました。私で力になれる事でしたら何でも言って下さい。それで、私は具体的に何をすれば良いのでしょう?」
「うん。そのもの手を貸してほしいんだよ。正直、あんまり頼りたくはなかったのだけれど」
「……あぁ。なるほど。いえ。大丈夫ですよ。私はこれと共に生きる事に決めましたしね」
空いた手を、作られた手を胸元へと。
軽い口調だった。とても気軽だった。けれど、強い言葉だった。一切の憂いなどないとそう思えるぐらいに力強くエリザはそう言ってくれた。
「ご……ううん。ありがとう」
そんな事を言われたら、答えられる言葉などそれぐらいしかない。
「どういたしまして。……えっと。それで何をすれば良いの?」
「といっても具体的に何をすれば良いのかは分からなくて……天使の痣が必要になるぐらいの力が必要みたいなんだよ」
「カルミナ。言っておきますけど……いえ、自分で言うのもなんですけど相当ですよ?」
「だよね?詳しい事は後で伝えるけど。今、私はリオンさんの店に住まわせてもらっているんだけどね。そのリオンさんの部屋に何やらそんな馬鹿みたいな力が必要な物があるみたいで……」
そういえば、あの時はそんな事を伝える時間もなかったんだな、と今更ながらに思った。
「馬鹿力……」
「や。違うから!」
「分かっています」
ふふっと軽く笑われた。
何故だろう。エリザに嵌められるのは何だか納得がいかない。
「リオンさんの所ですか……」
言い様、エリザが塔を振り返る。なるほど、やっぱりエリザもリオンさんがあそこにいるのは分かっているのね。
「エリザ、リオンさんとは会った?」
「いいえ。あの場所にはアルピナ様しか入れません」
「と言う事は拷問官もアルピナ様自ら?……確かに鞭は得意みたいだったけれど」
一緒だったあの時、そういえば武器は鞭だったなぁと思い出す。
「そこまでは分かりませんが……少なくともリオンさんと面識のある方は入らせて頂けていないかと」
「学園長も?」
「はい。悲しんでおられましたね。色んな意味で」
「なるほど。…………となれば、全ての罪は自分に、と。ほんと、許し難い馬鹿だよね」
「ちょっと、カルミナ」
後ろからお前が言える台詞じゃねぇよという白い人からの突っ込みも入っているがここは無視である。
「アルピナ様は神様の次ぐらいに馬鹿なんじゃないかな?あぁ、権力がありそうな順に馬鹿なのかなぁ。だったら、奴隷が一番まとも、と。なるほど。私がまともである事が証明されましたよっ!?」
「カルミナ。アルピナ様も苦しんでおられるのです……だから……その」
「うん。大丈夫。分かってるから……分かってるから……だから」
だから、馬鹿だって言っているのだ。
その馬鹿の行動をどう止めれば良いかが分からないから、こんなに苛立ってしまうのだ。
客観的な事実が集まれば、リオンさんの底を私が示してしまえば、リオンさんは解放されて、アルピナ様はまた普通の女の子としていられるだろうか?いいや、もはや時は既に遅い。きっとリオンさんは許しても、アルピナ様は自分を許さないだろうから……。
自然、手に力が入り、それに返すように、苛立つ私を慰めるように、そっとエリザが握り返してくれた。
暫く、無言のまま歩いていく。
風がそよぐ。
草が鳴る。
小さな虫の鳴き声がする。
誰かの声がする。
……その声に自然、足が向いた。
元より、どちらに行けば元の部屋に戻れるかが分からず、何となくそれっぽい方向に歩いているだけだったから尚更に。声のする方が良いだろうと判断したのだと思う。引き寄せられるように、その声のする様に足を進めていけば、何だか見た事のない場所……というと殆ど見た事がない場所ばかりだから語弊はあるのだが……見た事もない場所に辿り着き、足を止める。
いいや、足が止まった。
大きな建物の角を曲がった所にそこはあった。
そこは開けた場所だった。
城壁まで続く雑草一つない、草一つない土くれの地面。曇天模様なれど、陽光に照らされたそこは酷く暑く、ゆらゆらと揺れて見えた。きっと長い時間この場に居れば、のぼせてしまうだろう。そう、思った。そんな場所に釘刺すように人型が立てられていた。整然と並べられたそれは奇妙の一言。中には矢が刺さっていたり剣が刺さっていたり半ばまで切り落とされていたり。何とも不可思議な違和感を覚えながら辺りを見回せば、そこにはたくさんの人がいた。
たくさんの人達が、寝そべっていた。
死屍累々という感じだった。寝そべっている御蔭で更に暑苦しそうだった。
まぁ、つまり。それがあまりにも突然、視界に入って来た御蔭で足が止まっただけだった。
「お昼寝大会ですかね、これ」
呆と呟いた言葉は自分でもどうしようもないぐらいに無意味な言葉だった。
私達から少し離れた場所から結構な所……城壁の所まではいかないが死屍累々である。10、20という数ではなかった。生きているのが分かるだけ救いである。救いではあるのだが、各々横になって呻いている姿を見ると、なんとも言えない気分になってくる。
そんな私を見かねてエリザと先輩が、
「えっと、これはですね騎士団……」
「カルミー。さっきからどこ行く気なんだよ。ここは訓練場だよ。今の時間は近づかない方が……」
エリザと先輩の言葉が、突然響いた声に掻き消された。
それはそれほど大きい声というわけではなかった。それは怒りというわけではなかった。それは窓辺で少女が歌うような声だった。朗々と高らかに歌うような声だった。小鳥の囀りのような、けれど、響き渡るような声だった。
ただ、でも……少ししゃがれた感じに聞こえるのはきっと、暫く歌ってなかったからに違いない。
「これが現トラヴァント帝国騎士団?これが?これが臣民を外敵から、自殺洞穴から守るための最後の盾?ジェラルド、ヴィクトリア、寝言は寝て言いなさいよ?…………ほら、貴方達もいつまで寝た振りしているのよ。さっさと起きなさい。今日はあの子もエリザベートもいないのだから、貴方達が代わりをしてくれないと」
深窓の令嬢がそこに居た。
窓辺に座り紅茶を飲みながら本を読んでいそうな女性が、いやんなっちゃうわね、とばかりに幅の広い鋼の剣を手に嘆息していた。
薄緑色のワンピースは普段着なのだろうか。宝石アレキサンドライトを見た事は無いが、もしかするとそういう色なのだろうか。意味もなくそんな事を思えるぐらいその服が似合っていた。手に持つものが剣ではなく書物であれば、どこからどう見てもちょっと庭に散歩に来て、道に迷って困り気味のご令嬢といった所だった。
「もしかして」
「もしかしなくてもゲルトルード様な」
印象が全く違った。
私の知るゲルトルード様といえばベッドに横になっている病人姿だけ。あの時は頬がこけ、蝕む呪いに疲れ、死に至りそうな程に弱っている儚げな印象しかなかった。いや、確かに今も同じく儚げではあるけれど、同時に隠しきれない煌びやかさがあった。だから、何とも違和感を覚えた。今のゲルトルード様が本来のゲルトルード様なのだろうけれど、何とも違和感であった。いいや、違和感程度ではないもっと分かり易い変化もあった。
「髪、切られました?」
「動きやすいようにってさ。女の命を何だと思ってんだろうね」
「すごく似合っていて奇麗だったように思うんですけど」
「だよなぁ?」
透き通るような金髪が肩より少し上、今の私と同じぐらいの長さになっていた。私は邪魔だなぁとは思うが、ゲルトルード様からするとちょうど良いと言う感じなのだろう。
でも、それが丁度良いのかもしれない。不思議なものでゲルトルード様を見ていれば見ているほど、それが一番ゲルトルード様を惹き立てているように見えてくる。
しかし、そんな奇麗な人が産み出した光景がこれである。
累々と倒れる人の数を数える気など最初からない。が、多い。とにかく多い。もしかして騎士団の全員が参加されているのだろうかと思えるぐらいに多い。
「全員強制参加ですか?」
「どうでしょうか?流石にそれはないと思いますけれど……」
見れば、ゲルトルード様に声を掛けられ、がんばって起きた者達も再び地面に寝そべって行く。次々、次々と同じ光景が繰り返される。それを見ていると何とも騎士団の人が可哀そうに思えてくる。が、とはいえ、である。ゲルトルード様はかなり力を抜いておられる様子だった。感覚がずれていると先輩が言っていたが、多分その通りなのだろう。騎士団の人が攻撃をしかけようとした所に、明らかに一歩遅れて行動している。その反応の遅さは致命的だ。だが、その後の動きが極端に早いせいで対等以上の相手になっている。でも、これが先輩やエリザだったら、今のゲルトルード様はどうにもならないのではないだろうか。もちろん、だからこそのリハビリではあろうが……。
「先輩だけじゃなくて、エリザもゲルトルード様と一緒に訓練やっているの?そんな風にゲルトルード様が言っていたけど」
「あ、はい。私自身もどうにもまだ慣れてない感じがありますしね」
「なるほど……となると。これはどちらかというと騎士団の訓練ですかね?」
正直見ている限りではゲルトルード様の相手になるような人はいないみたいだし、そんな相手と延々と闘い続ける事にリハビリとしての意義はきっとない。あるとすれば、目的が違う場合だ。
「今日はそうだろうなぁ。あの人らが弱いとかいうわけじゃないんだけどね。ゲルトルード様が埒外なだけで」
遠目に、皆でぼんやりと騎士団の訓練を見る。
じっくりと見ていれば、累々とする中にどこかで見た事のある人がいた。それが誰だったかは思い出せず、自然、首を傾げてしまった。当然、首を傾げたからといって思い出せるわけもなく、まぁ良いかとそのさらに少し離れた場所にいる、表情の暗いヴィクトリア学園長といつも通りのジェラルドさんに目を向ける。
2人とも騎士団の様子を見ているようだった。片や真剣に、片や呆然と。
「平和に慣れるのは結構。でも、堕落するのとはまた違います。死にたいのでしたらそのまま寝ていなさい。生きたいのでしたらそこから起きあがりなさい。起きて抗いなさい。私に抗ってみせなさい?」
歌う様に言いながらゲルトルード様が剣を振る。
軽々しく。
まるで羽を広げるが如く。重そうな剣を振る。
「でも良く見ると騎士団の人達、なんだか楽しそうですね」
「そりゃ、憧れの御姉様に罵倒されながら扱かれてりゃ、悦ぶだろうよ。何度果てても立ち上がるさ」
「おっと、変態の巣窟でしたか」
国のお姫様が助かって嬉しい。その人がこうやって戻ってきてくれたのが嬉しいという事なのだろうか。特に喜んで見えるのは私と同年代か、少し上の人達が多いように見えた。きっと、8年前に少年だった者達なのだろう。憧れて、焦がれた人が帰って来たのだ。生きて、帰って来たのだ。こんなに嬉しい事はないだろう。少し年のいった人達も同じく喜んでいる人が殆どだ。まったく、幸せそうな光景だった。
その影を知らなければ、尚更に。
知る者は暗い表情をしている。特にヴィクトリア学園長は尚更なのだろうと思う。私には推し量れないけれど、でも、きっと……あれは、泣いているのだろう。あの日のお姫様のように泣き続けているのだろう。
「ソードダンサーは踊れないってなぁ?」
学園長を見ているのが分かったのだろう。先輩がそんな事を言った。
「なんですかそれ。メイドマスターも似たような事を言っていましたけど」
「何でもないよ。な、エリザベート」
「はい。秘密です。なんだか何時の間にか姉さんと仲良くなっているカルミナには秘密です」
「ちょっとエリザ」
ぷいっと顔を背けられた。
これで年上なのだからある意味可愛らしい。ちなみにそんなエリザを見てレアさんは恥ずかしそうに顔を覆っていた。見ていられない、と。
「ここにいても訓練の邪魔ですし、戻りますか」
「ま。その通りなんだが……残念、遅かったな」
「遅い?」
ガキンという金属同士が打ち合う音と共に、くるりとゲルトルード様がこちらを振り向いた。私たちの視線を感じたのだろうか。一瞬、あら?と喜色を浮かべ、再度振り向き、休んでいて良いわよ、そんな優しげな声を騎士団の面々に伝えながら、こちらに近づいてくる。
近づいてきて、ざくっと地面に剣を刺し、手を打ち払ってから先輩に視線を向けた。
「貴女、今日はこっちに来ないと言っていませんでした?」
良く通る、しかし、しゃがれた声に耳が擽られる。
何だかとても懐かしいような、そんな声音だった。幼い頃に聞いたような、そんな懐かしさを覚える優しげな声。例えば、そう、まるで母のような声だった。望郷の想いなど私にはない。けれど、記憶にもない昔を思い起こさせてくれる声だった。酷く失礼だとは思うけれど、私には何だかそんな風に聞こえた。そうか、これがゲルトルード様の声、か。
「馬鹿が迷い込んだ結果です。ゲルトルード様、ご紹介いたします。リヒテンシュタインが奴隷カルミナと、エリザベート……様の妹君であらせられるレア様です」
ディアナ様もそうだが、先輩も良く知る後輩相手に『様』をつけるのは違和感があるのだろう。なんとも言い辛そうだった。というかこの場合、先に紹介するのはレアさんだろう。馬鹿じゃないのか先輩、と毒づいていた所為だろう。一瞬、気付くのに遅れた。
はた、と気付き膝を地面に付き、頭を垂れる。奴隷が、我が物顔で皇女様に相対するのは憚られる。ただでさえ騎士団を前なのだ。
慌ててレアさんも真似しようとしたが、それは先輩に止められた。そう、それも当然。彼女が頭を垂れる理由は無い。身分的に彼女はエルフのお姫様であり、エリザの妹でもあるのだからゲルトルード様とはほぼ対等であろう。こんなに視線のある場所で下げて良い頭ではない。
「あら。妹?初耳ね。……よろしくね、レアちゃん。……それと、カルミナちゃん。顔を挙げて頂戴。そうじゃないと話もできないわ。それに、貴女に、貴方達に膝を付かせるわけにはいかない」
『達』とは誰だろう。いいや、答えなど分かり切っている。ここにはいない『彼』だ。
「お心遣い感謝いたします」
ついつい出そうになる皮肉を抑えながら答え、立ち上がる。
目の前に立つ美姫。その尊顔を眺めていれば、何とも不思議な気分になってくる。美人といえば、造詣が整い過ぎていて人を寄せ付けない感じの人が多い中、この方は妙に人懐っこい感じの顔立ちをしていた。例えば、アルピナ様やエリザは前者だ。恐れ多い感じである。ドラゴン師匠は2人よりも更に桁違いに恐れ多い。だが、それに比べて同じ美人さんといってもゲルトルード様はなんとも温和な印象を与えてくる。
そんな温和な表情を見ていれば、ガサツだとか何だかとか色々聞いていたものの、そうでもないように思えてくる。
「カルミナちゃん。貴女とはちゃんと会ってお話がしたかったのよ。こんな場所で申し訳ないけれど、ちょっと付き合って貰えないかしら?」
「あ、私は大丈夫ですけれど……エリザは?」
「大丈夫よ、カルミナ。やらなきゃならない事はあるけれど割と時間の都合はつくから」
やる事というのはきっとマナーとかを覚える事だと思う。勝手な想像だけれども。
「レアさんと先輩は大丈夫ですよね?」
「私は勿論、大丈夫ですよ」
「私、なんで決めつけられてんの?」
「貴女、何その喋り方?」
じとーっとしたゲルトルード様の視線が先輩を穿つ。それを受けた先輩は蛇に睨まれた何とやらのようだった。
「ぐっ……いえ、失礼いたしました。私も大丈夫ですよ、カルミナ」
先輩が鳴いた。
それを見て、ゲルトルード様が笑った。
「おかしい子ね。そういう意味ではないのよ。御友達なのだから、その口調で良いじゃない。単に貴女がそんな喋り方をするのは珍しいと思っただけよ。あぁでも、以前の時もそうだったかしら?」
「ぐっ……い、いえ。その、申し訳ありません」
歯切れが悪い先輩というのも珍しくて面白い。正直、指差して笑いたい。
「全く可愛い子ね、貴女は。貴女が私に気を遣う必要はないのにね?」
まるで母親のような言葉だった。
先輩の頭を撫でながら、愛しい我が子を見るような目で先輩を見つめていた。ちなみに、それを受けての先輩は赤面中である。白いので分かり易い事この上ない。見ていて、面白い。
「そういえば、先輩。名前に関してはゲルトルード様にお聞きすれば良いと仰ってましたよね?」
「あ、いえ、それはその。……ちょっと待ってね。もうちょっと待ってね。ね?ね?やっぱりほら、あそこじゃないと様にならないというか。ね?そうでしょ?」
額に汗をかきながら慌てるように先輩へと目配せしつつ答えたのはゲルトルード様だった。何故に。
「……えっと?」
「カルミー。残念ながらお預けみたいだよ?」
苦笑し、肩を竦める先輩はもはやいつも通りだった。それはちょっと面白くなかった。
「……それは残念ですね」
ほんと、残念だった。
「こほんっ!……それで、カルミナちゃん」
これ見よがしの仕切り直しがゲルトルード様から入った。思いの外陽気な人である。
「貴女の御蔭で。貴方達の御蔭で私は生きていられます。何度御礼を言った所で言い足りませんが、ゲルトルード=アレキサンドリア=トラヴァントは心より貴方達に感謝いたします」
「僭越ながら……私は食事を提供しただけです」
「あはっ……そうね。そういえばそうだったわね。では言葉をかえましょう。あの時のお食事、とても美味しかったわ。御蔭で病床にあった身体がいつのまにかこんなに動けるようになりました。凄い食事ね。材料を集めてくれた貴女に、調理をしてくれた彼に、私は感謝いたします」
「どういたしまして。けれど、その言葉はリオンさんと……先輩へお願いします。先輩がいなかったら私は悪魔の腹の中で宝石に成っていた所ですし。卑猥ワームも買えませんでしたし」
「カルミー、それは……うっ」
ハッとしたようにゲルトルード様が先輩へ目を向ける。
「……貴女、そんな事一言も」
「いえ……その、特に言う必要もない事ですので」
「言ってくれれば良いのに。恥ずかしがり屋さんね。大変だったでしょう?……ありがとう、とても嬉しいわ」
瞬間、先輩が……顔を逸らした。私達に見られたくないとばかりに顔を逸らした。ただ、逸らす直前、凄く嬉しそうな表情が見えたのは私の気の所為じゃないだろう。
そんな先輩を見て、ゲルトルード様がくすくすと笑う。その表情が、先輩がゲルトルード様を庇った時みたいな悲しい表情じゃないのが、私も嬉しかった。貴女が自分の為に犠牲になる必要なんてないと悲しそうだったお姫様はもう居ない。それが、なんとも嬉しかった。
だから、尚更そんな視線に気付けたのだろう。
それは無粋で無遠慮な視線だった。
それは射殺すような視線だった。
それは私を殺したいと願う者の視線だった。
だから、思い出したのだろう。
「あぁ……先程のはテレサ様の」
弟様が私を睨んでいた。
―――
とはいえ、そんな視線を向けられる謂れはないように思う。思うけれど、テレサ様の父が死んだのは、間接的には私達が森で出会ったからだろう。それを起因とした真実の露呈、破局と彼女の死。その責任を誰かに求めたいというのは分からないでもない。向かう矛先が私なのも、分からないでもない。
けれど、そんな理由で殺される気も毛頭ない。
そしてテレサ様の弟が、そんな理由で自暴自棄になっているように見えるのも許せない。まぁ、テレサ様の後を追って自殺洞穴に入って死んでいなかっただけましだ。そう、死んでいなかったのは……
「……そんな目も出来るのね」
ゲルトルード様のその言葉ははたしてどちらに向けた言葉だったろうか。
彼は……名を何と言っただろうか。彼は槍を支えに立ち上がり、それでも尚、私を射竦めるように対峙する。この場が城で、今が訓練時などという事は全く気にせず、ただ恨みを果たそうと。
「何だか雰囲気を出している所悪いけれど、止めさせてもらうわね」
軽々と剣を地面から抜き、ゲルトルード様が私を庇うように立ち、彼に向かう。そして言葉の通り、止めてしまうのだろう。止めを刺してしまうのだろう。
ご令嬢然とした表情はもはやない。人を殺める事に何の憂いもない。自らの命を助けた者を相手に槍を向ける者などもはや味方ではないと、そう言わんばかりだった。
苛烈である。
触れれば火傷してしまいそうな程に。
けれど、そんなものは不要なのだ。
少なくとも今この時は、ゲルトルード様は儚げでそれでいて可憐なままであれば良いのだ。先輩にあんな嬉しそうな笑みを浮かべさせた人のままであれば良いのだ。
「いいえ……不要です。戦いなんて、殺し合いなんてそれこそ不要です」
「カルミナちゃん?」
「本当は伝える気はなかったんですがねぇ。会ってしまったなら仕方ありません。未練が一つ減るでしょうけど……仕方ありません。テレサ様には他に未練を残させるとしましょう」
ゲルトルード様の後ろから出て、彼に近づいて行く。合わせるよう這うように彼も近づいてくる。
一歩一歩、槍を支えに、もはや自分の足で歩けぬにも関わらず、それでも尚、このひと時こそ好機とばかりに近づいてくる。疲れ果て、痩せこけた顔や腕に残る傷、泥に塗れ、それでも尚、彼に後退はない。或いは、彼は殺されたかったのかもしれないと、そう思えるぐらいに弱々しく彼は近づいてくる。
横たわる男達が逃げるように道を開けていく。止める事なく、いいや、止められずに恐れ慄いて避けて行く。鬼気迫るとはこのことか。
けれど、鬼というのならば、夜叉とて同じ。
それを待つ必要はない。それに向けて私は歩みを進める。
神様すらも笑い飛ばすように、笑みを浮かべながら歩いて行く。後ろから聞こえるのはゲルトルード様の止める声。けれど、それに止まる事は無い。そして、それ以外に私を止める者はいない。止められる者はいなかった。横たわる男達は怯えるように慌てて立ち上がり、黒い人間を、呪いの証の如き私を避けて離れて行く。鬼を前にして笑う人間から恐れ逃げるように離れて行く。
互いに辿りつく。
彼は槍を構え、対して私は無防備に構える。
じり、と彼の足が地面を削る。
即発。
誰かが息を飲む。
私達の間を風が凪ぐ。
良い風だった。
その風に合わせ、彼が動こうとして……
「貴方に伝える言葉があります。あの方が残したかった最後の言葉です。死してなお、化けて出ても、それでも伝えたかった言葉です。私がその言葉を聞きました」
私が先に口を開いた。
「っ…………聞こう」
足を止め、手を止め、小さく呟かれたその声音は、あの時とは違った。
あの日より、想いを振り払うように騎士団に入ったのだろうか。それとも元々騎士団の者だったのだろうか。それは分からないが、訓練に勤しみ、疲れと共に泥のように眠るだけ、そんな日々を送って来たのだろう。視線こそ射殺すようなものであれ、疲れ果て、もはや力なく零れるように出て来た声に聞こえた。
それでも生きていて良かった、と思った。
泥に塗れようとも自分を苦しめるだけの日々であったとしても、生きていてくれてよかった。死んでしまっていたら、テレサ様とて悲しむことだろう。そうじゃなくて良かった。テレサ様の望みは、彼が幸せに生きる事だから……だから、良かった。そして、だからこそ、それでも生きていた貴方に呪いを。
「そのままお伝えします。記憶している限りそのままに。『愛していたと。それは弟を想う姉の、家族の愛だったのかもしれないけれど、それでも確かに愛していたと、そう。伝えてくれませんか?』……以上です」
……これぐらいは覚えていられる記憶力があって良かった。
「……あぁ」
彼の手から武器が転げ落ちる。
からん、と地面に落ちた。
それはきっと傍から見れば奇妙な光景だろう。一触即発。槍を構えた狂気に塗れた騎士と対峙する無防備な笑う黒い奴隷。死体が一つ出来あがる事など容易に想像が付く。にもかかわらず、それを成そうとしていた者が自ら終わらせたというのだから、奇妙なものだと思うだろう。
突然、両手で顔を覆い、膝を崩した所を見れば尚更に。
ただでさえ訓練で身体の言う事が効かないであろう所に、それこそ気力だけで耐えていたのが切れた様子だった。
「そうか……そうなのだな」
震える背。零れる嗚咽。涙が、地面へと零れて行く。ゆっくりと、彼を解き放つように。
テレサ様と彼の想いは、決して結ばれ得ぬ想いだったかもしれない。けれど、それでも
「真実です。貴方達の間にあったものは確かに真実です」
「……そう、言ってくれるのか」
「えぇ。貴方達の親御には辟易させられましたが……貴方達の間にあったものは真実以外の何物でもないと、私が保証します。私如きが保証した所で意味はないかもしれませんが」
「……君だからこそ。彼女に怨まれていた君だからこそ。その君が最後の言葉としてそれを受け取ったというのならば……尚更に……そうなのだな。私達の間に嘘偽りはなかったのだな……」
零れるように、途切れ途切れで想いを吐き出していた。きっと噛み締めるように、2人の想い出を思い返しながら……。
彼は、何もかも信じられなかったのだろう。
もう何もかも。けれど、それでも希望だけはあったのだ。絶望に至り、そうなった中でも、それでも一つの希望、それに縋って彼は生きていたのだ。テレサ様との間に築いた想いだけは嘘偽りのない想いだったのだと。彼女はきっと自分を愛してくれていた、とその想いだけで彼は今まで何とか生きて来られたのだろう。絶望に至らず、生きていられたのだろう。
「えぇ。ですから、その悲恋の先が死で終わらぬように、是非、生きてください。それが彼女の望みでもあります」
その言葉に小さく頷き、槍を拾い、立ちあがり、空を仰ぐ。その何処かにテレサ様を見ているような、そんな印象だった。
「……男というのは単純なものだな。その言葉だけで救われたような気分だ。何もかもが晴れたような、いいや、夜が明けたような、そんな清々しさだ。ありがとう……彼女の最後の言葉、確かに受け取った」
「はい。……確かに受け渡しました」
「確か、カルミナと言ったか。この度は大変、失礼した。いや、以前の時もそうだったな。今更だが、済まなかった」
声音は小さく、けれど力強く。
そう言って貴族が、騎士団の前で奴隷に頭を下げた。
「謝罪の御言葉は確かに受け取りました。だから早く面を上げてください貴族様。私は、奴隷です」
「構わない。それだけのことを私はしたのだから。それだけのモノを君に貰ったのだから」
「頭の固い貴族様ですね。……もう、知りません。それでは、失礼させて頂きますね」
私が引かねばずっと頭を下げたままだろう。だから、そう告げて、踵を返す。
「この恩は生涯忘れぬ……だから、いずれまた」
「はい。いずれまた」
生きていつかまたどこかで。
そんな難しい約束を交わしながら、元の場所へと、皆が待つ元へと戻る。
「えっと……」
戻れば、ゲルトルード様が呆然としていた。
呆然と、というと語弊があるか。先輩とエリザに抑えつけられるように手を握られていた。地面についた足跡が如実にその事を表していた。……いや、何をしようとしたのだこの人は。
「魔法の言葉です。彼だけに効く魔法の言葉。それを知っていただけです」
「相変わらず人を騙すのがお得意で」
ゲルトルード様から手を離し、あぁ、疲れたとばかりに手をふりふりしながらそんな酷い台詞を放つのは当然の如く先輩だった。
「失礼な……まぁ、でも確かに」
テレサ様が今もなお、この世界に留まっている事を伝えはしなかった。そこまで伝えてしまえば彼も、テレサ様も不幸にする。知らない事は不幸かもしれない。けれど、知ればそれ以上の不幸が訪れるだろう。そんな事誰も望んでいない。だから、これで良しとしたい。彼は今、テレサ様から解き放たれたのだ。あとは時間が彼を癒してくれる。死に近いこの街で、それでも希望に縋り死ぬ事のなかった彼はきっともう大丈夫だろう。
「というか、誰よ?」
「えぇ。カルミナはご存知みたいでしたけど」
こちらもゲルトルード様から手を離して疲れた、とばかりに肩を落としたエリザがそんな事を聞いて来た。
「あれ?エリザは見た事あると思うけど……ほら、テレサ様の葬式」
「えっと……」
はてな?と悩んだ脳筋娘を見かねたのか分からないが、ゲルトルード様が教えてくれた。
「彼は、確かカインズといったわね。濁り切って腐ったような目をしていたけれど……そう。もうそんな事はなさそうね。ありがとう、カルミナちゃん」
「いえいえ。本来であればもっと早く伝えるべき事でしたから」
会わねば伝える事すらなかった。私は彼が死んでいると思ってさえいたのだから。それを思えば感謝される謂れもない。
「奴隷が貴族様に早々会えるかよ」
「それはほら、御屋敷の前でずっと座っていれば会えたり……」
「しねぇよ。裏に連れていかれて殺されるだけだろ」
「ですよねぇ。……あ、でも先輩に頼んでいれば?」
「無理」
「……返答が早すぎますよ。もうちょっと考えてくださいよ」
「私が、城へ入る事を許されているのは、ゲルトルード様のことだけ。それ以外は許可がない。だから、ゲルトルード様の事がなければこんな所にもいられないのよ。さっきの所もメイドマスターが連れて行ってくれなければ……無理なわけよ」
だとすると、今はエリザがいるからこうして動けるという話か。
「なるほど。使えない先輩ですね」
「カルミー、後で説教な?」
「何故……」
「貴女達、仲良いわね。……カルミナちゃん。この子無愛想だけれど優しくて良い子だから、是非今後ともよろしくしてちょうだいね」
くすくすと楽しそうに笑う。その姿が、先程先輩がしていたような口元に指先を宛てがう上品な笑い方だった。あぁ、先輩のあれはゲルトルード様直伝なのか。納得である。
しかし、最近、何だか同じことを色んな人から言われている気がする。
「それはそうとどこか行ってきたの?」
「……件の塔です」
しまったな、と先輩が表情を歪めた。メイドマスター云々と言ってしまった手前がこれである。今日は先輩にしては珍しい失敗が多いように思えた。日ごろの疲れだろう。少しは休めばいいのに。今日ぐらい、お城に泊めてくれないだろうか?と調子の良い事を考えてエリザを見れば緊張気味の表情だった。何故に。
「抑えなくても行かないわよ」
ゲルトルード様が先輩とエリザにまたぞろ抑えられようとした所で、ゲルトルード様がそんな先手を打った。
なるほど。そう言う事ね。
「ほんと、信頼ないわよね、私」
「この事に関してはありません」
「酷い子ね。まぁでも大丈夫よ。今は、カルミナちゃんがいるからね」
「私、ですか」
「貴女が慌てていないのに私だけ慌てるのも変でしょう?」
どこかで聞いたような台詞だった。主に私の口から。
「何を勘違いされているか分かりませんが、私とあの人とは単なる雇用関係なので慌てるも慌てないもない気がしますけど。いえ、まぁ思う所はありますけれど」
「あら、そうなの?じゃあ、彼は私が貰っても良いってこと?」
「あぁそれはもう是非是非。そこから姉妹喧嘩に発展して成し下し的に一切合財無かった事になってくれればもう何も言う事はありません」
「あはっ!面白いわね貴女。でも、そうね。本当にそれも良いかもしれません。ねぇ、貴女はどう思う?」
「私はゲルトルード様がお幸せであれば」
「ふぅん。反対ではなし、と。ならがんばってみますか」
そういって塔のある方を見るゲルトルード様は、何だかとっても恰好良かった。……といってもそっちの方には建物があるので塔自体は見えないのだが。
「でも、そうね。私、あの方の事あまり知らないのだけれど……敵を知るのは大事な事よね。色々教えて頂戴?」
敵って……せめて獲物といってあげて欲しい。
「髪型が猫っぽいとか超若作りでえーと……学園長より相当に年上で、義理ですけど娘さんがいますよ。娘の母親さんに託されたとか。あ、娘さんはあの場にいたから分かりますか。他は……ゲテモノ料理作りが好きで、店を構えていて。今は私が店長代理ですけど。それで、えっと。知識が一杯ありますね。それが……理由でもありますし」
「ふぅん。……年上で子持ち、か。だったら、大丈夫よね?」
そういって先輩の方に視線を送り、送られた先輩は先輩で特に何を言うでもなくただ小首を傾げて小さく肩を竦めていた。ちょっと何とも言えない表情をしていたが……しかし、相変わらずこの2人の関係が分からない。ほんと、悩ませるなこの人。
じとーっと先輩を見れば、ぷいっと顔を背けられる始末。
「でも、そうね。そういう事ならやっぱり本人ともお話したいし、一度会わせて貰う事にしましょう。今度正式にアルピナにお願いするわ……皇帝の妃、もとい皇帝の夫として娶るからって」
それを言われた時のアルピナ様の表情がとっても見てみたい。きっと一人で鬱々としているであろうから、少しは気も抜けるだろう。それとも全く逆の反応を見せるのだろうか。それだったらほんと、その時は是非叱ってあげて欲しい。
「ま。その話は後で考えるわ。それにしてもカルミナちゃん貴女って……」
「はい?」
少し不思議そうな表情を浮かべた後、とって付けたように
「いえ。……その黒髪、奇麗ね」
そんな事を言われた。何か別の事が言いたかったのだろうけれど……。
「ありがとうございます?」
まさか人間の感性も私の感性とずれているとは思わなかった、という戯言はさておいて。
言ったは良いものの、ゲルトルード様は他の何かを言いたげに思案されていた。その間を狙ったかのように、
「あぁ!そうでした。カルミナ。貴女に貰ってほしいものがあったのでした」
「私に?」
エリザがそうそう思い出した!とばかりに明るい表情をしていた。
「はい。オブシディアンの名を頂きましたので、それに付随してオブシディアン……いいえ、皇剣オブシダンの所有権を賜りました。それで、それをカルミナに、と思って」
「……いや、私奴隷だし無理でしょ」
「……うっ」
二の句は無かった。
「エリザも奴隷時代に貰えてなかったじゃないの。ほら、ゲルトルード様の」
「え?……あ、あぁ。アレキサンドライトの事ね。ジェラルドがあげたがっていた子って貴女だったの」
「あ、はい。そうです。今となっては貰える立場にはなくなってしまいましたけど、頂戴する際にはゲルトルード様に御挨拶をと思っていたのですが……」
「あぁいいのよ。彼が認めたのならば是非もありません。……というか、エリザベート。貴女私と大差ない年齢なのだから、様なんて付けないでくれると嬉しいわね」
からからっと笑う仕草はやはりアルピナ様の姉だと思えた。きっと呪いなど無くアルピナ様が成長されていれば、体躯などもゲルトルード様と似ていたのではなかろうか……。
「えっと、じゃあ、今度から……そうしますね」
けれど先輩の事は姉さんのままなんだろうなぁと思うとちょっと面白い。
「カルミナ。では、奴隷でなくなったときには貰って頂けますか?」
「メイドマスターに聞いた限りだけど……きっと私、持てないよ?やっぱりエリザ本人が使った方が良いと思うけど」
聞いた限りではでかい剣なわけで、持てるわけもない。心意気は嬉しいのだけれど、宝の持ち腐れにも程があると思う。
「……がっかりです。カルミナには似合いそうだと思ったのに」
「それは黒いからとかいう理由?」
「勿論です!」
良い笑顔だった。とても良い笑顔だった。ちなみに周囲の人達は別の意味で笑顔だった。
「そういえばそのオブシダンも魔法が使えるんだよね?」
「えぇ。でも……あれに限って言えば、意味がないらしいです」
「はぁ?」
「光を扱う魔法が常時発動しているらしいのです」
「光を扱う……えっと、もしかしてだから剣が黒いの?」
「その通りです」
「……ドラゴン師匠、何を考えて」
いや、きっと何も考えていないのだろう。宝石オブシディアンだけでは真黒にするには足りないからそんな魔法を突っ込んだに違いないと思った。それ以外の理由が考えられない。
「不遇よね。いえまぁ、どれもこれも大したものではないけれどね……子供が驚くぐらいよ。そう言えばアルピナが小さい頃にアレキサンドライトで遊んであげたんだったわね」
合わせるようにしてゲルトルード様からもため息が出てきた。
まったくもって罪深いドラゴンである。
そんな取りとめの無い会話を延々とするのは楽しいものである。が、誰も彼もが時間があるわけでもない。
「また、ゆっくり話したいわね。また、遊びに来てね、カルミナちゃん」
死屍累々だった騎士団の面々が立ちあがるのを待っていたかのように、ゲルトルード様が騎士団の下へと戻って行った。
それを機に、ようやっと元の部屋へ戻ろうとした時だった。
先程から一言も喋らず、沈黙を保っていたレアさんが、小さく、
「今の方、カルミナとちょっと似ていましたよね?」
そんな事を言った。
瞬間、先輩がしゃらんと刀を抜いてレアさんが叩き切られる幻想が見えたが、生憎とそんな事はなく、先輩は特に何とも思っていないようなそんな表情で、私を見て、何?と不思議そうな表情をしていた。聞こえなかった、という事だろうか。ならまぁ良いのだけれど。私みたいに首の皮を切られるのは可哀そうだし。
「ほら、なんかこう睨んでいる時の目元とか」
「何をもって似ていると思ったのかは分かりませんけど、滅多な事は言わない方が良いですよ。隣の白い人に首の皮を剥かれますから」
さっと首に巻いたチョーカーに触れて首の安全を確かめるレアさんが面白かった。
「おいおい、カルミー。そんなに私の説教が受けたいの?というか剥くのは夜叉姫様の方が得意なんじゃない?ほら、皮とか」
「何故、私……いえ、蛙の皮剥きは確かに慣れましたけど」
「カルミーはその内、蛙から復讐されると思うのよ、私」
「蛙はもう良いですよ……流石に食べ飽きてきましたし。私としては、そろそろお魚が食べたいです」
「なら腐るほど余っている蛙を餌にでもして釣ってこいよ」
「それです!流石先輩、頭良いですね」
「……カルミナさん、今日という今日はしっかりとお説教してあげますので覚悟しておいてくださいね?」
「その丁寧口調怖いですよっ!?」
やいのやいのとそんな馬鹿な会話を先輩としていた所為だろう。私達の後ろで、
「……言われてみると確かにそう思えてきます」
「ですよね?……あと、エリザベート姉様にも少し似ている気がしますけどね、カルミナは」
「え、そう?」
「なんでそんな嬉しそうなんですか。……どこが?と言われると困りますけど。でも、だから、初対面でも安心できたのかもしれませんね」
「レアは人見知りが激しいものね」
「エルフはみんな『人』見知りが激しいです。エリザベート姉様もそうでしょう?」
「そういう事言いたいわけじゃないんだけど……」
レアさんとエリザが、そんな会話をしていた事に気付かなかったのは。