第9話 人とエルフの生きる時
9.
「カルミナ、貴女。功績をあげなさいとはいいましたが、私はエルフを飼えとは一言も言っていません」
「ですよね」
それはため息と共に吐き出された言葉だった。
豪奢な椅子に座ったまま頭が痛いとばかりに手を額に置き、ふるふると頭を振っているのは私の飼い主である所のディアナ様だった。その前に片膝ついて座っているのが私。そして、その私の後ろには攫ってきた純血エルフである所のレアさんが立っていた。
英雄さんに後を任せて颯爽と、言うには時間をかけ過ぎだが、2日半ほどを使って辿りついた先がリヒテンシュタインの屋敷である。ここに来るまでは見渡す限りの知らない物に興味惹かれあちらこちらを見ていたが、流石にこの場ではきょろきょろとする事もなく、所在なげに私を見下ろしているようだった。いきなり知らない人の所へ連れて来たのは申し訳ないとは思うが、今の私では先輩かディアナ様の伝手でもなければエリザと会う事は難しい。ゆえに、事情を説明して、挙句小言を頂くのもまた致し方ない事なのだ。
立場的にはエルフの長の娘であり、神職の家の者であり、さらにエリザベート=オブシディアン=トラヴァントの妹君に頭を垂らせるわけにもいかず、かといって正式なお堅い場でもないためという理由で傍から見れば何とも奇妙な絵面になっているが、もう少しだけ待っていて欲しいと思う。
「加えて。その功績はまたしても表に出せない、と」
「それはその……」
言い訳がましく顔をあげればディアナ様の爬虫類型の眼が、その眦が不機嫌そうに吊り上がっているのが見える。
その瞳に気付いたのか、レアさんの方から一瞬、ひっという小さな叫びが聞こえた。一見すればドラゴンに睨まれているかのようにさえ思えるのだから叫び声をあげなかった事を称賛すべきなのかもしれない。が、静とした部屋にそれは酷く大きく響き、その叫びにディアナ様が皮肉気に苦笑していた。慣れている、といった所だろうか。
「これは事のついでですのでそもそも……」
「黙りなさい」
有無を言わさぬというディアナ様の言葉に押し黙れば、ディアナ様からは再度ハァという深いため息が零れる。ため息を吐くとその分だけ幸せが逃げて行くと言うが、やはりこれは私の所為なのだろうか……。
「現在の我が国の情勢を考えればエルフとの諍いは控えるべきではあります。が、事情を聞く限りは遅かれ早かれ諍いはあったでしょう。それを思えば、エリザベート……様の妹君が謀殺される事を防いだ件に関しては良くやりましたと褒めておきましょう」
エリザが正式に皇族となるという事は混血のエルフが皇族になる事だ。それゆえに、今後はエルフの発言力もあがるのではないか?という指摘ではない。エリザの場合、エルフの村から売られた立場だ。これが皇族として返り咲いたとしたら、エルフの村の者達はどう思うか?という話である。
自らを捨てた者達に対して容赦があるとは考えないだろう。エルフは少し前まで人間に家畜扱いされていた者達であり、その当時と同じ事になると想像するのもまた至極自然だと思う。一方で人間からすれば臣民の希望であったオブシディアンの名を持った皇族を虐げたエルフ属という認識になるわけで、場合によっては人間とエルフの戦争が起きる事もあろう。……もっとも、戦争が始まってしまえば数の有利と怪我に対する不利の所為で人間の優勢で終わるのは分かり切った話ではあるのだが。
であるから、エリザの即位は中々厄介な案件であり、この時期にエルフ側で諍いを起こすのも問題ではあるが、しかし、この時期を過ぎたからといって対立が収まるわけでもない。それを思えば、今のうちにギルドの皆さんにレアさんの父親の暴挙を止めて貰い、実は生贄に意味は無く天使の痣は呪いではないという事を周知することは今後の布石としても大事な事だと思う。
もっとも、そこにエリザ本人の意思は介在せず、人とエルフという大衆の心理でしかないのが空しいといえば空しい。エリザは別にエルフを恨んではいないし、争いを求めてはいない。が、個人の意思で国は動かない。それは人間もエルフも同じで、だから……そんなだからアルピナ様は泣いていたのだ。
そんな事を考える私の後ろから小さな、不思議そうな声が聞こえた。
「エリザベート……様?」
彼女にはエリザが売られてからの事を詳しく説明していないので疑問符が頭に浮かんでいてもおかしくない。そもそも彼女には私がここに来たのは奴隷としての報告だと伝えていたのだから、いきなりエリザの話が出て来て不思議だったであろう所にさらに貴族である領主もまた『様』とつけて呼んでいればそれは不思議だろう。逆の立場だったら私も間違いなく疑問符だらけになった自信がある。
「ギルドが主体として動く事に関しては思う所もありますが、これに関しては今の段階ではその方が得策だと判断します。故に、その件に関しても良く協力を取り付けましたと言っておきましょう」
ぺちぺち、と手慰みに手に打ちつけている包丁が怖い。が、その仕草に僅か釈然としない物を感じる。普通に受け取るならばその仕草から伺える感情は苛立ちだろう。けれど、ディアナ様の表情を見る限りはそんな印象は受けない。表情から伺える感情としては呆れが大半であるのは事実だが、しかし、私は、どちらかといえば、今のディアナ様から焦りに似た何かを感じていた。その理由が全く掴み取れず、自分自身困惑する。ただ、しいて分かる事といえば、レアさん本人はその事と関係なさそうだという事。
「洞穴内での話ではありませんが、トラヴァントへの貢献と考えましょう。ですが、どちらにせよ貴女の功績は表に出す事はできません。……結果、貴女はやはりまだ後一つ功績を上げなくてはなりません」
「はい……次こそは」
「次にこのような事がある場合には是非、ドラグノイア=リヒテンシュタインの名を持って行って貰いたいものですね」
一転、皮肉気な表情で、再三のため息と共にそんな事を言われた。
「あの、エリザに関しては」
「エリザベート……様の事に関しては了承したわ。こちらからの連絡を待ちなさい。そうね、連絡にはあの子を行かせるわ。貴女もその方が楽でしょう?」
先程からディアナ様がエリザの事を少し言い辛そうにしているのは元々自分の奴隷だったからだろうか。
「承知いたしました。……えっと、その先輩は今どちらにいらっしゃるのですか?」
「あの子は城にいます。明日……いえ、明後日の朝まではあちらにいるはずです。ですから十日は待ちなさい。あの子以外を連絡役に遣わせると大仰になりますからね」
「承知いたしました。……しかし、お城への連絡役が奴隷というのも不思議な感じはしますね」
「あら?……いえ、それも当然ね。何でもないわ」
一瞬意外そうな表情をされ、次いで言葉を濁された。
物凄い気になる物言いだった。が、言葉を止めたと言う事は教えてくれる気はないのだろう。聞き返すだけ無駄だった。
あくまで私とディアナ様の関係は奴隷と主人なのだ。主人が言わないと判断したのならばそれを追求する事はならない。主人が感情を抑えて言葉にしないのならばそれを追求することはしてはならない。割となんでも答えてはくれるけれど、そこは履き違えてはならない。首と腕についた輪が外れない限りその関係が変わる事はない。先輩ぐらいに稼げば軽口の一つも叩けるのだろうが……。
「では、カルミナ。あの子から連絡があるまでその子の事をお願いするわ。事が事ですのでその子の生活費に関してはこちらで用意します」
「それは、ありがとうございます」
「あと、そうね。連絡を待つ間、屋敷を使っても構いません」
「いえ、戻ります。……純血のエルフの方に街で暮らす際の注意点などをお聞きしければなりませんので、街へ戻ります」
「そう。結構。ではドラグノイア=リヒテンシュタインの名に恥じぬように」
からん、と机の上に包丁が投げ出され、次いでディアナ様は宙を見る。そこに何があるわけでもない。今のディアナ様が何を思い、何を考えているのか。それを理解するのは難しそうだった。
「はい」
だから、言葉尻をそのまま受け取り、頷いた。
しかし、頷いたは良いものの、恥じぬようにと言われると流石にこの袖のなくなった格好というのはまずいわけで。とはいえ、一旦包帯に加工した物を袖に戻すというのは私の技量ではやりようもない。どうしたものか。
レアさんと共に部屋から退出しながら、そんな戯れた事を考える。
「ふぅ……」
この際、服は新調するか。
―――
花が咲いていた。
道端に黄色の花弁が咲き乱れていた。境界線を描くように整然と並んで咲く花は、堤防のように国の事業で作られたものなのだろうか。なんとも優しい事業だと思う。道行く者に少しの嬉しさを、そんな心遣いが感じられる。
「やっぱり、奇麗ですね」
リヒテンシュタインの屋敷から都市部へと行く馬車の中、対面に座ったレアさんが外を見つめていた。来る時も通ったその場所を、彼女は飽きもせず見ていた。
表情は感情を隠せない。
今の彼女は、楽しそうだった。
自分を育ててくれた国から逃げ、見知らぬ場所に出て来た辛さも勿論ある。未だ心に根付いた存在しない罪に縛られ続けてもいるだろう。けれど、今その花を見ている彼女は楽しそうで、嬉しそうだった。
鼻腔を擽る花の香り。
すんすん、と鼻を鳴らしながらレアさんが景色を楽しんでいる。
私には慣れてしまった光景も、レアさんにとっては慣れない、新しい発見ばかりなのだ。幼い頃より薄暗い森の中でずっと暮らしてきた彼女にとっては陽光の明るささえ新しいもので、開けた世界もまた新しいものなのだ。
馬車の窓から手を伸ばし、陽に焼ける事のなかった肌を陽光に晒し、ちりちりと熱される感覚もまた初めての事なのかもしれない。先日の湖で感じる陽光とはまた違うそれを彼女はきっと楽しんでいるのだと思う。
周囲全てが彼女の好奇心をくすぐる。時折、周囲を見渡しては呆と口を開けて外を見つめているのもまたその証左だろう。
そんな彼女を見ていれば、笑みの一つも零れるものだ。
そんな私に少し膨れた表情を見せるのもまた面白く、さらに笑みが零れる。
ゆったりとした時間だった。ゆっくりとした時間だった。
それから暫くそんな時間を過ごす。馬車に揺られながら、レアさんからのあれはなんでしょう?という質問に答えたり、歴史や神話の話をしたり聞いたりとそんな他愛もない話題に興じる。
そうしていれば、次第、都市の影が見えてくる。カラカラとなる馬車の音を聞きながらそれを見ていた時だった。
「……一つ、聞いて良いでしょうか?」
「はい?」
「エリザベート姉様はどうなったのでしょう?とお聞きすれば良いのでしょうか」
「身体的な事であれば片手が義手、片足が義足……といっても見た目では殆ど分かりません。後は、片目が無くなっています。ですが、お聞きしたいことはそういう事ではないのですよね」
直前までの楽しそうな表情から一転して、痛ましい表情を示した。
「っ……何があったのでしょうか。奴隷の主であった方に様と呼ばれているかと思えば、城にいるような会話を先程されていたかと思います」
「今の彼女の状況に関しては私の口からは言えません。いずれは分かる事ですので。……ですが、何があったかだけはお伝えできますね。どうせまだ時間もありますし。とはいえ、私にはエリザと出会う以前の事は分かりません。その辺りは直接エリザに聞いてください」
森で出会った事、助けられた事、ドラゴンに向かっていった事、天使の痣が消えた事、体がぼろぼろになって心すら私に壊された事、そこから治った事。そして義手、義足となって再び天使の痣を受け入れた事。そんな事を伝えていく。
それでも彼女は生きている。この神様すら泣いてしまう世界で必死に生きている。
「今は元気ですよ。天使に襲われた事もありましたけれど、今のところ大丈夫かと」
「天使が……」
「はい。ちょーつおい私の師匠が齧ってしまいましたが」
「師匠?齧る?」
「あぁいえ。そこはあまり御気になさらず。……天使に連れ去られた者はいずれ天使と成る。そんな事を聞きました。故に抗い続ける必要があるとも。抗う気がなければ死んでしまった方が良いとも言っていましたが」
「お聞きした?……その御方はどちらに?」
「それは……」
「いえ。言えないのでしたら結構です。……少し、その御方と話をしてみたいと思ったのですが、残念です」
「その内一度でいいから機会を作らねばと思っています。その際には一緒に来てくれると嬉しいですね。私だけだとどうも巧くまとめて伝えられないと思いますので」
「はい。その時には是非」
「でもそうですね。娘さんには先に会えるかと思いますので、娘さんに話を聞くのも良いかもしれません。特にドラゴンの神様に関しては詳しいみたいですし。えっと、ドラゴンの神様は人間の神様を壊そうとしたけど壊せなかったとか」
「……?……流石にドラゴンの神様の話は私も知りませんね。そちらも聞けるのでしたら聞いてみたいと思います」
一瞬、不思議そうな表情をした後、レアさんがそう口にする。何か私がおかしな事を言ったのだろうか?と視線を向けてみれば気にしないでとばかりに手を胸の前で振られた。
「……えっと。ちょっとどこに行ったのか分からないのですが、その内戻ってくると思いますのでお店で待っていましょう」
「店、ですか?そういえばお店をやっていると言っておりましたね。あのギルドの方もいらっしゃると言っておられた」
エルフの森から戻ってきて直接リヒテンシュタインの屋敷に向かったので未だレアさんにはキプロスを見せていない。
ちなみにキプロスの従業員である妖精さんは現在私の服の中で就寝中である。頭陀袋の中は脳みそまみれなので、それは流石に嫌だったようで、服の中、顔だけ出して胸元にハマっている。御蔭で胸元が生温かくてちょっと気持ち悪い。なお、さらにちなみにエルフの森から一緒についてきた栗鼠さんはレアさんの膝の上でこちらもぐっすり御休み中だった。その姿を見て、妖精さんも膝の上に寝ればいいのにと思った。えぇ。
「はい。その準備もしておかないとですね。仕入先とか探してこないと駄目ですねぇ。やっぱりこの辺りはアーデルハイトさんやジェラルドさんに聞くとしましょう」
お店の事は店をやっている人に聞くのが一番なのだ。所詮素人な私が変に頑張った所で失敗するに決まっているのだから。とりあえず樽に入った酒を用意しないと。
「まぁそういう事ですので、御店をしながら娘さん……ガラテアさんを待つとしましょう」
「ガラテア……どこかで聞いたお名前ですね」
指を顎に当て、なんだったかなと思い出すような仕草をしている。それが妙に子供っぽくて見た目相応に可愛らしく思えた。これで年上というのだからエルフというのは詐欺である。どれだけ若作りだという話である。それだけ寿命が長いのかもしれないが……そういえば、エルフというのはどれぐらい生きられるのだろう?長寿だという話だが……いや、まぁ今は良いか。
「本人は神話と言っていましたけど。神様がどうのとかいう話とはまた別の物語ですよね。確か、自分の作った彫像を愛した人間の物語だったかな」
「あぁ、なるほど。思い出しました。巨大な湖に浮かぶ小さな陸地、キプロス島の王ピグマリオンと、その方が女神を模して作り出した彫像ガラテアの物語。自ら作り上げた彫像をいつしかピグマリオンは理想の女性として愛し始めた。恋焦がれるピグマリオンの祈りを聞き届けた女神ウェヌスによってガラテアは人となり、二人は結ばれる。そんな物語がありましたね……」
「はい。それです。娘さんがガラテアさんで、店主がリオンさん……もしかしたら本当はピグマリオンさんかもしれませんが……で、妖精さんのお名前がウェヌスさんです」
眠る妖精さんが挟まっている胸元に指を指す。
「そうでしたか。湖の中から産まれし女神様……いえ、もしかしたら海ですかね。本当は」
「海についてもご存知なんですね」
「この世界を、この大陸を全て取り囲むような大きさの湖。この世界すら島と呼ぶに相応しくなるようなそんな広い湖。……そんな認識です。もっとも森の中でしか生きられない私達にとっては当然、夢物語。眉唾です。……そんな扱いでした」
「……やっぱり色んなところで人間とエルフに伝わる物語には繋がりはあるのですね」
「そのようですね」
やはり、ミケネーコ氏と最初の方とやらは同じ人なのだろう。いや、多分、同じ人なのだろう。
そのミケネーコ氏とはまた違った解釈、いや、延長線上だろうか?それを語ったリオンさんやドラゴン師匠はどうやってそんな事を知ったのだろう。どうやって知り得たのだろうか。それもこれも朽ちた社に伝わる口伝とやら、なのだろうか。
やっぱり聞かないと分からない。エリザに会えたらついでにリオンさんと会話できるように頼むしかないなと心に誓っていれば、レアさんが思い出したかのように頭を下げてくる。
「先程、言い忘れました。カルミナ、ありがとうございます。エリザベート姉様が生きていられたのは貴女のおかげです。そして私がそれを知れたのも貴女の御蔭です。貴女がいたから。貴女がこの世界にいたから……だから、変かもしれませんが、ありがとうございます」
「大仰な……私は私のやりたいようにやっただけです」
「それは謙遜です。……いえ、そうでした。恨むのでしたね、私は。貴女を一生、先日よりもその想いが強くなりました。どんなに許してと言われても、恨んで、憎んで、きっと死んでも幽霊となって生き続けたいと思います。未練を残し、貴女を恨みながら生きて行きます。あの御方のように」
「出来れば幽霊にはなって欲しくはありませんけどね。いなくなってしまいますし。……テレサ様は教えてくれませんでしたが、テレサ様みたいな事は稀なんですよね?」
「えぇ。確かに、悪魔を作り出した神様は幽霊や亡霊を見逃しません。あの御方は何故大丈夫なのでしょう。確か、御店に居た方が危ないと仰っておりましたか?」
あの後、私達の疑問に対しテレサ様は含むような笑みを見せ、私の望む事はしたくないと口を噤んだ。けれど、それは、テレサ様は自分が成仏しない理由を知っていると言う事の証左でもあった。
そのテレサ様は現在、またしても包丁にとり憑き中である。
「考えても分かりそうにないですね。ただ、神様に見捨てられた御店だからどうこうという事はない、というのだけは分かりましたが……とりあえず、リオンさんも一発殴っておかないと駄目な気がしてきました」
「ですが、今までは御店にいても問題なかったという感じでしたね」
頷く。
テレサ様曰くの『今まで』というのが、リオンさんがいなくなる前という事なのだとしたら、どうなのだろう?
「リオンさん本人が重要という事なのでしょうか……」
「私はその店長さんとは面識がありませんので何とも……ですが、危ないからといって、貴女に憑いたわけですから」
レアさんの視線が私の胸元に注がれる。私の胸元で服から顔だけ出して寝ている妖精さんに注がれる。
「私、という事はないでしょうし……妖精さんですかね?」
「状況的には?」
と、言われてもピンとこない。
小さな体で凶悪なまでの力を持って化け物を惨殺する事もある一方で、ドラゴンに怯えたり、心傷付いた者や悲しんでいる者がいると一直線なイノシシ系であるのは事実だが、だからといって……。
妖精は洞穴生まれの種族。元来恐ろしい存在であると聞いてはいるが、しかしこの妖精さんを見る限りはそんな風には見えない。当たり前のように思っていたけれど、人の言葉を理解する妖精は見た事がないと先輩が言っていたし、逆にこの妖精さんが特殊なのだろうか。もしかしたら、妖精さんには幽霊を生き延びさせる力もあるのだろうか……?
「妖精も夢を見るのでしょうか」
「はい?」
レアさんの突然の言葉に思考が止められた。
「いえ、あまりに気持ち良さそうに寝ておりますので。つい」
「見ているのかもしれませんね。御蔭で生温かいやらむず痒いやらでこっちは良い迷惑ですが……」
寝辛そうに時折動くのが尚更。
じとっと視線を向けてもどこ吹く風で眠り続ける妖精さんを見ていると、眠気が襲ってくる。妖精さんを起こさないように手で口元を隠しながら欠伸をすれば、それを見てレアさんが笑みを零していた。
「ふふ。眠いのでしたらどうぞ?」
「いえ、大丈夫です。……しかし、妖精さんが夢を見るとしたらどんなのですかね」
「勝手な印象ですけれど、森の中を飛んでいそうですね」
「それは何となくわかります。まぁ、どちらかというと舞ってそうですけれども」
「舞う?踊るのですか?」
「えぇ。名物になっているみたいですよ。オケアーノス公園名物、妖精の舞だそうです」
あれはアルピナ様と出会った日の事だ。だから尚更、印象的だった。妖精さんの舞を見て、そんな事をアルピナ様が仰っていた。
「それは是非、見てみたいですね」
「奇麗ですよ。ただ、祈りみたいな感じなので鑑賞用かというとあれですが……」
「祈り……人やエルフはそれぞれの神様に祈りますが、妖精の祈りというのは何に対して祈るものなのでしょね。興味があります。ああ、もう。これは神職の性ですね」
そう言って、くすりと笑みを浮かべた。
次いで、
「しかし、そうですね。地の果てにあるという海から産まれた女神ウェヌス。その名を持った妖精が地の果て(オケアーノス)にて舞う。というのは偶然にしては面白いですね」
そんな事を口にした。
「神様の涙から産まれた女神の名前……」
「あぁ、そうですね。海は神様の涙。そうだとすれば更に面白いですね。人の神様は悲しみに泣き、世界を割る。けれど、その悲しみに苛まれていても、一人の女神を産み出した。最後に残った神様の希望なのかもしれませんね。そんな願いを託された女神は、きっと馬鹿なぐらい愛に溢れた優しい女神様なのでしょうね」
「だったら幽霊ぐらい囲ってくれそうですね。まぁ、でもそんな神様の最後の希望が人の胸元にハマって寝こけるというのは何ともな気分ですが」
「ふふ。そうですね」
再び、眠る妖精さんを見れば、小さな唇が少し、嬉しそうに緩んでいるように見えた。
妖精さんが女神様なら、リオンさんはこの大陸の王様なのだろうか?そんな自分の馬鹿げた発想がおかしくて、ついつい笑いが零れる。
「どうかしました?」
「ははっ。いいえ、なんでもありません」
誤魔化すように外を眺めれば、城が見えて来た。
「凄いですね。あれが人の城ですか。人間の国。いつ頃からあるのでしょうか?長い月日をあの城は生きてきたのですよね」
「トラヴァントの歴史はちょっと分かりませんが……やっぱり2、300年ぐらい前からあるんじゃないですかね?」
「2、300ですか……?」
きょとんとするレアさんが可愛らしかった。
「適当ですけどね。かなり古い城だと思います。それにしては奇麗なのは8年前にドラゴン襲来以後に修繕したんじゃないですかね」
「……ドラゴンの話は聞いた記憶があります」
「流石に伝わりますか」
「えぇ、流石に」
しかし、そんな所に姉がいると知ったらこの人はどれぐらい驚くだろうか。それが、ちょっと楽しみでもあった。
でも、その前にやる事が色々あるのだ。
御店に帰るとか、服を買うとか。
―――
「カルミナ……ちゃん」
一度店に行くとまた街の中心まで出ていくのが億劫であるという物臭な理由で先にジェラルドさん宅兼武器屋さんへと訪れた私達を迎えてくれたのは店主のジェラルドさんではなく元気がなくうな垂れているアーデルハイトさんだった。
より正確にいうならば、私の姿を確認して更に凹んだ感じだった。いつも被っていた帽子もかぶっておらず、エルフの特徴である長い耳は露出しており、さらにへにょんと折れ曲がっていた。元気がないにも程がある。
「ご無沙汰、と言うほどでもないですかね?」
「あ……そうだね。お城であった時が最後かな」
気力が全く感じられない。そんな彼女の姿に正直、戸惑った。そんな私の戸惑いにおずおずとした様子でレアさんが声をかけてくる。
「あの……カルミナ、この方が?」
「あぁうん。えっと、アーデルハイトさん。元気がない理由は後で聞くとしまして、こちらレアさんといいます。純潔自慢の純血エルフさんで、エリザの妹さんです。このたびエルフの森から攫ってきましたので、ご紹介します」
「さら!?」
瞬間、アーデルハイトさんの目が大きく開かれ、絶句した。次第、言葉の意味を理解したのかわなわなと震え、がばっと立ち上がった。
「カルミナちゃんっ!?純血のエルフを捕まえて来ちゃったの!?駄目だよっ!?そんな事しちゃったら、長に怒られるよ!大問題だよ!?」
その喋り口調はいつものアーデルハイトさんだった。うん。よかった。ちょっと元気が出たみたいだ。
「長の娘を攫ってきたので尚更かもしれませんねぇ」
「だ、だだだだ!?駄目だよぉぉ!?そんな事しちゃ!?駄目なんだよっ!?国家反逆だよ!?国家転覆を狙ってるの!?カルミナちゃんはそんなにエルフが嫌いだったの!?それに純血エルフは森から離れると危ないんだよっ!?私とおんなじでどっかんしちゃうんだよ!?」
元気がなかったのがウソみたいに慌てて私に掴みかかり、次の瞬間、ここは私の定位置ですとばかりに頭上にいた妖精さんと目があった。
「ひっ!?よ、妖精!?え、なんでこんな所に妖精がいるのっ!?喰われる!?私、喰われるよっ!?耳をかじかじされるよっ!?…………カルミナちゃん。ジェラルド君に伝えておいて。私、帰るね!?帰るよ!?エルフの森に帰るんだよーっ」
「ちょっと待って下さい」
かと思えば、離れて行く始末。
慌ただしい。
だが、この慌ただしさがアーデルハイトさんだと思う。というわけで、逃げ出しそうなアーデルハイトさんの袖を引っ張って止める。流石に妖精さんが理由で夫婦別居されても困るので。
「落ち着いてください」
「慌てさせたのは貴女では?」
「見解の相違です。決め手は妖精さんですし」
責任転嫁してくれるなとばかりに妖精さんがふるふると首を横に振っているようにも思うが、気にしない。
と、そんな感じで彼女らの初対面の時が過ぎ去った。
暫くして落ち着いたアーデルハイトさんが武器屋の看板を準備中にしてくれて、私達は家の方に誘われた。
こっちはアーデルハイトさんの御店ではなく、ジェラルドさんの御店なのでは?という疑問も沸いたが、疲れもあってか甘える形で中へとお邪魔し、アーデルハイトさんが入れてくれたお茶を皆で飲んで、一息を吐く。
広めのテーブルに備え付けられた椅子に座り、ほっと一息を吐いていれば、
「お洋服の事なら私に任せて頂戴!すぐに直すから!」
「あ、いえ。直さなくても」
「似合っているから勿体ないよ!?まだまだ使えるよっ!?」
というわけで、脱がされ、肌着姿にされて包帯の役目をしていた袖を洗ったり、消毒したりと色々やった後、ちくちくと針細工。器用なものだなぁと思いながら、その様子を見つめる。見つめていれば、何やら肩のあたりに装飾が成されていた。
「えっと、何されてるんでしょう?」
その文様は花弁だろうか。一見して良くは分からない。生地と同じ色で縫われているのでさらに分からない。
「ぐっとやってばーっとしてぐるっとするといいんだよ!ぐるる!じゃないからね。ぐるっとだからね!」
全く意味不明だが、針先は確かにぐるぐると動いて花弁を作っていた。花弁一つ終えた頃になってようやく何の花か分かった。百合の花だった。ただ、黒い糸で描かれる百合は黒百合にしか見えない。あまり良い謂れはなかったように思うのだけれど……。抗議の意味でもなく、何をしているのかを聞いてみれば花弁を描く事によって何かしら錬金術の匠の技が施されているらしい事が分かった。ちょっと服が丈夫になるとかならないとか、その理由も良く分からないが……きっと凄い事なのだろう。えぇ。
「それで元気なさそうでしたけど、どうしたんですかね?」
「あ……うん。カルミナちゃんの御蔭でゲルトルード様の体調が良くなってきたの」
ちくちくと張り細工をしながらアーデルハイトさんが少し嬉しそうに、少し悲しそうに告げた。
「それは良いことじゃないですか?」
「うん。それは良かったんだけど……その、あの人の事で」
「一悶着中ですかもしかして?」
「そうなの。今もジェラルド君や白い御嬢様が宥めているのだけれど、芳しくなくて……ゲルトルード様もゲルトルード様でアルピナ様の言い分は分かっているのだけれどね」
そういえばジェラルドさんはドラゴン師匠謹製の面白機能付き剣アレキサンドライトの所持者なのだからゲルトルード様とは親密なのだろう。アーデルハイトさんも多分そうなのだろうと思う。
「それでも抑えられないわけですか」
「それで抑えたらゲルトルード様じゃないけれどね……でも、アルピナ様もゲルトルード様の言い分は分かっていらっしゃるけど、認めるわけにもいかないのよね」
「事後ですからね」
「うん。あの人には本当に悪い事をしている。ううん……私達にそれを口にする資格はないんだよね。あの人の事を心配して良いのは、貴女と助けられたゲルトルード様と知らされなかった白い御嬢様だけ。だから尚更、ゲルトルード様は声をあげているんだよね、きっと」
一人でも味方はいるのだと。第一皇女が、本来の皇帝位にある者が声をあげていれば殺される事はないとでもいうかのように。
「あの人は全て納得してそれを行いました。そして、その想いは私が受け取りました。まだ理解できていない所もありますけれど……でも一つだけ分かった事があるんです。アーデルハイトさんも笑っていて下さい」
「カルミナちゃん?」
「いつもみたいに笑っていて下さい」
神様の事を心配していた彼が、神様の大陸の上に住む皆を不幸にする事を望む事はないだろう。仮に自分の事で泣いている子がいると知れば、馬鹿みたいに頭の悪い食材で馬鹿みたいに美味しい物を提供して、その落差で笑わせてくれるだろうから。
「それに……彼の娘さんが心配していないのに他人が先にそれを心配する事もないと思います」
「娘さん?」
「あれ?……あぁ、なるほど」
あの場にいた者以外は知らないという事か。口の堅そうな人間ばかりだったからそれが伝わる事もなかったわけか。だとするならば、と言葉を選ぶ。
「一応、あの人はマジックマスターさんの父親さんですからね。今回の事も娘さんが動かないから起こった事だと私は思っています。彼女がその立場を持って動けばまた話は違うのではないかと。逆にアルピナ様は娘さんが動く事を警戒しているかもしれませんが」
日々をドラゴンの恐怖に怯えながら過ごすのは辛いに違いない。けれど、それでもそれに折れていては国が成り立たない。折れるならば自殺洞穴を放棄して別の場所に移れば良いのだから。それでもそうせず8年の時を恐怖に耐えながらも生きてきたのだ。建国からいえばもっとだろう。アルピナ様にとっては今更ドラゴン師匠一人増えたとしても、どうってこと無いのかもしれない。まぁでも、それも実力行使をされれば話は別だろうけれど……。ちょっと力を入れただけで城が壊れそうな生物をどう止めるのかという話である。ましてあれでドラゴン師匠は頭も良いわけで。
などと考えていれば、対面のアーデルハイトさんがわなわなと震えていた。良く震えるな今日のアーデルハイトさん。それに何事かと思えば、
「マジックマスター様の!?」
紅潮した顔でそんな声をあげた。あげた結果、妖精さんがびくっと頭の上で跳ね、レアさんの膝元でのんびり毛繕いをしていた栗鼠がレアさんの後ろに隠れてしまった。
「様……」
「凄いんだよ!?あの人の魔法はごごごっ!っていうすごいものなんだよっ!?ごごっ!でもないんだよ?私なんかごっ!ぐらいだのものだよっ」
相変わらずこの人の魔法に関する説明はさっぱり分からない。やっぱり天才というのはそういうものなのだろうか。
でも、そんな風にはしゃいでいてくれた方が良いのだ。笑って嬉しそうに魔法について語ってくれていた方が良いのだ。
「ともあれ、娘さんは薄情な冷血動物なので動きません。ですから、先輩と作戦を考えたはずだったのですが」
「白いお嬢様の作戦?」
「まだ時期ではないって事かな?では聞かなかった事に」
「あ、うん。いいよー。うまくいく方法があるなら、ゲルトルード様の事は白い御嬢様にお任せするねっ。彼女なら適任だもんね!」
「はい?あぁ、えぇ。優しい先輩に任せておくのが一番です」
先輩がどういう考えかは分からないが、時期尚早だと思ったのだろう。激昂している人に折衷案を説明したとしても納得してくれないだろうし、提案内容が提案内容だけに尚更だ。その辺りは先輩にお任せである。
話の区切りを感じ、茶で喉を潤す。少し冷めたそれはけれど今の気分にはちょうど良かった。そして、体の熱が下がれば、熱が籠ってレアさんをほったらかしにしていた事に気付く。
彼女を置いて話を進めるつもりはなかったのだが……少し反省しながらレアさんに視線を向ければ、栗鼠を撫でながら周囲を見渡していた。
話に参加できず、ディアナ様の所に続いてまたしても手持無沙汰だったかと思えば、ディアナ様の部屋とは違い周囲には彼女の好奇心を満足するような物が多々あるようでそんな印象は無かった。
「何か気になる物でもありましたか?」
「え?いえ。特に何がというわけでもないのですが、初めて見る物ばかりだったので……いえ、別にここだけじゃないのですけれども」
通りを歩いている時にもきょろきょろと周囲を見回していた事を思えば、言う通りだった。再三自分は危険なのだ、と言ってはいたがしかし、好奇心には勝てずあちらこちらをきょろきょろするものだから人にぶつかりそうだったり、コケそうになったりと大変だった。それは生き辛いだろうなぁと思った。あと一人にしておけないとも。えぇ。
「好奇心旺盛なのはエルフの性だよねっ!わかるよっ!とーってもわかるんだよっ。森を出たくなるのも分かるよっ!」
「あ、いえ。そこまでは……といいますかアーデルハイト様、エルフは基本的に保守的ですが……お忘れに?」
若干引いたレアさんの気持ちが良く分かった。やはり興味本位でエルフの森を出て来たのかこの人は。
二人して、じとーっと視線を向けていればアーデルハイトさんが次第に慌てだした。身振り手振りで言い訳がましく言い訳を口にする。
「ち、違うんだよっ!?私はちゃんと用事があって出て来たんだよ!?帰ってないけど!」
「帰ってないんじゃただの家出じゃないですか。言い訳にもなってないですよ」
「だって……だって!面白い物いっぱいあるんだものっ!錬金術とかっ!魔法とかっ!」
「やっぱり好奇心じゃないですか……」
「ほ、他にもあるんだよ?えっと……ほら!エルフの権利がどうとか!」
「アーデルハイト様、どうとかと言われている時点で説得力がありません」
レアさんの冷静な突っ込みに純血エルフで錬金術師な魔法使いがうぐっと鳴いた。
「まぁ、アーデルハイトさんが都市に出て来た理由が知りたいわけではないのでそこはさておきまして」
「置いておかれた!?カルミナちゃんとレアちゃんの私の扱いが酷いよっ!私には『最初の方』の足跡を追うという高尚な目的があるんだよっ!?」
びしぃっと指先を突き付けられた私達は、口を止め、視線を交わす。
「……そういう事でしたら知りたいですね。是非聞かせてください。しかし、また、出てきましたね『最初の方』」
「はい。出てまいりましたね。でも、それだとやはりアーデルハイト様が興味本位だったのは間違いなさそうですが」
「うっ!?」
しかし、こんな馬鹿な会話をしていても針の扱いには慣れたもので、間違って指先を指すようなことはないようだった。これが、純血エルフがこの都市で生きる為に必要な技量なのだろうか、などと感心しながら次の言葉を待つ。
「『最初の方』の足跡を追うとどうしてもトラヴァントに来ちゃうんだよ!だから私がここに根付いてもおかしくないんだよっ!?ね。おかしくないよね?」
「そこは別にどうでも……。しかし、トラヴァントに『最初の方』とやらが来られているのでしたら、やっぱり『最初の方』がミケネーコ氏なのですかね?」
「ミケネーコ?カルミナ、なんですかその可愛くなさそうな猫さんは?栗鼠の方が可愛いですよ?」
「いえ。えーと……」
「わーっ!?カルミナちゃん凄いね!ミケーネ!うん。ミケーネっ!凄い!そこまで辿りつくのに私、十年近くかかったのに凄いね、カルミナちゃん!まだここに来て一年もたってないよね!?凄いっ!超天才!」
きゃっきゃきゃっきゃと嬉しそうにアーデルハイトさんが拍手していた。それに釣られてパチパチと手を叩く妖精さんに、今度はびくぅっとアーデルハイトさんが引き攣った。妖精が苦手なのだろうか。
「たまたまです。色んな人から話を聞いて、そうとしか思えなかっただけです。そんな酔狂な考え方をしている人が何人もいるわけがないといいますか……」
「カルミナ?」
「先日、ミケネーコさんという人の本の……写本を読んだり、聞いたりしたばかりだったのですが、それがどうも、レアさんのいう『最初の方』の言葉と似ているなぁと思っていたのです。私の中でもまだ巧く整理がついてなかった事なので伝えていませんでした。すみません」
「いえ。それは別に良いのです。しかし、なるほどと言った感じですね。人とエルフで同じ物語が紡がれているのはやはり『最初の方』の御言葉と」
「たぶんそうだよっ!ほぼ確定かなっ!?と思ってるんだけど。まだいくつか分からない事があるんだよっ」
わくわく、と針の手を止めてアーデルハイトさんが語る。多分今までそういう話を出来た人がいないのだろう。だから、楽しくて仕方がないと言った調子だった。へにゃっとしていた耳もいつの間にかぴんと張り詰めている。
「ちなみに何が分かってないんですかね?」
「まずは『最初の方』の最後だね!トラヴァントまで来た形跡があるのは間違いないんだよっ。ここにはミケーネさん名義の本も一杯あるしね!でもそれ以降が一切、分からないんだよっ!もしかして本当に世界の果てまでいったのかもねっ!?あー。見てみたいなぁ。あるなら見てみたいなぁそんなおっきな湖」
「あれは創作では?レアさんも夢物語だとか言っていましたし」
ですよね?と横を向けばレアさんが頷く。
「だねっ!でも、あっても良いんじゃない?」
「……えーと」
「だって洞穴にはわけのわからないものがいっぱいいたりあったりするんだから、だったら、そんな大きな湖があっても良いと思うよ」
そこだけは少し落ち着いた声音だった。そしてその意味も良く分かった。
「確かに、そうですね。天使もいましたし、悪魔もいましたし、ドラゴンもいるし、魔法もあるし、なんでもあるんだから世界に果てがあって、海とかいうのがあってもおかしくはないですね」
それは誰かが言った言葉の焼き写し。
「そうだよっ!」
「ふふ……カルミナも結構夢見がちですね」
「夢見がちなのは否定しません。でも、夢は見るものらしいですから」
笑う。
この場もまた素敵な光景だった。だから、私の夢はどんどん大きくなっていく。私の中で皆というモノがどんどん大きくなっていく。
まったく、これじゃ更に夢を叶えるのが難しくなる。でも、これは悪夢なんかじゃないのだ。願う事になんの憂いもない。求める事に憂いなどありはしないのだ。
「それで、ミケネーコさんの最後が伝わっていないという事と言葉が伝わっている事に何の関係があるんです?」
「んーっ?あぁ!なるほどっ!……えっとね。『最初の方』は混血のエルフだから長生きだとは思うんだよねっ。だったらどこかに足跡があっても良いと思うんだけど。無いの!残念っ!教会の資料も見せて貰ったけど全くだねっ!」
一瞬、はてな?という風な表情をした後に、納得気に何だか含んだような笑みを見せたのはなぜだろう?何か私は間違った事を言ったのだろうか?返って来た言葉もどこか的を射ていない。
「はぁ?……本も殆ど焼失しているみたいですし難しそうですね。……えーと、ちなみに、混血だと長生きなんですか?」
「純血の方が機能的には長く生きられます。けれど、純血は……簡単に死ねますから。長寿でありますが、実際に長く生きていられる純血は殆どいません。長く生きているのは大概が混血かと」
ずずっと茶を啜りながらレアさんが説明してくれる。
「そうなんだよっ!ちょっとした事が命取り!怖いっ。生きるの大変!でも、レアちゃんは安心していいよっ!私がちゃんと教えてあげるからねっ!150歳ぐらいまでなら大丈夫なように教えるからねっ!」
「あ、はい。宜しくお願いいたします。アーデルハイト様」
ぐっとやってばーんとやってどーんってやれば大丈夫だよ!どっかーんじゃないよどーんっ!だよと言われてレアさんが困り果てるのが目に見えているが、彼女しか頼る人が居ない以上、致し方がない。人間よりも同じエルフの方がまだ理解できるんじゃないかと期待しよう。うん。
しかし、150年というのは人間とはその尺度が全然違うなぁと思う。
けれど、長く生きる事ができるのに、そこまで生きられないような形に作り変えられた者達はどういう感情を持って生きているのだろうか。そういう意味で人間とエルフでは死生観はかなり違うのだろう。すぐそこにある死。だが、長く生きようと思えば生きられる。そんな不安定な生。そして、長く生きれば生きたでいつしか周囲を置き去りにして行く事になる。例えばアーデルハイトさんとジェラルドさんのように夫婦となった者達は尚更それを感じるのではないだろうか。それを理解していても、それでも尚一緒に居る事を望む事に尊厳があるのかもしれないが……なんてそんな偉そうな事を思う。
それでも人との間に子を成したり、純血同士で子を成したり、子孫を育み、現代まで絶滅する事なく生きているエルフ達の生命力や生存本能は凄いと思う。
そんな事を考えていれば、あれ?と思った。
150年生きられるエルフにとって300年そこらは親子程度、孫と祖父母程度で十分なのだ。人間ならば10世代分ぐらいだろうか?たとえば私は300年前の村と言われても正直想像もつかない。そもそも村があったのか?とさえ思う。けれどエルフにとっては?
『最初の方』と呼ばれる混血エルフは、いかにも伝聞のように伝わっているそのエルフは一体全体、何年前のエルフだというのだろう?簡単に考えていたが……想像を超えるぐらいに昔の人なのだろうか?だったら……?
「カルミナ?」
そんな事を考えていた所為か、いつの間にか神妙な表情にでもなっていたのだろう。レアさんとアーデルハイトさんが心配そうにこちらを見ていた。
「あぁ、ごめんなさい。150年というのが想像つかなくて。……ちなみに150年前ってどんな感じだったんでしょうかね?」
「んーっ!?150年前かーっ。トラヴァントの話ならあれだねっ!周辺国との100年戦争が終って、洞穴攻略にまた乗り出した頃かなっ!」
「ということは……150年間、第2階層で躓いているんですか?」
100年戦争というのも知らなければ、150年もかかってもまだ第2階層までしか到達してないのか。確かに以前人類が誕生してからという話は聞いた気もするが改めて聞くと想像の埒外だ。人間がいつ神様に作られたのかは知らないが……そんな長い年月をかけても果たせぬその場の攻略を未だに続ける者達は、確かに自殺志願と言われても致し方ないだろうとそんな事を思った。
「そうともいうねっ!でも、えーと……何代目の皇帝さんだったかは忘れたけど、その皇帝さんとその次の皇帝さんの時は閉鎖していたみたいだから、実際はもうちょっとは短いかもね!時間をおくと攻略した所がまったくさっぱりなんだよっ!」
「まだ行った事もないんですが、第2階層に何があるんですかね……」
「騎士団の人達に一回だけ連れて行ってもらった事あるけど、広い!でかい!怖いっ!危ないっ!あと……気持ち悪いんだよっ!?」
「気持ち悪い?」
「うごうごしてるんだよっ。あとねっ。あとねっ。奥の方に行くとプチドラゴンさんや妖精…ひぃっ!?た、食べないでっ……けほんっ!そういうのが一杯いるんだよっ。あと、あとでっかいドラゴンさんもいるみたいだねっ!?噂では頭が三つの奴がいるとかっ!」
良く分からなかったが、妖精が苦手であるという事だけは分かった。何かされたのだろうか。
「プチドラゴンとかが一杯いるとなるとどうにもなりませんよね……でかいのもいたら更にどうしようもないですよねぇ」
しかし頭が三つというのは生物といえるのだろうか。やはり人間とエルフ以外の神様の感覚がさっぱり分からない。
「どうにもならないねっ!だから、どっかん3号をたくさん作ってるんだよ!今までよりももっと凄いんだよ!」
あぁ今、3号なんだ。
次第逸れて行く話を元に戻そうとは思うものの、聞いて聞いてとばかりにわくわくしているアーデルハイトさんを見ると、逸らせなかった。
「今までより凄いって……落盤しません?」
確かに全層ぶちぬけば一番下まで行くのも容易いかもだけれど……。私はこれ以上落下したくない。
「うぐ……そ、それは2号までなんだよっ!3号はちゃんと前にだけ爆発するようにがんばってるんだよっ!」
「出来たら売って下さいね。護身用にはとってもよさそうなので」
「了解だよっ!なんなら試作品渡しておくよっ!」
言い様、嬉しそうに、急いで奥の部屋へと入っていき、しばらくして、よろ、よろと倒れそうになりながら戻って来た。
「……えっと、やっぱりいりません」
「えーっ!?が、がんばって持ってきたのにっ!?ひ、酷いよっ。カルミナちゃんの私の扱いが酷いよっ!?」
両手で大事そうに抱えているのは金属製の巨大な筒。
ぱっと見ただけでもこんなもの流石に持ち運べません。
試しに持ってみようと試みて、手渡された段階で腕が抜けそうになり、アーデルハイトさんに助けて貰った始末。ちなみに、その時の衝撃で頭の上にいた妖精さんが背中から落下した。背中をさすりながら上目遣いで不満そうな表情を見せてきたが、飛べばいいのにと思ったのは私だけじゃないだろう。
「これをどうやって持ち運べと……」
再び頭上に乗っかる妖精さんを尻目にアーデルハイトさんをじとーっと見つめる。
「うぐ……やっぱり試射は騎士団さんに頼むしかないんだね」
思いのほか悲しそうな表情をしてアーデルハイトさんがこれ見よがしにため息をつき、奥へと戻って行った。意外と力あるのねアーデルハイトさんという感想を抱いていれば、呆としたレアさんが栗鼠を撫でながら、
「アーデルハイト様……ちょっと抜けてらっしゃいますね」
と。
「ちょっとなのかは正直微妙だと思いますけれど」
天才と何とやらの、何とやらに近い方なのではなかろうか。
「重かったぁ……」
戻って来て早々、ぐってと机にべたーっとうつ伏せる天才さんの姿に二人してため息を吐く。
なんともはや、という気分になりながら僅かに残った茶を飲み干し、さてどうしようか、とこちらから話題を振る。
「疲れている所申し訳ないんですが、そろそろ『まずは』の次を教えて頂けると嬉しいです」
「あっ!そうだったねっ!次だねっ!次はねーっ!……これが一番大事かなっ!」
勿体ぶったような表情と言い方をした後、アーデルハイトさんが指を一本立て、そっと小さな声で呟いた。
「『ミケーネ』さん名義の本の出所だよ」
「出所ですか?」
その仕草はさておき、その言葉に、レアさんが不思議そうな顔をしていた。
「そうだよっ」
「図書館の前身でしたっけ?そこにあったという話ですから、元々の持ち主とかを辿れば色々分かりそうなものですが」
「良く知ってるね。でもねー、カルミナちゃん。元々誰が持っていたかは分からないんだよ!というかね。カルミナちゃん。トラヴァントの歴史がどれぐらいあるか知ってる?エルフの歴史がどれぐらいか知ってる?」
「えーっと?100年戦争が終わったと仰ってましたし、それから150年ということですから最低でも300年ぐらいはあるんですかねトラヴァントの歴史は。エルフの方はちょっと想像がつかないんですが、その倍ぐらいですかね?……でも、それだと3,4世代?」
「うんうん!カルミナちゃんも気付き始めたみたいだねっ!!そこだよそこ。そこが問題なんだよっ!」
「正直、まだ違和感といった所です。……ミケネーコさんの歴史書、『トラヴァントの成り立ち』じゃないか『トラヴァント帝国の成り立ち』でしたっけ?あれはいつの頃に書かれたものなのでしょう?……それと純血でない混血のエルフはどれぐらい生きられるのでしょうか?」
それが肝だ。が、既に違和は産まれている。だが、今はまだ対案も出来ていないし、それにさっきアーデルハイトさんも同意しているのだ。だったら、それは……。
「だよね。カルミナちゃんはこっちにきてまだ短いもんね。焼失してる『帝国の成り立ち』を見た事がないのは当たり前だよね。でも、だから、逆に一緒な人かもだって思えたんだね。運が良いね、カルミナちゃん。でもね。でもね……違うんだよ?」
「ミケネーコさんと『最初の方』がですか?でもさっき」
「私はミケーネさん『名義』としか言ってないね」
「名義……ですか?」
「カルミナちゃんはエルフの物語をエルフの神職の家の人から聞けて、人の神話を聞いた事があって、さらにミケーネさん名義の本を知る事が出来た。だから、そういう発想になった。うん。そうだよ。『帝国の成り立ち』、あれを読んでいたらきっと今の発想は産まれて来なかったと思うよ。あれには年号が書かれているからね」
「アーデルハイトさん。私は、私の考えは間違っているんですね?」
確認するように告げれば、神妙にアーデルハイトさんが頷く。
「うん。間違っている。でも、当たってもいるんだよ。ねぇ、レアちゃん。それが何か分かるかな?レアちゃんなら分かると思うんだ。エルフには分かるはずなんだよ」
「アーデルハイト様のおっしゃりたい事かは分かりませんが……カルミナ。先程からの話を聞いていると一つ疑問が沸きます」
「疑問?」
「はい。さっきお城を見た時、古いんでしょうねと聞いた私に、カルミナはきっと2、300年前ぐらいって言いました。それは私達と人間の違いなのでしょうね。……300年は私達にとっては少し前という感覚なのです。長命の家系であればそれこそ祖父母の世代なのですから。だから、そう。そこが疑問なのです。私達にとって少し前に書かれた本の著者と『最初の方』がどうして結びついたのでしょう?」
「……やっぱり、そこなんですね。私からすれば遠い昔の話に思えますが……エルフにとってはやっぱり違うんですね」
「だよ、カルミナちゃん。トラヴァントの歴史は精々300年程ね。で、人間やエルフ自体は1000年以上前から存在しているのに『最初の方』が産まれたのが300年前だと思う?」
「その程度では……伝聞になるほどエルフにとっては昔じゃない?」
「だよっ!その通りだよっ!レアちゃんは当然、知っているよね?」
「はい。言い伝えによれば、『最初の方』は1200年程前に誕生したと聞いております。もっと前という説もありますので確証はありません。ちなみに純血ですと最長で200年程生きられると聞いております。事故死がエルフの最も多い死因ですから、確かに殆どの者達は短命です。ですが、それも私達から見た尺度に過ぎません。人間からするときっと違うのでしょうね」
「いやもうなんだか想像がつかない尺度ですが……ミケネーコさんの名義の歴史書が1200年前のものなわけないですよね……国がないのに国の事を書けるわけもないですし」
「ふふふふふふ。謎でしょーっ!カルミナちゃん。だから、その本の出所が謎なんだよねっ!だから『最初の方』が最後にどうしたのかが気になるんだよねっ」
「『最初の人』から伝わる話をミケネーコさんが聞いて書いたとか。……それだと時間の差はどうしてもあるか。あるいは歴史書だけは別の誰かが書いた……いえ、それだと字を見れば分かりますかね」
それだと違う人だ。寧ろ、そう考えた方が良いのか? でも、アーデルハイトさんは当たっているとも言ったのだ。
「カルミナちゃん、良い線だねっ!」
びしっと音が出そうな勢いで指を差された。
「だから、名義って言っているんだよっ。私は少なくともオケアーノスと神話に関してはその原典を作ったのは『最初の方』に違いないと思うの。だって、エルフにはしっかりと『最初の方』の言葉が伝わっているから。オケアーノスに描かれた世界はしっかりと私達に伝わっているの。世界の果てには海があって、エルフの神様が大陸を割る、そのために生贄を捧げているというものだから。人間に伝わるものとはちょっと違うけれど、でも、そんな話を誰か別の人が聞いて、それを元に物語を書いたなら、もっと違う直接的な物語になっていると思うよっ」
たとえばディアナ様の写本のように自分の好きな言葉を使うなど。読んだ者に違和を与えるよう話になるのだろう。けれど、そうではないとアーデルハイトさんは言う。
「その人間に伝わる神話もまた、『最初の方』の言葉でない限りはエルフに伝わるものと全く違ったものになると思うんだよ。何故今までその言葉が曲がる事もなく伝わっているのかはちょっと分からないんだけれど、簡単だったからなのかな?どうだろう……人間にとって1200年前なんてそれこそ神話の時代だよね?」
『かもしれない』が『そうである』に移り変わるように。1200年もあれば無から有すら作り出せるだろうと思う。だが、本にもなっていないような寝物語が1200年も伝わり続けるだろうか。誰かが意図しない限り、誰かが意図し続けない限り伝わりようもない。だが、事実伝わっている。
「100年前でも想像できる自信がありません。……しかし、そうすると誰か分かりませんが『最初の方』を装って書いている、と?」
「装っているとかそんな感じではないんじゃないかな。戯曲ってわけでもないし、盗作した所で何の意味もないんだよ」
「まぁ、そうですよね。売るわけでもないですし」
「そうなんだよっ。もう焼けてしまったけれど、以前あった本は別の人が元々あったものを正確に写したものだと思う。そして、歴史書はその人の手によるものだと思う。あと『世の理』、これも私は別の人の手だと思うの。『最初の方』の時代には教会がないしね。あ。いや、違うかなっ。『最初の方』が純血と同じで200年ほど生きていたとしたら、もしかしたらちょっと被ってるかもねっ!確か教会が生まれたのが1000年程前だからねっ」
「ミケネーコさんが万能の天才というのは……複数で書いているから、万能のように見えただけですか……」
「ううん。そこは本当に万能だったと思うよ。エルフの方で『最初の方』は万能の天才だと言われていたからね。お城にある絵を見てみたら分かると思うよ。ほんと、凄いから。あれは間違いなく『最初の方』の作品だね。1200年前の物とは思えないぐらい保存状態も良いから分からないかもだけれど、私は……感動したよ。小さな少女の肖像画。あれを最初に見た時、私は震えたよ。あの絵が丁度確か……さっき言った洞穴が閉鎖されていた時期に寄贈された物なはずだよ。今となっては国宝ってやつだね!」
「その寄贈した人が、ミケネーコさんを名乗る人なのかもしれないですね。でも、何故そんな事をしようなんて思ったんでしょうね、それが全くさっぱり分かりません……」
他人の書いた文章を写す事に何の意味があるのだろうか?ディアナ様のように文字の勉強だろうか?私には全く想像がつかなかった。誰が何のために『最初の方』の言葉を本として残したのだろうか。そして、何故それと同じ名を持って別の本を書いたのだろうか。
「そう!そうなんだよ。けれど、誰か分からないんだよ……それが分かれば、全部分かるんだよ。その人の子孫が今でも生きていれば分かるはずなんだよ。『最初の方』の痕跡も何もかも……でも、分からないんだよっ。色々探したけどもう手がかりもないから藁でも掴みたい気分だよ」
希望的観測を謳い、しゅん、と耳を垂らす。
「ねぇ、カルミナちゃん。何か分かったら私にも教えてね?この都市にきてまだそんなに経ってないのにここまで分かっているのはカルミナちゃんぐらいだもの……だから御願い。何か分かったら教えてほしいんだ」
「どうしてそこまで……」
「覚えておきたいから、かな。エルフは長生きだからね。みんな覚えておきたいんだよ。『最初の方』の事、誰も詳しく知らないなんて可哀そうじゃないかなって思って。『最初の方』なんて呼び方じゃなくて、『原初の罪』だなんて酷い呼び方じゃなくて、ちゃんとした名前で覚えていてあげたいじゃない?」
それは、私には分からない感覚だった。
けれど、いつか来る別れを惜しんで暗くあるよりも、いつか振り返って良い想い出だと言ってくれるように笑っていようという事なのかもしれない。……そんな風に思えた。
馬鹿みたいに笑っていた馬鹿な奴がいたなぁなんて、そんな風に思い出してくれる人が一人でもいるなら、それはとても嬉しい事なんじゃないだろうか?あいつは笑いながら満足して死んでいったんだ、なんてそんな風に自分の事を覚えてくれている人が一人でもいたら、それは何だか……なんだか分からないけれど、でも……とても素敵な事なんじゃないか、なんてそんな風に思った。
だから、自然、口元が緩んだ。
「分かりました。どうやら私は運が良いみたいですから……きっと分かるでしょう。その代わり、自分でそれを知れる機会を失うかもしれませんよ?知的好奇心を満足できないっていう事があるかもしれませんよ?」
「……カルミナちゃんったらほんと、黒夜叉さんだねっ!良いよ。不幸にしてちょうだい!好奇心旺盛な私から知る事を奪って不幸にしちゃってねっ」
「それなら得意分野です」
「報酬はこのお洋服の直し代でっ!」
「ありがとうございます。承りました」
これの真実が分かってもきっとディアナ様はまたハァとため息を吐くのだろう。けれど、ディアナ様はミケネーコさんの信者だろうから許してくれるはずだ。きっと。
「なんだか話がまとまった所に悪いのですが……ミケーネ何某に関しては良く分からないのですが、アーデルハイト様、私の方からいくつか」
「なにかなっ!?」
「……エルフに伝わる神話は一部偽りが混じっております」
「偽り?……もしかしてエルフの神様が大陸を割る、という下りかな?あれは人間に伝わる神話とは違うね。私は人間の方に伝わるものの方が正しいと思ってるよ?」
「はい。その通りです。あれは国の維持のためのものです。本来、『最初の方』が伝えたのは、エルフの神様は既に死んでいるというものです。これは神職の者しか知り得ません」
「……死んでいる?……人の世に伝わる神話でも死んでいるとは明言されてないはずだから、人の神様の敵にはならなかったという話のはずだったから。他の神様、邪神のような者達とは違う………ううん。それは関係ないか。続けて?」
「本来伝わっていたのはエルフの神様は死んでいるというものです。人に伝わる神話とエルフに伝わる神話とでは『最初の方』の言葉は違いますが同じなのです。私達エルフの神職の者達には更に天使の物語が詳しく告げられていたりもしました。それは一見、人の世の神話ではそうではないように思えますが、皇族だけが知っていたとカルミナは言いました。つまり、『最初の方』は選んで話を伝えたのだと思います。それは良いのです。特に天使の行いを思えばその方が都合は良いでしょう。えぇ。それは良いのです。ですが、そう考えるとですね……カルミナ。貴女は面白い事を何度も口にしています。自分でも整理がついていないのでしょうか?私からすると凄く不思議で、とても興味深い事を何度か口にしているのです」
「えっと?……不思議で興味深い事ですか?」
「えぇ。とっても」
くすりと笑った。
「天使に見初められた者達の行く末を知る者がいる、と。『最初の方』の教えを連綿と伝えて来た私達ですら知らないそれらを知っている者がいる。……天使に連れ去られた者達はいずれ天使となると、そう語った人が居る。そう貴女は言いました。きっとその人は、悪魔を産み出した神様から幽霊が逃げられる方法を知っているのでしょうね?さらにその方の娘はドラゴンの神様について詳しいと言いました。ドラゴンの神様は人の神様を壊そうとしたとか……」
思考が沈んでいく。
「『最初の方』の伝えなかった神話をなぜその人達は知っているのでしょうか?その方達の創作ですか?それとも『最初の方』に聞いたのでしょうか?……ねぇ、カルミナ。教えて下さい。人の世にもエルフの世にも伝わらない言葉をなぜその人達は知っているのでしょう?どうやってそれを知ったのでしょう?」
その言葉に嫌みなど無い。あげ足を取っているわけでもない。純粋に……いいや、聞く者が聞けば当然思う疑問だった。
「カルミナちゃん、な、な、なにかな、それっ!?衝撃だよっ!?衝撃の新事実だよっ!?嬉しいけど!でも、あれ!?あの人が捕まったのってもしかしてそれが理由!?だったら止めないと!?早く止めに行かないとっ!?世界の損失だよっ!?」
レアさんの言葉に慌てふためきながらも状況を悟ったアーデルハイトさんを余所に思考が沈んでいく。
それは、ここに来る前に考えていた。
リオンさんやドラゴン師匠はどこであんな話を知ったのだろうか、と。朽ち果てた社に伝わる口伝だと彼は言った。
確かに、そう言った。
けれど……。
「そして、もう一つ疑問です。人間の国、その皇族にどうして天使の物語が伝わっているのでしょうか?300年しか歴史のない人間の国にどうしてエルフの神職にしか伝わっていない『最初の方』の言葉が伝わっているのでしょうか?……それもまた、ミケーネ何某の仕業なのでしょうか?それとも1200年前から連綿と皇族の家系に伝わっていたのでしょうか?」
300年前と150年以上前。そして1200年前。
いつだか考えた馬鹿な発想が再び浮かんできた。
この世界で起こり得ない事などないと語ったドラゴンがいた。そのドラゴンは、ドラゴンの神様が手ずから作ったのは母だとも言った。なれば、その子の父親はいったい『いつ』その娘を託されたのだろう?ドラゴンの神様が人の神様を壊そうとしてドラゴンを送りはじめたのは『いつ』なのだろう。それが出来なかったのは『いつ』の頃の話なのだろうか?そして人間の神様はその人に『いつ』殺されたのだろうか?1200年前を舞台にしたであろうオケアーノスに書かれた胎動する大陸は『いつ』止まったのだろう?
あの社は『いつ』朽ち果てたのだろうか?
あの社は『いつ』神様に見捨てられたのだろうか?
「あの人は……いつから」
それは確か最近の事だ。
それが分かれば、全てが分かる、そんな馬鹿な考えを抱いた事を……思い出した。