第4話 白と黒のコンチェルト
4.
連れてこられたのはリヒテンシュタインの屋敷。
学園に来ていたリヒテンシュタインの馬車に先輩と二人で乗り込み、無駄話と考察と討論を繰り返し、揺られゆられて今に至る。
屋敷にたどり着き、館内を先輩と連れ立って歩けば見た事のない奴隷達の姿。摺れ違うたびに奴隷達がこちらに目配せし、先輩に気付くと姿勢を正し、頭を下げていた。ん、とそれに視線だけで挨拶する先輩は何というか大物である。現状、唯一のリヒテンシュタインの名を持つ者。序列一位、というか序列というもの自体がもはや機能していない気もするが……。加えて四の五の言いながらも面倒見の良い先輩である。懐く人も多かろう。
一方、私へ向けられる視線といえば言わずもがなである。この視線は馴染み深いものだった。村でも、街でも、始終晒されている視線。
「大人気だなぁ、カルミー」
「嬉しくありません」
くすりと微笑む先輩だけが唯一の癒しだった。嫌な癒しもあったものだ。
幾人かの見せる視線。それは忌避の類だった。二つ名というものが付けられた所為で尚更なのだろうか……誰が付けたんだろうあの名前。傍迷惑な。
「で。あれですか。ディアナ様を紹介するとか言いたいんですかね、先輩は」
「お。察しが良いなカルミー」
「メイドマスターがいない以上、ディアナ様以外に知識をお持ちの方はいないように思いますので」
「そりゃそうだ」
馬車に乗った時点で気付くという話である。知識偏重の奴隷なんて先輩を除けば私ぐらいのものだし、メイドマスターが城にいる以上、ディアナ様以外にありえない。大穴は屋敷のメイドさんであったがそれは流石にないだろう。
「ディアナ様は戻ってこられているんですか?」
「城にいなかったし、帰ってきているだろうよ。あれも暇な人間じゃないからな」
「領主様ですしね」
「そうだな。領地の視察とかも仕事らしいぞ。カルミーも村で見た事あるんじゃないの?」
「……記憶にないですね」
無いと思う。あのような特徴的な泣き黒子があれば流石に記憶に残る。
「だと、思ったよ」
「……えーと?」
「領主様はお忍びがお好きってね。そういう物語ってのもあるでしょ?……さて。こっちの話が済むまでちょっとまってなさいね」
部屋の前へたどり着き、先輩が『おーいディアナー』と不遜な態度でディアナ様の部屋にノック一つなく扉を開けて入っていった。奴隷の態度じゃないが、先輩ぐらい稼いでいるとまた違うのだろうか……。いや、ほんとどれだけ稼いでるんだろう。運転資金の大概は先輩が一人で稼いでそうな気がする。気がするだけだが。
それから、一時間程が経過した。
二人ともきっといつものように平易な声で語っているのだろう、殆ど聞こえないものの、時折だが先輩とディアナ様の声が耳に入る。
一番耳に残ったのは『家畜を相手に事に励む皇帝が』どうのとかいうディアナ様の不穏な台詞だった。貴族の台詞とも思えない。
しかし、英雄色好むとはいえ流石に家畜相手はやり過ぎだ。そんな気が狂った皇帝、臣民の誰からも認められない存在ではなかろうか。少なくとも私はそんな人を皇帝とは認めたくないし、そんな人の下に居たくは無い。
時折そんな盗聴染みた事をしながら私がしている事といえば、本を読むことである。
扉を背凭れに、ひんやりとした地べたを椅子にしながら一頁、一頁、本を読み進める。オフィーリアさんが言うように文章の完成度は高くない。所々同じ意味を違う言葉で表していたり一貫性もなく、ただただ原著の内容を思い出しながら書いている感じが伺えた。ただ、それでも筋は分かる。
曰く。大陸には果てがある。
その果てを目指して旅立つ話。聞いていたあらすじそのままだった。難所を越え、洞穴に潜り、一攫千金を目指したり、普通に普通の旅日誌のようだった。その割に食事に関する記述が余りなかった事が少し不思議だった。遠く離れた場所の不思議な食べ物の話とか興味があったのだが、冒険譚であればそういう情報はいらないか。
閑話休題。
「……原著じゃないから分からないけど」
見て来たようだった。もっともこの写本ではそういう風に書こうとして失敗している。ただ、それを書こうと努力しているのは分かる。だが、これは単なる冒険譚なのだろうか。否、創作なのだろうか?作家の想像だけでこれが描けるというのだろうか。
分からない。
だが……
『ここ数年、世界が動く事が多い。大地の胎動は世界を壊していく。それはあの場所を、私が行った、通った想い出の場所を壊すものでもある。過去を壊し、未来を壊し、この世界の行く末は崩壊しかないのだろうか。それがこの世界の運命なのだろうか。それもまた神の導きなのだろうか。願わくば神の導く先が変わる事を』
この記述は、実際に体験せずに書ける文章なのだろうか。今と変わらぬように神の嘆きが世界を割っていたというのならば分かる。だが、そうでないのならば……書けるのだろうか。
「見て来たかはおいといても、少なくとも世界が揺れていたのは間違いないのかなぁ……リオンさんがそれを止めたとか?」
この本の原著が産まれたのは相当に昔だ。長寿だと言われているエルフなら分からないでもないが流石に若作りが過ぎるとはいえリオンさんは人間なのだから、そんな昔には流石に産まれてなかろう。
「……この本が書かれた当時から大陸が自殺してたって話だとするなら……その時は誰が自殺を止めたのだろう?……というかそんなに頻繁に起こっているならそれこそ、記録に残っててもおかしくないと思うのだけれど」
残っていないのは何故だろうか。
頻度は高くない?であればこの物語が書かれた当時はどうやって止めた?
それともやはり……リオンさんが昔々から生きていてその都度その都度止めていると考えた方が良いのだろうか?そう考えれば、後はリオンさんが長生きしている理由さえつかめば話は通るのだから……そんな事を考えている時だった。
「そこのお前、ちょっとこっちに来なさい」
誰かの声がした。
声主を探せば、先ほどすれ違った奴隷の一人……否、三人。
苦笑する。
本を閉じ、立ちあがる。扉の取っ手に挟むよう置く。これで本は無事だろう。
全く。
分かりやす過ぎて…………馬鹿馬鹿しい。
―――
「ちょっと調子に乗り過ぎなんじゃないの、あんた?」
「そうよ。あの方に目をかけられているからって言い気になるんじゃないわよ」
下らない言葉を下らない人間から出てくるのを止めるにはどうすれば良いのだろうか。それこそ口を塞げば良いのだろうか。
「なんとか言いなさいよっ!」
軽い音が部屋に響く。
連れてこられたのはどこだろうか。どこかの部屋の一室だった。彼女らが屋敷に居る時に使う場所かもしれない。そこに私、そして三人の女奴隷が対面していた。
「私に近づくと不幸になるらしいですよ?」
次の瞬間、再び軽い音が部屋に響く。
力は無いのだなこの人達、と頬から伝わる熱を他人事のように理解しながら呆と時を過ごす。
「生意気なのよっ」
再度、痛みが走る。だが、こんなもの……怖くもなければ、痛くもない。
例え、そう、奴隷達がナイフを持って私に正対しようと。
懐から取り出したのはそこらに売っているナイフだった。そして一人がナイフを手にすればそれに倣うように他の二人もナイフを手に持った。そんなモノまで持ち出さなければ私の前に立てないのだろうか。こんな力もない華奢な体躯の人間相手でも武装し、多数でなければ優位性を示す事も出来ないのだろうか。そして、そこまでしてでも私を傷つけなければ自尊心を満すことができないのだろうか。……そんな事でもしないと自分を保つことすらできないのだろうか。
「ほら、泣いて謝んなさいよ。生意気でごめんなさいってね」
ナイフをチラつかせ、言う。
その持ち方がまた私よりもさらに素人くさくて辟易する。なるほど先輩から見れば私が刀を持っている姿はこんな風に見えるのだろう。そして、この人達の目的が少し分かった。
「でも、そうね。私達の代わりにあの薄暗い洞穴に稼いでくれたら許してやるわよ」
……結局、死への恐怖に怯え、自分達の代わりを求めているだけだ。
近づく制限時間と稼げない自分。その行きつく先への恐怖。そして自殺洞穴への恐れ。処分されないためにどうすれば良いか。その考えた末が、これなのだろう。
だが、無意味だ。
ディアナ様が求めるものはそういったものではない。上辺だけの取り繕いとした所で、何の意味もない。それを見抜けないディアナ様ではない。馬鹿にしているのだろうかこの人達は。いや……それが分からないからこそか。
「お断りします。そんな時間も猶予もありませんし……手伝う謂れもありません」
瞬間、ナイフで腕を、服を切られた。
痛みはあるが、大したものではない。しいていえば、服を修繕するのが面倒だなという程度だ。
そんな痛みでどうにかなる程、洞穴で死にかけてはいない。
ここには光もある。自由もある。だったら、どうとでもなる。
「皆様、あまり洞穴に行かれていないのですかね?」
その台詞に三人の表情が歪む。
その姿に所詮、人間の怒りなど大したものじゃないのだという事を知った。一瞬で死ぬわけじゃないのだから。有無を言わせぬ事もないのだから。
だから、次に襲いかかって来たナイフを素手で掴んだ。
皮膚が切れ痛みに僅か眉を歪める。覚悟していたとはいえ、こればかりは流石に痛い。程度の悪いナイフなのが尚更に痛みを増しているのが癪だった。いや、良いナイフだったら指が危ないか。やっぱり、私は運が良いのだろう。
「あ、なんた何……」
ナイフを掴まれた女がたじろいだ。
思考する生物を相手にする事ほど怖いものは無いと思うが、それすらも想像にないのだろうか。否、だからこそ。
「こんな事ぐらいで騒がないで下さいよ、先輩方」
手の平から流れる血がぽた、ぽたと足元に落ちていく。それを見て、笑う。
なんでこんな事をしているのだろう?と。自分でもひどく馬鹿馬鹿しい事を行っているのは良く分かる。だが、いくら彼女らの力が弱くても多勢に無勢である。力で敵うわけもなし。この場をどうすれば逃れられるかを考えた結果なのだが、酷く馬鹿馬鹿しいと思う。だから、つい笑ってしまう。
けれど、その笑みは見る者によっては気味の悪いものに見えた事だろう。自ら傷付き、血を垂れ流しながら笑う。狂気の沙汰だろう。私だったらそんな奴正直見たくない。
「ひっ……」
「三人でがんばれば大丈夫でしょう。裸で洞穴に入って獣相手に腰でも振ってくれば宝石の一つや二つぐらい貰えるんじゃないですか?それで孕んだら一攫千金物の栄誉かもしれませんよ?それか、自殺志願者相手に春を売るのもありじゃないですか?危険な場所での交わりは興奮するって聞きますしね。普通に売るよりも高く買ってくれそうじゃないですかね?洞穴の壁に手をついて腰ふって獣みたいにあんあん鳴いてりゃそれで稼げるんですから楽なもんでしょ?それぐらいやればいいじゃないですか。死にたくないんでしょう?」
吐き捨てる。
力の抜けたナイフから手を離し、女の首に、顔に手の平を。私の血が、彼女の頬を赤く染める。そんな詩的な表現に何の意味もなく、その女は怯えた。そんな程度の覚悟で何がしたかったのだろう。まったく……馬鹿馬鹿しい。そして、それを見た一人が、ナイフを地に落とし、呆とする。そんな行動、洞穴内であればそれで死が訪れるというのに。
先輩は質が悪いと言っていたが、事実、質は悪そうだった。これでも最初の篩い分けは通っているだろうに……。
「あ、あんた……狂ってるよ」
「自殺志願者が狂ってないわけがないと思うんですけどね。自分から死にに行こうっていうんですから……まぁ、でもその中でもトチ狂っている方の人間らしいですよ、私。だから……近寄らないでください。もう二度と私には近寄らない方が……身の為ですよ」
「何なのよっ。私らが何したって言うのよっ!売られてきただけのにっ。勝手に売られただけなのにっ。それをっ。あんたばっかりっ。あんたばっかりがっ」
ナイフをまだ持っていたもう一人の、背の低い女が叫ぶ。だが、それも威勢だけで体が震えているのが良く分かる。
その感情は嫉妬なのだろうか。私のこの状況が羨ましいとそういうのだろうか。確かに、色んな人と知り合えた事は羨ましがられても仕方ないのかもしれない。
が、苦笑し、肩を竦める。
「私は貴女を知りません。ですから貴女にどういう事情があるかわかりませんけれど……でも、そうですね……私は運が良いらしいですよ?周囲の幸運を吸い取って自分だけ幸福になって、周りを不幸にする夜叉のような女らしいですよ。だから……だから、貴女の幸運さえも今、吸い取っているかもしれません。こんな所からさっさと立ち去った方が身のためだというのです。貴女に不幸が訪れる前に。私に運を吸い取られない内に……ねぇ?」
「この疫病神っ」
「そうですよ。だから言ってるじゃないですか。近寄らない方が良いって……発情した雌犬みたいにきゃんきゃん、きゃんきゃん騒がないでくださいよ。煩い人ですね」
言い様、女の顔から手を離す。
ぽたぽたと手の平を通り血液が流れていく。黒い服が赤黒く染まり、黒から少し離れていく。そんな自分の考えに、やっぱり先日のドラゴン師匠の台詞が効いているのだなと自覚し、再び苦笑する。
全く。時間を無駄に過ごした。
怯える3人を置いてその部屋を立ち去る。
止める言葉はない。
否……あった。
が、それは部屋を出た所。扉の向こう側に隠れていた一人の女から出た言葉だった。私よりも年下の少女。首輪と腕輪を見るに奴隷だった。右肩から腕の先まで包帯で巻かれており最近大怪我をしたのだろうというのが分かる。消毒の臭いがするのはその所為だろうか。けれど、その割に表情に、仕草にそれが出ていないのが不思議だった。まるで……
「あ、あの!」
思考を遮るように少女が甲高い、甘ったるい声を放つ。背筋に怖気が走るような甘ったるさだった。きっと男が好きな声なのだろう。純朴な、素朴な風体だったがその声だけは異質だった。
「……何でしょう?」
「傷の手当て、させてください」
「結構です。これぐらいどうってことありません。貴女も、私に構っていると……不幸になりますよ」
私の言葉に一瞬の消沈。けれど、それでも諦めないと笑顔を見せ、再び口を開けばやはやり甘い声が。
「あたしの所為なんです……だから、カルミナ様の手当てをさせてください」
その言葉は、少し引っかかった。
―――
「自分だけが幸せになって周りを不幸にしてしまう闇の国から来たお姫様という噂を聞いておりましたので、あたし、カルミナ様はもっと怖い方だと思っていました」
私の手に包帯を巻きながらセシリアと名乗った少女がそう言った。
朴訥とした少女だった。そばかすの残る幼い顔。けれど、一見して年下に見えたが私と年齢は大差ないらしい。酷く童顔な少女だった。そして喋る言葉はやはり甲高くも甘いものだった。だからこそ高く売られたのだろうか?聞いてもいないのに喋ってくれた結果、親に売られたらしいという事が分かった。私のように自分で自分を売る人はあまりいない。借金の方に借金先の人が売ったり、親が売ったりと第三者によるものが殆どだろう。ともあれ、彼女は篩い分けには運良く命からがらではあったが通り、晴れてリヒテンシュタインの奴隷になったとのことだ。
「怖いと聞いていたらなら近寄らなきゃいいじゃない」
「でも、あたしの責任ですから……」
「何故貴女の責任になるのか全く分からないのだけれど?」
「あたしがヘマをした所為で皆の状況が悪くなったのです……あの人達、本当は悪い人じゃないんです。あんな事ができるような人達じゃないんです」
同時期に奴隷となった四人で学園を一緒に卒業できたものの、しかし自殺洞穴では芳しくなく最近、この子が怪我をした結果、暫く三人での探索が続いたようだった。けれど、四人でも駄目だったものが三人になって巧く行くわけもなく、ただただ期限は迫るばかり。噂に聞いた運の良い奴隷、周囲を全て不幸にするがけれど幸運も確かに授かるのだ。だったら、それに頼れば……もしかすると私達は助かるかもしれない、なんて……そんな馬鹿な事を考えるに至ったらしい。
「揃いも揃って馬鹿ですか?」
「……ごめんなさい」
「いえ、貴女に謝って貰っても何の意味もないと言いますか。そもそも噂を信じるなら不幸になるのも分かっているでしょうに」
「ですが……あの白い御方だけは不幸になっておりませんので」
言われ、今頃ディアナ様との話が終わり、カルミーどこにいんだよてめぇという表情で扉の当たりをうろうろしている先輩を想像した。
苦笑する。
私と出会って以後、先輩もドラゴンの呪いに犯されている。それを不幸というのならば不幸なのだろう。だがそれを除けば先輩は身体的にも立場的にも無事なままだ。ドラゴンに会いさえしなければ何の意味もない呪い。加えてガラテアさんの前に立った時の先輩を思えばドラゴンを目の当たりにしてもあの人の精神力ならば耐えられるかもしれないからこれは不幸にもならないのかもしれない。私も同じく受けている以上、尚更それは不幸ではないのかもしれない。
だが……そう。そう言われると、そうだとも言えるか。
今後、何が起こるかは分からない。やはり、頼り過ぎだったのだろう。甘えていたのだろう。
だったら……頼って良いと言ってくれたけれど……。
離れれば良いだけだ。
「ありがとう。じゃあ、私は行くよ。もう誰にも近づかないようにするから安心して」
「あっ!いえ、その……」
「教えてくれたのは感謝するけれどね……でも、嘘を吐くのは止めて下さい」
正対し、セシリアの目を見る。普通の人の、普通の瞳だ。何の変哲もない奴隷の瞳。曇りがかった期待も何もない瞳。夢を見る事を諦めた人の瞳だった。
「嘘……ですか?私嘘なんて……」
「私が言うのもなんですけどね。余りにも慣れてないあの人達がまともに洞穴に行っていたとは思えないのですよね。それとその大げさな包帯。痛みが少しもないようには思えないのですが、全く表情が歪みません。痛みによる違和感は体に、仕草に表れます」
そんな私の指摘に、セシリアが笑う。それこそ嘘を吐く必要もないとばかりにあっけらかんと。
「なんだ。ばれてたんだ……お人よしだってのも聞いてたから騙せるかと思ったけど、残念。こんな早くにばれるなんて思ってもなかったわ。悪い事はできないわね」
悪びれもせずに語る少女。それも処世故なのだろう。
くすりと諦めに似た笑みを浮かべるセシリアを、私は怒る気もなければ、咎める気もなかった。ただ騙されてやれるほど私は寛容でも優しくもない。寧ろ、これ以上時間を無駄に過ごしたくないという思いの方が強い。
「精神操作の類は効かないそうですよ。じゃあ、まじめに自殺しにいってくださいね」
「そうするわ、黒夜叉姫様。さようなら。もう生きて会う事もないかもしれないけれどね」
そんな呪いの言葉と共に部屋を出る。
後に残ったのはセシリアの狂ったような哄笑だった。彼女達四人にとって私が最後の藁だったのかもしれない。けれど、私は、それを立ち切った。私は彼女たちの為に命を掛ける気はないから。
だから……結果、私は不幸を産み出したのだろうか?
そんな馬鹿な事を考えてしまった。
かつ、かつと音を鳴らしながら静かな通路を一人歩く。広い屋敷だった。誰も彼もが姿を消したかのように静まり返った通路を一人行く。
窓から差し込む光の暖かさが、優しくて今この瞬間だけは嫌になってくる。……こんな静かな所に一人でいるのは嫌だ。余計な事ばかり考えてしまうから。
先輩を、あの白い人を赤黒く染めてしまうかも、なんてそんな事ばかり考えてしまうから。
この掌に巻かれた包帯のように。
「……それは、やだなぁ」
図書館で繋いだ先輩の小さな白い手の暖かさが、遠い日の事のように懐かしく思えた。
―――
ディアナ様の部屋の前まで戻ってみれば、先輩が壁に背をもたれて本を読んでいた。絵に成る人だった。
「カルミー。遅いよ」
「先輩の方が遅かったんじゃないですかね?」
責めるように伝えれば、先輩が肩を竦める。
「悪かったよ。議論白熱って奴さ。御蔭で気になっていた事は概ね解決したけどね」
その割に顔色は晴れず、どちらかといえば悩みが増えたような感じだった。でも、それで困っている様子には見えなかった。そんな矛盾した表情の先輩が、巻いた包帯に気付き、苦虫を潰す。
「大人気なのは分かっていたけど……ここでもか。馬鹿共がすまんね」
「先輩が謝る必要はないですよ。私が巻き込まれただけです。で、また運良く助かっただけですよ」
「なんだよ、カルミー。何か言われたのか?」
何か反応を間違えただろうか。私を見て先輩が小首を傾げていた。そんな可愛らしい仕草なのにその眼光だけは鋭かった。その力強い瞳は、見通せない物など何もないとそんな視線だった。
だから、嘘を吐くのも隠すのも止めて、ため息一つ。口にする。
「えぇ。先輩は私に出会ってからまだ不幸になっていないとか」
「はんっ」
瞬間、呆れた顔をされた。それは私に対してではなく、それを言った者に対してだったのだろうか。馬鹿馬鹿しいと吐き捨て、先輩の視線が、私を射竦める。闇の中でも見通すその瞳で。
「カルミー。何か物凄く馬鹿な事考えてるよな?」
「私が馬鹿なのは今に始まった事でもないですし、別に、何も考えてないですよ」
「あのさぁ……そんな表情で言われてもなぁ。はぁ。泣いている子を虐める趣味は無いって前に言わなかったかしら?」
先輩から見て私はどんな風に見えているのだろうか。それが少し、気になった。一体全体、どんな表情だというのだろうか。私は無表情のつもりなのだけれど……先輩からみたら、そうでもないのだろうか。
「まったくね。柄じゃないけれど、言ってあげるわよ。泣いている後輩を慰めるのも先輩の仕事だものね」
本を閉じ、それを床へと投げる。ぱさり、と本の立てた音がとても大きく耳に響いた。瞬間、先輩が私に少し近づいていた。視線誘導と言う技術だっただろうか。少し私に近づいた先輩は、そこからの先輩はとても白く、奇麗でいつにもまして真剣で優しげな表情だった。
「私はお前にオブシディアンが似合うと言った。それは今も変わらないよ。安心しろよ、カルミー。私は、不幸になんてならない。だからさ、いつもみたいに笑っていろよ」
「父みたいな事言わないでくださいよ。笑っていれば神様も笑ってくれるなんて、そんな馬鹿な事あるわけないじゃないですか。神様だって泣いている世界なんですよ。結果、皆が皆不幸になっている。私はそういうのを振りまく存在なんです。だから……先輩も近寄らないで下さい」
そんな先輩と相対したからだろうか。感情が抑えつけられない。先輩と相対するといつもこうだ。最初にあった時だって私は感情に振り回されていたのだ。ドラゴンの瞳の剣を思い泣いた時も、洞穴で助けて貰った時だって感情を持て余していた。そんなのばっかりだ。
「はんっ。お前は神様でもなんでもないんだ。そんな事できるわけもないんだよ。自意識過剰だよ。ちょっと二つ名を付けられたからってはしゃぎ過ぎだよこの馬鹿。馬鹿は馬鹿らしく阿呆みたいに笑ってりゃいんだよ」
「だからといってもっ!笑っていても、私が笑っていたとしてもっ!両親は地震が原因で死にました。治療の甲斐なくただただ苦しんで死んで行きました。村は私の所為で廃村になるでしょう皆が私を恨んでいるに違いありません。こっちに来て出会ったエリザは体を壊した。心も壊した。戻ったけれどでもまた天使に追われる運命になった。テレサ様の父親が死んだのは私がプチドラゴンと出会ってしまったから、世界が悪意に満ち溢れている事を知ったのも私の所為です。アルピナ様とリオンさんを出会わせてしまったのは私です。結果、アルピナ様は泣いてしまいました。学園長も泣いていました。リオンさんは牢獄に一人捕まったまま。ゲルトルード様も天使に襲われる運命となり、仲の良い妹と衝突を避けられなくなる。……皆の想い出の場所だって壊れた。森もあの川も。何もかもが壊れて、何もかもが……私に優しくしてくれた人達は、私の想い出の場所は私の前から居なくなるんですよ。これから先もずっと、ずっと無くなっていくんです……だったら、離れた方が良い。先輩まで壊れる前に……私は一人にならないとだめなんです」
吐き出した。全て。全て吐き出した。何故、私が望むものは手に入らないのだ。何もかもがすり抜けていく。私を通って皆が不幸になってすり抜けていく。そんなのが何度も何度も続けば私だって……私でも悲しいと思う時があるのだ。私だって奴隷以前に……人間なのだから。
「カルミーはそれでも、皆で一緒に居たいという夢を願うんだよな」
「そんなの当たり前でしょうっ!私がっ……いつ、皆の事が嫌いだなんて言いました。そんな当たり前の日常を夢見る事の何が悪いんですか……奴隷は夢をみるものだって教えてくれたのは先輩……ですよ」
「そうだよ。悪くないよ。そして、だからこそだよ。カルミー。黒い太陽の輝きであっても、それは私にとっては希望の光だよ。例えその輝きが不幸を蔓延させて世界が夜の闇に染まったとしてもさ、私には何の関係もなく見通せるさ。だから、あんまりそんな寂しい事言うなよ」
「……先輩?」
「私にだってさ、守りたい風景ってのはあるんだよ。その中にはさ、カルミーも入ってるんだよ」
頬を紅色に染めながら恥ずかしそうに、けれど視線を逸らす事もなく先輩は私を、否。私は先輩に見つめられていた。
まるで逃げるなと言われているようだった。全てを自分の所為にして楽になって自分の殻に閉じこもっているんじゃないと、そう言われているようだった。けれど、それは傷つける事だ。皆を傷つけてしまう事なのだ。
「……その風景ごと私は不幸にしますよ」
「それでも良いのさ。それもまた風景の一つだよ。仮に、その風景に夜の帳が落ちてもさ、明けない夜はないんだからさ。まして私は白夜姫だぞ?私がいれば明けっぱなしだよ」
「ただの言葉遊びじゃないですか」
「はんっ。だったら何度でも言ってやるよ。お前の言う周囲を不幸にするってのもただの妄想だよ。カルミーが本当に求めているものが皆と一緒に居る事だっていうならさ、別にお前は幸せになっていないんだからね。自分だけ幸せになって周囲を不幸にするなんて……そんな事にはなってない。カルミーは気にしすぎなんだよ。ちょっと立て続けに不幸な事が起こっただけさ」
私は、怨む先が欲しかったのかもしれない。不幸が起きた原因が欲しかったのかもしれない。
「だから、カルミーはただ笑っていつも通り馬鹿やって変な物喰ってりゃいいんだよ」
「……それだと私ただの馬鹿じゃないですか」
「なんだよ、ただの馬鹿だろ?」
「……私を泣かせてそんなに楽しいんですか先輩」
「はんっ。阿呆な発想に取り付かれた子を正しい道に戻すのは先輩の仕事だろ。……でも、そうだな。それでも納得できないってんならさ。仮にだよ、カルミー」
「……なんですか」
「仮にたった一人に不幸の種が集約してるとしたらさ、神様だって見やすいんじゃねぇの?膨大な数の人間を一人一人見るのは神様だって難しいだろうよ。でもさ、たった一人に集ってるんだったら、そいつが代表して言えば聞いてくれるんじゃない?自分で作っといてこんな不幸を産み出させやがって、ってさ?だから、どうしてもそんな馬鹿な発想に取り付かれてどうしようもないってんならさ、やっぱ神様一発殴ってこいよカルミー。その時は私もついていってやるからさ」
私にはそちらの方が……良さそうだった。先輩にどう言われようとも今はまだ、取り付かれているから。私が先輩を不幸にしてしまうと言う疑念を抱いたままだから。
「ありがとうございます。先輩は優しいですね……泣けてきましたよ」
「はんっ。胸ぐらいなら貸してやるから、今のうちに泣きたいだけ泣いとけよ。ディアナなんか待たせときゃ良いんだからさ」
「胸といえば、そういえば鎖骨見せて貰う約束してましたね」
「何言ってんのこの馬鹿」
だって、そんな馬鹿な事でも言ってないと笑えないから。
この人に涙顔はあんまり見せたくない。また、慌てて慰めたりするんだから……。ほんと、私の周りには優しい人ばかりだ。
でも、その中でも先輩が一番優しいのかもしれない。




