第1話 蠱毒な少女
この物語は残酷さ70%+百合30%+優しさ10%で構成されております。
1.
人は経験によりその性格が決まる。
動物学者だかの言葉だ。経験だけではなく、その置かれた環境によってもその性質は多いに変わるとその学者は述べていた。そんな本を数年前に目を通した。酷く興味深かったのを覚えている。洞穴にも行かず何日もその本を読み返した記憶がある。それは、私を知る者達が聞けば面白おかしく嗤うだろう。けれど、他人が思うより私は読書家であると自負している。
本から得た情報を元に私は、自分を省みる。私には何もかもが足りない。だから、そんな事を良く行っている。
今日もそんな日だった。
照らす陽光に目が焼かれそうになる。人一倍日の光に弱い私にはそれは拷問のようにさえ思えるほどだった。世間では水遊びや川遊びが流行ったりしている季節だろう。アルピナ様が河川の工事を行ったため、川の流れは安定し、護衛さえいれば子供達も川遊びができるようになっていた。そんな季節。そんな季節に私はトラヴァント内にある図書館へと向かっていた。
情報は命に代えられぬ価値があるというのにここを利用する自殺志願者はそれ程いない。経験に勝る者は無いとそう口にして死んでいった者も多い。が、けれどそれでも書物から得る情報など不要と軽く見られている。そんな自殺志願者達の不勉強さに辟易するのはいつものことだ。リヒテンシュタインの者達であってもそうなのだから度し難い。奴隷といえど、リヒテンシュタインの末席を担うならば文字くらい読めるようになれというものだ。再三、ディアナの馬鹿には言っているがそれが理解される事はない。性悪メイドに言った所で私の仕事ではありませんと返されるだけだ。
最近は特に質が落ちているのだから尚更今の内に学ばなければと思うのだが、ままならないものだ。
そんな事を考えていれば、体に染みついた経験が図書館への道を勝手に進みいつものように重厚な木製の扉を開いていた。
「こんにちは、常連さん。今日も例の場所ですか?」
「えぇ、そうね。鍵の方よろしくお願いしますわ」
眼鏡を掛けた如何にも読書家といった少女が声を掛けてくる。出会ってから数年、幾分かあの頃より背と体型が女らしくなってきているように思う。無遠慮な私のその視線も慣れたものとその少女は身を翻し、例の場所とやらへ案内してくれる。本当は案内などいらないのだが、決まり事なのだから仕方がない。
植物の根や動物の内臓、それらを元に作られた薬品に関する書籍。本来ならば医者を目指す者のみに開かれる本のある場所。もっとも禁書と言う程ではない。ただ、誰も彼もが自由に知って良い知識でないのは確かだ。中には毒となるものもあるのだから。
そう。毒。
今、私はそれについて調べている。
「それではまたいつもの時間に」
「えぇ」
声を交わし合い、明かりを付ける事もなく、司書は鍵を開け、用は済んだと立ち去る。もはや慣れたいつもの光景だった。
図書館の奥、陽の光一つ入らない部屋。時折換気はしているのだろうが、それでも香る湿気と本の匂いが鼻腔を擽る。すん、と鼻を鳴らし書架を一つ一つ眺めていく。
「……毒、毒」
病を治すためにはその病を作り出す毒を調べるのも良いだろう。そう思い、今は毒について調べている。もはや、単なる薬の事など諳んじられるほど、飽きるほど読んでいる。それこそ薬剤師にでもなれと言われれば今この瞬間からでも働ける自信もある。が、私にはそんな事をしている暇も時間も残されていない。
「……夢は見るものさ」
空しい呟きが部屋に響く。
奴隷如きが見る夢が叶うというのだろうか。けれど、見なければ夢は叶わない。見られなければ叶う事なぞありはしない。闇の中すら見通すこの目が、見られないものなど……ない。そう信じて今を生きている。
だが……間に合うのだろうか。
「……えらく古い本だなぁ」
その書物は周囲の本に比べてふたまわり程時代の違う装丁をしていた。図書館が出来るまでは陽光にさらされる場所にあったのだろうか。陽に焼け色褪せが酷い。加えて、所々に虫喰いがあるようだった。
「今日は……これだな」
何が当たりなのか分からない。何を求めれば良いのかも分からない。掴むための藁がどこにあるかなんて分からない。けれど、何度も何度も雲を掴んでいればいつか藁を掴む事もあるのではないか、そう思う。だから、気になったこれを見るのも悪くは無い。
部屋に設置されている椅子に座り、ゆっくりと破らないように開いていく。
『蟲毒』
目に入った単語がそれだった。
そして、読み進めていけば……ついつい嗤ってしまった。それは、これは……
「私じゃないか」
―――
最初の記憶は壁だった。
ただ、それを『壁』と呼ばれるものだと認識したのはそれから長い時間が経ってからの事だった。
壁に囲まれた空間。それが私の世界。それが私の全てだった。陽の光一つ無い世界、それが私の世界だった。
私にとっての世界とはそんなものだった。
だが、幸いにして私はそれを苦にしていたわけではない。それも当然のことだ。思考するための言葉を知らなかったのだから。模倣する相手もいなければ、言葉を知る機会もなかった。だから私はそれを苦にしていたわけではない。辛いと感じるのは幸福を知っているからだ。幸福を知らない私は不幸も知らなかった。ただ壁に囲まれただけの人生を、動物にも満たない存在として生きていた。それが物心、といって良いのだろうか、がついた時の私だった。
だから、必然。
私には名前がない。
そもそも名前とは他者から与えられるものであり、壁に囲まれ外との接触のない私に、与える者がいなかった私に、名前がないのは当然のことだった。良く、名前を聞かれて知らないと答えるのははぐらかしているわけでも、嘘を付いているわけでもなく、真実私が自分の名前を知らないからに過ぎないのだ。結果、私は不躾な人間だと思われているのが玉に疵ではあるが、知らないものは知らないのだから致し方なかろう。最近では、二つ名とやらで呼びかける者がいる。あんな恥ずかしい名前を良く言えるものだと思う。まぁ、記号付けは人間にとって大事な事なのは確かだ。
たとえば奴隷の子供だとしても識別のために名前を付けられる。それは数字の時もあろう。が、ともかく、この国では出自不明な者以外、基本的に名前は与えられるものだ。故に少なくとも私のような人間は珍しい。特に出自が明確な人間で名前のない者など私ぐらいだろう。
言葉も名前も、そして経験すらない私は人なのだろうか?時折そんな事を考える。私にとって言葉,そして常識とは私がある程度大きくなってから覚えた物であり、それは他人の真似ごとに過ぎない。だから、真似をする人が違えば口調が変わる。それを矯正する事は今のところ出来ていない。今の所はそれで不都合があるわけでもないので、修正する気があまりないのも、それを助長している。
閑話休題。
言葉もなく経験もなかったそれまでの私は、どうやって世界を認識していたというのだろうか?四方を壁に阻まれた暗い世界で、私はどう自分の生を認識していたというのだろう?もっとも、それを言葉で表すのは不可能だ。なぜなら、その時の私に言葉などという抽象的なものはなかったのだから。だが、言葉を知らない者がどうやって物事を判断できるだろうか。
その頃の私は、思い返してみれば動物以下の生活をしていたように思う。時折、牢―――壁で出来た世界を私はこう呼んでいる―――に餌が投げ込まれる日々。今となってはあれがパンだったのだと認識できるが、その時はそれに対して理解できる知識は無く、定期的に落ちてくる何か、という印象しかなかった。そして、しばらく時間が経過すればいつのまにか消えてなくなっている物という印象だった。それを食べた記憶は私にはない。それが食べる物だという事を理解する事も私にはできなかった。
例えば、何も知らぬ者に火を見せたからといって何が出来るわけでもない。偉い学者の考えによれば、『火』自らが情報を発しているため、その使い方は自然と理解できるらしいが、生憎と私の場合はそうではなかった。パン自らが情報を発し、私に食べるように問いかけていたのかもしれない。けれど、私はそれに応える事もなく、食べる事もなく、牢の中で過ごしていた。それは動物としての本能すらその時の私にはなかったのだと、そうも思う。
時間の感覚もなく、時間を過ごすという感覚もなく、時折意識を失い、意識を取り戻し、そんな生活とも言えぬ生活を過ごしていた。
そんな牢の中にどれだけいただろか。
それも分からない。だから、私は自分自身の年齢すらも把握していない。人間にとって、とても重要な物の多くを私は知らず、与えられずにいた。
人間は環境と経験によりその性格が決まるのならば、ならば閉鎖された環境を与え、経験をさせなければその人間はどうなるのか?
狂うだろうか?
死ぬだろうか?
幸いなことに私は狂いも、死にもしなかった。狂うための思考力も、死ぬための知識もなかったのだから。
きっと食事もしない私に対しても誰かが、意識失っている間に栄養補給ぐらいはしていたのだと思う。そうでもなければ流石に死んでいる。だから、こう言い変えよう。死なないように管理された閉鎖空間で経験をさせなかった人間はどうなるだろうか?いや、そもそもにしてそれは人と定義して良いのだろうか?姿形だけ似た何かなのではないだろうか?そして、そんな人間を何代も、何代も繰り返し続けていけばどうなるだろうか。
そんな実験の結果が私だった。
それもまた後になってから知った。幾人かのグループが作られ、それらのグループ同士で延々と配合を繰り返され、何代も何世代も介して出来あがったのが私。
その実験を始めようとした人は、こう考えたそうだ。
洞穴由来の化け物達は洞穴内を自由に動く事ができる。中には音や熱、目に見えない何かで他者を判断する者もいる。けれど、目を使っている物達も確かにいるのだ。火の光なく、暗い洞穴の中で目を使い、物を見ているのだ。それはなぜか。最初からそういう生物として産まれたからか?否、環境に合わせてそういう生物へと至ったのだ、そんな馬鹿な事を考えた。だったら、人間も同じでは?そんなもっと馬鹿な事を考えた。
結果。
光なくとも視界のある存在が産まれた。
自殺洞穴攻略のための最高の装備。
神の如き瞳を私は得たのだった。
それを得るためにこの世界が失ったものは幾千という人間かどうかも分からぬ者達の命だった。
―――
そんな私が初めて聞いた言葉というものは、
「ごめんなさい」
だった。
それは小さな、けれど良く通る音だったように思う。音というものは流石に閉鎖された場所であったとしても聞こえていた。それはそういうものなのだ、と漠然と思っていただけだけれども。
その手に持った松明の光に映る薄い金色の髪。
それが初めてみる人だった。
そういえば、その『色』だが、私はあまり色が良く分からない。何世代も闇の中で生きてきた所為で自分自身の色素もそうだが、色という物はあまり良く分かっていない。精々、白に近いか、黒に近いか。それが分かる程度だ。だから、その人は白に近い色をした人だったと、そう言おう。
見たことも聞いた事もない音と共に人間が私の視界に、産まれて初めて映った。それを私は……驚く事もなくただそんなものなのだと呆としていた、と後に聞いた。ただ、自然とその松明の光を避けようと顔を背けたとだけは聞いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私が、私達が」
延々と続く謝罪の言葉に意味は無い。受け取る側がそれを理解し得なければ何の意味もない。言葉というものは所詮、共通認識の下に成り立つものであり、それがなければ謝罪の言葉など意味をなさない戯言と変わらない。どんな想いがそこにあろうとも、私には、その言葉も、その想いも伝わりはしない。その事が、その時少し悲しかったのではないかとそう思う。
この白に近い人は、何を言っているのだろう?
この白に近い人は、何を思っているのだろう?
そんな風に思ったわけではない。けれど、産まれて初めて見た人間に私はきっと、興味を持ったのではないかと、今になってから思う。
その人の名前は、ゲルトルード=アレキサンドリア=トラヴァント。トラヴァント帝国第一皇女だった。
彼女が私をその世界から解放してくれた。
後にこの場所について教えてくれた人曰く、ここはとある領主の屋敷の地下室。事業に失敗し、人身売買で金を稼いでいるという噂があったために皇女自ら陣頭に立ち、調査に来た結果、私が発見された。
領主は後日、斬首刑に処されたそうだ。安易な殺し方だと思う。もう少し苦しめてから殺しても良かったのではないだろうか、なんて事を聞いた時に思った。
地下には私と似たような者達がいた。それらは軒並み死んでいたという話。それもそうだろう。事業に失敗し金のない人間が、何人いたか分からないがこんな生物を飼い続ける事なんてできやしない。人身売買というのもきっと巧くいかなかったのだろうと思う。私達は人ともいえない存在なのだから役に立つわけでもない。まともな体力すら持ち合わせていないのだから。で、あれば私達は全くの失敗作だったわけだ。実戦投入を行う事もなくただ無為に無意味に何代も何世代も孕ませ産ませ時を刻ませる。まったく良く続いた物だと、そう思う。
だからこそ、その中で生き残った私は、蟲毒の如く、だ。
生まれながらにして呪いの塊。
全く、優しくない世界だと、そう思う。