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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
第二章~パンが食べられなければ天使を口に突っ込めばいいじゃない~
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第10話 想い出の丘

10.



 陽の光を眩しそうに受ける皆の姿。

 軽装に眼帯を付けて、けれど自分の足で歩いているエリザの姿が心もとなく、けれどどこか楽しそうで、それを見て私もまた、少し楽しい気分になる。もう一度、この場所に帰ってきた。

 もう一度、皆で、前よりも少し多いけれど、来られた。その事が嬉しくて。だから、自然と笑みが浮かぶのは仕方のない事だった。先輩からは気持ち悪いから止めろと言われたけれど、自然と浮かぶものを止める事はできないのだ。

 アルピナ様までもが忙しい合間を縫って時間を作ってくれた。ゲルトルード様のためもあるけれど、リオンさんの依頼という事もあるけれど、きっとそれだけじゃないのだと思いたい。以前と同じように走り回るアルピナ様は年齢よりも少し幼く見えた。体は小さくとも身に背負う責任の重さにあまり年齢相応の表情を見せる事はないのだけれど、でも今この時だけは素の御自身の姿を、ただただ意味もなく楽しいという姿を見せていた。それがまた嬉しくて、私の気持ち悪い顔はさらに気持ち悪くなっていった。

 ここにはテレサ様も来られるようにならないのかな、そんな事を思う。それもまた、夢なのだろうか。皆で一緒に旅をする。相変わらず、そんな形のないものを私は欲しているようだった。

 苦笑する。

 でも、それも良いのかもしれない。夢は見るものなのだから。それはきっと悪夢なんかじゃない。とても綺麗で掛替えのない夢に違いのだから。

 風が吹く。

 さらさらと流れる風が気持ち良い。

 陽光に暖められた風は優しく、爽やかな草花の香りを運んでくる。もうすぐ雪解けの季節。冬も終わり、芽吹きの季節だ。だから、こんなにも爽やかな香りがするのだろう。雪の下で今か今かと芽吹きの時を待っていた植物達が顔を出し始めているに違いない。

 あの時探していた食事中植物もきっと元気にしているだろうか?タマゴドリも元気にメェメェ鳴いているだろうか。あの変な生命体も今となってはもはや懐かしい。

 けれど、残念ながら今回はあの変な生命体に会う必要ない。目的地が川辺である事は変わらないが、今回の目的は、川砂と川底に住まう蟲や生き物を採取することだった。採る種別に特に決められたものはなく、それこそ子供達に気分転換のために川で遊んできなさい、そんな気遣いなのではないかと勘違いしてしまう程に牧歌的だった。

 心が穏やかに、緩やかになっていく。つい先日死に瀕したというのに私ときたら現金なものだ。助かったらもはや過去の想い出。あの時は危なかったね、なんて笑えるぐらいに現金なものだ。穏やかになるのが止められない。心が落ち着いていくのが止められない。

 そんな逆方向の変な焦燥感を胸に小高い丘のような堤防へと向かう。


「カルミナ。重かったら持ちますよ?」


「大丈夫。リハビリ中の人は大人しくリハビリに励んでいて」


 皆を後ろから見ていたいから最後尾を歩いていた、わけではない。それがないとはいえないけれど。単に相変わらず包丁以外にまともな武器を持たない私に先輩が念のためと渡してきた刀、またしても錆びた、の所為で足取りが重いだけだった。

 全く何故先輩は私に刀を持たせたがるのだろう。とは思うものの、どこに行くにも準備を怠らない方が良いというのは先日の事で身に染みている。準備したとしても役に立たない事だってあるのだ。


「カルミーが自分の武器でも持ってくれりゃそんなもの渡さねぇよ」


「そうじゃぞ、カルミナ。お主も黒夜叉姫という二つ名に似合う武器を持つのじゃ。その刀は中々良いがのぅ……もう少し夜叉っぽいものが良いと思うのじゃ」


「それだと……薙刀とか合っていると思いません?」


 やいのやいのと姦しい。


「いやいや……夜叉っていうのがどんな生き物なのか知りませんけど、なんか包丁が一番似合っている気がします。魔法が使えると良いんですけどねー身軽なので」


「それなら、マジックマスターがおる内に教えてもらうのはどうじゃ?紹介ぐらいならするぞ?姉様のために依頼を受けてもらっておるのじゃし、それぐらいは支援せんと面目が立たんでな」


「いえ。そういうのはリオンさんの方が……」


「何。姉様のためというのは単なる言い訳じゃ。他にも色々あるしの。先行投資と思ってもらっても構わんぞ?」


「これ以上借金を増やさせないでください」


 そういえば残りの金額だが、リヒテンシュタイン家に戻ってもメイドマスターはおられなかったので、ディアナ様に直接お聞きしたらば、苦い顔をされた。苦い顔をされた挙句、一人一人の金額なんて当主である私が把握しているわけないじゃないのこの馬鹿と、要約するとそんな事を言われた。結果、メイドマスターが屋敷に戻るまで私が後どれだけ払う必要があるのかが謎のままだった。……先輩はお前の金額ならよゆーというが、私にとってはそんなに時間があるわけでもなしに、気になって仕方がない。


「面白い事をいうのぅ。カルミナならば余裕じゃろ。私からディアナに言う必要もなく、な。どんな意味であれ二つ名持ちを処分するのは難しかろ」


「いやいや、エリザの事は普通に処分しようとしていましたし、それはないのでは。所詮、奴隷は奴隷です。ディアナ様はその辺りきっちりしていると思います」


「相変わらず頭が固いのぅ。ま、それも眉つばじゃの。……ディアナは頭の良い奴じゃからの」


「エリザの事で私に枷を掛けたとでも?……どんな重要人物ですか私」


「さてな。今のこの場を作り出したのがお主なわけで重要人物といえば重要人物であろうな、と言っておこうか。……しかしそうだの。旧知のお主から見てディアナの態度はどう思う?」


 アルピナ様が先輩へと声を掛ける。声を掛けられた方は掛けられた方で何とも答えにくい、といった所だった。


「どうでしょうね。あの鶏……もとい、ディアナのことですからアルピナ様の名前を出されて怖くなって引いただけだと思います」


「カカッ!お主も大概言いおるのぅ。ま。本人がおらんところで言っても致し方なし。その件に関しては今度直接聞いてみるとしよう。もっとも、幸運な少女である所のカルミナであれば金の事など大丈夫じゃろ」


「他人事ですねっ!?」


「言うてもやはり他人事じゃしなぁ」


 面白そうに笑っていた。そんな他愛もない話が楽しくて仕方がない、と。


「カルミナ。大丈夫だよ。もう少し動けるようなれば私もお手伝いできますし」


「いや、それは……」


 折角、天使の痣などというものがなくなったのだから、奴隷でもなくなったのだから好きに生きれば良いのに……


「駄目です。私は絶対に手伝いますよ。といっても前にみたいな事はできないから戦闘は全くの役立たずだと思いますけど」


「この頑固者」


「貴方が私を想い出にさせてくれなかったのですから責任はしっかりとって下さい」


「……今度アホな事したら蹴り倒すからね」


「カルミナに私が蹴り倒せるものなら、どうぞ?」


 エリザが肩を竦めながら微笑む。

 アルピナ様が笑う。先輩が苦笑する。そして私もまた、笑っていた。折角仲良くなったのに、それでお別れなんてのはやっぱり寂しいと思っていたのだ。もう義務なんて無いんだから私に構う必要ないなんて、そんなのは張り子でしかなかった。


「今日は良い日ですね」


 呟く声には響き渡る。

 見渡す限りの青空は、とても綺麗で。嫌になるほど綺麗だった。嫌になるほど、とっても嫌になるほど……神様が泣いてしまうほどに嫌になるぐらい綺麗な空だった。

 堤防の頂上までにはもう少し、という所で地が響く。


「本当に最近……多いですねぇ」


「先日に続き、か。またカルミーが落下しかねないわね」


「なんじゃカルミナ。また落ちたのか?」


「そうなんですよ、アルピナ様。カルミナはほんと良く落ちるんですよね……」


 姦しい。

 私だって好きで落下しているわけではない。今回は幸いにして落ちる事はなかった。

 けれど、その揺れは収まらない。次第姦しかった皆の声も静まり、自然と皆が膝をつく。倒されないようにと。大地に手を付き、揺れが収まるのを待つ。

 けれど収まる事なく、さらに揺れは大きくなる。

 ……神の嘆きは大地を揺らし、大地を割っていく。

 あぁ、神様の悲しみが、想い出を、私達の過去の想い出の場所を、今からもっと楽しく過ごす予定だった未来の想い出の場所を壊していく。無慈悲に、悪辣に。世界を割り続ける。

 ……どうしてこうなるのだろう。

 ため息すら出ない。この世界が優しくないってことぐらい分かっていたはずなのに。神様だって嘆くような世界なのだから。でも、そんな風に分かっていても、それでも、瞳が潤いを持つのを止められない。感情なんて切り捨てろと別の私が言う。けれど……。けれど。悪夢へとなり下がる。皆でもう一度この場へ……それが見果てぬ夢へと塗り変わっていく。

 既に堤防にはいくつもの亀裂が入り、その隙間を縫って河川の水が流れていく。流れる水が堤防をさらに割り、河川の水が陸地へと流れていく。それに気付き、アルピナ様の顔が青く染まる。都市にまで至れば都市は大規模な被害を受ける。皇帝としてこの場で陽気にのんびりしていられる暇などない。

 けれど……


「どこから湧いた……割れたのか。洞穴と……繋がったのか?」


 呟く声は先輩のモノ。言われ、周囲を見渡せば先ほどまで欠片もいなかった生物の姿。コボルドだろうか。オークだろうか。リザードマンだろうか。書物だけでしか知らない洞穴由来のモンスターが辺りに、点々と現れていた。

 堤防が割れたのと時同じく、地面が割れ、地下に内包する巨大な洞穴が姿を現したに違いない。どうしてこの日なのだろうか。どうしてこのタイミングなのだろうか。それこそ、私がいたから皆に不幸を与えているとそう言わんばかりに。

 歯を食い縛り、声を掛ける。


「……アルピナ様、後ろへ」


 堤防の頂上付近から見下せば何匹もの化け物たち。まるで領土争いをしている最中に領土がいきなり広くなり争う理由がなくなったのだとでもいうかのように、争う事なく多種の生物が現れ、呆と群衆を成していた。


「……まずい」


 奴らをこの場から逃がすわけにはいかない。けれど……時を刻むごとに増えていくそれらを殺しつくせる程こちらに戦力があるわけじゃない。まともに戦えるのは正直言って先輩だけだ。アルピナ様は鞭をお持ちになっているが、使えるにしても控えた方が良いだろう。狙われるわけにはいかない。そしてエリザはといえば……怯えていた。


「あ……あれ?あんなのぐらい……あ……あれ?」


 自分でも訳が分からずに怯えていた。けれど、自明だろう。自分の頼るべき力を失ったただの少女がこの数を前にして冷静でいられるわけがなかったのだ。どれだけ強がろうと、どれだけ口で言おうとも彼女は、天使の痣を失った彼女は、力の弱い、心の弱いただのエルフでしかないのだから。


「エリザ。貴方も後ろに……ね」


 自分では動けない体に手を添え、後ろへと。周囲すべてが開いている以上あまり意味はないが、けれどそれでもまだ……ましだ。


「先輩?」


「なんだね後輩」


「久しぶりに、焼きますね」


「はんっ。いいんじゃねぇの?」


 蜘蛛女の糸を取り出し、自分たちの周囲に円を描くように置いていく。その間にも化物の数は増えていく。その数は皆の両手両足を足してもとっくに数え切れない。


「ワラワラワラワラと虫みたいに湧き出しやがって」


 刀に手を宛て、いつでもいついかなる方向から襲ってきても切り刻めるようにと先輩が待ちの姿勢を取る段になって……気付く。

 嫌になるぐらいの陽光。

 陽の光のある場所の方が見辛いと言った先輩の姿を思いだし、視線を向ければ先輩は肩を竦める。


「はん。こんなの絶望でもなんでもない」


「……ですよね。こんなのはまだまだ序の口です」


 お互いただの強がりにも程があった。


「お主ら……闘わずとも逃げられるならそれで良しじゃ」


 青い顔をしたままアルピナ様がそう告げる。確かにその通り。確かにその通りなのだがここは上座であちらは下座。


「分かっています。別に全部倒すつもりはないですし、倒せるとはちっとも思っていません。ですよねぇ、先輩?」


「そりゃそうだ」


 堤防は川に沿って出来ているのだから、横へ逃げていけばそれで良い。だが、その隙を作り、逃げ切れる場を作り出さなければ逃げるものも逃げられない。


「ま……でも。私と同じで……見えてねぇよ、あいつ等。だから、今なら殺したい放題だぜ?カルミー」


「そんな猟奇的趣味はありません」


 が、なるほど。そうか。洞穴内の生命体だったらその目は先輩と同じく洞穴内を見られるように出来ているか。だとすれば、常日頃から地上にあがってきている?というと怒られそうだが、先輩とは違い、生まれて初めての地上の光を彼らは見ているのだ。何代も何世代も見ていなかった陽の光を見ているのだ。だったら、何も見えない可能性の方が、高い。そういう事に気付く辺り、やはり先輩は凄い人だ。


「ま。私にはそういう趣味があるという事にしてやっぱり先に行くとしよう」


「ちょっと!?見えないなら逃げればいいじゃ!?」


「あん?見えなくても……気付かれてはいるんだよ、鼻が良い奴らがいるからね。二人を連れてゆっくり来なね」


 こちらは風上、あちらは風下。臭いが……届いている。言われ、遠目に見てみれば鼻を鳴らしてこちらを向いているモノ達がいるのが見える。なるほど。これでは悠々と逃げれば何があるか分からない。


「そのうち赤夜姫とか言われるようになりますよ!?」


「煩い」


 体力がある内に道を作らなければ確かにじり貧だ。だから、先輩の取る行動も分かる。ただ別に全部殺す必要はない。別種の存在が乱立しているのだ。小さな火種を入れれば燃え上がるのが必然だ。


「放火魔……」


 きっと、先輩が聞けばお前が言うなと言われそうだけれど。言わずにはいられなかった。まったく、ほんと……頼りがいがあり過ぎて、頼り過ぎてしまうのが先輩の駄目な所だと思う。


「だから、そんな頂にばっかりいさせる程私は優しくないんですって」


 折角周囲に巻いた糸を回収し、エリザの手を取り、空いた手を刀…ではなく使い慣れた包丁へと添える。そしてアルピナ様と連れだって歩く。その間、エリザが申し訳そうにしていたけれど、そんな事気にする必要なんて全くないのだ。怖いものは怖い。寂しいものは寂しい。それが人間なのだから。あぁ、エリザはエルフだけれども。しかし、人間と大して違いがないのになぜ差別されるのかが分からない。が、今はそんな事を考えている余裕は流石に無い。


「あーもう。早漏が過ぎますよ先輩……」


「……早漏?」


「…あ。すみません。聞かなかった事に」


 アルピナ様の不思議なそうな表情に謝罪し、先輩の方を見れば既に攻撃を仕掛けている。仕掛ける方向は側面から。それを起点に横に流していき正面を排除しようという腹積もりだろう。

 視界の端、コボルドの、オークの、リザードマンの首が飛んでいた。瞬間、風上にまでも血の臭いが香る。これで、私達の臭いがかき乱された。

 一種に付き数匹ずつ。まったく、計画的で、そして彼らが見えていないという事も事実である事を知る。仲間の悲鳴に引きつけられ、各々が自らの手に石器や中には金属で出来た武器を持ち見えないなりに周囲を攻撃し始める。


「阿鼻叫喚とはこの事ですね」


「じゃのぅ」


 自分の仲間を叩きのめし、勝鬨を上げる。よもや隣の仲間が叫びを挙げている理由が自分にあるとは思っていないだろう。見えない事の恐怖に怯えながら仲間を救うためにという本能に従い続ける彼らは誰も彼もが間違っていなくて。だから、この叫喚の図はとてもじゃないが見るに堪えない。けれど、それもまた私達の行動故に。

 ふいに感じる掌の圧力に、酷く弱ったエリザの握力に僅かな物悲しさを覚えながら、その手の平から伝わる震えに応えるように握りしめる。


「一匹ぐらいなら何とかなるかな……」


 逆の手で包丁の柄をしっかりと握る。完勝とは言い難いけれども、でも一応実績はある。だが、私が手を出す段階に至る時点でこちらの負けみたいなものだ。

 だから、先輩は一人掛け出したのだ。撹乱し、それが終わった頃にちょうど合流でき、二人を守りながら逃げていけるような、そんな段取りだったのだ。けれど、


「このまま切りぬけられたら……良かったなぁ」


 でも。残念ながらそんなに簡単には行かない。行くわけがない。この世界はそんなに優しく出来てなんかいないのだから。

 戻ってきた先輩は息を整えながら、阿鼻叫喚の図の更に奥……針葉樹の立つ森林を指さして……瞬間、まるで先輩が魔法を使ったかのように木々が倒れた。


「見えなくても、鼻が効かなくても大丈夫なのもいたよ。くそっ。陽気にやられて馬鹿になっちまったのか私」


 倒れた木々の合間から姿を現したのは、阿鼻叫喚の図に釣られる事なく、こちらを向いているのは図体のでかい一匹だけ。


「な……なんじゃあれは……」


「ドラゴンじゃないだけ……まし、ですねぇ。きっと」


「エリザベートが使えれば余裕なんだけどなぁ……」


「ごめんなさい……姉さん」


「責めてるわけじゃねぇよこの駄エルフ。いちいち反応するな」


「あぅ……」


 先輩の冷たい台詞にしゅん、と垂れるエルフ耳。


「それにあれは無い方が良いものだ。それは……きっと間違いない」


 いつも悪態ついているのに時折こうやって優しい言葉を掛けるから卑怯である。ほんとこの先輩、女誑しである。


「……?」


 二人の会話についていけず、加えてそんな悠長な会話している場合じゃないだろう!?という視線のアルピナ様がまたしても年相応に見えてちょっと可愛らしかった。いや、相応以下に見えて、か。


「さて。あれだけは打倒せねば行かないみたいですよ。アルピナ様」


「あれを……か」


 少し離れた場所に駆けていき、糸を撒く。図体を囲えるぐらいに大きな半円を描き、描いて再び皆の元へ戻る。


「使えない駄エルフはさておいて。放火魔はしっかりやってくれよ?」


「聞こえていたんですね、地獄耳ですね白夜姫様」


「あん?何の事だよ。黒夜叉姫様」


 悪態を吐き合いながら。立ち向かう。


「カカッ!ほんに……姉妹かと思うぐらいだのぅ」


 うへ、とどちらからともなく同じ表情をして、それがまたアルピナ様の琴線に触れたのだろう。こんな場でアルピナ様も笑う。


「神の悪戯か我らの想い出は崩れた。が、しかしじゃ。ちょうど良い。我ら四人の初めての想い出を作ってやろうではないか」


 言いざま、アルピナ様が指先に小さな炎を纏わせる。それはとてもとても小さな炎だった。眼前に聳える巨体には何の痛痒も与えないに違いない小さな炎。

 けれど、それを助けるものがあればそれで良い。小さくても、火種としては十二分だ。


「アルピナ様。合図を出したら……お願いしますね」


「カカッ。折角なのに譲ってもらって悪いのぅ」


 首を振り、私は私のやるべき事を成すために動く。

 まずはこちらに迫ってくる巨体を理解する。

 背丈は成人男性二人分ぐらいの高さだろうか。節くれだった腕は蟷螂のような刃で出来ていた。それを繋げる体は細長い猿のようだった。複数生えた脚は腕とは違い軟体。蛸のような柔らかさはいつぞやのあれを思い出す。食べられるのだろうか?なんて思考が湧いてきたのもその所為だ。そして頭は……潰れていた。否。一見して潰れているように見えるだけでどこにも怪我はない。それは、顔と呼べるかも分からないが、目は無く、鼻はなく、耳もなく、口だけの化物と言えばそんなものだろうか。

 そんな訳のわからないそこらの生物を適当に混ぜたような造形の化物は歩みを進める都度に両手を振り回し、足元で闘い合っている小さな化け物たちを切り刻んでいく。コボルド、オーク、リザードマンの群れはけれど闘う事を止めず、それを押し留める事もしない。できない。見えていないから。


「……さて。カルミー。あれの弱点について思った事を言ってみ?」


「あの生脚ですかね。あれで飛び跳ねられると困りますが、自身の体重で歪んで沈み込んでいる事を考えると、そんな事もないでしょう。でしたら必然、罠に掛けられます。それで焼き切れれば恩の字ですが……」


 喋っている間にもそれが近づいてくる。進む早さはかなり早い。多脚を巧みに使いその速度を出しているのだろう。走れば逃げられるだろうか?一瞬そう思うが、無理だろう。私達が動いてもいないのにその速度だ。逃げられるわけがない。

 しかし、一直線に私達に向かってくるそれは何で私たちを把握しているのだろうか。


「…音でしょうか?それとも……熱でしょうか?」


「だろうなぁ。あの口だけみりゃこの間の卑猥ワームと同じような類だろ。だったら、全身に感覚器がついている。熱か音かそれは分からんが、全身性感帯の淫乱畜生なのは間違いない」


「そんな情報どうでも良いです」


 気色悪い生命体から視線を逸らさず、アルピナ様へのタイミングを待つ。じわり、じわりとその時が近づき、近づいてきて……


「アルピナ様っ!」


「任せるのじゃ」


 指先から出た炎が糸に塗られた松脂を通して燃え上がっていく。地上に炎の壁を作り上げていく。半円を描き、糸を多重にする事で炎の壁の出来上がり。とはいえ、それも精々足元を焼く程度に過ぎない背の低い壁だが、地面に密着しているあの多脚には効くだろう。

 だろう。

 そう、だろう。だった。

 突然足元から湧いた火を浴びせられた化物は、その腕を振い魔法を放つ。大量の水をその腕から、アルピナ様のそれとは比べ物にならないぐらいの水が出現する。松脂を触媒とした火など一切合財無かった事にできるぐらいの大量の水が辺りに撒き散らされ、何事かと驚いたのだろうか。離れた場所にいたコボルド達が、オーク達が、リザードマン達もまた思い思いに魔法を使っていく。叫びを上げ、断末魔の声を上げ、魔法を使い、以前見たコボルドのように即座に息絶える者もいれば、何度も何度も魔法を放ち続け、結果死に絶える者もいる。早かれ遅かれ死に至る技法。命を燃やす所業には違いなかった。それが収まる事はない。一度堰を切ったのだ。全てが終わるまでそれが止まる事はない。だが、終わりは来るのだろうか。減る事はなく、化け物達は増える一方だ。動く事もせず、その場で死に絶えていく所為で逃げる道も……ない。

 死が広がっていく。焼かれた肉の臭いが、蒸発した水に混ざり大気を犯していく。風に乗り、それらが風下へと流れ、流れていく。


「……魔法」


「そう、これが人以外の魔法だ。……人、以外の、な」


「人……以外の」


 自らを殺す技法はまさに悪魔の法なのだろう。手を出せば死に至る絶望の理。だったら、……あんな凄い魔法を使っていたあの人は?なんだというのだろう。悪魔だとでも言うのだろうか。


「自殺行為とはいえ、数が減ったのは恩の字。だが、肝心のあれが死なないみたいだなぁ」


 停滞。

 魔法を使うためにその体を止め、未だ水を撒き散らしている。そんなに熱かったのだろうか?

 幸いにしてまだ多少離れた場所にいる私達に怪我はない。が、怪我がないからどうしたという話だった。化物は死なず、されど逃げる先は火と水が埋め尽くされているのだから。

 絵画のような、そんな幻想的にさえ思える光景だった。辺りは死体に埋め尽くされ、その上を進む化け物とそれに対峙する者達。ほぼ奴隷だというのが様にはならないが、皇帝がいるのだから大丈夫だろう。


「……」


 否。そんな事を考える余裕などありはしない。

 減らず口もでず、口を噤む。次の手を考える必要がある。次の手を、その次の手を。もはや猶予はない。いつ何時化物が動き出すとも限らないのだから。

 結論は決まっている。逃げる事、だ。それを成しえるのならば殺す事も構わない。

 たった一人で逃げようとしていたつい先日、それと比べて何と自由度が高い事か。けれど、こんなにも体の自由が効くのに逃げられない。こんなにも協力できる人達がいるのに逃げられない。

 一人の方が良かったか?いいいや。そんなわけがない。それを枷と呼ぶ人もいるかもしれない。けれど、望んで付けた枷だ。私が望んで付けた枷なのだから。


「……ははっ」


 皆の想い出になるつもりなどない。けれど、あの時と同じくこれしかない。この場で一番命の価値が低いのは私なのだから。奴隷の命なぞ、塵芥に過ぎない。たとえアルピナ様と一緒に居る事を許されたとしても、アルピナ様がそれ是としたとしてもそれは変わらない。


「前に出ます。先輩、よろしくお願いします。止めればやれるんですよね?今この場では、それが一番きっと……良いでしょうし」


「……お人よしの自殺志願者め」


「何を今更」


 だが、私を止める事もない。

 刀に糸を巻きつけ、アルピナ様へと視線を向ける。


「……頼んだ」


「承りました」


 信頼が嬉しい。そう思った。

 指先から伝わる熱源が糸に火を付ける。

 刃のついた松明。むしろ松明の方が扱いやすいのが難点だが……足を焼かれた程度で大慌てで魔法を使う化物にはちょうど良いだろう。

 そして、最後にエリザに視線を向ける。

 怯えた表情は消え去らない。けれど、先ほどよりはましになったのだろう。縋るような、悲しむような視線を向けてくる。


「想い出は壊され、またこうやってあの時みたいに私が前に立って……そんな嫌な想い出ばっかり思い出させているのかもしれないけれど……大丈夫」


 何の励ましにもならぬ。


「カルミナ……私が囮に」


「駄エルフは黙って大人しくしてて。エリザが前に出た所で挽き殺されて終わり。その血であれを燃やす事はできるかもしれないけれど……でも、きっとそれも意味がない。だから……任せてよ。あの時に比べれば私、少しは動けるようになったんだからさ」


 先輩を真似してつい駄エルフなんて言ってみた。


「それに、死にに行くわけじゃないよ」


 ねぇ、先輩?

 と視線を向ければ、肩を竦められる。


「そんなに肩竦めてたら着物ずれますよ?こんな屋外で鎖骨露出とか先輩まぢ変態」


「なんだよ、鎖骨って。そんなに私の鎖骨が見たいのか?変な趣味だなぁおい」


 真面目に返された。


「……後は、よろしくお願いしますね」


「はんっ。後輩が後を頼むなよ。ま、戻ってきたら鎖骨ぐらい見せてやるよ」


 笑い、再び肩を竦め、先輩が表情を硬くしていく。一切合財の感情を捨てただ切る、という概念にすら到達するほどに。腰を落とし、手を刀に添える。私が一瞬でも相手の隙を作り出したら切り刻んでやると、そんな気迫を感じる。

 それに応えるように、燃える刀を前に。泰然と進む。

 回り込む必要などない。

 回り込んだ所でその腕で切り刻まれるのだから。

 だったら正面から向かった方がこちらの視界が広い分ましというものだろう。

 そう。正面切って……進めば良い。

 眼前に聳えるそれは私が近づくにつれ、水の勢いが増した。だが、それ自体が動き廻る事はしない。それはそうだろう。そういう予測の下に私は動いたのだから。

 その生命体が私達を目指しているのならば、音か熱しかない。が、コボルド達の闘う音が辺りに響き渡っているのだ。その中で私達の事を探せるわけがない。そしてその闘っている部分は均等に熱が存在する。であれば、平原付近にぽつんと高い熱源に向かって動くのは道理だろう。故に、これは熱を感知して動くとそういう風に考えた。

 であれば、今のこの状況。あちらこちらに火が立ちあがっている今の状況はこれの存在にとって眩い光に当てられたようなものだ。

 罠はまともに機能しなかった。けれど、それの成した結果は大きかった。

 そして、今この時……これが動かないのはまさにその事が正しい事を示している。

 熱を消すために生態として水を吐き出す魔法を所持しているというのはこれもまた道理なのだろう。奇天烈な格好ではあるが、適していると言って良い。だから、熱が湧けば水を撒き散らす。今この時のように。

 私が近づく都度に水を撒き散らす。膨大な水ではあるが、しかし、指向性はなく、ばらばらに撒き散らしている。それは非効率的ではあったが、今の私にとってはとても都合が良い。それを避けられない程私も鈍間ではない。

 これが火を撒き散らすような魔法であれば、それこそ私達は焼かれて終わっていただろう。けれど、水ならば死にはしない。死にはしないのならば取れる行動はある。

 正面切って、それを避けながら、けれど腕の回転半径内には近づかず。そうしていれば焦れたのか相手が少し動く。

 それは機敏で。瞬間腕を振り回す。けれど、そんな事は予想済みだ。だから、後ろへ飛び退くように下がる。

 一進一退。

 それを繰り返す。何度となく。先輩が飛びこめるようになるまで何度となく。繰り返し、繰り返し。


「先輩が切り刻んだらその脚焼いて食べてあげる」


 先のアルピナ様の火で少し焼けたのだろう。漂う臭いが食欲を誘う。こんな状況にも関らず、だ。だが、それもこれの生態なのかもしれないとさえ思う。自らを囮に餌を引き寄せ、近づいてきたそれを食す。

 それは……まさに、今この瞬間ではないか。

 気付いた瞬間、刀を地面に突き立てて全力で走り抜ける。だが、その刀に化物は見向きもしない。

 当然だ。たとえどれだけ眩しくても、どれだけ見えづらくても少しでも見えているのならば、慣れる。慣れてくる。それが早いか遅いかはそれぞれだが、この生物は早かった。それだけだ。

 気付けば確かにその通りだ。いつしか刀の動きに注視するのではなく、私自身の動きに注視していたように思う。それはちょっとした差。振り回す腕の向かう先が刀を支点としなくなっていた。

 そうなる前に隙を作り出さなくてはならなかった。そうなる前に……。

 背後から息を呑む声がする。エリザだろうか。アルピナ様だろうか。もしかして先輩だろうか。

 じり貧である。

 幾度かは逃げられるとしても、私には先輩のような身体能力なんてない。あの頃のエリザのような身体能力などない。

 きっとあの頃のエリザであればこれの攻撃を剣で受けてそのまま押し留められたのだろう。そしてその間に先輩が切る。そんな連携が可能だったろう。例え陽光の下で先輩がまともに見えていなくてもそんな連携が可能だったのだろう。

 でも、そんなのは悪夢だ。あんなものはエリザには不要なのだ。いつか天使に攫われ死に至ると怯えながら生きる日々を暮らし、心の弱さを力で隠さなければ生きていけなかった弱い弱い少女にとってあんなものは、あんな力は不要なのだ。だから、それは悪夢だ。たとえ、この瞬間それが成ったとしても……悪夢以外の何物でもないだろう。

 それを無くす事でもエリザは体を壊し、心を殺した。殺された心が何故元に戻れたかは分からない。けれど、確かにあの頃エリザの心は死んでいた。そんなにも彼女を苦しめるそれの存在を今この瞬間……誰が求めるというのだ。

 声がする。

 それは叫び声だろうか。


「お主、何をするつもりじゃっ!?」


「この駄エルフっ!戻りなさいっ」


 恐怖に怯え震える体で、弱い心で、慣れない体を動かすエリザが視界に映る。


「わ、私はっ!」


 駆ける。慣れていない体でこけそうになりながら、接合部の作り出す痛みに顔を歪めながら、それでも走る。私を助けるため、ではない。私によって埋められた刀に向けてその身を駆ける。

 そんな事に意味はない。あの頃の力はもうないのだ。弱い少女が持って何の意味があるっ。


「エリザの馬鹿っ!そんな事したら同じじゃないっ」


 叫びながら攻撃を避ける。その所為で足元がおぼつかない。もはや、逃げ切れない。逃げ切れないならばと相手の体の内側に、いけない。あの多脚に巻き込まれて挽き殺されるだけだ。


「違うっ。あの時とはっ!私はっ……」


 何が違うというのだ。馬鹿な発想で私を守るために前に出て、怪我をして、私に心を壊されて……


「もう、死んでも良いなんて……思っていませんっ」


 その言葉は……嬉しかった。こんな時だけれど、こんな時だからこそ出た彼女の本音だった。嬉しかった。嬉しかった。最後に聞ける言葉がそれなら、笑えるかもしれない。

 だけれど、もう遅い。

 エリザがそれを手にした所で状況は変わらない。私が殺され、喰われている間にでも先輩がこれを殺してくれれば皆助かるだろう。だったら、それで良いのかもしれない。見守ってくれる人がいるのなら、この間よりはよっぽどましだ。それはきっと最善ではないけれど……。


「カルミナ。貴方を……私の想い出になんかさせませんっ」


 エリザの叫びに似た声が響く。こんな時に意趣返しだなんて全く。まったく……


「ありがとう」


 ふいに出た言葉は感謝の言葉で。


「いやですっ。まだ……まだ何も返してないっ。だからっ……」


 けれど、それに応える声は無く。

 エリザが願う。

 それを誰が望むのだろう?誰も、誰も彼も望みはしない。

 エリザだけがそれを……一番それを忌避していた人だけがそれを望む。


「天使よ」


 高らかに声が響く。

 震えない。恐れもない。


「エリザベートっ!この阿呆っ!」


 姉と慕う人の止める声すら聞かず。


「馬鹿っ!」


 私の声も聞こえず。

 胸元を、鎖骨を露わにし、痣のなくなったそこに手を当て、彼女は願う。死に至る現象を。いずれ天使に連れ去られる呪いに向かって願う。もう一度手を貸せと、もう一度自身を呪えと。


「お願い。私に……力を貸して」


 あぁ。どうしてこんな事になるのだろうか。どうして、この世界はこんなにも意地が悪いのだろう。死んでも良いと諦めた少女から呪いを奪い、死ななくて良くなった彼女の体を壊し、心を壊し、それでも生きていこうと願った少女に呪いなどを授けるのだろう。

 けれど、そんな呪いを受ける少女は笑っていた。


「ばか……な。天使の痣じゃと?」


 それは同時だった。

 アルピナ様の驚きの声と共に、エリザに祝福が訪れ、再びエリザに天使の痣が刻み込まれる。

 そして。

 こうなってしまえば、もはや負ける事などない。たとえその後に訪れるコボルド達がいたとしても、負ける事などありはしない。生粋の自殺志願者が、リヒテンシュタイン家序列一位、二位がいて、この二人がいてこんな塵芥に負ける理由は無い。

 故に、私達は、いいや、またしても私は運良く助かり、またしても、一つの不幸を生み出した。



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