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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
第二章~パンが食べられなければ天使を口に突っ込めばいいじゃない~
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第7話 カタコンベ

7.



 だが、体力が尽きるのが先だった。

 あれからどれだけ包丁を振り下ろしただろうか。体は凍え、手が悴む。幾度か意識を失いかけ、それに耐えるために包丁で自傷を行う。そんな緩やかな自殺行為を行いながら、どれほど時が流れただろうか。

 失った血液はどれほどだろうか。もはや致死量に達してもおかしくない。だが、漂う痛みは私がまだ生きている事を教えてくれていた。まだ、大丈夫だと。もはや死臭には慣れ、鳴りやまない咀嚼音ももう聞き飽きるほどだった。空腹になる腹を抑えるために削りとった骨を喰らい、冷水を口に入れる。寒さに震える歯音が鳴りやむ事はない。けれど、そんな意地汚さを見せながら私は、もはや惰性でしかない行動を繰り返す。

 腕を挙げ、振り下ろす。軽い音が立ち、それを聞き再度腕を振り上げ、振り下ろす。ただその繰り返し。もはや人形のようにただただ自分を妨げるものを排除するために行動していた。

 ただでさえ寒さと苦痛と空腹と疲れにやられているのだ。そんな単調作業が生み出す音は酷く眠気を誘う。

 だが、それは死出の誘いだ。永遠の眠りへの誘いだ。

 気を抜けば、無いはずの視界がぼんやりとしてくる。それに耐えながら延々と。河原で石を積み上げるが如く。延々と。延々と。いつか私の足を覆う骨が壊れるようにと……。だが、削り取られているのは、すり減っているのは私の希望であり夢だった。振り下ろすたびにすり減っていく。あと1回、もう1回と……期待を込めて振り下ろしていた頃がもはや懐かしい。


「……はは」


 苦笑する体力すら勿体ない。だが、自然と音が紡ぎだされる。

 こうやって誰にも看取られず私は逝くのか。

 これもまた、報いなのかもしれない。助けられる村を助けず、ただ己がために村を見捨てた私への報いなのかもしれない。他人のために自分を殺して生きていればこんな事にはならなかったのかもしれない。

 たとえ奴隷の身であれど、道具として扱われず、人と言葉を交わすことの楽しさを、人と触れ合う事の楽しさを覚えさせてからのこの結果はなんとも憎らしい。なんて憎らしい運命なのだろうか。テレサ様は運命に流れなさそうな名前なんて仰ってくれたが、私の人生は運命に流されているようにしか思えない。皮肉で悪辣な性質の悪い女神様が作った運命に。

 いや。まだだ。まだ死んだわけではない。死ぬわけではないのだ。それが運命だったなどと割り切るにはまだ早い。

 絶望はまだ、抱いていない。

 諦めずに抗えば見いだせるものもある。


「…………なんだかなぁ」


 呆れ声。

 折角これからエリザと2人でリハビリを行って、それでまともに動き廻れるようになったら2人して歩いて遊びに行こうと約束した。そんな時に、それをあざ笑うかのように私までもがそんな状態になる選択をしなければならなくなるのだから本当……世の中ままならない。


「……それで助かるなら私の足なんて安いもの」


 言葉にしたのはきっと弱い心を隠すために。

 その選択をきっとエリザは悲しむだろう。アルピナ様も悲しんでくれるかもしれない。先輩は馬鹿な奴だと言いながらも優しく見守ってくれるかもしれない。メイドマスターやディアナ様はどうだろうか?価値が下がったなんて悪態をつかれるだろうか。ジェラルドさんやアーデルハイトさんはエリザの事のように親身になってくれるかもしれない。テレサ様はきっと怒る気がする。……リオンさんや妖精さんはどう言ってくれるだろうか?穏やかに娘を見るように見守ってくれるかもしれない。


「はは……まったく、こんな私にほんと……ほんと、優しい人達」


 でも、それもまた緩やかな自殺だ。

 後どれだけ金を残しているかは分からないが、期限は迫るばかりなのだからきっとこの選択を選んだ所で、帰れた所で死に近づくのは間違いない。でも、それでも……今よりはまだ死からは遠い。

 今のままではまだ私は笑って死ねない。

 誰かの想い出になんてなってやるものか。


「……」


 削れもしない骨を削るよりも。まるでそこだけが金属質の骨で出来ているかのような、包丁が欠けていない事の方が不思議に思える程の硬さをもったそれを壊すぐらいならば……


「ドラゴンの骨とかだったのかな……まぁ、今更どっちでも良いんだけど」


 持って帰ったら高く売れたりするんだろうか?もしかしたらリオンさんは依頼そっちの気で喜ぶだろうか?出汁をとる事はできないだろうけれど、でもきっと何か別の料理にでも使ってくれるに違いない。なんて、そんな馬鹿なことを考えながら、視線を、見えない視線を足元へと向ける。

 その骨よりは……硬くない。それよりは簡単に切り落とせるさ。


「全く……エリザになんて言おう」


 震える唇を釣り上げ、笑う。

 死に瀕して笑う。さらに死へと近づくために笑う。

 笑って……歯を食いしばり、刃を足へと付きたてようとした。その時だった。

 がさり、と音が鳴る。

 瞬間、手を止め、音に集中する。

 慣れた咀嚼音以外の音が洞穴に響く。それはモノが空気を切る音。またぞろ骨を投げた音だろうか?と一瞬思ったが、違う。一番近い音は鳥たちが羽ばたく音。洞穴内を飛ぶ何かがいるのだろうか?そういえば前に先輩が、プチドラゴンが飛んでもおかしくないだとか言っていた。たとえば、きっとそんなもの。巨大な何かが羽ばたいている音。

 カチカチと鳴る音は歯を鳴らす音。それが羽ばたきと一緒に動いている。そして、咀嚼音が消えていた。

 嫌な想像しか湧いてこない。見えないからこそ、見えないから想像が私を苦しめる。巨大な羽の生えた生物には口がいくつもあり、それが死肉を喰らい咀嚼し続けていたのだと。これだけ騒ぎ立てても咀嚼音を出しているモノ達が近付いてこないのはきっと死肉にしか興味がないのだろう、なんてそんなのは甘い考えだったのだろうか。捕まえた獲物が逃げられず足掻いている間は良い、けれど逃げ出すのは許せないと、そう言わんばかりの行動だった。それは足掻く私を見て、嗤っていたのだ。どうせ逃げられないと。死に至るまでの時間を舞台か何かのように見て楽しんでいたのだ。知性を持つ、それも飛び切りに性悪な知性を持つモンスター。

 その羽の音が近づいてくる。それがまたゆっくりと近づいてくるのが嫌みったらしい。さっさと殺してしまえば良いものを。だが、脅し、怯えさせ慄いた姿を見たいのだ。きっと。

 絶対にこんなモンスターと意思疎通はできない。する気も毛頭ない。


「この嗜虐趣味!屍姦趣味の変態野郎っ!」


 だったら嗤っていてやる。絶対に恐怖になんか怯えてやらない。こんなモンスターを悦ばすために私は生きていたわけじゃない。最後の最後まで、その瞬間に至るまで抗ってみせる。


「はははっ!この鈍間。すぐに抜け出してやる。変態を悦ばす程、私は淫乱なんかじゃあないんだよっ」


 もはや一刻も猶予もない。さっさと足を切り落としてこの場から逃げてやる。きっとすぐに捕まるだろう。けれど、それでも諦めず笑いながら抗ってやる。その煩い羽に喰らいついてやる。絶対に……喰い殺してやる。

 誓う。

 見えない敵を見つめ、誓う。

 怯える心はもはやない。生きると誓い、笑った。それを自棄という者もいるだろう。だが、それでも私に諦める心はない。誰かの想い出になんてなる気はないのだから。穏やかな心で笑って死ねないなんて、きっと自分が許せないから。

 寒さに震えていた体が止まる。


「ばーか」


 一瞬の緊張の後、止めていた腕を再度振り上げ、全力で足へと下ろし……

 しゃらん。

 鈴の音のような音と共に金属音が辺りに鳴り響いた。

 瞬間、火花が散る。

 散り、散った火の華は、闇よりも尚深いこの世界に可憐な、白い少女の姿を映し出す。


「良く言った。カルミー。それでこそ、私の後輩だ。だからちょっと待ってろ。優しい先輩が助けてやるよ。お前の足をくれてやるには奴さんじゃあちと役者不足だ」


 久しぶりに会った、一瞬だけ見えた先輩の姿は……

 まさに華の如く。

 真っ赤だった。



‐‐‐




「あはははっ!そんなでかい図体で私を捕まえられると思ってんの?その大量についている口は飾り?喰らいついて来いよ。あぁ、何?私を捕まえてみなさーい?って趣向が好みなの?悪魔のくせに変態とか、あーやだやだ気持ち悪い」


 先輩の哄笑が洞穴に響く。

 暗闇の中、一切の光なく華が舞う。

 何の躊躇もなく走り、跳びはね、しゃらんと華麗な音と共に刀を抜き放つ。

 なぜここに先輩がいるか?なんて疑問に答えはない。なぜ先輩が暗闇の中を自由に動けるのかなんかさっぱり分からない。

 ただ……ただ、分かるのは……。


「死姦趣味の悪魔様は生身の女は相手できないってか?だったら、さっさと私に犯されろよ。うちの後輩がぴーぴー泣いてるんでね。私はそのお相手をしてやらないといけないんだよ。いやぁモテル女は辛いね。お前なんかにかまってる暇なんざ来世になってもねぇんだよ。悔しかったら可愛くなって生まれ変わってこいよ、この不細工」


 先輩の口は相変わらず汚いという事だけ。

 羽音が響く。カタカタと鳴る歯音からは苛立ちを感じる。捕まえられない獲物などいないのだという自負がそれに拍車をかけているかのように。自分自身は絶対だとそういわんばかりに。だが、その獲物はとびきりだった。ただの獲物なんかじゃあなかったのだ。


「つまんね。お前、全然つまなんないよ。水晶宮のでかぶつの方がまだ楽しめたよ。いきり立った一物ごとぶった切ってやったけどな!あはははっ。それに比べてお前は喰い過ぎ太り過ぎ。ただのデブに価値なんかねぇんだよ。作られたものばっかり食い散らかしてたまにはお前も作り出してみろよ。あぁ……作っているんだっけ?その胎の中で。だったらそれだけは貰っておいてやるよ。ほら、さっさと産み落としなね」


 先ほどから相手に向かって口にしている悪魔という言葉。そして作っているという言葉……。


「あはははっ!カルミー。このデブ奮発してくれるってさ。デブだから大量に蓄えてるっぽいんだけど、山分けでいいよな?」


「先輩の総取りで結構です!」


「あん?何そんな殊勝な発言してんだよ、売女にでもなったのかよカルミー。おとなしく……貰っておけよ。オブシディアンをさぁ。あはははっ。今すぐ悪魔様の子宮から引き摺り出してやるからさっ!」


 再びの哄笑。


「……オブシディアン?」


 悪魔の作りし宝石。人の死体が大量にある場所で悪魔たちが、実体をもたない幽霊のような輩が作り出す作られた宝石。希望と呪いの宝石。


「食い意地張った悪魔は倒すのは楽で仕方ない。普段は幽霊と同じで殺しにくいくせに、食事すると実体化するってんだからほんと、変な作りだよなぁおい。ほんと……神様に文句いっとけよそんな体に生み出した事をさ」


 それは本当に生命なのだろうか。先輩がいうように神様がワザとそんな設計をして生み出した存在に思えてくる。こんなものを作ってしまったから神様は泣くのだろうか?自分が全能ではなく悪魔なんかを生み出したから泣いたのだろうか。いや、違うか。人の神様は……悪魔を作ってはいないはずだ。

 そんな事を考えていれば、暗闇の中をしゃらんと鞘から抜かれる刀身の音。そしてずぷり、という肉を切り裂く音が幾度となく響く。その痛みに耐えかねたそれが、何度となく複数の口からそれぞれに悲鳴をまき散らす。その声がいやに耳に響く。憐れむ気などない。が、脳裏にその叫びが響き渡るそれは……どこか心苦しい。食べられた者達の怨嗟の声だとでもいわんばかりに。

 そんな音の中で悪魔とは対照的に先輩は嗤い続ける。死に塗れるこの場所で、地下墓地のようなこの場所で嗤い続けている。憐れみなど一切なく悪魔を切り刻みながら、まるで自分の家に帰ってきたとばかりに機嫌良く嗤っていた。一体、どんな表情で嗤っているのだろうか。それが、見えないのが残念だった。


「うわっ。きたねぇ!?変なもんぶちまけてんなよ……折角の着物をどうしてくれるんだよ。このっ」


 既に返り血で真っ赤だった気もしますけどね、という冗談めいた思考が生まれてくるのは安堵故に。だが、その安堵は油断である。

 ここは洞穴。汝、気を抜くことなかれ。


「あー、カルミー。……死ぬなよ?」


「そういう事は早くっ!?」


「何人のせいにしてんだよ。膜破ったからって調子に乗ってると刻むぞカルミー。ま。喰い殺せば良いさ。腹減ってんだろ?」


 あはははっ!という先輩の嗤い声と共に気付けば何かが私の周りに近づいていた。姿も形も見えないが、けれど……音だけは聞こえる。近づいてくる音。ぴちゃり、ぴちゃりと鳴る水音。相手は小型の何かだ。いつも捕まえている魚然とした何かだろうか。それとも……。


「まぁ……いいや」


 先輩は食べれば良いと言ったのだから食べられるものなのだろう。きっと。そう……お腹が空いているのだから仕方ない。えぇ。ほんと……お腹が空いているのだから……仕方ないよね。全部吐き出して骨の削り粉しか食べてなかったのだから致し方ない。

 えぇ。だから……この手に捕まえたぬるっとした生命体を丸齧りしたところで何も問題はないのだ。

 くちゃ。

 ぷちゅ。

 口腔を伝わるその感触が妙に生々しく耳朶に、脳裏に響く。ついで咀嚼すればさらにくちゅ、ぷちゅとした感触と共にきゅぴーという小さな悲鳴が伝わってくる。肉は軟体で、骨も柔らかい。味は……といえば美味しくはない。が、まずくもない。空腹時に選択を強いられれば食べるのは問題ないといった所だ。まぁ。味付け次第で美味しくもなりそうだった。

 ついでもう一匹、もう一匹と食べていれば、


「うわ……まぢで喰いやがったよ。あの馬鹿」


「ちょっと!?」


 

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