第6話 見えない世界
6.
死に至る病とは絶望である。
どこかの偉い人がそんなことを言った。
だったらこの洞穴は絶望そのものなのだろうか。絶望に引き寄せられ、魅入られ、そして死に至る。その具現がこの洞穴だというのならば、何とも因果なものだと、そう思う。
もしこれを作ったモノがいるとしたら大層、性格の歪んだモノなのだろう。そんなモノなんていないのだろうけれども……あぁ、いや、しかし。……本当にこんな変な洞穴が自然発生するのだろうか?誰の意思もなく作ることができるのだろうかと、そうも思う。
誰の力も借りずに自然に洞穴が形成され、そこに人よりも強い凶悪な生命体が無限の如く、それこそ夢幻の如く存在する場所が作られる可能性は如何ほどだろうか?誰が考えても無に等しいと思うだろう。であれば、こんなものを、こんな絶望が形をなしたものを作ったのは誰なのだろうか。皮肉屋な天使だろうか?そんなモノを思い浮かべる。
幽霊がいたのだから天使ぐらいいても、神様ぐらいいてもおかしくない。そう思えるぐらいの経験を先日したわけであるが、それを思えば……エリザについていた痣、あれの由来であるところの天使がいたとしてもこれもまたおかしくはないのだろう。そう、思えてくる。だったら……天使に見染められた者が連れ去られるという話もまた、事実だったのだろうか?私には、わからない。痣がなくなった以上、エリザにもわからないだろう。精々分かることといえば教会にあったあの偶像、あんな気味の悪い神様を模倣したそれに連れ去れた者の末路などどう考えても幸せには思えない。
閑話休題。
つまり、どうしてもこの洞穴が私には……自然発生したモノには思えないということだ。図書館で洞穴の歴史を調べたが、結局人間の作り出し書物が歴史なのだからそれより以前に発生していたこの洞穴の誕生について書かれているものなどなかった。図書館の司書さんに聞いても同じ事だった。当然だ。が、それにも関らず、以前メイドマスターから聞いたように、洞穴が全七階層であるという話だけはいくつかの文献で書かれていたのが不思議でならない。前人未到の洞穴なのに階層が分かっているということは……製作者がいることの証左なのではなかろうか?
「はは……」
自嘲気味な笑みが零れる。自分でもそんな考えは馬鹿馬鹿しいと思っている。洞穴がどうやってできたのか?誰が作ったのか?なんてそんな荒唐無稽な考えを証明するために調べ物をするなど冷静に考えれば無駄以外の何物でもない。が、魔法やら幽霊やら私の常識からはあり得ないものがこの世界には存在していたのだから、そんな風に考えて洞穴について調べることは悪いことではないだろう。知識不足に私にはちょうど良い調べ物でもあるわけで。
好奇心は猫をも殺すが、好奇心がなくても死ぬのが自殺志願の奴隷だ。だからといって、洞穴を行き来するだけの毎日などそれこそ心がすり減るというものだ。知識習得のついでの、ちょっとした楽しみみたいなものだ。どうせ満たさなくても死ぬのなら、少しくらい好奇心を満たしても良いだろう。
「そういえばあとどれぐらいなんだろう……」
偶発的依頼が多く、加えて金額が明確ではない依頼ばかりこなしている気がするわけで、結局今の私はあとどれだけ稼げば良いのだろう?という事を全然把握していない。さすがに自分で払った分は覚えてはいるのだけれども。
「帰れたら聞いてみよう」
口にした時のメイドマスターの呆れた表情が脳裏に浮かぶ。蔑んだ視線を向けられ、小言は言われるだろうなぁと思い呟く言葉に返る声はない。当然である。ここは洞穴。絶望の巣。
「ドラゴンゾンビの発見とか卵発見とか討伐とか……ん?発見は関係ないんだっけ?えーと、それと……オブシディアンの情報料とか……うーん?それと今のこれも……」
正直、言い値だからわからないし確認もしていない。が、安くはないのではないかと期待を、そんな巣の中で希望を想う。
件のオブシディアンの調査として再び例の死体のところに行って死体漁りをしてこいという厳命を下された結果、こうしていつものようにいつもの如く洞穴の中へと至り、そして水晶宮を超えて先の場所へと向かおうとして……当然の如く、当然のことながら、迷った。より正確にいえば迷ったわけではなく、ただ目的地にたどり着かないだけだ。私は私のいる場所を把握はしている。
「まぁ、あの時は落ちただけだし……」
だからといって再び落下してそこに至れるほど運が良いとも思えないし、そのために何度も落下するほど自虐の気は私にはない。
結果、無駄足である。運が良いと言われていても結局こんなものだ。
「…………いや、そうでもないかな」
メイドマスターとは別件でリオンさんからも依頼を追加で貰っている。
曰く、ゲルトルード様の元に連れて行かれた結果、病状を見て即座に『予想はしておりましたが……ふむ。これだと手持ちじゃ無理ですねぇ』という聞く人が聞けばそれこそ、出来るなら最初から名乗りだせよと怒られそうな台詞を宣った挙句の果てが私への依頼となったわけである。なお、その模様に関してはアルピナ様がお店に来て嬉しさと悩ましさの入り混じった表情で仰っておられた。
ほんとリオンさんは泰然としているというか誰が相手でも変わらないというか……。料理以外に興味がないというか。
どちらにせよ、私と彼の関係は単なる雇用関係なので何の問題もなし。私が依頼を行うことでアルピナ様や皇族の方やひいては帝国臣民の方が喜ぶならまったくもって何の問題もない。しかし……
「これも皇族関連……」
私のような輩にどうしてこんな依頼ばかりと嘆く暇があれば金を稼がないといけないのがこの身の上なわけで文句を垂れる暇など、ない。ちなみにリオンさん曰く、あの洞穴を一人で闊歩できる娘さんはこれまた墓参りらしく、そちらにお願いすることはできなかったらしい。折角、トラヴァントに帰ってきたのだからという事で毎日のように墓参りというのは心優しい娘さんである。私とはえらい違いだ。もっとも、義理の父親であるリオンさんに対して殺すわよとか言っていたけれども。いやはやしかし、彼女の本当の親御さんというのはどういう人だったのだろうか?下世話ではあるが気にはなる。恐怖すら覚える程の美貌を生み出した親の顔が見てみたい。それもまた、恐ろしい程に綺麗なのだろうか。
ともあれ、引き続きという事もありゲルトルード様用の物品に関しては私への依頼となった。さらにちなみに話を聞いていたアルピナ様が娘さんに会いたそうにしていたのは全くの余談である。どうやらまだリオンさんの事は諦めてはいないらしい。前の演説を思えば、外堀を埋めようとしているのだろうと思う所である。
そして、このリオンさんの依頼というのがまた厄介だった。
またしても3つの依頼品。
内1つは楽な部類。生きて戻れるならば、という前提ではあるものの今この瞬間でも、事のついでにでも手に入る。洞穴内を流れる水。岩盤を通過し轟々と音を立てて流れる水。それが一つ目。特に場所の指定はない。だからどこでも良いのだが、洞穴の奥であれば奥であるほど良いとは付け加えられていた。その理由といえば、奥であれば奥であるほどその水は洞穴に長く滞在しているからという単純明快なもの。洞穴内に留まる時間が長ければ長いほど、単なる雨水や地下水とは違ってくる。雨水が地を伝い、岩盤を通り洞穴内へ降り注ぐ。洞穴内で生きているモノ、死んでいるモノ、生きていないモノ、腐敗したモノ、洞穴内すべてに降り注ぎ、地下へ地下へと向かった掃溜めのような生命の水。汚泥のような、けれど砂を、岩を通り濾過された澄んだ水。それをリオンさんは望んでいる。
だが……
「……」
遠くから聞こえる水滴の音がいやに大きく聞こえる。
松明の炎に照らされる小さな世界に目を向ける。ちらつく炎の奥、これより先に無限の広がりを見せている世界。深淵よりも尚深い闇。
私ひとりでどこまで行けるのか?そんな冒険をする気は毛頭ない。それができるほどの技量もない。ギルド?とやらに協力を願えるほどの金もない。依頼主の願いは十全に叶えたいとは思うが、現実的に無理なことは無理なのだ。リオンさんからも無理をするなと言われている。もう少し奥へ行って手に入れれば依頼主が喜ぶ……なんて希望は一切抱くなと。気に留める程度。普段行く場所で、喉を乾かすついでにそれをくみ取ってくれれば良いと。
ゆえに、今からどうするか。
時間的にも体力的にもどちらでも良いといった所。あとは私の気の持ちようだけだ。水晶宮へと戻り、再び例の死体があった場所を探すか、あるいは水を汲んで帰るか。前者はそれこそ何度も試してみるしかあの場所に行きつく事はないだろうし気長にやるしかない。後者はそれこそ帰り際でも今この瞬間でも良い。そう思えば……引き返して記憶を頼りに再度死体のあった場所を探すとするか。探すのならば水は重荷になる。それに死体が見つかれば水もそこで得れば良いのだから。一石二鳥だ。
それが一番合理的だ。
そうしよう。元の道へ戻ろう。くるり、と向きを変え、元の道へと緩やかな坂を登りはじめる。
だが、二兎追うものは一兎を得る事もできないというのは世の常だ。そして、私が洞穴で落下するのも……良くあることだ。
瞬間、世界が鳴動した。
天井が崩れ、足元が壊れ、浮遊感を覚える。気を抜くことなかれ、というのは足元にさえもか、とそんな事を考える悠長な時間はなく、私は落下した。
大地が沈み、あの恐ろしいドラゴンが現れた時のように。あの忌まわしい恐怖の体現。それが生み出された時のように……。
‐‐‐
神様の悲しみは世界を壊す。
この世すべての悲しみを背負ったかのような、そんな慟哭が世界を揺らし、壊していく。壊れ、流れ出た水はさながら涙の如く。
きっと死んでしまいたいのは神様自身で、だからこんなにも嘆き、自らを壊しているのだ。そんなにも自分が憎いのだろうか?そんなにも自分の生み出した世界が憎いのだろうか?いいや、違う。死に至るのは絶望ゆえに。だったら、神様はこの世界の一体何に絶望したのだろうか……
そんな詩的な表現に意味はない。
「はぐっ」
浮遊感が消え去ると同時に強く背中を打ちつけられ、ついでその衝撃に何かの崩れる音が辺りに響き、全身にその何かが降りかかる。それは岩石だろうか。頭、体、体、腕、足に続けざまに刺すような、圧迫するような痛みが走り、悲鳴をあげる。数瞬前まで考えていた詩的な思考なぞもはや夢幻の如くに掻き消え、『痛みがある。だったらまだ私は生きている』という確かな自覚と共に、瞬間、痛みすら掻き消す強烈に香る腐臭に、強制的に胃の中が吐き出された。
「あ……あぁ……げほっ…」
胃の中を、食道を、口腔を遡る内容物が、吐瀉となり洞穴を汚染する。自分の作り出した刺激臭は周囲の腐臭にかき消され、けれど腐臭は変わらず私の胃の中を空にせんと脳髄に響く。
さらに数度。
身を悶えさえ、えずき、喘ぎ、痛みと共に涙ももはや枯れる程に。内臓すら吐き出さんとばかりに全てを吐き出す。アルピナ様も良く吐いておられたらしいがこれは辛い、と冗談じみた考えでも浮かべてないと自分が保てない。が、浮かべた瞬間その思考も掻き消える。
「ぁ……うぐっ」
ここまで強烈に吐き気を催す臭いとは何なのだろう?あの腐敗したドラゴンとは違うこの腐敗臭は……。地震により倒壊した村で嗅いだ事がある。洞穴の中で幾度も嗅いだ事がある。けれど、ここまで強烈なものは初めてだった。背に響く、足に響く痛みさえ消し去るほどの強烈に頭に響くこの臭いは……
死臭。
ひとつではない。ふたつではない。みっつではない……そんな片手で済むような数ではこれ程の臭いは出しえない。否、両手両足を合わせても足りるとは思えない。
吐く物がなくなり、それでもまだ吐かせようと香る臭い。手で顔を覆い鼻腔を隠した所で意味がない。この臭いに慣れるまで待つしかないのだろうか。鼻にこびり付くかのようなこの臭いに慣れるまで待てるのだろうか。
だが、慣れなければ仕方がない。
だから、と気を逸らすにためにと周囲を確認しようとして、今更ながらに気付く。
視界がなかった。
見えるものなど何もなかった。
火を生み出す松明が手の内にない。落下の時に無くしたのだろうか。もしかすればあるいは近くに落ちているかもしれない。けれど、この暗闇の中でどうやって探すというのだ。だったら予備を探そうと自分の体を弄ってみれば……頭陀袋はある。が……手探りですら穴が開いているのが分かる。周囲に散らばっているのだろうか。それとも……。
「…………」
言葉がでなかった。
頭陀袋も予備が必要なのか?という阿呆な考えを浮かべている余裕すらない。手探りで周囲を探っても落下の際に降りかかってきた小さな岩の感触以外、何もない。しいてあるのは今先ほど自身の吐きだした物と、音も立てずに流れ、指先を凍らせる程に冷たい恐らく水だけ。
焦りが思考を歪めていく。
こんな時は落ち着いて対処をする必要がある。そんな事分かり切っている。が、しかし……これは流石に落ち着いていられない。
先の森では道具はあった。光もあった。こんなにも死臭漂う事はなかった。怪我も……大した事はなかった。そう。あの時と違い、動けない。咄嗟に頭だけは庇ったものの、それ以外の場所は岩盤に打ちつけられ、降りかかる岩にやられたに違いない。先ほどから、まともに動けていない。
身を悶える事はできる。上半身を起こすことはできる。首も動けば手も動く。周囲を探る程度には上半身も動く。が、下半身が動かない。足が……動かない。
足?それとも腰だろうか。
後者なら致命的にも程がある。が、幸いにしてそれはないようだった。右足には感覚がある。が、左足には感覚がない。だったら、それが原因だろう。それが原因で力が入れられないのだ。
「ははっ……」
状況を把握した所で笑いしかでてこない。
凍えるような寒さの中、身動きを取れず、いつ襲われるとも知らぬ状況で心をすり減し、さらに怪我すら手当出来ず、周囲には凍えるような冷水が流れ続けている。
この状態から助かるなどそれこそ夢物語だ。
だが……そう。
世知辛い世の中、奴隷が夢見て何が悪い。先輩にもそう言われたじゃないか。あぁ……だから、あがこう。意地汚く、またみんなと一緒に楽しい時間を過ごすために。
格好悪く生きる。そう思えば、気が少し楽になってくる。
格好つけられるほどの生き方はそもそもしていないのだから……這いずってでも、血反吐を吐きながら、それでも帰ってやると心に誓う。
それはきっと勘違いなのだろうけれど、それでもその勘違いが私を少し楽にする。きっと何かに見つかれば即座に殺されるだろう。見つからなくても体温を失い死に至るだろう。ここはそんなに甘い場所ではない。けれど、それでも……。
くちゃ。
音がする。
くちゃ、くちゃ。
音がする。
体が硬直し、自然と息を飲む。吐息を抑え、耳からしか得られない情報を十全に活用しようと音に耳を傾ける。
異様なぐらいに静かな洞穴。水音もせず、先ほどの崩壊など嘘だったかのように音が止んでいた。そこにおいて響くこの音は何だ?
くちゃ、くちゃと鳴る音。鳴り続ける音。増える音。
ひとつではない。ふたつではない……きっといくつものモノたちがこの音を鳴らしている。時折まじるカタ、カタとなる音は何の音だろうか。摺り合わした音だろうか?
何を?
「……っ!?」
容易に想像がついた。くちゃくちゃと響く音とすり合わせた音が導き出すのはきっとひとつだ。
咀嚼音と歯が噛み合った音だ。
食っている。喰らっている。
見えないナニカ達は今まさに何かを食している。そこにあるナニカを。いいや、考えから外したところで仕方がない。ここにあるであろうものは先ほどから鼻腔が訴えているものしかないだろう。それ以外に……何もないだろう。
死肉を喰らっている。腐った肉を喰らっている。腐った生物の肉を喰らっている。動物だろうか。化け物だろうか。それとも……ぞくり、と悪寒が体を伝う。
自然、吐息が荒くなってくる。自分では抑えることのできない無意識の行動。意識して止める事などできはしない。
「はぁ……っ」
だが、幸いにしてその音にその咀嚼音を出しているモノたちは気付きもしない。いいや、気付いているのかもしれない。今、食べている物がなくなるまで私に待てとでも……。
突然死ぬ事は辛くない。一瞬で殺される事はきっと辛くない。だが、死と隣り合わせで延々と生き続ける事は辛い。そんなこと……自殺洞穴に入ってきて何を今更。
荒くなる吐息を抑える事を諦め、少しでも動けないかと上半身と腕だけで自身を動かす。手の平が触れる岩肌が痛い。けれど、泣言を言うには涙を流し過ぎた。今さら泣いても痛がっても……何にもならない。恐怖に怯えて、けれどそれでも諦める事だけは、夢を見ることだけは諦めない。
上半身と腕だけで這うように体を動かす。だが、遅々として進まぬそれは、結局音だけを発生させる馬鹿げた行為だった。そんな事ができるなら最初から痛みに耐えて走り抜けることだろう。
腕、上半身、そしてかろうじて感覚のある右足は動かず、感覚のない左足は動きもしない。まるで足を抑えられじたばたと蠢く魚のようだった。
ばたばたと動けもせずに蠢くその音は、いやに大きく聞こえる。冷静ではない証拠でもあろう。
涙の枯れた瞳が痛い。噛み締めた歯が痛い。がなり立てるように響く音を聞き取る耳が痛い。漂う死臭をかき集める鼻が痛い。体中が悲鳴をあげ……?
体中が……痛い?
「……?」
痛みが伝わってくる。逃れようとしたからだろうか。希望を持って逃げようとしたからだろか。動こうとして、動き廻ろうとして醜くもあがいたからだろうか。痛みが……体中に、体中が痛みを訴えかけてくる。そう……左足さえも。
意識して最初に感じたのは灼熱。
血の流れを感じた。だが、それだけではない。それを流させたものが乗ったままであろう圧迫感。もがいた事でバランスが崩れ、新たに傷を作り、痛みを産み出したのだろうか。
あぁ。あぁ。
先とは違う安堵にも似た吐息が口腔から流れる。
まだ、動く。私はまだ……動ける。
次の瞬間、暗闇の中を頼りに足元を、左足に乗る何かを探し出す。
上半身を起こし、左足に手を伸ばせば膝下を覆うように何かがあった。手で探ってみればどこまでも広がるような、少なくとも手の届く範囲を超えてはいた……けれど時折穴が開いたり、尖っていたり……。共通していることといえば肌触りが極めて硬いという事だろうか。だが、尖っている部分を指先で曲げれば折れる場所もあることを思えば脆いのかもしれない。
「なんだろうこれ……」
疑問が口をついて出てくる。落下してきた岩かと思えば、巨大な割には左足に乗る圧迫感はそれほど酷くはない。だが、だからといって左足を動かそうとしてもそれはそれで動くような感じしない。しいていえば、動かそうとすると……小さな音が、乾いた折れる音と共に激痛が走るぐらいだった。
私の足に乗るこれは何だろう?
だが、そんな好奇心を満たしているほどの余裕はない。
動く右足でその何かに蹴りを入れる。
からんと軽い音が立つ。まずい、と思った瞬間、けれど咀嚼音は鳴り止む事はない。
もしかして咀嚼音を立てているモノは耳が聞こえないのでは?とさえ思ってしまうほどに。いやそもそも耳のある生物なのかもわからない。
だが……音への返答ではないのだろうが……空気を切る音が鳴った。
そして、からん……と左足の上に乗る何かから音が伝わってくる。からん、からん、と音を立てて偶然、私の手の届く範囲に何かが落ちてくる。
嫌な予想と共に、音を頼りに手探りでそれを探し、手にして……案の定と言っておこう。案の定、骨であることを理解する。
「っ……」
予想していたからだろう。悲鳴を抑える事はできた。
死臭漂う場所で死肉を喰らい、食べられなかった骨を投げ捨てて、それが積もり積もったのが私の足に乗るものの正体。私が落下した衝撃で崩れ落ちた骨の塊が、足の上に積み上がったというのが正解か。だから個々の重さも圧迫感も酷くはないけれど、絡み合ったそれが私の足を抜けさせないのだろう。片足だけは自由で、もう片足だけが埋まるなんて、こんなわけのわからない運を発揮したくはなかった。どうせならそれがクッションとなって痛みがなかった方が良かったというものだ。
などと戯れる心の余裕はない。どれだけ喰らい尽くせば人の足を抜き取る事ができないほど骨が積もるというのだろう。いや、もしかすると今腰を下ろしているこの場所すら骨で出来ているのかもしれない。
さながらここは地下墓地。
死の臭いが濃いわけだ。ここは死んだ者やモノが投げ込まれ、喰らい尽くされて骨となり再び洞穴へとなる場所。
「…………」
確かに死体を捜しに来た。が……こんなものは望んでいない。
神様が泣くたびに、こんな場所に連れてこられる。
まったく……嫌な運命を感じてしまう。が、運命の女神に翻弄される奴隷は、けれど抗うのだ。
骨だというのならば、壊して足を取り出せば良い。幸いにしてディアナ様から賜った包丁はまだ残っている。これで叩き壊せばどうにかなるだろう。これが何の骨かは知らないが……怨むなら化けて出てくればいい。
もう音も気にしない。
食べることに夢中のモノ達なんて気にしていられない。包丁の刃を、左足を覆う骨に向け振り下ろす。
がきり、と鳴る。
鳴っただけだ。それ以上何もならない。が、それでもと何度も、何度も降りおろす。体力が尽きるまでに抜け出せれば良いのだから。