第5話 オブシディアン
5.
翌日。
「……あ、うん。凄いで良いのか……な?」
鈍色に染まった生憎の曇天模様の下、苦笑気味の声を聞きながら、車椅子を押す。
道の上、からからとなる車輪の音を聞くのも今日で聞き納めか?いや、それは幾分気が早いか。
向かう先は、ジェラルドさんの御店。エリザに付ける義手義足が出来上がったためそれを移植し、神経を接続する作業を行うのが今日の目的。術後の影響を見るために本日エリザは向こうでお泊りである。そんな道すがら、私達は昨日会ったリオンさんの娘さんの話をしていた。
洞穴内で見た時にも感じたが、見る者すべてを陶然と、呆然とさせる美の化身。彼女の前では月すら陰りを見せるだろう。アルピナ様を初めて見た時、女神の化身と称したけれど、でもだったら、彼女は何と称すれば良いのだろうか。皆に愛されるアルピナ様とは違い、そこにいるだけで人々に羞恥と畏怖を与え、意識せずともその者を自壊させるが如く死に導く冥府の化身。いや、言葉でどれだけ表現したとしても表現し尽くせるものか。
正直な事をいえば、私は彼女の前にずっと立っていられる自信がない。自分がどれほど醜い者なのかと自分自身を許せなくなり、落ちつかなくなり、彼女の存在を殺し尽くさねば自分が保てない。そんな気分に陥ってしまう。今思い返しても身震いしてしまうほどだ。……前に会ったときもそんな感じだったし、きっとこれからもそうなのだろう。失礼な話だが、リオンさんは良く父親をやっていられると思う。妖精さんもしかり、ではあるが。
「いいんじゃないかな。まぁ、なんというか衝撃的な娘さんだった」
寧ろ昨日の様相を思い返すに、衝撃よりも過激か。
あの後行われた娘さんとリオンさんと妖精さんの三つ巴の合戦を思えば、過激で良いと思う。たかがお菓子一つの事で、義理とはいえ父親を見たことのない凄い感じの魔法で本気で殺そうとする娘というのは常識外れにも程があった。もっとも、そうでもなければ軽装で洞穴に一人で潜る事なんてできないのだろうか?いやいや、そういう問題でもないか。ともあれ、ただ、それを文字通り力技で収めた妖精さんは更に過激と言って過言ではない。妖精さんに後頭部を叩かれて気を失ったリオンさんは無事なのだろうか。倒れそうになったリオンさんを慌てた様子で娘さんが抱きかかえた辺り根は優しいのだろうかとも思わなくもなかったが、まぁともあれ。かかわるべからずと合戦後、暫くしてどうやってか知らないがメイド服を着させられた涙目のテレサ様に挨拶して逃げてきた私は悪い奴だと思う。えぇ。
いやはや、しかし、あの店のヒエラルキーの最高位が妖精さんで、その下に娘さん、そして妖精さんと娘さんに歓迎された新入店員のテレサ様が続いて、リオンさんは店長なのに最下位という事か。
「カルミナ、何かおかしい事でも?」
「リオンさんは大変だなぁと」
あの人には絶対に女難の相が出ていると思う。あれに加えてアルピナ様と学園長が追加されるのだから、まぁ、可哀そうではある。どちらも気の強そうな女性というのが共通点。しかし、男冥利に尽きるのかもしれないが、リオンさんはきっとそういった事に興味がない。
知り合ってまだそう経っていないが,傍からみてもどうみてもリオンさんはゲテモノ料理以外の事には興味がない人間である。それもかなり深刻な度合いで。
例えば、である。
普通の感性の持ち主であれば、アルピナ様やゲルトルード様が呪いに侵された事を知った段階で、自国の皇族が生きるか死ぬかの時にそれを助けられるならば、助けるだろう。
そしてそれは、間違いなく英雄と称えられる行為である。しかも『救国の』と付く、普通求めても手に入らない類のものだ。だが、そんな名誉に興味はないとばかりに彼は何もしていない。今回のゲルトルード様の事もどちらかといえばリオンさんは面倒そうでもある。出来得るならば関わり合いたくないというのが本音だろう。
力ある者がそれを隠し、相応に力を成さぬ事は悪である。
そんな妄言を臆面もなく吐くつもりはないが、これはある一面では正しい。特に今回の場合は国が滅びるか否かの瀬戸際である。貴方がなさない事で何万という人が路頭に迷う。その責任を貴方は取れますか?と、そういう事だ。出来ないのならば仕方がないと言い訳もできよう。知らなかったというのならば仕方ないと言い訳もできよう。だが、それを成す事が可能でさらに知っているのにそれをやらないのは、悪ではないのだろうか。それらを成そうと必死に生きて、出来ず、けれど命を掛けてきた人達に対して申し訳ないとは少しも思わないのだろうか?未来永劫に、過去永劫にそれらできなかった人達を嗤って、笑いながら過ごす事はできますか?きっと、リオンさんはそれができるのだろう。
「まぁ……力を持ってない奴の戯言かもしれないけれど」
それを成すには身を削る思いでやらねばならぬのだ!とそう言われるのかもしれない。世界のために死ねというのか!と言われるかもしれない。
それに死ね!と言える程、私は偉くはない。産まれた村を見捨てて自分を売った私の命は二束三文の安い物だから。
あぁ、そうか。
村のために自らを犠牲にせよと言われた私と同じだ。
私にはそれが出来る。私はそれを知っている。けれど、私はそれを成さなかった。だったら……私はリオンさんの行動に対して何かを言える立場にはない。私がそうではないのだから。今の私にとって皇族を救う事は都合の良い事で、だからそれが成せるならば私は成したいと思うけれど、リオンさんにとっては違うのだろう。最優先順位がゲテモノ料理というのはそれこそ一般的な感覚からはずれているが、それこそ他人の知った事ではないだろう。子を育む事が女の幸せであると言われる中で,子を産むだけの存在となりたくなかったように。
「カルミナは強いけれど……」
呟くエリザの言葉に苦笑する。
「運だったら強いかもね。良く言われるし」
けれど、だったら、何故そんな彼がテレサ様を囲ったのかという疑問は湧いてくる。
「うーん……幽霊の涙。宝石。オブシディアン。テレサ様。うーん。物珍しいぐらいしかないよねぇ」
からからと音を奏でながら先日知った単語をとりあえず羅列する。何かそこに意味があるのだろうかと。
リオンさん自身は店番ができましたよ!とはしゃいではいたものの、それならば別に普通の人間を雇えば良いのだ。例えば私とか。私自身は洞穴で稼ぐ必要はあるものの、別に普段の生活費までを洞穴で稼ぐ必要はないし、毎日洞穴に潜れる程体力が有り余っているわけでもない。その合間を巧く使うためには店番をやらせてもらえるのならばやりたいものである。えぇ。食べるに困らないし!
というか、である。そもそもあの店に店番など必要なのか、という話だ。私達以外の客なんてアルピナ様と先輩とあと学園長ぐらいしか見たことがない。そんなお店に……いや、雇い主を悪くいうわけではなく純粋に店の経営状況が気になるだけだが……店番は本当に必要なのだろうか?
加えて、神様に見捨てられた所だから成仏できないなどという意味不明な言葉遊びにもならない理由で幽霊を留められる事もまた、理解できやしない。娘さんの登場でなし崩し的にテレサ様が幽霊店員になったものの……そんな、それこそ世の理を無視するような事がそんな簡単に行えるというのだろうか?そんな場所があって良いものだろうか?それこそ神様を冒涜しているように思える。私は世界の全てを知っているわけではない。けれど、それでもあれは……何か、あるのではないだろうか?
「幽霊店員……」
「メイド服姿が良く似合っていたよ。ほら、あんな感じの……って。あの人は」
「幽霊がどうやって服を…………あ、メイドマスターですね」
考えていた事を打ち切り、視線を向ければ、メイド服に身を包み、街路を行く人影。メイドマスターことマグダレナ=S=アウローラ様。常日頃のその仕草はリヒテンシュタイン家のメイドを統括するものとしての気品に溢れ、さすがリヒテンシュタイン家のメイド長であるといえる。が、その普段の泰然とした、楚々とした雰囲気は感じられず、どこか少し浮足立った感じに見えるのは気の所為ではないだろう。
だから、つい声を掛けてしまったのだろうと思う。
「あの、そこの道行くメイドマスター?」
「♪~……はい?あぁ、貴女でしたか。それと……」
振り返ったメイドマスターの表情は普段より柔和な感じが伺えた。直前、鼻歌交じりだったのが尚更それに拍車を掛けていたのだが、エリザを確認した瞬間、その視線が険しくなっていく。
「ちょうど良いわ、エリザベート。一つだけ言わせて頂きます」
直前の雰囲気が嘘のように厳格に。その空気の代わりようは感心する程。街路の真ん中、私達三人だけが世界から切り離されたかのようだった。そんな雰囲気の中エリザが顔を上げる。
「は……い」
メイドマスターの険しい視線を受けとめながら吐き出すように。
それは宛ら懺悔の如く。神に許しを請う少女のように。エリザは震えていた。震える彼女の肩に手を添え、メイドマスターに視線を向ければ、苦笑とともにその雰囲気が霧散する。
「嫌われたものね。まぁ良いけれど……。エリザベート。心しなさい。これからはリヒテンシュタインの名は貴女を守ってくれません。エルフの貴女には生き辛い世界になる事でしょう。その事を努々忘れぬよう」
それは優しい言葉だった。
彼女の立場からすれば皮肉の一つ出てもおかしくはない。けれど、表情からは純粋にそう思っているようにしか見えなかった。言い終えたとばかりに和らいだ表情が尚更それを感じさせる。
「あ……はい。今まで、ありがとうございました。マグダレナ様。ディアナ様にもよろしくお伝えください。御恩は決して忘れません、と」
「伝言は受け賜りました。間違いなくお伝えいたします。ですが、私を呼ぶときはメイドマスターと呼ぶように。それも忘れぬようお願い申し上げます」
「はい」
「とはいえ、私は暫く城へ戻りますので、お伝えするには暫く掛かるかと思いますが、その事はご容赦願います。流石に書簡でそのような事伝えるわけにもいきませんので」
「城へ戻る?」
「あぁ、カルミナには説明していませんでしたね。エリザベートは知っているかと思いますが、私は本来、皇女付きのメイドですので。ディアナ様の下へはアルピナ様の命令による出向です」
あぁ、それでディアナ様にもメイドマスターと呼ばせていたり、学園長と繋がりがあるような発言をしておられたのか。
「ですので、皇女殿下からご命令があれば城に戻るのが必定でございます。加えて……」
ほぅ、とため息を一つ。
「隣国よりマジックマスター様が城へ来られているとのことで……これは是が非でもお会いしなければと思った次第です。尊敬する彼の人にお会いするためならば、もうこれは何にも代えられません。えぇ。そのためならばアルピナ様に無理やり命令を出させて、リヒテンシュタイン家をほっぽり出しても、致し方ありません」
大変、熱が籠った発言だった。マジックマスター某が皇剣の製作者だ、というぐらいで一体全体どんな存在かは良く分からないが、メイドマスターにとっては大変大事な御方なのだろう。つまり、柔和な印象を与えていたのは憧れのあの人に会えるから浮ついていただけか。ミーハーである。全く持ってミーハーである。
「この度は、先立ってのドラゴンゾンビ打倒に際し、マジックマスター様のお造りになった皇剣セラフィックナイトが大層ご活躍成されたとのことで、トラヴァント帝国として御礼申し上げるためにご多忙の中、御来訪願った次第です。本来はこちらから伺うのが筋ですが、マジックマスター様のご厚意で御来訪頂ける事になりました。お気を使わせて大変申し訳なく思います」
珍しく、良く喋るねぇ、とエリザと顔を見合せる。こんなメイドマスターを見たのはエリザも初めてだったらしく苦笑気味だった。
「あぁ、でもいけません。マジックマスター様にあやかって付けたメイドマスターの名称。知られるのは恥ずかしいです」
そんな理由でメイドマスターと呼ばせてるんだ……と知りたくない事を知ってしまった気分に陥る。それはエリザも同じらしく、再び顔を見合わせて嘆息する。そんな私達の行動に気付きもせず、いやんいやんと両手を頬に宛てて首を振る姿は年齢不相応に可愛らしいとは思う。が、本当になんというか。知りたくなかった一面である。世の中、知らなくて良い知識なんてものはないが、知りたくない知識というのは幾分かあっても良いと思う。
「あ……。こほん」
「あぁ、なるほど。それでメイドマスターはこんな所におられるのですね。邪魔をしてしまい申し訳御座いません。それでは私達は失礼させて頂きます。また、リヒテンシュタイン家にて」
咳払い一つ、取り繕って無表情になるメイドマスターを、保身のために見なかった事にしながら逃げ出そうとすれば、捕まった。首根っこを捕まえられた。
「この事は他言無用」
「メイドマスター、何の事でしょう?労いの言葉を頂いただけだったかと思いますが?」
「結構」
その時であった。
『迷える子羊よ……』
教会から声が響く。街路まで響く程に大きな、荘厳な声音。年老いた男性の声だった。あの良く分からない形の神様に仕える者の声。牧師と言っただろうか、神父と言っただろうか。
「葬儀……そういえばどこぞのご令嬢が亡くなったと聞き及びましたね」
「あぁ、とすると、これはテレサ様の……」
葬式か。
つい一瞬前まで見せていた表情が消え、普段の泰然とした、楚々とした毅然とした表情を浮かべてメイドマスターが教会へと視線を向ける。洞窟内に打ち捨てられ、死体を食い散らかされるがままの自殺志願者達とは違い、真っ当に葬儀を行われる人というのは、メイドマスターにとっても興味が惹かれるような珍しいものなのだろうか。
教会を貸し切っての葬儀。元村人には考えられない大げさなものだ。参列している人の数も桁違いだ。死んだら家族で集まって土に返してそれまでという村とは大きな違い。神様の下に無事に辿りつけるようにと願われ、皆が死出の旅を祈る、そんな優しさに溢れた葬儀を見るのは初めてだ。
「さっきの話を聞いていると何ともいえなくなりますね……」
エリザの言葉に確かに、と頷く。
幾ら神様に祈ろうが、誰が祈ろうがどうしようが、この儀式最大の皮肉は、彼女を間接的に殺したのが両親で、彼女が神の下へ逝けずにイロモノ料理店で店員をしているという事実だ。
「カルミナは何かこれに関して知っているのですか?」
「あ、はい。化けて出て来られましたので。色々あった結果、昨日からイロモノ料理店で店員やっています。あ、でも昨日は面接?みたいなもので、店員として働くのは今日からかもですけれど」
メイドマスターにテレサ様の現状を伝えながら教会の中を見れば、参列者の中にテレサ様の弟君の後姿が見える。会ったのは一度きりだから定かではないが、たぶん、そうだろう。愛する相手が姉だと知り、そしてその姉が死んだ。さながら一度に二度愛する人を失った彼はこれから先、どうなっていくのだろうか。それを想像するにはあまりにもこの街は死に近すぎる。
「イロモノ……なるほど。確かに貴女なら幽霊ぐらい見られるでしょうね」
イロモノという言葉には小首を傾げたものの、納得しきりと言った感じで頷くメイドマスター。
「そんなものですか?」
「えぇ。精神操作が効かない貴女なら見られて当然でしょう。世間ではそれを図太いというのかもしれませんがね」
「先輩も何か言っていましたけど、精神操作って魔法とかですか?」
「違うよ、カルミナ。純粋に技術だよ。音とか仕草とか視線誘導とか」
「えぇ。エリザベートのいう通りですわね。胸元開いて乳を見せるというのも手ではあります。生足を曝け出すのもまた似たようなモノです。視線を誘導させて気を抜いた所に不協和音などを与える事で意識を混濁させ、意識を誘導させるわけです。もっとも、人間相手にしか使えない手法ですけれどね。生足と乳は」
「……例えが卑猥ですね。メイドマスター」
「貴女とて少し見繕えば良いのです。いくら奴隷とはいえ、リヒテンシュタイン家の末席を担う者なのですから多少の華やかさはあってしかるべきです」
「変な虫に刺されて死にたくないので、服くらいは露出が少ないのを着ます。それに洞穴内寒いので……さすがに」
とはいえ、現状、アルピナ様に頂いた薄手上着に短いスカートに長めの靴下が基本装備なので露出が少ないとも言いがたいが……。
「まぁ、それも一つの考えではありますね」
という台詞とは裏腹に勿体無いという表情とため息を一つしながらメイドマスターが私に視線を向けてくる。顔、耳、首、転げ落ち所々がほつれたりしている上着、腕、腰、そしてスカートと靴下、そのスカートの辺りを目にして一瞬おや?という表情を見せ、それに釣られて、何かあったっけ?と足を見れば、
「まぁこういう風にして視線や意識を誘導するわけですよ、カルミナ」
と。
「うわっ」
気付けば、メイドマスターとの間に空いていた距離が詰められていた。気の抜けた会話で気を抜かせ、これ見よがしな視線誘導に釣られ視線を動かした瞬間を狙っての移動。ついさっき、私には効かないだとか言っていたのもその伏線だろうか?
「洞穴内であれば死んでいましたね。とはいえ、貴女の場合、初手の視線誘導などを防ぐ事ができれば逆に術者側が勝手に隙を作ってくれるのですから有難い話だと思いますけれども。ともあれ、甘言には気を付けますよう」
「ご教授ありがとうございます。メイドマスター」
「いえいえ。これで貸し借りはなしです」
さっきの件に対しての、という事か。思いのほか律儀な人だ。いやだからこそ皇女付きのメイドをやっていられるのだろうか。
「もっとも……効く、効かないというのが更に分からなくなりましたけれども……」
「あぁ、これは単なる例外です。既知の人物との会話中に、相手を警戒できる人間は少ないのですよ」
「なるほど……」
「ですので、廃棄奴隷を処分する際には有効な手段でもあります。ですので、二度と私にこれを使わせぬようお願い申し上げます……いえ、ちょっとした冗談ですよ。ほら、そんなに警戒されずに」
ずずずとメイドマスターから離れたり、追っかけられたりとかしている間に葬儀は進行し、参列していた人達が退場……いや、連れ立って墓地へと向かっていく。亡骸を地に還すために。中心地から離れた共同墓地へと。一人、一人と教会から出て歩いていく。神妙な表情をしながら歩く者もいれば、面倒そうな表情の者も、嫌悪感を隠そうともしない者、色んな者がいた。その中でも一際目を引くのは絶望に包まれた件の弟様。世界には不幸しか存在しないとばかりにただただ周りに流されるようにして墓地へと向かって行く。それを私は黙って眺めていた。彼にテレサ様の言葉を伝えれば救われるのかもしれない、とそう考えながら私は黙って彼を見ていた。けれど、伝えてしまえばきっと彼を不幸にするのだろう。そしてそれはテレサ様をも不幸にする事でもある。テレサ様は弟様の幸せを願ったのだ。死んだものは死んだとして時が癒してくれるのを待つのが一番良いのだ。ただ……この街はあまりにも死に近い。後を追わない事だけは祈りたいと、思う。
その彼が視界の端に消え、教会から最後の一人が出てくる。その人物は、参列者の中でも一際、酷い表情をしていた。
「これはまた……凄い視線誘導媒体もあったものですね。確かにあれがあれば誰もが目を向けるでしょう」
明らかに一人浮いた感じのその妙齢の女性に、葬列を見ていたメイドマスターが隠すことなく嫌悪感を発する。同じく私も、そしてエリザも、である。
その女は黒い喪服で統一されていた参列者の中でただ一人、白い服を着て、笑っていた。
楽しそうに笑っていた。嬉しそうに嗤っていた。さながら童女の如く笑みを浮かべていた。旦那が死に、娘が死んで気が触れてしまったのだろうか?いいや、少なくともそう思った人は参列者の中にはいないだろう。
あれが、テレサ様の母親。
年の頃は、テレサ様の年齢を思えば、少なくとも四十を超えてはいるのだろう。しかし、一見すると若くも見える。化粧という名の虚飾で塗り固められたから、というわけではなさそうだった。元より老い辛い性質なのだろう。遠目からでは分かりかねるが、老いを感じさせるのは眦と首筋に浮いた皺ぐらいだ。老いと若さ、その矛盾が作り出す何とも言えぬ艶やかさは確かにこの女性に靡く男は数多くいるだろうと思わせる程だった。きっと若い頃ならば更に、であろう。
だが、それは見てくれだけの話であり、今のこの女の姿を見て、靡く男はいるのだろうか?いや、違うか。いたからこその今のこの状況か。その靡いた男の姿はなかった。が、その男がその女性に渡した物はその場にあった。
全身すべてを白く染め上げたテレサ様の母親の、その左手の薬指に輝くソレ。これ見よがしに指先を飾るのは、黒い光。いいや、光を吸い尽くす闇と称した方が良いだろう。あれは光などでは決して、無い。
「オブシディアン……。なるほど、当主も娘も死んで、それでもアウグスト家が平静を保っていた理由が分かりましたよ。そういう事ですか。娘の葬儀に花嫁気分の純白衣装とはいやはや……」
呆れてものが言えない。
ものが言えなかったのはきっと参列していた人達も同じく、であろう。それは人の親とは思えぬ所業だった。悪魔だとかそういった類の所業としか思えない。親は子に夢を見るものではないのだろうか。自分の腹を痛めて産んだ子が死んだ事に興味がない母親がいて良いのだろうか。その女性をどこからどうみても、テレサ様という足枷がなくなり都合が良いと考えているようにしか思えなかった。
次第、嫌悪感が体を這いずり回ってくる。
「それだけで良く理解できますね」
無理に紡ぎ出した台詞に意味は無い。ただ、今の気分をどうにかするためには何か話をしてないとどうにもならないだけだ。
「それだけオブシディアンは特別な意味を持ちますからね。特にこの国では。あそこまで露骨にしているのは流石に初めて見ましたが……いやはや……参列されていた人達の嫌そうな表情はそういう事」
子を持つ親ならば誰しもが嫌悪を持つだろう。そして、加えて次の当主がこれでは家も潰えることだろう事を思えば……。先を行く参列者が時折後方を気にしながらもひそひそと話し合っているという事はきっとそういう事だろう。
だけど、この女性に対して私達が何かできるわけはない。それは参列者達も同じ。彼女はただ葬式に白い服を着ているだけだ。慣例に従わないだけでそこに罪はない。彼女はただ黒い宝石のついた指輪をつけているだけ。寡婦である彼女にとって誰かから貰ったその指輪をその指に嵌めることには罪は無い。彼女に罪は無い。故に法はそれを裁けず、何も出来ることはない。真面目に生きた人が損をし、こんな女だけが生きている。この世界は本当に、優しくない。神様が泣きたくなるぐらいなのだから当然、か。
「先日、洞穴内でオブシディアンを探す依頼書を持った死体がありましたが、きっとあれもこういった場面を生み出したのでしょうね……なんとも、世知辛いですね。奴隷の台詞ではありませんけれど……」
次いで、口をついて出たのは先日の死体のこと。オブシディアンの捜索依頼書を持った死体のこと。あれもオブシディアンを得ていれば、こんな風景を生み出していたに違いないのだ。いや、彼以外の誰かがその依頼を達成し、誰かを不幸にしてしまっているのかもしれない。誰も彼も不幸にしてしまう宝石オブシディアン。それを何故、前皇帝は皇剣の名として残したのか。皇族が不幸を撒き散らすのはおかしいだろうに。
「……カルミナ、その話、詳しく聞かせなさい」
そんな事を考えていれば、更に神妙な表情をしたメイドマスターがそう告げる。一方、突然の事に私はぎょっとする。ぎょっとして、変な声が出そうになったが、呼吸を一つ、落ち着ける。
「メイドマスター……えっと、何か大事なことだったのでしょうか?」
不安そうに私を見上げるエリザの肩をぽんぽん叩く。それで落ちついたのかエリザもメイドマスターに視線を向ける。いやはやしかし、例の痣が無いエリザは本当に普通の子だなぁ……。ちなみに、そんな私達のやり取りに嘆息し、怖い視線を向けているのは当然の如くメイドマスターである。
「はぁ……まだここに来て日が浅い貴女には実感できないかもしれませんが、何処の馬鹿があんな曰くありげなものを自分で依頼するものですか」
「あぁ……そういえばそうですね。でも宝石なのですから宝石商が出した依頼では?」
「宝石商からオブシディアンを購入する事は、商人に弱みを握られることと同じです。国内、国外問わず、です。それだけこの国ではオブシディアンの持つ意味は強いのです。いえ、強くなったと言った方が正しいですが」
それもどうなのだ、と思う。たかだか宝石の一つ、と思うのは私の知識不足なのだろうか。
「それだと洞穴内でオブシディアンを手に入れたとしても、実質、何の価値もないってことなんですかね?」
「国外の人間に対して売れば二束三文にはなるかもしれませんね。ただの黒い石ころみたいな物に何の価値があるかは分かりかねますが。正直な所を言えば、宝石としての価値は皆無でしょう」
トラヴァントとしては外貨を稼ぐ手段にはなりえるが、しかし、それを求める者たちはトラヴァントの者。だが、トラヴァントの者が国外からそれを買えば国外の者に弱みを握られる。それを是と出来るような下々の者達であれば購入する事はあるかもしれないが、そういう意図で購入する人は数少ない。だったら……それを商品として扱っても利益が得られないとなれば、取り扱わないのが商売の基本である。故に、オブシディアンが流通に乗ることはない、と。
でも、けれど人間はそんなに単純だろうか?どこかしこに抜け道を見つけるのが人間だろうに。
「皇剣オブシディアンの存在が表に出た時とか、流行りにのって購入したい!という人はいたのではないですか?」
「表に出た時というよりもその後数年経ってから、より正確に言えば、アルピナ様が即位なされた以後ですね。噂が噂を呼び、あれの存在が隠し子を意味しているのではないか?と言われはじめたのは……」
「あれ?そうなんですか……意外ですね」
皇剣オブシディアンの存在が表に出たのがいつ頃かは分からないが、皇剣に娘、息子の銘を打ち、その人数分だけ用意していたのだから、即座にそういう噂は出そうなものだが……。
「失礼。より厳密にいうならば確かにそれ以前にもその手の噂はありましたが、誰も本気にしていなかった、というだけです。それが真に信じられるようになったのは、ドラゴンに皇族が軒並み殺され、帝国の未来も壊され、疲弊した臣民の希望でもあったのでしょう。もし、皇族の系譜が生き残っているのならば、是が非でも見つけ、皇族の系譜を途絶えさせたくないという臣民の思いが例の噂を作りました。そして、宝石にもその意が込められたのです」
「希望の宝石……」
希望が時と共に転じ、最初の思いは潰え、不幸を呼ぶ宝石へと。大層な皮肉だった。この優しくない世界にはとてもお似合いの皮肉さだった。
「ともあれ、あそこの能天気な女でもそんな依頼は出していません。そのような依頼があれば学園からアルピナ様の下に話が行きます。用途を説明せよ、と。もし本当に隠し子がいるのならば、その手がかりにでもなるようであれば、許可されるでしょうが……未だかつてそのような話は聞いたことがありません」
「えーと……」
「四の五の言いましたが、つまり、アルピナ様が即位なされて以後、オブシディアンはすべて帝国管理です。それ以前は宝石としての価値が皆無なそこらの石ころ扱いです」
「納得しました」
だったら最初から……と目を向ければ冷たい視線を向けられる。お前が聞いたから答えたんだよ、という視線である。全くもってその通りである。
「それで、話は元に戻るわけですが、カルミナの見たという依頼書が本物であれば、アルピナ様即位前の話です。即位以前、それはオブシディアンが無価値だと言われていた頃ですから、正直すべてを把握することは出来ませんが、しかし、依頼書であれば話は別です」
「もしかして……」
エリザがはっとしたような表情をする。
「えぇ、そうです。貴女にも手伝って頂いたかと思います」
「はい。覚えています。私がまだ学園生であったときに受けた依頼ですね。『過去の依頼書すべてを確認し、オブシディアンに纏わるものがあれば即時報告せよ。』」
「えぇ。それです。そしてその結果も覚えておりますよね?エリザベート」
「もちろんです」
「「なし」」
二人同時に告げられ、二人同時に見つめられる。ここに来て、ようやく、事の重要さに気付いた。
「……依頼書の履歴から消してまで依頼できるというのは、もしかしなくても、皇族ですか?」
言いながら喉が渇く。代わりにと変な汗が出てくる。
ごくりと唾を飲み、改めて視線を二人に向ければ頷きが返ってくる。そして一拍。
メイドマスターが口を開く。
「……前国王。オブシディアンの謎を残して崩御されたあの御方の依頼かもしれません。情報料は洞穴扱いにしますので、カルミナ、さぁ。吐きなさい。一つ残らず情報を吐き出しなさい」
エリザの義手、義足の手術は少しばかり、遅れそうだった。