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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
第二章~パンが食べられなければ天使を口に突っ込めばいいじゃない~
34/87

第4話 幽霊の泣いた日

4.




「はい、これで良かったですか?」


「えぇ。それで問題ありません」


 壊れないように慎重に運んできた水晶で出来た花をリオンさんに手渡して2つ目の依頼が完了した。

 今更な事だが、市場で見つけて転売するというのも依頼のこなし方としてはありなのだろうな、とここに来る道すがら水晶花を売っている店を見てそう思った。なるほど、そういう金の稼ぎ方もあるのだと思ったけれど、リヒテンシュタインの奴隷としてはそれをする事に意味がない。生活費の足しにはなろうが、二足の草鞋を履けるほど私は器用ではない。

 あれから順番に仮眠を取った後、テレサ様と一緒に水晶が乱立する空間をさまよいながら、花を探しながら帰路についた。水晶を昇り、元の道に戻れば赤黒く染まった跡が残っていた。それは水晶人形に食われた人の跡に違いなく、私達が水晶人形を招き寄せた結果なのだろう。きっと誰も咎める事はないだろうが、しかし、それでも感慨を浮かべるのは致し方ない事だった。

 そうして、学園に続く入口まで戻り、外に出てテレサ様とはお別れした。また会いましょうとそう云ってくれた彼女に、死ぬ事を諦めてくれたのだと思えば嬉しくも思う。

 外に出てみれば日が明けており、夜中ずっと洞穴にいたようだった。宿に戻ればエリザが心配しているし、それを宥めて少し休憩を取って、そして現在である。

 水晶花の事もあったが、例の幽霊の涙に関して聞くためだ。


「リオンさん、幽霊の涙って宝石の事だって聞いたんですが……?」


「あぁ、そう呼ばれている宝石も確かにありますね」


 そういえばそうだった、と顎に手を宛てて言う姿は小憎らしさもあるけれど、しかし、その台詞には違和感を覚える。


「えっと……確認なのですが、リオンさん御所望の幽霊の涙というのは宝石なんですよね?」


「いえ違いますよ?そのものずばり幽霊の流す涙です。人の恨み辛みが籠った残留思念がその場に溜まり、それが発露する事で幽霊が産まれます。幽霊が、恨み辛みから解放され安堵を迎える時に流す黒い涙を、幽霊の涙とそう呼びます。それが長年の月日を経ると宝石になるという言い伝えもありますが、そちらは作り話ですね。オブシディアンが死体のある場所で見つかったりするのはまた別の理由です。水晶花と同じような物ですね」


「……えっと」


「水晶花は水晶人形が手ずから作りあげる物です。これを作るのに熱中しているから襲われる事が少ないというのは彼らからすれば皮肉なものですけども。ま、それは良いとして、オブシディアンは悪魔と呼ばれる、幽霊のような体を持たない者達が死体に群がって使って作りあげる一種の人工宝石です。あ、いえ悪魔工宝石ですか?まぁ良いですけれども、その悪魔たちが幽霊だと思われていた時代があること、さらに実際の幽霊の涙が黒い事、それら合わさってオブシディアンが幽霊の涙と呼称されているわけです。ですよね、ウェヌスさん?」


 うんうんと頷くのはシミが取れたのか単衣姿で外に行こうとしていた妖精さんである。


「ウェヌスさん、お客様がいる最中に職場放棄はいけません」


 店主のその声にしゅんとなっていそいそと給仕服姿に着替える妖精さん。ちょっと可愛い、がしかし今はそれ所ではない。


「ためにはなりましたが……」


 考えがまとまらない。つまり、オブシディアンと幽霊の涙は違って、リオンさんが求めるものは後者で、それでもって本当の幽霊がいるという事でもあるのだが……いや、ここはもう聞くしかない。


「リオンさんは、何故、私ならば可能だとそう仰ったのですか?」


「良い質問ですね」


 スツールに座る事を促され、座れば妖精さんが飲み物を持って来てくれた。

 真面目な話という事だろうか。珍しく普通の紅茶を出された事に、少しばかり緊張する。普通のメニューが出ると逆に怖い店というのもこの店以外なかろう。


「失礼して私も……」


 と唇を濡らすためにリオンさんが紅茶を入れたカップを口元にやり、それをはふはふやっている姿がなんとも緊張感を削がれる。そんな重たい話ではないのかなと、私も紅茶に手を付ける。


「先日、お城へと伺った際にお聞きしました。今月の自殺者数は77名だと」


「一人増えたんですね、お気の毒な事で」


「えぇ。ただ、その一人が厄介な方だったそうで学園長がぼやいておられました」


「はぁ、厄介な方……それと幽霊の涙に何か関係が?」


「そうですね。関係はありますが、順を追って説明する必要がございまして。まぁ、つまみでも食べながら聞いてくださいな」


 ついで妖精さんが出してくれたのはクッキーだった。普通の甘いお菓子もあるのだなぁこの店。


「美味しいですね」


「はい。娘専用お菓子です。何を学んできたのか貴族風な紅茶だとかお菓子が良いというので買ってきたんですが……折角なので私もと思って。と話がそれましたね。77人目のその人は、自殺志願者ではありませんでした」


「自殺洞穴は学園で管理されているんですよね?そんな事あるんですか?」


「昔程はありませんが、まぁ人のやる事ですからね。どうしても穴が空きます。まぁその穴と言うのが人で、鍵は金だったというのが学園長のぼやきですね」


「あぁ、金を渡されて一般人を中に通した人がいる、と」


「その通りです。そして、その人が亡くなったと。その日以降、洞穴内に幽霊が出る様になったそうです」


「なるほど。洞穴内で人に聞いて逃げられたのは怖がってとかだったんですかねぇ」


「間違えられたという事かもしれません。亡くなった子は年の若い子でした」


 その言葉に嫌な想像が湧いてくる。

 いや、そんなまさかという思考と同時にもしかしてと思う気持ちもある。確かに、少し休んだ今となれば、冷静になった今考えれば、あの場にあの人がおられる事は変だと気付く。いつ学園に入ったかは分からないが先日のドラゴンゾンビ討伐からさして時間は経っていないだろう。だったら、そんな早く、知識も力もない人が洞穴実習に入れるだろうか?いいや、そもそも……あの人はネームタグをつけていただろうか?


「でも、リオンさんが私に、私にしかできないことがあるかもしれないと仰ったのは城にいかれる前で……」


「あぁ、誤解を招くような事を言ったみたいですね。あれは、残念ながらこれとは別件です」


「死んだ方の名前……伺って宜しいでしょうか?」


「テレサ=ラ=ピュセル=アウグスト」



―――




「古くから騎士団に騎士を排出している貴族様の御令嬢であり、結婚を間近に控えていたとの事です。当主であった騎士団のお偉い様は、カルミナさんも同行された森の調査にて帰らぬ人となり、今度はその娘様がお亡くなりになったわけです。アウグスト家はてんやわんやの騒ぎ……だとは思うのですが現在の所静かなものだと聞いております」


「では……あそこで出会ったテレサ様は幽霊であったと」


 一緒に話をして、一緒に落ちて、一緒に食べて、一緒に花を探したあの人が、生きてはいないなんて、そんな事簡単に信じる事はできない。だって、そうだろう。死んでいる者が食事などできるはずもない。いいや、その体が現世に影響を与えられるということは、きっと食事もできるのだろう。そんな風に冷静に考える自分が、酷く嫌だった。


「やはり、出会われましたか。ウェヌスさんの言う通りでしたね」


 リオンさんが妖精さんに視線を向け、それに頷き、妖精さんは、酷く心苦しいというそんな表情で頷いていた。


「分かっていて……それを分かっていて私に依頼を?」


 少しの苛立ちが、湧いてくる。けれど、この苛立ちは筋違いというものだ。依頼主が依頼をこなせる者に依頼をするのは当たり前のことだ。だから、きっとこの苛立ちは……手遅れだった自分への苛立ちなのだろう。


「分かっていたかと問われると分かっていた、と言うべきでしょうね。もはや言い訳にしかなりませんが、カルミナさんにこれを依頼した理由は二つありました」


「……教えて下さい」


「一つは貴女が見える人であるという事です。幽霊を見られる事のできる人は限られています。一般に精神的に強い方とされています。知っている範囲では、カルミナさんと、そしてアルピナちゃんが見えるかどうか?といった所でしょう。カルミナさんの先輩のあの人も見えるかとは思いますが、あの方が見える理由は別ですね。必然、カルミナさんかその先輩に依頼する事になります」


「精神的に強い……と言われても自覚はないのですけれど」


「そういうものです。逆にそういう自覚のある人ほどその内側が酷く弱かったりもします」


「どちらにせよ、先輩の方が良かったのでは?」


「二つ目の理由がなければ、そうしたと思います」


 落ちついた様子で紅茶を口にし、淡々と続きを口にする。


「幽霊に涙を流させる事はできるのか?という事です。そのためには第一に幽霊との会話を成り立たせる事ができる事。いわゆる、生前の因果があるかないかですね。第二に苦しみを分かってあげられる優しさですね。それらを合わせると、失礼ですが白い方は貴女の足下にも及びません」


「いえ、先輩は優しい人ですよ?」


「それは存じております。反射と反応の違いと言ってしまえばそうなんですが、今は気にしないで下さい。つまり、私の知る限りにおいて、貴女以外にお願いできる方がいなかったという話です。ご理解いただけましたか?」


「理解はできました。しかし、本当にあの穏やかであられたテレサ様が幽霊なんですか?恨みとか辛みとかそういった物を一切感じなかったのですが……実はまだ生きているとか」


「残念ながら遺体は既に回収されているようです。学園長のぼやきにはその辺りも含まれてましたねぇ……」


「……では、最後に」


 これを聞く必要があるのだろうか。


「ゲルトルード様の事がなければ、この依頼は無かったのでしょうか?」


 それが無意味な質問だとは分かっている。それこそ医者にお前は金がない人間を助けないのか!と言っているようなものだ。これはただの偽善で、けれど、どうしても聞かなければ納得できなかった。

 人を殺して幽霊を作って涙を流させろという依頼なんかじゃあない。けれど、それでもだったら最初からそう言ってほしかった。いや、それはお門違いだ。自分の知識不足を棚に上げて何を言っている。それにテレサ様と会話する前には、見知った他人の不幸を胸に抱え、可哀そうにと何もしなかった奴が何を言っているのだ。挙句、こうして意味のない事を何の悪くない依頼主に問いただしているだから度し難い。まさに感情を持て余して喚く童女の如くだった。


「答えは分かっておられると思いますが、口にして納得して頂けるのならば口にしましょう。私が態々それを依頼に出す事はないでしょう」


 暫くの沈黙の後、少し悩むような表情をした後、リオンさんがそう口にした。

 その返答に、それはそうだよね、あたりまえだよね、と納得する。私がリオンさんの立場だったらそうしている。

 持て余した感情が冷え、心が落ち着きを取り戻してくる。元より自分でも理解していたのだ。手の届く範囲にない世界の不幸なんて何処の誰も救う事なんて出来はしない。まして憎い他人だと思っていたのだから尚更だ。そんな事ができるのは結局、神様だけなのだ。

 苦笑し、自嘲し、両手で顔を覆う。

 たかが奴隷が何を夢見た。運が良い?馬鹿馬鹿しい。また一人仲良くなれそうな人が増えて嬉しい?……あぁ、嬉しかった。そう、嬉しかったのだ。始まりは険悪だったけど、でも、それももはや過去の事なのだ。過ぎ去った手の届かない過去なのだ。だから、仲良くなれたのはとても、嬉しかった。けれど、それも……泡沫。

 けれど、と。

 泣いてばかりなんて、いられない。テレサ様がこの世に未練があるというのならば、それを晴らしてあげたい。そう、思った。同時に、テレサ様が未練を残したままこの世に居続けて欲しいとも思った。矛盾する心を抱えながら、けれど、でも動かなければ何も始まらない。

 眦に溜まった水を拭い、面を上げる。

 ふいに視界に入る妖精さんの表情が寂しそうだったのがとてもとても印象的で、だからだろうか。妖精さんにも届かなかった事があったのかとそう、思ってしまった。

 再び思考の彼方へ行ってしまいそうだった私に、今度は手ずからリオンさんが紅茶を入れてくれる。どうぞ、と促されたそれを飲めば、その暖かさに気が楽になってくる。穏やかな、とても優しい味だった。美味しいですね、そう呟いた私に、リオンさんが再度、いいや。はじめてだろうか。真剣な瞳を私に、いいや、


「ただ、遅かれ早かれだったと思います。依頼として出ていようが依頼として出ていなかろうが、貴女はその幽霊さんと係わり、そしてその幽霊さんの心を救う事でしょう。だからこそ、ウェヌスさんは貴女を推薦したのです。……貴女もそうは思いませんかね、幽霊さん?」


 私の腰元に向けて告げる。

 その問いに答えたのは、そこから湧き出して人の形をとった煙、いいや……テレサ様の幽霊だった。その姿は薄く、後ろの壁が見透かせる程だった。洞穴で見た時とは比べ物にならない程、死の匂いが強い。


「えぇ、確かに仰る通りですわね。カルミナ、私は私で勝手に自分の人生に幕を引いただけですわ。貴方に酷い事をした私に対して、責任なんて感じられても困ります。それと、持て余したからって店主さんに感情を押し付けるのは失礼ですわよ」



―――




「しかし、貴方、怖い人ね。バレてしまわないように包丁に取り憑いたというのに……店に入って来た最初から分かってらしたのでしょう?だから、その妖精も外に出さなかった」


「料理人の仕事道具の事ですからねぇ」


「それはそれは……恐ろしい料理人がいたものですわ」


「年の功という奴ですねぇ」


 取り憑かれていたらしい。

 取り憑かれた本人をそっちのけで雑談を始める二人をよそに妖精さんが私の頭を撫でてくる。騙してごめんなさいと、そう言われているようだった。いいや、妖精さんが謝る事なんかじゃない。謝るなら私の方だ。


「ごめんね、妖精さん」


 ふるふると横に首を振る妖精さんと仲直りしていれば、生温かい目で……いや、片方は既に死んでいるわけだから冷たいのだろうけれども……そんな目で見られていた。


「リオンさんも申し訳ありません。持て余した感情をぶつけるなんて……その子供っぽいですよね」


「いいえ。お気になさらず。先程も言いましたが、そういう貴女だからこそウェヌスさんも私もこの依頼をお願いしたのです。非難を浴びるのでしたら私達の方ですよ。ね、ウェヌスさん」


 うんうんと頷き、ごめんなさいと再度頭を下げる妖精さんが可愛い。


「貴方達、お人よしですわね……」


 我関せず、とくすくすと微笑むテレサ様に向かう。言いたい事が山ほどできた。が、とりあえず、だ。


「賭けは私の勝ちだったはずなんですが?」


「賭けの条件を確認しなかった貴方の負けですわね。貴族と賭けごとをする時は注意なさい。賭けごとが始まる前に勝負は終わっているんですからね」


 恐ろしい世界もあったものだ。


「もしかしてずっと憑いていられるんですか?」


「貴女、阿呆な子なの?そんなわけありませんわ」


 幽霊に説教される人というのはきっと世界でも他に類をみないのではないだろうか。いや、そんな戯言は良しとして。


「では、どうして憑いたんです?」


「遺体から見つけた依頼書の事ですわ。オブシディアンを手に入れるよう依頼を出していた人がどなたか気になったんですわ。それが分からない内は死んでも死にきれません」


「それはまた、どうでも良い理由ですね……」


 きりっとした表情でそんな事を言われてもなぁ、とさっきまでの陰鬱な感情は一体どこに散っていったのだろうかと思える程に心が弾む。やはり、私は、この人ともっと仲良くなりたいと、そう思った。


「あぁいえ、テレサ様。そんなつまらない理由にしておいてください。そしてそのつまらない理由がなくなったらまた次のつまらない理由を考えて下さい。そうやって、過ごしていれば未練が無くなる事はないですよね?」


 それはきっと生きている事と違いはなくて、だから……そんな風にテレサ様が生き続けてくれたらなと思った。思ったけれど……


「貴女って……馬鹿な子でもあったんですわね……」


 叶わないのだろうな。

 この世界はそんなに優しく出来てないから。神様まで泣いてしまうようなそんな世界なのだから。


「隠れてこっそり泣いて、偶然を装って依頼を達成させてあげようと思ったのに。まったく……。そのために無理やり泣こうと思っていたのですけれど、大丈夫みたいですわ……。受け取ってちょうだい。カルミナ。私の最初で最後のお友達」


 瞬間、痛みに耐えかねるようにテレサ様が喉を掻き毟り、声の無い叫びをあげながら表情を歪めていき、瞳からは緋色に染まった涙が流れ出す。何事かと思わず椅子から飛びのいて、テレサ様の正面に廻る。

 大丈夫?とそう声を掛けようとして、留まった。留まらざるを得なかった。

 そこにはこの世全てを怨んだかのような絶望の貌があった。止まる事を知らず、ただひたすらに流れていく緋色の涙が頬を染める。痛いのか苦しいのか、髪を掻き毟り、顔を掻き毟り、体に爪を立てる。

 それがきっと今の幽霊としての本当の姿なのだろう。

 絶望に嘆き苦しみ、そして死んでいったテレサ様の哀。慟哭と共に流した血の涙。今も、苦しそうに泣き叫んでいる。言葉ではなく心に声が響く。苦しい、痛い、悲しい、死にたい、殺して、と。それが止めどなく何度も何度も繰り返し脳を揺さぶる。

 自然、私の瞳からも涙が流れ出す。

 強い感情だった。怖いぐらいに恐ろしい感情だった。体が震え、心が震え、叫び出して逃げ出したくなるぐらいに凶悪で、強烈で。

 だから、ふいに、リオンさんと妖精さんの二人は大丈夫なのかと視線だけを動かせば、けれど、二人は微動だにしていなかった。これを受けてなお平然とする二人が信じられなかった。だが、私の視線に気付いたのかリオンさんが告げる。それは違うのだ、と。


「カルミナさん、貴女なら大丈夫です。テレサ様は仰いました。受け取ってほしいと。だから、幻想などに惑わされませんように」


「……はい」


 意味も分からず、けれど言葉と共に頷き、テレサ様を見据える。変わらず苦しそうな表情はけれど、それはどこか寂しそうだった。

 だからきっと、彼女の本当の叫びは痛い事なんかじゃない。苦しい事なんかじゃない。死んでしまうほど苦しかった痛み、殺されたい、死にたいなんてもっと違う。

 彼女が本当に叫びたいのは、とてもとても簡単な事で、それはきっと童女の叫びと全く同じで……。

 そう。

 これは、小さな人形のような女の子が、泣いているだけ。怖い怖い幽霊なんかじゃあない。ただの小さな女の子の悲しい泣き声だ。

 誰か……私を助けて、私を一人にしないで、私を愛して。

 刹那、狂おしい熱が体を通して脳を駆け巡った。

 全ての好意は悪意の裏返しだった、そんな人生を送り続けた人が最後に願うのは心から自分を思ってくれる想い。それだけあれば彼女は……

 痛みの無い表情、苦しみの無い表情、悲しみの無い表情。喉を掻き毟る事もなく髪を引き抜く事もなく、血の涙を流す事もなく、普通の、そんな表情に戻り、

 こう告げた。


「たった一日だけど、短い時間だったけれど、最高に楽しい時間だったわ。思い残す事なんて、何もない。ありがとう、カルミナ。後は、貴女に受け取ってもらうだけですわ……」


 たった一日一緒に過ごしただけのこの私に、どれほどの言葉を投げるのか。死んでしまうほど苦しかった想いが、たかだか私と、私なんかと一緒に少しの時間いただけで、私の事だって憎かったはずなのに……どうしてそんな言葉を投げかけられるんだ。


「勝手に現れて、勝手に去って、勝手に残して、勝手に人の想い出になんかならないでよっ」


 未練がないと告げる幽霊に、吐き出すように、嗚咽塗れの酷い、汚い声でそう告げる私は、未練があるとそう告げる私は、幽霊よりも醜いに違いない―――


「いつか、弟に会ったら伝えてくれます?……愛していたと。それは弟を想う姉の、家族の愛だったのかもしれないけれど、それでも確かに愛していたと、そう。伝えてくれませんか?」


 ―――でも、もう良い。

 皆、勝手だ。エリザの時もそうだけど、テレサ様も皆、勝手だ。

 勝手に死んで勝手に私の想い出になろうとするなんて、そんな事をされて、私が怒らないわけがないじゃないか。格好良く死ぬのがそんなに偉いの?

 悲恋の最後が幸せな結末でも良いじゃないか。人が死ぬ事で感動するなんて所詮他人事だからなんだ。こんな悲しい少女が一時の安らぎを受けて成仏するなんて、ただの悲劇でしかない。

 そんな悲劇なんか……私は、認めない。


「いや、です」


 誰が伝えてやるものか。


「い、いやって……そこは『はい』って言ってくれないと困りますわ」


「困って未練残して逝けないようになって、ここで延々ウェイトレスでもしてればいいんですよ。そうすれば世の中、面倒で嫌な事ばっかりだって分かります。そうして、何もかもが風化して、楽しい事だけを頭に入れて、幸せになって逝きなさい。折角、苦しんだんだから、それくらい役得があっても良いはずでしょ!!いるかどうかも分からない神様の所になんか逝ったって何の意味もないわよっ」


「あ、貴方ねぇ……わ、私に給仕が務まるとでも!?」


「覚えなさい。というわけで、リオンさん、依頼失敗になりました。失敗です失敗。カルミナちゃん初めての失敗です。幽霊の涙は手に入りませんでした。申し訳ありません。これが泣こうとしたら次は蹴倒しますんで」


 『幽霊を!?どうやって!?』とか言っているテレサ様を華麗に無視する。

 私はそれを受け取らない。

 私にそれを渡す事が、最後の彼女のしなければならない事に、唯一残る未練となった。その時点で、私の勝ちだ。

 賭けは私の勝ちですよ、テレサ様。

 そんな事を胸の内で考えていれば、笑い声がする。

 口元を抑えて笑うリオンさんはとても、珍しいのではないだろうか。いつもニコニコとはしているけれど、こんなにも普通に当たり前のように笑っている姿は初めて見た気がする。加えて、その肩に止まって、目を点にさせている妖精さんもいつにもまして可愛らしい。あぁ、この瞬間を絵に保存できたら学園長とか先輩に高く売れるんじゃない?とかもう完全に思考が切り替わってしまった私がいた。現金な奴である。


「はは……いやはや、中々面白いものを見させて頂きました。かなり久しぶりに笑った気がします」


 いやはや、いやはや、と笑いながらカップに紅茶を入れていく。一つ、二つ、三つ、そして妖精さんサイズのカップにも。


「どうぞ、テレサ様。こちらにおこし下さいませ。友人を助けるといってドラゴンの目の中にまで入った子がこう言ったのです。覆りませんよ。ははっ」


「ドラゴン……それで…………でも、釈然としないわ。幽霊なんてこの世ならざる者なんていつまでもいて良いはずがないですわ。ここで未練を無くして成仏して、神様の下へ召されるのがあるべき姿ですわよね、店主さん?」


「いいえ。この世ならざる者なら他にいくらでもおります。死にたがらない者も一杯おります。真面目に消えようとする方の方が少ないですね。真面目な方ほど損をするのは生きていても死んでいても変わらないようで……まったく、嫌な世の中ですねぇ」


「……死んでもそうだなんて、世知辛い世の中だわ、本当に。」


「とはいえ、幽霊が長々と現世に居続けるのが難しいのも事実です」


「ですわよねぇ?普通に考えて。当然よね。死んだのだもの。そうじゃなければこの世界は幽霊だらけですわよね。えぇ。だから、そういう事なのカルミナ。受け取ってくれないかしら?」


「駄目です。テレサ様はここで性根を治してから逝って下さい」


「性根って……私、無知な人間ではあったけれど、悪い人間ではなかったかと思うのですけれど。もしかしてかなり怨んでます?ごめんなさいね。あぁ、いえいえ、そうではなくて。カルミナ貴女、やっぱり馬鹿な子なの?自殺洞穴内でさえ、それほど長い間いられないのよ?」


 幽霊が長々といられない事ぐらい分かっている。でなければ、テレサ様のいうように世界は幽霊で溢れかえっているだろう。そんな事ぐらい……。


「笑わせてもらったお礼ではありませんが……ウェヌスさん、良いんですね?いえ、寧ろここまで知ってウェヌスさんが見逃すはずもありませんか」


 うんうんと頷くイノシシ系の妖精。

 けれど、イノシシだからとて、どうにかできるものでもなかろう。けれど、そんな当たり前のことをこのゲテモノ屋の店主が気にするだろうか?軽く飛び越えてその先の先まで行っていてもおかしくは、ない。


「カルミナさんは運が良いというのもあながち間違いではないのかもしれませんねぇ」


 そこで一旦、カップを口にし、続く。


「ここは神に見捨てられた社です」


 粛々と告げるリオンさんの言葉に、突然何を言い出すのかと思いながらも、自然、店の入り口を思い出す。

 神を祭る祭壇のようだと、そう思ったのは確かだ。だが、何も置いていない。祭壇らしきものはあった。だが、そこに祀られる者の実体はどこにもなかった。


「それが何かあるんですか?」


「神に見捨てられた場所で、神の下へいけると思いますか?」


 それは、言葉遊びのようにさえ聞こえる程で。だから、リオンさんが何を言いたいのか、私には暫くの間分からず、一方でテレサ様ははっとして口に手を宛てる。幽霊でも生前しみついた所為は消えない物なのだなという頓珍漢な発想がでてくるぐらい、意味が分からなかった。


「店主さん、貴方はまさか邪神の使徒なのですね?まさか、そんな!この世に本当にいるとは思いませんでしたわっ。あぁ、恐ろしい。あぁ、神様。どうか私をお守りください」


 祈るな、この馬鹿。

 という突っ込みを入れたいのは私だけではなかろう。ともあれ、そんな切羽詰まったような表情のテレサ様。神を冒涜しているような幽霊になっているのに何を今更とかも言いたい。が、これも生前身に付いた所為。中々消える物ではないのだろう。だが、その神様は……彼女を救ってくれなかったという意味で、まったく優しくない神様なんだなと、そう思った。いいや、それも神様に失礼か。何千、何万といる人間一人ひとりを見るには神様の目も足りなかろう。そんな事を考えているに、リオンさんが頭を、猫のような髪型の耳部分を掻きながら、困ったなぁという表情をしていた。


「ただのしがないゲテモノ屋の店主ですが……ここには勝手に住まわせてもらっているだけです。まぁ、詳しくはわかりませんが、この中にいる分には、安心して未練を蓄える事ができますのでがんばって貯めて下さい。もっとも、出られませんけど」


 そのリオンさんの言葉に、私は喜びを、そしてテレサ様は暫く呆然とした後に、


「まったく……身勝手な人達」


 そう呟き……黒い、涙を流した。

 はらり。はらりと流るるその黒い涙は成仏できなかったという悲しさか。いいや、ふたたび生を歩むことのできる事への嬉しさか。それを受け取る事を拒否した私には、きっと分からない。彼女が消え去ることを否定した私には、きっと分からない。分からなくて良い。分かりたくないから、彼女が消える事を拒んだのだ。

 その涙を、リオンさんが受け取った。

 私は幽霊の涙を手に入れる事ができなかったけれど、リオンさんは確かにそれを受け取ったのだ。私は失敗したけど、目的の物は手に入った。

 それで……良い。

 私が無理に依頼を成功させる必要はないのだ。

 今回の3つの依頼で一番金額の高かったであろう依頼を失敗した結果、借金というか目標金額までが、遠いのだけれど、でも……良かった。本当に、良かった。


「まぁ、しばらくは騒がしい義娘がいたりしますが……そこはご容赦ください。……と。……ウェヌスさん、これで同僚が出来ましたね。店番をお願いできる方ができましたよっ!」


 ゲテモノ屋の猫っぽい店主に、恐ろしく怖い一面を持つ優しい給仕である妖精さんに、さらに元貴族のお嬢様で現幽霊が給仕という元々イロモノなのにさらに色物な御店になった事を喜ぶリオンさんと妖精さんに苦笑していれば、そう。

 噂をすれば、影である。

 カウンターの奥、調理場とは別の、居室に繋がる所から、暖簾を上げて、


「パパ、さっきから煩い!寝られない!って、あーっ!私のおやつ!?え、なんで!?なんで勝手に食べてるの?いくらパパだからって殺すわよ?」


 幽霊すら絶句し、凍る程の美人が恐ろしい言葉と共に現れた。

 あぁ、これは確かに騒がしい、けど前に洞穴で声を聞いた時はもっと落ちついていた気がするのだけれど、などと、そんな風に一言でも感想を残せた私は、意外と精神的に強いのではないかとそう思った。

 いや、しかし、ちょっと娘にしてはでかすぎません、リオンさん?


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