第2話 イノシシ系妖精
2.
「神はいついかなる時でも我らを見守っております。辛い時、苦しい時にも貴方の傍に神はおられます。さぁ、皆さん、一緒に、祈りましょう」
トラヴァント帝国首都内に敷設された教会。通りがかりにそんな声が聞こえてきた。重厚で神聖さを覚える装飾の施された扉の奥、一人の女性が熱心に語っていた。黒色の衣装を纏い粛々と。教徒を前に延々と神のありがたさを語る。
そんな風にその人を見ていると、ふいに村に来られていた教会の方を思い出す。言葉を教えてもらった。知識を頂いた。神の話も少し聞いた。神とは違う邪神なる者が存在するという話も聞いた。子供ながらに神がいるのに何故邪神などという存在が許されるのだろと疑問に思ったが、それを聞くことは無かった。聞いてはいけない事なのだろう、そんな事を思った記憶がある。
ともあれ、この場に教会があるのは大層な皮肉だと思う。
見守られているなら、どうしてあんなにも自殺志願者が出るというのだろう。守られていると安心しているから?いいや、そんな馬鹿な話もなかろう。
結局、神様なんて都合の良い象徴でしかないのだろうと、そう思う。エリザの事があって神様を信じてみたくなったもののやはり普段の認識がそんな簡単に変わるわけもない。まさに都合が良い象徴である。もっとも、教会の方が知識を伝えてくれた事には深い感謝をしている。そういう意味で、私にとっては教会の存在価値は高い。でなければ、今この場にいる事さえできなかっただろうから。まったく打算的で、都合が良いと自分でも思う。
「そういえば、邪神っていうのはどうなるんだっけ?」
どうだったかな?と記憶の扉を開いてみても、いまいち思い出せない。神様と邪神は戦っていた事ぐらいしか思い出せない。が、今こうして教会が成り立っており、邪教の使徒の集まる場所が無い事を思えば、きっと神様が勝ったのだと思う。まぁ、見えないだけで邪教の館とかはあるのかもしれない。見慣れてはきたが、正直リオンさんの御店はきっとその邪教の館にふさわしいと思う。
語る女性のさらに後ろに立つ神様の像を一瞥して、その場を去る。
信徒でないからそういう感慨が湧くのだろうか。奇妙な形の神様だったな、と。
「翅が二つに変な形の躰が一つ」
鳥のような羽でもあり、蟲のような翅でもある。それは何だか世に聞く天使の如く。ただ、それが生える体が奇妙なのだ。立方体というか四角というか五角形というか六角形というか、ともかくそういった角のある形をあちこちに並べて綺麗に取り繕って見せたような、そんな形だ。神様だからこそ、人の言葉では言い表しづらい形状だという事の象徴か。それにしてはえらく変だ。まぁ、もっとも。
「芸術家の考える事が分かったら、芸術家になれるよ」
街路の隅を歩きながら呟く。きっと、著名な彫刻家の作なのだろう。その彫刻家の作った像が美しい神様の象徴に最もふさわしいと判断されたのだろう。まぁ、あれを美しいというかといえば、そうとも思えないのはやはり信徒ではないからなのだろうか……。
それに……。
綺麗といえば、辛くも逃げ出してきた洞穴内にいた彼女の方が何倍も何十倍も綺麗だったと思う。今思い出しても身震いするような美しさというのはもはや恐怖である。あんな綺麗な人なら街で噂になっていてもおかしくはないし、誰かに聞いてみるとしよう。
それよりも今は先に、医者のいる所へと向かわなければならない。
荷物を預けるついでに宿屋で包帯を巻きなおしたが、もはや既に血が滲み出て来ている。これで良く貧血にならなかったなとは思うが、あれから数時間が経過しており、流石にそろそろ限界だ。
医者に行ったら、エリザを迎えに行って、それから今日はもう休むとしよう。折角拾ったコボルド達や魚は腐ってしまいそうだが、致し方ない。
「幸先不安……」
呟いた言葉が神様に届く事はきっとないのだろう。そんな事を思いながら夕暮れ時の首都を行く。
‐‐‐
『さぁ……そんな綺麗な方なら噂ぐらい聞きそうなものですが……カルミナ、貴方もしかして幽霊でもお見かけになったのでは?いえ、そんな事より、その怪我どうなさったんです?』
義手や義足の関係もあり、ジェラルドさんとアーデルハイトさんのお宅にお邪魔していた、というよりもお願いしていたエリザを迎えに行った後、例の美女について聞いてみた結果がそれだった。
幽霊もいるのか洞穴、と自殺洞穴の不思議をまた一つ知ったようなそんな気分にさせられた。いやはやしかし、幽霊とかどうすれば対処できるのだろう?やはり、そういった事は教会の方から教えて貰う必要があるのだろうか?いや、でもそれは信徒にならないと教えてくれないんじゃなかろうか?と悩んだ挙句にまぁ、逃げれば良いやと結論付けたのも昨日の話。
がらがらと音を立てて進む車輪に振り向く人達が一瞬こちらに目を向け、一瞬の後に目を背ける。座っているのは当然エリザであり、押しているのは当然私。加えておまけに車いすに括りつけられているのは昨日のコボルドと魚然とした奴らを詰め込んだ頭陀袋。もちろん、案の定と形容せざるをえないが、腐り、腐臭を放つ事になったコボルド達を入れた頭陀袋である。最近腐敗臭と仲良いな、とか訳の分からない考えが浮かぶのも致し方ないぐらい臭い。ドラゴンゾンビに比べればたいしたこともないけれども……と比較しても仕方の無い事柄を比較して気を逸らす。
「……うぅ」
その後に続く言葉は『臭い』に違いない。が、それをエリザが口にすることはなかった。先ほどから顰め面で唸っていたり、長い耳がぴくぴくと震えていたり。けれど、不平を口にすることは無かった。
嘆息する。
最近、いつも『こう』だった。
「エリザ、変な遠慮は禁止」
「あ……いえ、そんなつもりはないのだけれど……」
尻すぼみになっていく声音、取り繕うエリザの姿が親に叱られた幼子のようで、酷く心苦しい。
死にゆく運命から解放され、諦めから来る強がりも必要なくなった結果、そこに残ったのは信じていた者に裏切られ捨てられた一人の少女。エルフを差別対象だと睨む人間達の世界で、そんな少女がただ一人。見渡す限りの敵ばかり。自分一人で生きていけるのならば良い。けれど、体も壊れ、一人では動く事すらできない自分を養っている相手に、迷惑を掛けていないわけがない。不平、不満を言う資格などないとそう……そんな悲しい事を思ってしまうほどに、彼女は弱い人なのだ。
「私はエリザの事を迷惑だなんて、思ってないから。私は、貴方と一緒に、この世界を生きていたいだけなんだよ」
だから、私は彼女の心が安らぎを得るまで何度も、何度もそう言ってあげる。言葉にせねば伝わらない事もある。言葉にしても何度も伝えねば伝わらない事もある。飽きてしまうほど言えば、少しはエリザ自身が『そうなんだ』と思える日が来るんじゃないだろうか。
「……まぁ、腐ったコボルドとか魚一つで何だって話なんだけどね」
「……えぇ、ちょっと大げさですね」
顔を見合わせてお互い、苦笑する。
ただ、それだけで楽しかった。きっとこの今の想いもいつか笑い話になる。そんな日がいつか来る。そう信じている。
車輪と地面の成す音を聞きながら街路の隅を行けば、次第、街路樹が見えてくる。もうしばらく行けばオケアーノス公園だ。
向かう先は、当然の如く、リオンさんの御店である。こんな腐った物を提供しても、とは思うが、リオンさんから、『腐ってからが美味しいのです』という極めて酷い台詞を以前に聞いた事があるので大丈夫だろう。うん。
さらに暫く行けば人気はなくなり、同時に、エリザの肩から力が抜ける。それを見なかった事にし、先へと進む。
風が木々を揺らす音、からからとなる車輪の音。昨日の洞穴が嘘のようにさえ思えるほどに現実的で、緩やかな空間だった。この地下にあの洞穴があるとはとても思えない。エリザも洞穴から出てきた時はそんな気分になっていたと言う。あのじめじめとした寒い空間に長くいれば確かに気も滅入る。それは森にでも行きたくもなろう。元より彼女はエルフなのだから尚更だ。
湖が近くなり、店が近くになれば見えてくるのは木々の中心に立つ一際目を引く巨木。妖精さんが良く舞っている広間に立つ巨木。
見上げればあのドラゴンよりも大きい。まさに天を穿つかの如く聳え立つ。
悠然と幼い木々を守るかのように、実際には栄養を奪っているのだが、聳え立ったそれは遠い昔から存在した事を示すように幹がとても太い。大の大人が十人がかりでようやく一回りといった所か。だが、老木といった印象はなく、凛と立ち、今も成長し、まさに聳えると形容する以外にない。それは宛ら不老の如くであった。洞穴内に根を張って怪しげな栄養でも吸っているのだろうか?とか、きっとまだまだ大きくなるんだろうなとエリザと一緒にそれを見上げる。
でっかいねー、でっかいよねーと当たり前の事を無意味に楽しく呟いていれば、空から花弁と共に小さな何かが風に舞い、降りてくる。
確認するまでもなく、それは妖精さんだった。
淡い色の花弁を撒き散らしながら、妖精さんが私達の前に浮き上がり、そのまま一礼する。不思議な事に、いつもの単衣に前掛けという、給仕姿にしては変な格好だった。
「おはよう、妖精さん」
「おはようございます」
告げれば、再度一礼し、少し考えて、エリザの肩辺りに座り込む。
「妖精さん、何かあったんですか?今からリオンさんの所へ行こうと思うのだけれど」
首を傾げて、何かあったかな?いや、特には?ないような?と首を傾げる妖精さんになんだかなぁと思いながら、からからと車椅子を鳴らしながら御店へと向かう。しばらく行き、紅色の朽ちた門を抜け、建物の入り口についた辺りで足を止め、そして、荷物を車椅子から取り外し、エリザをその場から少し移動させ……いや、大丈夫か。
「妖精さん、エリザの事お願いして大丈夫ですか?」
どんと小さな胸を叩いて……いや、比率を考えれば別に小さくは無いが……頷く。任せておけ、と。
妖精さんになら任せても問題ない。うんうん、と一人頷きながらリオンさんの御店に行こうとした私をエリザが止める。
「あの、カルミナ……?」
「あぁ。そっか。大丈夫だよ。安心していいよ。妖精さん強いから」
「……と、言われても」
洞穴内で実際に妖精を見てきた人にとっては、そうではないのかもしれない。が、この妖精さんは……。あの殺戮はまだ記憶に新しい。いいや、暫く新しいままだろう。それに加えて、エリザの片方の目、その閉ざされた瞼の奥は伽藍。それが尚更、蜘蛛の最後を思い出させて、ついつい身震いする。
「いやはや……うん。先輩のお墨付きだから大丈夫だよ」
「…………なら、大丈夫か。ごめんね、妖精さん、疑ってしまって。宜しくお願いしますね?」
気にしていない!とばかりに再度、薄くない胸を叩く妖精さん。
「なんでそう先輩の、って付けると納得するかな、エリザは。何?あの先輩そんな凄いの?いや、凄いのは分かってはいるんだけど……」
「姉さんは……カルミナが思っているよりも、ずっと凄いわ。あんな性格だけれど……誤解する人は多いけれど、優しい人なのよ?」
別にあの白い先輩がエリザの実の姉というわけではない。
単に色々とお世話になってるし、親身にもなってくれるし、と慕っている事の表れみたいだ。最初に聞いた時は何事かと思ったのはここだけの秘密である。ちなみに、エリザに姉呼ばわりされて、先輩が嫌そうな表情をしていたのは予想するまでもない事だった。うん。だろうと思う。
「そういえば、先輩といえば、エリザでも名前知らないとは思わなかった」
「そうね。でも、きっとディアナ様も知らないと思うわ。いつもあの子とか貴方とか言っていた記憶があるもの」
それは何と言うか……徹底している。奴隷の飼い主が奴隷の名前を知らない道理などあるのだろうか。もしかして、邪教の館で育った生贄の子で悪魔に魅入られて名付けられた結果、表に出す事のできない名前とかそういった類のものなのだろうか。他には例えばそう、9本目の皇剣オブシディアンの正統後継者とか……。
「他の奴隷達はやっぱりあの方とかそれこそ、なんでしたっけ?えぇと」
「白夜姫」
「そう、それとか、白雪様とか単に雪様とか。薔薇様とか……。あぁ、薔薇様っていうのはその、先輩が洞穴帰りにモンスターの血で赤かったからとか……」
白か赤しかないのかなぁ、あの人。と思えば少し可哀そうな人に思えてくるから不思議だ。
「そういえば、カルミナもアルピナ様から二つ名を付ける事といわれているのではなかった?」
「いや、そんなのいらないって。自分で付けるものでもないでしょ普通」
「まぁ、それはそうね」
「エリザだって、誰かに付けられた二つ名とかあるんじゃないの?」
「な……くはないわね。……巨剣隷嬢とかなんかそんなので呼ばれた事はあるけれども、嬉しくない名前よね。姉さんみたいに可愛らしいのならまだ良いけれど」
そう言って笑みを零すその姿は、在りし日のエリザのままだった。
そんなエリザの事を再度、笑みを浮かべている妖精さんにお願いして、頭陀袋を片手に私は、一人木造の建物の中へと。
ぎしぎしと鳴る板の上を歩き、今は何も祀らぬ祭壇の前にし、
「ほんと、邪神が出て来てもおかしくないよね、ここ」
そんな事を呟きながら、階段を下りて地下にある御店の中へ。
‐‐‐
「臭い……」
邪神は出て来なかったが、扉を開いて一言目に出たのがそれだった。
いやはや、自分の持ってきたそれよりもさらに臭い物が中から出てくるとは全く思わず、無警戒だった。汝気を抜くことなかれ、それを忘れていた。外だからといって気を抜いてはいけなかったのだ……などと阿呆な思考に脳を乱されながら中に入れば、客席側に座って机の上でちまちまと食材らしきものと格闘しているリオンさんの姿があった。
「おや、カルミナさん。いらっしゃい……こんな格好で失礼しますね。ちょっと手が離せない類の物でして」
食材らしき何かとの格闘を止める事なく、顔だけをこちらに向けてそう告げ、私を隣の席へと誘う。
「いやはや、ウェヌス君には誰も入ってこないように見張っておいてとお願いしたつもりだったのですが……もしかして会いませんでしたか?」
「いえ、会いましたけど、そんな事は特には……」
「むぅ。お気に入りの単衣を汁塗れにしてしまった事、怒っているのでしょうか……うーん。とはいえ、お客様にそんな仕打ちをするわけもないのですけれども」
あぁ、あの前掛けはシミ隠しか。
首を傾げて唸る猫っぽいリオンさんをよそに私は納得した。もっとも、それならばあの服を洗って他の服を着れば良いのにと思うのは私だけではなかろうが……。
ともあれ。
「わざわざエリザの肩に座ったから、何か用があるんですか?とか聞いたんですが、何かあったかなぁとか首を傾げてましたねぇ……」
妖精さんと会った時の事を説明していけば、私には理解できなかったが、リオンさんはそれで納得したようだった。
「あぁ、エリザベートさんがご一緒でしたか。それなら忘れても仕方ないかもしれませんねぇ。ああ見えてイノシシ系でして。いやはや,失礼致しました。店主として店員の職務怠慢に改めて謝罪致します。……この臭いきついでしょう?」
何だか不思議な物言いだったが、リオンさんが納得できたならそれで良いだろう。この臭いを嗅いだ所でどうなるわけでもない。ともあれ、そんな事よりもこの臭いを発している物体の方がさっきから気になっている。
手を止める事なく、てきぱきと手元の中で果物らしきものを解体しながら、その中身を器の中へ移すという作業を延々と繰り返している。その一見して果物のような丸く柔らかそうな見た目に比して、パキっと硬そうな音を立てて割れ、割れた中からは青い色の液体が。
「それ何です?言ってはなんですけれど、何だか食欲のそそられない色ですね、青色って」
「あぁ、これですか。娘の土産ですねぇ」
全く答えになっていない返答に苦笑する。
「あ、噂の娘さん帰ってこられていたのですか」
「えぇ。つい昨日の夜に帰って来た所です。しばらくはこっちにいるそうですけれど、今は墓参りに行っているみたいですね。また、その内、カルミナさんともお会いするかと思いますので、宜しくお願いしますね。ちょっと騒がしい娘ですが、ご容赦のほどを。……しかし、噂ですか?」
「いえ、私が勝手に噂しているだけです」
今度はリオンさんが苦笑する。
しかし、リオンさんの義理とはいえ娘というのはどういった人なのだろう。まぁお土産にこんな強烈な臭いを放つ果物を渡すという時点で、この親にしてその子ありといった所だろう。義理でも血の繋がりより強いものはあるんだろう、とそう思う。
「それで、本日は?確か、洞穴の方に行かれると仰ってましたし、依頼の件ですかね?」
「はい。それです。ただ、ちょっと時間が経ってしまっているので、腐ってますけれども」
と頭陀袋の中身を見せる。
開いた頭陀袋の中にはちょっとした猟奇的な光景が展開されている。が、特に気にした様子もなくのほほんと作業しながらそれを見るリオンさんは凄いと思う。
「いいえいいえ。腐ってからが美味しいのです。良い発酵具合かと。いやー、ありがとうございます、カルミナさん。気を効かせて腐らせて来てくれるなんて自殺志願者の鑑ですね」
嬉しそうだった。腐っているのが嬉しそうだった。内臓だらけの猟奇的光景が大変嬉しそうだった。その所為だろうか、作業する速度がどんどんあがっていく。
それにしても、と思う。
モンスターの皮などは装備品などに使えるので街中にいけば簡単に手に入る。一方、その内臓といえば市場に並ぶことはないと言って良い。だからモンスターの内臓を手に入れようと思ったら、自前で取りに行くか高い金を払って依頼する必要があって手に入り辛いとは思うが、そこまで喜んでもらえるとは思っていなかった。所詮、依頼という名の雇用契約なのかもしれないが、それでも喜んでもらえると嬉しいものだ。
ちなみに、今回も、一応は学園経由の依頼という形を取ってもらっている。
学園を卒業し、半人前の自殺志願者となった私は、借金というか、金を稼ぐ必要があるが、これが面倒な事に洞穴内で稼いだものに限定されている。ゆえに、それの証明が必要なのだ。個人契約だと証明には足りないとか全く奴隷に優しくない理由で、面倒極まりない話だが奴隷という身分故にそれに文句を言うわけにもいかず、リオンさんには直接取引ではなく、間接的に正式に出された依頼という形をお願いしている。
洞穴管理学園に張りだされている依頼には学生向けもあれば一般向けもある。今回は一般向けの依頼としてモンスターの臓物を一ヶ月間の期間限定で一定量に達するまで買い取るという依頼を出して貰ったのだ。
依頼書には値段が種族別、部位別に記載されており、危険度と気持ちの悪さの割に二束三文といった所。一見して他の人が依頼を受ける事はないだろう。さらに特記事項に専属契約と記載してもらっているから尚更だ。この依頼を受けている最中に他の依頼は受けられず、しかし、依頼主による追加の依頼は可能な限り受諾するように、とさらに他の人が受け辛く書かれている。正直、依頼主がかなり有利な契約だ。特に可能な限りなど、これを理由に依頼主の一存で契約失敗を告げる事も可能な、奴隷契約にも似た酷い依頼書である。依頼主の人となりを知らぬものがこれを受ける事はないだろう。まぁ、それもこれも私以外がこの依頼を万が一にでも受けないため、である。自殺志願者の中には弱いモンスターを虐殺するのが好きな人達もいるらしく、この手の依頼でも受ける人は少なからずいるらしい。依頼をこなしてくれれば誰でも良いというのも事実だろうが、だからといってそういう人と係わり合いたくないというのは人情である。
他方でリオンさんもリオンさんで学園長に依頼を出せとか言われているらしく、私の提案は渡りに船だったみたいである。ただ、また私か、と学園長さんに睨まれたとかそういえばこの間、依頼受けられましたーと報告しに来た時に言われた。
ともあれ、これはある意味、裏取引である。が、とはいえ、その辺りはディアナ様も汲んでくれると期待している。きっとディアナ様は証明さえあれば良いのだ。自分の所の奴隷が洞穴探索にこれだけ貢献したという証明が。
そう考えれば、ディアナ様の目的というのも見えてくる。それは実に簡単な事であり、一見すると馬鹿馬鹿しいが、アルピナ様を心酔する彼の人は帝国への貢献を願っている。ただそれだけだ。国内領主の奴隷が自殺洞穴を攻略する事で国の強さを示そうというのだろう。アルピナ様を筆頭とする我が国は他国に攻め入られる程弱くは無いとそれを力で示したいという事。そのためであれば奴隷を買い集め、自分に悪評を集める事も厭わない。だが、逆に言ってしまえば彼女にとっては洞穴攻略に寄与出来ない者は不要なのだ。だから、面倒でも洞穴内で稼いだ金であるという証明が必要なのだ。本当にディアナ様にとって必要なのは金などではない。
そういう意味では、ディアナ様曰く運の良い奴である私はディアナ様にとって中々良い駒なのではないだろうか。アルピナ様から正式な場で名誉を頂いたという事は洞穴攻略に対し、リヒテンシュタイン家の貢献を示せたという事でもある。まぁ、だから、先日、伺ったときにエリザの事で小言を言われたのは、小言しか言われなかったのは言ってみればディアナ様の期待なのだろう。
「いやはや、しかし、脳と心臓と睾丸が一緒に混ざっているのは中々あれな気分になりますねぇ。加えて小人の手足みたいなのがわさわさというのがさらに」
考え事に没頭していた私をよそにリオンさんは、青い液体を吐き出す果物を片すのを終えたのか、頭陀袋の中に手を突っ込んでぷにぷにと触って確かめていた。素手ですか、という突っ込みは今さらだ。
「それにしても内臓を持ってくるのはなかなか難しいですね……汁物というか」
小さめの、たとえば睾丸とか陰茎の類はまとめて小さな袋に入れていたが、所詮麻で出来たものである。液やら血がその中から染み出て、心臓やら脳に混ざっている。
「あまり洞穴内では使われませんが、飲み水用の革製品に小分けにするのはありですねー。間違えて飲んでしまうと大変ですけどね。……生の内臓はあまり美味しくないですから」
はっはっはと笑う。
妙に実感を伴った物言いだった。
ともあれ、今後のためにもその皮製品を買うのも良さそうだった。帰りにでも1つ買って帰るとしよう。しかし、だからといってあまり物が増えすぎるのは宜しくない。結局、持って帰る物を選好みする必要が出てくるだろう。
「えぇと依頼書に書かかれた金額は、と。……崩れた脳が2つと状態が良いものが1つ。心臓が4つ、うち2つが一部破損。睾丸、陰茎、陰唇、それとお魚さん達の分を諸々合算して全部で35,500クレジットですね」
相変わらず相場は分からないが、イカ35匹分だと思えば高いのだろう。これだけで1週間は宿屋に泊まれるので、1日の稼ぎとしては十分過ぎる。殆ど散乱していた拾ったものなので尚更に儲けものである。逆に、自分の実力だけだった場合、その日を生きるのが精々だという事でもあるが……。これはもう知識を増やして先輩のように宝石だとかを手に入れられるようにならないと、だ。
「はい。ありがとうございます」
頷き、その金額を頂き、依頼書に金額と署名を書いて貰って完了である。
それを終え、要件だけというのも何だが、エリザも待たせている事だしと帰ろうとする私を、リオンさんが引き止める。
「その怪我ですと、しばらく洞穴にはいかない感じですか?」
「あ、はい。といっても2,3日で大丈夫みたいなのでその後は様子を見てといった所です。何かありましたか?」
「依頼といえば、依頼になるのですかねぇ?」
「あ、はい。可能な限り大丈夫です」
つい笑みがこぼれ、リオンさんもそういえば依頼書にそんな文言を書いたねぇ、と笑う。
「ちょうど一週間後くらいになるとは思うのですが、そのあれです。先日の話がとうとう舞いこんできてしまいまして。……まぁ、その責任を取って貰おうかと。あぁいえ、責任というのは冗談です」
「あぁ、あのゲルトルード様を診るって話ですか」
エリザが再び意識を取り戻した日の事だ。アルピナ様にゲルトルード様をリオンさんに診てもらうのはどうなんでしょう?と問うたという話だ。
アルピナ様と同じく8年前のドラゴンによる呪いならば、きっとアルピナ様と同じ呪いなのでは?と考察した結果でもある。ドラゴンゾンビの腐肉にやられた私や先輩は、あれ以後、呪いが原因による現象が発症していないのだが、しかしあの場で呪いにやられた男が、化け物やドラゴンを食べようとしていたという事は、その他の虫や化け物達と同じ行動をとったと言う事だ。それはその彼が化け物を食べたつもりではなく、ドラゴンの腐肉がついた蟲や化け物を食べていたという事だと考えれば、同じドラゴンによる呪いは、同じ効果を生む。そう、私と先輩は判断した。その彼が巨石により潰されたドラゴンと運命を共にしたため詳しく聞くことができなかったのが、残念極まりない。実際に狂ったように食べていた彼の証言もあれば完璧だったのだが……。人類がこれまでに打倒できたドラゴンが2匹。あまりにも呪いについて調べるには数が少なすぎる。だが、状況証拠は確かにそれを示しているのだ。同じドラゴンの肉を食べたものは同じ呪いを受ける、と。
もっとも、未だ予想の域を出ない。アルピナ様は動けているけれど、ゲルトルード様は動けないのだから、この考えには何か大事なピースが足りないのかもしれない。
「えぇ。あの話です。アルピナちゃんと、それと学園長にもせっつかれましてねぇ。……一週間後にお城に行くことになりまして……その状況如何によってはお願いする事も出てくるかな、と」
「なるほど……」
「まぁ、安心してください。その場合、国からの依頼という事になりますから、洞穴が関係なくても依頼金額は加算されるかと」
「いえ、それだったら卵の事とかこの間ので減額くらいには……」
「ま、きっとアルピナちゃんがどうにかしてくれます」
「それはそれで後が怖いんですが……まぁ、出来得る限りで依頼、受けさせて頂きます。生活もありますし」
「それで結構です。もとより無理な事を頼む気はありませんので。まぁ、むしろ、きっとカルミナさんでないと出来ない事があると……私は、思っていますがね」
そんな不思議な物言いをするリオンさんに別れを告げ、エリザを迎えに行けばエリザは妖精さんを肩に置いたまま、眠っていた。
魘される事なく、全てを任せられる何かに身を委ね、安らかに。意識を取り戻してからほぼ毎日魘されているエリザからは想像もできない程、その表情はとても安らかで、とても幸せそうだった。そして、それを見つめる妖精さんの瞳もまた、とても優しそうだった。
「あぁ、イノシシ系……ね」
心傷ついた者がいたら、一直線、と。