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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
第二章~パンが食べられなければ天使を口に突っ込めばいいじゃない~
31/87

第1話 今日は暗い洞穴の中で

この物語は百合成分43%+洞穴成分10%でできております。

1.




「人間を生み出した神様は周りの神様に馬鹿にされていました。ドラゴンを作った神様がこう言います。『お前の作ったものは何て貧弱なんだ』と。天使を作った神様はこう言いました。『何て醜悪なものを作るんだ』と。悪魔を作った神様はこう言います。『神の言う事を全く聞かない失敗作じゃないか』と。そういって毎日、毎日馬鹿にされていました。でも、人間の神様はこう言います。『人は決して弱くない』と。『人はとても美しい』と。『人は失敗作などではない』と。優しい神様は馬鹿にされながら、泣きながら回りの神様達に言い続けました……」


 昨日、久しぶりに会った先輩から聞いた神話とやらを思い返す。相変わらず口調の安定しない人だな、とか妙に演技じみていたとか思い出しながら、自分の今ある現状から目を背ける。

 既に入口は遠く、出口などありはしないが、しかし風の流れる音が響いていた。上から下へ、下から横へ。縦横を巡る音が立ち位置を幻惑させる。思考を音に乱され、直前の記憶すらあやふやに。

 迷った、と言えば確かだろう。

 いいや、迷ったとしか言いようがなかろう。

 都合二度目となり、しかし本格的に入るのが初めてだという洞穴……自殺洞穴と呼ばれるこの場所で迷子になるとは、死んだも同然なのではなかろうか。

 今月も既に76名が帰らぬ者となったと聞いているが、77人目は私なのだろうか、と思えば現実逃避もしたくなる。現実逃避をしたくなった結果、脳裏に浮かんできたのがあの白い先輩だったのは正直釈然としないが、ともあれ今は、そんな事はどうでも良い。今、私がやらねばならない事はこの場から帰るかあるいは地図に書かれた位置を発見する事だ。

 未だ踏破されぬ洞穴とて、第二階層までは人類の手がかなり入っている。おかげで私が持つような地図というのも不十分ながらあるのだ。それがあったからといって私のように迷う者は出てくる。

 迷った人間が元の道に戻るためにはどうすれば良いのだろう?地図を見た所で、今ここがどこか分からない以上、どうしようもなかった。

 松明で照らした周囲を見渡せば、手の届く範囲に天井があった。触れれば冷たく、ごつごつとした岩肌が露呈していた。良く見れば所々に削ったような跡や血の跡も見える。


「ふぅ……」


 息を吐き、心を落ち着ける。しかし、逆に体は緊張し始める。いつ出来た跡かは知らないが、少なくとも警戒するに越したことは無い。

 腰元のディアナ様謹製の包丁に手を掛けながらゆっくりと先を進む。

 陽光一つ入らぬこの場所の空気はとても冷たい。雪空よりも雪の森よりも尚寒い。それを助長させるのが岩の隙間から止めどなく流れる水だ。

 雨水が地面を通り、岩石の隙間を通り通路となったこの場へと現れている。触れればとても冷たく、氷にならないのが理解できないと言った所だ。触れるのも忌諱したくなるそれを避けながら先を行く。

 とはいえ、ありがたい一面もある。洞穴内のそこら中にここと同じように水が流れているため、洞穴内では飲み水には困らない。地中を通り、濾過されたそれはとても綺麗な水であり、井戸水などよりよっぽど綺麗だ。

 その水の流れる方向といえば、きっと下、だろう。

 第二階層への道は唯一だと聞いている。であれば、下へ下へ向かっていればいつかその第二階層への入り口とやらに付くのではなかろうか。そこから逆に追っていけば入口まで帰れるでは……そんな単純な考えに従って体を動かす。

 しかし……こんな自然洞穴然とした洞穴に対して、第一階層だとか第二階層だとかそういう区別はどこでやっているのだろう……。今も下へ下へと向かっているのだから尚更疑問である。

 そういう意味ではまだ私は知識不足であり、自殺志願素人。

 先立ってのドラゴンゾンビの件でありがたい事に早々に学園を卒業したものの、十分な講義を受けられていない。後は自分で調べなさいという事になるわけだが、早々全て分かるわけもなし。まず一度ぐらいは実地で、と思っての今である。


「……いや、まぁ」


 などと自分への言い訳をしても仕方がない。

 ドラゴンゾンビの件が終わった後、ディアナ様に呼び出され、エリザに関する小言と合わせて要約すると資格を得たのならばさっさと洞穴に行って金稼いで来いと言われたわけである。エリザの件で残り1年で稼ぐ必要があるのだからそう言われるのも致し方ない。先輩曰くそう時間がかかるものでもないとかいう話ではあるが……あの人はまたレベルがかなり違うため参考にはならないので、急ぐ事にしようと思ったのである。それに……。

 お金がない。

 プチドラゴンの肉をリオンさんに売って手に入れた御金はエリザの義手義足に。報償として頂いたものは生活費や装備品などに使った結果……二人で暮らすには十分とはいえないぐらいまで減った。

 ちなみに購入した装備というのは靴や肌着とベルトだ。洞穴用に厚手のブーツや肌着、腰に巻いたベルトには包丁やピックや蜘蛛女の糸をいつでも取り出せるようにした。他には頭陀袋を新調し、肩から掛ける。服は報償として頂いているので、それを利用させて頂いている。黒い薄手上着に短い黒いスカートに長めの靴下というアルピナ様の趣味全開ではあるものの、動きを阻害されず、着心地も良く、丈夫だし文句は無い。スカートで貞操帯というのはどうかとは思うが。閑話休題。さらにちなみにまともな武器に関しては未だ、である。あんな重たい物を持ってまともに動けるか、という話である。ともあれ、そんな理由で金が無い。

 いやはやしかし、村社会で育ってきた所為で金銭感覚というものがないという事なのだろうかと悩む。とはいえ、エリザも話は聞いていたのだからおかしいと思ったら言ってくれたはずである。……きっと。彼女の部屋を片付けしに行った時に色々散乱していた事を思えば、浪費家なのかもしれないが……。いや、悪くは考えないでおこう。今この状況で悪い方向に考えると気分が滅入る。


「リハビリと、生活費と将来的にエリザの装備とか?うーん」


 周囲を警戒しながら呟く。

 世間的な扱いだけを言えば、今のエリザは私の奴隷である。リヒテンシュタイン家の奴隷ではなく、ただのエリザベートになっている。ゆえにその飼い主が面倒をみるのは当然ではあるが、飼い主に金銭も器量もなければ奴隷を養えるはずもなしに……。


「まぁ……」


 エリザが一人で動けるようになれば奴隷契約は解除するから、それまで過ごせる分だけ稼いでおけば良いのかもしれない。最も、未来の事なんて分かるわけもないのだから、これ以上考えても仕方ない。とりあえず、稼ぐ必要はあるという事が分かっていればそれで、良い。


「というわけで……」


 包丁を壁に向かっておもむろに突き刺す。

 突き刺した壁が、壁に張り付いていた生物がびたん、びたんと跳ねて、くて、と息を引き取った。形状からして魚なのだが、人間然とした足で壁に張り付いていた事を思えば魚ではないだろう。かさかさと壁を這う姿は昆虫のようでもあって、気持ち悪い。とはいえ、それはそれ、と血抜きだけ済ませて頭陀袋に仕舞い込む。とりあえず持って帰れるものは持って帰ってリオンさんにお渡しすれば良いのだ。そういう契約を事前に結んでいる。何かいたら是非―と。今度は、妖精さんが付いてくる事はなかったけれども……。いや、この場に妖精さんがいたら心強いけれども魚状生物の死体が散乱して怖い事になりそうである。

 それぐらい、壁に張り付いていた。光を宛てた先に見えるこの光景は夢に出そうだった。これに襲われた日には、とは思うものの、光から逃げようとかさかさと壁を伝って奥へ奥へと進んで行っていた。その辺り、実に魚っぽい。


「……いや、本当運が良い」


 あれが人を襲う類の生物だったならば今この瞬間私は存在していない。それぐらい唐突に奴らは存在した。警戒など何の意味もないぐらいに唐突に。全く……運が良い。


「はぁ……」


 ため息の一つも吐きたくなる。汝気を抜くことなかれ、だ。思い返し意識を切り替える。やはりどこかまだピクニック気分だったのだろう。そんな自分を諫め、省みる。

 松明を絶やさず、周囲の音に警戒、といっても水音が大きいので難しいが、警戒しながら先を行く。

 足音を小さく。視線を広く。

 奥へ、奥へと。

 そして……そうしていれば、目の前に光が……光?


「何だろうあれ……」


 他の自殺志願者達かと思えばそうでもなさそうだった。松明の光ではない。青い光が向こうから届く。その色にはた、と思い返し地図を見れば、書いてある。


「水晶宮」


 と。それを見て、急ぎ向かおうとして、足を止め、周囲の水を使って松明の火を消す。

 青い光に映る人の腰程度の背丈の獣のシルエット。

 それはコボルド、と名付けられた生物に違いなかった。二足で立ちあがった背筋の伸びた犬といた所だろうか。その気質は凶暴な犬そのもの。本で読んだ知識では、知能は低いが、石器を扱う。犬歯だけでも十分な凶器だが、それに加えて岩石を切りだして作りだした石の剣を手に持っていた。それは無骨ながらも人を殺すには、彼ら的には獲物を得るためには十二分なのだろう。

 そんなコボルドは水の中に立ち、かさかさと動いている魚然とした生物をその剣でちくちくと刺しながら獲物を取っていた。ちくりと刺してはそれを口元へ飲み込む。それは食べているわけではなく、飲み込んでいる。それを思えば、体内で持ち運び住処へと向かうのだろうか。

 そのコボルドを排除せねば水晶宮に入る事は叶わない。

 彼が猟を終えた後、どちらに向かうのか?こちらに向かってくれば私に逃げ場は無い。

 壁に背をつけ息を沈め、心を落ち着ける。大丈夫だ。恐怖に飲まれる事はない。精々私の腰元ぐらいしかないような生物だ。壁から伝わる冷たさが頭の熱も一緒に奪い取ってくれているようだった。冷静に、次第に冷静になっていく。

 そんな冷静な私を、私の体の上を、顔を、魚然とした奴が歩いて行く。


「うわぁぁっ!?」


 ねば、ねばと。ひた、ひたと顔をこそこそと歩く。きっとコボルドの猟から逃げようと今度は私の方へと向かってきていたのだ。それを知らず、壁に這い付いていたものだから、壁扱いされたのだろう。

 気を抜いたつもりはなかった。が、しかし突然過ぎて悲鳴を挙げてしまい、当然の如くそれはコボルドの耳に届く。

 こちらを見ていた。

 水晶の光を借りて、こちらを見つめていた。

 それは、困惑とでもいうべきだろうか。彼は私を見て、暫し、考える様にして……魚を吐き出し始める。折角捕えたそれを一匹、二匹、三匹。石剣に刺され血を流したままのそれがコボルドの口から流れ、流れて毛むくじゃらの躰を染めていく。それはつまり、準備だった。

 自分の失敗とその行動に呆気にとられている自分を叱咤する。馬鹿、馬鹿、馬鹿と。何をしているのだ。さっさと逃げるか立ち向かうかしろ。

 松明を消してしまった手前、奥に逃げるのもまた自殺行為。人より感覚器官は強いであろうコボルドを相手に逃げ切れるわけもなかろう。であれば、立ち向かうしかない。ベルトに入れた包丁を取り出し、身構える。


「―――グルゥ」


 人とは異なる発生器官から紡ぎだされる獣の声。洞穴内にそれが嫌に響く。


「――ワァァァオォォ」


 呼吸と共に叫び、石の剣を口にくわえ、四足となって向かってくる。

 その早さはまさに犬のそれだ。迫りくるコボルド。それを真正面から迎え撃つ愚かさを私は持たない。コボルドを正面に見据え、接近してきたと同時に身を翻し、それと同時に左手に持った包丁をコボルドの体に添わせる。石器を持った所で所詮は獣だ。村にいた牛と大差はない。大きさでいえばあちらの方が大きかったのだ。それを思えば、さすがに私とてこれぐらいは出来る。

 相手の速度を利用し、ただ添えるだけ。それで勝手に自分を傷つけてくれるのだからありがたいことだ。

 即座に振り向き、再度襲ってくるコボルドの速度は今さっきよりも僅か遅い。傷つけられた事に怒り、口の石剣を手に持ち、それで振りかざして私に向かってくるのを、私は包丁を持ちながら前に出て迎える。引くのは得策ではない。待つのも得策ではない。勝機は一瞬。石器を振り下ろされる前に右手で抑え、暴れる前に左手で包丁を首に宛がい、引く。


「―――ァァ」


 瞬間、傷ついた喉から発せられる声が耳朶を打ち、そこから噴水のように血が飛び出してくる。叫べば、叫ぶほどに自分自身を傷つけていくことも理解できず、ただ叫びを挙げ、暴れ始める。コボルドは石器から手を放し、がむしゃらに叫びながら私に向かってくる。


「っ!」


 予想外ではなかったが、ここから先は行き当たりばったりだ。奪い取った形になった石器と包丁の二刀流という格好悪い格好でコボルドの攻撃をいなす。血走った目、開かれた口、むき出しの牙。それらが私を殺そうと襲ってくる。

 その殺意が、私を震わせる。

 ドラゴンのような人間を虫けらとすら認識していない奴らとは違い、彼らはこの私を直接攻撃してこようとしているのだ。それは直接向けられた初めての殺意だ。

 じわり、と冷や汗が流れるのが分かる。

 殺さなければ、殺される。

 飛び上がり、体に取りつこうとするそれを押し返そうとして、その腕に掴まれた。次の瞬間、開いた口が腕へとかぶりつく。


「ぁぁっ!」


 痛みが走る。ぞぶり、と肉が犬歯の形に開かれていく。それは体を引き裂かれるような痛みだった。その痛みに包丁が自然と地面に音を立てて落ちる。からん、という軽い音はこの状況にはそぐわない。そんな冷静な思考がまだ残っていた自分を褒めたいと思った次の瞬間に、体全身を使って腕に張り付いたコボルドを壁に全力でぶち当てる。


「―――キャインッ」


 背中をごつごつとした壁に遠慮なくぶつけられたコボルドが腕から転げ落ちたのを見計らって、奪っていた石器をおもむろに頭めがけて振り抜く。

 ごき、という鈍い音と共にコボルドの首が曲がり、包丁で切っていた部分がさらに開き、血が噴き出す。これで死ぬか?いいや、ドラゴンゾンビみたいなのもいたのだ。これでもまだ死なないかもしれない。視線を外さないようにしながら包丁を手にとり、コボルドに近づいて行き、警戒しながら首に包丁を宛て、今度は体重を押し込むようにして、その首を切断しようとした瞬間だった。

 コボルドが目を見開き、叫びと共に、


「っ!?」


 炎が舞い上がる。

 警戒していたのが幸いした。何事か、と判断する前に反射的に、顔を背け、体を庇い、転げるように後ずさる。

 私とコボルドの間に立ちあがる炎の渦。それは私を焼き尽くさんとする程に強烈な炎。流れる水の上から天井までを結ぶ恐ろしいぐらいに大きな、炎だった。周囲の空気を巻き込みながら渦を巻くそれは、通常の物理法則に則ったものではない。


「ま、魔法?」


 熱源はない。だが、今まで見た魔法とは全く違う。それは人を殺すに足る。幸いにして、私を焼き尽くさんとするそれは、その場に留まったまま私を焼くこともなく、次第、次第に弱まっていく。それは、コボルドの断末魔の叫びだったのか、彼の生命力を奪って作られたものだったのだろう。道ずれ覚悟で行われたのか、もはや一見して、彼の息は絶えていた。否、絶えていなければ私に襲いかかっていた事だろう。

 炎が収まり、それによる熱がこの場から消えたのを確認してコボルドに近づき、今度こそ、その首を落とす。さすが、ディアナ様謹製。プチドラゴンの皮膚をも通過するだけある。

 その場に、ごろり、とコボルドの首が転がった。


「はぁ……はぁ…」


 恨みがましい表情のコボルドの首。それを見詰め、床に腰を下ろす。腰をおろして腕の怪我を見れば血が出ていた。それを流れる水を使って洗い流し、頭陀袋から取り出した薬品で消毒した後に包帯を巻く。血も止まらなければ痛みも無くならないが、この場でこれ以上やれる事もない。


「折角の服が……治療費が……でも、一匹でこれかぁ……」


 さっそく穴が空いた服を眺めつつ、アルピナ様にどう言い訳しようとかお金がとか、そんな事を考えながらその場でしばし休息。

 先に進む元気は、今暫く湧いてきそうになかった。



‐‐‐



 発光する水晶。

 それが乱立するのがこの場だった。光を出し、光を反射したそれが織りなす光景は自然が作りだした美そのものだった。少し前に自分を諫めたのも忘れ、それに魅入ってしまう。無造作に乱立した水晶が作った自然の造形。それは通路であったり、壁であったり、天井だった。広々とした空間を埋めるそれらに暫し時を忘れる。

 部屋に持って帰って飾りたい、そんな誘惑に駆られるも、この造形を崩す気にはなれない。そんな相反する意見が脳裏を飛び交う。見れば、あちらこちらに削られた跡や、折られた跡がある。無粋だ、と認識した瞬間、その誘惑も消え去る。手を出すべきではない、と。


「ま、今は……」


 腕に巻いた包帯を見つめ、洞穴を出る事を優先する。コボルドの歯が腕に入ったのだ。雑菌などにやられている可能性もないではない。消毒をしたといっても、専門家に見てもらうまでは分からない事もある。

 しかし、最初がこれか、と反省したくなってきた。気を抜いたつもりはない。出来る事を出来る限りやった結果がこれだ。私に足りないのは知識だけではなく、戦闘力なのだろうか?だからといってさっきのあれに刀を振りまわして戦った場合、私が殺されて晩飯になっていたに違いない。身の丈に合わないものを持つ必要性は感じないけれど、それでもとりあえずは、腕を守るガントレットでも作ってもらう事にしようと思う。毎度毎度これではどうにもならない。後は、包丁とは別にナイフもあると良い気がする。包丁は引く必要があるけれど、ナイフなら突き刺す事ができるので……ただ、問題はお金が足りない……。

 お金を得るためにこの水晶を、と再度思ったが、しかしこんなに大量にある水晶を持って行った所で二束三文にもならないだろう。寧ろ持っていくだけ無駄だ。だから、それで何か別の物がないかと時折立ち止まりながら、水晶に目を向ける。

 乱立したそれは隙間も多く、その中に入って行けそうな感じだった。だが、だからといって今それをなす気はない。地図を見れば確かにこの中に行けるらしいが、その先の地図はない。こんな自由気ままな水晶群の隙間を厳密にトレースする事など出来なかったのだろう。少なくとも3つ程この奥に道があるとのことではあるが、どれに行けるかは不明、だとの事。行きつけるかも不明だとのこと。ここからでも僅かに見える赤黒く染まった水晶が行けない時の結果なのだろう。


「けれど、今の私には関係ない」


 擦れた事を呟きながら水晶通路のあっちを見たり、こっちを見たりしながら歩いていれば、向こう側から、悠然と歩く一人の人の姿が。

 一見して背の高い女性だった。

 頭上で結え、二つの尾となした長く艶やかな金色の髪が水晶に映える。体の線に沿った細身の服は胸元が開き扇情的なまでに。まるでこの水晶宮が彼女のための舞台なのではないか?と思えるぐらいに場違い感溢れる人がそこにいた。手にも体にも何も持たず着の身着のまま。ドレスのようなひらひらしたスカートに加え、踵の高いヒールをかつかつと鳴らしながら歩く様は本当に場違いとしかいいようがない。城の舞踏会に行こうとして間違えて洞穴にきましたとか、そんな感じだ。けれど、そんな彼女の姿に場違いにも自分自身がみすぼらしく感じつい、自分の服に目をやってしまう。いや、そんな場ではないだろうここは。


「そんなにじっくり水晶を見つめていたら、食い殺されるわよ?」


 何の感慨もなく、淡々と伝わる声音は、玲瓏。

 鋭い瞳でこちらを見据え、響いた声は残響を生み出し、耳朶に響く。それを脳が認識した瞬間、自然と体が反応する。それは羞恥心というものだろうか。この人の前に私何かが立ってはいけないと、そう言わんばかりに、頬が紅色に染まり、動悸が激しくなる。落ち着いていられない。

 意思の強そうな赤銅の瞳。すらりとした鼻梁。薄紅色の唇は染料などでは決して出せ得ぬ色彩。一切の無駄、一切の無為、一切の無意味のないまさに神の作りだした造形。そこから目が離せない。この場から逃げ出す事もできない。彼女の言の葉に答える事もできない。ただ、呆然と私は、そう。それは立ち竦んでいたといって良かった。ドラゴンとはまた別の意味で、恐怖すら覚える程に私は、その場から動けなくなっていた。

 そんな私を興味なさげに見下す姿もまた美麗。


「……」


 一瞬、唇が動いたように見えたのは錯覚だっただろうか。その仕草が契機となり、体の動きを取り戻し、呆とする脳を奮い立たせ、


「だ、誰にですか?」


と。

 良く言葉を紡げたものだと自画自賛したい。


「木偶人形。……失礼。邪魔したわ」


 そんな台詞を口にして、彼女は水晶の通路を下に。水晶の隙間を通って下へ、下へと道なき道を颯爽と、舞踏会に向かうが如く優雅に。彼女が去っていく。


「はぁ……」


 強烈な重圧が取り除かれ漸く生きた心地を得る。座り込みたい。座り込みたいが、先の彼女が言った木偶人形という言葉に気付いたことがあるのでさっさとこの場から移動する。もう水晶を見ている余裕はない。移動するのは彼女が現れた方向。地図を見れば、そちらに向かえば入口へと辿りつくとある。今度こそ道に迷わないようにしなければと決意し、向かう。

 水晶宮が終わり、再び暗がりの中へ。水晶に照らされ、しばらくは光もあったが、松明に火を付け、先を照らす。緊張と警戒をしながら先へと進む。前へ、前へと。

 今の所、分かれ道はない。

 先の通路と同じく水がそこかしこから流れ出し、水晶宮へと流れていた。であれば、と壁に目を向ければ魚がぺたりと張りついている。それを型のよさそうなものだけ仕留めながら先を行けば、血の臭いが漂ってくる。

 その臭いに警戒しながら辿れば、そこには死体が散乱していた。

 咽るような血の臭いに鼻が歪む。臭い耐性はついたが、それでも血の臭いは慣れない。手で顔を覆いながら見渡せば凄惨な光景が視界を埋める。これが人間のそれであればまさに地獄絵図だろう。

 焼けた死体、押し潰された死体、切り刻まれた死体、内部から破裂した死体。そんなありとあらゆる殺した方をしたコボルドの死体がそこにあった。先程の一匹はこの群れの一員だったのだろうか。一人だけ少し離れ場所で狩りをしていたのだろう。この光景を見れば、だからこそ助かったとも言える。

 そして、傍と気付く。これら全てに共通するのは未だ血が固まっていないという言う事だ。

 血液が固まる事ない時間にこれが殺されたとなれば、


「さっきの人がこれを……?」


 何も持たず、帰り血すら浴びず、優雅にこれを成したというのだろうか?エリザみたいな規格外なのがいる事を思えば、これぐらい出来る人が他にいても……おかしくないのかもしれないが、それでも殺し方があまりに違いすぎて一人の仕業とは思えない。複数の武器、複数の道具を使ってもそれでも難しいだろう。少なくとも火、刃物、爆発物は必要だろう。そんな大仰な物を彼女が持っているようには見えなかった。


「もしかして魔法?」


 惨状を再度見渡し、思う。

 先ほどのコボルドの事を思い返しながらそう口にする。先のコボルドの魔法は知っていたものよりも相当に強烈で、凶悪な必殺の手段になり兼ねないものだ。けれど、そんな馬鹿な、と自らの考えを否定する。

 曰く、精々、灯りの代わりに出来る程度の火とか臭いを出す程度のものでどうしたらこんな事ができるというのか。調べてみないと分からないが、先のコボルドは人以外だからなんて理由は付けられる。が、人間がそのような技を持っているならば、洞穴を管理しているトラヴァント帝国皇帝アルピナ様が知らないわけがない。そんな事ができるなら、学園の魔法の講師があんな天才肌で意思疎通の難しいアーデルハイトさんだけなわけがない。国をあげて魔法の研究や発展が行われていても不思議ではない。それとも、アルピナ様が毛嫌いしている天気を操る事のできると言うマジックマスターなる者だったらこんな事もできるのだろうか?


「馬鹿馬鹿しい」


 まぁ、きっと彼女よりも先にパーティで来た一団が殲滅して、水晶宮から奥へと向かって行ったのだろう。その名残がこの状況なのだろう。そう考えれば、納得も行く。

 ともあれ、少なくとも、私にはこんなに一度に襲われたら、対処はしきれないのだろうなと、そんな事を思いながら死体の回収をする私は現金な奴だと、そう思う。


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