第3話 自殺洞穴
3。
「前代未聞でございます」
「そうね。まさか食べてしまうとは思っても見なかったわ」
冷静な声に聞こえるがしかして額には脂汗が滲み出ていた。逆は多々あれど、アレを食べてしまう者がいるとは……と呆れていた。その彼女が領主ディアナ=ドラグノイア=リヒテンシュタイン様である。もう一人の仏頂面に作り笑顔という矛盾を体現しているのはメイドマスターその人であった。
その二人の前で両手両足を鎖で繋がれ片膝をついているのが私、カルミナである。
先のナニカは意外にも美味であった。もとい、先のナニカを食している最中に牢獄の如き建物の扉が開かれた。そしてメイドマスターと見慣れぬ人……領主様が現れたのだった。頃合いを見てといった所だった。元より、所定の時間のみ生きていられれば良いという事だったのだろうか。今となっては分かりかねる。しいて二人の会話から理解した事といえば、鉄格子を越えて入り口側に逃げようとした場合には罠が張ってあったという事だった。確かにメイドマスターはこう言っていた。『こちらで』お待ちください、と。鉄格子の中でお待ちくださいと彼女はいったのだ。その言葉を忘れ、ただ闇雲に逃げ惑えば罠の餌食になったであろう。あるいはそれを利用して討伐するのが確かなのかもしれないが……。
「貴方はカルミナと言ったわね。斯様な前例はないが、適正があると判断されました。故に、貴方を正式にリヒテンシュタイン家の奴隷とします。以後、我がリヒテンシュタイン家に泥を塗らぬよう行動しなさい」
肉厚のナイフを手慰みにしながら豪奢なソファーに座ったまま告げる。横柄な高圧的な態度だった。だが、それでこその領主であった。年は私よりも十は上だろうが、世間的に見ればまだまだ若い。だが、故に、だからこそのこの威厳。私が弱い存在だから尚更だろうか。圧倒される。
「承りました。御恩に報いるために」
恭しく口にする。
「いいえ、それは結構。恩など感じる必要はありません。ただの取引の結果です。そこに感情など入れる必要はありません。貴方はその身を尽くしリヒテンシュタイン家に利益を与えればそれで良いのです。そして私は相応に報いるだけです。……そうですね、マグダレナ、貴女が説明してくれるかしら?」
口元をナイフで隠しながら微笑む。その姿は年齢不相応にあどけなく、しかして狂気じみていた。あらはしたない、とばかりに口を隠して笑う物語のお姫様とは凄い違いであった。
「ディアナ様、私の事はメイドマスターとお呼び下さいませ。契約にもそう記しております故に」
「そうね、えぇ、そうね。貴方はそんな面倒な人だったわね。では、メイドマスター。改めてお願いするわ。彼女に当家の奴隷の説明をしていただけるかしら?」
「承知いたしましたわ、ディアナ様」
この二人の主従関係はどうなっているのだろうか?と僅か疑問には思う。が、しかし今はそれよりも自分の事に対する話が行われるのだ。それに集中するべきだ。何の適正かは分からないが、この身は奴隷。益を与えなければ売られるだけだ。売られる先は花街だったらまだ良いという話だった。
視線をメイドマスターへ向ければ、それに合わせたかのようにメイドマスターが口を開く。それは端整な動き、誘いこむような声音だった。その感覚は先にも同じ事があった。ゆえに、同じく視線を逸らす。頭が呆とする事を思えば洗脳のような事なのだろうか?詳細は分からないが……。
「……鈍りましたね。やはりこのような場所にいつまでもいるとどうしてもそうなってしまいますか……。まぁ良いとしましょう。さて、リヒテンシュタイン家奴隷に関してですが、簡単な話です。リヒテンシュタイン家に利益を与える事を行うという事です。まず手始めに2年の猶予が与えられます。その間に貴方に支払った金額と同等の成果を挙げてもらいます。猶予期間内を超えれば分かっていると思いますが、当家の奴隷として価値なしと判断されます」
二年後といえば私の年齢が十八歳。今もそうではあるが、大人と子供の境目。その境界線上の年齢。そこが損益分岐点。それ以上の年齢では元値よりも安くしか売れないという事だ。だが、ある意味で評価されているのだろうか。それほど見られる顔でも体躯でもないのだが……。いや、そうでもないか。今売られていないという事は今でも二年後でも大差なしと判断されたという事だろう。
しかし……
「二年……」
「えぇ、二年間です。これは貴方のみならず、当家奴隷その全てに同条件を課しております。その中でいえば、貴方は安い方です。下から数えた方が早いですね。貴方の数十倍であっても稼いだ奴隷はいるのですから貴方程度のものでも得られないようでしたら本当に役立たずといえましょう。当家で養う意味は御座いません」
言葉尻は皮肉気だが、張り付いた作り笑顔を思えば淡々と事実を告げているだけに過ぎない。この説明自体も何度も行っているのだろう。ゆえに彼女にとっては作業なのだろうけれど、私は彼女の発言に僅かな動揺を覚えていた。
私は安いのか、と。
私の人生はそんなに安いものなのだと、そう判断されたという事だ。村社会内では貨幣経済は殆ど浸透していない。だから私には貨幣価値という言葉の意味は分かってもその実態が分かっていなかった。重体の両親二人を半年間養いながらそれでも私も食にありつくためには私からみれば莫大な金が必要だった。とりわけその中でも治療費が高かった。何故こんな小さな粉薬がそのように高価なのだろうかと御医者様に問いただす事もできなかった。それは、両親が高価な薬を与えるに値しない人間だと言っているようで、だから私は医者の言葉を諾々と聞きながら高価な薬に金を出し続けたのだ。それでも安いのだという。あれだけの金を稼ぐためには十年、二十年村で家畜を相手にしなければ到底成しえない。だから私の人生の価値はそれだけ価値のあるものだと、そんな風に錯覚してしまっていた。
だが、それは別の視点から見れば『安い』人生だった。両親は安い薬を与えられて生き永らえ苦しんで死んでいった。私は安い人生のために安い値段で買われ、あげく二年の猶予の後に売られる事が確定した。
それならば最初から花街へ売られた方が、まだ精神的に楽だ。時間があれば余計な事を考える。二年もの間狂わずにいられるだろか。そこが地獄だと分かっている人間が地獄に行くことを自覚しながら生きていけるだろうか……。
自然と表情が沈んでいく。そして自分が改めて奴隷の身の上なのだと理解する。
二束三文のために自らを売ってしまった阿呆が一人、地獄へ落ちる。ただそれだけ。
「そのような暗い顔をされる方、何人もおりました。ですが、まだ説明は終わっておりません。奴隷の仕事の話です。それでもって成果を挙げて頂くのです。奴隷は同条件と言いました。それはすなわち仕事内容も同じという事です。ですから、貴方は貴方の十倍を稼ぐ事も可能なのです。分かりますか?その意味が」
「努力次第ということでしょうか?しかし一体……」
「努力が必須なのは前提条件であって、それは目標達成のための必要条件ではありません。貴方に行って頂く事、いいえ、当家奴隷達の行うことは唯一です」
一瞬の間。メイドマスターが領主様の方に目配せし、バトンを渡す。
「リヒテンシュタイン家の目的はトラヴァント帝国にある洞穴の踏破、ただそれのみ。この大陸が出来た時より存在すると言われている前人未到の洞穴。それの制覇が我が家の目的。ですが、今の貴方に必要な事はその洞穴で何かを得る事、ただそれだけを覚えておけば良いわ」
ぎらぎらとした瞳。強い、強い瞳だった。絶対に私は負けやしないとそう言わんばかりの瞳。前人未到が前例なしが何の価値があるというのだと、そう世界に喧嘩を売る強さを帯びた視線。それに射抜かれる。だから、それに射抜かれた私が言える事などなく、ただオウム返しに、「洞穴……?」と。
「はい。洞穴です。全七階層まで存在すると言われている前人未到の洞穴であります」
そして再び司会はメイドマスターへと。
「未到なのに全七階層であると言われている理由は定かではありません。実際にはもっとあるのかもしれませんし、ないのかもしれません。唯一判明している事は人類が未だ第二階層しか到達していないという事です。これまでにどれだけの人が亡くなったでしょうか。百万?一千万?もっと多くかもしれません。けれど未だに挑み続ける者は後を絶ちません。未知は恐怖です。しかし、未知を究明したいというのも人間の性。魔性の如きその洞穴の名を……自殺洞穴とそう呼びます」
ぞくり、と背筋を通る何か。
それは恐怖だろうか。
そしてだからこそ、先の建物内はあのように暗闇で行われたのだろうと納得する。暗闇に怯え嘆くばかりでは使いものにならない。死体を生み出すだけならば養う価値もなし。一から育てる事をせず、適正とよばれる曖昧な何かだけを信じるのは狂気の沙汰だが、そうでもしないと、適正という偶然に頼らなければ先へと進めないという事だろうか……。
「自殺洞穴の事に関しては自分で調べて頂いて結構です。こちらから余計な知識を与える事はしません。闇雲に恐怖を煽った所で意味がありませんので。ですから、そこで何をするのも貴方の自由。洞穴内を跋扈する化け物を倒す事も、洞穴内にしかない材料を手に入れるのも、先へ進むのも。成果さえ挙げれば如何様にでも。何か質問は?」
「別の方法をとった者は?」
「答えの分かっている質問をするのは感心しませんが、即座に返すその姿勢は素晴らしいのでサービスで答えてあげましょう。恐怖に怯え何もしない者、洞穴に行かず別の仕事で稼いだ者も中にはいますが、その場合は当家へ利益を与えていたとしても廃棄処分を下します。売却が基本ですが、犯罪を行っていた場合には当家で処分致します。ご注意ください。貴方にはそうならないよう期待したいと思います」
「生存率はどれほどなのでしょうか?」
「奴隷百人に対して十人と言ったところでしょうか。その内2年以内に稼ぎきれなかった者達が八人。もっとも八人は洞穴に自殺しにいかなかった者達です。挑戦者は多いですが、生存率が低いためその場で得られる材料、食品加工や錬金術に使うものですね、これらは比較的高価です。ですので、それらを適度に仕入れていれば基本的には2年以内で自分の価格ぐらい容易に稼ぐ事が可能です。もっとも残り90人に見られますように2年の間生き残る事の方が大変なわけですが」
「期間内であれば自身への投資も可能なのでしょうか?」
「勿論構いません。二年の月日が経った段階で金額が達していれば結構です。管理が面倒でしたら適宜金銭をお持ちになって頂いても構いません。なお、当家からは初期投資として探索道具一式、武具、訓練場、学園と称しておりますが、学園に関する諸金銭を提供いたします。これに関しては返却不要です。これ以上に関してはご自身で用意下さい。勿論、ご自身を売った際の金に余りがあれば、それの利用も構いません。それ以上の金銭の提供は行いません。貴女方の価値は売却時に決定しております故にそれ以上を提供する事は御座いません」
「自殺洞穴……というのがどちらにあるのかは分かりかねますが、そこに至るまでの旅費等に関しては……」
「学園在学中は寮施設がありますのでそれを利用下さい。卒業後に関しましては関知致しません。在学中でも金銭を稼ぐことは可能です。なお、学園……首都と当家間を行き来する馬車が二日に一度ありますので、こちらに用がある際にはご利用下さい」
「最後です。現在の奴隷の数は……?」
「二十五人です。内三人以外が貴方と同じ身分です。いえ、本日三人、死亡したと報告を頂きましたので二十二人、その内二人以外が貴方と同じ身分です」
「あら?誰が死んだの?」
「末席のラヴィニアとそれに連れられた二名が洞穴内で殺されました。ラヴィニアはつい先日、二年の猶予を終え、気が抜けたと推察いたします」
「あるまじき態度ね。いついかなる時でも気を抜くにあらず、そんな初心者でもわかっている事を理解していなかったなんてね……あげく二人も同行させるなんて早めに死んでくれて良かったわね」
「はい。浮かれて味方を殺す者など無用でございます」
奴隷の扱いなど所詮その程度。心なしか領主様のナイフ弄りに苛立ちが交った感はあったが、それは恐らく投資に失敗した自分への反省。見る目が無かったとでも言わんばかりだった。
現状で二十五人という事は単純に千人以上に投資している事になる。私は二千万クレジットで購入されている。最低でもそれを千人分だ。それだけの投資に見合う効果がその洞穴とやらにあるのだろうか。詳しく知らない間に判断する必要はないが、何か別の意図があってしかるべきなのではないかと、そう思う。
「では、相応の結果を」
言いざま、膝立てのままでいた私めがけて肉厚のナイフを投げてくる。
瞬間、飛び上がりそうになったものの両手両足を縛る鎖の重さにとっさに反応できず、僅か蠢いただけだったが、ナイフの目標点は膝前の床だった。
「進呈するわ。喰い意地の張っている子には包丁が御似合いでしょう?」