第29話 神々の悪戯
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決行はそれからまた一月の後だった。
それまでの日々は本当にあっと言う間だった。学園を卒業するために講義を受け、生活費を稼ぐために依頼を受け、先輩とエリザの事をどうにかしようとしたり、リオンさんの所で内臓うまうましたり、アルピナ様とキプロスの裏……湖の畔でぼ~っとしたり、ジェラルドさんとアーデルハイトさん夫婦に昔の話を聞いたり、そんな風にしていれば、まさにあっという間だった。
日々の充実は時間を忘れさせる。年を取るともっと早くなるそうだが中々信じられないものである。ともあれ、祭りが始まった。
といっても、残念ながらそう大した人数が集まったわけではない。
ドラゴン相手に無謀にも挑戦しようなどという輩は早々いないという話だ。例えそれが皇族のためとはいえ、自殺志願者が必ずしも帝国臣民だというわけでもない。だから、集まったのは60人~70人程度だった。その数からドラゴン打倒への期待というのも低いというのが分かるものだ。ドラゴンと戦う事を考えれば物数にもならないだろう。
そんな中で知っている人といえば……皆の前に立っているアルピナ様を筆頭として、その隣にヴィクトリア学園長、もとい今の立場は騎士団長。腰に携えた美麗な装飾を施された剣が件のセラフィックナイトなのだろう。加えて何故かその後ろにこっそり連れて来られた猫のような感じでいるのがリオンさん。何故そこにいる、と思ったがさっきから見ているとヴィクトリア騎士団長とアルピナ様に捕まったらしい。お前はここにいろ、と。可哀そうな話である。そもそもリオンさんは来る予定はなかったのだ。娘さんがそろそろ来るとかで慌ただしいとか何とか言っていた。が……多勢に無勢だったようだ。とはいえ、リオンさんが突入部隊なのかというと当然違う。後の処理やら部隊の調理班である。調理班と聞いて絶句したのは私だけではない。先輩もだ。彼の料理を食べた事のない人は泣くだろうな、と思った……。ちなみに今日のリオンさんの頭陀袋の中には虫が一杯である。虫の足が一杯である。ざっくざっくである。見たくもない。
そして、対面一番偉そうに腕を組んで立っているのが先輩である。風に揺れるその服は相変わらず雅である。その後ろに見たことのある奴隷がずらりと並ぶ。リヒテンシュタインの奴隷が集まっている一角だ。ちなみにその一番後ろが私である。ディアナ様直々に命令が下され、基本的にリヒテンシュタイ家の奴隷は参加させられている。当然、嫌々参加している人もいるし、死にたくないと絶望気味の表情の方もいる。自殺志願者として始まったばかりでドラゴンの相手なぞ多分誰もしたくないだろう。
それ以外で知っている人といえば、部隊とは少し離れた所にアーデルハイトさんがいる。爆発物作成係とのこと。前に言っていた錬金術でどっかーんもこの場ならできるようで、ドラゴンに爆発物が効くかどうかなどの学術的な意味でも折角なので色々試す予定だそうである。
そして……知っているというと語弊があるのかどうなのか。集まった時から延々と私の方を睨んでいる女の子がいる。確か、ピュセルとか言った死んだ部隊長の娘さんである。ちなみに男の人の方は来ていないようだった。彼女はきっと父親の敵であるドラゴンへ直接手を下せると思っての行動だろうとは思う。だが、それでもやはり私への恨みは消えないようでずっと睨まれっぱなしである。そこまでされると流石に慣れてきたおかげであまり気になっていない。
短い間にいろんな知り合いができなぁ、と今更ながらに思う。しかも加えていえば、こんな場所でも集まれる人達だというのが奴隷なりにも僅か誇らしくさえ思う。聞けば皆、重度の自殺志願者だと言うだろう。けれど、それでも……共にあるというのは嬉しいものだ。
「この日、この場に皆、良く集まってくれた」
静まりかえった森の中でアルピナ様が口を開く。玲瓏たるその響きに陶然としながら耳を傾ける。しばらくそんな挨拶が続き、続いてヴィクトリア騎士団長からの話が始まる。
学園で見た時とは異なり眼鏡は外しており、それが故かさらに目付きが鋭くなっている。すらりと伸びた背、白銀の鎧に身を包むその姿は物語に出てくる戦女神の如く。豪奢な装飾の皇剣セラフィックナイトと、それとは反対の腰に装飾の無い無骨な、それこそ一山いくらの安物のような鞘が腰に携えられていた。鎧や皇剣やマントの煌びやかさを思えば違和感を覚える。使い慣れたものという事なのだろうか?私には武器などないので良く分からない。あぁ……いや、今この場ではそれには語弊があった。
先輩に使い古しのゴミ進呈、と貰った刀が腰に刺してある。
もっとも錆び付いた何の威力もないものである。武器屋でのエリザとのひと悶着みたいにあっても使いこなせませんと固辞したものの、無理やり扱い方を覚えさせられた始末である。とはいえ、筋力不足は否めずまともに振りまわす事はやっぱりできないので、使い方として長いピックみたいなものである。ちょっと距離を取れるため対象に近づかなくて良いだけピックよりましか!という事を先輩に言えば、思いっきり罵倒された。
閑話休題。
そんなヴィクトリア騎士団長から作戦が説明される。
作戦自体は簡単であった。まず初めに生肉の臭いでドラゴンをおびき出して、第一陣としておびき出す際に設置した爆発物と、さらに断崖上から爆発物の投下を行う。それで済むならそれで良しとなり、作戦終了。だが、それは希望的観測過ぎる。第二弾として、『皇剣セラフィックナイトの華麗なる魔法(笑)』とアルピナ様が言っておられた魔法により発生させた腐敗臭を集まった自殺志願者達に降り被せ、匂いを付けて降下、可能であればそのままドラゴンに張り付いて頭上まであがって脳を破壊するか、心臓を停止させる。
酷く単純だ。
加えて、第一段階はまったく危険が無い。しいて言えば降下した際に設置されたそれを踏まない事ぐらいが注意点だろう。投下に関しては、正直、爆発物以外にもいろんな薬剤なども投下してみる価値があるとは思う。ドラゴンが断崖を登ってこない限りは……という前提だが。……いやな想像をした。あの醜い腐食したドラゴンが断崖を登るというのは……今まで考えてもいなかった。地を闊歩していただけだったので尚更だ。……いや、あの巨体で壁を登れば自重で腐った部分が零れ落ちるだろう。そう、そうだ。だから、大丈夫。
そんな悪夢のような想像をしながら阿鼻叫喚の、食べた者達が軒並み何故これが旨いのだと悩んだり見た目の悪さに叫んだり大変なパニック状態に陥らせた、昼食を終えていざ、部隊が動きだす。
数人、特に足の速い者達が地下へと降り、所々に生肉を置いて行く。その光景だけを思えば存外、シュールである。遠く断崖の上から彼らが走るのを見る。その者達が走り回る事により、人の臭いをまき散らし、洞穴からドラゴンゾンビを呼びだすのだ。その作戦の効果は……遅かったものの、数時間後に発揮した。その時間差に僅か違和感を覚えたのは首脳陣とここに初めて訪れた者達だった。
「本当に、匂いで現れたのか?」
と。疑問視するのも分かる。が、やはりここ一カ月の間姿を現していなかった事を思えば、それ以外の可能性の方が低い。一カ月に一度だけ日の光を浴びる必要があるとかそんな阿呆な考えよりもまだ確率は高い。
とはいえ、懐疑的な意見が収まる事はない。そういうのは一定以上必ず出てくるものだ。特に、情報元を疑っている人達は……。
「あらあらどこかで見たと思えば地面を這い蹲る奴隷さんじゃありませんか。良く、私の前に姿を見せられましたわね。ま、精々、肉壁として役立って下さいまし」
ピュセルと呼ばれた貴族が私に声を掛けてくる。以前よりは感情が落ち着いたのだろう。いきなり叩かれる事もなく、軽い雑言程度で済んだのは幸いだ。と思った瞬間、彼女の手のひらが迫ってくるのに気付き、腕で防ぐ。汝気を抜く事なかれ、という話である。ここしばらく先輩に色々教えてもらっていた所為で前みたいな不意打ちは頂かなかったが……手の平、いいや爪の先が腕に刺さっていた。まったく、今から作戦が始まるというのに怪我をするなんて……先輩に知られたらどやされるに違いない。しばし、睨みあいを続け、分が悪いと判断した彼女が立ち去っていく。こんな事、いつまで続くのやら……。
そうこうしている間に、ドラゴンは人を探して雪原を行く。急いで投げ込まれた爆発物は見事、ドラゴンゾンビにあたったものの、ドラゴンの頭上が僅か揺れた程度だった。何も気にならないとそのまま歩き廻るドラゴンは、時折、設置されていた爆発物を踏み、爆発音が周囲に響くが……それでも、その巨体が揺れる程度だった。遠目から見えるのは、立ちあがる炎によって焼かれる背に張り付いた生物達。ぽろ、ぽろと落ちたそれを不思議そうにじろりと見つけては咥え込み、見つけては咥え込みを繰り返していた。
開けた場所までいってしまえば、断崖から爆発物が届くわけもなく。案の定、第一弾の成果は特になし、だった。しいて分かった事といえば、張り付いた生物達も燃え尽きれば喰われるという事か。
「焼かれて匂いが変わったのか……」
「かもしれません」
降下準備のために集まった場所で、先輩と推論を交わす。その場所では既に覚悟を決めた者達が次々と魔法を掛けられ、鼻を歪ませていた。本当に腐敗臭が剣から出るのだなぁと思うと大変非現実的だった。真剣な表情で騎士団長が事にあたっているとはいえ、特に美麗な騎士団長から香る匂いが腐敗臭というのは……いかんともしがたい気分になる。普段ならば笑いころげていそうな先輩も物静かにその時を待っていた。
「あーいたーっ!カルミナちゃんカルミナちゃんいたいたーっ!」
とそんな静寂をぶちやぶったのはアーデルハイトさん以外にいないだろうというぐらい彼女だった。いつもの帽子姿でぱたぱたと木々の間を抜けて近づいてきてそのまま止まれなくなって私にだーいぶ。
「うぐ……こんにちは」
「はーい。こんにちわー。カルミナちゃん、カルミナちゃん。折角だからこれもっていってねー御口の中でどっかーんやればまたちょっと違うかもだよ!」
と、慌てながらごそごそと服から取り出したのは、燐とやらを大量に詰め込んだ燃える球体をいくつか手渡してきた。態々火をつける必要もなく、衝撃を与えれば発火しだすと言う物騒なものである。なので無造作に服の中に入れたりとかそれをごそごそ取り出すとか怖い事限りない。が、まぁアーデルハイトさんなので仕方ない。えぇ。本当に。
「じゃ!そんな感じでー!またねーっ!」
慌ただしい事限りない。とはいえ、忙しい中、態々時間を作ってきてくれたというのはありがたい事だ。
「カルミー、それは?」
時間潰しの種が出来た、とばかりに先輩が聞いてくるそれに答えながら、魔法を掛けて貰うまで待つ。既に先発隊は出ているのだろうか?であれば、その効果は…?気になるが、その情報はまだ届いてないようだった。
匂いは所詮匂いなので、時間が勝負である。全員にまとめてかける事ができず順次なのがもどかしい。
「焦るなよカルミー。誰かが殺せばそれでいいんだからな」
「……はい」
エリザの剣を今、手に入れる必要はない。ドラゴンゾンビを殺した後にアルピナ様経由で返してもらえれば良いだけだ。そもそも剣があそこにあるのは騎士団と一緒に動いた結果なのだから。そんな話は既に済んでいる。だから、今は……あれを殺す事だけを考えれば良い。
そんな事を考えていれば、声があがる。
絶叫のような、悲鳴のような、いいや、それは喜びの声だろうか。
「お……誰かが到達したのか?」
呟く先輩の声を証明するのは他の自殺志願者の声だった。
「おい!見ろ!ギルドバルドゥールのファルコが張り付いたぞ!」
「おぉぉ!さすがファルコ!やれ!やっちまいな!」
「いける!いけるぞー!」
次第、戦意が高揚していく。一人、また一人と降下準備をすることなく、少しでも後にと恐れていた奴隷達もその声を聞いて立ちあがってくる。
「ばるどぅ…?」
「バルドゥールな。なんだカルミー、ウェヌスちゃんの事も言い辛いとか言ってたけど、実は阿呆の子なの?何?私の見込み違いなの?」
「いや、先輩。妖精さんの事を絡めて態々怒らないでくださいよ。それでなんですそのギルドバルドゥールって?」
「あ?ギルドとバルドゥールで区切れ馬鹿。ま、むさい自殺志願の野郎共の掃溜めだなぁ。結構有名だったかなぁ?あと、一応言っとくけどギルドってのは自殺志願者の集まりの事な」
「先輩はなんかギルドとか……いえ、今はそうじゃないですね。作戦成功しましたね」
「ギルドなんて入ってたら何個命があってもたんねーよ。んでまぁ、作戦成功は素直に喜ばしい事だなぁ……」
引き続き誰かが実況でもしているのだろうか、周囲にいる男も女も騒いでいる。熱狂に侵されている。ついで何人かがドラゴンゾンビに張りついたらしい。ドラゴンゾンビに張り付いている化け物達を排除しながら、登り、登って心臓やらを目指しているようだが……ドラゴンが動き廻る所為で芳しくは無いようだった。それでも着実に登っている事を思えばドラゴン打倒は巧くいきそうだった。
「……いいや、そんな簡単じゃない」
魔法を掛けて貰い、いざ私と、そして先輩……以外の奴隷はまだ降下準備もままなっていない……が紐伝いながら降りていく。
「そうですかね?」
ピック、包丁、刀、あとは蜘蛛糸をロープ状にしたもの、それらを確認しながら先輩についで降りていく。
「この鶏頭。プチドラゴンと戦いを思い返しなさい」
「……あ……再生?」
思い返せば確かに皮膚が再生していた。
「そう。腐ってても生きてるってことはそれだけ生命力が強いってことにはならんのか?それだけ、再生能力が高いんじゃないのか?」
「せ、先輩そういう事は最初に……」
「言う必要もないでしょ、そんな事くらい知っていて当たり前。無知は罪だわ、カルミー」
「……相変わらず口調が安定しませんね、先輩は」
「今それを聞く所なの?オークの群れの中に裸で捨てるわよ?阿呆で頭空っぽの子があんあん喘いでいるのはきっと可愛いわよ、カルミー」
怖い、怖い。
ともあれ、再生能力が高いというのならば、立て続けて攻撃を与えるか或いは一撃で仕留める必要がある。そんな攻撃力を持った者はいるのだろうか?正直非常識なパワーのエリザが、天使の痣の効果を使っても剣が刺さる程度なのだからそれを超える力を持った者がいるとは思えない。超常の存在がいればまだしもだけれど……。
「先輩、あれ切れますか?」
「わかんねー。どっちかってとカルミーの包丁の方がコンパクトな分張り付いた状態なら可能性は高いんじゃない?」
という先輩の言葉を受けながら雪原へと降り立つ。ドラゴンのいる方向は私達から見て右方向。雪原を沈む事なく走る先輩の後をどてどてと付いて行く。
近づけばやはりその巨体が恐ろしく感じる。
そんな恐ろしい存在によく張り付いていられるものだと思う。揺れる木の上に張り付きながら暴風を受けているようなものだ。幾人かの人々がやはりそのドラゴンの動きに落ちているのが見える。言ってもこのドラゴン俊敏なのだ。
まだ張り付いて登っている人といえば、最初に張り付いた人と三……いや、二人ぐらいだった。それ以外の人達は地面に落ちて怪我をした人もいれば、張り付いていた化け物と一緒に落ちた所為でそれの対処をしている人、張り付いた化け物達に埋まってしまった人、中には……落ちて踏みつぶされた人もいたようだ。雪原が赤く染まっている。その染まった部分を一度過ぎ去って戻って来たドラゴンがぱくぱくと食べていた。血味のかき氷、そんな馬鹿馬鹿しい思考を追い払い、ドラゴンへと近づくタイミングを見図る。
「カルミー右、私左」
「了解です」
足の事だ。右足の方が腐っているため登りやすいだろうという先輩の好意でもある。それとも単に先日のリオンさんの店で食べさせられた腐った汚物肉がトラウマなのかもしれないが。ともあれ……行く。
先輩のように華麗に飛び乗る事はできなかったが、しかし躰で、その全身でドラゴンに張り付き、腐った部分の隙間、湧いた蛆やそれを食べる蟲達の中に手を突っ込み、躰を支える。うぞうぞと手を這いまわる感触に怖気が走る。だが、それを堪え、手を抜き、次の場所、次の場所と少しづつ上へと向かっていく。
横を見れば、さすが先輩。軽やかに登っていく。襲われないと分かっている以上、きっと先輩には動く壁程度の認識しかないのだろう。負けじと、私も登っていく。ずぼ、ずぼと一歩一歩足を突っ込んだり、手を突っ込んだり……まったく、いつか私もあんな軽やかに登っていくことができるようになるのだろうか?
そんな事を考える余裕さえ、出てくる。腐臭のきつさももはや気にならない。自分がそれに一体化しているかのような感じさえ覚えるほどで……いや、だからこそ襲われる事なく張り付く事が出来たのだろうが……。ともあれ、そんな余裕が天罰を与えたのだろうか。
地が揺れる。
弱い、けれどドラゴンが揺れるぐらいには強い……そんな地の揺れが突然私達を襲う。
「ぐっ」
「うぉっ」
上にいた男達、軽やかに登っていた先輩、そして私……それぞれがそれぞれに今の振動に体勢を崩される。一番酷いのは先輩だった。軽く乗っていた所為で今は片手で捕まっているだけの状態だ。次に酷いのは最初に登ったままの人だ。肺の辺りに張り付いていたのが、下半身がドラゴンの肺に埋まっている。まるで肉に溺れるが如く、だった。もう一人張り付いていた人は運悪く落下。そして……落下の衝撃で足が変な方向に曲がっていた。その変な方向に曲がった足を見て……エリザの事が脳裏をかける。いや、駄目だ。今そんな事を考えてはいけない。今はただ……先に進むのみ。
両手、両足を腐った肉の中に刺し込んでいた所為で天罰みたいなタイミングではあったが、大した影響もなかった私は再び登り始める。登り始めて少しいけば、先輩もその男の人も復帰したようだった。
けれど……二人の動きが直前よりも少し遅くなっている。それも当然か。地震がまた起こらないとも限らない。想定の範囲外から訪れる地震の影響を考えながら登る必要が出てきたのだ。厄介な話だ。今日、この日を狙って地震が起こる事もないだろうに。神様、今だけはどうか……泣かないでほしい。
登れば登るほど、気持ち悪い肉が視界に入ってくる。蛆とそれを喰う虫、その蟲を喰う生物。それらが登れば登るほど大きくなってくる。それがうぞうぞと蠢く。ドラゴンの肉の影響でそちらにしか興味は無いのが幸いだが……と、はたと思い出して首元に下げていた覆い皮で出来たマスクを口に宛てる。こんな大事な事を何で忘れていたかと言えば、臭いを感じなくなるまでは宛てると困るからだった。いくら魔法とはいえ全く同一の臭いが出るわけもなく、全く臭いを感じていない状態でドラゴンの臭いを嗅いだ場合と、セラフィックナイトから発せられる臭いに慣れた後、ドラゴンの臭いを嗅いだ場合のどちらが体に与える影響が少ないかと言えば後者だ。ゆえに、直前までは使わないという話だったのだが……登ってから気付いたというのは、それこそ先輩に馬鹿と言われても仕方ない。と先輩の方を見れば……先輩も今更思い出したかのように付けていた……阿呆ですね、先輩。
そんな視線を向ければ煩い、とばかりに先輩がこちらを睨む。
ともあれ、これで口の中にドラゴンの肉が入る事はなくなった。多少呼吸はし辛いが、これを食べてしまって呪われて、このドラゴンの肉を欲するようになっては作戦が失敗になる。事実、化け物達に飲み込まれた人はその化け物たちを喰おうとしていた。その絵面は気持ちの良いものではない。人が化け物を直接その口で食べている様は……吐き気がこみ上げてくる程のものだ。治らない事を思えば、この場で殺してあげた方が良いのかもしれないが、私のいる場所から遠く、それを行うならば先輩の役目となろう。もっとも、それもドラゴンを殺してからすれば良い事ではある。そうこれをさっさと殺してしまう方が先だ。優先すべきはそちらなのだ。
片手に包丁を持ち、張り付いた輩をごっそり落としながら、殺しながら、突き刺しながら登っていく。登っていく。登っていく。肉の平原を這うように、ただ進んでいく。ばらばらと落ちていく細々とした生物をドラゴンが不思議そうに見ていたが、そんな事知るものかと私が、先輩が、残った男が登っていく。
高さで言えば大人の木を一本を超えた辺りで、ようやく先輩と合流する。
流石に先輩も張り付いた生物を殺していた所為か、その綺麗な白い髪が赤く染まっていた。私のような黒髪であればそこまで目立つことはなかろうが、先輩の白さに赤は良く映える。
「さっさと登るぞ、カルミー」
「はい。先輩」
そこからは二人で協力して登っていく。一人で先に進むより排除作業を二人でやれば簡単だ。加えて、先に登った人が排除した所を利用しながら、さらに、さらに。
そうして登っていけば、男の人が心臓辺りで腰をついていた。まさに腰をつくように下半身をドラゴンの中に入れ、骨を足場に座っていた。
「いよう。ここまでこれたのは今の所三人だけってか……情けない。全く、学園制度ってのも一長一短だな。ギルドに任せておきゃいいんだっての」
「はんっ、そのギルドの所為で学園制度ができたんだろ。自業自得さ」
「違いない」
そう言って男がけたけたと笑う。一見軽薄そうだが、腐肉に包まれながら笑うこの男も狂ったぐらい自殺志願者なのだろう。
「そっちの子は見ない子だな、新人かい?よくやるもんだ。うちの若いのにも見習わせたい」
その視線はハァハァと息を吐いている私を見定めているようだった。
「はん。そんな目で見ないでほしいわね。カイゼル」
「そっちじゃなくてファルコと呼んでくれよ、白夜姫」
「何それ?」
「いや、あんたの最新の二つ名」
最新のという事は他にも色々あるのだろうか……。今となってはリヒテンシュタインの名を持つ奴隷は先輩しかいないのだから、知名度的にも高いのだろう……良く分からないが、そういう所はまた今度教えて貰うとしよう。今はドラゴンが優先だ。
「はぁ……なんでもいいわ。あんたはここ?私らは上に行くわ」
「おう。んじゃ、どっちが先にやるか勝負だな!」
「誰がそんなこと」
言って先輩がさっさと先を登る。それを追いかけて私も進む。私がその男、ファルコとやらを超えて登ろうとした時、男が小声で私に伝えてくる。
「あれとは長い付き合いだが、人を連れて行動しているのは初めて見る。だからさ、俺がいうこっちゃねぇんだが、良くしてやってくれよ。口は悪いけど悪い奴じゃあねぇから」
「言われなくてもそんな事分かっています」
「かっ!そうかそうか、このファルコ、余計な事を言った。今のは忘れてくれ姉ちゃん」
頷き、先を行く。
先へ進んでいれば、カカカと下から聞こえる笑い声が止み、今度は金属同士がぶつかり合ったかのような巨大な音が鳴る。その音にびっくりして下を見れば、
「うへっ……」
見えたものよりも、その高さの方に驚く。ここから落ちれば助からないだろうな、と思える程。だから、下を見ないようにしながら登り、先に見えた物を思い出す。
骨と骨の隙間で自分を支え、座り、大剣をむき出しの心臓に向かって思いっきり突き刺していた。何度も、何度も。それが成した音が金属同士のぶつかるような音。このドラゴンの心臓は鋼の硬さを持っているという事だろうか……であれば、脳は?いいや、それ以前にこの生物は心臓に攻撃をくらっても、うんともすんとも言わないのか。それともこんな程度では痛みすら感じないと……そういう事だろうか。
「カルミー……早く登るよ」
「勝負ではないのでは?」
「そうじゃないわ。揺れる前に……辿りつかないと面倒だわ」
せめて肩まで登れば座る事もできる。そうすれば多少は安定的になるだろう……了解、と伝えそのまま登っていく。
その間も鉄の鳴る音が響く。
剣を心臓に差し込もうとしているのならば、片手ハンマーでも持って来て剣の尻を叩いた方がよほど良いのでは?などという考えが思い浮かんだりしながら登っていく。もはや登るのも作業になってきていた。化け物をどかし、足場を作り、躰を持ち上げる。その繰り返し。先輩とコンタクトを取りながら、分業しながら、登るその繰り返し。ただそれだけ。地震さえ来なければ、襲われる事のない道程などこんなものなのかもしれない。いや、これは作戦の勝ちなだけだ。これまでに失った命が作り出した道筋なのだ。戦争は戦争前までに行った事の結果が本番であるという言葉もある。だから、これは必然なのだ。後は慎重に想定通りの行動を行っていけば良い。
行っていけば、肩へと辿りつく。
「……真横にドラゴンの頭ってのが落ち着かないが……ようやく、か」
少し前傾したドラゴンの肩はやはりそれなりに不安定ではあるが、登っている最中よりよほどましだ。そして……ようやくお目見えだ。
「エリザの……」
「はんっ!よくもまぁ、長い間刺さったままだったなぁ。どんだけ重いんだよアレ」
「私には持ち上げられませんでした……」
「んじゃ、私にも無理だわなぁ」
ともあれ、どす、どすと音を立てて歩むドラゴンの顔は……顔だけ見ると爬虫類の延長なのだけれど、やはり恐ろしいものだった。が、ドラゴンの顔が真横にある状態というのはもはや現実感など全くなく、恐怖という感覚ももはやマヒしていた。
「さて……やるか」
「はい」
腰のロープを、蜘蛛の糸で出来たロープで輪っかを作り、それを眼窩に刺さったエリザの剣へめがけて投げ、届かず、回収し再度、と幾度かの失敗の後にようやく、思い通りにエリザの剣にロープが掛かる。そして、引っ張れば輪の部分が窄まり、肩から目への道が出来る。抜き身の剣に蜘蛛の糸の輪っかがどれほど耐えられるか?といえば、それほどでもないというのが答えだろう。だから、輪っかの部分は最初から補強してある。そうそう、切れる事もない。
そのロープを先輩に渡せば、それを命綱として先輩が糸を、顔を登って目の中へと。あぁ、妖精さんが冗談でやっていた事が本当に実現するとは……と感慨深げに思う。先輩がそのまままるっと収まるぐらいの目の大きさというのはさて、どれぐらいのものなのだろうか。
先輩がエリザの剣に足の裏を宛て、自身の体を支え……抜刀する。が、案の定、刀は眼窩を少し裂くぐらいだった。先輩の口惜しそうな表情がここからでも見える。流石に刀を振り抜く広さはなかった。だからこそ中途半端に刺さった状態になったのだが……。となれば、と一旦刺さった刀を抜いて、今度は……ただ突き刺した。
瞬間、それに合わせドラゴンがびくり、と体を震わせる。その揺れに落ちないようにと辺りを掴う。それは驚きの反応といった所だろうか。例えば人間が虫にさされてはっとするような……そんな程度の。
「カルミー」
目の中から先輩が呼ぶ。いやはやしかし、今更だがこんな大きな声で会話していてばれないのかと心配になるものの、その辺り鈍感なのか何なのか。ともあれ、その呼び声に、次の案だなと私も同じくロープを登って先輩の下へと。
ドラゴンの目の中で二人、という正直言って埒外の状況である。どすん、どすんと鳴るドラゴンの足音、時折聞こえるぐるると鳴っている口腔。それら全てが埒外だ。自分は本当にここにいるのだろうか?とか、これはもしかして寝ている時に見る夢なのではないか?なんてそんな現実感の喪失。それは失意の中に見つけた希望を並べたかのような、そんな夢。これをこなせば何もかも巧く行くのだとそういう夢……あぁいや、何だろうこの思考は。
さっきからどこか思考がおかしいように思う。
「先輩、頭が」
「あん?誰の頭が残念?」
「いえ、先輩の頭が残念なのは間違いないのですが、そうじゃなくてですね……思考がぶれます。多幸感?ここが現実じゃないかのような……違和感というか」
「はっ!何らりってん……っ!」
息を飲む。先輩が息を飲んだ。髪を赤く染めた先輩が……私の腕を見て、息を飲んだ。
「血流すのは膜を破られた時だけにしなさいよ……処女膜破って直ぐの性感未発達の非処女なんて連れてくるんじゃなかったわ……」
「何、優しい声出してそんな事言ってるんです……場所を考えましょうよ場所を……」
「カルミー、時間がないわ。馬鹿話と説教は今度にするからさっさとやるわよ」
睨まれ、けれどその理由は皆目見当が付かず。しいて思う事といえば、先輩が焦っていると言う事だろうか。何をそんなに焦っているのだろうか。今から、刀で空けた穴にアーデルハイトさんから貰った爆薬を詰め込んで着火させてみるという作戦に入るだけというのに……
「……人を助けるために呪われる事を、勇気とは言わないのよ、馬鹿」
それは吐き捨てるような、けれど悲しみを帯びた呟きだった。刀を刺し、それを両手で、足をエリザの剣に宛て踏ん張りながら、無理やりめり込ませる。肉と剣という足場の悪さに苦労しながらも先輩は徐々に、徐々にめり込ませていく。
「な、何を……」
「さっさと気付けこの馬鹿!何なのよその腕の傷跡!血が出てるじゃないの。そんな状態でこんな所で腕を挿れたり出したりしてりゃ、そりゃ……食べた事と変わらない事になるに決まってるじゃないっ」
歯を食いしばり、ぎしりと鳴らしながら、先輩が罵倒してくる。それは今までみたいな形だけの罵倒じゃなくて、ただ私の心配をしてくれている、そんな優しいものだった。だから、尚更に……響いた。
「あぁ……あの貴族の……先輩に教わって、折角不意打ちを防げたと思ったのになぁ」
爪の跡。爪によって出来た傷跡。それは血を流し、私の血と、ドラゴンゾンビの血肉が交り合った。このどこか気の抜けたような思考はきっと……それが作り出した幸福感によるものなのだろう。しばらくすれば先の化け物達を食べていた男のようになるのだろうか……それは嫌だなぁと呆と考える。その思考が既に駄目だった。
しかし、今まで、先輩の、先ほどの男の人の焦り、恐怖に対する震えが見えなかったのだろうか?いいや、見えていた。見えていたけれど、脳が理解を拒否するぐらいに私は麻痺していた。
全く……全く、どしがたい。
「けれど、まだ生きてます。まだ……やれますよ」
泣き叫ぶ事は後で良い。それが死に至る病だとて、泣き叫ぶ事はドラゴンを殺した後で良い。殺されるよりも助かる可能性の方が高いのだ。アルピナ様のように食事で防ぐことができるかもしれない。だから、今はなすべきことをなし、エリザの剣を取り戻して……夢を叶えるために行く。
「先輩、さっさと帰りますよ。説教と罵倒は帰ってからって自分でいったくせに言っちゃって……まったく、早漏は嫌われますよ?」
「誰が早漏だよ、女だっての。はんっ。言うね。言うねカルミー。だったら最後の最後まで足掻いて生き汚く生きるよ」
刀が円を描いて肉の中を動き、肉を切る。そうすればドラゴンの目の中にくりぬかれた肉の塊が。こんな事をされてもまだ痛みを訴える事すらないこの生物は一体全体どうなっているのだろうか。全く……謎だ。この生命体をどうすれば作れるのか?気になる。気になるものの……答えなんてきっと得られない。
だから、今できることを……アーデルハイトさんに貰ったどっかん一号なる爆発物を遠慮なく詰め込んでいく。詰め込んでいき……肉に圧迫され、目の奥に入っていったの確認して……先輩が、思いっきり刀をその隙間に付き刺した。
瞬間、響いた轟音に耳をやられる。先輩も、いやさドラゴンも流石に内部からの爆発には面喰ったのか、体をあっちへ、こっちへと揺れ動く。脳の付近での大爆発でもこれというのは、生物としてそこは死んでおけとは思うが……ともあれ、ドラゴンがようやく痛みを訴え始めた。
一方で、私達は、主に先輩は……だが、びっくりした表情のまま私に近づいてきて頭を叩く。
「いたっ!?」
「痛けりゃまだいいよ!なんだよこの爆発!肉が降ってきて血まみれ万歳じゃないか!?つか、何?ドラゴンの肉がもうちょい脆かったらうちら諸共だったんじゃないの!?つか、刀が曲がったよ!?」
焦る先輩は可愛い。ただ、血塗れなのが頂けない。服も髪も全くどろどろである。口元を覆うそれも結局もはや意味をなしてないのではなかろうかと思うぐらいだ。傷口から入った私はアホだが、先輩も先輩でもはや結構ドラゴンを摂取しているのではないか?
「あぁ、そうだよ。くそっ。きっと私もお前と同じ身だよ。あーもうこれでこいつ仕留められなかったら散々だなぁ、おい」
どうやら先輩も高揚中のようだった。つまり、お互いもうそろそろ時間がないといった所だ。きっとあの男の人も……。先ほどの振りまわしで吹き飛ばされて死んでなければ、だが。
「まだ、余ってる?」
「はい。結構いっぱいくれましたから」
ともあれ、次はどこにしかけようか?と頭を痛みに揺らすドラゴンゾンビの目の中で考える処女二人。あぁ、先輩がうつって来た。重症だ。早く……しなければ。
先に穴を開けた場所はそれが広がっていた。だったらその中を、とは思うものの人が入れる程広がったわけではない。同じ場所に入れるのはどうなのだろうか?と思い悩む。
「カルミー、曲がった刀じゃこれ以上切れないし、さりとて同じ場所を痛めつけて意味があるのかって話だが……さて、どうする?」
「この付近の肉なら爆発で飛ばせるということは、もっと奥に入れて爆発させればまたそれよりも深い所まで壊せるという事ですので、もっと先に入れましょう」
「了解。もっと深くとか流石淫乱。じゃ、ちょっと紐くれ」
言いざま先輩が微妙に曲がった刀、良く壊れなかったなぁと思う、の先端にどっかん一号を括りつけて、えいやー!っと爆発で開いたドラゴンの肉の中に目一杯投げ込んだ。
「え、先輩刀は…」
「あんだけ曲がってたらどうせ作り直しだしな。だから、カルミーちょっとその腐った刀貸せ」
腐った……いや、確かに錆を金属の腐敗だと思えばそうかもしれないが……言いながら刀を抜き、先輩に渡す。
「鞘ごとな」
相変わらずドラゴンが揺れる中を……鞘ごと先輩に渡し、ついで先輩が勢い良く鞘の反対側を手に持って、勢い良く束部分をスライドさせて肉の中へ送り出せば、再度の爆発音。
絶叫が響き渡る。図体に似合わぬ金切り声を挙げる。……あぁ、挙げるのだ。挙げたのだ。まだ……生きている。
「ひょっとして脳の再生能力まで高いって話か。あーもうこれじゃあこっちが先にまいっちまう」
「まぁでも……やり様は分かったわけですから後は人任せでも良いかもしれませんねー。私達で殺せないのは残念ですが」
なんてお気楽な気分になってきているから困る。自省し、心を落ち着かせようにも巧い事いかない。もはや、ドラゴンの呪いとやらに脳が本格的に侵されている。ただ、これはあれだろうか。さっきの男とは症状が違うのだろうか?いや、そんな事はやはり後回しで良い。
「だなぁ。全く勿体な……カルミー伏せろ!」
「はっはい!?」
次の瞬間、手が突っ込んできた。
目の中に手が突っ込まれた。物凄い勢いで突っ込まれたドラゴンの手は奇跡的に私達を避けて爆発させた所……へ突っ込まれる。痛い部分を取り出そうとでもいうのだろうか。自分で自分の目と言うよりも寧ろもはや頭蓋の直下ぐらいだ。その辺りを引きずりだそうというのだろうか。
それは、自殺なのではないのか。
皮肉だ。
ドラゴンが自殺洞穴で自殺するなどまったくの皮肉だ。だが、そんなわけでもないようだった。人間が頭の痛いときに頭を抑えるようなその類の行動みたいだった。
巨大な、やはり腐食した手で痛む所を抑え、自分の脳を抉るかのように爪先を体の中に突っ込んでなお、この生物は生きていた。
「は……はは……まだ生きてんのかよ。もうこれ殺すの無理なんじゃね?」
「……さぁ……まぁ、私としては今の衝撃でエリザの剣が落下したので良いですけどねー」
ドラゴンからすれば小さな眼の中に指を突っ込んだのだ。そこにあったものが動くのは当然。問題は……目の中、地べたに這い蹲ったような形の私達、である。
「動ける?」
「なんとか。先輩は?」
「いけるいける」
何とも締まらない。締まらないが……これ以上ここにいてもそれこそ意味がない。よいしょ、よいしょと眼窩を動いて目のふちへ。先輩を待って……一気に降りていく。
先ほどまで暴れていたドラゴンも今となっては痛い所を抑えて蹲ったように静としている。今の内、今の内、と先輩と二人で協力しながらさっさとドラゴンを降りる。ちなみに、心臓部分には既にさっきの人はいなかった。飛ばされたのかは分からない。生きていれば良いと思う。まぁ、生きていればいつか会うだろう。一会の相手。会わなければ死んでいるもの生きているのも違いは無い。
「はー……ま、離れるか」
未だ地面が動いているような錯覚を覚える。それぐらいに上は揺れていたのだ。そんな状態でも雪に沈む事のない先輩はなんなんだろうと思う。そういえば……あの男の人が言っていた、白夜姫ってのはなんなんだろう?
「先輩、そういえば白夜ひ……」
「だま……」
言われる前に黙った。
先輩も言いざま止まった。
ドラゴンも止まったまま。
世界だけが……鳴動していた。
神の嘆きが……世界を割った。
「カルミーっ!隠れるぞっ」
「はいっ」
断崖が崩れ、降りかけていた人が落ちていく。雪原が傾き、割れ、それに飲み込まれていく人の姿が見える。ドラゴンの上に断崖が倒れてくる。それが……ゆっくりと時間を無限に伸ばしたかのようなそんな……そんな風にゆっくりと動いて見える。その中を走る私達もまた……ゆっくりで、先を行く先輩の動きがいつにもまして早く、思えた。どうすればそんなに早く走れるのだろうか、と思い悩んでもそれは今更で……ただ持てる力一杯に私は走る。割れていく地面を、崩れてくる断崖を舞い上がる砂埃を、舞い上がる雪を避けながら突っ切りながら……只管に走る。
鳴動は収まらない。
あの日、私の村を壊した時のような……それぐらいに長い時間……その地震は続いた。
続く響きの中、雪原をあの巨体が傾く雪原に流され、亀裂に沈みかけ挟まって静止した。が、上空から振って来たその躰よりも大きな岩石に潰され首が折れる。背骨が割れる。痛みを堪えていた手を眼窩から抜き取り、空に向かって叫びを、雄叫びを。手を振り乱して岩石を避けようとして……いいや、もはやこれは断末魔だった。一度振っては腕が割れ、二度振っては頭が欠け、三度振っては……躰が押しつぶされた。
「先輩……」
周囲に倒れてくるものがない事を確認し、雪原に腰を据えて揺れを耐えながら私は、私達は呆然とそれを見ていた。
「は……ははっ……なんだよ、これ」
そんな軽い、先輩の笑いが……いやに耳に染みわたった。
確かにそんな風にしか……言えないですよね……。