第24話 妖精乱舞
24。
それを何と称すれば良いのだろうか。蜘蛛の足が生えた人なのだろうか。それとも蜘蛛に人が生えたようなものなのだろうか。一つ分かるのは、中途半端に人の形を取っているからこそ、気色が悪い。陽に焼けた事のない肌は白く、それこそ後ろで様子を伺っている人よりも白い、が、それを綺麗だとは思わなかった。骨の形がくっきりと浮かび上がるそれは肌よりも皮と表現した方が適切だろう。蜘蛛から生えた躰の全身がそんな皮に包まれていた。顔に当たる部分も頭蓋骨に皮一枚被せただけのようなものだった。特徴的なのは一見伽藍堂のように見える目と人よりも多い尖った歯だろうか。
とどのつまり、餓死寸前の妙齢の女性に蜘蛛の足を8本ほど付ければ、これの出来上がりだ。
そんな生物が、伽藍のような黒瞳を動かしながら、松明の火を見ていた。動きをじっくりと追いながら。天井から逆さにつられたままで。
悲鳴をあげられるものならば、あげたい。いくらなんでもこれは……想像の外だ。寧ろまだドラゴンの方が他の生物の延長として考える事ができるが、これは流石に……。
「こんな生物がごろごろしてるんですか?」
小声で、先輩に問いかける。
「人型と呼ばれるのはほらリザードマンとか結構いるけど、人がくっついてるのは……そんなにいないかな?ま、意思疎通の取れないエルフだと思えばそんでいいだろ。あれも埒外だし」
神経を逆なでするような言い方だった。それが先輩の喋り方だというのはいい加減理解したが、一瞬血が登りそうになる。が、けれどそれでは本当に唯の自殺志願者だ。言いたい事は生き延びてからにすれば良い。
冷静に。感情を殺し、目標に向かう。
目標である蜘蛛女?はこちらが何なのだろう?と困惑している様子だった。初日に見たアレみたいに火の光に耐性がないわけではないみたいだが、それは一体何なのだ?と松明に釣られて視線を動かしていた。
であれば、と松明を動かしながら、周囲を観察する。
そこは開けた空間。地面には今まで欠片もなかった生物の死骸や、血の跡が残っていた。この生物に全て喰われたのだと思うと怖気が走る。その他目立つものといえば、球体然としたそれは卵だろうか?そんなようなものがあった。まさか卵生なのだろうかこの生き物は。卵生の虫は孵化する際に大量に産まれる事を思えば……収まっていた吐き気がまたぞろ顔を出してきた。
そんな馬鹿な発想をしながら更に周囲を見渡す。見渡し……蜘蛛の足が飾りではないのだな、という事を知る。まさに蜘蛛。周囲には糸が張り巡らされていた。一体全体あの体のどこから周囲にめぐらされた糸を吐き出しているのだろうか。口か、それこそ尻か。どちらにせよあまり想像したいものではない。分かるのは、気にせずこの空間に足を踏み入れていれば糸に絡め取られて餌になったという事だ。生きたまま食べられていたのだろうか。そんな嫌な想像に一瞬で吐き気が収まり今度は額から汗が零れ落ちる。
冷たい汗が瞼の上を通過し、それに一瞬、目を閉じてしまう。次の瞬間、目を開ければソレの位置が少し変わっていた。それと同時に後ろからアホという叱咤が届く。言われなくても分かっているっという返答をする余裕はない。
それは、松明を持つ私の目の動きをも見ているのだ。松明に対する好奇心はあれど、それを持つ生物に対して警戒していないわけではないのだ。その事実に更に冷や汗が湧く。湧いて、やはり瞼を通る。が、今度は目を閉じる事はしない。出来るわけがない。これ以上の接近は打つ手なしになってしまう。
とはいえ、打つ手などといってもこちらの手持ちなぞ松明と包丁ぐらいのものだ。これでどうしろと後ろにいる剣を持った人に振り向く事もやはり今となっては行えない。次に目を逸らせば襲われるのではないか?その想像が拭えない。
「…………」
松明を動かすたびにぎょろぎょろと動く黒瞳が気色悪い。伽藍のようでいてけれど目から少し飛び出たようなその球体が動く。あの瞳を潰せれば、それこそ妖精さんがやっていたように目を潰して脳を潰す事ができれば何と楽な事か。もっとも、人型といえど脳の位置が人と同じなのかと問われれば分からないが。総じて生命の脳の位置は頭上だと思う。
いや、そんな事、今はどうでも良いのだ。
今、私はどうすればこの状況を切り抜けられるのか?という事だ。
前に進めば糸にやられる、後ろには先輩がいる。先輩を蹴倒して元の道に戻れれば楽は楽だが……。糸が前面に貼られている事を思えば、先輩とて別に私を囮にしてこの場を切り抜けようとしているわけでもなかろう。事実、囮であれば既に用を成しているのだ。だから、これはきっとこの性格の悪い先輩による実地訓練なのだ。
もっともそれは私ならばできるのでは?という期待ではなく、これぐらい切り抜けられなきゃ生きる価値がないという事であろうが。全く優しい先輩である。私の未来までも心配してくれるなんて……ねぇ。
「とはいえ、先輩……私がやれる事なんて相変わらず……これしかないんですけどね。毎回毎回同じ手しか思いつかない自分がちょっと情けないですが」
松明を目の前に……一歩踏み出して、突き出す。
「情けなさで命が買えるなら安い」
その先輩の言葉と同時に炎が湧きあがる。
蜘蛛女の糸を伝い炎が、青白い炎が湧き上がる。湧き上がればそれは一瞬で、空間に幾何学模様を作り出す。
縦横に広がる蜘蛛の糸が青く、青く染まっていく。洞穴に咲いた青い花、まるでそんな様相だった。その炎から逃げようと暴れる蜘蛛女は、だが、自身で吐き出した蜘蛛の糸の所為で身動きが取れず青い炎に焼かれ、さながら果実の如くその花を飾っていた。
その青い花に先輩だけでなく、頭陀袋の中から出てきた妖精さんも笑みを浮かべて喜んでいた。
喜び、喜んで……背の翅で空を舞う。
背に付いた小さな翅を使って空へと、その開けた空間へと、燃える炎に包まれる蜘蛛女のいるその場へと妖精さんが飛んでいく。止める間もなくあっという間にくるり、と周りながら廻りながら、回りながら踊るようにひらひらと服をはためかせ。あの公園で踊っていた時のように優雅に、煌びやかに舞い上がっていく。
ほぅ、と甘い吐息が後ろから、否、先輩の方からする。今ならば、と振り返れば炎の作りだす熱にやられ上気したような、うっとりとした表情の先輩がいた。妖精さんの着る民族衣装と先輩の着ているものは、意匠が異なるものの同系統のそれだ。それを着て自殺者の集う洞穴で踊る妖精に、思う所もあるのだろう。
私だとて思う。
妖精さん一体全体何をしに?と思っていれば答えは絶叫、断末魔、悲鳴何でも良い。それで返って来た。
青く燃え上がる蜘蛛、その状態ですら暴れるだけで悲鳴をあげる事のなかった蜘蛛がそれを上げた。それは人と同じ発声器官から作られたものであり、まさに人のそれだった。蜘蛛の足が炎に隠れている今、なおさらにそれは人が叫んでいるように思えて、心が痛む。だが、そんな事はおかまいなしと、妖精さんは……
黒瞳をその小さな手で掴み取っていた。
右目を、左目を次々と。それを軽々と、小さな手の平だけで持つ技とはどんなものなのだろか?そんな事を思う間もなく、蜘蛛女の両目でふさがった手を空けるためにと言わんばかりに、優雅に空を飛び私の足元へ案の定それを置き、一度こちらに向けてにこりと微笑んだ後、再び蜘蛛女の方へと飛んでいった。燃え続ける糸の隙間をくぐり抜け、ひらりひらりと飛ぶ様はやはり優雅だった。
「……飼い主にどんな育て方したのか問い詰めたい」
私の後ろで妖精さんの行動に絶句していた先輩がそんな事を呟きだした。私も思います。リオンさん、妖精さんは優しい生物じゃなかったんですか?とか……何が緊急時には光るですかそんなもんじゃないじゃないですか、とか。
その後も妖精さんによる蜘蛛女の解体ショーは続く。そう、それはまさにショーだった。小さな手で、手刀で燃える蜘蛛を切り裂く様は家畜の解体のそれだ。蜘蛛の足を切断して取り外したり、外見をはがし内臓を取り出したり。背景音として蜘蛛女の絶叫というのはショーとしてはどうかと思う所ではあるが……。音が、臭いが吐き気を催させ、今日何度目かになる胃酸のこみ上げを感じた。
行ったり来たり。行ったり、来たり。目も足も無くし既に逃げる事もできず、ただ妖精さんに成されるがまま。思うがままに解体されていく。切掛けを作ったのは自分とはいえ、これは流石に無情だ。人の形だから尚更だろう。だが、殺さなければ殺されるのは間違いなく、所詮これは生存競争でしかない。喰うか喰われるか。そして妖精さんは喰う側なだけ。
「妖精も本来獰猛な生き物だとはいえ、これは流石に……なぁ」
やるしかないよねぇ、と妖精さんが解体する肉片を頭陀袋に詰め込みながら先輩の言葉を聞く。振り返れば、苦虫を噛み潰して飲み込んでしまったかのような表情をした先輩が妖精さんを目で追っていた。
「そうなんですか?」
「物語に出てくるような優しい感じの物とは全然違うわなぁ。妖精っていっても洞穴由来だって話だよ」
確かに。洞穴由来の生物だとは聞いていた。けれど……
「洞穴由来の愛玩動物なんているわけないだろ?じゃなきゃ種として生きていられるわけがない。かわ……いや、うん。世間一般的に言って、可愛らしい容姿をしていると言いたいだけだぞ?本当だぞ?」
「いえ、そこは良いですから先を」
「んっ……見た目より力があって小さいし飛べるからな。そりゃあ生存しやすい。生存しやすければ種として繁栄するってものだよ、カルミー。首都の方っていった方が良いな。そっちの方から洞穴に潜れば第二階層で遭遇できる。ま、その第二階層で遭遇できるってのもまた怖い話でね……人間の到達深度が第二階層までだって話だよ」
「この妖精さんみたいなのが大量にいるんですか……」
「いや、ここまで凄いのは流石に初めて見るわ……普通妖精一匹でどうこうはならないし、妖精が人間を襲う事は滅多にないんだよね、そもそも。まぁ、滅多にないといだけだけで気を抜いたらやられるけれど……」
「だから妖精さんは普段頭陀袋の中にいるんですかね」
「だと思う」
そんな会話をしていれば、妖精さんの解体ショーが終わり、宴もたけなわとばかりに炎も静まっていく。
静まっていく。そう静まっただけだ。蜘蛛が作り出した糸は燃え尽きていなかった。
表面を覆う蜘蛛の粘液だろうか?それだけが燃え、その下にあった糸は燃え尽きず空間を埋め尽くしたまま。であれば、と糸を手繰り寄せて回収する。
若干熱が残っており熱いものの、蜘蛛の糸はしっかりとその姿を残していた。焦げ目があるわけでもなく、寧ろ蜘蛛の糸特有の粘着力がなくなっており使いやすそうだった。
「これに松脂塗ればまた使えそうですねぇ……」
別に火と縄が好きなわけではないのだけれども……と自分へ言い訳しながらいそいそと糸を回収していく。その最中、先輩がひょいっと後ろから出て来て広間へと向かう。別に地面に落下した蜘蛛女の惨殺死体に興味があるわけではなく、その脇、先ほど目についた球体然とした卵に興味があったようだ。
それの大きさは成人男性の頭ぐらい。それが二つ。
先輩が腰に刺した細い剣の鞘でこつこつと卵を叩けば一つは軽い音がするがもう一つは中身が詰まっているような生命を感じさせる鈍い音がする。
「こっちは潰しとかないとなぁ」
呟き、先輩が構える。
足を開き、腰を低くする。左腰に差した剣の鞘を左手で押さえ、右手を剣の柄へ。そこに無骨な感じは一切なく、どちらかといえば妖精さんの舞のように優雅ささえ感じる程だった。いつのまにか私の肩に座っていた手が血まみれの妖精さんもほぅ!と先輩を眺めていた。
吐息を一つ、二つ、三つ。
そして、抜剣。
次の瞬間、その剣は地面に到達していた。力が込められているようには一切見えなかったにも関わらずそれだ。右手が剣を鞘から引き抜こうとした次の瞬間には卵が割れ、剣は地面まで到達していたのだ。エリザのような不思議な力任せではない純然たる技術によるもの。確かにエリザを力だけの奴だと言うだけはあった。こんなのエリザのとは違う意味でどれだけがんばっても私には真似できない。
その匠の技術に妖精さんが手をパチパチと叩いていた。そんな賞賛を受けた先輩は、しかしそれが聞こえていなかったわけでもなしに、割れた卵を見て白い髪を、頭をかりかりと掻いていた。
「………まさかとは思ったけれどねぇ」
呟きながら嫌そうなというか、釈然としないというか、なんだろうか驚きなのだろうか?そんな表情を見せながら、私を呼び寄せる。
「カルミー、夢は見るものだわ」
「なんですか先輩」
「見れば分かる」
言われ、剣により切られた断面を見れば、即座に理解した。
「プチドラゴン……?」