第20話 純白の奴隷
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学園の講義は座学と実地。実地とはいえ洞穴内にいくわけでもなく、ただ自分に合った事を行うものである。いろんな講義があるようだが、私の選択したのは必然でもあったが、罠に関するものだった。周囲の罵倒、罵声を無視しながら淡々と与えられた課題をこなしていく。幸いにして担当の教師は私への興味はなく、そういう意味では平等だった。
罠と一言で言っても人間の作る罠と、自然の作り出した罠の両方だ。特に洞穴内では後者が多くあるようだが、それだけではなく古くから自殺しに行っている者達がしかけた罠で生き残っているものもあるようで、それにも注意が必要とのことだった。それらに対する知識を蓄えて行ったものの、けれど、それが身になったかと言えば、きっとなっていない。蓄える事はできたが、それを利用する事まではいかない。だが、知らないより良い。全くの未知へ対処するよりも少しでも知っている方が対処はできるというものだ。だから、何を言われても淡々と罠についての知識を蓄えて行った。
学園と宿屋の往復、そして依頼をこなす。それが今の私の全てだった。学園の寮は学生のみの場ゆえに、エリザを置いておくことはできない。隠れて行おうにも看病が必要な人間を囲ってそんな事できるわけがない。ゆえに、学園を出て結局件の宿に泊まる事になった。これもまた言った手前恥ずかしかったが……。
じわりじわりと目減りする金に、本当にあの時阿呆な武器を作らなくて良かったなと感慨深げに思った。毎日依頼をこなしていれば問題ないのだが、毎日それをやっていれば結局、洞穴に行くことができず終了だ。だから金銭が減るのを覚悟で二日、三日などに一度という頻度で依頼をこなしている。毎日毎日リオンさんの依頼があるわけでもなく、いろんな人の依頼をこなした。それこそ食事だけではなく、それ以外の荷物運びだとかそんなものも。成功したり、失敗したりの繰り返し。
目に見えて分かるほどに体力的に辛くなってきてはいたが、それでも止めるわけにはいかない。
ベッドで寝るエリザの怪我自体はその殆どが治りかけていた。表面上はほぼ完治。あとは歪んだ腕と足ぐらい。骨が折れている以上その辺りはもうしばらく時間はかかるだろう。問題は心の方がまださっぱりであると言う事。
怪我の治りと共に、反応する事は多くなってきたけれど、それでもまだ人として……いや、エルフとしてコミュニケーションを取れる程ではない。今の状態はただの反射行動だ。
「……魔法でもなんでも使って生き返らせないといけないのかなぁ」
けれど、その手法が分からない。体は生きていても、心が死んでいるならば結局死んでいる事と同じなのだろうか?私は結局彼女を単に苦しめて殺してしまっただけなのではないだろうか、そんな考えが私を責め立てる。けれど、その責め立てに反論する資格は私には、ない。
「……きっと怒るよね。でもね、ドラゴンにも殺されない、ディアナ様にも殺されない。貴女を傷つけようとする人はどこにもいないから安心して頂戴」
眠るエリザの髪を撫でながら、ほぅとため息を吐く。こんな事をして何になるのだろう。そんな自問自答は際限なく。
そんな私を心配したのだろうか。優しい妖精さんが私の肩に止まって髪を撫でる。よしよし、と子供をあやす様に。苦しい事は全部吐き出して良いのだ、ここには自分以外見る者はいないのだから、そんな風に言っているように思えて、涙腺が緩む。が、もう涙は流さない。
「また一緒に、みんなでさー……あの堤防でも登ってのんびりしたいね。その時は妖精さんも一緒に行こうね」
それはきっと夢だろう。あの時の気持ちのままに登る事はできないのは分かっている。だからそれは夢だ。
儚い夢を脳裏から掻き消し、よし、と呟き、足に力を入れる。
「じゃあ、行ってくるね。看護の方には連絡いれておいたから大丈夫だよ。安心して」
看板娘のアナスタシアさんお勧めの看護さんなのできっと大事にしてくれるだろう。それを信じて私は、私と妖精さんは部屋を出て行く。
今日が、件の調査の日なのだ。
エリザの剣が見つかれば……きっと、なんとかなる。そんな風に期待を胸に扉を開ける。
これから向かうのが本当の意味で初めての洞穴。自分で求めて死に近い場所へと向かう。その自殺行為を止めるものはいない。まさに自殺だ。きっと誰も彼もが嗤うだろう。自殺志願の馬鹿者だ、と。
軋む木製の通路を通り、階段へ、ゆっくりとゆっくりと降りてそのまま宿を出る。これも少し前からの日常だった。
外に出れば未だ朝もやに包まれていた。つい先日は楽しい感情で朝もやの中を行けたものの今となっては憂鬱でしかない。けれど、それもまた振り切りながら先へと進み、進めば待ち合わせの場所へ。
多くの人がいた。
屈強な者、学者のような格好の者、中には同じく奴隷、その他諸々。本当に数多くの人達がそこにいた。来たものから順に馬車へ乗りこみ、現地へと向かう手筈になっているようだった。あとどれくらいの馬車が出発すれば私の番がまわってくるのだろうか。手持無沙汰に人数を数えながらそれを試算する。が、途中であきらめた。昼前には出発できる事だろう。
現地に早くついた所で別に早く調査が開始できるわけでもなし。あくまで調査団であって勝手気ままな探索ができるわけではない。だから、エリザの剣を見つけてもそんなに易々と持って帰る事はできないのかもしれないと、不安になる。あの重量は正直一人では運びきれないし、加えて言えばあまりにも大きすぎるため目立つ事この上ない。やはり一旦先遣隊の遺物であるとして回収して頂いて後で返却申請を願うしかない。それができなければ……どうしたものだろうか。不安が不安を呼び、気持ちを萎えさせる。ここまで来て何を今更に不安を抱いているのだ。
そんな不安に包まれていた私に声を掛けてきたのは同じくリヒテンシュタインの奴隷だった。
「あら、死にぞこないが今度こそ死にに来たのね」
白い髪をした少女といってもきっとエリザと同じぐらいの年齢の子だった。腰に細身の剣を刺し、不思議な感じの服……ひらひらと風に揺らめく民族衣装のようなものを着ていた。防御性能は全く皆無であろうその服に加えて、短いこれもスカート?なのだろうかを履いていた。そこから伸びる長いこれでもかと出ている足は、とても綺麗で健康的に見えた。私のようなひょろっとした物ではなく細いが、しかし貧弱な感じは一切しない鍛え上げられたものだった。
見たことは無い。改めてじっくり確認しても、首輪と腕に付けられた二つの輪っかがリヒテンシュタイ家の者だと示しているが、彼女を屋敷で見かけた事はなかった。
「良く自殺志願者にもなっていないのに調査団に参加できたね。その華奢で折れそうな股でも開いたのかしら?あはっ!それはないわよね。あんたみたいな乳臭そうな痩せた餓鬼を相手にする奴なんて本物の変態以外にいないもんね。そんなの相手にしてたら五体満足で居られるわけないわよね?貴女のお友達みたいに!じゃああれかしら騎士団の偉い人?きっとあの豚みたいな奴ね。あんな変態に躰中舐めまわされるなんて想像しただけで死にたくなってくるわ。だったら最初から自殺した方がまだましよね?あぁ、そっかそっか。無能な自分の所為で騎士団の人間や仲間を殺してしまったんでその責任を取るために死にに行くから連れて行って下さいって言って志願したのね?肉壁なんて掃いて捨てるだけいても足りないんだからそりゃ大歓迎ね!」
一気にまくし立てる様に、まるで何かを演じているように一息で喋るそれは逆に小気味良い感じにさえ聞こえてくるから不思議だった。正直に言えば、そこまで言われると怒り以前にその喋りっぷりに驚嘆してしまう。罵倒というのは本来頭の良い人間でなければやれない事なのだ。
「でもあんたみたいな素人掃いて捨てるだけいても邪魔だからさっさとここから消え去りなさい」
一転して真剣な声で告げるその少女からはエリザを前にした時のような、気迫を感じる。瞬間、その迫力に仰け反りそうになるが、押し留まる。ドラゴンに比べれば、何のそのだ。歯を食いしばり、前を向き、少女と対面し、口角を上げる。私はこんな所で立ち止まる気はない、と。
「何、笑っているの。気色悪い子ね」
怪訝な目をしながら見つめられ、それがまた笑いを誘う。
「いえ、言葉をたくさん知っておられるのだなと思いまして」
「あら?ごめんなさいね。言葉も分からない畜生を相手にしてしまった私が馬鹿だったわ。ふんっ、折角の忠告を無視するなんて全くもってお馬鹿さんね!」
忠告だったのか?と問われれば確かにここから去れは忠告なのかもしれない。ともあれ、言いたい事だけ言ってその女は去って行った。ひらひらと服をはためかせながら毅然とした態度で歩く姿は一種格好良さすら感じる程だった。
「なんか……面白い人」
つい口にしてしまう。直接面と向かってあそこまで言える奴隷は他にはいなかった。扉越しに聞こえるように陰湿に言うぐらいで、だから逆に変な話だが好感すら覚えてしまった。
「名前ぐらい……聞いておけば良かった。一応、先輩なんだから」
苦笑し、さて、と代表者の下へと向かう。
大勢の人の中からその人を探すのは大変だった。受付という名のおざなりな挨拶を終え、自分に割り当てられていた馬車が戻ってくるのを待つ。流石のこの人数では一度に行けず何度か馬車が往復するそうだった。その待ち時間を妖精さんと呆と過ごし、馬車に乗り込んでもまた呆と過ごし、現地へと。
途中何度か声を掛けられたが奴隷への罵倒だったり、前の調査団の生き残りだと誰かがといっても身内だろう、流れていた噂という名の真相を確かめに来たりぐらいのだった。事務的に返答したり、事務的に嫌そうな顔をしたり、事務的に奴隷調の言葉を使う。きっと面白くない生意気な奴隷だと思われた事だろう。
そうしていれば、三度目の現地。
その日はそのまま宛がわれたテントへ向かい、道具の確認だけした後は言われるがままに手伝いをする。この人数で夜営するとなると必然的に作業分担が行われる。与えられた作業を淡々とそれをこなしながら、それが終われば呆と過ごす。他にやる事はなかった。全くといって良い程ただ呆としていたと思う。
気を抜いているつもりはない。が、正直こんな雑用をするために来たわけではなくさっさと洞穴の方に行きたい。後先を考えてこの場で留まる事の何と辛いことか。
感情と理性のせめぎ合い。再三言っているが、得てして物語の主人公や勇者は感情で動いてもどうにかなるが、私はそうじゃない。ゆえにせめぎ合う。天使と悪魔が戦って悪魔が天使をやっつけるいつもの構図を思い浮かべながらその日を終える。
目を覚ませば静とした世界が広がっていた。
まだ起きていない人が多く、早起きの人達だけがのんびりと朝の空気を堪能していた。見渡す限りの銀世界は幻想的なまでに美しく、それも見ずに寝こけている人達が信じられないぐらいだった。地面に積もる雪が陽光を照らし輝いている様は宝石が地面に散らばっているかのようで……つい、それを手で掬ってしまう。
その手の中に、これまた起きたばかりの妖精さんがダイブする。べたっと雪の中に埋もれてしばらくもそもそとした後に置き上がり全身を震わせて雪を落とす。小さな手で髪を掻き上げ、よしっ!とばかりに決めポーズ。洗浄だというのだろか……。
「妖精さん、風邪ひきますよ」
案の定くしゃみをする妖精さんの体を布で拭く。私よりもさらに華奢な躰を痛めつけないようにゆっくりと力を入れずに布を当てる。
「……ドラゴンからすればこんな感じなんでしょうね」
身長比で言えばこんなものだろう。
「妖精さんがもし人間を倒そうとしたらどうします?やっぱり無理ですか?」
はて、と小さい指先を首に宛て、首を傾ける仕草は飼い主のリオンさんそっくりだった。リオンさんは猫っぽいけど、こちらはただ可愛い。
そんな風に観察していれば妖精さんが私の荷物の中からピックを取りだした。アモリイカ締め用のそれだ。妖精さんの身長と同じぐらいの大きさのそれを軽々しく持ち上げ、それを私に向ける。私の目に、向ける。左目、右目の順で向け、ついでピックを置いて水の中を泳ぐような仕草をしていたと思ったら、今度はピックを上に向けてよいしょ、と。
「目玉潰して中に入って脳を攻撃ですか?」
頷く妖精さんの笑顔がとても綺麗だった。健やかだった。容姿に似合わぬ猟奇的なやり方だった。が、確かに妖精さんは飛ぶこともできるし、可能かもしれない。目を潰すまで、だが。妖精さんが小さいといえど流石に人の目の中には入れない。
「何かあったら狙ってみます。ドラゴンの目がそんなに柔らかいとは思いませんが……それにあの腐敗した奴の目を潰して意味があるのかどうか」
だが、生物であるからそれもありだろうか。まぁ、言うほど簡単な事じゃない。あの高さまでまずどうやって体を登って行けと言う話だ。
そうして暫く妖精さんと話をしていれば、次第人が起きてくる。そして再び手伝い時間の始まりである。これも仕事の内。やりたい事だけやっていれば良い仕事なんてきっとないと、自分に言い聞かせながら時間を過ごす。
そうしていれば、集合の号令が下される。集合し、しばし待てばそれらの前に一人の女性が現れた。私より5つほど上といった所だろうか。
『では……』
流石に騎士団長が出張る事はなかったが、それでもこの調査団には責任者として副団長が出張ってきていた。軽装鎧を身にまとってはいるものの物腰や語り方を思えば純然たる騎士というよりも学者然とした知的な感じだった。参謀といったところだろう。もっとも、それでも私よりも強い女の人に違いない。
『腐臭を感じた者がいたら脱走の手筈と早急に連絡を。言うまでもないが、自殺志願者とはいえ、無駄死がないよう健闘を祈る。日没時、またここで集合するように。では、解散』
解散、だった。
あまりの事に呆然とする。一人で動くと言う事だろうか。呆然としている間に皆思い思いに周りと話合いながら森の中へと向かっていく。
部隊を作ると思っていたが、そうではないのか。
「あら、出遅れた畜生がいると思ったら貴女だったの?どうしたのかしら鳩が串刺しにされたような間抜けな面を晒して。弱肉強食、早くいかないと軒並み喰われるわよ?それともあれかしら一人じゃ怖いのかしら?畜生の上にお子様だなんて可哀そうね。貴女」
呆とした頭で騒がしい台詞を聞くと人間理解が及ばない。おかげでハァ、と気もなければ飾り気もない返事を返してしまった。
「はんっ。御挨拶だわ。御挨拶ね。殺したいくらい頭が可哀そうね貴女。糞尿撒き散らして臓物垂れ流して血の花咲かせたいの?全く救いようのない自殺志願者ね。やっぱり変態ね貴女。目的もなく死にたがるためにここに来たとか言ったらそれこそこの場で刺し殺すわよ?でもそれも勿体ないわ。だから、そんな貴女に私が命令してあげるわ。この場から去りなさいとは言わないわ。私についてきなさい」
「………ハァ?」
良く分からないが、何故か私はその女性……名前も知らないその人と一緒に洞穴へと行くことになったのだった。