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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
第一章~パンがなければドラゴンを食べればいいじゃない~
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第16話 ひとりきりの世界なんていらないから

16。




「貴女はカルミナといったわね。それで?役にも立たない襤褸を持ち帰ってきて何かの用かしら?まぁ、売れない事はないから襤褸は言い過ぎかもしれないわね」


 陽が沈み始め、暫く経っただけで窓から覗くのは夜だった。日に日に陽光が出ている時間も短くなっている。それは冬の訪れだった。木枯らしが窓を叩き、先ほどからかたかたと小さな音を作り出していた。本格的に首都に雪が降り始めればあの森は一体どれぐらいの雪量になるのだろうか。そんな事を思い浮かべながら私は、ディアナ=ドラグノイア=リヒテンシュタインの前に立っていた。初日のように膝を折る事はなかったが、後ろ手に手は結ばれていた。その状態のまま、視線を足元に倒れているエリザへと一度向け、ディアナ様に向き直り、ゆっくりと感情を押し殺すように言葉を紡ぐ。


「恐れながら。ドラゴンに心も体も壊されたこれはもはやただの肉塊であり、自殺洞穴内における私の取得物かと」


「言うじゃない。けれど、それの元々の飼い主はこの私。私がどのように扱った所で問題ありません。それは貴女とて同じ事よ、カルミナ」


「仰る通り。ですので、これは取引で御座います」


 嫌な汗が湧いてくる。だが、こんなのは恐怖に値しない。一度ドラゴンというものの恐怖を味わえば恐怖に対する感覚は麻痺してもおかしくはない。今の私はまさにそのような感じだった。初めてディアナ様を前にした時は威圧感を覚えたが、今はそれほどではない。


「なるほど。奴隷が飼い主に対して取引を持ちかける。中々の趣向だと思わない?メイドマスター」


 手慰みに持っていた肉厚のナイフ……包丁を弄びながらディアナ様が面白そうに笑みを浮かべ、傍らに立っていたメイドマスターへと声を掛ける。

 声を掛けられた方は方でこの座興には全く興味なさそうであった。どこか遠い所を見詰めながら焦点を合わせもせずディアナ様の問いかけに答えていた。


「巨大ドラゴンを前にして一人生き残っていたというだけで十分面白くはありますが」


「確かに。それもありますわね。良いでしょう。そのカードを持ってこの話、聞きましょう」


 口元に笑みを浮かべながら包丁を脇に置いてあったテーブルの上へと置く。

 ここからだ。ここからが始まりなのだ。

 私は一人だけ生き残った。確かにその通りだ。エリザはこの通り、体が死んでいないだけだ。意識はあるし、時折反応もする。が、今はそれだけの生き物だった。時間を掛ければ元には戻るだろう。特にこの場での応対によっては命に対する懸念はなくなるのだから、持ち直すと思いたい。別に私はエリザを殺したいからあんな言葉を口にしたわけではない。確かにあの態度に怒っていたというのもあるけれど、生きる事を望んで欲しいから言ったまでだ。天使の痣という超常のものがなくなれば彼女とてただのエルフだ。きっと、心も体も弱くなるだろう。けれど……それでも生きていて欲しい。

 だから、そのための一手。


「端的に要求を出させて頂きますと、エリザベートを私に下さい」


「洞穴での取得物を頂きたい、と。こんな襤褸に対して態々礼儀を通そうとした所は認めましょう。ですが、それだけです。当然、それだけではないのでしょう?まさか言えば貰えると思ったなどという事はないでしょうね?」


「はい、勿論です。要求に対し、こちらから御提供できるのは……まず、これを」


 首飾りを外し、ポケットからさらにもう一つ。こちらは少し欠けた、けれど二人だけの御揃いの首飾り。


「プチドラゴンの角による装飾……見事ですわ。いくらプチドラゴンとはいえ、このような物が流通に乗る事はまずないといって良いでしょう。私も御眼に掛かった事はありませんわ」


「はい。エリザベートと出会った際に遭遇したモノから直接切り取ったものに御座います。……最もそのためにこのような状況に陥っているといっても過言ではありませんが」


「首都に向かってまだ一カ月にも満たずしてプチドラゴンとドラゴンに相次いで遭遇するというのは中々無い事です。貴女は運が良いですね」


 くすり、と上品に笑みを浮かべる。


「これは貴女達の思い出の品といった所ね。感傷に浸らず、取引に用いた事、これもまた評価します。そして、その商品の価値もある程度は考慮しましょう。で、これだけでまさかリヒテンシュタインの名を持つ奴隷を受け渡せと?使い道などいくらでもあるのですよ。例えそのような状態であろうとも」


「とはいえ、斯様な状況でこれを他国へ売り渡すわけにもいかないと思いますが……如何でしょう?」


 この国では奴隷の存在は禁止されていない。ゆえにそれを売り買いするのは飼い主の自由だ。道徳的見地から物議を醸しており、奴隷制度自体に関して取り立たされることは多く、そういう意味でディアナ様は少し他の領主達より立場的には弱い。ディアナ様が皇族と懇意にしているからこそどうにかなっているのである。であるから、特に自国の利益に反するようなことは行えないのだ。アルピナ様がディアナ様に後を任せてあると称したのは……他国にトラヴァント帝国を売るためでは、絶対にない。


「村娘が、良くその事を理解できたわね。なるほど、改めましょう。では、折角ですからその理由を説明して頂きましょうか?」


「リヒテンシュタイン家の名を持つ奴隷である事が一点。リヒテンシュタイン家の内情を知る者を売るには危険が大きすぎます。特にそれが諸外国であれば尚更です。それが覆る利があるとは到底思えません」


「結構」


「そして、ドラゴンを前に生き残ったという事実が一点。今はこのような状態ですが意識がないわけではありません。自白させる手法なぞいくらでもあるでしょう。洞穴の事を狙っている他国に対し、ドラゴンの位置と情報は大変な益を与えます。しかもあの森は首都から離れておりますゆえに、大軍を率いてドラゴン討伐に出られ、仮にそれを打倒した場合、この国を守る最後の砦が失われ、攻め込まれ、国が亡くなるでしょう」


「続けて」


「ゆえに、国益を担う領主が他国富強のためにエリザベートを売るとは到底考えられません。仮にこれを売ったとしてもそれは国内の、特に親皇族派にしか売れません。ですが、親皇族派にはリヒテンシュタイン家を疎む者が殆どですから、国内でも売れないと言う事になります」


「結構。稚拙ですが、回答としては十分と判断できます。なるほど、村娘といっても育て方一つという事ですね。いえ、環境もありますか」


 テーブル上に置いた、包丁を指先で触りながらディアナ様が笑みを浮かべていた。凄惨な笑みだった。獲物を見つけたかのような、そんな笑い方だ。だが、やはり、恐怖は感じない。


「それで?そこまで理解している以上、理解しておりますわね?」


「はい。利益を生み出さない奴隷を飼い続けるという慈善事業を行っているとは思いません。ですので、このまま意識が戻ろうが戻るまいが廃棄処分せざるをえない奴隷を、いつまでも飼っているわけにはまいりません。殺処分が妥当かと思います。ですので……」


「安く買い叩こうというわけですわね」


 互いに苦笑する。既にお互いの底は見えている。ディアナ様にとっては処分したいが、売るわけにもいかずしかして殺すにはやはり惜しいのだろう、その逡巡があるからこそ今こうやって私の話を聞いている。対して私としては私が提案できるものは少ない。ゆえにこれは、どこまでディアナ様の妥協点を下げられるかという取引。


「その通りで御座います。安くなった今ならば私にも、と思った次第です。とはいえ、まだ奴隷となって二週間と少し。私に払えるものは今御提供したプチドラゴンの装飾と……」


「装飾と?」


「未来」


「はっはっは……貴女に賭けてみろという事かしら?捨てるぐらいなら貴女に賭けて受け渡せと?面白い事をいいますわ」


 だが、笑みは無い。

 室温が低下したか、ぶるりと私の躰が震える。いいや、そんなわけがない。月明かりの中、薄暗がりのこの部屋の温度は一切変わっていない。変わったのはディアナ様が私を見る視線だけだ。いいや、そもそもにして良く見ればディアナ様の瞳は人のそれとは幾分か違うようだった。何が?と問われても分からない程度の違いではあるが、それはまるで温度を感じない爬虫類のようで、ドラゴンを思い出させる。

 ぞくり、と背筋に走る寒気。

 恐怖、だろうか。麻痺してしまった恐怖への感覚を無理やりこじ開けるようにディアナ様の視線が私を締めつける。けれど、その視線から逃れなければ私の、私達の未来はない。

 だから、私には戦う力はないけれど……思考することはできるのだ。


「どうやら私は運が良いようですので。……お賭けになってみても宜しいかと」


 瞬間、ディアナ様の目が点になり、次の瞬間、口を開けて笑いだす。ディアナ様ご自身がそう言ったのだ。運が良いと。


「私の言質を利用するその機転を評価いたします。その場その場での対応が自殺洞穴では重要になってきます。ですから、貴女の2年の期限を半分買う事にしましょう。1年で成果を出しなさい」


「ありがとうございます」


「これで取引を終えても良いのだけれど、貴女、本当は何を取引材料にしていたのかしら?それを聞かない限りは売れないわね」


 さて次は何を出してくるのかしら?私楽しみだわ、とそう言わんばかりに豪奢な椅子に肘を付き、テーブルにおいていた包丁を取り、片手でくるくると廻し出す。

 包丁が好きなのだろうか?それとも単に刃物を握っていないと安心できないだけなのだろうか?ディアナ様がなぜそうなったのか、少しばかり、気になった。左目の下の泣き黒子はどれだけの涙をディアナ様に流させたのだろうか……。


「ほんの少しの短い時間ではありますが、アルピナ様と交流が御座いました。私もその場に同行させて頂いておりましたが、大層楽しそうで御座いました。そのような方が死んだとなればアルピナ様が悲しまれるかと思われます」


 これは心情に訴える最悪で最後の手段だ。効くとも効かないとも限らない。効かない場合、包丁で突き刺されて殺されてもおかしくは無い、そんな手段だ。だから正直、使いたくは無かった。

 が、しかし、それは思いの外効いたようだった。瞬間、ディアナ様が立ちあがり、首都の方を呆と見つめる。次の瞬間には、はっと気付いて座りなおしていたが、今更だった。そして忌々しげに私を見つめ、取り繕うようにメイドマスターへと声を掛ける。


「事実?」


「メルセデスが、アルピナ様はこれまでに無いほど楽しそうであったと」


 ヴィクトリア団長とメイドマスターに関係があったのか。一体全体どんな繋がりだろうと思考が誘導される。が、今の相手はディアナ様だ。思考を切り替え、対峙する。


「最初にその言葉を出していればそれで済んだものを……分かりました。貴女が礼儀を重んじる者であったという事を改めて評価致します。本来であれば、奴隷と飼い主の間に取引が成立する事はありません。その事、十二分に理解しなさい」


「御意に」


「2年あった貴女の猶予は1年になりました。それだけは覆る事のない絶対の契約です。例えアルピナ様が悲しまれようが、それだけは絶対です」


 ディアナ様にとってアルピナ様がどれだけ大きな存在なのか、その時初めて理解した気がした。10以上も年下の娘に対してどれほどの念を抱いているのだろうか。その事が少し、気になった。


「承知いたしました。必ずや1年でリヒテンシュタイン家に利益を与えます」


「結構。その言葉、努々忘れぬよう」

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