第13話 再び訪れた場所
13。
食虫と食事中を聞き間違えたとはこのカルミナ一生の不覚、とリオンさんの御店で凹んでいたのがつい二日前。ちなみにアルピナ様は嬉しそうに『食虫ではなく、食事中植物だったとはな。カッカッ。リオンめ一本取られたわ』と仰っておられた。さらにちなみにエリザは『洞穴で大概変な生物を見ておりましたが、地上にもこんなの怪しい生物がいるとは……リオン様は良く御存じですね』と案外真面目に情報収集をしていた。自殺志願者の鑑である。
そんな二日前の依頼が終わり、本日は件の日。学園の、というよりも騎士団の皆さまについて例の雪の積もる森へと向かう日だ。先日とは変わっての曇天模様。いつ雨が降り出してもおかしくない、そんな雰囲気の空色だった。きっとあの森では雪が降りそそいでいるのだろう。自然、身震いが起こる。
「なんだ、そこの奴隷、寒いのか?」
そう口にされたのは騎士団の方だった。名は……知らない。
今朝、時間通りに待ち合わせ場所に訪れた私達を会話一つなく馬車に乗るようにと指示してきたのがこの方だった。地位の程は分からないが、先ほどから部下らしき人達に命令をしている以上、それなりの地位の方なのだろう。
強面の無骨な感じの方だった。一見すると騎士然とした下品さだとかそういったあの村男のような感じはない。が、私達を女と認めているのは確かのようだった。時折感じる視線が酷く気持ち悪い。
「いえ、そのような事は御座いません」
「ふん。ならば大人しくしていろ」
言いながらも、その視線はどこかさ迷っていた。だが、この方はまだ良い方だ。同じく居合わせているその他の騎士団員は若く、無遠慮に私やエリザを見て何かを囁いていた。そんな場所で四半日。気が滅入る。が、安心できる事があるといえば、エリザが隣にいてくれた事だ。
『大丈夫だよ』
そんな笑みが私を守ってくれていた。きっと寒いと予想して二人とも着てきていた布製マント。その布と地面の隙間に隠れるように私達は手を繋いでいた。だから、怖くない。 ガタガタと車輪から伝わる振動に揺られ、揺られながら私達はその馬車を降りるまでの間、ずっと、手を繋いでいた。
陽が昇り、それが一番高い所まで辿りつく前に、私達は件の森へとついた。二両編成であった馬車の中から続々と団員達が降りてくる。私達が乗っていたのとは違うもう一方の馬車からはいくらかの女性もおりてくる。そんな女性たちが私達を見て、くすりと笑みを浮かべる。嘲笑だった。嘲笑し、そのまま近づいてきて、『あら、襲われなかったんだ。残念。うちの男達も意気地がないわね』と小声で伝えて去っていく。瞬間、体の中から熱が産まれるのを感じ、その熱が脳に至り、表情が歪みそうになる。歪みそうになった所で、エリザが首を振る。駄目だ、と。甘んじろ、と。
「言われたま……ううん。ありがとう」
何も思う事がないのか?そんな旨を伝える意味はない。感情に流されエリザを罵倒してどうするというのだ。彼女自身言われ続けた事だろう、思わないわけがない。感情に流されるな。感情を殺せ。私達は自殺を志願しなければ生きていけない奴隷なのだ。
「さぁ、案内してもらおうか?」
団員が整列した所で先の方が声を掛けてくる。その言葉が幾分柔らかく感じられた。それが何故なのか今の私には分からず、疑問はそのままに私達を先頭に騎士団は森へと足を進める。
ざっ、ざっと森に響く行進音に、流石の練度だと感心する。統一の取れたその音は動物への警戒にもなるだろう。そんな私達の後ろで鳴る音を聞きながら私とエリザは横に並んで先を行く。
正直を言えば、こんな森の中のある特定の場所など覚えていない。覚える程通ったわけでもない。だから、痕跡を探す為に目を皿にする。
あの日以降、少なくとも人はこの森に入っていない。騎士団による禁止令が出ているのだ。それを破ってまで入ろうとする人もいるだろうが、そこまで利のある森でもない。であれば、あの日私達が通った痕跡が少なからず残っている。それは、ドラゴンが地上に出ているという異常状態を報告するためにエリザが残したもの。
「エリザ、こっちに合った」
横に吹いた雪が木々に記した目印を覆い隠していた。それを見つけ、エリザに声を掛ければ、エリザからも
「はい、こちらも今しがた」
と。
入口となる所から延々とこの目印を探しながらの行軍ゆえにその速度はあまり早くない。目印探しを手伝ってくれるわけでもなく、彼らはそのたびに止まり、私達の発見を待っていた。都度、遅いだの何だのという言葉が聞こえたが、そこは隊長格の方がそれを諫めていた。一緒になって何か言われるかと思ったが、そうでもなかったようであり、認識を改める。
「隊長様。今度はこちらになります」
「御苦労」
先の確認に向かったエリザの代わりに隊長に声を掛ければ、簡単な労いの言葉と共に隊の方々が漸くか、と動き始める。
「すまんな。この隊で目印を探す方が効率は良いのかもしれん。だが、とっさの時に備えているのだ」
そんな小さな、部下達に聞こえないように呟くような小声が聞こえたのはその時だった。え、と振り返り、隊長に目を向ければそこにあったのは酷く温和な表情だった。
「馬車では済まなかったな。娘と同じような年齢だったのでつい無遠慮な視線を向けてしまった」
思いの外年齢が上だったのだと知りながら、苦笑する。娘を女として見ているのか?と問いたくなったが、けれど、そんな事はおくびにもださず恭しく礼をする。
「隊長様。我らは奴隷です。娘様と私どものような者を一緒に扱われてはなりません」
「知っている。だが、私も人間なのでな」
そんな簡単には割り切れない、そう言って隊長が口を閉じる。そんな彼の表情、仕草からは真意は読み取れない。だが、男が思う以上に女は男の視線には敏感なのだ。特に村で厭らしい目に晒されていた私は余計にそう感じてしまう。村男程ではない、が、娘を見る視線では決してない。自然と気が引き締まる。曰く、気を抜くなかれである。
隊の先頭に立つ隊長の横で周囲に警戒しながらエリザのいる所へと向かう。時折、視界に僅かに舞い上がる雪の姿。何か小さな動物が動いているのだろうか?それはもしかするとアモリイカかもしれないし、そうではないかもしれない。だが、今はそれを確認する必要は無い。それが何であれこちらを警戒して近寄ってこないならそれが一番だ。
エリザの下へ辿りつき、隊列が動きを止めれば再び二人で目印を探す。
そのついで、先の隊長との会話内容を伝える。頷くエリザが一瞬隊列を目配せすれば変わらず呆とした騎士団の一員。あれで警戒をしているといえるのだろうか?私には分からないレベルなだけだろうと、そう思いたい。
「あと少しかな?」
次、次と目印を見つけながら少しずつ先へと進んでいけば、次第、見覚えのある景色が視界に入ってくる。記憶に焼き付いた景色と今の景色を見比べ、それを確認する。もっとも、目印を付けている以上、通っている道全てが記憶にある景色のはずなのだが……。
静とした空間。
さらさらと積もった雪の表面が流されている。もはや私達が戦った跡などそこにはなく、それは遠い過去の出来事なのだと、そう言われているのかとさえ思う。この世界にとっては瑣末な事なのだろう。私達とドラゴンの闘いなど、ほんの小さな出来事の一つで、きっと神様が泣いたりしないようなそんな他愛ない出来事なのだ。安いと言われた私の人生そのものだと、そう言われているように思えて、少し心が萎えてくる。
伝説の勇者や王族なんかじゃあ決してない私には、他愛のある事なんてできないのだろうか?そんな事は無いと、そう信じて生きていきたい。その期限は2年。それを超えればそれこそ何もできない未来の見えた私が出来上がる。
「ふぅ……」
ため息混じりの吐息が白い。
そのため息を見咎められ、頭をこつんと指ではじかれる。痛い。
「痛い……エリザはもうちょっと自分の力がどれほどのものかを自覚した方が良い」
「な、何ですかそれは。私はそんな怪力エルフじゃありませんよ」
騎士団の皆さま方が私達を放置して散策に出始めた所だった。私達への命令はその場での待機。その暇を持て余すように私はエリザへと問いかける。
「エルフってどういった種族なの?」
「唐突ですが暇なのでお答えします。有名な所では血が燃えるとか、耳が長いとか、人間と比べると長寿であり成長が遅いという事ぐらいでしょうか。言葉は人の言葉を使います。生活圏は木々に囲まれた自然の多い場所を好みます。集団生活を常としており、私のような都心部に一人でいるエルフは例外です」
視界の遠く、うろうろと騎士団の人達が雪をどかして地面を確認したりしている。隊長からの命令にきびきびと働く所は、普通の人と変わらない。きっと馬車の中での態度も私達が奴隷だったからに過ぎないのだろう。私達を意識から外した彼らはまさに騎士団然とした態度だと思う。
まるで違う世界の生き物だ。そう思った。
人とエルフ、それよりも隔絶した距離が確かにある。それが私達と人との関係なのだ。呆とそんな事を考えている間にもエリザの話は続く。
「意外な事にエルフがどうやって誕生したかは分かっておりません。一説によれば人と何かの合いの子ではないかと言われておりますが、人間が異生物と交わって子を成せるか?という事を考えれば自ずと答えは出てきます。その説は浪漫溢れる方による学説の粋にも達していない戯言です」
けれどこれほど人に近い生命体も他にない。いや、逆に人がエルフに近いのだろうか?
「洞穴由来という説があります。私はこれではないかと思います。洞穴由来ゆえに燃える血が視界を作るために必要だったのでしょう」
「それなら最初から感覚器を目以外に配置した方が生物として良いんじゃないかと思う」
「……それもそうなのですが、そこまでは流石に。オーク、コボルド、リザードマンなどなど洞穴に現れる化け物達は基本的に目でものを確認します。ですので、そこはもはや神のみぞしる、と言った所でしょうね」
「悲しみに泣く、神様のみぞしる……ねぇ」
「何ですかそれ?」
小首を傾げ、不思議そうな表情だった。
「あれ?知らない……?もしかしてうちの村だけに伝わっていたりするのかな?いや、でもあれは確か教会の人も同じような事を……」
「知らないですね。悲しみに泣く神様ですか?」
「うん、そう。人間の神様は、悲しみに泣くの……その悲しみは大きくて、とても大きくて世界を割ってしまうほどなんだ」
その言葉が呼び寄せたのだろうか?
瞬間、何の前触れもなく、巨大な揺れと共に私達は落下した。




