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竜の森

作者: f/1

作者打たれ弱いので、作品への誹謗中傷は一切見なかった事にします。酷い場合は警告無しに対処したりもしますのであしからず。

誤字脱字や引用の間違い指摘などはとてもありがたいので、知らせてやろうという奇特な方は宜しくお願い致します。

また、全ての作品において、残酷な表現や性的な描写がある可能性があります。不快に感じる方、苦手な方は読まないでください。


12/10/29:こっそり一行修正(内容に変更ありません)



 これはまだ、世界に竜が居て、人が竜を滅ぼす前の物語。





 エミリオの生まれた村は貧しかった。

 日に日に規模が拡大していく人族の竜狩りにより、バランスを崩した世界の影響が完全に発露している平原の中央部に位置しており、もう真っ当な水も碌に届かなくなっていた。

 時折毒にしかならない草が群生するだけの、荒野の様な広大な平原だった。

 村はどう足掻いても衰退する運命にあった。


 エミリオは生れ付き体が弱かった。

 実際、彼の両親はどちらとも若くして病死しているし、彼自身生まれてから今日までの13年で何度生死の境を彷徨ったか知れない。

 貧困に喘ぐ村では、働けない彼は完全に石潰しで、両親の死後、彼はお荷物として誰からも忌み嫌われる様になっていた。


 そんなエミリオへ与えられるのは、一日に拳大のパンひとつと、痩せた羊の乳をコップに半分。

 汚れた井戸の水だけはいくらでも飲めた。


 それでも彼にとっては有難い待遇だった。

 過去も現在も未来も働けず、何も生み出せないのに、パンをくれる。

 毎日感謝でいっぱいだった。

 例えパンを届けてくれる村人が、毎日ついでに、エミリオのやつれた体で鬱憤晴らしをして行っても。




 只管に耐え、感謝する日々の中、13歳の終わり頃に彼はまた高熱を出した。

 前の日に酷く打たれた所為だったが、彼自身も村人の誰も、「またか」と溜め息を吐いて終いの出来事だった。


 それまでならば。


 この時、最初の第一声が誰だったのか、恐らく誰も覚えていない。

 小さく「今回はもうだめなんじゃないか」と呟いた者があった。

 医者代わりの長老の耳元で、「命は助かっても、男がこれだけの高熱を出したら」と具体的な話をする頃には、皆が同じ事を口々にした。


 その熱が下がった頃にはもう既に、村の中は食い扶持が減る安堵感に包まれていた。

 エミリオも察していたので、家から追い出される様にしていつものパンを3つと、瓶いっぱいの羊の乳を押し渡された時、用意して置いたお礼の言葉をすんなりと言えた。

 今までお世話になりました、と言い切る前に、村人は皆もう日々の仕事へ戻って行ってしまったけれど。


 エミリオは感謝した。

 最後にお腹一杯食べられる事に。

 村では、パン3つあれば、未来ある乳飲み子が5日生きられる。

 だのにもう終わる自分に与えてくれたと、エミリオは心底から感謝していた。

 恨む理由は無かった。

 恨めなかった。




 何も無い平原へ放り出されて6日目。

 懸命に歩いていたエミリオだったが、獣道すら無い荒野のど真ん中でついに、起き上がる事も出来なくなった。


 せめて一歩でも村から遠く、離れなくては。


 そう強く自分へ言い聞かせるも、元より衰弱していた体はもう言う事を聞かなかった。

 自分の死体が大地を汚す。

 更に村を困窮させてしまう。

 そう奮い立とうとするのに、最早腕も上がらない。


 重く痛む頭。

 歪み滲む視界。

 臓腑の傷みから来る嘔吐感と、時折思い出した様に走る激痛。


 飢えも乾きもとっくに翳んだ。

 心を温めた村への感謝も、もう思い出せない。


 村から離れてから死のうという意志も、村人への恩返しの気持ちから来ているのか、それとも哀しみから来ているのか、分からなくなっていた。

 一番強いのは、あんなにも食料を持たされたのに、たった6日で力尽きる己の情けなさだった。

 体の弱さに比例する様な心の弱さに、エミリオは凪の絶望を味わっていた。


 そしてそのまま、ゆっくりと全てが終わると思っていた。




 強い風を感じて、エミリオは最後の力を振り絞り、重い瞼を押し上げた。

 鉛を動かす如く眼球を空へ向ければそこに、威容が在った。


 エミリオは初めて竜を見た。


 鱗は、どんな鋼よりも強く。

 翼は、どんな布よりも美しく。

 牙と爪は、どんな石よりも硬く。

 眼球はどんな宝石よりも輝き、血は万病を癒す奇跡の薬。

 そして心臓は、食せば永遠の命を与えてくれると言う。


 人間の欲しいもの全てを寄せ集めた様な存在。

 食物連鎖の頂点に君臨する奇跡の生物。


 朽ち滅びゆくちっぽけなエミリオにとって、自分の上、はっきり視認出来る程の低空を渡る竜族の群れは、まるで神様が見せてくれた夢の様な光景だった。

 命終わるその瞬間に、奇跡の光景を見た。

 絵物語の様な、美しい、人間が憧れて止まない光景を。


 その意味は知らない。




 エミリオは気が付くと、気が付いた自分に驚いた。

 意識がある。

 生きている。

 どういう奇跡かと驚いてみてから、最後に見た奇跡の光景を思い出した。


 奇跡が起きたのか。


 相変わらず体は重く、軋み、痛む。

 緩やかな絶望しか生まない荒野も変わらない。


 けれどエミリオは気付いた。

 起き上がり、歩く力が戻っている。

 多少ならば動く事が出来る。


 エミリオはもったりと起き上がり、一度空を仰いでから、再びよろよろと歩きだした。

 ドキドキと鳴る胸を抑え、縺れる足を叱咤しながら。


 エミリオの13年の人生で、こんなにも高揚した事は無い。

 死の淵に立つ者だからか、心の鎖が幾つも綻び外れていた。

 不遇の生の中、いつしか彼の心を雁字搦めにしていた無数の鎖が、一歩進む毎に千切れていく。


 予感に心が震える。


 最後の力を、この奇跡の予感の為に使いたい。

 絶望も、感謝も、何もかも忘れてただ、心を震わすこの瞬間の為だけに、今生きたい。


 少しだけ。

 あと、少しだけ。


 どうかお願いです。

 エミリオがそう胸の奥で唱えたのが聞こえた訳では無いだろう。

 だが、奇跡は彼を待っていた。


 竜だ。


 人間にはもう毒沼でしかない泉で、先刻倒れ伏すエミリオの上空を行った竜の群れが羽を休めていた。

 全部で7体。内1体は小さかった。


 「おのれ人間め!ここまで来おったか!」


 水辺で翼を癒す威容の光景に、茫然と見惚れたまま近付いたエミリオに、若い竜が逸早く気付いて吠えた。

 大気までも支配する竜の咆哮に、近付き切る前にエミリオは腰を抜かした。

 体が弱く小さい、衰弱したエミリオにとっては、その声までもが強過ぎる。

 強さは、憧れ。

 竜は正に、憧れの具現の様だった。


 転じて竜達は、エミリオの姿を見るや否や一様に飛び立った。

 その風圧の余波如きで吹き飛ぶちっぽけなエミリオから、幼子を守る為に皆、眼を血走らせて気龍を捕まえる。

 孵化したばかりの幼子でもエミリオの家ほどの大きさである竜は、竜族固有の感覚でのみ知覚出来るこの気龍を使って、その巨体を瞬く間に上空へ押し上げる事が出来た。


 人間は小さな幼子から襲う。

 用意周到に、潜んで襲う。

 一匹でも見掛けたら、すぐさま人の届かぬ上空まで逃げなくてはならなかった。


 なので吹き飛ばされ、枯れた地面へ転がったエミリオが間近で奇跡を見れたのは、ほんの一瞬だけだった。

 間近と言っても、エミリオが全力で叫んだって声が届かない様な距離だったが、巨体を誇る竜にとっては片翼の羽ばたき一回分の距離だ。

 倒れた拍子に見上げた空には既に、去る巨躯の最後の一羽しか残っていなかった。


 そう思い込んでいたので、威圧を感じた時、エミリオはもう碌に驚く事も出来なかった。

 否、エミリオにとってはもうこの時既に、本来なら死んだ後の、全てが奇跡の果ての事だったので、驚く理由が無かったのだった。


 「人里へ帰れ、人の子」


 滅びの荒野に転がる小さなエミリオに、地響きを立て近付いたのは老いた竜だった。

 先の群れの一番竜で、齢を千年数える。

 故に、人族と竜族が睦まじかった時代を知っていた。


 「我ら最早相容れぬが、幼子が弱るは見ておれん。人の中へ帰れ、人の子よ」


 優しい竜だった。

 紅玉の瞳は老いて濁れど、柔らかい光が差していた。

 病に暗んだエミリオの目に映ったのは、それだけだった。


 それはエミリオが初めて感じた優しさだった。

 彼に物心が付いた頃には両親は他界しており、既に村のお荷物だった。

 無駄飯食らいの石潰しだった。

 誰かに優しい眼差しで見詰められた事など無かった。


 この時が初めてだったのだ。


 この時、エミリオの胸の内に湧き上がった感情は、老竜の知る所では無論無い。

 伏して動かず目を潤ますエミリオに、病臭を嗅いだ老竜は冷たく言い捨てる。


 「病の幼子を捨てるか、人間め。どこまで成り下がる」


 そして自身で、鋼より強い鱗の隙間を石より硬い爪で抉り、滲んだ赤い血を爪先に取った。

 その爪先から滴り落ちた先は、エミリオの小さな顔。


 万病を癒す、竜の血。


 「飲め。その量では完全には癒さぬ。だが人里へは帰れよう」


 そう轟音の様な声が言う間に、もうエミリオはその言葉の意味を知った。

 彼にとっては溺れる様な量の生臭い血が降って来て、飲んだ、と思うより早いくらいの速やかさで、全身に命が廻った。

 体の重みが、痛みが、腐りが払拭されていく。


 「去ね、幼子。人は人の腕で死ね」


 エミリオが望んだ事も無い様な幸福な最期を命じ、老竜は素気無く翼を広げた。

 すっかり脆弱になった気龍を老いた身で苦労して捕まえ、飛び上がる。

 人間が引き起こした世界の歪みは深刻で、知識の泉と呼ばれた老竜にも打つ手は無かった。


 世界を壊す程の殺戮を嬉々として初め、続ける人族。

 病んだ幼子とは言え、これも人族。

 長じれば竜の子を狩り、抉り、切り刻む。

 これ以上の施しを与える気分には、老竜は到底なれなかった。


 エミリオは老竜の内心を、ほぼ正確に察していた。

 故に老竜の優しさに打ちのめされる様な衝撃を受けた。

 古の種族の心の深さに、人の身の浅ましさを痛感した。


 同時に、絶望をも深めた。

 誰かの腕の中など、彼が最も夢想する永遠の願望だ。

 実在するとは思えない夢物語だ。

 自分へ向けられる優しい眼差しですらつい、今し方、初めて見たのだ。


 村人が我が子らへ惜しみなく注いでいた眼差し、手。

 エミリオには無縁のそれを、老竜は探せと言う。


 手掛かりはひとつしかなかった。




 追って来ている事に気付いたのは、置き去りにしてすぐ、その日の内だった。

 竜にとっては知覚範囲内だが、無論人間には認識出来ない距離。

 恐らく群れが飛び去った方向へ闇雲に歩いているのだろう。


 老竜は悩ましい事態に迷った。

 群れの若竜達は不安に駆られ、老竜に進言した。


 「罠だ」

 「人族お得意の」

 「危険だ」


 それでも病んだ幼子が後を追って来るのを、無下に追い払うのは躊躇われた。

 じきに諦めて人里へ帰るだろうという予感もあった。


 老竜は追い縋るエミリオを捨て置く事に決めた。


 ただしエミリオが人里へ帰るまではと、群れから離れ移動の速度を落とした。

 こっそり様子を伺って、忍び寄る飢えた獣を追い払い、夜は風上に立ってやった。

 同族の子にするのと同じ様に、見守った。


 そうすればたちまち、情が湧いた。

 元来、竜族は人間より知識が深い分、人間より余程情も深い。

 拙い足運びでよたよたと、自分を一途に追って来る小さな命に、愛情が芽生えない筈が無かった。




 幾日経った頃か。


 老竜の知識にはあった筈だった。

 人族の脆さ。貧弱さ。

 竜狩りという言葉が無かった時代を生きた竜だ。

 知っていた筈だった。

 だから気付けなかったのは老いの所為だったのだろうし、人族への失望と恨みの所為もあったのだろう。


 エミリオが動けなくなるほど衰弱するまで、エミリオが衰弱している事に気付かなかった。


 竜族は卵も強靭だ。

 孵化する前、生まれる前から最も強靭な種族だ。

 だから人間の脆さを、想像でしか知らない。

 実感として理解出来ない。


 エミリオが平原の北部で行き倒れて3日。

 眠り自体も人間の数倍の長さと深さである竜族の長老は、そこで漸く、人の眠りにしては長過ぎると気が付いた。

 そこで漸く、自分を追う子が死の淵に立った事に気付いたのだった。


 愕然とした心地のまま無作為に近寄り、その巨翼の風圧と巨体の振動に飛ばされてころころと転がった小さな体を、長大な尾の先で恐る恐る支えた時、初めてその幼子の声を聞いた。


 「ありがとう。あなたの腕の中で、死ねると信じてた」


 大人の人間の体より大きな耳が辛うじて拾ったのは、少年の最期の声だった。


 「嬉しい。優しい竜。ありがとう。幸せ」


 もう血を飲ませても遅い事は見て取れた。

 心臓を与えても、最早飲み下す力もあるまい。


 それでも、老竜は己の爪で己の心臓を掻き出した。


 咆哮は何日も止まなかった。




 竜族は寿命が長い。

 その分知識は深く、情も深い。

 嘆きも、人の身では理解の及ばない深さである。


 老竜の嘆きは尽きなかった。


 見守っていたのだ。

 しっかりと、温もりの無い場所で死なぬ様、守っていたのだ。

 だのに孤独に死なせた。


 老竜に、エミリオの最期の言葉の意味は伝わっていなかった。

 

 竜族は普通、その愛情深さから、死ねば同族の糧となる。

 群れで分け合って遺体を食うのだ。

 それが人間で言うところの供養であり、死にゆく者が末期に抱く本能的な未来への希望、継承だった。

 竜にとってはそれが正しい、幸せな死だった。


 しかし、エミリオは人間。

 愛しさ故に食うたところで、満たされるのは食欲だけであるのは明白。

 何も継がれず、何も救われない。

 もう何も、してやれない。

 硬い鱗と鋭い爪では人の柔い身を抱き寄せる事すら叶わず、翼の端に乗せて包むのが精々だった。


 後悔の念は、抉りだした心臓と、エミリオの遺体が腐り果てるまで老竜の魂を苛んだ。


 ただ、力無い小さな体は、醜く崩れても愛しかった。

 魂が彷徨わず、ここに在れば良いと老竜は願った。




 そうして幾何か経ち。

 いつしか老竜は、自分の命が尽きる事と、翼に包んだエミリオの遺体が腐り溶け、老いた翼と交わり始めている事に気が付いた。


 ひとつになろうとしているこれは、誰の望みだろうか。


 老竜は最期の力で咆哮を上げ、別れた群れの若竜を呼び寄せた。

 すぐさま応じて現れた己のひ孫に、老竜は祈りを唱える。


 「どうかこのまま」


 若竜は当然、酷く驚いたし、中々納得しなかった。

 それでも、同じ言葉を繰り返す老竜の、哀しみに満ちた念に何か察したのか、最後は希を置いて去った。


 「それがあなたの幸福と信じて」




 竜に涙は無いと言う。

 ならば老竜の遺体が沈んだ湖は、どこから現れたものか。


 その湖が産んだ森の色は、少年が最期に見たものと同じ色をしていた。




 この様な小説にも満たない稚拙な駄文をお読み下さり、心より感謝致します。


 この作品は当方のメイン小説「カレン」の番外編と位置付けていますが、独立した個別の物語で直接本編に絡む内容ではありません。

 また、以前このページに掲載していた「ころしやさん」は完全に消滅しましたのでご安心(?)ください。


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