表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手紙  作者: けせらせら
6/10

手紙・6

 佐恵子はソファに座ったままの姿勢で動けずにいた。

 祥子のもとを訪れてから3日が過ぎようとしている。その手には再び手紙が握られている。それはもちろん由紀子からのものだ。


 祥子は元気だった?

 祥子に会ってきたんでしょ。そんなに怖がらなくたっていいじゃない。私があなたに何をするって言うの?

 私はあなたに何もしやしないわよ……っていうよりも何も出来ない。あなたに何かする勇気も力も今の私にはないもの。

 祥子は何て言ってたの? この手紙のことを伝えたんでしょ。彼女のことだからあなたにいいアドバイスをしてくれたんでしょうね。

 私も祥子に会いたいな。

 私だって祥子に話したい悩みくらいもっているのよ。

 彼女は私たちのリーダーだったもの。あの頃が懐かしいわ。いつも3人一緒で、大学でも休みの日でも。

 あの頃はいつもみんなの夢のことを話してた。憶えてる? 私はお嫁さん。佐恵子はキャリアウーマン、祥子はパリダカへ出場してやるなんて言ってたわね。なんか祥子の夢だけが現実離れしているって私たち笑ったけど、結局3人とも夢に到達出来ないみたい。私の夢がもう叶うはずがないし、佐恵子だって結婚と同時に仕事を辞めちゃった。祥子はまだわからないけど……でも、ちょっと無理みたいだし。

 こんな日がくるなんて夢にも思ってなかった。

 私はもう夢を見ることなんて出来なくなっちゃった。佐恵子はどう? なにかいい夢があるのかな?


     FROM YUKIKO


 また、あのスヌーピーの便箋。佐恵子の苦悩をあざ笑っているように見えた。

(負けるもんか!)

 佐恵子は震える手で便箋を封筒に戻すと、次の瞬間には破り捨てていた。記憶も一緒に破り捨ててしまいたかった。

 祥子のことを思い出し、自らの力を奮い立たせようとした。


 修平と関係を持ってから1週間が過ぎた。そのことを佐恵子は誰にも話さなかった。由紀子はもちろん祥子にもそのことを話すことは出来なかった。教えてみてもどうなるものでもない。むしろそんな話をして由紀子との関係を壊すことが怖かった。修平が由紀子と結婚するとは思えなかった。あの男がそんな一途な男とは思えない。だが、そのきっかけが自分になることは嫌だった。

 いずれにしてももう二度とあの男と会うこともないだろう。あの男のことは、早く忘れてしまうしかない。

 だが、前回の予想と同様にこの予想も外れることになった。

 いつものように夜遅くなってから帰宅すると、アパートの前に修平のBMWが止まっていた。佐恵子は目を疑った。あんなことをしておいて再び自分の前に姿を現す修平の気持ちが信じられなかった。

 急いで階段を駆け上ると、部屋の前に立つ修平の姿があった。

「何しているの?」

 咎めるように佐恵子は言った。

「やっと帰ってきたか。遅いじゃないか。待ちくたびれたよ」

 佐恵子の姿を見て修平は笑った。その顔は先日のことなどまったく反省などしていないことをうかがわせた。

「いったい何しに来たの?」

 警戒しながら佐恵子は言った。

「ずいぶんな挨拶だな」

「あたりまえでしょ。あなた、いったい自分が何したのかわかっているの? もうあなたなんかの顔見たくなんかないわ」

「へぇ、そんな気にするようなことかな」

 笑みを浮かべながら修平は言った。

「帰りなさいよ!」

「入れてくれたっていいじゃないか」

「冗談じゃないわ」

 佐恵子は修平に近づこうともせずに突き放した。だが、そんな佐恵子の怒りなど修平は気にもしないように相変わらず笑いながら、ポケットから一つの鍵を取り出した。

「これ、なんだと思う?」

 修平はその鍵をちゃらちゃらとちらつかせながら言った。一瞬、修平が何を言っているのか佐恵子にもわからなかった。

 しかし――

「まさか……」

「そう、おまえが思っているもんだよ」

 修平は佐恵子の部屋の鍵穴にそれを突っ込んだ。カチリという鍵の外れる音。

「やめて!」

 ドアを押さえようと修平に飛びかかった。だが、そんなことなどおかまいなしに修平はドアを開けると、佐恵子の腕を取って部屋のなかに彼女を投げ飛ばした。

「いったい何のつもり? いい加減にしないと警察呼ぶわよ」

 倒れこみながら、佐恵子はドアを閉める修平を見上げた。

「呼んでみろよ」

 静かな暗い声。いままでのへらへらした声とはまるで違う。表情が真剣なものに変わっている。

「な……なによ……」

「警察を呼びたいなら呼べばいいだろ。警察になんて言うんだ? この俺にレイプされたって言うのか? 言ってみろよ」

 修平はカチリとドアに鍵をかけ、靴を脱ぐと倒れている佐恵子のもとへ近づいてきた。初めて修平のことを怖いと感じた。先日は怖いなどと感じるほどの余裕すらなかった。一瞬にして通りすぎる嵐のように体を奪われた。

「な、何が目的なの?」

「目的? そんなものない」

「それじゃ――」

「おまえを愛しているんだ」

 その言葉に佐恵子は唖然として修平の顔を見た。到底、信じられるはずもなかった。

「何言ってるの? 頭おかしいんじゃないの?」

「愛してる」

 修平は相変わらず真顔だった。佐恵子の心のなかから修平に対する恐怖は消え、今度は戸惑いが広がっていた。すぐに由紀子の顔が頭に浮かんだ。

「ゆ、由紀子はどうするつもり? あなた、由紀子と付き合ってるんでしょ? いったい何考えてるのよ」

「あいつとは別れる」

「やめて! 由紀子は私の親友なのよ。それにあなたが由紀子と別れたからって、私はあなたとつき合うつもりなんかないわ」

「俺はおまえにふさわしい男だ。つき合えばわかる」

 そう言うと修平は佐恵子の手を握り締めた。

「つき合いたくないって言ってるの!」

 佐恵子はしきりに修平の誘いを突き放そうとした。しかし、修平の顔は自信に満ちている。ぐいと修平に身体を引き寄せられた。

 抵抗が出来なかった。

 蟻地獄に落ちた気がした。


 なぜ、きっぱりと断ち切れなかったのだろう。

 本気で警察を呼ぼうと思えば出来たかもしれない。一度、身体を許してしまったことが心の弱みになってしまったのだろうか。

 自分でもその気持ちがわからなかった。

 あれ以来、時折、修平は佐恵子の部屋を訪れるようになっていた。佐恵子が仕事で遅い時には勝手に部屋に入って寝ていることもあった。そして、次第に佐恵子の心のなかでも修平に対する思いは少しずつ変化していった。

 いつのまにか佐恵子は修平を愛している自分に気づき愕然とした。

 由紀子から相談があると呼び出されたとき、佐恵子には彼女が何を悩んでいるか会う前からわかっていた。

 喫茶店のテーブルを挟んで、佐恵子と祥子は暗い表情をした由紀子と向き合った。

「修平さんが最近冷たいの」

 予想していた言葉。だが、その由紀子の言葉に一瞬佐恵子の身体はびくりと震えた。自分の表情が変わっていないかどうかが不安だった。

「どうしちゃったの? ついこの間まではのろけ話ばっかだったのに」

 祥子は何も知らない。だからこそ笑ってからかうことが出来る。

「うん……でも、なんか最近なかなか会えないの」

「――い、忙しいだけじゃないの」

 声がほんの少し震えた。気づかれないことを祈った。

「うん、修平さんもそう言ってる……でも、本当にそれだけなのかな」

「だったらそんなに気にすることなんかないわよ」

 笑って見せようとしたが、それがこわばっているのがわかった。

――あいつとは別れる。

 修平の言葉がぐるぐると頭のなかを渦巻いていた。

 由紀子はまだ修平と佐恵子の関係を知らない。だが、このままの関係を続ける限り、由紀子もいつか知る時がくるだろう。

(由紀子を傷つけることになる)

 いずれ修平が由紀子と別れるだろうということはあの男を見た時から予想出来たと言っていいかもしれない。しかし、由紀子を傷つけるのが自分だとは思ってもいなかった。

「佐恵子、どうしたの?」

 祥子が佐恵子の顔を覗きこむようにして言った。

「え?」

「顔色が良くないみたい」

「そ、そんなことないわ」

 慌てて微笑んで見せた。

「うん、確かに気分悪いみたい」

 由紀子までが佐恵子の身体を心配してくれている。佐恵子は涙が出そうになるのを懸命にこらえた。

 気分が良くないことは事実だった。けれど、それは精神的なものに違いない。由紀子を傷つけている自分の病んだ心のためだ。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 心のなかで何度もひたすら由紀子に詫びていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ