手紙・5
チャイムを鳴らす。
そして、ドアの前に立って祥子が現れるのを待った。佐恵子のマンションから2本の電車を乗りついで、およそ30分もあれば祥子のマンションに着くことが出来る。だが、そのたった30分の時間も、今日の佐恵子にとってはいつも以上に長く感じた。
もう一度チャイムを鳴らそうとした時、やっとドアが開いた。
トレーナーにジーンズというラフな格好の祥子の姿がそこにあった。長くストレートの黒髪を後ろで束ねている。ほとんど化粧はしていなかったが、それでもシャープな顔のラインとくっきりとした二重のせいで華やかな顔つきに見える。
「助けて、お願い!」
思わず佐恵子は祥子に飛びついた。うろたえながら助けを求めようとする佐恵子に、祥子はさすがに驚いた表情を見せた。
「どうしたの? 落ち着いて、佐恵子。落ち着いてゆっくりと話して」
祥子は佐恵子の肩を抱きかかえながら、部屋の奥へと招きいれた。
部屋は女性としては比較的乱雑な状態だった。祥子は昔から男性的な性格で、つねに佐恵子たち3人のなかではリーダー的な存在だった。
祥子はすぐにでも話出そうとする佐恵子をなだめ、ソファに座らせるとまず温かい紅茶をいれてくれた。
「話す前に飲んで。それからゆっくりと始めから話して」
落ち着いた声だった。
佐恵子は祥子の言うとおり、その熱い紅茶をゆっくりと時間をかけて飲んだ。その間、二人とも一言も喋ろうとはしなかった。やがて、あと一口ほどを残したところで佐恵子はついに口を開いた。
「手紙がね……」
紅茶のお陰かそれとも祥子の存在のためか、佐恵子の気持ちはだいぶ落ち着いていた。
「手紙?」
「そう、5日前に手紙が届いたの」
「それで?」
「差し出し人の名前が……」
そこまで言って、佐恵子は躊躇うように口を閉ざした。
――ありえないだろ
相手にすらしてもらえなかった修平の言葉が、佐恵子の口を押えつけていた。その様子を見ていた祥子が、静かに佐恵子をうながした。
「誰なの? 言って」
やわらかな祥子の言葉が佐恵子の口を開かせた。
「由紀子……だったの」
小さな声で佐恵子は告げた。そして、何を言われるかという不安にとらわれながら祥子の顔をうかがった。
祥子はほんの一瞬だけ紅茶を飲んでいた手を止め、驚いたように佐恵子の顔を見みめたが、すぐには何も言おうとはしなかった。祥子はカップをおろし煙草を一本取り出すと、ゆっくりとした仕種で火をつけた。
佐恵子はその祥子の動作をジッと見つめた。
祥子は紫煙を静かに吐き出してから再び佐恵子に顔を向けた。
「それで?」
祥子が修平のように頭から否定しなかったことに、佐恵子はホッとしてさらに続けた。
「それから今日になって2通目の手紙が届いたの。あれは由紀子よ。由紀子が書いた手紙だわ。まだ私のことを恨んでいるのよ」
「手紙のこと、修平さんには話したの?」
「……うん」
「修平さんは何て言っているの?」
「ありえないって。あの人は信じてくれていないの。誰かのいたずらだと思っているのよ。キチガイだと思われるから誰にも話すなって言われたわ。祥子はどう思う? 私が言っているのが嘘だと思う?」
祥子は大きく首を振った。
「佐恵子は嘘なんかついていないと思う。ただ、全てを悪いほうに考えないほうがいいわよ。修平さんが言うように本当に誰かのいたずらなのかもしれないでしょ」
「違う……あれはいたずらなんかじゃないわ。由紀子なのよ」
佐恵子は訴えるように言った。
「手紙はどうしたの?」
「あ、あるわ。この前のは修平さんが捨ててしまったけど、2通目はここに」
佐恵子はバッグのなかから今日届いた手紙を取り出そうとした。だが、すぐにその顔はあせりの色に包まれた。
「どうしたの?」
「ないの……ないのよ」
佐恵子は今にも泣きそうな声を出した。
「忘れてきたの?」
「違う。忘れてなんかないわ。ここに入れたの。間違いなく出てくるときにバッグにいれたのよ」
その記憶には自信があった。何を忘れたとしても、あの手紙を忘れるはずがない。佐恵子はバッグの中身を全て取り出して手紙の行方を捜した。しかし、手紙は見つけ出せなかった。
一度落ち着いた気持ちは再び乱れはじめていた。
(消えた……手紙が消えた……)
――いつもあなたを見ているわ
あの短い文面が心に広がる。
「佐恵子?」
「いやだ……なんで私ばっかり……私はべつに由紀子を苦しめるつもりなんかなかった……由紀子を殺すつもりなんかなかったのよ」
佐恵子は頭を押さえた。
「佐恵子、落ち着いて。そんな手紙に振り回されてちゃだめよ。たかが手紙じゃない」
「そんな簡単なものじゃない。祥子には私の気持ちなんてわからないのよ!」
困ったように祥子は眉をひそめた。
「もっと強くならなきゃ駄目よ。由紀子のことは忘れるの。彼女が死んだことを自分のせいなんて考えるべきじゃないわ」
「由紀子は私のことを恨んでるんだわ。祥子だってわかってるでしょ? 由紀子は――」
「由紀子は死んだの!」
祥子は佐恵子の肩を掴んでゆさぶった。佐恵子は力無く祥子を見た。
「でも……」
祥子が佐恵子の手をぎゅっと握りしめた。
「あせって答えを見つけようとしちゃだめ。たった2通の手紙が届いただけじゃないの。修平さんが言うようにただのいたずらかもしれない。今日の手紙だって忘れてきたのかもしれないし、途中で落としたのかもしれない」
「だけど――」
「きっとそうよ。もう心配しないで。これからもそんなことが起きるようなら修平さんも私もそんなことをしている奴を見つけ出してあげる」
その力強い祥子の言葉は佐恵子にとってなによりの救いだった。
由紀子の死以来、気まずくなりあまり会わなくなったが、それでもまだ親友でいられたという思いが熱く胸にこみあげていた。
「……ありがとう」
嬉しかった。その嬉しさが佐恵子の心から不安をわずかながらでも取りのぞいていた。これで忘れる努力が出来そうだ。
「私も気にしてたんだ。由紀子が死んで以来、あんまり佐恵子とも会わなくなってたから……ごめんね」
「ううん、私があんなことになる原因をつくったんだもの。由紀子には本当に悪いことしちゃって……」
そう言いながら佐恵子は涙を拭いつつ部屋を見回した。この部屋にはよく3人で集まったものだ。
「気にすることないよ」
ふと、男物のコロンの匂いが漂っていることに佐恵子は気づいた。修平も同じコロンを使っている。
「誰かいたの?」
「え?」
「この匂い……男物のコロンだよ。修平さんと同じだからわかるもの」
「あ……うん……ちょっと」
祥子は慌てたように視線を宙に漂わせた。図星のようだ。
「彼氏? ひょっとしてさっきまでいたの? やだ、私、邪魔しちゃったみたいだね」
「まぁ……ね」
さっきまで泣いていたことなど嘘のように佐恵子は祥子をからかった。久しぶりの楽しい話題だった。
「それじゃ、結婚するの?」
「どうかな……するとしてもずっと先だと思うよ。私、べつに結婚にこだわるつもりないから」
「ふぅん、なんか祥子らしいよね」
「止めよう、そんな話。もっと別の話をしようよ」
祥子が笑顔を見せ、二人は久しぶりにゆっくりと語り合うことが出来た。ただ、由紀子の話題にだけはおたがい触れないようにしていた。とはいえ、二人が過ごした大学の頃には必ずそこに由紀子もいたため時折彼女の名前が出るたびに二人でほんの少しうつむくことにはなった。それでも、佐恵子にとっては久々の楽しい時間だった。
結局、佐恵子が帰ったのはお昼を少し回る頃だった。
「ごめんね、せっかくの休みだったのに邪魔しちゃって」
「いいよ、私だって佐恵子に会えて嬉しかったから」
「本当にありがとう……彼氏にも謝っておいてね」
佐恵子はそう言って笑うと祥子の部屋を後にした。
祥子は佐恵子を送り出すとしばらくの間その場に立ったままぼんやりと考えこんでいたが、やがて、部屋に戻ると棚の中から白い便箋と封筒を取り出してテーブルに広げた。




