手紙・4
今ね、私、すっごい興奮してるのよ。
だって、こんなふうに佐恵子へ手紙を出せるようになるなんて思ってもみなかったから。だから私、今、すごく嬉しいの。
ねえ、修平さんは元気にしてる?
私のことを憶えていてくれてるかな? 忘れられてなければいいけれど……。でも、忘れてるはずないわよね。佐恵子だって憶えていてくれるんですもの。そうでしょ。だからこそこうして佐恵子へ手紙が出せるんだわ。
佐恵子に会いたい。佐恵子に祥子、また3人で遊びたい。
でも、それはきっと無理ね。私はそこへは行けないから。
佐恵子が来てくれないかな。
私たち友達よね。
いつも佐恵子のこと見ているわ。どんな時にだってね。
FROM YUKIKO
短い文面だった。
だが、それは佐恵子を恐怖に陥れるのに十分なものだった。
落ち着こうと思った。とにかく落ち着かなければいけないと自分に言い聞かせた。
しかし、体はその思いを拒否するように大きく鼓動を高鳴らせてる。
(これは悪戯なのよ!)
しかし、心の中ではそれが由紀子からのものだと認めてしまっている。
先日の手紙から5日が過ぎていた。忘れてしまえるかもしれない。そう思いはじめていた矢先だった。
先日の白い封筒、白い便箋とは違うスヌーピーのキャラクターの描かれたマンガチックな便箋。それは大学の頃からよく由紀子が好んで使っていたものだ。先日の手紙は誰かの悪戯で片付けられたかもしれない。けれど、これはそんなことじゃ片付けられない。
修平に相談したかった。電話しようかとも考えたが、すぐに思いとどまった。そんなことをしても修平を怒らせるだけだ。最近は仕事が忙しいらしく、会社に泊まって帰ってこないことも多い。昨夜も帰っては来なかった。
佐恵子はその場にうずくまると自分の鼓動の激しさを無理に沈めようとするかのように、胸を押さえじっと目を閉じた。
(誰が……いったい誰が?)
全てを誰かのいたずらのせいだと考えようと試みた。けれど、そんなことをするような人は誰も思いつかない。唯一、そんなことが出来るとすれば祥子だけだ。祥子ならば由紀子の字を真似することも出来るし、由紀子が使っていたレターセットのことも知っている。だが、祥子がそんなことをするとは到底思えなかった。こんな他人を傷つけるようないたずらは、彼女が何よりも嫌うことだ。
佐恵子はやにわに身を起こすとカレンダーに目を向けた。
水曜日、そこに一つの救いを見出だしたように佐恵子はベッド脇の電話へ飛びついた。
記憶しているナンバーをプッシュする。
1回……2回……そして、5回目のコールの途中で予想した声が出た。
――はい、西脇です。
久しぶりに聞く祥子の声だ。祥子はデパートに務めていて、毎週水曜日が定休日になっている。
「祥子!」
すがるように佐恵子は声を出した。
――え? 佐恵子なの?
眠そうな声が佐恵子の悲鳴に似た声を聞き、ハッとするように変わる。
「助けて!」
やっと心の支えを見つけたように佐恵子は助けを求めた。
祥子ならば助けてくれそうな気がした。
――なに? いったいどうしたの?
「手紙……手紙が……」
いつの間にか涙があふれていた。
――手紙?
「そう……由紀子から手紙が届いたの。いったいどうなっているのか……」
左手で涙を拭いながら佐恵子は事情を説明しようとした。だが、何をどう説明していいのかわからない。
――話がよくわからないわ。
それでも祥子は由紀子という名前に、そして何よりも佐恵子の声に驚いているようだった。
「由紀子から手紙がきたの。まるで私を恨んでいるみたいな……ううん……間違いなく由紀子は私を憎んでる」
――そんな……由紀子は死んだのよ。
「そうよ。それなのに手紙が……お願い、私を助けて!」
――ちょ、ちょっと落ち着いて。私、今起きたばっかなの。すぐに行ってあげたいけど……。
「私がそっちに行くわ。お願い、いいでしょ」
――え、ええ……いいわ。
「それじゃ、すぐに行くわ」
佐恵子は受話器を置くと、すぐに出かける準備をした。化粧も、準備も必要とはしなかった。ただ、この手紙さえ持っていけばいいのだ。先日の手紙は修平に破り捨てられてしまったが、この手紙を見せれば祥子も信じてくれるだろう。きっと、これが由紀子からの手紙だということをわかってくれる。
佐恵子はバッグに手紙を押しこみ、涙を拭うために鏡を覗いた。目が赤く染まってしまっている。その疲れたような顔には見覚えがあった。
あの日の夜――
タオルで頭をふきながらソファに座り部屋を見回している修平に、佐恵子はぬるいくらいのコーヒーを出した。
すでに時計の針は午前1時を回っている。さっさと飲んで早く帰って欲しかった。
「ありがとう」
「いいえ、でもお願いだからこれを飲んだら帰ってください。私、明日も仕事なんです」
「はい、はい」
調子のいい返事だった。佐恵子が迷惑そうな表情をしていることも、まったく気にしていないようだ。コーヒーにも手を伸ばそうとはしない。その態度が佐恵子を余計にいらつかせた。
「由紀子とはどうなんですか?」
わざと由紀子の名前を出した。佐恵子も3日前に由紀子とは会っていた。あいかわらずノロケ話も聞かされている。ただ、他に修平との会話はない。また、ただのノロケ話になるのだろうが仕方がない。だが、修平の態度はまったく予想してなかったものだった。
修平はいままでの様子をがらりと変え、俯きがちに小さくつぶやいた。
「駄目なんだよなぁ」
これまでとはまるで違う力のない声。
「いったいどうしたんです?」
「最近、どうもうまくいかないんだ。付き合い始めた頃とはまるで違うんだ」
さっきまでの軽い表情とはうって変わり、視線を落として暗い表情になった。
「違うって何がですか? この前、由紀子に会ったけど問題があるようなことは何も言ってなかったですよ」
「彼女はまだ気づいていないんだよ。俺が無理していることに」
「無理ってどういうことです?」
「何もかも無理なんだ。はじめから彼女とつき合うことに無理があったんだ。ずっと彼女にあわせてきたけど、やっぱり時間がたつにつれ疲れてくるんだ」
「そんな……二人でちゃんと話し合えばいいじゃないですか。そんな言い方はないと思います」
修平の言葉に佐恵子は腹をたてていた。修平の言い方はあまりにも勝手すぎる。由紀子が可愛そうに思えてきた。
「君には俺の気持ちはわからないだろうな。僕だって彼女を傷つけたくないんだ。いつも彼女の一緒にいても、終わりを捜してる自分がいるんだ。だから――」
「由紀子に連絡してみます」
佐恵子は修平に背を向けると受話器を取った。修平の勝手な言葉と由紀子の気持ちを考えるとすぐにでも話しをしたかった。だが、由紀子の家の電話番号をプッシュするまえに佐恵子はびくりと体を震わせた。
修平に背後から佐恵子は抱きしめられていた。その腕に男の力強さを感じた。すぐに振り払おうとしたがびくともしない。
「な、何するんですか?」
修平を部屋に入れたことを改めて後悔していた。
「そばにいてくれ」
抗おうとする佐恵子の動きを封じこめるように修平はさらに力をこめた。
「やめて下さい!」
抱きしめられた一瞬で抵抗など無駄だということは悟っていた。本気になった男の力に勝てるはずもない。それでも何の抵抗もないままに、修平の思い通りにはなりたくなかった。佐恵子はあらん限りの力で修平に逆らおうと試みた。だが、佐恵子の予想通り、その抵抗は何の意味もなさなかった。
修平の唇がそっと首筋に触れる。
あのことがなければ、今頃はこんなことになっていなかったはずだ。
佐恵子は涙で赤くなった目を鏡で見つめながら、あの時のことを思い出していた。あの時もこうして涙をこらえながら鏡を見つめていた。修平が帰っていった後、佐恵子は動くこともできずに、暗闇のなかでじっと鏡を見つめていた。全てを忘れてしまおうと思いながら。
その時でも今のこんな状態は予想していなかった。こんなかたちで恐怖に陥れられるとは。
助けが欲しかった。なによりも親友の助けが欲しかった。
佐恵子は祥子のもとへ急ぐため、軽く涙を拭った。




