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蒼く、澄んで
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リアが言葉を口にしようとしたその時だった。
「っ……?」
急に現れた魔法の気配に振り向けば、ローベルトの倒れている地面に大きな魔法陣が現れていた。それはエメラルド色に輝き、まるで湧水の様に輝きを増してゆく。
「どう……して…?これは、私の…魔術…?」
また、無意識に発動してしまったのだろうか。魔法陣に描かれた文字は、紛れもなく自分の筆跡。
「『浄化し、再び彼に祝福の音を奏でたまえ』?……っ…!」
読み上げた瞬間に、リアは息をのんだ。
この魔法陣が表すのは、最初に彼に出会ったときに自らがかけた魔術。
生死を彷徨っていたローベルトを助けるために、リアが施した再生と忘却の魔術。
あの時は必死だった。目の前の命が、優しい彼の命が消えてしまわないようにと。
再生の魔術は、時が経つと消えてしまう様に施したはずだった。しかし、それは今尚彼の体内に残っていたのだ。つまりは、まだその効力は消えていない…?
はじかれた様に、リアは踵を返す。
そう、全てはあの日から始まっていたのだ
「っ……う…」
「ローベルト様っ!」
小さなうめき声をあげながら手を伸ばす彼の姿が視界に入る。
気づけばリアは、ローベルトに抱きついていた。
握った手は、大量にこびりついた血液でザラザラとしていたが微かに人の体温が感じられる。
「っ……よかったっ…ローベルト様っ」
「リ…ア…?」
「はいっ…リアですっ。リアですッ…!」
ゆっくりとした手で、ローベルトはリアの頬を零れ落ちてゆく涙をすくいとると、リアの頭を手でゆっくりと自らの額に寄せた。
お互いの視線が近距離で混じり合う。
吐息が頬に触れる。
ゆっくりと笑みを見せていたローベルトの瞳が細められ、真剣な表情でリアを見つめた。
その表情は、騎士団にいる時の彼のもので。
「………リアは、魔術が…この世界から無くなればいいと…思っているんだな?」
「っ……なんで…それを…」
「青い瞳の………貴女から聞いた」
「青い…瞳?」
「エルメ…」
「!……その言葉は…」
「リア・フェレン…」
「はい…」
二人は無言で頷きあうと、ゆっくりと立ちあがる。
「っ!?ローベルト…何故、お前が生きている…!あれほどの穢れた魔術を受けたのに…何故っ」
レヴァンのうろたえた表情を見つめ、ローベルトは眉をひそめる。
「レヴァン副隊長…、やはり、貴様か。財務長と謀っていたのは」
「っ、何を言っているんだ、そんなでたらめ…」
「グランディア帝国を……国王陛下を甘く見過ぎたな。……今頃、財務長も身動きが取れないようになっているはずだ」
「ローベルトの言う通りだ。よくも此処まで我がグランディア帝国を陥れたね……レヴァニスタ第三王子」
第三者の声が聞こえたかと思えば、レヴァンの首下につきつけられた剣先。その元を辿れば、不敵に笑う王の姿があった。
背後には数十人の兵士と魔術師が今にも攻撃を仕掛けんばかりの勢いで立っている。
「流石のトゥルーサ帝国も、王子である君がここに居る間は武力による手出しができないようだね」
「っ…チッ…!」
王の言葉にレヴァンは舌打ちをしながら、睨みつける。
ローベルトは、リアの掌をぎゅっと握った。
「リア……君は、大切なものを…これから失うかもしれない…。それでいいのか?」
「………はい」
無意識にリアは自らの胸に掌を当てる。
母が昔言っていた。
『この真の名は、誰にも言ってはいけませんよ』
『誰にも…?』
『えぇ、誰にも』
『どうして?』
『それはね、この世界を変えてしまうから』
『世界…?』
『リア、貴女は一人じゃないの』
「……一人じゃない」
ローベルトの言葉と母の言葉。そして、今まで心の片隅で感じていた事が、起こった出来事が鎖の様にからまって繋がってゆく。
嫌で仕方がなかった魔力の暴走も、無意識の魔術も…全ては私を守るためだったのだ。
「ありがとう……ずっと一緒にいてくれたんだね」
微かに暖かくなった気がして、また一筋のなみだが頬を伝う。
母は最後にこう言った。
『貴女が心から愛する人と共に…真の名を詠うと、貴女は一人になるのよ』
その言葉を聞いた時は全くもって意味が解らなかった。だが、今は解る。
「リア…本当に、私で…俺でいいのか」
「っ…はい、私は…ローベルト様がいいんです」
ぎゅっと強く抱きしめられれば香る仄かな香り。
目の前の人物を見つめる。
美しい黒髪と、まっすぐな金色の瞳。
茶色のふんわりとした髪と、凛としたエメラルドの瞳。
彼と出会って世界が変わった
彼を愛して心が震えた
彼を憎み、涙を流した
彼女と出会って世界が変わった
彼女を愛して穏やかになれた
彼女を傷つけ、恐怖を知った
それでも
「「あなたと、生きていきたい」」
二人の足元からまるで木の根が生えてゆくように、古代文字の魔術が一斉に地面へ広がってゆく。エメラルドとスカイブルーの文字が辺り一帯を、世界中の大地を包み光を放つ。
木々がゆれ、動物達も一斉にざわめき始める。
「なんだ…これは…」
「地面が光っているぞ…」
人々は疑問の声をあげ、その場に立ち尽くしていた。その中でも、魔術師の老人だけが目を見開き唖然とした様子で呟いた。
「これは書物に記されていた………魔術の女神の導きなのか?」
光の中心にいる二人を莫大な魔力の風が揺らす。
ローベルトは、リアの掌を両手とも繋ぎそっとその額に自らの額をつけた。
もう、手を離さないように。
二度と彼女を悲しませないように。
リアの言葉が言霊と化す。
『緑化の風よ、蒼き星よ、千なる魂よ、宝なる骸よ』
『万物をもって、全てを蒼に、全てを光に―――』
二人は、一瞬視線を合わせ頷いたあと声を張り上げた。
「「エルメリア…蒼く澄む世界を今、此処に」」
世界をエメラルドとスカイブルーの光が一瞬にして駆け巡り、人々はあまりの眩しさに目を瞑る。
突如と襲う激しい風と光は、世界中の人々の時を止めた。
ローベルトも飛ばされそうな風圧からリアを守る為に、自らの腕に彼女の細い身体を抱き込んだ。
「っ……」
そこで、まるで世界が終ったかのようにぶつりと意識が途切れた。
真っ暗な闇を一人歩く
怖い、寂しい、辛い
どうしてこんなに虚しいの
どうしてこんなに苦しいの
「……リア」
「お母さん……?」
懐かしい声がした気がして振り返る。
そこには、あの日最後に見た母の姿があった。
「……ありがとう、リア」
「っお母さん…私っ」
駆けよって抱きつけば、暖かい体温と香りが一気にリアを包みこむ。
「お母さんの所為で…いっぱい辛い思いをさせてしまって…ごめんなさい」
「っ、そんなこと無いっ…お母さん、私っ」
「私の可愛い娘。リア、貴女を大切に想ってくれる人と幸せになりなさい」
「お母さん……」
「全ての闇は、私が持っていくわ…この子と、一緒に」
視線を母の言う方向にそっと向ければ、まるで自分を鏡で映したようなほど似た少女が一人、笑顔で立っていた。違うとすれば、その瞳は自身が持つエメラルド色ではなく…スカイブルーのような蒼い瞳。
「リア、ローベルト様と仲よくね」
「貴女…もしかして…」
リアの声を遮るように、母であるエスタールは声をあげた。
「さぁ!いきましょうか。もう少し、リアのかっこいい旦那様を見ていたかったけど時間みたいだしね。あー…!私も早く旦那に会いたいわ!もう、待ちくたびれてるかしら」
「お、お母さん?」
「ローベルト君だっけ?私が後、20歳若かったらなぁ!リアが羨ましい」
にっこりと笑う母は、記憶の中にある母と一緒で。
真直ぐなエメラルドの瞳がリアを見つめる。
「………リア、私が生きていた証が消えても…貴女のことをずっと見守ってるから」
「っ……ありがとう」
涙で滲んだ世界はぐらりぐらりと揺れて、再び意識が沈んでいった。




