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暗闇に見える
エメラルドの輝き
×××36×××
「ローベルト様…?ねぇ、…ローベルト、さま?」
震える身体で、ゆさゆさと腕のなかにある逞しい身体を揺さぶる。
抵抗することもなく、微動だにしない眼下の男からは呼吸音さえもしない。
「っ……待って、くださいっ……、ローベルト様っ!ローベルト様!!!!」
嫌だと、逝かないで、と言葉にならないリアの叫び声が辺り一帯に響き渡る。
喉が頭が心が悲鳴をあげる。
ねぇ、どうして。
どうして、彼が死なないといけないの。
ねぇ、教えて。
どうして、私じゃ――--
「教えてあげようか、リア?」
「っ…………?」
優しい声がリアの耳元をかすめる。
その声に顔をあげれば、そこには優しく微笑みながら近づいてくる男が一人。
純白の軍服に、灰色の髪。
「レヴァン…?どうしてここに…」
するりとのばされた掌は、リアの頬に飛び散った血をゆっくりと撫で取ってゆく。
まるでその動作は壊れ物を慈しむかのごとくゆったりと、そして上品だった。
「あぁ…リア。汚れてしまってるね…可哀相に」
「レヴァンっ…ローベルト様が…」
「あぁ…。そうだった」
レヴァンの口元がゆっくりと弧を描き、リアの腕の中にいるローベルトを見つめる。
その様子に、リアの脳内が警鐘を鳴らす。
なにかが可笑しい、目の前に立つ友人の何かが何時もと違うのだ。
不安に駆られ、ぎゅっと腕の中にいるローベルトを庇うように抱きしめる。
今、彼を…彼の骸を守れるのは自分しかいない。
冷たくなってゆく彼の身体を目の前に何もできない自分の歯がゆさに、ぎゅっと奥歯を噛み締めた。
「リア……俺と一緒にこない?」
「え…?」
「きっと、そこなら…リアも安心して暮らせる。恐れるものなにも無いし、寧ろ高待遇を与えられる。侍女なんか比じゃない、確立した地位を得られるんだ…!」
「………レヴァン?」
「こんな愚かな国は捨てて戻ろう、トゥルーサ帝国に!エスタール女史も、きっと君が戻るのを喜ぶはずさ!」
にっこりとした笑顔と、高らかに告げられる言葉。
リアは、恐怖に目を見開いた。
「っ…レヴァン?何を言ってるの…?貴方、この国の…グランディア帝国の第一騎士団の…副隊長なのよ!?国王に一番近いと言われる…第一騎士団のっ…」
「あぁ、そんな肩書もあったなぁ」
コツリ、コツリと白いブーツをわざとらしく鳴らしながらレヴァンは楽しそうに、リアのまわりをゆっくりと歩く。
その言葉が発せられた瞬間、うめき声と共に別の声が響き渡った。
「っ……謀りましたね…!レヴァン・ノワール!」
「おや、まだ生きていたんだ。さすが、魔術師団長様」
「シュアルツ殿っ…!」
リアの後方に、地を這う様にこちらへ向かってくるシュアルツの姿が見えた。
魔術に当てられたのか、今にも息絶えそうな姿にリアは目を見開く。
「っ…!こっちに来ては駄目です…!シュアルツ殿っ!」
「王の膝もとに……潜り込むとはっ…疑うべきは、貴方でしたかっ…」
「そう。俺は、最初から……リア・フェレン…、彼女を守る為だけに、この国に来たんだよ!」
シュアルツは何事かを唱えると掌をレヴァンの方へ向ける。植物の蔦の様なものが目も止まらぬ速さでレヴァンを捕えようと襲いかかってきた。
「魔術師団長殿…貴方が万全の時に対峙しなくてよかった。流石に、きついですから」
「っ、滅びよっ……!」
襲いかかる蔦を、華麗に音もなくよけながらレヴァンは自らの剣でそれを切り刻んでゆく。
「もう、限界でしょう?今…楽にしてあげるよ!」
「止めてっ…レヴァン!」
「ごめんね、リア。守るのは…リアだけど…従うのは、トゥルーサ帝国国王様だけんなんだ」
にっこりと笑うレヴァンは、シュアルツに向かって何かをそっと呟いた。
その様子にシュアルツは目を見開く。
瞬間、雷の様なものがシュアルツの身体を電光石火のように貫いた。
「っ…ああああ!」
「シュアルツ殿っ……!」
倒れて動くなったシュアルツから興味を失くしたのだろう。レヴァンは、その姿に目もくれずリアの方を振り向き、微笑みながら近づく。
「さぁ、……これで。片付いた………リア」
「っ………」
レヴァンの手袋をはめた指がリアの顎を滑るように掴み、自らの視線と合うように上を向かせる。
「リア、これから…トゥルーサ帝国に一緒に帰る前に…君に聞いておかなければいけない事があるんだ」
「っ、」
耳元にかかる吐息に、リアは身体をびくりと震わせる。
その様子を面白そうに見ながら、レヴァンの唇がゆっくりと動く。
「リア、真の名を…教えて?」
「まこと、の…な……」
「そう、真の名……君が知らないはずはないだろう?」
リアはぎゅっと唇をかみしめた。
何故彼が「真の名」の存在をしっているのだろうか。
早まる心音は、相手に伝わるのではないかというほどで。
震える指で、ゆっくりと顎を持ち上げているレヴァンの指を外してゆく。
どうしても、これだけは教える事ができない。
「真の名」を教えるという事は…魔術師として、魔力を持つものとしては致命的なことなのだ。
教えた相手に自らの全てを委ねることになる。つまり、自分の魔力を相手に譲渡するという意味にもなるのだ。
「どうして……レヴァンはっ…私の『真の名』を、知りたいの?」
自らの震えを隠そうと、リアは精一杯の声で尋ねる。
レヴァンは、嬉しそうに笑いながらリアのエメラルドの瞳を見つめる。
「それは、俺が……リアを愛しているから」
「っ……でも、貴方の判断で…いいの?トゥルーサ帝国は、私がレヴァンに『真の名』を教える事を…許しているの?」
「……流石、リア。察しが早いね。もちろん、そんな事は事後報告するつもりだよ。俺のリアを、……意思を失くした兵器の様に……エスタール女史の様にはさせたくないからね」
彼の言葉は本当なのか。
そんなものを判断する材料なんて残っていない。
彼の話を聞くかぎりでは、自分に危害を加えるつもりではないことは解った。
それでも、解らない事がある。
「……一つ、聞いてもいい?」
「ん、なんだい?」
「…レヴァンは、私がトゥルーサ帝国から逃げてきたときから私を見張っていたのよね…?私の事は、いつから知っているの?」
「あぁ……それか…。リアは一度、エスタール女史と現国王の前に謁見にきた事があるだろう…」
「………えぇ」
「あの時、その場にいてね。初めて、君を見た時に…不覚にも一目ぼれしてしまったんだ…」
「謁見の時って……まさか…」
リアは、はじかれたようにレヴァンを見つめた。
あの日の謁見は非公開に行われた。
その場に居たのは、科学者と大臣と、国王とそして…
「レヴァン……貴方は…、第三王子のレヴァニスタ様っ…?」
リアの言葉にレヴァンは儚げに、悲しそうに笑う。
「所詮…第三王子だよ。さぁ……時間がないから。あちらへ行けばしばらくは君と共に居られなくなる。俺に、教えてくれるね…?」
リアは無言で、腕の中にいるローベルトを見つめた。
本当は彼に、彼になら真の名を教えても良いと思っていた。
でも、もう彼はこの世に居ない。
ぽたり、とリアの瞳から雫が落ちローベルトの色を失った頬に落ちた。
きっと、私がトゥルーサ帝国へ行けばこの戦いも終わる。
全部、魔力を持って生まれてきた私が悪いのだ。
その所為で沢山の人が苦しんで、沢山の人が死んだ。
『いらないっ…。こんな力なんて、いらないっ…』
あの日から、何も変われなかった。
ただ、弱い自分をさらけ出して逃げただけだった。
夢見た世界は、現実にはならなくて。
その場にローベルトを寝かすと、リアはゆっくりと立ちあがった。
決して変わらない
ずっとずっと
貴方だけが、私の愛するひとだから
ねぇ、ローベルト様…。
こんな私でも一つだけ許してほしい事があるんです。
貴方と手をつないでずっと居られるような、そんな
夢見た世界は
「私の……私の、真の名はっ――――――」




